投稿感謝&芹沢鴨の過去
朝から原稿原稿。色々多忙ですが、頑張ります。『永遠の冬』の続きは少々お待ち下さい。
●投稿感謝
JIVEさんより、早速、投稿メールが転送されてくる。
ありがとうございます。
西上と一緒に検討し、『TOKYOミレニアム』製作の参考とさせていただきます。
・次回製作希望悪魔として要望のあったものをメモ。
プルシキ、十二神将、邪神パレス、和風妖怪系、クトゥルー神話系などなど。
えー、ネミッサは……。
●芹沢鴨は神官
別件で再調査中。『新撰組!』の影響で、芹沢再評価が進み、故郷の茨城県玉造町が芹沢の過去を調査しています。近年、分かっている情報をまとめると……。
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芹沢鴨(せりざわ・かも) 1830?-1863
本名:芹沢光幹(せりざわ・みつもと)
別名:下村継次(しもむら・ことつぐ)
茨城県玉造郡玉造町大字芹沢字御殿に生まれる。玉造の豪農、芹沢幹基の三男。足利時代から続く武将の家柄で、郷士上席の扱い。長兄は早世し、一度は他家の養子となった次兄多氣二郎が家業の薬師業を継いだ。
神道無念流を学び、免許皆伝となる。
松井村の神官下村祐斎の婿養子となり、下村継次と名乗り、松井鎮守の丞殿神社と磯原の天姫神社(天妃山弟橘媛神社)の2代目神主となる。
勅書降下事件に際して、天狗党の母体となる玉造組に参加したが、藩内の政変で捕えられ、死罪となるところを清河の献策で水戸藩にも波及した勤皇派恩赦で生き延びる。
以降、芹沢鴨を名乗り、江戸へ。翌年、新撰組の母体となる浪士組に参加する。
初代筆頭局長となるも、文久3年(1863年)9月16日(18日とも)、新撰組屯所内で近藤一派に暗殺される。酒乱による乱暴狼藉が原因と言われている。
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芹沢鴨が神官出身という話は聞いていましたが、弟橘媛(オトタチバナヒメ、ヤマトタケルの奥さんで海神の怒りを鎮めるために海へ身を投げる)を祭っていたとは知りませんでした。
天狗党の資金集めのために、佐原の豪商と交渉したり、飲んで、鉄扇をふるって暴れたり、清河八郎が訪ねてきたのに飲んでいるからと会わなかったり……新撰組時代に通じる活躍をしてますね。
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