永遠の冬11:狼煙
人の弱さとは救いである。
それは物事を解決しないという破滅への道を示すから。
弱きものを喰らうことにためらいを示す限り、まだ人は人に戻れる。
ウィリス11歳の春。
冬送りの祝詞巡りが行われても、ウィリスの心は晴れなかった。
雪狼の姫ネージャから「獣の王になる」と言われたこと自体は、ウィリスの生活を変えはしなかった。冬の間、ゼルダ婆はウィリスに「お迎え役」の修行を続けさせた。いずれ、冬翼様をお迎えすることに変わりはないのだそうだ。ただ、ウィリスはいずれお迎え役の上のお役目である「獣の王」の地位につき、冬翼様のために重要な働きを成すのだという。それがどのような働きなのかはまだ語られなかった。
「次の夏、お前はグレイドルに行き、すべてを学ぶこととなろう」
ゼルダ婆はただ一言、そう言った。
グレイドルはバッスル侯爵領の都である。この地には、冬翼様に近しい神、《冬の統領ル・ウール》様の大社がある。《冬の祠》というそうだ。
結局、冬の間、ウィリスがネージャ様と再び出会うことはなかった。
あれ以来、ウィリスはより深く、雪狼たちを感じるようになったが、それゆえにか、雪狼たちはこの冬の間、一度も村には入ってこなかった。
ただ遠くから、雪狼たちが何かを狩りだす雄叫びが何度か聞こえただけだった。
「ゼルダ婆、少しばかりいいか?」
冬送りが終わってしばらくして、村長と村の男衆数名がゼルダ婆を訪ねてきた。その中にはウィリスやメイアの父の姿もあった。村長が年始の挨拶で、領主のミネアスを砂の川原に訪ねた際、村にも関わる命令を下されたという。
「お前もそこにいなさい」
婆は席を外そうとするウィリスに、声をかけた。
「これから、我らは辛い話をする。しかし、お前は次なるお迎え役として、これを聞かねばならぬ。そして、胸の内に秘めておかねばならない」
婆が、ウィリスの父に眼を向けると、父はゆっくりとうなづいた。
やがて、村長が言った。
「バッスルでまた戦があった」
「毎年のことではないか?」
と、婆が答える。
北原の雄バッスルは、隣接するラルハース侯爵領と毎年のように戦争を繰り返している。両国の間にあるレキシア湖を巡って戦いが絶えない。ラルハースは水魔を信仰する国だから、夏は強いが、冬になり、湖が凍ると水魔は動けなくなる。そこで、冬の神を信仰するバッスルが攻め入り、水魔の巣を焼き払う。これに対応して、ラルハース騎士団が出兵する。
「いや、今年は跡目争いが絡んで、大きな戦になった。甥っ子のジェイガンがバッスルの手を借りて、ラルハースの都ペリエールに攻め込んだ。南のダリンゴース、北のユラスまで加わって、ジェイガンが勝った」
「ユラスまで」
ゼルダ婆が眼を向いた。
ラルハースの北、残虐なる黒男爵の支配するユラスは、闇の国と恐れられる国だ。このロクド山中でも、ユラスの黒男爵の恐ろしい所業は伝わっている。もともとの主を裏切り、一族全てを串刺しにしたという。その配下の黒騎士たちは人というより、闇の魔性に近いおぞましい生き物であるという。
南のダリンゴースは利に聡い商売上手な国なので、利を見て戦に乗ったのが分かるが、闇の国ユラスまでも引き込んだというのは大事である。
「それだけではない」
と、村長は声を潜めた。まるで誰か、いや、黒男爵の手先に聞こえないようにするかのように。
「ダリンゴースは、獅子の戦鬼(いくさおに)を送り込んだそうな」
「獅子王教団! ジェイガンはラルハースを焼け野原にするつもりか!」
ロクド山の山奥でも、獅子王教団の恐ろしさは伝わっている。後退という言葉を知らぬ獅子王教団の狂戦士たちは、このあたりでは、戦鬼と評されている。
「あんなものを送り込んだら、戦いが止まぬではないか?」
初めて、ウィリスの父が口を開いた。
「見たことがあるのか、ジード」と、メイアの父が問いかける。
「昔、一度だけ」
答える父の顔はウィリスの知らない苦渋に満ちたものだった。
「奴らは傭兵だ。誰かが雇えば、どこの戦場にでも現れる。
そして、死ぬまで戦う。戦場の誰もが死ぬまで。
俺たちの部隊はあれのおかげで、半分が死んだ」
ウィリスは父が戦場にいたことを知らなかった。流れ者であるとは聞いていたが、開拓村であるグリスン谷では2、3代前に入植した者も多い。中には、それまで砂の川原で流刑の身にあった者もいるので、谷に来るまで、何をしていたかは互いに詮索しない。おそらく、村長とゼルダ婆、村の男衆の一部だけがそれを知っている。
「ひどい戦場だった。
人も馬も引き裂かれ、血の川が流れた」
「同じ話を、ミネアス様から聞いた」と村長が言った。
「バッスルの軍勢に加えて、ユラスの黒騎士、獅子どもだ。
ラルハース側は全力で水魔どもを叩き起こし、怪物たちが戦場に現れた。
ひどい戦場だったそうだ。
最後は、黒い龍まで飛んできて、都を焼き払ったそうな」
「龍だって?」
思わず、ウィリスまで声を出した。
南方ファオンの野には巨大な龍という怪物が封じられているという。それは城の塔よりも大きな空飛ぶ怪物で、トカゲのような鱗に覆われた体と、コウモリのような翼を持ち、口から火を吐く。あまりに恐ろしい怪物であるため、見ただけで気が狂うともいう。
「龍か、なるほど、冬中、山の雪狼どもが東へ向かって遠吠えする訳だ」
ゼルダ婆は極めて落ち着いた声で応じた。
「それだけの戦の気配が北原に満ちれば、その余波もこよう。
して、ガイウス殿は討たれたのかな?
いや、それならば、ミネアス様は気にすまい」
「婆はようお分かりだな」と村長。「ガイウスは傷を負われたが、魔法の力を借りて落ち延びたらしい。ジェイガン殿も、バッスル侯爵殿も、ガイウスの行方を探っておる。大方の者はさらに東、ワールの黒き森と見ておるが、ロクド山という噂もある」
ワールの黒き森は魔族の住処と言われる恐ろしい場所だ。そこに逃れるくらいならば、この深いロクドの山々のほうがずいぶんましだと言えよう。
「おかげで、街道沿いの飛び地全てにガイウス探索の命が下された。
ミネアス様は、古き盟約に従い、村にも出仕の命を下された。
兵士5名を探索隊に出すとともに、峰の狼煙台を整備し、これの番役を出せと」
「ミネアス様はお優しいのお、それで済ませてくれるとは」
婆は言った。
北原の諸国の軍務はもっと厳しい。冬ともなれば、村の男衆の半分が戦場に出ることもあるという。百人ほどのグリスン谷に兵5名だけならば、農作業も何とかなる。狼煙台の番役は老人や女子供でもよい。
「それ以上では畑の世話も滞る。ミネアス様はそっちのほうが困るそうな」
村長はそう言って、村の男衆を振り返る。
「ジード、行ってくれるか?」
ウィリスの父はうなづいた。
「いつものように、井戸端のヨト、牧場のキャズ、老ジャスパーを連れていく」
それは村の自警団の仲間だ。ヨトは剣が使える。キャズは若いが、一度騎兵に取られ、馬上で槍を使える。老ジャスパーは弓の上手である。
「あとは……ガースか?」
ウィリスは幼なじみの名前が上がったのに驚いた。確かに、最近、ジャスパーの元で弓を習い、狩人になる修行をしている。
「ウィリスと同い年か、まだ少々若いが、筋はいい」と村長がいう。「狼煙台は、持ち回りで番役をこなすが、村の衆はしばらく春の種まきで忙しい。ウィリスを借りたい。眼がよいからな」
グリスン谷にも、北原の戦乱がゆっくりと忍び寄ってきた。
こうして、ウィリスは遠い狼煙を見ることになる。
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とりあえず、第二章開始。
ためらいながらも、書き始めることにする。
辺境の谷間は北原の戦乱に巻き込まれていく。
別の視点から見た北原動乱の物語は、少年を悲劇の中へと導くのだ。
**一部加筆修正
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