実感の力
なぜ人はこうもたやすく、魅入られるのであろうか?
執筆の合間に、異形コレクション32「魔地図」を読んでいる。ほとんど一日1編というスローなペースだ。通勤というタイミングがない在宅勤務の場合、本を読む時間は意図的に作らないとなかなか取れない。おかげで読書するために外出することさえある。
今日は森真沙子の「猫ヲ探ス」。
内田百閒と失踪した飼い猫の話。
「猫には猫の地図があるのですよ」
ああ、いい言葉だ。
分かる、分かる。
直感的で、心の奥にすとんと落ちるようだ。
これだけで、この短編を読んだ価値がある。
異形コレクションというのは実にいい短編集だ。
話の流れであえて恥をさらすが、前の「妖女」が出た時、私も刺激を受けて、新テーマの「魔地図」で話を書こうと思った。いや、事実、書いたのだが、「坂本龍馬、ピリ・レイスの地図を見てルルイエに向かう」という、いかにも「上海退魔行」だか、「クトゥルフ神話」なんだかというネタになってしまったので、いずれ機会があったら、R&Rにでも持ち込もうかと思って仕舞ってある。魔地図という話で、すぐに浮かんだのが「ピリ・レイスの地図」というのが、まさに「ブルーローズ」的な、というか、メガテン的なというか、いや、もしかして最近、読んでいるアトランティス絡みのトンデモ本のせいなのだろうか。
「ピリ・レイスの地図」というのが、またグラハム・ハンコック以降、トンデモ系の好きなネタで、オスマントルコのピリ提督が残した地図がやたら正確で、当時、まだ発見されていなかった南極大陸の氷の下の地形がはっきり書かれていると言われている。アメリカ空軍のお墨付きというのも色々眉唾物であるが、困ったことに、トンデモ本の世界では「これこそ超古代文明の証拠」とか声高に言われている。「アトランティスは火星にあった」とかいう、田舎の図書館員夫婦が書いた本では、「厳然たる事実」とか形容されており、「思わず、あんたはそれを見たのかい?」と突っ込みたくなる。
私もロマンの香りは強く感じるのだが、残念ながら、15世紀の地図に描かれた空想と、現実のわずかな類似をそこまで信じることはできない。
どうして、こうした人々は魅入られてしまうのか?
そこでふと思う。
「猫の地図」と同様に、すとんと心のどこかにひっかかってしまうことがある。
そうなるとダメなのだ。
昔、知人の結婚式で、「海老一染之助、染太郎」師匠の「おめでとうございます」を間近で見たことがある。あのときほど、「生の芸の迫力」を感じたことはなかった。その結果が、メシタス・ランタンになるのは余談である。
「ピリ・レイスの地図」もまた同様なのかもしれない。
そこにある類似を、実感してしまったとき、人は魅入られ、道を誤ってしまうのだろう。
ああ、このネタは「深淵」でも書きましたが、それはまだ未完である。
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