スプライトシュピーゲルIV テンペスト
告知関係をざっとバラで投稿しましたので、ここから日記。
●スプライトシュピーゲル 4
読了。
百万都市で開催される戦犯法廷に集まる6人の証人=世界を操るVIP6名と戦犯の警備を命じられた特甲児童たちに、国際テロネットワークの武装攻撃が叩きつけられる。
次々登場する「侵略の歴史の当事者たち」の夢と絶望、そして、飛び交う戦争と略奪の歴史を描く冲方史観に共感しつつ、この小説を今、ライトノベルとして世に問う氏の勇気を賞賛する。あるいは、それを笑うべきか? Free Tibetと叫ぶのすら偽善と自嘲するべきか? リヒャルト・トラクルは我々自身である、というのも偽善であろうよ。
●TRPG?
おそらく、この本を読んだライトノベルズ読者は本筋とは関係ない疑問を感じられるでしょう。
途中に登場するマルチ・プレイヤー・ゲーム「リヴァイアサン」もしくは「世界統一ゲーム」が、なぜかテーブルトーク・ロールプレイング・ゲーム(以下、TRPGと略)と呼ばれていることに。
作品とは関係ない、野暮のツッコミと自覚した上で、TRPGデザイナーからコメントしておきましょう。
現在のゲーム分類から言えば、「リヴァイアサン」はTRPGではありません。
1)ゲーム内容は戦略的なシミュレーション・ゲームである。
実際、これに近いものがいくつか存在します。
もっとも近いのは、20年以上昔のPCゲーム『バランス・オブ・パワー』でありましょう。冷戦期の世界を舞台に、米ソいずれかの首脳になって世界の破滅(核戦争)を防ぐゲームです。割と、何をやっても全滅するので、国家元首なんてやるもんじゃねー、と思わせるゲームです。これに『シヴィライゼーション』系の文明処理とか、最近、流行のリアルタイム・ストラテジー・ゲームのオンライン版(例えば、『エイジ・オブ・エンパイア』とか)を混ぜて、あとはPCで戦略サポートすれば、これに近いものになります。
おそらく、各国国防省や外務省で行われる世界動向のシミュレーションは、もっとドライなレベルでこういう話でしょうねえ。詳しくは、シミュレーション・ゲームの神様が書いた本を読んで下さい。いわゆるプロフェッショナル・ゲーミングの世界がほとんどこの世界です。
2)テーブルトークじゃないし……
えー、あと困るのは、これ、テーブルトークでないし……
冲方さんが分からないで出している訳はないので、ある種のユーモアと受け取るべきでしょうが、個々のプレイヤーの会話をあまりさせなかったり、10人近いプレイヤーがPC端末を睨んで最適手法を各自吟味したりするような状況は、現在のTRPGとはかけ離れたものです。オンラインで、リアル・タイム・ストラテジー、あるいは、マルチ・プレイヤーで行う交渉型ゲーム、あるいは、BBS版『人狼』のようなシニカルなサバイバル・ゲームの現状に近いでしょう。
私が解説の事例として、『ディプロマシー』を上げないのは、「リヴァイアサン」には交渉の要素がほぼ存在しないからです。彼らは対応して何かはしますが、協議はほとんどしていません。ここにもきっと作者の何かの意図があるのでしょうがねー。
3)学習ゲーム
その上で、ストーリー上、RPGであるという明言は意味を持っています。
RPGを「役割を演じるゲーム」であると言うならば、特甲児童たちは、国家元首の役割を演じようとし、その苦悩を体験し、そのことが物語りの大局理解につながります。そういう意味で、TRPGの体感型ゲームとしての特色は一応、ある訳です。
その上で、やはり、アレが(私の目指す)TRPGとは違う、と言わざるをえないのは、エンターテイメントではないからでしょう。
どちらかといえば、アメリカなど欧米の歴史の授業でしばしば行われる「ディベート」の授業に似ています。国家の元首として、ディベートを行い、国益を守るシミュレーションをするという授業です。日本ではあまり行われませんが、世界史と政治経済を学ぶためには、よい手法でしょう。そういう意味で、アレは、彼女たち(および読者)に世界の現実を訴求するためには、最適の手法です。
それを、世界を動かすVIPたちが嬉々としてプレイするのは、おそらく、それ自体、シュールな光景であり、あるいは、夢想でもありましょう。夢を見なければ、悪夢は見ない。だが、夢を見なければ……
さて、近未来を舞台にした物語のギミックに突っ込むのは、野暮の極みですな。反省、反省。