永遠の冬3:発見
雲はただ流れてくるだけではなかった。
雲はただ見上げられるだけではなかった。
雲は決して降りることのできぬ地上を見下ろし、失われた半身を捜し求めていた。
9歳の秋。
ウィリスは野菜畑でそれに気づいた。
見上げた青い空に、巨大な鳥が飛んでいた。また、北からやってきた雲の翼だ。
「父上!」
ウィリスは、畑で叫んだ。
「冬翼さまが!」
畑で芋を掘っていた父親が空を見上げた。
「ああ、もうそんな季節か?」
そこで、父親は目を丸めた。
「ウィリス、今年もお前が見つけたか?」
父親のがっしりとした手が少年の肩を優しく抱いた。
「うん!」
少年が誉められたと思い、元気に返事をした。
「去年もお前が一番最初に冬翼様を見つけたな」
「一昨年もその前も!」
少年は嬉しそうに答えた。
「4年続けてか。目がいいのかも知れぬな」
父は腰を下ろし、少年の顔を真正面から見た。少年の瞳をじっと覗き込む。なぜかその父の瞳には暗い影が宿っていた。
「父上」
少年はその変化を見取って、弱弱しい声を上げた。
父親は空を仰ぎ、ふーっと息をついた。頭上には、冬翼様の大きな白い翼が浮かんでいた。父はその三日月のような、鳥のような雲塊に視線を向けた後、少年のほうに向き直った。
「ウィリス、お前はこの谷が好きか?」
唐突な質問だった。
「うん」
少年はそう答えねば、とんでもないことになるような気がした。
だいたいウィリスは谷以外の場所など知らない。グリスン谷で生まれ、グリスン谷で育った。今、やっと9歳だ。知っているのは谷とその周囲の山野だけ。一番遠出した先が、あの白の石碑だ。ガースの兄は峠の向こう、ミネアスさまの荘園で働いているというが、それがどれほど遠いかはウィリスには分からない。
「あ、あの、父上」
少年は泣きそうになった。
父は無言で少年を抱きしめた。
しばらく、そうしていてから、こう言った。
「お前は目がいい。その目を生かすにはこの畑は狭いかもしれない」
翌日、ウィリスは父とともに村はずれのゼルダ婆の家を訪れた。
ゼルダ婆は薬草師だ。傾いだ家の軒には得体の知れぬ薬草がたくさんぶら下がっていた。屋根の煙出しから上がる煙も、なにやら赤みがかって不思議な感じであった。村の子供たちは風邪を引いたり、腹を下したりすると飲まされる苦い薬と同じ匂いがするので、ゼルダ婆の家にはあまり近づかなかった。
「婆、いるか?」
父親は土産代わりの川魚を手に、婆の家の扉を開けた。
「ああ、おるよ」
ゼルダ婆は、部屋の真ん中に座り込み、すり鉢でごりごりと薬草をすり潰していた。傍らの鍋では赤みがかった汁で一杯の鍋がことことと煮えていた。
しわしわの顔の婆は細目で、父親の影に隠れたウィリスを見つけ、にこりと微笑んだ。もはや歯の1本もない口元が緩んで、笑い声とも吐息とも言えない音が漏れた。
「どうした、ウィリス。腹でも下したか? それとも……」
ゼルダ婆はそこで声を切った。
「まあ、中に入れや」
婆はすり鉢を横にのけた。
父親はウィリスを婆の前に押し出しながら、言った。
「昨日、ウィリスが冬翼様を見つけました。今年で4年目です」
「そうか、そうか、目がいいのぉ」
婆はそう言ってウィリスの顔をなでた。
「すこぉし婆に目を見せてもらえるかな」
ウィリスは目を見開いた。
婆はウィリスの顔を両手でつかみ、自分の正面にすえさせると、普段は細目にしか開けぬ右目をかっと開いた。
「婆!」
ウィリスは驚いて叫んだ。
婆の右目が青みがかった銀色だったからだ。
この村の者の瞳はほとんどが青か緑だ。婆の銀目は人の目には見えなかった。
少年は顔を背けようとしたが、もう遅かった。婆の目が瞳の奥に入り込み、そのまま、ウィリスの頭の中まで飛び込んできたからだ。
白い白い三日月のような雲。
あるいは、鳥の翼のような雲。
それは冬の先駆け。
「なるほどのぉ。お前は選ばれたのじゃ」
婆は呟いた。
「冬翼様の迎え役に」
「迎え役?」
少年にはまったく訳の分からない話だった。
「いずれ、お前は冬翼様を出迎えるという役目を担うことになりじゃろう。名誉なお役目じゃ。
今はまだ分からぬじゃろう。
だが、その時まで修行が必要じゃな。しばらく婆が預かるが、いずれ東へ修行に出す。
よいな」
少年は見出され、その時に通じる道を示された。
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昨日のさらに続き、少年の道の始まり、まだ物語の核心は遥かに遠い。
この物語は少しずつ書かれる予定。
その時、その時の仕事との兼ね合いで時に、間があくこともあれば、突然、別の連載が始まるかもしれないが、まあ、あくまでも日記Blogなので、気長にお付き合いいただければ幸いである。
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