ミ=ゴの侵略
昨日のクトゥルフ・ダークエイジ(以下DA)を振り返ってちと思うところを少し。
まず、10世紀の中世ヨーロッパというあたりをアバウトにとらえると、かなりプレイしやすい。
GMも詳しくないが、プレイヤーも詳しくないと思えば怖くない。魔法があんまりないファンタジー・ホラーRPGだと思えばよい。まあ、ファンタジーRPGはゴブリン退治からという意見もあるので、ゴブリンを出した。DAのゴブリンって、シュブ=ニグラスの系統なので、実は怖いのですが・・・。
クトゥルフ小説の文脈は相変わらず有効である。
先日のシナリオも、いわゆる「遺産物」に、ミ=ゴの侵略をひっかけ、「闇にささやく者」のホラーテイストを加えた。ああ、ミ=ゴの侵略というギミックは便利である。
深きものはあまりにも定番過ぎる上、やや弱い。ショゴスは強すぎるし・・・次はニャルラトホテップの暗躍か・・・誰も生き残れそうにないなあ。
今回、第一セッションが壊滅した理由を考えてみると、老人の意志を伝えた後のフリータイムの使い方にプレイヤーが戸惑っていたことが上げられる。どうも、マスターがシーンを切り、老人の寝室から追い出されたように感じたらしい。
「シーン定義」という言い方は、特にシーン制を定義しないDAには不適切かもしれないが、今回はクトゥルフということで、あえて、あまりシーン定義をせず、場面描写だけでプレイヤーの反応を待ち、その後、ゆっくりと「何かしたいことは?」と問いかける待ちのマスターリングを行った。
これが、分かりにくかったのだろうか?
このあたり、自分のマスターリングと、近年のセッション構造制度の関係に少々思う部分はある。
(責任転嫁するつもりはない)
DAに適し、かつ、混乱を招かないマスターのテクニックとして、シーン制をどう使うべきか? 色々ちょっと考えてみたい。
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