少し思い出話をしよう
今日は日本のゲーム業界黎明期に活躍した多摩豊氏の命日である。
慶応HQというゲームクラブを皮切りに、アナログゲーム、デジタルゲームの黎明期に活躍された多摩さんは、ツクダの箱ゲームを作成され、初期の国産TRPG「スタートレック」などを送り出す一方、雑誌ウォーロックの創刊に携わり、初代編集長を務めた。18年前、ニフティ・サーブのSFフォーラムでRPGを遊んでいた私に、多摩さんが声をかけてくれたのが、私のデビューのきっかけである。
色々お世話になった。
デビューしたばかりの若造に色々な仕事を振ってくれた。
私がしでかした大ぽかに呆れながらも色々対応してくださった。
多摩さんは、非常に先進的なマック・ユーザーで、ウォーロックは18年前の段階で、初代マッキントッシュと初期のページメーカーによって作成されていた。おかげで一冊の雑誌は、ほぼすべて多摩さんの編集で出来上がっていた。それはまた斬新な試みであったと言えよう。
色々、ご一緒した時間もあったはずなのに、思い出されるのは、多摩さんがウィザードリイの翻訳をされていたときの話だ。「なんで地下迷宮の底に、モンティ・パイソンのギャグが転がっているのだよ」と大笑いするその顔。なぜかそればかり思い出される。
しばらくして、膠原病が発症された多摩さんは1997年12月18日に亡くなられた。亡くなられる数日前、急を聞き、病室に多摩さんを見舞ったが、もはや、何を話していいか分からなかった。
あれから時間がずいぶん経過したが、私は結局、ここにいます。
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