倒叙法のシナリオ運営:種デスと深淵
倒叙法という手法がある。もとはミステリで使われる用語で、まず、犯人を明らかにしておき、事件の謎が解かれていく様子を語る。例えば、「刑事コロンボ」は典型的な倒叙法ミステリで、最初に犯罪者が殺人を犯し、事件を隠蔽しようとするが、刑事コロンボが入念な調査と諦めることを知らない強い意志で犯人を追い詰めていく。
TRPGの場合に、倒叙法を使ったシナリオを作ることはできるだろうか?
もちろん出来るのであるが、そこには方法とシステム選択の必要がある。
まず、一般のシステムの場合、倒叙法は非常に困難である。なぜならば、TRPGは鑑賞者と遊戯者が同一なので、そのままでは、倒叙法ミステリが成立しないのだ。
さらに、結末を先にプレイした後で、そこにいたる経過をプレイしたら? と考える人がいるかもしれないが、通常のシステムではうまくいかない。なぜなら、最初にクライマックスをプレイし、そのままそこに行く過程をなぞるだけでは、シナリオが一本道になり、ゲームが尻つぼみになるからだ。
これに対する回答の一つは、最近流行のぶっちゃけである。
あらかじめ、GMやプレイヤーがやりたい結末やクライマックスをプレイヤーレベルで話していき、そこに至る過程ややりとりを楽しんでいくのであるから、これはもっとも、倒叙法に近いと言えるのであるが、「それがゲームか?」というと、色々疑問を感じるところは多い。
私自身の回答は「深淵」の夢歩きである。
夢歩きにはいくつもの機能があるが、そのひとつに予兆を与えることがあり、メタゲームのレベルでは、プレイヤーに、「クライマックスの予習」をさせる効果がある。GMは「クライマックスに通じる予兆」を与えることで、PCにドラマチックな決断について深く考えることを求める。予兆の通りになるかどうかは決まっていないので、完全な倒叙法ではないが、構造的に、倒叙法的な仕掛けを持っているのである。
だから、実は「深淵」には倒叙法シナリオは似合わないし、ぶっちゃけをしすぎると醒めることもある。
なぜ、こんなことを思ったかというと、本日の種デスこと「機動戦士ガンダムSEED Destiny」での回想シーンの使い方に、何か「深淵」めいたものを感じたからである。
しつこいほど繰り返される回想シーンは、その実、視聴者の脳裏に登場キャラクターを彩るキーワードを強く刷り込むためにある。そして微妙に連想の枠を飛ばして関連付けられる細切れのシーンの提示方法に私のマスターリング手法と同じものを感じ取った。
それは番組のほかのパーツにも見られる。
予定調和的展開を想起させつつも、なぜか実際の放映内容に反映されないオープニングは、逆にそのギャップから、視聴者に深読みを要求する。
エンディングは、まず、各キャラクターのスタンスを象徴した止め絵スライドから始まった。これはキャラの立ち位置を読ませる要素が強い。さらに、3クール目にして変化した新EDでは、さらに、実際の放映内容からかけ離れて、前作まで遡り、萌えキャラを総動員し、妙に明るい、笑顔ばかりのオールスターキャストを提示する。それはまるで、そこに書かれたキャラクターがいつか全員、天国に召されるという、イデオン的全滅エンドをほのめかす。
さらに、内容のシビアさとはかけ離れ、さらに名目主人公シンのかけらも現れないアイキャッチは、新Edとともに、強い違和感を与える。居心地が悪いほどに。
それがどこまで意図的なのか、私にはまだ読めない。
サンライズと監督、シリーズ構成のスタッフが予想以上にしたたかではないかと思いつつ、たぶん、一方で、「踊らされてはおらぬか?」という、『真・女神転生』的な問いかけを思い出す。
打ち切りの噂すら、情報操作に見える。
ああ、この怪しさが、私を種デスにひきつけるのかもしれない。
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