2006年9月 8日 (金)

スザク・アーカイブに関して

 「スザク・アーカイブ」は、TRPGデザイナー、朱鷺田祐介のBlog「黒い森の祠」での連載記事をまとめたBlogです。
 古い物から表示されるようになっています。

 このBlogの内容に関しては、「黒い森の祠」を参照して下さい。

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「永遠の冬」について

 朱鷺田祐介デザインのファンタジーRPG「深淵」の世界を舞台にしたウェブ連載小説「永遠の冬」第1回から第30回までの連載を三つの書き込みにまとめたものです。

   なお、このテキストの著作権は朱鷺田祐介/スザク・ゲームズに属しています。無断転載や再配布は行わないで下さい。

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永遠の冬 第1~10話

【1】晩秋の雲

 
 雲が空を渡っていた。
 三日月のような、あるいは、巨大な鳥のような、巨大な雲。
 あるいは、雲のように巨大な一羽の鳥。
 それは悠々と青空を飛んで、また今年もやってきた。 

 5歳の秋。
 ウィリスは野菜畑でそれに気づいた。
 見上げた青い空に、巨大な鳥が飛んでいた。北からやってきた雲の鳥。
「父上!」
 ウィリスは、畑で叫んだ。
「空に大きな鳥が!」
 畑で芋を掘っていた父親が空を見上げた。
「ああ、もうそんな季節か?」
「父上、あれは?」
「冬翼(とうよく)様だ。もうすぐ、冬だとわしらに教えてくれるのだ」
「冬が来るのか?」
 少年は呟く。
 バッスルの西、広大なロクド山系の冬は長く厳しい。ウィリスの一家が住むグリスン谷は、その只中にある開拓村だ。谷の実りは豊かだが、冬には万全の備えをしなくてはならない。雪が降る前にやるべきことは数え切れないほどある。
 父親は立ち上がり、少年の側に寄る。
「そうか、今年はお前が見つけたか?」
 父親のがっしりとした手が少年の肩を優しく抱いた。

 
 それはまだ永遠の冬が来る前のこと。
 ウィリスが目覚める前のこと。


【2】白の戦姫

 
  その人は石の中で待っていた。
  近づいてはならないと言われた、深い森の奥。
 そして、僕らは出会った。

 7歳の夏。
 ウィリスは、森の奥で誰かの声を聞いた。
「……誰か? いる……」
 少年は、ガースに向かって投げようとしていた落ち葉の塊を取り落とし、振り返った。森の木々しか見えない。ここは谷から少し上がった森の奥だ。近くにいるのは幼なじみのガースとメイアだけだった。大人の姿はなかった。
 薪拾いをする村の大人にくっついて森にきたのは、薪と茸を拾って帰るためだったが、子供らにとって、茸探しはかくれんぼや悪ふざけの合図も同然だ。
 そうして、大人から離れ、落ち葉の塊をばらまいて遊んでいたのだ。

「……誰か? いる……」

 少年はもう一度、森の奥に向かって問いかけた。
 声は帰ってこなかった。
 木々の間の闇が少し濃くなったような気がした。
 頭上でさわさわと木の葉が音を立てた。少し風が出てきたかもしれない。


 気づくと、板のように屹立した石の前に立っていた。
 もとは恐らく真っ白であったのだろう石が、森の真ん中に立っている。表面は磨かれた玉のように滑らかだった。
 まるで谷川で取れる小石のようだな、とウィリスは思った。
 初めてみるものだったが、この石のことは知っていた。村では「白の石碑」と呼ばれている。はるか昔、妖精騎士様が、悪い魔族の王を倒した記念に立てたという。今でも毎年、春になると妖精騎士がここにやってくると言われている。だから、近づいてはいけない場所だった。
 しかし、ウィリスは少しも怖いとは感じなかった。

 きれいだな。

 素直にそう思った。

「ふふ」
 鈴を転がすようなかすかな声が響いた。
「うれしいわ」
 目を上げると、白の石碑の上にひとりの女性がいた。真っ白な鎧具足をつけ、毛皮の帽子を被った勇ましい姿ではあったが、ウィリスには彼女がとても美しい若い女性であることが分かった。
「あ、こんにちは」
 ウィリスはぺこりと頭を下げた。
 どこかの貴族の姫かと思ったからだ。
「見えるのね」
 女性はウィリスを見つめた。
 彼女の青い瞳がすーっと深くなった。
「ここは禁忌の場所。もう帰り」
 ウィリスは彼女の言葉に従うしかなかった。
 村へ戻る方向へ走りながら、再び、石碑を振り返った。
 もはや彼女はいなかった。

 ウィリスは彼女の話を誰にもしなかった。なぜか、話してはいけないような気がした。

 

【3】発見

 

 雲はただ流れてくるだけではなかった。
 雲はただ見上げられるだけではなかった。
 雲は決して降りることのできぬ地上を見下ろし、失われた半身を捜し求めていた。

 9歳の秋。
 ウィリスは野菜畑でそれに気づいた。
 見上げた青い空に、巨大な鳥が飛んでいた。また、北からやってきた雲の翼だ。
「父上!」
 ウィリスは、畑で叫んだ。
「冬翼さまが!」
 畑で芋を掘っていた父親が空を見上げた。
「ああ、もうそんな季節か?」
 そこで、父親は目を丸めた。
「ウィリス、今年もお前が見つけたか?」
 父親のがっしりとした手が少年の肩を優しく抱いた。
「うん!」
 少年が誉められたと思い、元気に返事をした。
「去年もお前が一番初めに冬翼様を見つけたな」
「一昨年もその前も!」
 少年は嬉しそうに答えた。
「4年続けてか。目がいいのかも知れぬな」
 父は腰を下ろし、少年の顔を真正面から見た。少年の瞳をじっと覗き込む。なぜかその父の瞳には暗い影が宿っていた。
「父上」
 少年はその変化を見取って、弱弱しい声を上げた。
 父親は空を仰ぎ、ふーっと息をついた。頭上には、冬翼様の大きな白い翼が浮かんでいた。父はその三日月のような、鳥のような雲塊に視線を向けた後、少年のほうに向き直った。
「ウィリス、お前はこの谷が好きか?」
 唐突な質問だった。
「うん」
 少年はそう答えねば、とんでもないことになるような気がした。
 だいたいウィリスは谷以外の場所など知らない。グリスン谷で生まれ、グリスン谷で育った。今、やっと9歳だ。知っているのは谷とその周囲の山野だけ。一番遠出した先が、あの白の石碑だ。ガースの兄は峠の向こう、ミネアスさまの荘園で働いているというが、それがどれほど遠いかはウィリスには分からない。
「あ、あの、父上」
 少年は泣きそうになった。
 父は無言で少年を抱きしめた。
 しばらく、そうしていてから、こう言った。
「お前は目がいい。その目を生かすにはこの畑は狭いかもしれない」

 翌日、ウィリスは父とともに村はずれのゼルダ婆の家を訪れた。
 ゼルダ婆は薬草師だ。傾いだ家の軒には得体の知れぬ薬草がたくさんぶら下がっていた。屋根の煙出しから上がる煙も、なにやら赤みがかって不思議な感じであった。村の子供たちは風邪を引いたり、腹を下したりすると飲まされる苦い薬と同じ匂いがするので、ゼルダ婆の家にはあまり近づかなかった。
「婆、いるか?」
 父親は土産代わりの川魚を手に、婆の家の扉を開けた。
「ああ、おるよ」
 ゼルダ婆は、部屋の真ん中に座り込み、すり鉢でごりごりと薬草をすり潰していた。傍らの鍋では赤みがかった汁で一杯の鍋がことことと煮えていた。
 しわしわの顔の婆は細目で、父親の影に隠れたウィリスを見つけ、にこりと微笑んだ。もはや歯の1本もない口元が緩んで、笑い声とも吐息とも言えない音が漏れた。
「どうした、ウィリス。腹でも下したか? それとも……」
 ゼルダ婆はそこで声を切った。
「まあ、中に入れや」
 婆はすり鉢を横にのけた。
 父親はウィリスを婆の前に押し出しながら、言った。
「昨日、ウィリスが冬翼様を見つけました。今年で4年目です」
「そうか、そうか、目がいいのぉ」
 婆はそう言ってウィリスの顔をなでた。
「すこぉし婆に目を見せてもらえるかな」
 ウィリスは目を見開いた。
 婆はウィリスの顔を両手でつかみ、自分の正面にすえさせると、普段は細目にしか開けぬ右目をかっと開いた。
「婆!」
 ウィリスは驚いて叫んだ。
 婆の右目が青みがかった銀色だったからだ。
 この村の者の瞳はほとんどが青か緑だ。婆の銀目は人の目には見えなかった。
 少年は顔を背けようとしたが、もう遅かった。婆の目が瞳の奥に入り込み、そのまま、ウィリスの頭の中まで飛び込んできたからだ。 

 白い白い三日月のような雲。
 あるいは、鳥の翼のような雲。
 それは冬の先駆け。

「なるほどのぉ。お前は選ばれたのじゃ」
 婆は呟いた。
「冬翼様の迎え役に」
「迎え役?」
 少年にはまったく訳の分からない話だった。
「いずれ、お前は冬翼様を出迎えるという役目を担うことになりじゃろう。名誉なお役目じゃ。
 今はまだ分からぬじゃろう。
 だが、その時まで修行が必要じゃな。しばらく婆が預かるが、いずれ東へ修行に出す。
 よいな」

  少年は見出され、その時に通じる道を示された。

 

 
【4】雪狼

 
 暖かな日差しの中でしか咲かぬ花があるように。
 川辺の水の中でしか生きられぬ魚がいるように。
 雪狼は冬の寒風の中でしか生きられぬ。
 そして、それゆえに彼らは飢え、獲物を殺す性を背負う。

 
 9歳の冬。
 ウィリスはゼルダ婆の家で薬草をする日々を過ごすことになった。
 婆に預けられたウィリスはまず、婆と山を歩いて薬草の名前を教えられた。雪の降る前に、野草と薪を集めておかねばならないから、背負子を背負い、籠を腰にぶら下げての山野行である。
「あれが野蒜、あれが大蒜。いずれもうまいし、精がつく」
 食べられる草、食べられない草。
「紅天幕は食べられぬ毒茸じゃが、干して粉をひとかけ溶かした茶は、吾郷(あごう)病の発作を止める」
 毒々しい赤い茸。父には近づくなと言われたが、婆は厚手の手袋でそれをすいと掴み取る。
「吾郷病?」
 ウィリスは初めて聞く病気の名前だった。
「流刑地に多い、心の病じゃ」
 ゼルダ婆は腰の籠に茸を入れながら答える。しかし、これまたウィリスには分からない言葉だらけ。
「るけい?」
「悪いことをするとな、その地から追い払われ、遥か遠い鉱山や山野で働かねばならぬのじゃ。戻ることもできぬ者の中には寂しさに負けて、気狂いになってしまうものもいる」
 ゼルダ婆は曲がった腰をぐいっと伸ばし、山の斜面の向こうに見える峠を指差した。
「峠の向こう側、ミネアス様の荘園もそうじゃ。あちらを流れるゴズ川は砂鉄が出る。流刑の者はひなが一日、河で砂鉄掘りじゃあ」
 砂鉄掘りが何をどうするのかは分からないが、ずいぶんと怖そうに聞こえた。
 谷を出たことのないウィリスにとって、峠の向こうは見知らぬ土地だった。ミネアス様の荘園すら、このグリスン谷からは歩いて三日はかかるが、ウィリスはそこに通じる峠にさえまだ行ったことがない。
「峠の向こうは……」
 言いかけたウィリスの頭を婆の手が優しくなでた。
「怖がることなどない。いずれ、お前もあの峠を越える」
 ゼルダ婆の言葉は獣のうなりにさえぎられた。
 婆はさっと周囲を見回しながら、ウィリスの腕をつかみ、近くに引き寄せた。
「熊かね? 獣避けのまじないはしたんだが……」
 婆は呟き、懐から小袋を取り出す。
「ラージェレ様のご加護のあらんことを」
 うなり声のした藪のあたりから、ぞっとする寒風が吹きつけてきた。急に寒くなって、ウィリスはがたがたと震えた。 
 しかし、その寒風に、ゼルダ婆は微笑んだ。
「……そこまで……」
 婆は呟くと、ウィリスに振り返った。
「ご挨拶の用意を。御使いじゃ」
「御使い?」
「冬翼様の御眷属様じゃ」
 婆は籠と背負子を地面に置き、自らも地面に座り込んだ。
 ウィリスも慌ててそれに習う。
 その間も藪から吹き付けてくる寒風はさらに冷たいものとなり、ちらりちらりと雪の欠片を含むようになった。
「御顕現を」
 婆が叫ぶと、藪から吹き出ていた寒風はすっと渦を巻き、白い風雪が一頭の巨大な狼に変じた。白い、白い雪のような狼であった。
「雪狼だ!」
 ウィリスが驚いて叫び、婆の袖にすがった。
 雪狼は恐ろしい冬の魔性である。雪狼は吹雪とともに村に忍び込み、人を凍らせてしまう。グリスン谷の子供たちは皆、親から聞かされて知っている。
 しかし。
 ウィリスは婆の袖にすがりながら、雪狼から目を離せないでいた。
 その毛皮は雪のような純白、その瞳は空の青。
「綺麗だ」
 ウィリスは婆の袖を離し、1歩、前に出た。
 吹き付ける寒風はさらに厳しくなり、顔に雪片がはりついたが、気にせず、雪狼に近づいた。
「ようこそ、お出で下さいました」
 婆が後ろからささやく。お迎え役の口上だ。
「ようこそ、お出で下さいました」
 ウィリスがつっかえつっかえいうと、雪狼もまたお辞儀をするように頭を上下に振った。
 そして、雪狼も1歩前に出た。
 冷たい吐息がウィリスの顔にかかったが、もう気にならない。空の青に染まった雪狼の瞳がウィリスの目を捕えて離さなかった。
「お出迎えを感謝する」
 澄んだ、そして、同時に重たい声がウィリスの頭に響いた。
 そして、次の瞬間、雪狼は冷たいつむじ風に代わって消えた。ウィリスの全身を冷たくもやさしい手が何本もなでていき、最後にぎゅうと抱きしめていった。それは氷のように冷たかったが、ウィリスは気にならなかった。まるで母の抱擁のように優しいものに思えた。

 最初の冬はそうして始まった。
 永遠の冬がやってくるのはまだまだ先の話である。

 

 

【5】冬送り

 
 水辺の咲く紫菖蒲はすっと伸びた上に、あでやかな華をつける。
 棘ある薔薇は藪に絡まる。
 薄紅のケザルは太い幹と広がった枝一杯に咲いて、森を染める。
 咲く花がいかに見えるかは、花のみにあらず、その幹ゆえに。

 10歳の春。
 雪解けとともに、グリスン谷の春が始まる。
 村人たちは畑を見回り、畦を直し、水路に詰まった芥(ごみ)を取り除く。
 種まきをしながら、雪に埋もれていた冬キャベツを掘り出す。一冬おいた冬キャベツは甘くなり、干し肉や茸とともに茹でるだけでずいぶん美味い。
 ウィリスは薬草を干したり、すり潰したり、整理したりすることで冬を終えた。朝夕にはお迎え役としての口上を暗誦させられた。
 薬草をすり潰しながら、祝詞(のりと)を謡った。
 冬翼様の祝詞は七つある。お迎えの祝詞、お鎮めの祝詞、お祓いの祝詞、お送りの祝詞、お集いの祝詞、お捧げの祝詞、お留めの祝詞。これらを正しく唱え、冬翼様を正しく迎え、歓待し、お気持ちよく北へお帰りいただかねばならない。お迎え役はそうした儀式を整える役目だ。ここ何十年かはゼルダ婆がこの役にあったが、ウィリスが選ばれた今、その手順は正しくウィリスに伝えられねばいけない。

「まずは覚えること。意味はやがて分かる」

 ゼルダ婆はそう言うが、意味の分からぬ祝詞を暗記させられるのは大変だった。
 それでも、節をつけて謡えるようになると、何となくすっと落ち着いてきた。
 お集いの祝詞を謡ったときなど、雪原の向こうで雪狼が答えるように吠えたものであった。

 そうして春が来る。
 雪解けの少し前、ゼルダ婆とウィリスはお送りの祝詞を謡いながら、村中を歩き回った。

 
「なれの妹背は、こにあらじ。吾郷は北に、吾郷は北に」

 
 どうやら、冬翼様は愛する人を探して、毎年北から南へとさすらっておられるらしい。ここにその方はおられないので、北の故郷にお戻りなされよ、という意味のようだ。

 祝詞巡りは村にとって春の先触れだ。
 祝詞の声が響くと、家々から子供たちが飛び出してきて、婆の後ろについて歩く。その後から大人が出てきて、干し芋を配る。蒸した甘藷を薄く切って干すと甘みが出てくる。子供たちの好物である。
 甘根草を煮て、赤ワインを混ぜた赤湯を出してくれる家もある。まだ寒い外気の中でもぽかぽかと甘い飲み物である。
 村長のトレルさんは見栄を張って、この日のために取っておいた砂糖菓子の粒をくれる。
「ひとりずつ、ひとりずつ」
 村長の奥さんが押し寄せる子供たちに向かって叫ぶ。
 いつもならば、ウィリスもあの中にいて、砂糖菓子をなめていたはずだったが、祝詞巡りの先頭で、ゼルダ婆と一緒に謡う役だったので、砂糖菓子も干し芋ももらえなかった。赤湯を少しなめただけ。
「これがウィリスの分だよ」
 ポケットに小さな袋が押し込まれた。
 謡いながら、振り返ると、メイアがいた。ありがとうと手を振ると、彼女は、くりくりした茶色の目をぱちぱちしながら、歌に合わせてわあっと跳ねた。

 
 祝詞巡りはそのまま村を三周して、最後に冬翼様の祠まで行き、お見送りの儀式をする。ゼルダ婆とウィリスは祠の前で、お送りの祝詞を捧げた。歌が終わり、締めの言葉を奏上し、すべての儀式は終わる。

 
(……)

 頭を垂れたウィリスは誰かに呼ばれたような気がして、頭上を見上げた。

 
 三日月のような、鳥のような巨大な雲が、ただ一騎、空を北に向かって流れていった。

 
「冬翼様がお帰りになられる」
 ウィリスの背後でゼルダ婆が呟いた。
「さあ、今日の始末は終わりじゃ。広場で、村長が鍋を用意しておる。
 お前も遊んで来い」
 冬送りの祝詞巡りが終われば、大人たちは春呼びの野菜鍋を作って酒盛りをする。
 子供らも一日、手伝いを免除されて遊び回る。
 ウィリスも今日は一日、薬草すりから解放される。

 
 そして、振り返るとメイアがいた。

 

 春が始まる。
 これはまだ春が来た頃の思い出。
 永遠の冬が来る前の……

 

 

 

【6】通火の誓い

 

 言葉を川面に残すのは難しい。
 揺れる通火に誓っても、それは儚き夢。
 それでも、今は誓おう。
 いずれ、お前を迎えに来ると。

 10歳の夏。
 初夏、入道雲が高く上り始める前に、村では虫追いが行われる。山から下ってきた豊饒様とともに、子供たちが畑を巡り、豊饒の灰をまき、畑に集まる虫を取り、今年の豊作を願う。
 ウィリスと婆は、豊饒様のお迎えもする。
 冬翼様が厳しい冬の神ならば、豊饒様は畑を守る夏の神だ。
 これも、お迎えし、歓待し、やがて、山にお戻りいただく。
 豊饒様は豊作をもたらすよい神様であるが、いたずら好きで、女好きだ。
 葉っぱと木の枝の塊のように見える豊饒様は端から村の女子たちを抱きしめていく。抱きしめられた女子を好きな男がいれば、豊饒様から女子を引き離す。

 
 それは「好き」の印である。

 
 女子がその男を気に入れば、その場で抱き合う。気に入らねば、豊饒様を回る踊りの輪に戻る。
 久しぶりに戻ってきたガースの兄は、井戸端のカイナが豊饒様に抱きしめられると、さっと飛び出した。水車小屋の次男坊も一緒だった。カイナは二人の顔を見比べた挙句、ガースの兄を選んだ。水車小屋の次男坊は泣きながら、踊りの輪に戻った。
 婆とともに祝詞を謡うウィリスは、こうした騒ぎとは無関係だ。
12の夏にはお前の番じゃな」
 婆はそう言って笑ったが、それはずいぶん先のように思えた。

 
「きゃあ」
 踊りの輪の中心で聞き慣れた声が上がった。
「豊饒様、まだその娘は早いわ」
 誰かが囃し立てた。
 見ると、メイアが豊饒様に抱きしめられている。
 ごつごつした木の枝のような腕が、少女の腰を巻き取っている。
 まるで藪そのもののような豊饒様の姿。草や木の枝の塊のように見えるその異形の奥に暗い闇が見えた。まるでメイアが森の奥に連れ去られてしまいそうだった。
「メイア!」
 ウィリスは思わず飛び出していた。
 メイアの伸ばした白い手をつかんで引っ張る。
 儀式の通りならば、豊饒様はすぐに少女を放すはずだった。
 しかし、豊饒様の腕はきっと少女に絡みついたまま。いや、さらにその藪の奥から、蔦のような緑の腕がもう一本、メイアの肩につかみかかろうとしているではないか?
「ウィリスでは役不足だとよ」
 大人たちは豊饒様の悪ふざけが始まったと思い、囃し立てる。
「ウィリス、頑張れ!」
 ガースが駆けつけ、豊饒様の緑の腕をメイアから引き剥がした。
 ウィリスが全力でメイアを引っ張る。
(……預けよう……)
 木の葉のざわめくような声がして、豊饒様がメイアを放り出した。ウィリスとメイアはそのまま体勢を崩して、ぺたんと座り込む。
「ウィリス!」
 メイアが少年に抱きついた。
 少女の髪から甘い匂いが漂った。

 
 歓声が上がる。

 
 あわててウィリスとメイアは村中の大人から見つめられていることに気づき、ぴょんと立ち上がった。
 そのまま、踊りの輪を飛び出した。
 二人で。

 

 川面には通火が群れていた。

 

 

【7】峠

 正しい理由とはいくらでもある。
 名目とはそういうものだ。
 そのとき、そこにいた。
 最終的にはそういうこと。
 そこにいる意志があるかどうかさえ関係はない。

 10歳の秋。
 秋の初め、ウィリスは修行の旅に出た。
 まずは、冬翼様の儀礼を学ぶため、ゼルダ婆とともに、ミネアス様の荘園にある冬翼様の大社へ向かった。
 グリスン谷からミネアス様の荘園、砂の川原という村へ向かうには、峠を越え、三日ほど歩く。まず、峠まで一日、峠から山を下って二日。ゼルダ婆は、薬草と土産代わりの干し魚をウィリスに背負わせて出発した。
 出掛けに、メイアが見送りにきた。
 豊饒様の祭り以来、メイアとウィリスはいいなずけになった。
 メイアの父も、ゼルダ婆の後を継ぐ、冬翼様のお迎え役ならば、娘の相手に十分と思ったか、ウィリスの父と勝手に祝い酒を交わした。ウィリスが一人前になったら、という話だった。
「気をつけてね」
 ウィリス同様、谷を出たことのないメイアは心配そうにいった。
「大丈夫さ。砂の川原で半月修行するだけだ。
 冬の前には戻る」
 ウィリスは答えた。
 お迎え役としては、秋の終わり、冬翼様がおいでになる前に戻らねばならぬ。
 冬翼様が来られたとき、お迎え役が不在である訳にはいかなかった。
「これは、お守りだから」
 メイアは剣王草の葉を編んだ首飾りを差し出した。剣王草は傷直しとしても優れた薬草だ。お守りにすれば、健康で健やかな日々が送れるという。
「ありがとう、メイア」
 ウィリスは少女を抱きしめた。

 
 グリスン谷から峠への道は九十九折れ。
 急な山腹を半日がかりで上がる。
「一休みじゃ」
 婆に言われて、九十九折れの曲がり角に腰を下ろすと、ずいぶん下にグリスン谷が見えた。細い谷川の周囲に広がる小さな谷。それはとてもとても小さく、狭いものに見えた。両側から迫る山の間に、小麦や野菜の畑が広がり、村の北にある斜面も果樹園というには狭い林檎畑、あちこちに残る草地に驢馬や羊が草を食む。
「小さなものじゃろ」
 ゼルダ婆がいう。
「グリスン谷は小さな村じゃよ」
「砂の川原は大きいの?」
「グリスン谷よりもずっと大きいわ。あそこには鉄が出る。砂鉄掘りの流刑衆だけでも二百人はおる」
 ウィリスは目を回した。
 谷の全員を集めても百人ばかりだ。
「それでは村のものの名前を覚えられぬではないか?」
「誰もすべての者の名前など覚えはせぬ。
 砂の川原には、その2倍も3倍も村人がおる。砂鉄を求めてくる商人が毎日のようにやってくるのだ」
「商人が毎日来るのか?」
 ウィリスは驚いた。
 グリスン谷には商人など滅多に来ない。初夏のあたりと、秋の収穫祭の時にやってくればよいほうで、ここ1、2年は秋しか来ない。旅人などが来る村でもない。年貢とて、毎年、村長一家が馬車で運んでいく始末。ミネアス様はバッスル侯爵から任ぜられたこのあたりのお代官だが、砂の川原だけで手一杯、グリスン谷に来られたのは遥か昔のことである。
「砂の川原など、小さな鉱山街よ」
 ゼルダ婆があざ笑うように言った。
「いずれお前には、バッスルにも行ってもらわねばならぬ。
 侯爵さまの都はもっともっと大きい街だ」

 
 半日、九十九折れをのぼり、やっと街道に出た。
 妖精街道、と呼ばれている。
「東はバッスル、西は大草原に至るそうな」
 遥か昔、妖精騎士が開いた道であるという。旅人を守る守護の魔法は消えて久しいが、ところどころに置かれた魔法の礎石の中には今も守護の力を残すものもあるという。
「今宵は峠の馬車宿に止めてもらおう」
 ゼルダ婆が言った。
 ウィリスが見る限り、街道には全く人気がなかったが、今も、月に一度は、駅馬車が通るし、馬車宿はいざというときに街道を駆け抜ける伝書使のために、馬を養い、飲食を用意するように命じられている。
 その馬車宿に達するにも、峠に向かって坂道を上らねばならぬ。先ほどまでの九十九折れに比べれば、馬車の走る街道はずいぶん緩やかな道であるが、まだまだ坂は長かった。

 それはまるで地面が揺れたような気分だった。
 気味の悪い寒気がした。
 冬翼様のもたらす心地よい寒さではない。
 吐き気を催すほどの悪寒。

 峠から下ってくる坂道を二人の人物が降りてくるのが見えた。
 片方はボロボロのローブをまとった男だった。
 顔は傷だらけで、暗い目の奥には何かぎらぎらしたものを讃えていた。胸元には蛇の鱗のようにも見える紋章をつけている。ゼルダ婆に教えてもらったことがある。あれは原蛇の星座の印。原蛇は渾沌の星座、魔族たちの信仰する原初の蛇に仕える者の印。
 もうひとりはこのような山奥には不似合いな少女だった。
 グリスン谷では結婚式の晴れ着でしか見たことのない、レースを多用したゆったりしたドレスをまとっている。年齢はウィリスより少し上、12か13ぐらい。人形のように綺麗な少女。
 でも、ウィリスは何か気味悪いものを感じた。吐き気がする。鳥肌が立つ。あれは……、あれは……。
 足に力が入らなくなった。
「最悪だ」
 ゼルダ婆が唸り、倒れそうなウィリスの体を受け止めた。
「ウィリス、奴らを見るな。穢れる」

 
 それは人の形をした邪悪。
 破滅の使者。

 
「ほほぅ、まだ生きておったか、ゼルダ」
 傷だらけの顔をした男が、ウィリスを抱きしめた婆を見下ろして言った。
「お前こそ、まだ災厄を撒き散らしておるのか?」
 ゼルダ婆が憎しみを込めて叫び返す。
「これも師匠の命ゆえ」
 男は笑いながら、答える。その視線は婆の腕の中にいたウィリスを刺すように流れた。
 婆は少年をぎゅっと抱きしめる。
「可愛い子ね」
 少女が妙に艶のある声で言った。
 触れようとするその白く細い指は、きらめく銀の鱗と毒牙を持った鎖蛇のように、ウィリスに向かって伸びてきた。
「さわるな、穢れる!」
 少女の差し出した手を、婆がはね除けた。
 ウィリスは、冷や汗をかいたまま、身動きさえ出来ぬまま、奇怪な少女を見る。その周囲には気味の悪い銀の鏡がきらきらと舞っているようだった。
「まあ、ゼルダ。姉様にそれはないでしょ?
 あなたの顔が見たくて、わざわざ歩いてあげたのに」
 ゼルダは硬直した。
「やはり、あなたは姉様なのか?
 その姿は、まさか、いや……やはり……」
 少女は老婆を見下ろすように、すっと胸を張った。
「お山を離れたあなたには分からないこと。
 でも、あなた、いい弟子ね。
 この子には、才能も素質もあるわ」
「まさか、学院が……」
 ゼルダが慌てた。
 そこですっと最初の男が少女をさえぎった。
「過剰な接触は余分だ。道を歪める」
「はあ、あんたの顔見ただけで、この子の人生、ずいぶん歪んでいるわ!」
 少女の抗議を無視して、男は婆に振り返った。
「安心しろ。今回は顔を見に来ただけ。学院はまだ気づいておらぬ。
 それに、俺たちの本当の用事は遥か西にある」
 穏やかな言葉だったが、それは逆に、ゼルダ婆を激昂させた。
「まさか、お前?!」
「ああ」
 一言だけ答えて、男は婆に背を向けた。
「達者でな」

 
「誰?」
 二人が西に立ち去って、やっとウィリスは悪寒から解放され、口を開いた。
「魔性に魂を売った者だ。
 ウィリス、お前はあれに決して近づいてはならぬ」
 婆は吐き捨てるように言うと、そのまま口を閉ざした。

 

 出会わねばよい者もいる。
 しかし、運命の歯車は容赦なく、おぞましき者どもを呼び寄せる。
 ウィリスにとって、最悪の存在が姿を現した。

 

 

【8】痛み

 

 学び舎に窓は必要なのだろうか?
 あれがなければ、誰も郷愁になど捕らわれはしない。
 窓辺に差す光さえも、時として、心を射抜く。 

 10歳の秋。
 峠を越えたウィリスは、砂の川原にある冬翼様の大社で修行を始めた。
「冬翼様の大社」
 ゼルダ婆はそう言ったが、正しくは、プラージュの神殿である。狩りと漁労の神々であるプラージュの眷属を信仰する司祭たちの教団であるが、冬翼様はこの一角に祭られ、狩人の神ラージェレなどと並んでいる。
 神殿の司祭長は穏やかな口調で、プラージュの信仰を語るが、ゼルダ婆は頑固だ。
「我ら、グリスン谷の守護神は冬翼様じゃ」
 ゼルダ婆はそう言い切る。
 婆とは長い付き合いらしい司祭長は呆れ顔で聞き流し、ウィリスに目を向ける。
「我らが神々は寛容である。グリスン谷のように、我らが神々のひとりだけを崇拝する村も多いし、村によっては神の解釈も違う。気づけば、ライエルの眷属神である豊饒の王さえも崇拝する。そのような混交さえも時には許さねばならぬ。
 この神殿で学ぶ司祭候補生の多くは、あれを《冬の翼》と呼び、それほど重視はしない。しかし、冬翼様がグリスン谷の守護神であることには変わりはない。
 ウィリスよ、ここで色々なものを見て、聞いて、己の村のために多くの智慧を持ち帰れ。
 そうして、よりよきお迎え役となるのだ」 

 ウィリスの修行は、古い祝詞と祝い舞の習得である。
 ゼルダ婆から学んだ冬翼様の七つの祝詞を、神殿の古文書から書き写し、その解釈と謡いを、司祭長に学ぶ。祝い舞は神殿の女性神官の下に通って舞い、また、弦や笛を学んだ。

 「お前、冬の翼の司祭だって?」
 祝い舞の修行に向かう途中、若者に呼び止められた。
 装束から見て、司祭見習いらしい。
「冬翼様のお迎え役見習いです」
 ウィリスは答えた。
 ゼルダ婆は正しい肩書きにこだわる。
 たとえ、世の人は冬翼様を、《冬の翼》と呼んでも、グリスン谷にとっては冬翼様なのだ。その正しき名前で呼ぶものにこそ、お答えくださる。
 グリスン谷のお迎え役は、世間では司祭や神官に相当する役職であるが、あくまでも「お迎え役」なのである。胸を張って、その名前を口に出来ないものにお迎え役の力は備わらない。
「お迎え役? 田舎村らしいな」
 相手は蔑むように言い捨てた。
「お前の神さんなど弱くて、本殿の端っこにしか見えないぜ。
 どうせなら、ザラシュ様を拝みなよ」
 プラージュの太陽神だ。およそこの神殿でも上位に位置する強き神だ。この若者は、ザラシュの力を己のものかのように胸を張った。
「ザラシュ様にもお祈りをしております」
 ウィリスは答えた。
 嘘ではない。
 司祭長は、ウィリスの修行を引き受ける代わりに、神殿の掃除と、毎日、諸神を礼拝することを命じた。盟友たる神々を礼拝し、多少の労働をすることに、ゼルダ婆も反対はしなかった。おかげで毎朝夜明け前に、ウィリスは神殿を掃除し、諸神の像の前でお祈りを捧げていた。
 しかし、ウィリスの言葉は若者を激怒させた。
 意味の分からない唸りとともに、拳がウィリスの顔を襲った。
 突然、突き飛ばされ、そのまま、激しく蹴られた。
「この、この、お前、この」
 若者の叫びは意味が分からない。
 ただ、ウィリスは痛みに呆然とし、状況が理解できなかった。
 痛い、痛い。
 でも、どうして?
 ウィリスはかっとした。
 転がって、逃げ出すと、拳を握って立ち上がった。
「えええ、やるか?」
 若者は拳を握って飛び込んでくる。
 ずいぶん体が大きい。
 ウィリスは横に飛びのいた。
 そのまま、横から殴るが、相手の肩に当たって弾かれた。
 プラージュの神殿は勇猛な狩猟の神々を崇拝する。司祭は祈りと同時に、戦の技も学ぶ。正司祭になることは神殿騎士として十分な武芸を体得したということにもなる。この若者も、庭で武芸を学んでいたのだろう。
「でかい奴と喧嘩する時には、股を蹴ればいい」
 昔、ガースが言っていたのが、ウィリスの頭をよぎった。でも、そんな作戦さえうまく出来そうにはない。
 若者の膝がウィリスの腹に入った。
 息が詰まった。
 動きが止まり、そのまま、床に転がった。
「ガキが! 生意気なんだよ」
 若者はわめき声を上げながら、ウィリスを蹴った。
 腹を、顔を、背を、足を、腕を。
 痛みは止まらない。
(なぜ?)
 痛みの中で、ウィリスは思った。

(弱いからだ)

 誰かが答えた。

(弱い匂いがする)

 獣の息が近づいてくる。

 
(弱いものは餌に過ぎぬ)

 ああ、とウィリスは知った。雪狼は弱いものの魂を喰らう。死すべき者に冷たい吐息を吐きかける。
(弱いものを狩り、弱いものを喰らう。それがプラージュの本質だ)

 雪狼の声はもう耳元に迫っている。 

(お迎え役は弱いものであってはならない)

 同時に、冷たい腕がウィリスを抱きしめた。
 痛みが消え、力が湧いてきた。
 急に目の前が明るくなった。
 すっと後方に飛びのいて、周囲を見る。
 全部、見えた。
 怒り狂った若者。顔を真赤にし、目を血走らせ、半開きの口から涎が一筋こぼれている。
 次はそのまま飛び掛って、ウィリスを床に押し付け、顔を殴る気だ。
 その後ろ、廊下の隅に見ている若者の仲間が三人。あざ笑うような顔は下品に歪む。そのうち、ひとりはやや仲間の暴走に気づいているが、床に垂れた血に興奮している。
 血?
 いつの間にか、ウィリスの口が切れ、神殿の床に血が飛び散っていたのだ。
 見れば、襲ってきた若者の拳に血がついている。
 一瞬で、そこまで見えた。

(お前の目はいい)

 父が言っていた。4年間続けて、村で最初に冬翼様を見つけた。
 少年は、若者の拳をさらに避け、そのまま後退して、若者をにらみつけた。 

(殺すか?)
 
 雪狼の声がウィリスの中で響いた。
 周囲に冷たい氷のような風が巻いた。
 若者は、突然、顔に叩きつけられた氷雪にびくっとした。
「な、ななな」
 若者はそこで立ち尽くした。

 (殺すか?)

 もう一度、雪狼の声がウィリスの中で響いた。
 ウィリスの腕に先ほど蹴られた痛みが戻ってきた。怒りが腹の底からわきあがってくる。若者の暴力がやっと理解できた。ウィリスは意味不明の暴力で蹴り殺されようとしていたのだ。
 殺す、と答えそうになった瞬間に、何かが引っかかった。
 ゼルダ婆の顔が浮かんだ。メイアの顔が浮かんだ。
 ここで訳のわからぬまま若者を殺してよいのか?
 ウィリスはためらった。

 人を殺す?

 「何をしている!」
 ウィリスの考えを断ち切ったのは、司祭長の怒号だった。
 廊下の向こうから司祭長が走ってくる。
 司祭長の声に我に返った若者は悲鳴を上げて逃げ出した。
 ウィリスもまた、気を失った。

 
 若い司祭候補生同士の喧嘩、ということで事件は終わった。
 若者は司祭の修行に行き詰まっていた。武芸は出来ても祈りの暮らしに我慢がならない。そんなとき、山奥から出てきた少年に、司祭長自ら手ほどきをしているのを知り、これを少し小突いて、憂さを晴らそうとした。だが、どこかで止まらなくなり、血が流れるほどに殴り、蹴った。司祭長が止めに入らねば、少年は蹴り殺されていたか、すくなくともどこかの骨を痛めていたに違いない。
 結局、少年は三日寝込み、若者は罰を受けて、神殿を追われた。

 
 結局、雪狼の声のことは、ゼルダ婆にしか話さなかった。
 ゼルダ婆は、ため息をついた。
「このような場所は、お前には似合わぬか?
 まあ、よい、お前には冬翼様がついておる」

 ウィリスの最初の修行はこうして終わりを告げた。

 

 

 

【9】継承

 

 人は意識せずに未来の準備をする。
 今日すること、昨日したことは明日につながる。
 しなかったことは、明日の道にはつながらない。
 そして、この出会いの意味を知るのは遥か先のことであろう。

 10歳の冬。
 今年もウィリスが冬翼様を最初に見つけた。
 ゼルダ婆と二人で、お迎えの祝詞を唱えて村を回った。衣装はしまってあった先々代のものを着たが、まだ小さなウィリスにはまだ少しぶかぶかだった。
「お迎え役の衣装を揃えないとねえ」
 ウィリスの母が言った。
「すぐ大きくなる。今はこれでよいのじゃ」
 ゼルダ婆が言う。
「もうすぐ、私が機織りを覚えるよ!」
 メイアが言った。
 確かにメイアの母は村随一の機織りだ。10歳になったメイアは織り機に触れることを許された。この冬は機を織る技を学んで過ごすのだ。
「急ぐな、メイア。すべては継承の儀が終わってからだ」
 ゼルダ婆がいった。
 ウィリスはこの冬、継承の儀を受けねばならない。お迎え役として、冬翼様の御眷属に挨拶をして回るのだ。御眷属がウィリスを認めて初めて、ゼルダ婆の正式な後継者となる。この儀式がうまく行かねば、ウィリスはお迎え役になれぬばかりか、命を落とすかもしれない。
 それほどまでに、冬の眷属は気が荒いのである。

 雪がちらつき始めてから最初の満月がやってきた。
 満月を控えた朝、ゼルダ婆とウィリスは霜に覆われた山に入った。まだ雪が積もるほどではないが、地面は凍りつき、一歩進むたびにザクザクと音を立てた。斜面は時折、滑ったので、ウィリスと婆は半ば這うようにして、山を登った。秋に茸を取ったり、薪を拾ったりするあたりも、もはや人気はない。獣たちも冬篭りをするために移動したのか、遠い声さえも聞こえぬ。わずかに冬鳥が舞うばかりである。
 やがて、白く屹立した板状の石碑にたどり着いた。
 「白の石碑」である。

 7歳の夏。ウィリスはここであの白く美しい女性に出会った。
 真っ白な鎧具足をつけ、毛皮の帽子を被った勇ましい姿をしていた。
 きれいだった。
 しかし、彼女はこう言って、彼を追い払った。
「ここは禁忌の場所」
 彼女の青い瞳をウィリスはよく覚えていた。

 あれから3年。

 ウィリスは、これが何であるかをすでに学んでいた。
 冬翼様の御眷属にして、雪狼たちの姫ネージャの封印である。
 この地に、雪狼の姫ネージャ様が封じられている。
 正式なお迎え役となるには、ネージャ様の声を得なくてはならない。そうすることで、お迎え役はさらに雪狼の友となり、冬翼様の加護を得ることになるのだ。

  婆の祝詞に合わせて、ウィリスはお集いの舞いを踊る。
 何も持たぬ両手で、森や藪から仲間を招くような仕草をする。ゆるゆると向きを変え、四方から招き寄せる。それは御眷属衆を招き、この地に力を集める仕草だ。
 祝詞と舞いに答えるように寒風が吹き始める。
 雪狼の声がいくつも上がる。
 凍えるような冷たい風に、白い雪が混じり始める。
 見える。
 ウィリスの瞳はもう、風の中を舞う雪狼の透き通った姿さえ見える。祝詞と舞いに合わせて、何頭も何頭もの雪狼がウィリスの周囲を舞う。雪が二人の上に振り積もり始めるが、ウィリスは冷たくなど感じない。それは優しい母の手のように少年を抱きしめる。
 婆の声はぐっと高まる。
 ウィリスは、白の石碑に向かって両手を伸ばし、招く仕草をする。

「「姫様、御顕現あれ!」」

 ウィリスと婆の言葉が重なる。

 ふわり。

 雪をはらんだ風が渦巻き、その中央にひとりの女性が現れた。
 白い鎧に身をまとい、毛皮の帽子を被った戦姫。
 その瞳は空の青。
 その腕には氷雪の大槍。
 美しくも勇ましき雪狼の姫。

「「ネージャ様!」」

 ウィリスと婆はその場に伏した。
「お迎え、ご苦労」
 ネージャが鈴を転がすような澄んだ声を発した。
 そのまま、ざっと前に出る。
「……やっと……やっと、会えたな、ウィリス」
 ネージャは言った。
「汝は獣の王となるのだ」
「然り」
 ゼルダ婆がウィリスにささやく。
「お前はそのために選ばれたのだ」

 

 かくして、ウィリスは雪狼の姫ネージャから認められた。
 獣の王が何を意味するのか、まだ、彼は知らない。
 そして、彼の将来につながる、もうひとりの男の物語など、ウィリスの知るよしもなかった。

 

10】間奏1:伝書使

 

 世の全てを知ることなどできぬ。
 出来たとしても、受け入れることなどできぬ。
 それでも……。

 
「ここから始まるのは茶番だよ、アンウェン」
 仮面を被った魔道師は小さくささやいた。
 その姿は異様である。黒く長い髪と白い肌、顔の上半分は銀の仮面に覆われ、瞳の色も伺えない。唯一見える唇は薄く、酷薄な印象を与える。魔道師のローブの下から覗く右腕は黄金に輝く篭手に覆われている。左腕のあるべきあたりには何のふくらみもない。
「……それで、俺はどんな道化を演じればいいんだい、レディアス?」
と、話しかけられた若者が頭をかく。
 浅黒い肌と黒い瞳は彼が南西から流入してきたエザクの民であることを示している。
「君の仕事は伝書使だろう?」
 魔道師が一通の手紙を渡す。
 アンウェンは伝書使である。街から街へ手紙を運ぶことを仕事にしている。治安の悪い場所もあることから、傭兵まがいの戦いに手を染めることもあるが、あくまでもその名前にこだわる。
「誰宛てだい?」
 アンウェンの問いに対して、レディアスは一瞬、口元に手を当てて考えるような仕草をした。
「……強いて言えば、もうひとりの私に」
「なんだ、それは?」
「人探しを兼ねていてね、名前はディルス、《獣師同盟》にいた男だ」
「まだ、魔獣に手を出すつもりか?」
 アンウェンは非難の声を上げた。
 《獣師同盟》とは、かつて、魔道師学院を出奔したレディアスが属していたことのある秘密結社である。魔獣を生み出す力を持った魔族《獣師ブラーツ》を信仰し、動物や人間を生きたまま、切り裂き、魔獣を作り出していた。
「いまさら、何を恐れる?」
と、仮面の魔道師は黄金の篭手を持ち上げ、カンカンと指先を打ち鳴らして見せる。中に何か入っているような音には聞こえない。
 すでに、レディアスは《獣師同盟》から奪った《混沌の六魔獣》にその身の一部を捧げていた。黄金の篭手や銀の仮面はその結果である。いや、それ以前に、彼は《ブラーツ》の秘儀を得るために、貴族の娘サイアを誘惑し、懐妊させた上で、彼女をその腹の子ともども、魔族に捧げたのだ。一度は愛した女を。
 その後、サイアは魔獣シルドラとして復活、レディアスはアンウェンとともに、彼女の娘である魔獣リオス、ネリスらを自ら滅ぼし、シルドラも、深淵の底に沈めた。
「これから、私は魔道師学院に戻る」
 レディアスが笑う。
「処刑されるぞ!」
 アンウェンが叫ぶ。魔道書を盗んで出奔、異端の獣師に身を落とした魔道師として、レディアスは魔道師学院から敵視されていた。龍の都スイネの一件で多少、関係は改善されているものの、正々堂々学院に凱旋できる身分ではない。
「そこが茶番さ。そして、その間、アンウェンには人探しをして欲しいのだよ。
 多少、時間はかかっていい。
 場所は恐らく、バッスルの都かロクド山のどこか。ル・ウールの祠にいるはずだ。普通の顔をしてな」
「見つかったら? 手紙を渡した後は?」
「私からの伝言が届くまでは好きにしていい」
「伝言?」
「カイリが君を見つけるだろう」
 それはレディアスの幼なじみである。火龍の都を治めるスイネ大公家の姫君にして、魔道師学院の幻視者である。彼女の魔法の瞳は全てを見通し、遥かな場所さえも越える。ファオンの野の火龍を監視する役目を担う彼女にとって、山中の伝書使ひとり見つけるのは簡単であろう。
「もう一度聞く」
とアンウェンが言った。
「手紙を届けるだけでいいんだな?」
「ああ」
と仮面の魔道師はうなずいた。
「彼はすべて分かってくれるはずだ」

 かくして、伝書使は探索の旅に出る。

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2006年9月10日 (日)

永遠の冬 第11話~20話

11】狼煙

 
 人の弱さとは救いである。
 それは物事を解決しないという破滅への道を示すから。
 弱きものを喰らうことにためらいを示す限り、まだ人は人に戻れる。

 

 ウィリス11歳の春。

 冬送りの祝詞巡りが行われても、ウィリスの心は晴れなかった。

 雪狼の姫ネージャから「獣の王になる」と言われたこと自体は、ウィリスの生活を変えはしなかった。冬の間、ゼルダ婆はウィリスに「お迎え役」の修行を続けさせた。いずれ、冬翼様をお迎えすることに変わりはないのだそうだ。ただ、ウィリスはいずれお迎え役の上のお役目である「獣の王」の地位につき、冬翼様のために重要な働きを成すのだという。それがどのような働きなのかはまだ語られなかった。
「次の夏、お前はグレイドルに行き、すべてを学ぶこととなろう」
 ゼルダ婆はただ一言、そう言った。
 グレイドルはバッスル侯爵領の都である。この地には、冬翼様に近しい神、《冬の統領ル・ウール》様の大社がある。《冬の祠》というそうだ。

 
 結局、冬の間、ウィリスがネージャ様と再び出会うことはなかった。

 あれ以来、ウィリスはより深く、雪狼たちを感じるようになったが、それゆえにか、雪狼たちはこの冬の間、一度も村には入ってこなかった。
 ただ遠くから、雪狼たちが何かを狩りだす雄叫びが何度か聞こえただけだった。

 
「ゼルダ婆、少しばかりいいか?」
 冬送りが終わってしばらくして、村長と村の男衆数名がゼルダ婆を訪ねてきた。その中にはウィリスやメイアの父の姿もあった。村長が年始の挨拶で、領主のミネアスを砂の川原に訪ねた際、村にも関わる命令を下されたという。
「お前もそこにいなさい」
 婆は席を外そうとするウィリスに、声をかけた。
「これから、我らは辛い話をする。しかし、お前は次なるお迎え役として、これを聞かねばならぬ。そして、胸の内に秘めておかねばならない」
 婆が、ウィリスの父に眼を向けると、父はゆっくりとうなずいた。
 やがて、村長が言った。
「バッスルでまた戦があった」
「毎年のことではないか?」
と、婆が答える。
 北原の雄バッスルは、隣接するラルハース侯爵領と毎年のように戦争を繰り返している。両国の間にあるレキシア湖を巡って戦いが絶えない。ラルハースは水魔を信仰する国だから、夏は強いが、冬になり、湖が凍ると水魔は動けなくなる。そこで、冬の神を信仰するバッスルが攻め入り、水魔の巣を焼き払う。これに対応して、ラルハース騎士団が出兵する。
「いや、今年は跡目争いが絡んで、大きな戦になった。甥っ子のジェイガンがバッスルの手を借りて、ラルハースの都ペリエールに攻め込んだ。南のダリンゴース、北のユラスまで加わって、ジェイガンが勝った」
「ユラスまで」
 ゼルダ婆が眼を向いた。
 ラルハースの北、残虐なる黒男爵の支配するユラスは、闇の国と恐れられる国だ。このロクド山中でも、ユラスの黒男爵の恐ろしい所業は伝わっている。もともとの主を裏切り、一族全てを串刺しにしたという。その配下の黒騎士たちは人というより、闇の魔性に近いおぞましい生き物であるという。
 南のダリンゴースは利に聡い商売上手な国なので、利を見て戦に乗ったのが分かるが、闇の国ユラスまでも引き込んだというのは大事である。
「それだけではない」
と、村長は声を潜めた。まるで誰か、いや、黒男爵の手先に聞こえないようにするかのように。
「ダリンゴースは、獅子の戦鬼(いくさおに)を送り込んだそうな」
「獅子王教団! ジェイガンはラルハースを焼け野原にするつもりか!」
 ロクド山の山奥でも、獅子王教団の恐ろしさは伝わっている。後退という言葉を知らぬ獅子王教団の狂戦士たちは、このあたりでは、戦鬼と評されている。
「あんなものを送り込んだら、戦いが止まぬではないか?」
 初めて、ウィリスの父が口を開いた。
「見たことがあるのか、ジード」と、メイアの父が問いかける。
「昔、一度だけ」
 答える父の顔はウィリスの知らない苦渋に満ちたものだった。
「奴らは傭兵だ。誰かが雇えば、どこの戦場にでも現れる。
 そして、死ぬまで戦う。戦場の誰もが死ぬまで。
 俺たちの部隊はあれのおかげで、半分が死んだ」
 ウィリスは父が戦場にいたことを知らなかった。流れ者であるとは聞いていたが、開拓村であるグリスン谷では2、3代前に入植した者も多い。中には、それまで砂の川原で流刑の身にあった者もいるので、谷に来るまで、何をしていたかは互いに詮索しない。おそらく、村長とゼルダ婆、村の男衆の一部だけがそれを知っている。
「ひどい戦場だった。
 人も馬も引き裂かれ、血の川が流れた」
「同じ話を、ミネアス様から聞いた」と村長が言った。
「バッスルの軍勢に加えて、ユラスの黒騎士、獅子どもだ。
 ラルハース側は全力で水魔どもを叩き起こし、怪物たちが戦場に現れた。
 ひどい戦場だったそうだ。
 最後は、黒い龍まで飛んできて、都を焼き払ったそうな」
「龍だって?」
 思わず、ウィリスまで声を出した。
 南方ファオンの野には巨大な龍という怪物が封じられているという。それは城の塔よりも大きな空飛ぶ怪物で、トカゲのような鱗に覆われた体と、コウモリのような翼を持ち、口から火を吐く。あまりに恐ろしい怪物であるため、見ただけで気が狂うともいう。

 
「龍か、なるほど、冬中、山の雪狼どもが東へ向かって遠吠えする訳だ」
 ゼルダ婆は極めて落ち着いた声で応じた。
「それだけの戦の気配が北原に満ちれば、その余波もこよう。
 して、ガイウス殿は討たれたのかな?
 いや、それならば、ミネアス様は気にすまい」
「婆はようお分かりだな」と村長。「ガイウスは傷を負われたが、魔法の力を借りて落ち延びたらしい。ジェイガン殿も、バッスル侯爵殿も、ガイウスの行方を探っておる。大方の者はさらに東、ワールの黒き森と見ておるが、ロクド山という噂もある」
 ワールの黒き森は魔族の住処と言われる恐ろしい場所だ。そこに逃れるくらいならば、この深いロクドの山々のほうがずいぶんましだと言えよう。
「おかげで、街道沿いの飛び地全てにガイウス探索の命が下された。
 ミネアス様は、古き盟約に従い、村にも出仕の命を下された。
 兵士5名を探索隊に出すとともに、峰の狼煙台を整備し、これの番役を出せと」
「ミネアス様はお優しいのお、それで済ませてくれるとは」
 婆は言った。
 北原の諸国の軍務はもっと厳しい。冬ともなれば、村の男衆の半分が戦場に出ることもあるという。百人ほどのグリスン谷に兵5名だけならば、農作業も何とかなる。狼煙台の番役は老人や女子供でもよい。
「それ以上では畑の世話も滞る。ミネアス様はそっちのほうが困るそうな」
 村長はそう言って、村の男衆を振り返る。
「ジード、行ってくれるか?」
 ウィリスの父はうなずいた。
「いつものように、井戸端のヨト、牧場のキャズ、老ジャスパーを連れていく」
 それは村の自警団の仲間だ。ヨトは剣が使える。キャズは若いが、一度騎兵に取られ、馬上で槍を使える。老ジャスパーは弓の上手である。
「あとは……ガースか?」
 ウィリスは幼なじみの名前が上がったのに驚いた。確かに、最近、ジャスパーの元で弓を習い、狩人になる修行をしている。
「ウィリスと同い年か、まだ少々若いが、筋はいい」と村長がいう。「狼煙台は、持ち回りで番役をこなすが、村の衆はしばらく春の種まきで忙しい。ウィリスを借りたい。眼がよいからな」

 

 グリスン谷にも、北原の戦乱がゆっくりと忍び寄ってきた。
 こうして、ウィリスは遠い狼煙を見ることになる。

 

12】烽火

 
 それは緩やかに近づき、素早く奪っていく。
 もっとも大事なものを。
 

 ウィリス11歳の春は続く。
 父のジードは、ガイウス探索部隊に加わるため、ガースらを連れて砂の川原に向かった。
 その朝、ウィリスは初めて、父の鎧姿を見た。
 前の開いた丸兜、胸当て、鎖帷子、鉄のすねあて、そして、腰から下げた長剣、背中に背負った円形の盾。そこここに鋼鉄の鋲が打たれ、歩くだけでがちゃがちゃと言う。ずいぶん重そうなそれらを父は軽々と持ち上げた。
 見送りの村人に答えて、軽く剣を抜き、振るって見せた。
 鈍い輝きを放つ剣がぶんと空を切る。
 重い鎧をまとっているとは思えない。
 戦士としての父は全くの別人だった。
 それは誇らしいとともに恐ろしいものでもあった。

 
 父は戦うのだ。

 
 最後に、父はウィリスと母を抱きしめて言った。
「ウィリス、お前はお前の役目を果たせ」

 
 父たちが村を出て行くと、ウィリスも荷物を背負って狼煙台に上がった。番役は持ちまわりになるが、春の種まきが終わるまで、村は忙しいので、もっぱらウィリスの仕事になる。
 狼煙台の役目は、東のバッスル侯爵から発せられる緊急招集を西へ伝えることである。はるか東の狼煙台に上がる狼煙を見つけたら、狼煙台に火をつけ、この日を三日三晩、燃やし続ける。この狼煙が発せられたら、さらなる戦の始まりだ。今度はグリスン谷のような小さな開拓村にも兵士が求められる。次なる出仕の割り当ては兵10名、馬2頭。若者のほとんどが戦に取られることになる。
 ウィリスはその日が来るのが恐ろしかった。
 東の狼煙台はミネアス様の領地の東の端にある。西の狼煙台ははるか西方、風見山だ。確かあのあたりには銀鉱山があって、多くの流刑者が山を掘っているという。

 
 狼煙台に上がって数日は、狼煙台の整備と薪の供給のため、多くの村人が出入りしていたが、それが過ぎると、番小屋はウィリスだけになった。
 食べ物を届けに、毎日、メイアが峰まで上がってきたが、夕方には村に下りていく。

 
 夜はひとりだった。
 いや、正確には違う。
 ウィリスには雪狼がいた。
 冷たい峰の空気の中に、雪狼たちの魂が隠れていた。
 だから、ウィリスは寂しくはなかった。

 
 何事もないまま、10日が過ぎた。

 
 ある日、メイアが上がってきたので、番小屋の前に座り、二人で食事をしていると、誰かに呼ばれたような気がした。見れば、西の風見山の狼煙台に白い煙が立ち昇っている。
 西?
 慌てて、東の狼煙台を見るが、煙は上がっていない。
 なぜ、西?
 ウィリスは西からの狼煙に関する命令は受けていなかった。
 しかし、これは狼煙だ。戦の印だ。
 ウィリスは立ち上がり、狼煙台に火を放つと、メイアに叫んだ。
「村へ知らせを」
 少女が慌てて、山を下っていく姿を見送るウィリスの耳に雪狼の遠吠えが聞こえたような気がした。

 
 戦いが始まる。
 東ではなく、西から。

 

13】反乱

 
 奪われないために戦わなければならない。
 剣を取り、牙を磨く。
 それでも、生きていかねばならないから。

 
 ウィリス11歳の春は波乱に満ちたものとなった。
 西方風見山の狼煙が上がり、狼煙台のウィリスはさらに狼煙を上げた。東方、砂の川原の狼煙台が赤い煙を上げた。それは予想外の警戒を示す煙だ。

 
「風見山の銀山で何ぞあったのじゃな」
 村からの知らせで狼煙台から降りてきたウィリスに向かって、婆はそう言った。
 西方の風見山には古い銀鉱山がある。以前はずいぶん栄えていたというが、今や細々と流刑者が銀を掘るばかりだ。銀の質も落ちているらしい。今はミネアス様が治める砂の川原のほうが栄えているという。
「いずれにせよ、村は備えねばならぬ。
 戦となれば、兵10名、馬2頭を揃え、村にも守りが必要だ」
 そう言って村長がウィリスを振り返る。
「お迎え役を村から出仕させるのは心外だが……。
 人手が足りぬ。婆もお前に行けと」
「お前には雪狼様のご加護がある。
 時には、お前にしか見えぬものがあるかもしれぬ」
と、婆はうなづいた。
 そうして婆が虚空を見上げた。
「風が荒れておる。西から東、東から西。いずれも吠えておる」
 ウィリスの耳に、雪狼の遠吠えが聞こえたような気がした。

 
 狼煙の2日後、街道を見張っていた村人が慌てて、九十九折れを降りてきた。
「峠から、赤揃えの騎士が!」
 村長に率いられ、ウィリスら出仕の兵10名が馬2頭を連れて、坂を上った。
 峠から下ってきた騎士は、きらびやかな姿であった。全身を真紅の鎧で包んでいるだけでなく、磨き上げられた兜の額には水晶がはめ込まれ、鮮やかな紅白の羽とともに、この世ならぬ艶やかさを放っていた。大柄な軍馬さえも銀の馬鎧に包まれ、ただならぬ雰囲気を放っている。
 その傍らには同じく赤揃えのお仕着せをまとった歩兵4名が付き添っている。いずれも、分厚い鎖帷子の上から戦胸甲をつけ、まがまがしい輝きを宿す斧槍をかついでいる。
「これが噂に聞くマリュアッドの騎士か!」
 村長が恐れ入るように漏らした。
 マリュアッドの騎士はバッスル軍でも精鋭と名高い一族だ。砂の川原のような砂鉄の産地を支配し、バッスル侯爵に仕える一族の中でももっとも豊かで、もっとも誇り高い。その証がこの赤揃え、真紅の鎧だ。砂の川原を支配するミネアスは、この赤き一族の傍系に当たるという。
 対するグリスン谷のものたちは、鉄の額当てをつけただけの毛皮帽子を被り、厚手の毛皮を背負いばかりでほとんど鎧と言えるものは着ていない。武器も、古びた剣や槍ばかりである。ウィリスも、村長から借りた小振りの剣と数本の短剣を装備しているばかりだ。
「グリスン谷のものか?」
 騎士は面頬を上げた。
 そこにはミネアス様に似た若い顔が見えた。
「我はミネアスが一子、カルシアスなり。
 これより、西方風見山へ向かう。汝らは我に従え!」

 
 カルシアスは、徒歩の兵を引き連れ、西へと進んだ。
 途中、グリスン谷のような開拓村からの出仕兵を加え、その兵員は50近くに膨れ上がった。出仕兵たちは村ごとに1隊にまとめられた。グリスン谷の長は、水車小屋のヤンがついた。
「戦になったら、ウィリスは、ダーシュの横についていろ」
 ヤンはそう言った。

 
 グリスン谷から三日進んだあたりで、風見山から逃げてきた兵と出会った。
「反乱です。流刑衆が何者かに解放され、監視の兵を襲いました」
 脱出の際、矢を受けたままの兵士は苦しげに報告する。
「水魔が現れました。おそらくはラルハースの残党かと」
 カルシアスの顔が歪んだ。
 バッスルにとって、不倶戴天の敵ラルハースは水魔の国だ。ラルハースの主力である泉水騎士団は、その名の通り、泉の女神を信仰し、おぞましい水魔を使う。
 先日の内戦の結果、バッスルに友好的な甥ジェイガンが爵位についたが、逃げ出したガイウスやその配下である泉水騎士団の残党が、ロクド山に逃れたという噂もある。
「やっかいな戦になるぞ」

 
 かくして、少年はいやおうなく戦いに巻き込まれていく。

 

14】夜襲

 矢羽の音、悲鳴、馬のいななき、そして、血潮の匂い。
 忘れたくても忘れられない。

 
 戦いの始まりは、夜の闇の中であった。

 
 ウィリスは雪狼の声で目覚めた。
 風見山へ踏み込む前夜、真夜中を過ぎた頃。部隊は街道を離れ、林の中で休息を取っていた。
 目覚めると深い霧が漂っている。このあたりでは珍しい、深くじっとりした霧だ。

 

(餌になるぞ)

 
 雪狼の声がウィリスにささやいた。
 首筋がちりちりする。
 ウィリスは隣で眠っていたダーシュをこづいた。
「ダーシュ、よくない霧だ」
 ダーシュは寝ぼけた顔でいたが、やがて、うなずき、水車小屋のヤンを呼んだ。
 ヤンはグリスン谷の全員を起こす。
「ああ、この霧はよくない」
 ヤンは、剣を取ると、ウィリスに一緒に来るようにいった。

 
「この霧はよくないな」
 カルシアスはうなずいた。彼と赤揃えの兵士たちはすでに目覚めていた。焚き火が高く燃え上がり、カルシアスはすでに赤い鎧を身につけ始めていた。
「まだ、川面からずいぶん上だと思っていたが、ここまで霧が上がってくるとなれば、奴ら、近いぞ。ゾークス、全軍を起こせ」
 鎧を付け終わったカルシアスは、ひらりと馬に飛び乗った。磨き上げられた真紅の鎧が馬上に輝くと、兵士たちはおおと声を上げた。華麗の一言で知られるマリュアッドの騎士である。同じく真紅の馬上槍と騎士盾を構えると、戦の神のようにも見えた。

 
 次の瞬間、霧の向こうで、叫びが上がった。
 数本の矢が霧を貫いて、飛来する。首に矢を受けた不幸な兵士がひゅーひゅーと悲鳴を上げて倒れる。
「来るぞ!」
 カルシアスの叫びに答えるように、霧の中から不気味な怪物が飛び出してくる。怪物は青白いぬらぬらした人型の生き物である。顔には人のような目鼻はないが、ウィリスは蛙のような雰囲気を覚えた。
「この水魔め!」
 カルシアスは、前進して、馬上槍を怪物に向かって突き出す。濡れたような皮膚にすべって、槍が流れた隙に、怪物がカルシアスに飛び掛るが、赤揃えのゾークが横から斧槍を突き出し、怪物を叩き落とす。そこへ赤揃えの兵士たちが群がり、剣を突き下ろす。

 
 後は乱戦であった。

 
 水魔は最初の一体だけではなく、次々に霧の中から現れ、カルシアスに向かってくる。
 赤揃えの5人の兵士が、一斉に斧槍を振り下ろし、水魔たちに傷を負わせる。ヤンはカルシアスの近くにグリスン谷の兵士を集め、水魔たちの横あいから襲いかかった。ウィリスはダーシュとともに、水魔に向かって剣を突き出した。水魔の体はぬらぬらして、剣はなかなか通らなかったが、何度もつくうちに、青みがかった血が噴出した。
 突然、ウィリスの体が弾き飛ばされた。
 何が起こったか分からなかった。
 見上げると、傷ついた水魔がウィリスを睨むように振り返っていた。戦場の中央で燃え上がる焚き火の炎を背に、水魔は暗く不気味な青い影に見えた。

 
「うらああああ」
 叫びとともに、ウィリスの倒れたすぐ横を蹄が通り過ぎていった。

 
 青白い。
 風というよりも、谷川の水のような透明な青。

 
 それは一瞬の隙をついて、戦場を突破した。
 青き騎士は、グリスン谷の兵士たちを踏み越え、霧の巻いた林の中を走り抜ける。
 赤揃えの兵士たちが振り上げようとする斧槍が林立する前に、それを踏み越える。
 構えた青い馬上槍が電光のように、カルシアスの赤い鎧に向かって突き出される。
 どん!
 カルシアスは、構えた盾ごと吹き飛んだ。

 
 ウィリスはその光景を始めてみた。
 鎧を着た真紅の人影が、馬上から弾き飛ばされ、宙を飛ぶ。
 そのまま、木の幹にたたきつけられ、複雑な金属音を立てる。
 まるで、濡れ雑巾のように、赤い血の跡を引いて、そのまま崩れ落ちる。

 
「カルシアスさま!」
 赤揃えのゾークが叫ぶ。助けに向かおうとする前に、青白い騎士が立つ。先ほどの突撃で折れた馬上槍はすでに捨て、片手半剣を構えている。
「ガレンナ砦の敵は取らせてもらった!」
 青白い騎士が叫ぶ。
 同時に、奇怪な青い軍馬が霧を吐く。周囲にじっとりとした嫌な空気が流れる。
「水の騎士め!」
 赤揃えのゾークが斧槍を突き出すが、盾に弾かれ、そのまま、切り下ろされる。騎士の剣はゾークの赤い兜を断ち割り、ゾークは脳漿と血を噴出したまま、崩れ落ちた。
「殺せ!」
 騎士の命令に水魔たちが飢えた叫びで答えた。
 殺戮が始まった。

 

 

15】殺戮

 我が声に答えよ。
 我が絶望に答えよ。

 
 カルシアスの敗北、ゾークの死とともに、兵たちは崩壊した。
 生き残っていた赤揃えの兵が斧槍を振り回したが、水魔たちが群がり、赤揃えの鎧はもはや見えなくなった。

 
「逃げるぞ!」
 青白い騎士が走り抜けた時から倒れたままのウィリスだったが、ダーシュに腕を引かれ、慌てて立ち上がる。息を荒くしながら、青白い騎士に背を向け、ダーシュとウィリスは街道とおぼしき方角へ向かって走り出した。
 水魔の吐いた霧がねっとりと足に絡む。
 林の木々の根っこがまるで生きているかのように、ウィリスのつま先に当たり、たびたび、体勢を崩させる。ひっくり返ったら、終わりだ。ウィリスは必死にダーシュの背中を追った。いつの間にか、剣は投げ捨てていた。空になった腰の鞘さえ邪魔だ。

 
 背後から蹄の音とともに、じっとりした湿気が押し寄せてきた。

「ダーシュ!」
 ウィリスは叫んだ途端、木の根につまづいてひっくり返った。

(右)

 雪狼の声に反応して、横に転がると、今、倒れた木の根を青白い蹄が踏み破って、通過していく。一緒に振られた剣の刃がウィリスの顔の上を抜け、そのまま走るダーシュの首へと叩き込まれる。
 丸い物が飛び、ずいぶん背の小さくなったダーシュは数歩走って林の木にぶつかり、倒れた。

「ダーシュ、ダーシュ、ダーシュ」

 ウィリスは呟きながら、立ち上がる。
 青白い騎士は、怪物のような青い軍馬の馬首をめぐらせる。
 ただ、無言で剣を持ち上げると、ぱんっと手綱を入れた。
 青い軍馬が、谷川の流れのような青い風となってウィリスに迫る。

 死ぬ?
 あの剣が僕を殺す?

  不思議と実感は湧かなかった。ダーシュの首が飛ばされた瞬間に、ウィリスの頭はよく動かなかった。

 「うらああああ」
 水の騎士の剣が振り下ろされる直前、ウィリスの前に、大柄な姿が飛び出した。赤い斧槍が突き出され、騎士の剣を受け流す。
「馬鹿、ウィリス、逃げろ」
 水車小屋のヤンだ。
 その姿はすでに赤と青の血にまみれていた。水魔の血とおそらくヤン自身の血だ。
 ヤンは片手でウィリスを押しやる。
「みんな、やられた。お前は逃げろ」
 言われて、林の中に逃げ込む。
 慌てて、走り出し、「ヤンも……」と呟き、振り返った途端、ヤンが騎士の剣に刺しぬかれるのが見えた。
 悲鳴を上げながら、走り出す。
 もう必死だった。
 藪を突きぬけ、石を飛び越え、ただ走った。

 
 やがて、柔らかな何かに足を取られて地面に倒れた。

 
 鼻腔を、濃密な血の匂いが襲う。
 はっと顔を起こし、見回すと、周辺は死体だらけだ。見れば、ばらばらに引き裂かれた真紅の鎧が転がっている。踏み荒らされた薪の跡。
 そう、ここは最初に襲われた場所だ。
 足を取られたのは、誰かの死体だ。もう誰かは分からないが、あの御貸し武具はグリスン谷にあったミネアス様のもの。谷の仲間だ。
 立ち上がり、顔を見ようとしてためらう。

 
(弱い者、弱い者)

 
 雪狼の声が響いた。

 
(汝は獣の王。ここで死せば、谷は滅びよう)

 
 周囲にはまだ濃密な霧が漂っている。水魔の気配はないが、いずれ戻ってきてもおかしくはない。
 逃げなければ。
 しかし、ウィリスの足はもう震えて動かない。
 いや、どこへ行けばいいのかも分からない。

 
(我らの名を呼べ。我が姫君の名を呼べ)

 
 雪狼がささやく。

 
(されば、この地は我らが領土となろう)

 言葉の意味は分からなかった。
 ただ、生きたかった。
 ダーシュの仇とか、ヤンの復讐とか、そんな思いさえなかった。
 ただ、殺されるのが怖かった。
 ウィリスは祈った。雪狼へ祈り、雪狼の姫ネージャの名前を呼んだ。

 
 やがて、雪が舞い、ウィリスは雪狼の遠吠えを聞いた。

 

 

16】顕現

 
 それは始まり。
 それは終わり。
 それは……

 
 雪が舞っていた。

 
 ふわり。遠吠えの声とともに、雪狼たちが虚空から現れた。

 
(さあ、祈り、求めよ。我らが姫の顕現を)

 
 雪狼たちが空に向かって遠吠えする。
 ウィリスは立ち上がり、眼を閉じたまま、お迎えの祝詞を唱える。
 血まみれの大地を踏みしめ、舞の仕草を始める。両手を差し伸べ、ゆらゆらと複雑な弧を描く。
 ウィリスの祝詞に合わせて、雪狼が吠える声を上げる。
 雪狼の吠えるたびに、冷気が吹き荒れ、白い雪が舞い飛ぶ。

 
(この地を姫君に捧げん)
 

 それは約定の言葉。
 それは契約の言葉。
 それは開門の言葉。

 
(御顕現あれ!)
 

 ふわり。
 毛皮の帽子と白い鎧装束をまとったネージャが虚空から表れた。
 その手には青き氷の大槍。

 
「ウィリスよ、お迎え役ご苦労。
 これにより、汝は獣の王となる。
 これより、この地は我が領土。
 すべては《冬翼様》に」

 
 ネージャは微笑むと、目にも止まらぬほどの素早さで振り返り、その青き大槍を投じた。
 しゅっ。
 大槍は風を切り、鈍い音とともに、木々の間を突進してきた青白い騎士を軍馬ごと貫いた。騎士はたちまち霜に覆われた。
 怪物のような青白い軍馬はそのまま突進しようとしたが、やはり瞬間的に凍りついた足を踏み出した途端、足から、もろい陶器のように割れた。まず、踏み込んだ足が粉々に砕け散り、倒れていく胴体と頭がその後を追った。まるで水面に飛び込んだかのように、地面に激突したところから砕け散り、きらきらと輝く飛沫を撒き散らしていく。その飛沫がまるで水面を割ってできる波しぶきのようだった。
 騎士も、地面に叩きつけられ、陶器の人形のように砕け散った。

 それはずいぶんと静かな風景だった。
 悲鳴も血潮もなかった。
 ただ、かの呪わしき騎士は砕け散った。

 
 やがて、しんしんと降り続ける雪の中、ネージャは微笑んだ。

 
「もはや邪魔者はおらぬ。
 こここそ、冬の国。
 今宵より、永遠の冬が始まるのだ」

 

 

17】雪の原

 
 雪が舞う。
 春の空に白く、白く。
 雪狼の雄叫びが上がる。
 もはや山は冬の領地。

 
 さくさく。

 
 夜明けとともに、狼煙台に上るメイアの靴の下で霜が砕けた。
 息が白い。
 夜明けの光に茜色に染まる峰の上にかかる空は澄んで高い。

 
 ひょおおお、ひょおおお。

 
 風が木々を揺らす。
 風の音を追いかけるように、凍えるような風が通り過ぎる。
 外套が不意の強風をはらんで、斜面を進む少女の体を持ち上げようとする。
 必死で地面に這い蹲り、あたりの木にしがみつく。

 
 ひょおおお、ひょおおお。

 
 風の声はまるで雪狼の遠吠えのよう。
 遥か西の峰から響いてくる。
 風見山の方角だ。

 
「ウィリス」

  少女は一言、呟いた。
 お迎え役の少年は戦いの装束をまとい、旅立っていった。

 

    *

 
「風見山のあたりがずいぶん白いぞ」
 狼煙台につめていたカディの爺がそう言った。
 指差す先、西の峰は真っ白に雪化粧している。
 そして、その麓、尾根道に近いあたりは乳のようなねっとりとした霧に覆われている。
 まるで雪雲そのものが舞い降りてきたかのような濃い霧だ。
「ゼルダ婆に伝えてくれ。雪狼が戻ってきておると」
 

    *

 
「やはりそうかのぉ」
 婆はメイアの話を聞いてうなずいた。
「冬の扉が開かれ申したか」

 

    *

 
「どういうことじゃ、婆よ」
 婆に呼び出された村長が聞き返した。
「ウィリスが危機に陥ったのじゃよ」と婆が答える。
「あれは歴代のお迎え役の中でも、特に、ネージャ様の寵愛を受けたるもの。
 おそらく、雪狼が助けに向かったのじゃ」
「雪狼が戻ってきたのはそのせいか?
 しかし、春からこの寒さでは谷はたまらぬぞ」
「わしがお迎えに行く。
 ウィリスが救われねば、あの雪雲は去らぬ。
 メイア、一緒にきておくれ」

 

    *

 
 風見山に至る街道はもはや雪に覆われていた。
 婆はメイアと、牛飼いの息子タグに荷物を背負わせて、この雪道を進んだ。
 白いものが混じる冷たい風が吹きぬけ、雪狼の遠吠えが轟いた。
 それでも、ゼルダ婆は足を止めない。
「雪狼どもが案内をしよるわ。急げ、急げと」

   *

 
 風見山の麓に近いあたりで、婆は雪狼の声に呼ばれ、道を外れた。
 まばらに木の生えたくぼ地へと向かう。
「この先じゃ」
 綿のような雪が深く積もり、木々には凍りかけた雪がびっしりと張り付いている。
 1歩踏み込むごとに、寒さがつのる。
 くぼ地を巡る木々の影には、透き通った雪狼たちの姿が舞っている。
 そして、今やはっきりと見える一匹の雪狼が婆を先導していた。
「ば、婆、おれ、今、何か踏んだ」
 雪の中に腰まで浸かりながら、牛飼いのタグが言った。
「ガチャガチャ言った」
 雪の下に埋もれた何か金属の塊。
「おそらく、兵士の鎧じゃろう」
 婆が答える。
「ここで、カルシアス様のご一行は戦いになったのじゃな。
 このくぼ地で休まれていたおりであろう。
 おそらく雪の降り出した前の晩じゃ」
「じゃあ、この雪の下には……」
 タグはさらに顔を青くした。
 婆がうなずき返す。
「ウィリスは!?」
と、メイアが問いかける。
「あれはおそらくこの先じゃ。
 雪狼が急げと言うておるからのぉ」

 
 やがて、くぼ地の奥に達した。
 そこは今も身を切るような寒風が吹き荒れ、雪が舞い続けていた。
 目を開けることもできぬほど。

 
「姫様! 先代のゼルダが参り申した!」
 婆は雪の上に平伏して、そう叫んだ。
「お迎え役をお助けいただき、ありがたきこと。
 これよりは、我らがその者の世話をいたしましょうぞ」

 
 さっと雪が晴れた。

 
 くぼ地の中央、雪野原の中央に、毛皮の帽子と外套に包まれた大柄な女性の姿が蹲っていた。
 雪狼の姫ネージャである。

 
「大儀であった」

 
 神々しい声が響き、外套がさっと払われると、そこから眠ったような少年の姿が現れた。
「ウィリス!」
とメイアが叫ぶ。
「ゼルダよ、娘よ、では、我らが王をよろしく頼むぞ」

 

 

 

18】風の旅

 

 一夜の夢だったならば、よい。
 一時の幻だったならば、よい。
 だが、それは……。

 
「村まで送ろう」
 ネージャは雪狼の群れを呼び寄せる。ゼルダ婆はためらわずに、雪狼の背にしがみついた。タグもそれに習った。メイアがためらっていると、ネージャがその手を取り、引き寄せた。もう片方の腕には意識のないウィリスが抱かれている。
「汝は我とともに」
 そうして、一際大きな一頭にまたがる。
 ネージャの外套が優しく、メイアを包んだ。

 
(暖かい)

 
 メイアは驚いた。
 雪狼の姫、と聞いて、その体はどれほど冷たいのか、その吐息はどれほど凍えるものなのか、と思っていたが、外套の中は心地よく、安らぐものであった。これならば、あの雪の中でも、ウィリスは大丈夫だっただろう。
 

「行け!」
 ネージャの声とともに、雪狼たちはざっと地を蹴った。
 そのまま、ふわりと浮かび上がる。

 
 ひゅうう。ひょおお~。風が鳴いた。
 

 雪狼は風を踏んで走る。
 その1歩、1歩が小さな雪片を撒き散らす。
 きらきらと陽光をはね返し、雪片が風に舞う。

 
「綺麗」
 メイアは思わずもらす。
「そうか」
 ネージャが満面の笑みをもたらす。
「お前もまた良き目を持つのか」

 
 風のように、雪狼は走る。
 風に乗って走る。
 風見山の麓から、尾根道を越え、グリスン谷へ続く斜面を一気に駆け下りる。


  逆落としの光景に、メイアはぎゅっと目をつむった。

 やがて、雪狼が歩みを止めた。
「ついたぞ」
 ネージャの声に、目を開くと、もう、ゼルダ婆の家の前であった。
 振り返ると、ゼルダ婆とタグを乗せた雪狼もたどり着いている。タグなど転げ落ちるように地面にへたり込んでいる。
 ネージャはメイアを下すと、その腕にウィリスを預けた。
「しばらく任せる。いずれまた会うことになろう」

 

 ネージャと雪狼たちは風に乗って舞い上がり、風見山の方角へと消えていった。
 季節外れの雪がグリスン谷の空に舞った。

 

 

19】言葉

 

 言葉が見つからなくても届けねばならない言葉がある。
 それがさだめだから。

  最初に感じたのは懐かしい匂いだった。
  ここ何年か、ずっとかぎ続けた薬草を煮る匂い。
  ああ、これは白銀草、煮出した汁を煎じ詰め、油となじませれた軟膏は……。
  ぼんやりした頭でそんなやくたいもないことを考えながら、うっすらと目を開けると、目の前にメイアがいた。
「ウィリス!」
 少女は叫んだ。その目には涙がたまっていた。
(どうしたんだい? 誰かにいじめられたのかい?)
 ウィリスはそう言おうとして、声が出なかった。
「無理をするな」
 メイアの肩越しに、婆の声が聞こえた。
「ネージャ様の加護があったからとはいえ、まる一日、雪に埋もれておったのじゃからな」

 雪?
 ネージャ様?

 ウィリスは分からなかった。
 いや、それよりも自分はなぜ、横になっていたのだろう?
 確か、僕は……。

 その瞬間、すべてが思い出された。

 鎧を着た真紅の人影が、馬上から弾き飛ばされ、宙を飛ぶ。そのまま、木の幹にたたきつけられ、複雑な金属音を立てる。まるで、濡れ雑巾のように、赤い血の跡を引いて、そのまま崩れ落ちる。

「馬鹿、ウィリス、逃げろ」
 水車小屋のヤンだ。
 その姿はすでに赤と青の血にまみれていた。水魔の血とおそらくヤン自身の血だ。
 ヤンは片手でウィリスを押しやる。
「みんな、やられた。お前は逃げろ」
 言われて、林の中に逃げ込む。
 慌てて、走り出し、「ヤンも……」と呟き、振り返った途端、ヤンが騎士の剣に刺しぬかれるのが見えた。

 振られた剣の刃がウィリスの顔の上を抜け、隣を走るダーシュの首へと叩き込まれる。丸い物が飛び、ずいぶん背の小さくなったダーシュは数歩走って林の木にぶつかり、倒れた。

「ダーシュ、ダーシュ、ダーシュ」

 ウィリスは叫んだ。

「みんなあああああああ」

ウィリスの意識はそこで再び途切れた。

 

     *

「みんな、死んだ」
 ウィリスはやっと言葉を絞り出した。
「分かっている」
 ゼルダ婆が答える。
 あれからすでに四日が経っていた。
 あのあと、村の衆がもう一度、風見山の麓へ向かった。雪の下から仲間の死体を掘り出し、すでに埋葬した。カルシアスさまの遺体は村長自身が馬車で砂の川原へ運んでいった。
 遺体の様子から、戦いのひどい様子は見て取れた。
 カルシアス隊そのものが全滅していた。
 生き残りはウィリスだけだ。
 死体の多くは水魔のおぞましい鉤爪に引き裂かれ、また、水の騎士の槍に貫かれ、剣で断ち切られていた。水の騎士や水魔は粉々に砕け散っていた。
「ひどい戦いじゃったな」
 婆の言葉に、ウィリスは激しい嗚咽で答えた。

    *

  何か話そうとすると、涙が出てくる。
 嗚咽が止まらなかった。
 そのたびに、母やメイアが抱きしめてくれた。
 それでも、それでも、あの日のことをきちんと言葉に出来ない。
 話そうとするたびに、何かこみ上げてきて、ウィリスは何も言えなくなってしまった。

    *

 

 七日が立ち、村長とともに、最初に徴兵された5名が戻ってきた。
 ジードが姿を見せると、ウィリスはまた言葉を紡げないまま、泣いた。
 父はしっかりと息子の体を抱き上げた。
 何も言わず、外に出た。

 

 すでに春の日は暖かかった。
 鳥が鳴いていた。
 風は優しく、木の葉をそよがせた。
 遠くで、牛が鳴いた。
 水車小屋の回る規則的な音が響く。
 遠くで、子供の声が聞こえた。

 
 やがて、そっと畑の端に、ウィリスは下された。

 
 ゆるやかな丘一面に、青々とした小麦の葉が揺らめいていた。
 その向こうには芋畑やとうきび畑。
 さらに、向こうにはゆるやかな川面が見える。

 
「戻って……きたんだね」
 ウィリスはそう呟いた。
 ジードはうなずく。
「ああ、俺もお前も帰ってきたんだよ」

 

 

20】間奏02: 棘のある雛菊

 

 雪に悪意はない。
 風に悪意はない。
 されど、積もった雪は家を潰し、冷たい北風は旅人を凍えさせる。
 そういうものだ。

 
 殺意、というものが単独で存在することはありえない。
 何かが何かに向けて放つものである。
 しかし、その日、風見山の麓の木々は一瞬の殺意の波に現れた。

 
 どこからともなく、波の音が響き、やがて、雪解け水のたまった池がざっと輝いた。
 次の瞬間、池の水面に反射する光の中から一人の女性が飛び出し、池の縁に降り立った。
 女性、いや、少女と言えるだろう。
 愛らしくも無邪気な笑顔をたたえた少女である。
 レースを多用したゆったりしたドレスをまとっている。年齢は12か13ぐらい。
 人形のように綺麗な少女。
 いつぞや、ウィリスが峠道で出会った少女のような「何か」。
 それが、池の水面から突然、出現したのだ。

 

 そして、それに応じるかのように、殺気を帯びた北風が木々の枝をざわめかせた。

 
 少女は一瞬、その殺気に押されるようにふらついたが、しっかりと池の縁に立った。
 そのまま、林の中へと進んでいくと、雪が残っていた。
 春が終わろうとしているというのに、この林の中は今だ冬の様相だ。
 振り返れば、風見山は今も白く雪化粧している。

 
「もはや、ここは冬の領土であるか」

 
 少女はひとり呟き、両手を合わせ、目を閉じた。

 
「死者の中に、あの子供の影はなし。
 ほお、水の騎士をこれほど完全に砕かれるとは……」

 

 少女は微笑んだ。
 艶然と。
 また、風が殺気をはらんで、粉雪を巻き上げた。

 
「汝らの主を傷つける気などないわ」
 少女は虚空に語りかける。
「我らも、《永遠の冬》に仕える者。
 その証はアヴァターにてお見せいたしましょう」
 

 風の中に何かがささやいた。

 少女は答えもせずに、雪野原に背を向け、池の縁まで戻ると、上代語の詠唱を始めた。古き時代、妖精騎士と神々が使いし、魔力ある言葉が紡がれる。その力は少女の周囲にきらめき、渦巻き、やがて、鏡のような水面に広がった。詠唱に答えるように、どこからか波音が響いてきた。次の瞬間、少女の姿は消え、詠唱の声も消えていった。

 あとはただ季節外れの寒風が吹きすぎていった。

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永遠の冬 第21話~30話

21】感謝

  緑なす谷。心地よい風。
 これこそが我が故郷。

  ウィリス11歳の夏は、ゆっくりと始まった。
 去年から予定していた通り、ウィリスは婆とともに、バッスルの都グレイドルへ向かうことになった。そこには、冬翼様に近しい神、《冬の統領ル・ウール》様の大社がある。《冬の祠》という。そこで、さらに冬翼様について学ぶのが、今回の目的である。
 最初に、ゼルダ婆がそれを言い出したのは春の終わりだった。
 風見山の一件から一月ほどが経ち、すでにウィリスは元気を取り戻していたが、大事を取ってゼルダ婆はもう一月ほど出立を延ばし、しばらく、尾根の狼煙台と往復するようにいった。
 最初は尾根を上がる途中で息が切れた。
 坂の途中でへたり込んでいると、メイアが上がってきた。
「婆が見て来いって言ったのよ」
 メイアは笑いながら、汁気のたっぷりした果実を差し出した。茜色の皮をむいて、少し酸っぱい汁と身をすする。ほんのりした甘みとすっぱさが口一杯に広がった。
「おいしいね」
 メイアの言葉にうなずき、ウィリスは立ち上がった。
「行こう、狼煙台で少し練習があるんだ」
 風にウィリスの歌が響く。
 冬翼様へ捧げる祝詞に節をつけたものだ。
 狼煙台の脇にある、ちょっとした広場でウィリスは、祝詞を謡いながら、舞う。
「ありがとう、と言ってなかったような気がするんだ」
 ウィリスはメイアを振り返る。
「ありがとう?」
 狼煙台の隅に腰掛けて、舞いを見ていたメイアは小首を傾げる。
「誰に? ウィリス」
「君に、だよ」とウィリス。
「あのとき、迎えに来てくれてありがとう」
「ううん」
 メイアは軽く首を振って、狼煙台から地面に飛び降りる。
「私も婆も気づいただけ。
 あなたを助けたのは彼ら」
 両手を上に向けて見上げる。
 その上空、風の中にはいつの間にか、半透明の雪狼が舞うように飛び交っていた。
「あなたの舞いと歌が届いたのね。
 あなたのありがとう、が」
「うん」
 ウィリスはうなずく。
 そして、舞いをやめて、メイアのほうに1歩踏み出す。
「雪狼にも、ネージャ様にも、感謝している。
 ありがとう、雪狼たち。
 ありがとうございます、ネージャ様」
 もう1歩。
「でもね、メイア。
 僕は、君に言いたいんだよ。ありがとうってね」
「ウィリス」
 メイアは少年の顔を見つめた。
 いつの間にか、少しだけしっかりしたような気がする。彼の父ジードに似てきたかもしれない。
 ウィリスは正面からメイアを見つめた。
「ありがとう」
 狼煙台からは、グリスン谷が見下ろせる。
 細い谷川に沿って広がる小さな谷だ。
 丘の上に広がる畑。林檎林や小さな牧場、川にかかる水車小屋。

「また、修行の旅に出るの?」
「うん、今度は少し長くなる」
「どのくらい?」
「たぶん秋の半ばまで。
 婆は冬翼様のお迎えまでには戻れと」
「寂しいね」
「寂しいね」
「……」

 
 夏のはじめ、ウィリスはグレイドルへ旅立った。

 

22】弔いの声

 
僕は見える。彼らを。

 
 ウィリス11歳の夏。

 グリスン谷を旅立った婆とウィリスは、砂の川原に至り、ミネアス様の館に立ち寄った。グレイドルへの修行の旅に出るための挨拶である。
「グリスン谷の祭祀介添え役、ゼルダ。
 当代お迎え役ウィリスの修行付き添いにて、王都グレイドルへ向かいまする」
 婆が口上を述べる。
 村の守護神、雪狼の姫ネージャのお墨付きを得たウィリスはすでに、当代のお迎え役である。先代のゼルダはその後見人たる祭祀介添え役となっている。
「お役目ご苦労。
 砂の川原代官、ミネアスの名において、グリスン谷御当代を歓迎する」
 ミネアスはいかめしい顔でそう答えた後、やや青ざめた顔で微笑んだ。
「館の一室を用意したゆえ、くつろぐがよい。
 それから、風見山の一件では息子が世話になった」
 風見山の麓で水の騎士によって殺されたカルシアスは、ミネアス様のご嫡男である。
「ウィリス。幼少の身で苦労したな。
 もし、良ければ、息子の末期のこと、語ってはくれぬか?」
 そこで、ミネアス様は横に控える奥方とご家族に目を向けた。
 上品な奥方は、もはや30を越えられておられるであろうか、その横にはカルシアスさまによく似られた若き騎士が2名と御令嬢が付き添っておられる。若き 騎士は二人とも成人されておられたが、おそらく18歳にもなっておられぬだろう。ご令嬢はウィリスと変わらぬ年である。そして、周囲にはカルシアスさまが 率いていたのと同じ赤揃えの兵士たちが集っていた。ゾークたちの同僚であろう。
「さあ、ウェリス」と婆はうながした。

 二人とも、このことは予期していた。

 ジードが戻り、ウィリスが言葉を取り戻した数日後、婆はウィリスに言った。
「生き残った者には義務がある。
 死者のことを家族に伝えるのだ」
 そこでじっとウィリスの目を見た。
「幼いお前には酷なことかも知れぬ。
 だが、お前は御当代であり、ネージャ様の御加護で生き残った。
 その感謝を形にするのだ。
 お前が語る言葉で、死者の魂は弔われる」

 最初に、婆の薬草小屋を訪れたのは、ダーシュの母親エナだった。

 息子の死に様を聞きたいと言って涙を流した。
「僕はダーシュの横にいました」
 ウィリスはゆっくりと言った。
 水の騎士と水魔の襲撃を話した。話しながら、ダーシュが水の騎士に殺された瞬間を思い出して声が詰まった。エナは涙に咽びながら、ウィリスの体を抱いた。
「ありがとう、ありがとう」
 エナは繰り返した。
 泣きながら、嗚咽を漏らしながら。
 エナが帰った後、ウィリスは婆を振り返った。
「見えました」
 婆がうなずいた。
「あそこに」
 指差すのは薬草小屋の隅。
 ウィリスとエナが泣きながら、ダーシュの話をしている間中、小屋の隅、暗く光の届かぬあたりにずっとひとつの影が座っていた。
 悪しきものではない。
 そう感じた。
 その影がウィリスに色々な言葉を促した。
 おぼろげであった出仕の軍行の様子が細かに思い出された。ダーシュがどんな様子で旅先で野営したか、初めての軍行で苦労したか、あるいは、カルシアス様と赤揃えたちがダーシュに剣を教えようとした様子。
 エナが薬草小屋を去った時、影はもう消えていた。
「それがお前のお役目なのじゃよ」

 数日後、水車小屋のヤンの妻キアラがやってきた。残された6歳の息子がついてきた。
 彼らもまた、一家の主の死を聞きたがった。
「ヤンは僕を助けてくれた」
 ウィリスの言葉にキアラは泣いた。息子は涙目でじっと母親とウィリスを見つめていた。
 ヤンの死に触れた時、ウィリスも声に詰まった。キアラもまた、ウィリスを抱きしめた。息子も一緒に抱いた。

 それから、何度か日を置いて、村人たちがウィリスを見舞い、死んだ息子や父、兄弟の話を聞いていった。百人ばかりの小さな村だ。村人の半分以上が死んだ者の血族である。
 彼らが訪れるたびに、薬草小屋の隅に影が集い、物語が終わるたびに消えていった。
「それは風見山の麓でありました」
 ミネアス様の前で、ウィリスはとつとつと話を始めた。

 部屋の隅に集った影がひとつひとつ消えていくのには、夜遅くまでかかった。

 

 

23】ヴェイルゲン

 
 崇めよ、冬の風を。
 讃えよ、果て無き眠りを。

 
 砂の川原から、バッスル侯国の首都グレイドルへ向かうには三つの尾根を越えなければならない。徒歩では半月近い行程である。
 一つ目の尾根を越えた先は、グリスン谷と変わらぬ小さな村しかない山間の土地だった。砂の川原へ続く分だけ、道行きは盛んで、一日に2、3度、騎馬の商隊とすれ違った。それぞれの村は砂の川原と同じく、プラージュの神々を崇め、グリスン谷の《冬翼様》とは類縁にあったので、夜は村の祠に泊めてもらった。
「こちらが、当代お迎え役でござるか?」
 いずれの村でも、司祭がウィリスと婆を丁寧に迎えてくれた。
 わずか11歳の少年を下にもおかぬ歓待であった。

 
「お迎え役にして、獣の王たるウィリス殿。
 御身の件はすでに我らプラージュの神殿には伝わっております」
 砂の川原にあるプラージュの神殿によった際も、神殿長がそう言った。
「あの日、雪狼たちが伝えてきた。
 獣の王が生まれ、風見山は永遠の冬の領土となったと」
 神殿長はウィリスの前に跪いた。
「神殿長、辞めて下さい」
 ウィリスはかつての恩師に駆け寄ろうとして、婆に止められた。
「これが汝の定めじゃ、ウィリス」
 それから、婆は神殿長に向かい、膝を屈する。
「歓迎痛み入ります。
 我ら、これより『冬の祠』にて修行を致しますが、当代はまだ若年の身、よろしくお願いいたします」

 
 雪狼たちの言葉はプラージュの社を司る司祭たちに伝えられていた。
 彼らは歓待をしつつも、心配げに問いかける。
「永遠の冬とはいかなるものでありましょうや?」
 しかし、いまだ、ウィリスに答えはない。
 確かに、風見山は夏に至る今も雪に覆われた冬の山になった。それは雪狼の姫ネージャの領地になったのであるからしかたないことである。冬の魔が住まう場所はそうなるものだ。バッスルの北、アヴァターの高き砦にも冬の力が封じられ、夏でも解けぬ雪原が広がると言う。

 
 二つ目の尾根を越えるとずいぶん雰囲気が変わってきた。
 広い谷が広がり、その中央には街道を押さえるように城壁を持つ街があった。高い塔の上には弓兵が立ち、旗が翻っていた。バッスルの宝玉の旗に加え、龍の旗が翻る。
 ヴェイルゲンである。
「ここからは、ネージャ様の地ではない。プラージュの地でもない。
 冬の頭領ル・ウールと、ライエルの地だ」
 ル・ウールはバッスル本国で崇拝される冬の神である。《冬翼様》の社では、ネージャ様の叔父御となっているが、血縁はないとも言う。それでも、《冬翼様》とはご縁があり、代々の当代はバッスルの都グレイドルで、仕上げの修行を行うことになっている。ライエルは田畑の神々で、狩人や杣の少ないあたりで信じられているという。

 
 城に近づいていくと、開かれていた城門から、異様な影が二つ飛び出した。
 馬ではない。
 馬よりもさらに大きい。
 鱗に包まれ、巨大な顎を持った銀と灰色の巨大なトカゲといえなくもないそれは2本足で立ち、まるで鶏か何かのような感じで素早く走ってきた。
「婆!」
 ウィリスは思わず、婆にすがった。
「ヴェイルゲンの龍騎士じゃ」
 ウィリスも話だけは聞いたことがある。ヴェイルゲンには遥か南方、龍の都スイネから、やってきた小型の龍に乗る騎士たちがいるという。バッスル西方を守る軍事拠点である。先日の騒ぎで出仕した父ジードはここに通じる二つ目の尾根まで来たそうだが、ヴェイルゲンの谷には入らなかったという。
 確かにその背中には銀の鎧をまとった騎士が乗っている。槍を片手に、もう片方で巧みに龍を操っている。龍の鱗は灰色で、そこに銀飾りのついた皮の装具が着けられている。龍の頭部に見える赤い羽根ははみについた羽飾りだ。
 龍に乗った騎士たちは、ウィリスらの1歩手前で止まり、槍の石突きで街道をカチンと打った。
「グリスン谷のお迎え役ウィリス殿と、介添え役ゼルダ殿であられるな」

 

24】黒と白

 
 理性とは、論理ではない。
 最適を求める本能である。

 
「グリスン谷のお迎え役ウィリス殿と、介添え役ゼルダ殿であられるな」
 ヴェイルゲンの龍騎士は、面頬を上げ、荒々しい微笑みを見せた。
「我が主がお待ちです」

 
 龍に付き添われて歩くというのは不思議なものである。
 騎龍は、巨大なトカゲのように見えて、犬に似た獣臭がする。
 肉を喰らうのであろうか?
 人の倍はありそうな頭の大部分が突き出した巨大な顎だ。
 そこには尖った牙が列をなしている。
 胸から伸びる腕は、その体と比べると、とても小さなものだが、その鉤爪は鋭い短剣のようだ。
 ふぅふぅという熱い息は、これが野獣であることを、ウィリスに突きつける。
 先ほど、一瞬、開いた様子から言って、それが暴れだしたら、ウィリスの頭など一かじりであろう。

 
(怖いか?)

 
 ウィリスの頭上で北風がささやいた。
 雪狼だ。

(弱ければ、食われる)

 雪狼の心は単純だ。
 弱い者が食われ、強い者が食う。
 だから、強くあらねばいけない。
 衰えた者が死に、若く強い者にその場所を譲る。
 若い者も、弱い者、運の無い者から脱落していく。

 
(殺すか?)

 
 そして、雪狼はウィリスを守るため、すべての敵を排除する。
 なぜならば、今や、ウィリスは獣の王なのだから。

 
「大丈夫」
 ウィリスは自分に言い聞かすように呟いた。
 強くあらねばならない、と、婆に言われた。
「お前の声は、姫様に届く。
 泣けば、姫様は心配しよう。
 本当に必要な時まで、怖れる声を上げてはならない」
 婆の言葉を守り、ウィリスは怖い気持ちを抑えた。

 
 少しおちついて見ると、騎龍は美しい生き物であった。よく磨かれた緑と茶の鱗は、虹色に光り、巨大な目玉も水晶のようである。尾は太く、うねるように後方にたなびく。地面には落ちない。それが妙に優雅にも見えた。

 
 龍騎士に先導され、城の内に入ると、そこはしっかりした石作りの壁が続く堅固な要塞である。ヴェイルゲンの作法なのか、それぞれの窓は小さく、また、鉄格子がしっかりと嵌められている。
 中央の城館の前で、龍騎士たちは石造りの厩に消え、衛兵たちが案内して、城館の中へと導かれた。
 着いたのは、広間である。
 奥の玉座には、この地の領主とおぼしき、壮年の貴族が座している。
「カイル・ヴェイルゲンである。
 この地を拝領し、ヴェイルゲン騎士団の団長を勤めておる。
 グリスン谷の当代お迎え役であるな?」
 男の声は鋭く、響き渡った。
「は、ウィリスにございます」
 ウィリスと婆はその場に伏せた。
「急がせて済まぬ。
 到着次第、お前の顔を見ねば、落ち着かぬと申す者がおってな」
 その声に応じて、横に控えていたローブ姿の男が二人立ち上がった。一人は、禿頭ながら、黒々とした髭を蓄えた男である。胸には、黒い剣のように見える襟留めが輝いている。おそらくは黒剣の星座の印。生命と始まりの秩序を司る。
 もう一人はさらに異様だ。
 髪も肌も唇さえも死人のように青白い上に、その目のあたりは木で作られた仮面に覆われている。仮面は横長の楕円形で、両目を結ぶあたりに、一本の細い筋が引かれている。その胸の襟飾りは、白銀の翼。あれは翼人の紋章だ。死という名を持つ、終わりの秩序を表す。

 
(魔道師)

 
 ウィリスはぞくっとした。
 婆から話だけは聞いていた。
 世界の中心で、魔法を学ぶ学校がある。魔道師学院である。世界の叡智を集めたその山の奥で長き研鑽を終えた者だけが魔道師の名を名乗ることができる。それはおそるべき力の使い手であるという。

 
「しかし」とゼルダ婆は、旅の途中で言った。
「あれらはあまりにも遠い世界で戦っておる。我らとは違う生き物じゃ。
 グリスン谷のような小さな谷間のことなど、あれらには関わりはない。
 あれの敵は天地そのものなのじゃ」

 
 魔道師は、この世界の魔法と同じく、12とひとつの星座に属するという。
 禿頭の男はおそらく、生命を支配する黒剣の魔道師、仮面の男は死を司る翼人の魔道師であろう。
 そして、その二人は無言で、ウィリスの顔をじっと見た。
 ウィリスは背筋が凍った。

 
 冷たい視線。

 
 北風や雪とは違う冷たさがそこには宿っていた。
 禿頭の男の目には、人としての感情が欠けていた。まるで、魚か虫でも見るかのような視線だ。
 仮面の男は目こそ見えなかったが、その視線もまた別の冷たさが宿っていた。まるで、口から体の中に忍び込み、心臓を凍えさせてしまいそうな冷たさ。仮面をかけていてなお、この鋭さを持つというならば、仮面を取った瞳など、直視しただけで死んでしまいそうだ。
 冷たい視線はそのまま、ウィリスを貫き、その背後へと貫こうとする。

 
(殺すか?)

 
 雪狼の声がすぐ耳元で響いた。
 何か、答えようとした瞬間、婆がウィリスの前に出た。射るような視線が途切れた。
「お久しぶり、ディルス殿」と婆。
「当代はまだ11歳。修行中の身でございます」
「ああ、失礼」と禿頭の男が詫び、視線は消え去った。
「つい、おとなげのないことをしてしまった。
 さすが、グリスン谷の当代様である。優れた資質をお持ちだ」
 そこで、禿頭の男が微笑む。
「グリスン谷のお迎え役殿。我が名はディルス。黒き剣に仕える者。
 お会いできたことを感謝します」
 そして、仮面の男が静かに頭を下げる。
「バスカレイドです。学院より参りました」
 そこで、婆がぴくりとした。
「お久しぶりにございます、ゼルダ老師」

 
25】バスカレイド

 
 世の中に、真実など無い。
 誰かが目撃しない限り、それは起こっていない。
 しかし、我らは見る。

 
 ウィリス11歳の夏。それはヴェイルゲン騎士団の城塞で試練の時を迎えていた。
 ヴェイルゲン候の宮廷でウィリスと婆を迎えたのは、二人の魔道師。禿頭髭面の男は黒剣の魔道師ディルス、白色で仮面の男は翼人の魔道師バスカレイド。

  仮面の男が静かに頭を下げる。
「バスカレイドです。学院より参りました」
 そこで、婆がぴくりとした。
「お久しぶりにございます、ゼルダ老師」
「ラーン・カイル殿は御息災か?」と婆は堂々と答える。
 ラーン・カイルは、《死の王》とも呼ばれる学院の大立者である。かつて、翼人座の塔の長であったが、今は引退し、北原の戦乱を収めるべく外交使節として活躍している。
 辺境の守護者とはいえ、バッスルとスイネの双方に通じるヴェイルゲン卿は、その名の重みを感じ取っていた。
 むしろ、その会話を理解していなかったのは、ウィリス自身であった。
「は」とバスカレイドが膝を折る。
「辞めておくれ」と婆が歩み寄って、魔道師を立たせる。
「学院の魔道師が、田舎の司祭などに頭を下げるものではない」
「しかし」とバスカレイドが言う。「いえ、差し出がましいことでした」

 
 その後、ヴェイルゲン卿は、風見山の一件に関して問いただしたが、その舌鋒ははなはだゆるやかなものであった。話の大半を婆がしても、ウィリスに話を振ることはなかった。
 そして、最後に、ヴェイルゲン卿が仮面の魔道師に向かって聞いた。
「得心行かれたか?」
 仮面の魔道師は無言でうなずいた。

 
 一刻の後。

 
 城内の一室に休息の場を与えられたウィリスと婆の前に、再び、黒と白の魔道師がいた。
「さて、どちらから、話を聞いたものかな?」
と、婆が言うと、禿頭のディルスが手を振って、バスカレイドを促す。
「学院の意向を、お先に」
「私は学院の使者ではございませぬ。ラーン・カイル師の命に従い、バッスルの安定を担当するのみ」
 その言葉には虚飾も自負もない。
(まるで人形のようだ)
と、ウィリスは感じた。
 ぞくぞくした。
 この人は本当に、人だろうか?

 
「学院は風見山の一件を知っておりますが、15人委員会はこれを重視してはおりません。なぜならば」と、魔道師はウィリスを見る。
 その瞬間、視線がずいぶん優しくなったように感じた。
「彼らは、この少年が《獣の王》とは認めておりません」

 
 ウィリスは驚いた。
 いや、話の流れが分からなかった。
 なぜ、《冬翼様》やネージャ様が選ばれたことに、魔道師学院が口を出し、認める、認めない、の話になるのだろうか?

 
「学院など関係ない」と婆。
 それから、婆はウィリスを振り返った。
「お前にも、そろそろ話しておかねばならぬようじゃな。
 《予言》のことを」
「予言?」
9528年 白の風虎  獣の王、西に至り、冬を解き放つ」
と、バスカレイドが唱える。
「これが予言だ」

 今年は9825年、青の海王。白の風虎とは3年後である。
14の年」と婆が言う。「お前は西に向かい、冬を解き放つ。
 それが予言だ。だが、いまだ、お前と予言の中の《獣の王》が同一であるかどうか定まってはおらぬ。他にも、《獣の王》と呼ばれるだろう男が何人も北原をさ迷っておる」
 そこで、婆はディルスのほうを見る。
「その一人が俺だ」と、ディルスが微笑む。
「獣師、と言っても坊主には分かるまい。魔獣の創造者、怪物の王」

 次の瞬間、4人の前に一匹の黒猫が現れた。

 漆黒の黒猫。
 ただ、その尾はふさふさした毛ではなく、おぞましい鱗に覆われた毒蛇であった。
「ディルス、格好をつけるな」と黒猫が嗄れ声で笑う。
「所詮は学院につかまった籠の鳥。この地で、龍の品種改良をするだけ」
 そこで黒猫はウィリスのほうを向いた。猫の首がしゅるるると伸びていく。
 ウィリスはわっと、後退した。
 その様子を見て、くすくす笑いながら、黒猫の魔獣はディルスを振り返る。
「ああ、いい素材じゃないか?
 これなら、ご主人様もお喜びになるな」
「その許可は出ない」と、バスカレイド。「おそらく永遠に」

 
「それで、ラーン・カイル殿の目論見は?」
 婆の問いかけに対して、仮面の魔道師は微笑んだ。
「ウィリス殿がすこやかに修行期間を終え、一人前の《お迎え役》となられることを祈っております。《冬翼様》の心を安んじ、炎と氷の周期を崩されぬことを。
 学院はすでに、東方と北原だけで十分に多忙ですから」

 

26】三人の魔道師

 
 声が聞こえる。闇の向こうから。

 
 ウィリス11歳の夏。それはヴェイルゲン騎士団の城塞で試練の時を迎えていた。
 ヴェイルゲン候の宮廷でウィリスと婆を迎えたのは、二人の魔道師。禿頭髭面の男は黒剣の魔道師にして魔獣製作者ディルス、白色で仮面の男は翼人の魔道師にして死の王ラーン・カイルの使い、バスカレイド。
 バスカレイドの話はまだ続く。

 
「何も求めぬ割には仰々しい出迎えではないか、バスカレイド」と婆。「バッスル侯国西方防衛の要たるヴェイルゲン城にて、二人の魔道師に迎えられたと言えば、ウィリスに注目する者もおろう。あのヴェイルゲン卿とて馬鹿ではあるまい」
「で、あれば、私も助かります」
 バスカレイドはそこで顔をディルスに向ける。
「獣師殿は、この構図、どう見られる?」

 
「天秤の平衡」

 
 ディルスは間を置かずに答えた。
 その答えに、婆は肩をすくめる。
「反対側には何が乗っておる?」
と、仮面の魔道師を振り返る。
「次なる時代が」
 バスカレイドはさらりと答える。
「大仰な話だな」と婆。

 
 しばらくして、婆はウィリスを振り返った。

 
「ウィリスよ、お前は非常に幸運じゃ。
 ここには世界の叡智を極めた魔道師学院の魔道師が二人もいる」と婆。
「三人では?」と、黒猫が言う。
「お前も数えて欲しいのか? もはや、人でもなかろうに」と婆。
「まったくだ」と、猫は婆の膝に飛び乗り、丸くなる。
「一人は、」と婆はバスカレイドを指差す。「世の理を極め、北原の各地を旅した学院の使徒。翼人ゆえ生命にも死にも通じておる。わしらが知らぬ世界を幾つも覗いている」
 バスカレイドは軽く会釈しただけで何も言わなかった。
「もう一人は、」と婆はディルスを指差す。「生命の理を突き詰めたゆえに、闇を知る者。この二人で分からぬことなどない」と婆。「何か聞きたいことがあったら、言ってみるとよい」
 ウィリスは一瞬、悩んだ後で、聞いた。


「冬はなぜ寒いの?」

 
 他にも聞きたいことがなかった訳ではない。さきほどから婆と二人の魔道師が交わしていた難しい会話の意味を聞きたかった。いや、黒猫の話、龍の話、あるいは、婆とバスカレイドの関係など聞きたいことはいくらでもあった。
 だが、それらは聞いてはいけないような気がした。
 婆が言わないことには意味がある。
 ウィリスにとって、まだ早いことはそう言って教えてくれないが、必要な時には婆が話してくれる。
 だから、直接、関係ないおぼろげな疑問を口にした。

 
「世界の根源に関する質問をするか?」とディルスが独り言のように漏らす。「ここは、バスカレイド殿、お得意の分野では?」

 
「魔道師学院においても、議論が残っている問題だ。学院における仮説はいくつかある」とバスカレイドが口を開く。「戦車座と風虎座の魔力の変動周期であるとか、我々の住む世界と、太陽の位置関係によって決まるというものだが、君ならば、もっと正しい答えを知っているはず」
「冬翼様?」とウィリス。
「かつて、星の神々は、魔族を封じるにあたり、いくつかの強き力の者を、世界そのものに封じた。君が《冬翼様》と呼ぶ存在はその一人である。《冬翼様》はこの世界の温度を調整するために、存在する。世界が燃え尽きぬように、世界が冷え過ぎぬように、空の道を旅するという。
 つまり、君の仕事は、世界にとってとても重要だということだ」

 
 会話はそこで途切れた。

 
  ゆるやかな沈黙の中、外では日が傾き、空はゆっくりと茜色に染まっていく。
「かつて」と、バスカレイドは言った。「あるお方が私に問われました。
 『何故、夕陽は赤いのか?』と。」
 ウィリスには仮面の魔道師がどうして、そのような話を始めたのか、分からなかった。少しだけ懐かしがるような優しさがその口調にはあった。
「私は、今と同様に、学院の仮説を説明しました。
 そうしたところ、彼はこう言われました。
 『さすがに、魔道師学院の回答は面白くないな』と」
 バスカレイドの口調は淡々としたものであったが、ディルスはかすかに笑い声をもらした。どうやら、彼には思い当たる場所があるようだ。

 
「それで、どう答えたのだ、貴殿は?」とディルス。
「私はこう答えました。
 『面白味のあるお答えが必要ならば、吟遊詩人にでもお聞きなされよ』と」
 淡々とした口調だった。

 
「それは、おぬしの記憶か?」と婆が聞いた。
「ええ」とバスカレイドは即答した。
「ならばよい」と婆。「それならば」

 

27】記憶の厚み

 

 自分が誰であるかなど、どうやったら確認できるというのだ。
 過ごした日々の厚み以外に、何がそれを証明してくれるというのか?

 
 ウィリス11歳の夏。
 ヴェイルゲン城で出迎えてくれた魔道師のひとり、仮面のバスカレイドは、婆から意味深な言葉を投げかけられた。

 
「それは、おぬしの記憶か?」と婆が聞いた。
「ええ」とバスカレイドは即答した。
「ならばよい」と婆。「それならば」
「記憶とは」とバスカレイドは返した。「とても曖昧なものです。
 人間が把握している情報というのであれば、それは非常に広範囲のもので、しばしば恣意的に加工されます。我々魔道師は、幻視によって多くの情報を得ますので、私の記憶の中には、幻視を通して体験した他者の人生が混じっています。
 それでも」
 バスカレイドは微笑む。
「夕焼けについて、問われたのは私の記憶です」
 婆は何も言わなかった。

 
 やがて、夜になり、二人の魔道師は去っていった。

 
「あれは一体、どういう話だったのですか?」
 ウィリスは婆に聞いた。昼間の魔道師たちとの会話についてのことだ。
「分かったか?」
「ううん、全然」
 ウィリスには何も分からない。
「彼らの会話には真実など無い」と婆が言う。
「現れたことだけに意味がある」
 ウィリスはますます、混乱した。
「お前は、これで魔道師たちを得体の知れない何かだと思うだろう。魔道師の言葉に惑わされてはならない。あれらの言葉には棘と毒が潜んでいる。
 触れる時には気をつけることだ」
「分かった……婆」
 ウィリスは不安だった。
 そこで婆はウィリスをぎゅっと抱きしめた。
「魔道師は、人の心に罠を仕掛ける。
 だが、お前がここまで育ってきたグリスン谷を忘れるな。
 何かあったら、谷のことを思い出せ」
 ウィリスの脳裏にグリスン谷の風景が浮かんだ。
 父、母、婆、メイア……。
 そして、空高く飛ぶ《冬翼様》。
 ネージャ様と雪狼たち。
「言葉に惑わされそうになったら、風に耳を澄ますのだ。
  お前には雪狼がついている。
 焦って、走り出すな。
 冬の力は常にお前の回りにある」
 答えるように、窓の外で風がうなりを上げた。

 

 

28】辻馬車

 
 出会いは偶然。

 
 ウィリス11歳の夏。
 ヴェイルゲン城での滞在は一夜で終わった。騎士団長はあっさりと出立を許し、ウィリスと婆は翌朝、城を辞した。
 騎士団長はグレイドルまでの辻馬車を世話してくれた。

 
「わしらには足があるというに」
 婆はそう言いながらも、城下の馬車宿へと向かった。
「これも、政治ですよ」
 見送りについてきたバスカレイドがそう言う。
「学院と良好な関係あり、とあれば、便宜を図る者も現れます。
 あなたがたには全く関係ないところで恩恵が乗じる。
 それでよろしいではありませぬか?」
「関係ない場所で悪意も生じる」と婆が切り返す。
「おぬしがどこかで拾ってきた憎悪をこちらに向けられてはたまらぬ」
「波は遥か大海の対岸から寄せてくるもの。
 風は遥か彼方より吹き寄せるもの。
 波風を怨んでもしかたありませぬ」
 婆はもはや言い返しもしなかった。
「いずれにせよ、馬車はありがたい。
 この子は馬車で旅するのも初めてじゃ」
 ウィリスは辻馬車で旅するのは初めてだった。
「騎士団長閣下に礼を言っておいてくれ」

 
 辻馬車は宿屋の中庭に止まっていた。
  6頭の馬をつないだ後ろに、大きな箱型の客席がつながれている。六つの車輪を備えた大型の客席だった。
「騎士団長のお客だ」
 バスカレイドの声に、車輪の様子を見ていた御者が両手を開いて迎えた。
「さあ、乗ってくれ。他の客ももう乗っている」
 客車は腰ほども高い。
 梯子を登るように入り込んだ客席は、向かい合わせの座席が設えられていて、すでに数名の客が詰め込まれていた。商人らしい夫婦、役人らしい二人の男、別に、若い男がひとり、そして、黒いローブに身を包んだ禿頭で髭面の男。
「ディルスではないか?」
 婆の声に、黒剣の魔道師は片手を上げて挨拶した。
 朝から姿を見ないと、思ったら、辻馬車に先回りしていたようだ。
「俺のような職業は色々荷物が多い。ゆえに今朝は失礼した」

 
婆とウィリスがディルスの横に座り込むと、馬車はさっそく走り出した。

 
「紹介しておこう」とディルスが調子よく話し始める。「城下の商人ポンティ殿とその奥方サフィ殿。薬種問屋だ」
 ポンティは30がらみの太った男で、ずいぶんと景気がよさそうだった。ヴェイルゲン騎士団付きの魔道師として、城内では有名なディルスは、薬種問屋のポンティとはずいぶん親しい間柄のようだ。ポンティは、婆がグリスン谷の司祭格と知ると、会釈を返して来た。
「あのあたりはいい薬草が取れますなあ。いずれ、伺おうと思っておりました」
10年ばかり前に」と婆。「お父上が一度、おいでになられましたな」
「おお、そうでしたか」
 妻のサフィは若く控えめで微笑み返してきただけだった。

 
「書記官のフェリクス氏と財務官のケイディ氏。侯国の各地を巡察しておられる」
 フェリクスは痩せて背が高く、ケイディは背が低く、猫背だった。
「グリスン谷は数年前にうかがいました」とフェリクス。
「よい谷ですね」とケイディ。
 二人とも人当たりのよさそうな笑顔を浮かべた。

 
「そして、ダナの丘のラゼ。ウィリスと同じく《冬の祠》で修行されるそうだ」
 若い男は緊張した面持ちで、深い礼を返してきた。
「グリスン谷に、獣の王が生まれたとのこと、聞き及んでおります。
 同乗できますことを感謝いたします」
 過剰に丁寧な挨拶であった。
 慇懃無礼という訳でなく、緊張したためであった。
「お気楽になされよ」と婆。
「当代のウィリスはまだ11歳と若輩者、修行中の身にございます。
 兄弟子として、ご指導いただければ幸いです」
「よろしくお願いします」とウィリス。
 しかし、ラゼの緊張は解けない。
「いや、しかし、ウィリス殿は……」
 司祭修行中の青年にとって、すでに、雪狼の姫から認められた少年は生き神にも等しいようだ。

 
「はあ、人間は大変だねえ」
 ディルスの懐から、黒猫が顔を出した。
 ラゼがびっくりし、サフィが口を覆う。二人の役人とポンティはすでに知っていたのか、驚いた様子はなかった。
「こら、シアン」
 ディルスが軽くたしなめるが、猫はそのまま、懐から飛び出して、婆の膝に飛び乗り、丸くなる。
「ああ、私はシアン。このディルスの使い魔ね」
 それから、猫はラゼのほうを見て笑った。
「ねんねのウィリスぐらいで驚いていちゃダメよ。
 あんただって、結構、才能ありそうじゃない?」

 

 

29】準備

 他人という鏡は己の性根を映す。
 微笑めば、美しく、憎めば、おぞましく。

 

 ウィリス11歳の夏。

 グレイドルまでの辻馬車の中で、一人の青年に出会う。
 その名前はラゼ。ダナの丘からやってきて、ウィリスと同じ《冬の祠》で修行する予定の青年だ。

 
「さ、才能ですか?」
 黒猫に名指しされたラゼは緊張を隠せないまま、言った。
「い、いえ、すでに《冬翼様》に見出されたウィリス様の前でそんな」
 すでに、ウィリスの噂は、冬の祠の司祭たちには広がっているようだ。どうしようもない。
「どうやら、騎士団長殿はずいぶん親切なお方のようだ」と婆が言った。「同じ辻馬車に《冬の祠》の先達がいるとは僥倖。この機会にぜひ、神殿のしきたり、言葉使いなどについて教えを乞えばよい、ウィリス」
 婆はゆったりと微笑んだ。

 
 戸惑うウィリスに向かって、魔道師がささやく。
「世の中に偶然など、ありはしないのですよ」

 
 ウィリスにもやっと分かった。
 この辻馬車そのものもまた、誰かの仕掛けなのだ。誰かがウィリスにさまざまなことを教え込もうとして、この人々を同じ辻馬車に乗せた。

 
 誰が?

 
 ウィリスに思いつくのは、ディルスとバスカレイドを派遣した魔道師学院か、あるいは、騎士団長ぐらいしかない。おそらく学院。仮面の魔道師バスカレイドはその仕掛けを用意するためにヴェイルゲンに現れ、ディルスに同伴を命じたのだろう。
 ウィリスは不安になったが、婆は微笑んでいる。婆の顔には「もらえるものはもらっておけ」と言わんばかりの微笑が浮かんでいる。

 
(恐れるのは弱いからだ)

 
 雪狼の声がかすかにささやく。
 冬の獣たちの考え方は単純だ。戦い、喰らい、殺す。その前提で他の存在を見る。今、戦う敵かどうか? 今、殺して喰らうべき餌かどうか? 

 
 ウィリスは信じることにした。
 ラゼもディルスもポンティ夫妻も二人の役人も、嘘を伝えに来たのではない。《獣の王》が、侯王の都に入る前に学ぶべき機会を与えにきたのだ。
 これも修行であり、婆はそのためにグレイドルへとウィリスを連れていくのだ。

 
 辻馬車の中は旅の間中、再び修行場となった。
 ラゼには、《冬の祠》のしきたりを習った。《冬翼様》は、《冬の統領ル・ウール》にとって、大叔父のような存在である。敬意を持って受け入れられている。グレイドルに直接、加護を与えている《ル・ウール》の神殿は、巫女姫によって運営されている。これを冬の巫女という。
 冬の巫女の中でも、もっとも格の高い者は、神殿長ではなく、冬の統領の荒々しい心を慰める《冬の花嫁》である。冬の巫女は、神の花嫁となるのだ。

 
(荒々しい心)
 ウィリスは、グリスン谷に残る神楽の一節を思い出す。
 谷ではもはや舞われぬものではあるが、その中において、ル・ウールは、冬の騎士ルーヴィディア・ウルと呼ばれる。冬の吹雪を連れて、冬の猟犬たちの先頭に立つウルは、怒りに狂って戦い続け、やがては、雪の大弓を仲間にも向けてしまう。冬の巫女姫は、それを留めようとし、矢をその胸に受けてしまう。
 愛する巫女姫の死に号泣するウルは、冬の猟犬を指揮する犬笛と、雪の大弓を冬の祠に納め、山の神になったのである。

 
「それを神殿で口にしてはなりませぬ」とラゼが言った。
「どうして?」
「それは異伝でございます」とラゼ。「《冬の祠》においては、ル・ウール様としか呼ばれませぬ。また、冬の巫女姫は死にませぬ。ル・ウール様は姫巫女への愛に目覚められ、怒りを納められたのでございます。
 違う伝承は、愚かな者たちを混乱させ、怒りを招きましょう」

 
 ウィリスは思い出した。昨年の秋、砂の川原で修行した時、若き司祭見習いが、《冬翼様》をけなし、見境のない暴力を振るった。殺されそうになった。
 生きるため、ウィリスは雪狼の声に目覚めた。

 
「ルーヴィディア・ウル」とディルスが繰り返した。「その名前は人の子そのものより古いぞ」
「手に入れた経典が古臭いだけじゃよ」
と、婆は呟く。
 グリスン谷は、それほど古い村ではない。何世代か前に、開拓民が開いた辺境の村に過ぎない。

 
 ラゼとしきたりの話をした後は、ポンティから薬草を見せてもらった。
 グリスン谷の近くでは入手できない南方の薬草、あるいは、谷で怪我を治すだけでは決して使うことのない毒草の類もあった。
「ウィリス殿もお聞きでありましょう。かのおぞましき毒使いの暗殺者、ギュラニン党のことは」
 北原には、恐ろしい暗殺者がいる。ギュラニン党と呼ばれるその殺し屋たちは、甘い匂いのする猛毒を使い、人を殺すのだという。
「これが甘き《トートの毒》でございます」
 波理の瓶を取り出し、その栓を開けた途端、甘ったるい濃厚な香りが香った。
「刃物に塗り、傷から入れば、激痛で死に至ります。
 粉末にして吹き付ければ、それを吸った者は息が詰まり、絶息するでしょう」

 
 その甘い香りは死の印であった。
 死の女神と毒の魔神を信仰するギュラニン党は、その信仰にかけて、トートの毒で殺すことを己に課しているという。何年か前、グレイドルの公子が、この毒で殺されたという。
「ゆえに、この毒について、グレイドルで語ることは避けるべきでしょう」
 ポンティは言った。

 
 フェリクスとケイディは、侯王とその家族の話をした。
 バッスル侯王ラウルには二人の公子がいた。長男のキーファンは武勇に優れ、未来の侯王として期待されていたが、毒殺されてしまった。次男のレイダム公子が後継者と定められたが、これは病弱である。ラルハース継承戦争では戦いにも出たが、やはり体が弱く、今も国を率いるのは老侯王であるという。
 そして、二人の役人は地図を広げた。
「これがヴィダルケン。もう一つ峠を越えれば、マリュアッド。
 そこから1日で、王都グレイドルです。
 我らはグレイドルで侯王様にご報告した後、北へ向かいます。
 アヴァターへ」

 

 北の果て、雪原の中に聳えるのは万年雪に覆われた高山である。
 そこは風の妖精騎士の城塞であることから、「高き砦」と呼ばれている。
 ウィリスはどこか遠くで雪狼が吠える声を聞いた。

 

 
30】冬の祠

 
 我は待つ。汝の時が至るのを。

 

 ウィリス11歳の夏。
 グレイドルまでの辻馬車でさまざまな事柄を学んだウィリスは、マリュアッドを越えて、王都グレイドルに入った。辻馬車は、《冬の祠》に近い馬車宿で一行を下した。
「3日は、侯王様の城にいます。何かあれば、私らまで」
 フェリクスとケイディ、二人の役人はそう言い残して、城へと向かっていった。
「私の店は大通りにあります」
 ポンティ夫妻もそう言って、去っていった。
 最後に残ったディルスは、黒猫の姿をした使い魔シアンを傍らに軽くお辞儀した。
「《獣の王》よ」シアンもまた同時に頭を下げる。
「いずれまた、お会いすることでしょう」

 
  ウィリスは婆、ラゼとともに、《冬の祠》に入った。
 《冬の祠》は、その名前ほど小さなものではない。バッスルの守護神となり、侯王からの寄進を受けた神殿は石造りの巨大な城門を有していた。
 3名が名乗る間もなく、若く美しい三人の巫女が城門の内側で待っていた。
「雪狼の託宣がありましたゆえ」
 三人のうち、もっとも背の高いアシャンは言った。
「《獣の王》が庇護者とともに入城するであろうと。
 そして、伴うは、丘の守護者なりと」
 アシャンの瞳がラゼに向く。
「ようやく、おいで下さいましたね、ラゼ殿」
「皆さんは何か勘違いをしております」とラゼが顔を赤らめる。「私はウィリス殿と同行したに過ぎません」
 そうやって、1歩下がったラゼに代わり、婆が前に出る。
「グリスン谷の当代『お迎え役』ウィリスと、先代のゼルダにございます。
 当代の修行のため、お世話になります」
 あわせて、ウィリスも頭を下げる。
「ようこそ、《冬の祠》へ。
 《冬の巫女》アシャンにございます。
 皆様のお世話は、こちらのキューゼとユーリアが努めます」
 背後にいた二人の巫女を指す。キューゼはややふくよかな女性で、丸っこい顔は人懐こい雰囲気であった。ユーリアはずっと幼く、ウィリスとそれほど年が離れているようには見えなかった。おそらく、アシャンとキューゼが17、8、ユーリアは12、3であろう。

 
 まず、姫巫女の筆頭であるエルナを訪ねた。
「《獣の王》よ」とエルナは呼びかけた。ウィリスの母より少し年上であろうか? おちついた雰囲気の女性であった。
「《冬の祠》は、盟友たる冬の翼のお迎え役を歓迎いたします。
 この地の修行があなた様の道の礎となりますように」
 それから、ラゼを振り返り、軽く会釈する。
「ご苦労をかけましたね」
「いえ、どうも。私は……」と、ラゼは居心地悪そうに答える。おそらく、ここまで持ち上げられるのは、普段ないことなのだろう。ウィリスも同様であった。
「まずは《祠》にて、誓願の儀を」

 
 誓願の儀は、盟友の宗派の神殿に学ぶ際に行う、一時的入信の儀式である。
 司祭、巫女として修行するということは秘儀に触れるということに他ならない。
宗派の秘儀を尊重し、その秘密を守り、祭神に忠誠を誓う。
  それが誓願の儀である。

 《冬の祠》はその名の通り、冬の神を祭った小さな祠から始まった。グレイドルの街の守護神となって、敷地が拡大してからも、最初の祠はその神殿の中央に残っている。

 なぜならば……

 
「そこは常に冬だからです」
とアシャンが言う。
 中庭を歩むうち、中央の小さな建物から冷たい風が漂ってくる。
 すでに一行の手には、白い毛皮のコートがあった。
 おそらく、祠の中ではそれをまとうことになる。  石造りの建物はまさに冷気に包まれていた。
 その表面にはかすかに霜が降り、氷がそこここに氷柱をなしていた。
「石壁には不用意に触れられぬように。
 霜焼けになりますゆえ」
とキューゼが言いながら、用意してきた手袋をウィリスに渡す。
「いえ」とウィリスは断った。
 ウィリスにとって、この冷たさは身近なものであった。 
(ようこそ、《獣の王》よ)
  中庭に入った時から、聞きなれた雪狼の声が届いていた。

(待っていた)と声は言う。(お前が来る時を千年待った)

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2006年10月28日 (土)

永遠の冬【31】待ちたる時

 融合せよ、汝の生き様を我に分け与えよ。
 ウィリス11歳の夏。
 バッスル侯国の王都グレイドルにたどり着いたウィリスとゼルダ婆、ラゼは、《冬の祠》に入った。三人の巫女、アシャン、キューゼとユーリアに導かれ、誓願の儀を行うため、神殿の中庭に残る最初の祠へ近づいたウィリスの耳に雪狼の声は響いた。

(ようこそ、《獣の王》よ。お前が来る時を千年待った)

 その声はすっと、ウィリスの中に沁み込んで来た。

 千年……。
 口にするのはたやすいが、11歳にしかならぬウィリスには想像もつかない長い年月だ。秋の空に、冬翼様の兆しを見つけてからまだ4年にしかならぬ。この一年、いや、この春以来、あまりにたくさんのことが起きて、ウィリスには去年の秋が遥か昔のように思える。

 千年……。
 ゼルダ婆ですら50年生きているかどうか?  大いなる雪狼は、その20倍もの年月をここで待ち続けたというのか?

(さらに長い年月を、我は生きてきた。
 我がここに封じられてより、何十もの世紀が過ぎた)

 ウィリスは古文書を学ぶ中で学んでいた。  遥か古い古い時代に、冬翼様やその眷属が地上に住まわれていたという。  しかし、ある時、星の女神の命によって、冬翼様は天に上がり、時を支配されるようになった。その眷属たる雪狼とその姫は、人の命の終わりを告げる番人となった。

(この日、《獣の王》たるお前がこの祠に来ることを我は祝う。
 あの谷こそ、冬の王の封領)

 雪狼の言葉とともに、ウィリスは悟った。
 グリスン谷は、かつて、その冬翼様と御眷属に捧げられた封領であった。ゆえに、お迎え役が冬翼様を迎え、ねぎらい、癒し、送り出す。そして、間もなく……。

(永遠の冬を迎えんがために、お前はここに来た)

「永遠の冬」
 ウィリスは、真っ白に染まった山々を見た。  
 雪の花が舞う北風を見た。

(お前は学ばねばならぬ。
 そして、開かねばならぬ、扉を)  

 永遠の冬に続く扉。

(お前はすでに、我が古き名を知っているであろう)  

 冬の騎士ルーヴィディア・ウル……。  
 魔道師ディルスが言っていた。
「その名前は人の子そのものより古いぞ」  
 《冬の祠》の司祭たちが呼ぶ《冬の統領ル・ウール》よりも古く、そして、忘れられた名前。
「それを神殿で口にしてはなりませぬ」とラゼが言った。
(その通り)と雪狼の声が響く。(扉を開くまでは口にしてはならぬ)   

   *

「ウィリス殿」とアシャンの声が聞こえた。  
 目を開くと、ウィリスは、巨大な神像の前に跪いていた。見上げると、弓と犬笛を持ち、雪狼を連れた狩人の神の姿がそこにあった。
「ル・ウール様は請願を受けられました」
と、姫巫女たるエルナが手の中に輝く氷柱を差し出した。やじりのように鋭い切っ先を持つ小さな氷柱。  
 キューゼが仲立ちとなり、これをウィリスの手へと渡す。
「誓願の証です。これをル・ウール様の御壇に献じるのです」  
 キューゼが言うと、ユーリアが神像の前の祭壇を指差す。そこには、幾本もの氷のやじりが並んでいる。  
 ウィリスは思い出した。  
 これは、ル・ウールの誓願の証。  《氷の祠》の秘儀に触れる者は、自らの手で触れた氷のやじりをル・ウールに捧げる。ル・ウールに叛いた時、このやじりは氷の矢となって、そのものの心臓を貫くという。  
 しかし、ウィリスは恐れを感じはしなかった。  
 もはや、古き冬の騎士は雪狼とともに、ウィリスの友であった。

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まずは再開。 少しずつ、少しずつペースを取り戻していきたいと思います。

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2006年11月 4日 (土)

永遠の冬【32】雪原

 目覚めよ、間もなく時が来る。
 継ぐべき者が来たりて。

 ウィリス11歳の夏。
 バッスル侯国の王都グレイドル、《冬の祠》での修行は誓願の儀によって始まった。

「この地は神の庭。やましき者は入るべからず。
 この地は神の庭。悪しき者は近づくべからず」

 ウィリスはただ文言を繰り返しながら、小さな香炉を掲げて中庭を歩む。歩む道は祠を七重に包む螺旋状の小道である。手にした香炉は、火のついた炭の上に、香木を載せたもので、清浄な香りの煙をたなびかせている。
  頭上から照りつける夏の陽射しにも関わらず、足元は、深雪に覆われている。最初の祠の周囲は、今もまた永遠の冬に包まれ、どうやら夜毎に雪が積もっているようだ。この中庭だけ冬のように寒いが、雪狼を友とするウィリスには心地よいぐらいである。

「この地は神の庭。やましき者は入るべからず。
 この地は神の庭。悪しき者は近づくべからず」

 言葉は香炉からたなびく紫煙に乗り、ゆるやかに雪原を漂っていく。その紫煙が風に消えていく一瞬、まるで狼のような形を取り、雪原の端へと走り出すが、中庭を巡る回廊に飛び込んだ瞬間、夏の熱風に当たって消えてしまう。
 雪の具合から見て、回廊の手前、五尺ばかりのあたりが、どうやら、冬と夏の境目となっているようだ。紫煙から生み出される雪狼の幻はそのあたりを走り抜けては消えてしまうし、回廊に達するともはや夏の熱気がそのまま伝わってくる。  
 それでも、夏の盛りに、中庭を覆う雪原はひとつの奇妙な風景といえる。たとえ、《冬の祠》と呼ばれる神殿でさえも、そうそう見られる風景ではない。

 《冬呼びの儀》。

 優れた素質や才能を持った者だけが許される修行である。
 夏の盛りに、冬の魔力を呼び起こし、中庭を雪で埋め尽くす。理不尽ともいえる要求であったが、冬の騎士、雪狼をともとするウィリスには、儀式に求められるものが見えていた。冬の騎士が眠る最初の祠の回りには12とひとつの星になぞらえた13重の魔法陣が描かれている。庭に描かれた螺旋の道はその魔法陣を抜けて、結界の中と外を結ぶ微かな線である。その上を歩み、香炉で冬の力を導いてやればいい。
 口ずさむ文言は結界を抜けるときに開く微かなほころびから邪な者を呼び込まぬための祭文である。
 この修行を命じられたウィリスは、数日かけて、ここまで雪原を広げた。中庭の半ばは雪に覆われた永遠の冬となった。毎夜のごとく新雪が降り注ぎ、ウィリスが踏み固めた螺旋の道を埋めていく。しかし、それより先はおそらく神殿の結界があるのか、一寸たりとも雪は広がっていかない。

「無理はなさっていませんか?」
 昼食を運んできたユーリアが問いかけた。世話役としてついた三人の巫女の中でも最年少の少女である。
「いえ、大丈夫です」
 ウィリスはすっと答えた。自分でも無理をしている気はない。雪狼や冬の騎士が終始、導いてくれているので、道を外れる恐れはない。 儀式を進ませない原因も分かっている。古い時代、おそらく遥かに強い神が残した12とひとつの魔法陣だ。それを相手に一寸ずつ進んでいく冬の力を導いているのだ。手間がかかるのは分かっている。
 それに、これは儀式であり、修行だ。
 いつかお迎え役として、神を迎えるための準備だと分かっているから、どこも無理はしないし、辛くもなかった。
「それに、彼らもいますから」
 ウィリスの目には雪原の上ではしゃぎまわる雪狼たちの姿が見える。本来ならば、山上で眠っているべき雪狼たちであるが、なぜかウィリスとともにここまでやってきていた。夏の熱さが苦手な彼らは、《冬呼びの儀》で積もった雪に喜んでいるのである。
「ウィリス様は本当に、冬の申し子であらせられる」
 ユーリアは微笑んだ。 まだ修行の時が短い彼女は、雪狼が常時、見えるほどではないようだが、それでも、雪原の新雪を巻き上げる風の悪戯の影に、冬の獣たちの気配を感じ取っているようだった。年上の多い神殿の中で、ユーリアは数少ない同じ年頃である。
 ウィリスは少女の笑顔に少しほっとする。
 この神殿には、多くの巫女や司祭がいたが、ユーリアら、世話役の3名をのぞいて、中庭に踏み込んでくる者は少なかった。以前、砂の川原で修行した時とはまったく逆だった。あの時はほとんど無視され、やがて、嫉妬されたが、今度は皆がウィリスの存在とその意味を知っていた。
 《獣の王》ウィリス。
  その未来に関する神託が密かに下され、姫巫女エルナの命により、神殿を上げてその修行を後押しすることが決まった、という。そして、遥か西の山中で雪狼の姫に見初められ、その力を持って、ラルハースの水の騎士率いる水魔の軍勢を滅ぼしたとも噂される。 力ある司祭や巫女の多くが、ウィリスのまとう冬の力に気づいた。
 そして、ウィリスの誓願の儀以来、冬と風を司る星座、風虎の力が神殿の中で高まりつつあった。巫女も司祭もその力を受け入れ、神に近づくためにウィリスを中心とした「永遠の冬」を受け入れるべく、それぞれの房や祭殿で祈りを続けていた。
 ゆえに、ウィリスはほとんどの時間をひとりで過ごしていたが、孤独を感じることはなかったし、嫉妬や敵意にさらされることはなかった。
 ただ、じっと堅固な魔法陣と一進一退の修行を続けていた。

「午後、グレン卿が参られます」
 ユーリアが言った。
「グレン卿?」
「マリュアッドの貴公子にございます」
 それなら、聞いたことがある。マリュアッド河周辺に住まう一族の騎士であり、バッスル侯国の精鋭部隊である。この春、討伐を指揮されたカルシアス様もまたその一員であったという。
 もしや、また、カルシアス様のお最後を語れということであろうか?

「見事な雪野原だな」
 現れた騎士は、まず、中庭を覆う深雪を見て言った。きらびやかな衣装に身を包んだ若き騎士、グレン卿はじっとその雪を見つめた。  ウィリスは祭文に区切りをつけ、螺旋の道を外れ、騎士の前に跪いた。
「グリスン谷のお迎え役、ウィリスにございます」
「いや、こちらこそ修行を邪魔して失礼」 と、グレンは優雅な礼を返した。 「楽にされよ、ウィリス殿にはカルシアスが世話になった」
「いえ」 と、ウィリスはうつむいた。
 カルシアス様には何もできなかった。あの方は水の騎士に殺された。敵はネージャ様が取ってくださったが、ウィリスに出来たことはそのお最後をご家族に語るだけだった。
「気になさるな、ウィリス殿。
 我らマリュアッドの騎士の鎧がなぜこれほど派手か知っておられるか?」
と、グレンが言った。
「いえ、知りません」
 ウィリスには、真紅の鎧がたいそう目立つということ以外、何も思いつかなかった。
「我らはバッスル軍の旗頭である。
 戦場を駆け抜け、兵を導くために、もっとも目立たねばならぬ。戦場のどこから見ても一目でマリュアッドの騎士と分からねばならぬ」
「それでは……」
 ウィリスは言いかけた。敵から狙ってくれと言うようなものではないか? 弓矢に狙われ、報奨狙いの雑兵に狙われ、果ては魔術や魔性まで狙ってくるかもしれぬ。戦場で目立つということは、命がけではないか?
「だが、我らには覚悟がある」とグレンが言う。 「バッスルのため、戦い、死ぬ覚悟だ。  カルシアスもまたその誓いを立てて真紅の鎧をまとった。宿敵ラルハースの水の騎士と戦って果てたならば、我らの定めに殉じたという証。 褒め称えん、かの勇士の魂を。 ゆえに、ウィリス殿が辛く思われることもない」
 その声は精力的で、同時に優しかった。
 やがて、騎士は立ち上がり、中庭に踏み込んだ。袖が濡れるのをいとわず、新雪をすくい上げ、ぱっと散らした。飛び散った粉雪の飛沫の中に、一瞬、雪狼の姿がちらついた。  その姿はすぐに夏の日差しの中に消えてしまったが、グレン卿はまるで魅入られたように、夏の光の中、優しく輝く雪原をじっと見つめていた。

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まずは、再開第二回。少々思いついたことがあるので、『丘の上の貴婦人』とリンクさせつつ、バッスルでの修行の日々を紹介していきます。『深淵』の小説『丘の上の貴婦人』(上下)および『火龍面舞』は絶版ですが、Amazonでユーズドが入手できる場合がありますので、興味のある方は『黒き森の祠』より関連作品のリンクを辿ってください。  
 曜日は今後、週明けとなる予定。
 少しずつ、少しずつペースを取り戻していきたいと思います。

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2006年11月16日 (木)

永遠の冬【33】それは甘き

悪しき心を抱く者はいないか?
邪なる者はいないか?

 ウィリス11歳の夏。
 バッスル侯国の王都グレイドルにて、少年はマリュアッドの騎士、グレン卿と出会った。それは《冬呼びの儀》によって、真夏の神殿の中庭に生み出された神秘の雪原の傍らであった。グレン卿はまるで魅入られたように、夏の光の中、優しく輝く雪原をじっと見つめていた。  

 ウィリスは儀式に戻った。  
 香炉を振りながら、祭文を唱え、儀式を進める。じわり、じわりと雪野原が広がっていくが、その広がる歩みは蝸牛が這うようなもので、夏の日差しが溶かすほうがよほど早そうだ。

「ウィリス様、まもなく日が暮れます」 と、世話役の巫女、キューゼが告げた。  
 見れば、日は傾き、黄昏の公女に刈り取られた空は赤く染まっている。
 夜が近づいている。
「《冬呼びの儀》に、夜の力を借りてはなりませぬ」  
 最初の日に、神殿の長である姫巫女エルナに言われた。夏の太陽と戦ってこそ、修行となるのだ。  
 ウィリスは〆の舞いに移る。

「いま、ひとときの眠りを。  
 我はまた来たらぬ。  
 さらなる夜明けのその時まで」  

 七方に足踏みしながら、香炉を振って祭文を唱える。 《冬呼びの儀》のために、呼び出した冬の魔力を穏やかな風に乗せて、四散させる。この手順を怠れば、集めた魔力は牙をむいて、ウィリスに襲いかかる。

「魔力とは」と、かつてゼルダ婆が言った。「およそ、人の子が綺麗に操れるようなものではない。そこには荒ぶる力が宿っておる。あくまでも、我らは冬翼様の御名を唱えて、それを借りているに過ぎぬ。余りたる力はきちんと天地に返さねばならぬ。さもなくば、荒ぶるまま、飢えた魔獣と化そう」  

 魔力には安らぎを与え、風に飛ばす。渦巻いていた寒風が消え、飛び去っていく。

 
 しかし、消えたはずの寒風がウィリスの回りで再度、渦巻いた。  
 雪狼が唸った。  
 一瞬、とろけるような甘い香りが鼻に届いたが、直後に、寒風に吹き飛ばされた。

「風?」
と、キューゼが忌々しげに呟いた。  
 片手には細い葦のようにも見える長い筒を持っていた。まるで今しがた、笛のように吹いていたかのような姿勢だ。 もう一度、その端を口にくわえる。筒先は真っ直ぐにウィリスのほうを向いている。  
 シュッ。  
 そこから、青白い微かな粉を伴う煙が噴出したが、それはウィリスに届く前に、雪狼の風に吹き飛ばされた。

(殺すか?)  

 雪狼が言った。  
 ウィリスにはまだ、何がなんだか分からない。 甘い匂いを、雪狼は忌まわしい呪いのように吹き飛ばした。
  この匂いには覚えがある。 最近、かいだ。えっと……。  

 ウィリスが思い出す前に、キューゼが動いた。細い筒を捨て、一足飛びにウィリスへ向かってくる。その目からは、一切の感情が消えていた。すっと後ろに回した彼女の右手が、三筋の金属の輝きを伴って振り上げられた。

「避けろ!」  

 誰かの叫びが響き、ウィリスは慌てて、雪原に転げ込んだ。  
 キューゼの右腕に装着された金属の鉤爪が雪をかき散らす。そのまま、くいっと向きを変えてウィリスの頭上を横なぎにしていく。また、甘い匂いがした。  

 そこからは一瞬だった。  

 何かが刺さる音、続いて、押し殺された鈍い悲鳴と骨を噛み潰す音が、雪野原に響き、ウィリスの目の前に、血まみれのキューゼが倒れた。  
 まるで何も見ていないような、洞穴のように黒い瞳がじっとウィリスを見つめ、唇が微かに動いたが、ひゅーひゅー言うばかりでもう声は出なかった。その首筋から赤い血がほとばしり、雪を染めていった。

「うああああ」  
 ウィリスは叫び、飛びのいた。  
 また、甘い香りが鼻をくすぐる。  これは……。

「トートの甘き毒」  

 雪を踏みしだいて、駆け寄ってきたグレン卿がそう呟くと、抜いた剣をぐいと、キューゼの胸に突き立てる。  
 首筋を雪狼に咬まれ、すでに血まみれになっていた若い巫女は、一瞬だけその瞳を見開き、そのまま雪原に伏した。  
 グレン卿は剣先で彼女を再度、突いた後も、ひどく慎重な仕草で、巫女の死体を睨んでいった。その背中には、きらびやかな短剣が突き刺さっていた。おそらくはマリュアッドを示す緋色の柄を宝石で飾った贅沢な代物だ。

「ギュラニン党か」

 
 グレン卿はいまだ甘い香りを放つ鉤爪を剣先で弾き飛ばす。  
 ギュラニン党。それは戦乱の北原で、死そのもののように恐れられる毒使いの暗殺者たちである。彼らは好んでトートの甘い毒を使う。これが体内に入れば、痙攣と激痛を伴う、恐るべき死に見舞われるという。  つまり、今、ウィリスは命を狙われたのだ。  
 少年にはやっとわかってきた。  
 最初の筒は、毒粉を吹き出し、吸い込ませる細工。雪狼の風が戻って来なければ、そのまま、毒を吸い込んで死んでいた。二度、それを防がれたキューゼは、毒のついた鉤爪で襲い掛かってきた。その三筋の鉤のいずれかが肌を傷つければ、同様に、毒が血に混じり、毒蛇に咬まれたように死ぬことになったのだ。

しかし、なぜ、キューゼが?

「ギュラニン党は、忌まわしき双子の片割れを引き受けて、暗殺者に育てる」  
 北原では、双子を忌む。地方によっては片割れを川に流したり、寺院に捨てたりするという。ギュラニン党はその捨てられた赤子を引き受け、幼少から毒使いの技を仕込むという。
「おぞましき暗殺者の中には、双子のもう片方とすりかわり、一見、普通の市民を装う者もいるという。キューゼはそうした、すりかわりの一人であったのかもしれない」  
 いつ、すりかわったかは分からない。ウィリスが神殿に来たときにはすでにそうであったのか、それとも、ここ数日のことなのか。ウィリスには一体全体、何が分からない。
「貴殿の力は、すでに恐れられているようだな」  
 グレン卿は言った。
「真夏にこの雪原を生み出せる魔力。それこそ恐るべし」  

 ウィリスは巫女の血に染まる雪原を見た。  
 夕焼けの空のごとく、赤く、そして純白の雪原。  
 それは、夏とは思えない奇異な風景だ。  
 おそらく、自分も。

-------  
 再開第三回で、いきなり風邪とか、ディスプレイ障害が重なり、木曜日になってしまいました。曜日は今後、週明けから水曜日までにしたいのですが、まずは、少しずつ、少しずつペースを取り戻していきたいと思います。  
 ま、一つずつ一つずつ。

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2006年11月21日 (火)

永遠の冬【34】国事

戦いに最善を尽くすのは当然なこと。
されど、礼節を失えば、獣と同じ。

 ウィリス11歳の夏。
 バッスル侯国の王都グレイドルにて、修行中の少年を、世話役の巫女であったはずのキューゼが襲った。甘きトートの毒は苦悶の長き死をもたらすはずであったが、雪狼の加護とマリュアッドの騎士、グレン卿のおかげで、ウィリスは生き延びた。  

 それは確かに、異形の風景であった。  
 夏の夕暮れの光にうっすらと輝く純白の雪原。いかに、《冬の統領ル・ウール》を祭神とする教団《冬の祠》の最高神殿とはいえ、非現実的な風景だ。
 その中央に、真赤な鮮血を流して倒れ伏す一人の若い巫女。  
 剣を抜いた赤揃えの騎士。  
 そして、衝撃のあまり、口も利けぬ少年。
 ウィリス。

 (……)  

 ウィリスは高らかに吠える雪狼の遠吠えを聞いた。  
 雪狼が自分を守るために、キューゼを殺したのは分かった。グレン卿が投げた短剣が、キューゼの一撃を逸らした。二人がいなければ、自分は甘いトートの毒で今頃、この雪原をのたうっていたに違いない。  

 グレイドルに向かう駅馬車の中で薬種商ポンティがいった。
「刃物に塗り、傷から入れば、激痛で死に至ります。  粉末にして吹き付ければ、それを吸った者は息が詰まり、絶息するでしょう」  
 その甘い香りは死の印。  

 しかし、なぜ?  

 目の前には、昨日まで優しい世話役であった女性が、喉笛を噛み切られ、雪原に倒れていた。
「あなたは自分の価値が分かっておられないようですな」 とグレン卿が言う。 「《雪狼の戦姫ネージャ》様の加護篤き《獣の王》とはいえ、真夏の日中に、これほどの雪原を生み出すことのできる身。おそるべき冬の力」

「で、でも……」  
 この力は、冬翼様を迎えるための力。  
 決して、村の実りを増やすものではない。
「わがバッスル侯国は隣接するラルハースと敵対しております」と、グレン卿が語りだす。「先年、宿敵ガイウス候を追放し、後を継いだジェイガン公子は我らと友好的とはいえ、国境にあるレキシア湿原を巡る戦いが解決した訳ではございません」  

 確か、湿原が凍りつく冬ごとに戦を繰り返しているという。冬ごとの戦が、バッスルを冬の神々への信仰に駆り立て、ラルハースを水魔使いの国とした。

「あなたの力であれば、一年中、湿原を凍らせておけるのではありませんか?」  
 グレン卿の声は真摯であった。  
 迫り来る夕闇の中、気品ある彼の顔にじっとりとした影が張り付いていた。

「い、いや、出来る訳……」  
 ウィリスは言いかけて、口ごもった。  
 出来るかもしれない。いや、おそらく出来る。  
 あの日、風見山の麓で呼びかけたように、ネージャ様を……。  

 ウィリスの脳裏に雪狼の遠吠えが再び上がった。  
 そして、砕け散る水の騎士の姿が浮かび上がる。

「出来るはずです」と、グレン卿が畳み込むように言った。 「風見山の一件、聞き及んでおります。《雪狼の戦姫ネージャ》様をお招きすれば、レキシア湿原もまた《永遠の冬》に飲み込まれましょう」  

 ああ、この人は知っている。
 すべてを。  
 そして、僕は……。

「だから」とグレンは言う。「誰かがあなたを恐れた。おそらく、ラルハースかどこかの誰かが。そうして、ギュラニン党に命じた。殺せと」  

 ウィリスの肩にそっとグレン卿の手が置かれた。

「ご安心なさい」  その声は優しい。 「ラウル侯王様は、まだ、あなたにそれを強制するつもりはありません。そして、狙った人物にももうすぐ伝わります。あなたを狙ったことは間違いだと」  
 間違い?  
 ウィリスにはまったく分からない。
「君が不安に思い、我らに助けを求めれば、狙いとは逆の事態になる。一度、殺せなかった上に、雪狼の戦姫の加護を知った。
 彼らとて、自分の聖域が氷漬けになるのはいやでしょう」

(その通り)と、地下の祠から《冬の騎士》の声が聞こえた。 (ネージャ様の怒り、その父君たる冬の翼たる御方の怒りに、死の貴婦人クリスケインめも気づいたはず。この冬のことを想うと、彼奴らはまさにおののくであろう)  
 遥か西方から雪狼の遠吠えがいくつも上がった。  
 ネージャ様が風見山のご領地で狩りの支度をしておられる。  

(今年の冬はさぞ厳しいことであろう)

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 とりあえず、バッスルとラルハースの戦における、ウィリスの戦略的な価値の話。魔法がリアルに存在する世界では、強力な魔族の加護を受けた者は、ある種の戦略兵器であり、まさに運命の子なのである。  しかし、下手に手を出すと、逆効果ということもある。  
 次回は、さらに、魔族の闇へ。

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2006年11月29日 (水)

永遠の冬【35】闇の声

策謀を語る者を恐れるべし。  
策謀を知ることもまた策謀の内。  

 ウィリス11歳の夏は早くも終わろうとしていた。  
 暗殺と政争、11歳の少年には重すぎる己の存在。

「僕は……」  

 途端に、眩暈がした。  
 その手の甲に一滴の真紅の血潮が飛んでいた。
 心臓が割れ鐘のような激しい鼓動を打ち始めた。  
 もしかして、毒の刃がかすっていたのか?

「おい、ウィリス!」  

 グレン卿が彼を支えようとした瞬間、黒猫が視野を横切り、ウィリスの意識は断ち切られた。

 死は正しき終わり。  
 終わりなくば、節度もまた無し。  

 誰かがささやく。  

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 夢を見た。  

 ウィリスは、果てしなく広がる雪原の中央に立っていた。  
 あたり一面、目を覆わんほどの激しい吹雪である。
 しかし、冷たくはない。  ウィリスにとって、冬は友なる地。
 雪狼の遠吠えを道連れに、永遠の冬に住まうのが、ウィリスの定め。  

 ただ、ひとり。  

 ただ、ひとり。  

----  

 ゆっくりと意識が戻ってくる。  
 誰かが枕元で話していた。

「ずいぶん、早かったな」とゼルダ婆が言った。
「予期されておりましたが……」とエルナ。これはやや困った声。
「グレン卿が来てくださって助かりました」  

 どうやら、場所は姫巫女エルナの部屋らしい。
「私は、これなるディルスに助言されただけ」 と騎士が答える。  
 ディルスとは、魔道師だ。獣師と言うはずだ。
「いやいや、グレン卿の存在は重要でした」と魔道師が答えた。
「グレン卿がここに来たからこそ事件は起こった」
「やはりそうか」とグレン卿。
「グレン卿が来たことで、ウィリスの警護が厚くなると、刺客は思った」 と、魔道師が解説する。「そして、卿が帰った振りをしたところで、そこに生じる隙を、刺客は利用する。そこに、卿が戻ってきたから、暗殺は未然に防げた」  

 ディルスの口調にはよどみが無い。
 すべて、予定通り。  
 冷たい計算。  
 ウィリスは、魔道師の存在がそのローブのごとく黒いものであるように感じた。  

 思わず、がばっと起きて、叫んだ。

「知っていたの? 
 キューゼが……」

 その途端、脳裏に浮かぶ風景。
 彼女の生前の声と、雪原に広がる真紅の血潮。
 甘い香りの記憶に、ウィリスは戸惑う。  

 脳裏で、雪狼の遠吠えが上がった。

(殺すか?)  

 部屋の中の空気がずんと冷たくなった。

「待て」  ゼルダ婆とエルナの声が重なった。  
 すっとウィリスの肩に婆の手が置かれる。
「怒りに身を任すな、ウィリス」

「あ、ああ」  
 ウィリスはうろたえたように沈黙した。  

(今、僕は、雪狼を呼んでいた)

「自覚無く、魔力を使ってはならない。  
 なぜならば、お前の力は大きすぎる」
と婆が言い、ウィリスは修行を思い出して、心を鎮めた。部屋の中に吹き荒れようとしていた時ならぬ寒風が消え去った。

「誰も、キューゼが刺客であるとは、知らなかった」とディルスが言った。 「だが、いつか、このようなことが起こることは予想していた」
「今日の事件を予想し、ギュラニン党の毒からお前を救ったのはディルス殿だ」と婆が口ぞえする。「あのような毒に関する秘儀、どこで知った?」

「トートの甘き毒は信仰の証。それもまた策謀」とディルス。「本当に殺したいとき、甘き毒を囮とし、遅効性の毒を隠す。毒使いらしい、陰惨なやり口だが、人体の構造に関して、我ら獣師に勝る者はおらぬ」
 そこでディルスは言葉を切った。
「いや、そのようなことは重要ではない。
 この機会に、 ウィリス殿には、自らの力の重要性をご理解いただきたい」  

 自分の力……。
 事件の直後、グレン卿が言っていた。  
 ウィリスの力があれば、いつかレキシア湿原を永遠の冬に変えられる。  
 それは国同士の関係さえも変えてしまう。  

 だから、誰かが恐れた。  
 ギュラニン党を雇い、刺客を放った。  
 キューゼか、それともその双子の姉かは知らないが、彼女は毒使いで、ウィリスを殺すように命じられた。
 しかし、彼女は失敗して死んだ。  

 ウィリスはやるせない気持ちになった。  
 死にたいとは思わない。
  生きていてよかった、と思う。  
 だが、わずかとはいえ、知り合った人が死んでいくのは悲しい。

「これは始まりに過ぎない」 と、ゼルダ婆が言った。  
 その言葉は槍のように、ぐいっとウィリスの心に刺さった。
「始まり?」  

 ウィリスは11歳にしてはすでに苛酷な経験をしてきた。風見山の戦いは、血なまぐさく、恐ろしいものであった。あれさえも、始まりの始まりに過ぎないというのか?

「ああ」とゼルダ婆は言った。 「これから言うことをよおくお聞き。  
 お前は、渦の中心にいる。婆も、姫巫女様も、グレン卿も、ディルスも、お前に比べれば、運命の渦にとって、ささいな波に過ぎぬ。お前には冬翼様のお迎え役として重大な役目がある。それはこの世界に大きな意味がある。
 お前こそが《永遠の冬》の鍵を握っている」  
 渦という言葉の本当の意味はウィリスには分からない。  しかし、自分が重い責任を担っていることだけは分かった。

「だからこそ、お前の生きる道を歪めようとする者がいる」  

 ウィリスの脳裏に、昨年の夏、街道で出会った奇怪な二人組のことが思い出された。  
 ぼろぼろの男と、美しくも作り物めいた少女。  
 まがまがしい気配で、ウィリスは気持ち悪くなった。

「あれらはそうした者の手先じゃ」
と、ゼルダ婆がいうと、ディルスが軽い声をもらした。
「つまり、それが《最悪の男》と《棘ある雛菊》か。  
 この織物、ずいぶん、隠し模様がありそうだな」

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暗殺未遂事件の続きその1.  ディルスも混じって、さらに続きます。

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2007年1月24日 (水)

永遠の冬【36】旅立ちの予感

 引き寄せられる。
 運命に。  

 ウィリス11歳の夏。  それは策謀の罠の中にあった。  

 隠し模様と、獣師ディルスは言った。
 さらに何かがあるというのであろうか?  
 少年にはもはや想像もつかない。
「ここからは読み合いですが、それでは千日手になるばかり」 とディルスは言う。 「それに、一手一手を読み続ける人生など、ウィリス君の負担になるばかりです」
「それでどうしろと?」 と、ゼルダ婆が問いかける。
「簡単なことです」と獣師は微笑む。 「ウィリス君にはそのまま、修行をしてもらいましょう」
「あの二人はどうする?」と婆。 「誰かを止められる人がいますか?」とディルス。「魔道師学院でも札付きの性悪で有能な陰謀の権化ですよ。魂の半分はすでに魔族も同然ですからね」
 もはや人ではないというのか?
「人畜を切り刻み、魔獣を生み出すおぬしでも駄目か」
 ディルスは、獣師と呼ばれる異端の魔道師である。人間や獣の体を切り刻み、魔法でつなげて、魔獣に仕立て上げる。人間とは思えない所業ゆえに、魔道師学院からも追放された人物である。
「少々、手駒が不足で……」  そういう獣師の足元に奇妙な黒猫がまとわりつく。 「今は、こんな子猫ぐらいですから」
「ま、しかたないわね」と黒猫が愚痴る。名をシアンという。尾は蛇になっている。小さくても魔獣である。 「でも、ウィリスは大丈夫よ」
「根拠は?」と婆。
「ウィリスには《冬翼》さまの加護があるから」と黒猫。
「あらあら」と、姫巫女のエルナが言う。「その言葉を言うのは私の役目ですわね」
「失礼」と黒猫が、エルナにお辞儀してみせる。
 不思議なものであったが、するりと場が明るくなった。 ウィリスも、不安がどこかへ消えていったように思った。

 確かに、ウィリスには見守られているという実感がある。  

 《雪狼》は確かに、今もすぐ近くにいる。
 ネージャ様の視線を感じる。
 ル・ウール様も祠におられる。
 そして、《冬翼》様は秋の終わりとともに戻って来られる。

 それは厳然とした事実であり、いかに、ウィリスの身を脅かそうが、彼らの加護はウィリスを守っている。グリスン谷を離れようとも、この神殿にいる限り、誰かがウィリスを害そうとすれば、《雪狼》を相手にせねばならない。今度はル・ウール様も、ネージャ様も目を光らせられている。

「分かりました」とエルナが続ける。
「では、ウィリスの修行を継続します。  
 そして、中庭が冬で満たされた時、ウィリス殿は『始まりの場所』への巡礼に旅立っていただきます」
「許可いただき、ありがとうございます」 と、婆が頭を上げる。あわてて、ウィリスも礼をした後、婆に聞いた。
「始まりの場所とは?」
「北の果てのお山じゃ。
 そこに、もう一人の冬の王がおられる」
「アヴァターの高き砦」 と、ディルスが微笑む。
「大いなる封印の山だ」

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暗殺未遂事件の続きその2。  
ずいぶん、間があきましたが、少しずつ再開していきます。  
おそらく次は2月。

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2007年4月23日 (月)

永遠の冬【37】高き砦へ

 時が急いでいる。
 何かが少年の背をせきたてる。  
 速く、速く。  
 風の中に叫ぶのは滅び去りし騎士。  
 ああ、もはや……。  

 ウィリス11歳の夏。
 少年はさらなる旅立ちを強いられた。

 荒れ果てた平原の中を動く騎馬の一行があった。 バッスル侯国の北の果て、アバター山麓の凍てついた雪原に続く凍土地帯。穀物の恵みなど、全く無縁なこの平原には、人の気配はほとんどない。 ここに住むのは、雪狼とトナカイ、後はわずかな狩猟民だけだ。
 北の果て、アバター山のさらに北には、アプト人という、四本の腕を持つ氷原の民が生きるとも言われるが、それが本当かどうか確かめた人の子はおそらくいない。おそらくは氷雪の魔物に他なるまい。  
 あるいは、もはや伝説の中に消えつつある、風の妖精騎士ヴァイケルファン・ハウヌス、上代語で「天空に轟き渡る風」と呼ばれた者たちが支配する地かも知れない。

「おそらく、滅びたがね」
と、魔道師ディルスがウィリスの耳元にささやく。
「変なことを吹き込むんじゃない」
とゼルダ婆が魔道師に向かって言う。
「あなたが説明なさらないからです」
と魔道師は答える。  
 確かに、アバター山と妖精騎士に関する説明をウィリスにしたのは、大半が、この魔道師である。
「侯王閣下や姫巫女様のご指示がなければ、お前など連れて行かぬものを」
「まあ、そう言われずとも」と婆をなだめるのは、真紅の鎧をまとうマリュアッドの騎士、グレン卿である。6名の兵とともに、ウィリスの護衛についている。  
 本当ならば、騎士団丸ごとついてきそうな様子をこれで済ませたのは、グレン卿が強く止めた結果である。同様に、神殿からの同伴者を断るのも大変であった。  
 結局、若い巫女のうち、アシャンとユーリア、神官見習いのラゼがついてきた。
「この凍土やアバターの雪原で、《お迎え役》のウィリスを傷つけられる者などそれほどはおらぬ」  

 バッスル侯国の守護神《冬の統領ル・ウール》こと《冬の騎士ルーヴィディア・ウル》。
  《冬翼》様の娘にして、《雪狼の姫ネージャ》。  
 寒冷の地を統べるこの2柱の神から加護を受けるウィリスは、おそらく、この一行の中でもっとも強大な力を持っているかもしれない。

「ですから、我らのことは気になさらないで下さい」とアシャンが言う。「我らはウィリス様について、高き砦を一目見ようという巡礼者に過ぎませぬ。もっとも大事なことは、ウィリス様が『始まりの場所』への巡礼を果たされること」  
 アシャンら、冬の巫女たちは最後には必ずそう言う。
  「始まりの地」と。  
 アバターで何が始まったのか?

「それは君が自分で確認することだ」とディルスが言う。「私もまた、巡礼者に過ぎない。 まあ、魔道師学院にとってはあの場所は、封印の山だ。あそこは世界で何番目かに危険な場所だ」  

 一番危険な場所については教える気はないようだった。

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 3ヶ月も間があいてしまいました。すいません。
 仕事が相変わらず、忙しいのですが、『深淵』モードも少しずつ取り戻していきましょう。 次は来週に更新できるといいなあ、でも、きっと5月に入ると思います。

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2007年5月21日 (月)

永遠の冬【38】吐息の届く地

 封じられた風。
 四方に轟く声。
 それは、高き砦。

 ウィリス11歳の夏。  
 少年と仲間たちは封じられた山、高き砦アバター、あるいは「始まりの場所」を目指す。

 バッスル侯国の豊かな草原を離れてすでに数日。真っ白く果ての見えない凍土。見えるのは遥か前方の空を覆う灰色の雪雲だけだった。冬の神々に仕える者たちでなければ、これは絶望の荒野でしかないだろう。  
 ウィリスは、与えられた馬に揺られたまま、荒野を進んでいった。多くの時間は、魔道師ディルスや冬の巫女アシャンと話しながら進んだ。

「まもなく、《スクラ》の吐息が届く地となりましょう」とディルスが言った。
「スクラ?」とウィリスは聞き返す。聞いたことのない神名である。
「スクラ。二つ名を《四方を見つめる者》といいます。魔族の諸侯です」と、ディルスが言う。「高き砦の山頂に封じられ、その周囲に寒気を振りまいております」
「それは……」とウィリスは問いかける。
「魔族です」とディルスが答える。「スクラをはじめ、多くの魔族が高き砦に封じられております」  
 魔族と、ディルスは言った。それはこの世界の遥か古代から存在する恐ろしげな邪神たちである。
「あなたが仕える《冬翼》の王と同格の存在と言えましょう」
「《冬翼》様を魔族と一緒にするな」と、ウィリスは思わず答えた。  
 知らない訳ではない。《冬翼》様も含め、今、地上を統べる神々の多くは、邪神たる魔族と同じ一族であるが、天空の女神により浄化されて、今の任にある。
 《冬翼》様は、冬の季節を統べるお方、ネージャ様のお父君である。  
 今も封じられた邪神たちと一緒にされてはたまらない。

「違う……と」  
 ディルスは肩をすくめる。
「もはや」とゼルダ婆が割り込む。「《冬翼》様も、《冬の騎士》も魔族ではないのじゃよ、そのあたりが学院には理解してもらえぬ」  
 ディルスは、じっとゼルダ婆を見てから、すっと頭を下げた。
「失礼」と謝罪する。「我ら魔道師は、恐れる者にございます。
 学院はかつて妖精騎士と冥王が戦いし時の記憶を伝えています。解き放たれた魔族がどれほど恐ろしく、またおぞましいものかを。  
 ゆえに、我らは魔族を恐れます。たとえ、《冬翼》様のように、地域の神として再生され、信仰された方であっても、かつての荒々しい魂を取り戻された時のことを考えた時……」
「それゆえのお迎え役じゃ」と婆。「我らは荒魂(あらたま)を、和魂(にぎたま)として祭る。我らと《冬翼》様はともに生きる術を学んだのだ」  
 そこで、婆は後ろに続く冬の巫女や騎士たちを手で指示す。
「あれらも同様。バッスルは冬を受け入れた」
「もはや」とアシャンが引き取る。「我らはル・ウール様とともに生きております」  

 しゃらん、しゃらん。  鈴が鳴る。  

 夕方、野営の地を定めて、天幕を張る兵士たちの傍らで、アシャン、ユーリア、ラゼが地を清める儀式を行う。  
 土地神に宿を乞い、一夜の安寧を祈る。  
 舞いと歌を奉納し、感謝を捧げる。  
 アシャンが歌い、ユーリアが舞う。
 腰につけた鈴が清らかな響きを放つ。
 その音は邪霊を遠ざけ、神の恩寵を呼ぶ。  
 野営地の結界に沿って歩きながら、ラゼは香を焚いて、祈りをその煙に乗せて周囲に振りまく。

 ウィリスには見える。  
 雪狼たちの透き通った霊が風の中を走りぬけ、ラゼの後をついていく。時折、かすかな唸りを上げて、地の片隅より這い出す邪霊を追い払う。  地の割れ目から顔を出した地の小鬼どもも、ひねこび、地に這う藪の樹霊たちも、雪狼の風に吹かれて姿を消した。

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 旅が続きます。  次は来週に更新できるといいなあ、でも、きっと6月に入ると思います。

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2007年5月28日 (月)

永遠の冬【39】:夜語り

 おそらく、それは偽りだ。
 焚き火の傍らで、鍋が煮えるまで、串が焼けるまでの戯言。
 そう思いたい。

 ウィリス11歳の夏。
 高き砦アバター、あるいは「始まりの場所」を目指す一行は、荒野に野営する。

 ぱちり。
 大きな野営用の天幕の中央で、焚き火の中の枝がはぜた。
 バッスル侯国の軍行用大型天幕は、西方の騎馬民族より伝わった移動幕舎である。数本の柱とロープからなる骨格に、風を通さぬ暖かなフェルトを重ねるもので、ウィリス自身の家と大差ない大きさを持っていた。地面の上には毛皮や毛布が敷き詰められ、寝床になる。  天幕の中央には、いろりが設置されて火が焚かれ、暖房、煮炊き、照明のすべてを兼ねる。煮炊きの煙は直上の穴から逃げる仕掛けだ。
 大振りの鍋で、シチューが煮られ、火の横には、金串に刺された肉があぶられている。
 やがて、煮込まれたシチューが薄切りにされたパンを浸して配られ、肉が切り取られる。最初の肉の一切れは、酒とともに、すでに、雪狼に捧げられていた。
 アシャン、ユーリア、ラゼの三名は粛々と土地神への祭りを行い、人々は感謝の祈りとともに、糧を食らう。
 食事を作るのは兵士たちではなく、ゼルダ婆と二人の巫女である。なぜならば、彼女らこそもっとも薬草と食に通じたものであり、グレン卿自慢の炊事番さえ舌をまくような微妙な味付けで皆を楽しませた。
「兵士は多少、粗食にも耐えられるようでなければいかぬ」 と、グレン卿も言うが、うまい食事が出るほうが部隊の士気にもよい。
「人は快楽を学ぶことには敏感なのだ」 と、ディルスが相槌を打つ。
「香草の配合は、炊事番に教えておくわい」と婆。「少しは、兵の食事をよくするがよい」
「塩加減ひとつで、ずいぶん、変わるものですよ」とユーリア。「あとは香りと、ちょっとした刺激。あくを取る一手間をかければ、シチューは優しくなるものですよ」

 食事とともに、酒の盃が回る。
 軽く体を温め、眠るための酒。

 夜の見張りは、兵士たちが2名ずつ交代でするが、雪狼たちのおかげで騒ぎが起きたことなどない。
 酒が入れば、歌が出る。
 兵士が歌い、アシャンが舞う。

 そして、夜語りの時が来る。

 最初は、兵士たちに乞われ、ウィリスが風見山での戦いを語ったのが始まりだった。兵士たちの中には、風見山で死んだカルシアス卿とその部下、ゾークスを知る者もいたのである。ウィリスはきっかけの狼煙から、とつとつと語った。兵士たちは、年上のものが多く、息子のようなウィリスが戦いに行き、村の兵士たちが死んだことに涙を流した。
 次の夜はカルシアス卿とゾークスの武勲を兵士たちが語った。凍った氷原でラルハースの水の騎士を討ち取ったこと、水魔と戦ったことを語った。

 やがて、夜語りは夜毎となった。

 グレン卿は、漂泊の戦姫、銀の姫騎士と呼ばれし、英雄の武勲を語った。
「かくして、密使を果たしたる姫は、いまや、黒男爵の陣営にあり」
 ユーリアとアシャンは、神殿に伝わる説話を語った。婆はグリスン谷の昔話をした。ネージャ様と《冬翼》様の物語である。

 この晩は、ついに、魔道師ディルスの番となった。
「私も話すのですか?」と魔道師はややおどけて言う。言葉はいやがった振りをしているが、その癖、表情はうれしそうである。「さて、いかなるお話が御所望でしょうや?」
 旅芸人か吟遊詩人のごとき饒舌さ。
「やはり、こやつに話させるのはよろしくあるまい」と、婆が言う。「魔道師の舌は蛇の毒じゃよ」
「全く、全く」とディルス。「実のところ、ここでは、私のみが異教徒ともいえます。冬の神に従わぬ邪教の徒という訳ですなああ」
 もとより、魔道師は神を信じないという噂もある。
「それでも、よろしければ、お話しいたしましょう」とディルス。「おそらく、それこそが、私がここにいる理由なのでしょうから……」

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 旅が続きます。
 皆さんは「異教徒」と呼ばれたことがありますか?
 私はあります。

 次は来週に更新できるといいなあ。

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2007年6月10日 (日)

永遠の冬【40】獣師のさが

 誰かの妄執。
 そして、願い。
 人は死を恐れ、それを越えようとする。

 ウィリス11歳の夏。
 高き砦アバター、あるいは「始まりの場所」を目指す旅の一夜。魔道師の夜語りが始まる。

「まず、世の中には多くの事実がございます。これより語りますことは、それをご理解いただかねば、なりませぬ」 と、ディルスが切り出した。
 ウィリスは首をかしげる。  
 多くの事実?
「ああ、分かりにくいでしょうね。  魔道師学院では、候補生が初等から中等に上がれるかどうかは、これをきちんと区別できるかにかかっております」
「お前が言える身分か?」と、婆。
「確かに」とディルスが軽く流す。「私は、魔獣製作という子供じみた夢が捨てられず、学院を脱走し、《獣師同盟》なる秘密結社に加わった者」  
 今は静かにしているが、この人物は生き物を切り裂き、魔獣を作り出す異端の魔道師である。今は、学院の支配下に戻り、ウィリスの元へ派遣されているが、それまでは何人もの人を手にかけ、切り裂き、殺した残虐と狂気の持ち主である。  
 人々は、やっとそれを思い出した。
「……それゆえに、世の中の《事実》なるものが、どれほどおぞましく、はたまた、脆いものかをよく知っております。 できれば、……」  

 そこで、ディルスは、細い棒を拾い、ウィリスとの間に、線を引くように横に滑らせた。

「ウィリス殿には、この線のこちら側に来ていただきたくありません」  
 ウィリスは見えない線を必死で見た。その線の向こう側に、闇とともに微笑む魔道師がいた。

 ほんの目の前の見えない線。  

 おそらく、そこには大きな意味があったが、ウィリスにはまだ、それが何かは分からなかった。
「少々、迂遠過ぎましたな」
と、ディルスは周りを見回す。
 兵士たちの何人かと巫女の二人が、ややいぶかしげな顔をしている。古参兵や婆、騎士はおぞましげな視線を魔道師に向けている。
「もう少し具体的な話をいたしましょう。  
 例えば、この旅の一行の中で、私が『異教徒』であるのは紛れもない事実です」 と、ディルス。 「朝夕、巫女様が儀式舞いをされる際、私が近くで見ていると、非常に不愉快な顔をされる場合があります」
「それはお前が異教徒だからであろう」 と、アシャンが抑えた声で答える。 「お前の視線には邪な何かがある」  
 少し顔が上気している。
「しかたありません」とディルスがおざなりに頭を下げる。「何しろ、私は異教徒ですから、本来、儀式舞いを見ることさえ許されません。
 そこで、全てを見て、全てを知ることを目的とする我ら、魔道師は、これこそ稀有な機会と、真剣に巫女様の舞いに注視し、観察し、記録すべく傾注いたしますが……」
「か、観察!」とアシャンがいきり立つ。 「その言い方は何だ!」
「何しろ、私には信仰心がございませんゆえ、巫女様の儀式舞いに、魔力は感じても感銘はいたしませぬ。  あえてあるとすれば……」とディルスは、アシャンをじっと見返す。その視線のまがまがしさに、アシャンがすっと身を引く。「獣師として、素材を見切り、魔獣の設計図を脳裏に浮かべることぐらいでしょうか?」

「私を……」とアシャンが「切り裂く気か?」  

 そこで、ディルスは頭をかいた。
 それから救いを求めるように、婆のほうを向いた。
「さて、どう答えるのが穏当でしょうかねえ、ゼルダ様?」  
 婆は肩をすくめる。
「若い娘を怖がらせるのが好きだな、ディルス」
「いや、だって、ほら、可愛いじゃないですか?」  

 ここでウィリスはぞっとした。  
 冗談めかして誤魔化そうとするディルスの目が笑っていなかった。
 どちらかといえば、あの夜、風見山で戦った水の騎士のように澄んだ、明確な殺意を持った目だった。  
 そして、その瞳は一瞬、ウィリスに向けられた。

(本当に切り裂きたい、と思っているのは、あなたですよ、ウィリス)

 ぞくりとした。  
 雪狼に助けを求める前に、圧倒的な視線が突き刺さってきた。  
 そして……。  

 ディルスは視線をそらした。  
 おそらくは一瞬の間であっただろう。それから、魔道師は巫女に向かって深々と頭を下げた。
「失礼の段、お許しくだされ」

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 旅の夜語りが続きます。

 皆さんは、無人の街で目覚めたことがありますか? 
 私はあります。  

 また、一週間、あいてしまいました。
 次は来週に更新できるといいなあ。

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2007年8月22日 (水)

永遠の冬【41】 棘(とげ)

美しい花に棘がなぜ、あるのか?
吟遊詩人ならば、花の魔族の邪悪さの印と歌うだろう。

だが、魔道師は冷静に答える。
「獣に食べられぬため」と。
面白みも風雅もそこにはない。
ただ、真実を探ろうとする心のみ。

 ウィリス11歳の夏。高き砦アバター、あるいは「始まりの場所」を目指す旅の一夜。魔道師の夜語りが続く。

 

「人の肉体には仕掛けがございます」と獣師は微笑み、兵士のひとりを指差す。
「あなたは左手に少々痺れが出ておられるのでしょう?」
 壮年の兵士は驚いたように、うなずく。
 グレン卿がじっと獣師を見返す。
「ガーサが昨年冬の戦以来、左手にキレがない。
 どうやって、見切った」
「見えますから」と獣師は微笑む。
「それが魔法と言うものか?」と卿。
「いえいえ、魔法などではありませんよ。ただ『見る目』を持っているだけ」と獣師は、ウィリスを見る。「ウィリス殿が冬翼様や雪狼の姫君を見える目を持つように、我らもさまざまなものを見るための『目』を鍛えております。
 いや、実際のところ、いえ、グレン卿にも見えてはいるのです。今、おっしゃられたでしょう。『キレがない』と」
「ああ、だが、私はそれが痺れとは判断できなかった」と卿。
「それが学問でございます」と獣師。「学問というものは、どう言おうとも経験と知識の積み重ねに過ぎませんが、個々の知識と体験に適切な道筋を与えることで、我らは『見えた』先を『診断』でき、場合によっては『治療』できます。
 ちょっとよろしいかな」

 獣師は老兵士に近づき、左肩に手を伸ばす。老兵士は魔道師の接近に軽く身を引いたが、卿のうながすような目線に気づいて、あえて肩を前に出した。獣師の指が肩から首筋を這い、軽く揉み解す。

「ああ、ここですね」

 兵士の背後に回った獣師が老兵士の肩と腕を派手にひねり上げる。関節が折れるようなバキっという音が響き、老兵士が苦痛の叫びを上げた。
 兵士仲間たちがじっと獣師を見る。
「左腕はどうですか?」
 老兵士は軽く腕を上げ、微笑んだ。
「軽くなった。あんた、骨接ぎも出来るんだ」
 骨接ぎは、戦場の技のひとつだ。獣師の施す技がどこか、それに近いことを感じ取ったようだ。兵士たちが獣師をじっと見る。
「冬の怪我で鎖骨と周辺の筋がずれ、あなたの腕は動きにくくなっていた。以前ほどではないが、これで動きやすくなるはずだ」

獣師は立ち上がり、元の座に戻る。

「ここまでは誰でも学べる骨接ぎの技だ。
 我が秘術はその先に進む。
 たとえば、その腕をさらに強くし、若い頃の腕力に戻す方法もある。肌を裂き、衰えた筋に、鹿の筋を移植すればよい。我が融合の樽で三日も眠れば馴染むはずだ」
 獣師の声は楽しげだ。
「個人的には、腕を一本増やし、盾と両手の槍を併用できるようにしたほうが、もっとよい戦闘効率を得られるとも思うが、まあ、戦略的には瑣末なことだ」
「瑣末、というか?」とグレン卿。
「野戦において、一歩兵だけ少々強くても意味はない。戦略的にそれを活用できる指揮官のほうが重要です」と獣師は笑う。「戦略を見切って投入するので、あれば、その一個人が、指揮官並みの戦略眼を持ち、常に情報を把握し、なおかつ、歩兵部隊1個相当の強さを持たねばなりません」

 
 そうして、獣師は、天幕の入り口のほうを向いた。
 いつの間にか、ゼルダ婆もウィリスの脇で天幕の入り口を睨んでいる。
 そして、ウィリスはそちらへ目を向けた瞬間、激しい悪寒に襲われ、体を丸めた。

(あの人が来た)

 ウィリスには分かった。
 峠で出会った、邪悪の塊のような二人。その片割れ。
 おそらくは……

 周囲で雪狼がうなりを上げるが、ウィリスは答えられない。
 夜の雪原に突如、出現したおぞましい邪気があまりにもひどいためだ。

「この邪気はいったい」とアシャンが、ウィリスの背をさすりながら言う。
「《蛇の巣》とはよく言ったものだ」と獣師が呟く。「さすが、原蛇の塔でも異端の群れと言われた連中だ」

 
 風の音とともに、天幕の入り口が風でまくれ上がり、もれた光の中に少女の姿が現れた。レースを多用したゆったりしたドレスをまとった人形のように綺麗な少女は、凍えるような雪原にはまったく不似合いの存在だった。そして、愛らしくも無邪気に見える笑顔は現実の人とは思えない。
 ゼルダ婆は、薬草袋を取り上げ、ウィリスの前に立つ。

「姉様」

 少女はそのまま、天幕に踏み込み、鈴のような声を上げた。

「ウィリス、迎えに来たわ」

 それは《棘のある雛菊》。触ってはならぬ花。

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ずいぶん、長い間、休んでしまいました。すいません。
『深淵第二版』へ向けての準備体操として、再開します。
JGCまでにもう一度、書けるといいなと。

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2007年8月27日 (月)

永遠の冬【42】邪気

 魔道師は、虚実を弄するという。
 魔法を使うがゆえに、彼らは言う。
「魔法は最後の手段である」と。
 それが人の定め、それが人の子の限りである。

 

 そこで、さらに魔道師は問う。
「人の定め、人の子の限りに、意味はありや?」
 それは散文的な問いではない。
 実証的な意味合いを持った問い。

 

 ウィリス11歳の夏。
 夜語りの天幕はおぞましき邪気に包まれる。

《棘のある雛菊》あるいは《棘を持つ雛菊》

 そう、彼女は呼ばれている。
 ゼルダ婆が「姉上」と呼ぶのは、どう見ても人形めいた十代の少女だ。
 名を確か、エリシェ・アリオラ。最初の名はすでに魂とともに、魔族の公女に捧げられ、いまや人ならぬ身という。

 
「お前の目で見てはならぬ」
とも、婆に言われた。
 邪気に当たると。

 今、まさにそうだった。

 ウィリスは悪寒のために、視界がぐるぐると揺らいでいた。天幕の床に敷き詰められた毛皮の上に傾いていく自分を止められない。
 まるで、あの夜のようだ。
 風見山の夜、水魔の群れに襲われ、グリスン谷の兵士たちはまるで兎のように、次々と殺された。ウィリスは何も出来ないまま、ただ、夜の森を逃げ回り、友の死を見つめるしかなかった。ああ。
 まるであのときと同じだ。雪狼への祈りも忘れ、何にも出来ない。
 ウィリスはただ、婆からもらった護符だけを握りしめ、歯をかみ締める。

 

「そう、ウィリスの目は素晴らしい」
 少女は片手を上げる。
「見えなければ、幸せなものを」

 
 波音がした。
 それは天幕の中を飲み込んだ。
 まるで、沼の瘴気のような、淀んだ何かで。

 
「がっ」
 喉が詰まったようなかすかな声を上げて、最初に婆が倒れた。
 巫女たちが後を追うように、かすかな悲鳴を上げて崩れ落ちる。ラゼなど、何を見たのか、目と鼻から血を吹いている。
 雪狼は瘴気によって粉々に砕かれ、天幕の外へ吹き飛ばされていった。
「さすがに、年か、ゼルダ」
と、少女がほほ笑むと、さらに、沼の瘴気が濃くなる。
 兵士たちがうめきながら、落ちるように毛皮の上に倒れる。騎士のグレン卿はかろうじて座っているが、手をかけた剣を引き抜くだけでもはや脂汗を流している。
 全力を振るい、腰の短剣を少女に投げた。

 キンッ!

 何か金属めいた音がして、短剣は少女の目の前で弾かれ、騎士の肩越しに跳ね返った。
「な、何が?」
 騎士の目には少女の姿が揺らぐばかり。その前後に鏡めいた何かが垣間見えたが、少女と目を合わせた途端、騎士の心は戦場の悲嘆で満たされ、流血と腐臭で吐気がした。
「おぞましい」と、マリュアッドの騎士はうめく。「その皮の中身は、水魔よりも邪悪な汚泥の塊か」

 
「これは《棘(とげ)》どころではございませんな」
 唯一、ディルスだけが平然と立ち上がった。
 どうやら、獣師だけはこの時の対策をしていたらしい。
「獣師か?」と《雛菊》。「我が前に、無傷で立つとは」
「これ以上は影響が大きすぎますよ」と片手を振ると、袖の中から使い魔の黒猫、シアンが飛び出し、ウィリスに駆け寄る。瞬間、ウィリスを包んでいた邪気がすっと消え、ウィリスはそのまま、意識を失っていった。
 意外にも心地よい闇に落ちる直前、魔道師たちの声が聞こえた。

「これで、予定通りですかな?」
 ディルスの声とともに、ウィリスは誰かに優しく抱き上げられた。
「つまらぬ」と、《雛菊》は呟いた。「獣師同士の盟約か?」
「いえ、取引ですよ」とディルス。「彼の地で魔族に会えるならば、我が研究は完璧となる。まあ、それに学院の手前、謹慎しているのもそろそろ飽きましたから」
  そうして、ウィリスの意識は途絶えた。

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 クライマックスへの第一歩。
 次はJGCが終わってからになるでしょう。

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2007年9月20日 (木)

永遠の冬【43】歓喜の声

 我が主人よ。
 我はこの地上に残り、汝の帰還を待つ。

 千年の年月にも我は耐えよう。

 ウィリス11歳の夏。
 少年は、魔獣に飲み込まれ、ひとときの夢を見る。

 
 それはいびつなる城。
 巨大、というよりも広大。
 無限のように見える巨大な回廊は、おそらく人の子にあらざる大いなる種族のために築かれたる者であろう。そこここに、工芸のために生み出されたとおぼしき、蜘蛛のごとき姿の生き物が這い回り、壁の仕上げをしている。
 庭園の遥か彼方には、漆黒にも見える濃緑色の森が果てしなく広がり、その頭上を黒き蝙蝠のような影が飛びまわっている。

 
 回廊に一団の巨人が姿を現した。

 先頭の騎士は異形であった。
 四つの首と四本の腕。
 その瞳は冷たい雪のような透き通った青。
 周囲には、時ならぬ冷たい風が舞う。
 見れば、指先ほどの雪狼の群れがその周囲を飛びまわっている。 
 工人蜘蛛たちが寒風を避けるように、壁の向こうへ姿を消す。 
 その背後から、巨大な雪狼を連れた女戦士と、巨躯の戦士たちが続く。
 女戦士はまだ若いが、雪狼の毛皮をまとい、きつい表情をしている。豪華な衣装や装飾品は彼女が位の高い姫であることを示している。
 巨躯の戦士たちの多くは、雪狼の頭部を持ち、手には氷柱のような白い槍を構えている。

「父上」と女戦士がささやく。
「われらをお召しということはついに、決戦の時が」
「当然であろう」と、四つの顔のひとつが答える。
「火龍を撃つには、我らの氷の槍が欠かせまい」と別の顔が。
「東方の山を守るだけでは飽きたわい」とまた別の顔が。
「血が滾るな」と背後を向いた最後の顔が。

 
 回廊の果て、巨大な扉は異形の騎士たちの前に開かれた。
 その向こう、皇帝の広間は、異形の姿に満ちていた。
 飛ぶ者、這う者、獣や蛇のような者、虫のごとき者。
 そして、広間の最も奥、壮大な玉座に座るのは幼き少年皇帝と美しく若き王妃である。

 側近としてその前に連なるは、筆頭五公。

 獅子の頭を持つ巨体は戦士の大公アロセス。帝国随一の勇将だ。直接、剣を交えるのであれば、この戦士に1対1で勝てる者はこの世にほとんどいないだろう。神と龍をのぞいたならば……。
 頭から全身をローブに隠しているのは、帝国宰相モーンである。帝国と言う仕掛けを動かしているのは、もっとも見識に長け、実務に向いたこの人物だ。
 竪琴を抱いた美女は、
歌の公女イェロマーグ。吟遊詩人にして、すべてを語り継ぐ者。歌と時の支配者である。
 角の大公セイシュドーマの姿はない。帝国の母オラヴィー様の愛馬であったかの者は、母なるお方の死後、帝国の宮廷から去った。

「よく来られた、冬の大公殿!」

 筆頭五公を代表し、犬頭の戦士が呼ばわった。
 卑屈なる犬頭の男は吐息の大公タンキン。姑息とも見える謀略の臣下だが、帝国の最高権力者のひとりであり、もっともおそるべき実力の持ち主だ。あの翼の王を謀殺し、死の国へ追いやった男だ。
 おそらく、今回の戦を仕立てたのも、この男だ。

「お待ちしておりました。
 すでに、龍どもは相撃ちをするべく、レ・ドーラの平原に向かっております。
 さて、我らも血の宴に参列いたしましょうぞ」

 
 龍王どもの間に不和をばらまき、殺し合いをさせるというのだ。
 おぞましきかな。
 だが、それもよい。 

「龍を狩るとは、楽しみな話ぞ」
と、四つの顔の騎士は返事をした。

 
 それが合図とばかりに、広間に集った魔族の諸侯たちが雄叫びを上げた。
先頭には、高名な大公や公爵に混じり、戦士の五公女が揃って顔を見せている。戦陣の五公女と並び称された竜巻の公女ピスケール、蒼き死の公女ルハーブ、黒衣の公女パルガ、盾の公女リグレイ、忠誠の公女ラプティーク。若き魔族の戦姫たちだ。

  今宵はずいぶんと楽しいことになりそうだ。

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 夢歩き。

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2007年11月24日 (土)

永遠の冬【44】龍を狩る者

 真の策謀とは相手を知ること。
 ことばによって、追い詰められた相手が自滅する。

 それが上策なり。

 

 ウィリス11歳の夏。
 少年は、魔獣に飲み込まれ、ひとときの夢を見る。
 これは夢の続き。
 魔族どもの勲(いさおし)の一幕。

 
 火龍と魔族の間の平穏は僅かな間しか続かなかったという。

 
 火龍は強欲で他の存在すべてを見下し、さらに、食欲と殺戮の権化であった。地上は彼らにとって、空腹と心の虚無を満たす食卓でしかない。
 魔族でさえ、火龍から見れば、弱小な存在にしか見えなかった。
 おそらく、諸侯と呼ばれる者ですら、火龍の前では決して無傷では済まない。あらゆる敵を貫く槍、この世界すら貫き、断ち割る破壊の牙。
「だからこそ、彼らの存在など許してはおけない」
 犬頭の魔王は魔族の諸侯に対して、熱弁する。
「我ら魔族の千年帝国、いや、永劫の帝国のために、あの狂気の牙と翼を折らねばならぬ」
 言葉の端々に卑屈さと憎悪が満ちる。魔王と呼ばれ、魔族帝国筆頭と呼ばれる身になっても、吐息の大公タンキンの身に染み付いた卑屈と嫉妬の感情は消えなかった。
 それでも、戦いを求める諸侯たちはときの声を上げる。
「あれが、犬よ」
 冬の大公の背後で、ひとりの戦士が呟いた。傷だらけの顔を持つ片目の男だ。
「神を殺して、まだ足りぬか?」
「スクラ・ドゥウーラ、言葉を慎め」
 冬の大公は低い声で叱責するが、その目には怒りはない。側近と同じ考えを内心、持っているからだ。1対1で、火龍を討ち取る自信はないが、火龍を偽り、内紛を起こし、殺しあった挙句の果ての手負いを狙うという姑息さには、冬翼の大公ペラギス・グラン自身、軽蔑を覚えずにはおられなかった。
「さあ、狩りの始まりだ」

 
 その日、レ・ドーラの野は、火龍たちの雄叫びと血潮に染まった。

 
 霧の龍王
ファーロ・パキールは、濃厚な霧をまといながら、谷を下った。レ・ドーラの戦いは終わったが、龍王はまだ飢えていた。
 愚かな若い火龍を何匹か引きちぎったが、心も体もまだ癒されていなかった。双角の龍王ザウルから受けた脇腹の傷からはまだ激しく出血し、青ざめた鱗を汚していたが、その辺の魔族どもを数匹ばかり喰えば、血は止まるだろう。
「さあ、来い。我は逃げぬぞ」
 ファーロ・パキールは多数の殺気を感じ取りながら、吼えた。黄金の瞳が輝く。
「餌のほうから寄ってきおった」
 一陣の風が龍王を包む霧を吹き払うとともに、その身に多数の氷の槍が降り注ぎ、追って、魔族たちが飛び掛る。雪狼の戦士たちだ。火龍は、炎の吐息を吐きながら、立ち上がり、翼を振る。巨大な風が氷の槍を吹き飛ばし、戦士たちを叩き落とす。

 だが、次の瞬間、龍王の翼を氷の槍が引き裂く。

 体勢を崩した火龍の横手から、巨大な狼が体当たりする。
 火龍の巨躯に比べれば、大人と子供のようなものだったが、それは狙い澄ましたように、双角の龍王が貫いた二つの傷をえぐった。
 激痛が火龍の動きを止める。
「えいっやあああああああああ」
 叫びとともに、四本腕の戦士が風に乗って、正面から槍で突進する。
 冬翼の大公ペラギス・グランである。
 その後には、雪狼の戦車に乗った娘、雪狼の戦姫ネージャと雪狼の騎士たちが突撃槍を構えて続く。
 とっさに火炎を吐こうと開いた火龍の口に、グランの槍が突き刺さる。そのまま、氷結する。火龍は苦しがって、前足の鋭い鉤爪を振るう。それをかいくぐって、ネージャと騎士たちの槍が火龍の腹へと深く突き立つ。
「!」
 口を塞がれているため、声にならない咆哮を放ちながら、火龍はグランに向かって全力で鉤爪を振るう。鈍い断裂音とともに、グランの首が飛んだ。四つの顔を持つ頭部は、ひしゃげた肉の塊となって谷の断崖に叩きつけられ、脳漿を撒き散らす。
 だが、肉体は槍を離さなかった。火龍の口を貫いたまま、微動だにしない。
 そして、騎士たちの放つ氷の槍が今度は黄金に輝く火龍の両眼を次々と貫いた。やがて、巨大な狼が動きを止めた火龍の胴体から心臓をえぐり出した。

 
「父上」
 巨大な雪狼から、火龍の心臓を受け取ったネージャは、その肉を一口かじり取ると、火龍の口を槍で縫いとめたまま、立ち尽くしているグランの首なき胴体に向かって叫んだ。
「火龍は仕留めましたぞ!」

「ならば、首を拾ってくれぬか?」
 断崖の下から声がした。
「さすがに首が痛い」
 見れば、砕け散り、脳漿をまき散らしたはずのグランの首が谷底に落ちている。潰れたはずの顔は綺麗になり、割れた頭蓋も元通りである。
 そして、胴体から切り離されてもなお、生きて口を動かしている。
「さすが、火龍。このまま、眠れるかと思った……」
「我らは魔族」とネージャが答える。「死の安寧は我らにはございませんわ」

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 夢歩きその2.
 二ヶ月、お休みしてしまいました。まだ、忙しいのですが、いつまでも休んでいる訳にいかないので、再開。

 魔族の回想でいつか書きたかった「不死の呪い」ですね。

 次は、神征紀編の予定。

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2007年11月27日 (火)

永遠の冬【45】予言する猫

 我が主人よ、我は汝の帰還を待つ。
 千年の年月にも我は耐えよう。

 

 ウィリス11歳の夏。
 少年は、魔獣に飲み込まれ、ひとときの夢を見る。
 これは夢の続き。

 
 ウィリスは夢の中でふと思った。
 レ・ドーラの野が、龍の戦場であったという話はゼルダ婆から聞いたことがあった。《冬翼様》はそこで、龍を退治されたという。だが、夏が熱くなりすぎると、殺した龍が蘇ってしまうので、毎年、秋になると、龍の霊廟に雪を降らせるのだという。

 
「でも、もう、火龍は目覚めた」と誰かが言った。
「ミスタクタイズ河の川下に、霧の龍王が目覚めている」

「あなたは誰?」
 少年が問うと、黒猫は奇妙な仕草で夢の中に姿を現す。
 猫なのに、不思議な帽子を被っている。
 まるで、道化師のようだ。

「これは夢?」と、少年は問う。
「果て無き思い出よ」と、黒猫は答える。
「思い出?」と、少年。
「魔族は不死の代償に、未来を失った」と、黒猫。
「私たちは変わらない。私たちは変われない」
「私たち?」と少年が聞き返す。
「忘れなさい」と黒猫。「これは予言、これは夢。
 ただ、あなたに聞かせておきたいだけ。
 私に出会ったことは忘れてしまいなさい」 

 そして、また少年の魂は夢の中へと落ちていく。

 
「これは予言だ」
 猫の王イーツォは魔族たちの前で歌って見せた。
「おい、また始まったぞ」
 魔都ヴァランティアの宮廷で誰かがささやいた
 猫の頭をした道化は、魔族帝国きっての痴れ者である。
 帝国の未来を幻視するべく、獣師ブラーツの提案で、猫の魔獣に、筆頭五大公の力を注がれて生まれたが、出来上がったのは戯言を叫ぶばかりで、欠片の記憶力もない痴れ者で猫頭の道化に過ぎなかった。しばしばこのように「予言だ!」とか叫び回るが、当たったためしなどない。
「いやいや、みんな分かっておらぬ。そうは思いませんかな…スボターンどの」
 名指されたのは、《波間の公子》として知られる青みがかった瞳の貴公子だ。南海の鮫やエイを支配する海の魔族は、本来、巨大なエイの姿をしているが、ここ、魔都ヴァランティアでは青き衣の貴公子の姿をしている。勇猛果敢な青の騎士だ。
「あなたはいずれ戦いに疲れるでありましょう。素晴らしい。我等の多くが失ってしまった才能だ。
 あなたは戦いに倦むがゆえに、未来を開く」

  言葉を濁している間に、猫頭の道化はぴょんと跳躍して、別の魔族の前に立った。

「あああ、世界は滅ぶであろう。我ら魔族帝国も滅びることになる。そして……ああ、冬翼の大公ペラギス・グラン殿、あなたはその滅びを越えるために、天空の獄につながれるが、いずれ、冬の空の王となりましょう」

 

 
 一角の白い角を持つ魔神は、ぎろりと道化を見た。
 かつて、火龍に首を吹き飛ばされた《四つ首の大公》は、火龍の角を得ていた。グランの鋭い視線は彼の持つ氷の魔剣のようであったが、道化は気にせぬまま、次なる戯言を紡ぎ出す。

「ああ、我が都は陥落する。
  黒き森は燃え、城壁は破られ、門は打ち砕かれる。
 火龍が! 火龍が!」

「戯言はそこまでにせよ、猫め!」
 道化の前に、六腕の戦士が飛び出した。それぞれの腕には鋭い剣が握られ、それぞれの腕には二つの肘があり、不気味なほどに長い。これこそ、星海の騎士と呼ばれる魔族の英雄、《星の王ザーン》である。八弦琴座に属する稀有な魔族にして、声なき歌の守護者である。
 異様な長さの六腕を生かした武芸の腕はおそるべきもので、天空城攻略において、無数の巨人兵を切り刻んだという。
 六つの刃が旋風のように猫の王に襲い掛かった。あわれ、道化は五寸刻みにされてしまうのかと思えば、さにあらん。騎士の背後にするりと、猫の姿が転がり出た。

「おお、勇猛なる星界の騎士ザーン殿。
 勇猛にして謙虚、知性あふるる貴方もまた、我が予言を受けるべきお方。来たるべき滅びの日、あなたは魔族となりて初めて、恐怖と屈辱を学ばれるであろう。逃走という悲しき定め。だが、ご安心あれ、あなたは我が帝国の未来のために星の彼方より立ち戻られる。あなたは」

 そこで、優雅に一回転した後、猫は皆にお辞儀した。
「我が戯言にお付き合いいただき、恐縮至極。
 しかし、今宵は度が過ぎました。
 お詫びに我が力を示しましょう。
 そう、これは予言です。
 されど、今は忘れてしまいましょう。
 果てしない安寧の一夜のために」

 猫がもう一回転すると、座は再び、ざわめきと笑いに包まれた。

 猫はそのまま、上座へ向かう。今や皇帝は退出し、筆頭五公のみが並ぶ。吐息の大公は陰鬱な瞳で、猫に向かい、うなずいた。

「それでよい。お前とあの娘は未来のために残された」
 そうして、強い酒をあおる。彼もまた今の出来事を忘れるように、目を閉じる。

 
「思い出して」
 少女はささやいた。
「時がやってきた」

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 夢歩きその3。
 一度、語られた物語はさらに歪められ、新たな意味を持つ。

 では、また、来週。
 来週こそ、神征紀をば、語りましょうや。

 

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2007年12月 4日 (火)

永遠の冬【46】炎の再来

 憎悪こそ我が糧。
 破壊こそ我が癒し。

 戦いこそ我が定め。

 
 ウィリス11歳の夏。
 少年は、魔獣に飲み込まれ、ひとときの夢を見る。
 これは夢の続き。

 
 そして、ウィリスは黒き夢の中、ディルスより聞いた魔族の末路を思い出す。
 やがて、天空より帰還した指輪の女神が率いる巨人の軍勢が、冥界を支配する翼の王と、火龍たちを引き連れ、魔族の帝国を滅ぼすのである。

 そして、また少年の魂は夢の中へと落ちていく。

 
 予言は成就されつつあった。

 魔族帝国は内乱の末に、最後の時を迎えつつあった。指輪の女神率いる巨人の軍勢が天空より飛来し、魔族の諸侯たちが率いる軍勢が、これを迎え撃ったが、破魔の力を持つ神の軍勢は、魔族たちに恐るべき破滅をもたらしつつあった。

「結論は簡単だ。
 我らは一度、神を殺した。
 二度、殺せぬ理由があろうか?」
 吐息の大公タンキンは、自らを納得させるように叫ぶ。
「たとえ、火龍が敵につこうとも、我らは一度、火龍を討った」
 そう、レ・ドーラで火龍を殺した。
「たとえ、翼の王が冥界から現れようと、かつて、かの者を殺した短剣は今もここにあり」
 神殺しの魔王は、叫ぶ。 

「タンキン様ほど、敵の恐ろしさを知る方はおるまい」
と、不和の侯爵サードナが闇に消える。鴉と狼の群れに姿を変え、敵軍に不和をもたらすために。されど、言葉を司る指輪の女神と破魔の巨人は絶対の忠誠で結ばれ、彼の虚言が、もはや通じることはない。
「我らの働きは、戦いの前に終わっておるさ」
 陰謀家の魔族は戦場から消えたが、火龍の狂気が復讐の炎でこれを焼き尽くした。

「すでに我らは千年もの年月をこの日の分析に当てた」
 宮廷宰相、瞳の大公モーンはタンキンにささやく。
「後は任す」と犬頭の魔王は答える。
「罪名はもとより、我が胸にあり」

 
 そして、戦場では、冬翼の大公ペラギス・グランが火龍と再び対峙していた。
 青い鱗と黄金の瞳を持つ霧の龍王ファーロ・パキールが、数千年の時を経て、地上に再誕していたのである。
「殺せるならば、殺してみよ」
 一角の仮面の下で、グランは笑い返す。
 すでに、破魔の巨人との戦いで、一族の大半は討ち死にしていた。否、もはや死なぬ魔族どもに死は意味などない。正確には、切り裂かれ、貫かれ、動けぬところを、封じられていた。
  グランだけは無敵の強力と不死身の肉体でここまで戦い続けてきたのだ。火龍から奪った角があらゆる者を貫く剣となったのも彼がここまで生き残った理由であった。

 霧の龍王が真っ向から炎の吐息を吐きかける。
 だが、グランは氷の槍でそれを吹き払い、正面より火龍に突きかかる。
 火龍はふわりと舞い上がり、横合いから太い尾を叩きつけ、追いかけるように鉤爪で切り裂くが、グランの体には傷ひとつつかぬ。
「お前の心臓は美味であったぞ」
 グランは、氷の槍で火龍の鉤爪を横に逸らしながら、頭から火龍の喉元につきこむ。頭にはかつて火龍そのものより奪った一本の角が輝いている。
 火龍自身の角であれば、火龍さえも殺すことが出来る。

 されど、その角は火龍の喉に届かなかった。

 突如として、グランの瞳は光を失い、両足も翼も萎えたのだ。
「主の力なぞ、とうに見切った」と、火龍が笑う。
「かつて、我が断ち切った四面の生首をどこかに隠したのであろう。
 だが、神を侮るな」
 そして、グランは頭蓋の上から差し込まれる鋼の冷たさを感じた。
 冬翼の大公が魔族となって初めて感じた冷たさであった。
 動けぬまま、グランは火龍に引き裂かれ、踏みつけられた。
「我が角、返してもらおう」
 一本角が引き抜かれる。
 その角と仮面の下には、顔はなかった。

 同じ頃、ロクド山の奥地で、スクラ・ドゥウーラが無数の矢に貫かれ、苦悶に喘いでいた。その腕からこぼれ落ちた四面の首は破魔の槍に貫かれていた。

 時がやってきた。

 

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 夢歩きその4。
 そして、第一の封印に人々は集う。

 

 

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2007年12月17日 (月)

永遠の冬【47】始まりの地

 遠く離れても海はひとつ。
 波はいつか届くだろう。

 ウィリス11歳の夏。
 少年は、魔獣に飲み込まれ、ひとときの夢を見た。

「これは予言だ」と黒猫がほほ笑む。
「いつか、お前はこの因果の果てに立つ」

 そして、心地よい寒風がウィリスの頬を撫でる。
 雪さえも、心地よい。

「この吹雪の中で熟睡できるとは、まさに冬の申し子」
 やや暗いものの、深みのある声が呟いた。
 目を開けると、そこには白い仮面で顔の上半分を覆った男がいた。髪は黒いが、肌の白さはウィリスと同じサイン人の系統のようだ。情の薄そうな薄い唇と高い鼻が印象的だ。
 しかし、次の瞬間、ウィリスはぞっとした。
 彼のマントから出ている黄金の篭手からは、燃えるような魔力が放たれていた。さらに、仮面からは冷たい死の気配が漂い、彼の周囲には目に見えぬ何かがまとわりついている。

「私をあまり『見ない』ように」
 再び、男が言う。
「君は目が良過ぎるが、準備が足りない」

 あわてて、目をそむけるが、男の放つおぞましい気はもはや無視できない。

「レディアス」
 感情のこもらない声がささやく。
 男の名前なのか?
「君と同じ《因果の果て》に立っている」

 ふっとその声に、ディルスが天幕の中で言った言葉が思い出される。

「……それゆえに、世の中の《事実》なるものが、どれほどおぞましく、はたまた、脆いものかをよく知っております。できれば、……」
 そこで、ディルスは、細い棒を拾い、ウィリスとの間に、線を引くように横に滑らせた。
「ウィリス殿には、この線のこちら側に来ていただきたくありません」
 ウィリスは見えない線を必死で見た。その線の向こう側に、闇とともに微笑む魔道師がいた。

 ほんの目の前の見えない線。

 この男はおそらくその向こう側の住人。
 その肉体にまとわりつくいくつもの魔法の気配。おぞましい歪み。そして、それをもとともせず、感情を込めない酷薄とも言える声。

 だが、ウィリスはここで恐れてはいけない。
 お迎え役として、冷静にならねばならない。
 あの夢が何を示すのか、若い彼にはまだ分からなかったが、この男こそ、ウィリスの運命に深く関わることだ。

「もしや、《冬翼》様を御存知ですね?」
 ウィリスはやっと質問を発した。
「ああ」と男はうなずく。
「猫の王の予言は、私も見た。
 つまり、ここには二人の獣の王がいる訳だな」

「いや、三人だな」
 背後からディルスの声がした。
「お前だけ、勝手に獣の王になるなよ、レディアス=イル=ウォータン」
 ウィリスが振り返ると、ディルスが、シアンを肩に乗せて立っていた。
「獣師アルドナスの第一の弟子を無視するつもりはなかった」
と、レディアスが答える。
「いやいい」とディルスが笑う。
「白き獣師と張り合うつもりはない。
 混沌の魔獣に両腕と双眸を売り払ったか」
「まだ心臓と舌と足は残っているよ」
とレディアスは笑い、ウィリスのほうを見た。
「少年よ、我らが《冬翼》様をお迎えに参ろう」

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 レディアスを書くのに、ちょっと時間が必要でした。
 そして、第一の封印に人々は集い、時は始まる。

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2007年12月24日 (月)

永遠の冬【48】再会

 我らはこの日のために生まれた。
 小さな命は、簡単にそう思い込む。
 だが、その言葉が真実かを決めるのはお前ではない。

 ウィリス11歳の夏。
 少年は、雪の中を歩む。

 アヴァターの高き砦は今もまた雪の中。

「当然だ。感じるだろう、少年よ」

 白き獣師レディアスは燃える右手の篭手を持って雪の斜面の彼方、吹雪の濃い山頂の方角を指差す。
 ウィリスは、思わず、うなずく。
 感じている。
 そここそが、神の住まうところ。
 そこに、ウィリスの神がいる。

「強き魔族の名を封じ、偽り、数万の年月を山頂に留め置いた。
 さすが、神の策謀」

 策謀?
 少年には難しい言葉だった。
 ただ、ウィリスの前後にいる白と黒の獣師がただ好意でここにいる訳ではないことも、ウィリスにはよく分かっている。

(殺すか?)

 吹雪の中で強まる雪狼の声がささやく。
 同朋たる北風の猟犬と戯れるように、吹雪の中を飛び交う。
 心なしか、いつもより殺意も飢えも少ないように感じる。

 ふと、聞いてみたいと思った。

 ウィリスは立ち止まり、吹雪の中を走り回る雪狼たちの影に手を差し伸べる。

(これはお迎えの時?)

 雪狼たちと北風の猟犬たちの影は、雪原の上に立ち止まり、すっと頭を垂れる。

(お迎え役よ、まさに然り)

 ネージャ様の影が現れては消える。

(人の子よ、我らが民よ。
これは長き年月の祭りの結果。
 我らの主をお迎えに行く時)

 ウィリスは雪狼の姫に深く頭を垂れた。

 頭を上げると、白き仮面の獣師がこちらを見ていた。仮面で瞳は見えないので、口元に浮かぶ微笑だけが手がかりであるが、悪意ではないように思えた。
 無言が、彼なりの善意なのかもしれない。

 だが……

 ウィリスは少しだけ気になっている。

《冬翼》様を迎えた後、何が起きるのか?

 風見山はあれ以来、ずっと雪の中だ。
 夏は来ぬまま、ネージャ様の雪の中に埋もれている。
 ウィリスは、雪を恐れない。
 雪は優しいから。

 でも、メイアも婆も父も母も、冬は家に籠もるしかない。
 雪の中では生きていけないから。

 僕は少し違う。

 僕は少し違う。

「少しではない」
とレディアスが言った。
「お前は運命の子だ。
 おそらく、お前こそが獣の王」

 獣の王、やがて、冬を解き放つという予言の存在。

「冬を解き放つということは」とウィリスは問いかけた。
「どういうことですか?」

 白き獣師は、一瞬、ディルスに顔を向けた。
 ウィリスはびくりとした。
 殺気めいたものが、二人の獣師の間に飛び交った。
 やがて、レディアスが言った。

「火龍が目覚めた」

 遠くで雄叫びが聞こえたような気がした。

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 時は螺旋を描き、運命は収束していく。

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2008年1月 3日 (木)

永遠の冬【49】火龍の目覚め

 声が聞こえる。
 内なる声が……
 吼える、唸る、震える。
 それが運命と言うのか?

 ウィリス11歳の夏。
 少年は、吹雪の轟音を越え、運命の声を聞いた。

「火龍パーロ・ファキール」

 言われずともおそらく感じていた。
 遥かな声。
 あれは夢の中で、《冬翼》様と戦っていた霧の龍王。
 青ざめた鱗と黄金の瞳を持つ破壊の化身だ。

 一度、殺した。

 二度目は殺された。

 そして、三度目の時が来た。

 しかし、《冬翼》様は封じられたまま……。
 四面の顔を持つ首を失い……。

「だから、迎えに行くのだよ、ウィリス」
と、レディアスがほほ笑む。
「四方を見る者スクラ……それは偽りの存在」

 ウィリスはうなずいた。
 この身に感じるのは、《冬翼》様の気配である。
 確かに、この山の周囲には多くの力が眠っているが、山頂に感じる第一の力は、慣れ親しんだ冬の神のものであった。

 ならば、この封印を解くのは、お迎え役たるウィリスの仕事だ。

 そして、ウィリスは吼える声が聞こえた南の方角を振り返った。
 それは、もしかすると、故郷、グリスン谷の方角かもしれない。

「龍王はミスタクタイズ河下流に潜んでいる」
と、ディルスが言う。
「あの河を上下しながら、沿岸の村を襲っている」

 いずれ、グリスン谷にもたどり着くというのか?

「そういうことだ」とレディアスが答える。
「火龍との戦いのために、我らは魔族を解放する。
 対価は、永遠の冬」

 ウィリスはうなずいた。

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 そして、次なる物語は、グリスン谷へと戻る。

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2008年4月22日 (火)

永遠の冬【50】間奏:機織り歌


 物語を紡ぐのは誰か?
 あるいは、物語に紡がされているのか?
 どちらでもあり、どちらでもなし。

 ウィリス11歳の夏は、同時に、メーア11歳の夏でもある。
 少女は、少年のいない間も日々を過ごしている。

 ウィリスとゼルダ婆が東へ旅立ってもう一月以上が過ぎた。
 グリスン谷は短い夏の盛りを迎え、畑仕事の合間に、メーアは機織りを習った。
機織りは根気のいる仕事だった。糸を機に並べ、張り、足踏みで糸を開閉させながら、杼を左右に動かしていく。一巻の布を織るのに何日もかかる単調な作業だ。
 パタンと開けて、杼を通し、パタンと閉じて、杼を返す。
 母は歌とともに覚えよという。
 足踏み機をパタンパタンと開閉させるのに合わせて歌うのだ。
 そして、一節歌ったら、糸目を整える。

 母は、祖母から聞いたという歌を歌う。

『霧と雪に祈る』

 谷の、川瀬を流れる霧は、
 眠れる龍のため息か、
 雪狼の足音か。

 ああ、あの人は今、いずこ。
 来年来月、望月の、春の宵には戻りましょう。
 社参りの御講を担って街より戻りましょう。

 山の、尾根に降る雪は
 冬呼ぶ翼の御印か、
 飛び行く姫の外套か。

 ああ、あの人は今、いずこ。
 来年来月、望月の、春の宵には戻りましょう。
 結納品の白き糸、背負って街より戻りましょう。

 ただ、私は祈ります。
 あの人が野辺に倒れぬことを。
 あの人が戦の刃に刺されぬことを。
 ただただ私は祈るのみ。

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 機織り歌はいくつもある。
 未婚の娘が、出稼ぎにいった婚約者の無事を祈る歌もあれば、通じぬ思いを託す歌もある。寂しい歌もあるが、総じて、軽快で元気な歌だ。パタン、パタンという織り機の音に合わせて、拍子をつけて歌う。機織りを教える母も傍らで声を合わせて拍子を取る。時折、近所のおばさんやお姉さんがのぞきにきて、一緒に機織り歌を歌って帰ることもある。歌詞もその場の調子で変わる。時には、近所の噂や過去の出来事を面白おかしく歌うこともある。どこぞの誰かが畑でひっくり返って泥だらけ、羊にかまれて大騒ぎ、誰かと誰かが好いたの、振られたの、村の女たちは笑い飛ばす。
 だから、メーアは寂しくなかった。
 ウィリスがいなくても寂しくはない。

「寂しい時も歌えばいい」
と、母は言う。
「そうすれば、声は届く」

 だから、メーアは機を織り、歌を歌う。

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 またもや少しずつ、再開リハビリ中です。
 次はまた、アヴァターの山へ。

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2008年4月29日 (火)

永遠の冬【51】出会うべき魂


 似た者は同一である、と学院は定義する。
 すべては12とひとつの星座の影に過ぎない。
 多彩なる深淵の表層に投じられた12とひとつの影。
 それはばらばらな存在でありながら、一つである。

 ウィリス11歳の夏。
白き獣師とともに、アヴァター山の吹雪の中を歩む。
向かうは、山頂。
おそらくは、冬翼様の呪縛の場所。
魔道師たちの言い方に沿うならば、冬翼の大公ペラギス・グランの四つの顔、真なる封印のあるべき場所。

「すでに感じているだろう」
と、白き仮面の獣師レディアス=イル=ウォータンは山頂を指差す。
「この頂に、ウィリス殿の主が封じられている」
「ええ」とウィリスは答えた。

 声が聞こえる。
 雪狼たちの歓迎の声。
 ネージャ様の導きの声。
 そして、冬翼様ご自身の気配。

「封印を解くのはお前の仕事だ」
とレディアス。
「はい」とウィリス。
「残念だが」と、もう一人の獣師、ディルスが言う。
「《獣の王》になるのは、お前の仕事だ、ウィリス」
 その口調は余り残念そうには、聞こえない。
 だが、ウィリスにはそれより聞かねばならない質問があった。
「《獣の王》になるとは?」
「うーん」とディルスははぐらかす。
「なる必要などない」とレディアスが横合いから切って落とす。
「お前はすでに獣の王だ。
 聞こえているだろう?
 彼らの声が」
 それはもはや質問などではない。
 確認ですらないだろう。
 ただ、この場でレディアスは聞き、ウィリスはうなずく。
 その儀式が踊りの手順のように必要なのだ。

「ええ」

 ウィリスは答え、うなずく。
 レディアスとディルスはうなずき返す。
 雪狼たちが高く雄叫びを上げる。

「お前は名乗る前から、獣の王であった」
とディルスが説明する。
「おそらく、ゼルダ婆に預けられるずっと以前から。
 その時を覚えているか?」
「ええ」とウィリス。
「白い石碑で、ネージャ様と会いました」
「幼き頃より、魔族の眷属の影響下にあったということだ。
 正しい経路だな」
 レディアスの言及は社での講義のようだ。
「やや、不適切なのは……」
と、レディアスは唇を引き締める。
「ここまでの案内人だが、我々も身の程をよく理解している」
 レディアスの顔の大半は白い骨のような仮面で覆われ、目の色も動きも一切見えないため、ウィリスにはその表情を読むことは出来なかった。
「どういう意味ですか?」

 レディアスは微かに笑う。

「私は愛する女を二度、殺した」

 そして、ほほ笑む。

「一度目は、魔族に捧げた。
 二度目は、見捨てた」

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 またもや少しずつ、再開リハビリ中です。
 名前と実在の話。
 できれば次回はGW明けに。

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2008年5月 7日 (水)

永遠の冬【52】異端者の過去


 失うことを恐れるな。
 怖れに身を震わせて無為に過ごす時間こそ最大の危険を招く。

 ウィリス11歳の夏。
白き獣師とともに、アヴァター山の吹雪の中、かつて愛した女の死を語り出す。

「異端者は、なぜ、異端者と呼ばれるのか?」
と、レディアス=イル=ウォータンは自嘲気味に笑う。酷薄さを示す薄い唇を見て、ウィリスは、(寂しそうだな)と思う。
「それは、人として越えてはならぬ一線を越えてしまうからだ」

 人としての線。
 黒い獣師ディルスも言っていた。
 異端の獣師とウィリスの間にある、一本の線。
 その見えない線を、「越えては欲しくない」と。

「私は、その女を生きたまま、魔族に捧げた」
とレディアスは言う。

 生贄の儀式。
 ウィリスはぞっとした。
 そういうことをする、魔族の使徒がいるとよく聞く。ありがたいことに、グリスン谷の周辺にはいないらしいが、それでも、邪悪な魔族の信徒によって、子供がさらわれたとか、殺されてしまった娘の話は噂として聞いていた。腹を裂かれ、腸を引き出されていたとか、首を切られ、目をえぐられていたとか、それは、それは、恐ろしい話ばかり。

 答えることの出来ぬウィリスを知ってか知らずか、レディアスの告白は続く。

「それは叡智の代償だった。
 そうして、私は魔獣作成の秘儀を得た」

(叡智?)

 ウィリスはそれがどれほど大事な物かは分からなかった。
 確かに、魔法を学ぶために、多くの努力と苦難が必要なのは分かる。
 あんなことが一つもなく、ただ力を手に入れられるなら……
 でも、自分は誰かを代わりに生贄に捧げたりはできない。
 ゼルダ婆でも、メイアでも。

「そこまでしてしまう理由をお前が理解する必要などない」
とディルスが言う。
「人の命より大事な知識があるなどと考えるな」

 それが「人としての一線」。

 白き獣師レディアスは、黄金に輝く右手の篭手を握って見せる。
 ウィリスはそれが大きな魔力を発しているのを感じる。
 それがもしや、女性を代償に得た力なのか?

(否)

 ウィリスの疑問に答えるように、篭手が遠吠えを揚げる。
「これは、《陽炎の王スルース》」とレディアスは笑う。「獣師同盟より奪いし、《混沌の六魔獣》の一体に過ぎぬ。こやつを御するために、我が右腕を捧げた」
 見れば、レディアスには、左腕がないし、顔にはまり込んだ白い仮面はもはや肉体と一体化しているようだ。

「二つの目は、《収穫の騎士ラシュノルド》に、
左腕は《すすり泣く無限》に捧げた」

 あと、この人の中に人である部分はどれほど残っているのだろうか?
「それでも、私は、サイアを救えなかった。
 私は彼女を見捨て、今、ここにいる」
 その声は毅然としていた。

(後悔はしていませんか?)
 その問いは、ウィリスの唇まで達しなかった。

 突然、遥か南でおぞましい龍の気配が爆発した。

(汝らは我が餌)

 再び、あれが目覚めたのだ。
 飢えたる《霧の龍王》が。

 レディアスは、黄金の篭手で山頂を指差す。
「ウィリスよ、さあ、冬の封印を解け。
 そうして、お前の大事な物を救いに行け」

 メイアの顔が浮かんだ。

 その瞬間、ウィリスはひとり走り出す。
 雪狼たちが回りに従う。
 心地よい風と雪が強まる。

(乗れ)

 雪狼の声が響き、ウィリスは風とともに浮かび上がる。
 そして、天高く舞い上がると、ついにそれが見えてきた。
 山頂の上、巨大な四つの顔を持つ首が、黄金の鎖によって山そのものに縛りつけられていた。

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 またもや少しずつ、再開リハビリ中です。
 GW中に、いくつも『深淵第二版』に関する質問をいただいております。こちらも近日中に少しずつ対応させていただきます。次回は来週に。

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2008年5月14日 (水)

永遠の冬【53】四方を見る顔

 偽りの名前と魔法の呪縛に縛られて
 我は四方を見る。
 復讐の兆しを見逃さぬために。

 ウィリス11歳の夏。
 ついに、《冬翼の大公》を束縛する封印へと辿りつく。

 アヴァター山の山頂に広がる広大な廃墟の中心。
 吹雪く白雪で霞むその空中に浮かび上がる、巨大な四つの顔を持つ首。それはグリスン谷のどの家よりも巨大で、開かれた口だけで水車ほどもあった。絶えず、四つの口から風を吐き、唸り、吼え、呪いを紡ぐ四つの顔。
 それは呪わしき封印の大地から身を遠ざけようとするかのように、空へ空へと舞い上がっていこうとする。しかし、何本もの黄金の鎖が首の各所を縛りつけ、ギシギシと唸りを上げながらも、巨大な首を山そのものに縛りつけられている。

「あれこそ、我らが父」
と、吹雪の中を舞う雪狼たちがささやく。
「おいたわしや」

 同時に、ウィリスの脳裏に、ネージャ様の声が響く。
「解放の時は間もなく来る。
 ウィリスよ、そちはお迎え役。
 すべきことは、お迎えの儀」
 その声が遥か風見山から伝わってきていることは分かっていた。
 ネージャ様の封土。
 最初に、永遠の冬が来た場所。

「この地にありし封印は、呪わしき下僕が解く」

 それが誰かは、何となく想像がついた。
 以前、街道で出会った邪悪な気配の魔道師。
 ゼルダ婆が言っていた「最悪の男」。
 あの者は禁忌を冒すために生まれた者。
 おそらくは、魔族の封印を解きつつ、その呪いを受けようとする者。
 あの男はあまりにも恐ろしく、あまりにも邪悪で、思い出しただけで悪寒がする。近づいたら、瘴気に当てられ、倒れてしまうだろう。

 でも……

 ウィリスは涙が出るのを感じた。
 魔族の呪いを引き受けるために、生きているのだとしたら、それはそれで悲しいことだ。人であることを止め、誰からも恐れられ、嫌われ、解放した魔族からさえも呪われるとしたら、あの男はどこで安らぐのだろうか?

「人として越えてはならない線」

 獣師ディルスが言っていた線の向こう側に生きるのか?
 おそらく、あの少女のように見えてもはや人とは言えない「棘のある雛菊」という女性だけが旅の仲間なのだろう。

「優しき子であるよ」
と、ネージャ様が言う。
「あれは、自らあの道を選んだ。
 お前もお前の役割を果たせ」

 ネージャ様の声とともに、ウィリスを乗せた雪狼は、巨大な首の下へと舞い降りる。古代の都市の内側、呪わしい封印の鎖の根本だ。
 鎖は、大木そのものを使ったような巨大な黄金の杭と礎石で大地に固定され、ひとつひとつの輪が大人ほども大きく、輪にされた金属は、ウィリスの胴ほども太い。

 雪狼の背から降りたウィリスにはもうすべきことが分かっていた。
 お迎えの舞と祝詞。
 本来、冬の始まりに行うべきお迎えの儀により、《冬翼様》を、真実の封印のありかへお招きするのだ。
両手を差し伸べ、ゆらゆらと複雑な弧を描く。
 ウィリスの祝詞に合わせて、雪狼が吠える声を上げる。

 ウィリスは、自らの中に巨大な冬の力が集まってくるのを感じる。

 遥か北の彼方、《夏のお休み所》で《冬翼様》が目覚められるのを感じた。今まで、封印によってくぐもっていた意識が目覚め、荒御魂が飢えと怒りに満ちていく。戦いのための精気が身心に満ち、感情が高まってゆく。
 ああ、目覚めの時が来たのだ。

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 ついに、《冬翼の大公》復活であります。
 次回はまた来週。

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2008年5月19日 (月)

永遠の冬【54】響き渡る声


 誰もが感じる、再会の時を。
 誰もが知る、目覚めの時を。
 誰もが歌う、呼び合う声を。

 ウィリス11歳の夏。お迎え役としての時を迎える。

 ウィリスは、目を閉じて、お迎えの祝詞を口にする。
 両手を空へ向け、ゆっくりと舞い始める。

「ご来臨あれ、ご来臨あれ。
 いと高き人よ。
 収穫も終わり、蔵も樽も満たされた。
 囲炉裏を囲み、歌を唱ずる我が家を訪れ、
我らが酒を飲み、我らが膳を受け取られよ」

 グリスン谷のお迎えの祝詞は、秋の終わり、北風とともにやってくる《冬翼様》を、賓客の神として歓迎するものだ。
《冬翼様》がなぜ南北に旅するのか?
 グリスン谷に伝わる話は、《冬翼様》の悲しい定めを語る話だ。

《冬翼様》には、愛する妻がいた。
 その妻は、呪いにかかり、夏が終わると、一羽の渡り鳥になって南の地へ旅立ってしまう。だから、《冬翼様》は冬とともに、愛する妻を南へと捜しに来る。寂しい、寂しいと探しに来る。残念ながら、人の姿を失ってしまった妻は見つからない。だから、荒れ狂い、雪で大地を埋め、川を凍らせてしまう。
 そこで村人は、《冬翼様》を歓待し、その荒御魂を慰め、腹を満たしてもらう。
 春になれば、《冬翼様》の妻は、渡り鳥になって戻ってくる。そうしたら、《冬翼様》に渡り鳥とともに、北の館へお戻りいただくのである。
 そうして、無事、春を迎えれば、その年の豊作が約束されるという。

 だが、ウィリスはその物語の意味を理解した。

 《冬翼様》は、かつて落とされた首を捜しておられたのだ。
 呪いによって、首を見出すことも出来ぬまま、何年も何年も、北の館と南の谷を往復しながら、己の首を捜しておられたのだ。

「ご来臨あれ、ご来臨あれ。
 いと高き人よ。
 偽りの時は終わり、正しき場所に導きましょう。
 さあ、なくした物を取り戻されよ。
 再び、全き姿となって、武勲の時を迎えられよ」

 祝詞の舞いとともに、吹雪は強まり、封印の鎖はギシギシと鳴る。
 鎖の回りを、雪狼たちが舞い、遠吠えを上げる。

 やがて、遥か彼方に強い気配が生じた。

「あれこそ、我らが父」
と、吹雪の中を舞う雪狼たちがささやく。
 同時に、ウィリスの脳裏に、ネージャ様の声が響く。
「さあ、舞え、舞え。
 解放の時は間もなく来る。
 ウィリスよ、そちはお迎え役。
 我らが獣の王」

 その声と同時に、一瞬の幻視がウィリスの脳裏に閃く。

 あの呪わしき男が、雪原の中央、突き出した黒き槍に手をかける。
 その手から黄金の炎が上がるが、傷だらけの顔をした男は黒き槍を引き抜く。
「照覧あれ!」
 叫びとともに、雪原から黒き槍を引き抜いた男はそのまま、雪の斜面を落下していく。

 途端に、北の彼方の気配が強い物に変わる。
 同時に、頭上の首の四方を向いた顔が、かっと目を開く。

「我は目覚める」

 そして、吹雪の音と雪狼の遠吠えが最高潮に達し……
 アヴァター山の上に、巨大な翼の影が落ちた。

 ウィリスは舞を納め、大地に伏せる。

「よくお出で下さいました。
 よくお出で下さいました」

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 ついに、《冬翼の大公》復活であります。
 次回はまた来週。

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2008年5月26日 (月)

永遠の冬【55】顕現せし真実


 魔は魔である。
 それ以外にどう説明すればいいのか?

 ウィリス11歳の夏。お迎え役としての時を迎える。

 「それ」は恐ろしい冬の力そのものであった。

 《冬翼様》とグリスン谷では呼ばれた神。
 あるいは、
 《冬翼の大公》と魔道師学院に伝わる魔族の諸侯の一柱。

 いずれにせよ。

 お迎え役として地に伏せたウィリスでさえ、
 「それ」を神という一言で表現していいものなのか、
 ただ、「畏(おそ)れ」るべき存在。
 世界の大半を圧してなお、意志を持つ「異形の神霊(もの)」。

 怖い。
 とても怖い。
 死ぬほど怖い。
 その怖さは、顔を上げることなどできない。
 それでも、何かの弾みで死んでしまいそうなほど怖い。

 ここに伏しているのが、ウィリス以外の誰だったとしても
 きっと、すぐさま凍りついて、死んでしまったに違いない。
 それほどの寒風が神の声ととこに周囲を荒れ狂い、暴れている。

 それでも、ウィリスは、うれしい。
 神の声は古い、古い、神代の言葉であったが、
 そこには喜びがあった。

 圧倒的な喜び。

 切り裂かれ、奪われた自分の一部と再会した喜び。
 奪われ、隠され、偽られた自らの名前を取り戻す喜び。
 長き封印から解き放たれ、自ら戦う喜び。

 この方を迎えるために、ウィリスはここまで生きてきた。

 わずか2年前、9歳の時に「お迎え役」となった。

 この2年間、ゼルダ婆とともに、修行してきたのはこの日のためだ。

 そして、ウィリスは身を切るような寒風に向かって立ち上がる。
 「願い」を。
 「願い」を伝えねばならない。

 我らが神に救いを求めねばならない。
 憎悪と破壊にすべてを向ける前に。

「《冬翼様》、《冬翼様》。
 小さき者の願いをお聞き届け下さい。
 我らの谷を、我らが村を、飢えたる火龍よりお救い下さい」

 ごううううううううう!

 突風がウィリスを吹き飛ばす。
 地面にしがみつくことも出来ぬまま、ウィリスは宙に浮く。

 そして、それが神の笑い声だと知った。

 神は喜んでいる。

 復讐の時を。
 戦いの時を。

「火龍!」

 圧倒的な喜びの感情が爆発し、四つの顔を持つ神は巨大な翼を羽ばたき始める。

「戦いこそ我が糧」

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 ついに、《冬翼の大公》復活であります。
 次回はまた来週。
 おそらくは、山々にて。

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2008年6月16日 (月)

永遠の冬【56】出陣


 時は来た。
 時は来た。
 時は来た。

 ただ声は響く。
 千年も万年も昔から、この時を待っていた。

 ウィリス11歳の夏。

 祈りが届いた瞬間――――
 ウィリスは「呑み込まれた」。

 封印が裂け、
 巨大な鎖が断ち切れ、
 アヴァター山頂上の結界そのものが、
 封じられた《冬翼様》の頭部とともに、
 上空へと吸い上げられる。

 ウィリスの体は、雪狼とともに舞い上がり、
 そのまま、《冬翼様》のお体に向かっていく。

 轟。
 風が吹き荒れる。

 寒くなどない。
 寒気はウィリスの友だ。

 気づくと、ウィリスは巨大な掌の上にいた。

 轟轟。
 風が渦巻く。
 それはおそらく、《冬翼様》の笑い声。

 そして、雄叫び。

「さあ、どこに行けばいい?」

 《冬神様》が叫ぶ。

 ウィリスはただ南を指差した。
 火龍の気配の方向。
 戦いの声が響くところ。

 轟轟轟。

 《冬翼様》は、風を蹴って走り出す。
 雪狼の群れが歓喜の雄叫びを上げ、その周囲を飛び回る。

 遥か彼方から雄叫びが上がる。
 あれは、「冬の祠」。
 万年の年月を待ちわびていたルーヴィディア・ウル様のお声。

 雷鳴が轟き、稲光が輝く。
 寒風の彼方、稲妻の魔神もまた推参しようというのか?

 そして、《冬翼様》は、ロクド山の深き峰へと飛ぶ。

 遥か南方、谷間深きあたりに、濃密な霧が渦巻いた。
 あれこそ龍の巣。

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 しばし、間が開いてしまいましたね。
 夏に向けて、イベントが続き、学校や締め切りも重なって色々多忙ですが、何とか、次回は来週に。

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2008年6月24日 (火)

永遠の冬【57】短い夏の終わり

 何気ない時。
 何気ない日々。
 それがいかに大事なものなのか?
 失って初めて気づく。

 メイア11歳の夏。

 グリスン谷の夏は短い。
 ウィリスとゼルダ婆が旅立って一月あまり、夏はもう陰りを見せ、村人たちは収穫前の畑仕事に精を出している。

 きっかけは霧だった。

 朝、河沿いに漂ってくる霧は少しずつ濃さを増していった。最初は太陽が昇るとともに、消えていった霧が少しずつ長く残るようになった。
 村人たちは春の戦の影響で、夏が少し涼しいものとなってしまうのは諦めていた。雪狼の姫君が風見山に降臨され、溶けぬ雪で山を覆ってしまったのであるから仕方ない。霧もまたそういう事柄の影響と思っていた。
 しかし、河を下って川下の村へ出かけたラインの次男坊が10日経っても戻らなかったので、ちょっとした騒ぎになった。どこかで溺れたか、それとも獣に襲われたのか?
 ウィリスの父ジードが村の男衆を連れて探しにいった。

 結果はもっと恐ろしいことだった。

 川下の村は晴れることのない濃くねっとりとした霧の中に沈んでいた。
 人の気配も家畜の鳴き声もしなかった。
 轟くようなたったひとつの吐息だけが村を包む霧から響いてきた。

 轟轟轟。

 ジードはただ恐れるばかりの村人に避難の支度を命じて村に返した。
 村長はその知らせを聞いて顔を青くすると、村人を集め、荷物をまとめるように指図すると、砂の川原に使いを出した。明朝には村を離れられるだろう。
 その夜、ジードが戻ってきた。
 わずか一日だったが、ジードは別人のようにやつれていた。

「火龍だ、霧の中に馬鹿でかい奴がいる」

 そして、その朝は霧が晴れなかった。

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 何とか、次回は来週に。


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2008年9月 1日 (月)

永遠の冬【58】霧の濃い朝

 それもまた策謀のうち。棘のある雛菊は、風に舞う。

 メイア11歳の夏。
 その朝、霧が晴れなかった。

 人々は、息を潜め、ゆっくりと移動した。ウィリスの父ジードが見張り役として川岸に立ち、その間に人々は九十九折れの崖道を登った。村長の命令で家畜は柵から放ち、田畑に残された。
 逃げ落ちる先は、領主が住む砂の川原と決まっていた。砂鉄取りに人手を求めるあの街ならば、避難民にも優しいであろう。
 足の遅い老人たちの何人かは、後に残ると言った。もはや老い先の短い彼らはグリスン谷の末路を見届けたがった。だが、その多くは家族に背負われて坂を上っていた。
 結局、谷に残ったのは、昔、狐狩りの名手だったリシュの爺と、酒の仕込み中だというウシュキの親父、それに見張り役のジード、そしてメイアだけだった。

 メイアが残った理由は昨夜、この地を訪れた一人の来訪者の言葉によるものだった。

 それは豪奢なドレスをまとった10歳ほどの愛らしい貴族の少女だった。
 彼女は、なぜかゼルダ婆の家から現れた。
「我は使者である。
 ウィリスとゼルダ婆の伝言を届けに来た」
 傲慢とも言える物言いは、彼女の口から出るといかにも自然であった。
「この地は、明日、戦場となる。
 村民は家畜を残し、この村を離れよ。
 避難先は砂の川原」

 村人はためらった。
 ここ何日か、川下の龍の存在で不安になっていたのであるが、村を離れるなど考えてはいなかった。そのため、突然、現れたものの唐突な言葉に従うか悩んだのである。

 だが、ジードの言葉がきっかけを作った。
「お前は、魔道師だな?」
 ジードは、もともと、北原で傭兵をしたこともある男。この田舎の村の中で数少なく世知に長けていた。
「退去は、魔道師学院の命令か?」
「しかり」と少女は答える。
「これは、我が師匠《召喚者スリムイル=スリムレイ》と、汝らの先代お迎え役ゼルダこと《風読みのゼルディア》が合意によって発せられたる警告なり」
 村人はざわめく。ゼルダがこの村に来る前、どこかで魔法の修行をしていたということは、村の老人たちしか知らぬことであった。

「汝らは知っているであろう。
この川下に、霧の龍王ファーロ・パキールが潜み、村を襲っていることを。
 ゆえに、我らは汝らに避難を命じるとともに、ここで火龍を食い止める仕掛けを行う」

 そうして、彼女は村人の中にいたメイアを見て微笑んだ。
 その視線にメイアは背筋が凍りついた。
 グリスン谷の冬よりも冷たい何か。
 この少女は、たぶん、人ではない。
 メイアはぞっとした。
 おそらく、雪狼の姫のほうがよほど人らしい。

「ウィリスの許嫁か。
 お前には、役目がある。
 ウィリスが帰り着くために、お前が必要だ」

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 何とか復活中、次回は来週に。

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2008年9月 8日 (月)

永遠の冬【59】火龍の雄叫び

 歌え、その祈りを声に乗せよ。

 メイア11歳の夏。

「霧は晴れない」
と、その少女は言った。
「だから、お前には、ウィリスを導いてもらわねばならぬ」
「ウィリス!」
 メイアは声を上げた。
「帰ってくるの?」
「帰ってくる」
 そして、彼女は北の空を指した。
 霧に包まれた白い空だったが、どこか夏とは思えぬ何かが感じられた。

 少女の名前はエリシェ・アリオラといった。
 彼女はその外見とは裏腹に老成した口ぶりで、ジードや村長と話しこみ、結局、朝から村人は里を去ることになった。
 彼女は、南の村に住む《霧の龍王ファーロ・パキール》の恐ろしさを得々と説明し、火龍の足止めのために、ジード、メイア、酒造りのウシュキ、そして、弓と罠に詳しいものとして、リシュの爺を残した。
 ジードとリシュは、ありったけの綱と道具を抱えて、川を少し下った。ジードは、火龍が早めに来た場合のために、鏑矢を持って川岸に潜んだ。その合間に、リシュの爺が川面を大物が抜けたら、鳴子が鳴るように仕掛けを張った。
 ウシュキは秋祭りのために仕込みかけた酒を村の川岸に運んだ。
「酒の匂いは、人の気配を隠す」
と、エリシェがいう。
「龍を酒に酔わすのかね?」
と、ウシュキが問うと、エリシェは微笑む。
「あれを酔い潰すには、この村が沈むほどの酒が必要だろう。
 そもそも、あれが酒を飲むかどうか、確認したものはおらぬ。
 少なくとも、泥酔した火龍という記録は残っていない。
 ……興味深い問題かもしれないわね」

 やがて、朝になり、村人たちが九十九折を上っていく。
 もはや霧は濃く、崖の上はもはや見えない。

「あとは、段取り次第」
 メイアを横に控えさせたまま、エリシェは、村の中央から動かなかった。
「あの、」とメイアは思い切って話しかけた。
「エリシェ様は、ウィリスや婆様とお会いに……」
 場違いな質問であることは分かっていた。
 だが、霧に包まれたグリスン谷で、メイアは沈黙を守り続けることが出来なかった。
「ああ、つい先日、会った」
 エリシェの答えはそっけなかった。
 メイアは言葉を続けることが出来なかった。
 しばらくの間があってから、エリシェは言葉を続ける。
「悪いな、どうも、世間話というのは苦手だ」
「いえ、あの」
「……《風読みのゼルディア》、いや、おぬしらの先代お迎え役、ゼルダは、我が妹のようなものだ」
 10歳にしか見えない少女の口から出るには、不似合いの言葉である。
 あきらかに四十を越え、老婆の域に達しつつあるゼルダの姉には決して見えない。
「ウィリスは、今、最後の扉に迫っているはずだ」

 そして、鳴子がカタカタと音を立て、鏑矢が虚空に甲高い音を上げた。
「来たぞ」
 エリシェの声は、引き続く火龍の雄叫びにかき消された。
 谷全体が轟きに揺れ、メイアはもはや恐怖で動くことさえできない。

 そして、また、すべては沈黙に包まれた。

「来た!」とエリシェは近くの酒樽を蹴り倒す。
 濃厚な酒の匂いがあたりに漂う。
 酒樽の間を走るエリシェの頭上に巨大な顎が出現し。その上半身を丸呑みにする。家よりも大きな上下の顎が、がきっとかみあわされ、エリシェの姿が消える。

「あ、あ、あ」
 もはや、メイアには声を出すことも出来ぬ。
 その背後から、すっと誰かがメイアの体に手を回す。
「飛ぶよ」
 エリシェの声とともに、メイアの視界は暗くなった。

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 何とか復活中、次回は来週に。

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2008年9月17日 (水)

永遠の冬【60】鏡の飛翔


 これこそ我が世界、知られざる深淵の旅路。

 メイア11歳の夏。

 一瞬、波音が聞こえた。
 沈むような感覚とともに、不可解な多色の輝きがメイアの脳裏をよぎる。

 輝きの中をくぐる。

 どこにいるか分からない。
 いや、足の下には何もない?
 落下する?

「目を閉じ、思い人のことだけ考えろ!」

 メイアの体を抱くエリシェの老成した声が耳に注ぎ込まれる。
 何か答えようとしても、いまだ、恐怖に震える唇は何も言えずにいる。

 再び、輝きの中をくぐる。

 どこにいるか分からない。
 濃霧が湖のように広がる風景。
 ああ、これはグリスン谷だ。
 村も畑も何もかもスープのような白い霧に没している。

「来い、もう一度飛ぶ」

 振り返ると、エリシェは岩場に描いた魔法陣の中で、巨大な鏡を調整している。
 そして、その上空には輝く七枚の鏡のような光が舞っている。
「あ」
 しかし、それが何かを問うだけの余裕はメイアにはまだない。

「一度は守る。その間にウィリスの名を呼べ」

 そして、エリシェもすでに、次なる呪文の詠唱に取り掛かった。
 ゼルダ婆から聞いたことがある。
 魔法の力は人の子には大きすぎる。
 長い詠唱と入念な準備があって初めて出来ること。
 それでも、魔法を使うならば、人は多くの代償を支払わねばならない。
 すでにエリシェは、疲労し、その腕やドレスにさえ、見えない獣の爪に引き裂かれた跡が見える。さきほど丸呑みされたはずの彼女がなぜ生きているのか? おそらく何かの魔法だろう。だが、あれほど強大な怪物を一度は偽った魔法の代償は十分に彼女を蝕んでいる。

 メイアは、心を落ち着かせる。
 エリシェはエリシェの役割を果たそうとしている。

(私は、私が出来ることをしよう)

 それがどれほどの意味を持つのかはわからない。
 でも、今、そうするしかない。
 彼女は叫んだ。

「ウィリス!」

 大きな声が谷に響く。

「ウィリス!」

 霧の中から巨大な龍の頭が浮かび上がる。
 でも、メイアは叫び続ける。

「ウィリス!」

 龍は、崖の上で叫び続ける少女を発見する。その周囲には、古鏡の魔法がきらめく。いらつくように、龍は吼える。
 その声は言葉にならない唸りであったが、強烈な意志を伴ってメイアとエリシェを襲う。

 汝らは我が餌。
 ただそれだけの存在に過ぎないのだ。

 圧倒的な否定。
 メイアは声を詰らせる。
 もう食べられてしまうしかないのね。

 言葉が出なくなる。

「叫び続けろ!」

 エリシェがメイアを抱き起こす。
 同時に、火龍の大顎が迫るが、一瞬、きらめく鏡のような魔法にさえぎられる。
 鏡はたちまち砕け散り、同時に、メイアとエリシェは再び、闇に落ちる。

 一瞬、何かを通り抜けた後、落ちたのは、グリスン谷をはさんだ反対側の崖の上だった。

「叫べ!」

 エリシェの口元からは、血が流れている。
 それでも、棘ある雛菊の名前の通り、微笑み続ける。

「叫べ!」

 メイアは理解し、そして、叫ぶ。

「ウィリス!」

 火龍が振り返り、メイアを見つける。
 ふたたび、唸りを上げようとして、龍は北に視線を逸らした。
 凍てつくような北風が一気に吹き寄せ、谷から霧を吹き飛ばす。
 そして、白い巨人が龍に向かって槍を突き出した。

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 何とか復活中、次回は来週に。

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2008年9月24日 (水)

永遠の冬【61】激突


 その風景を目撃することは、人の子にあるべからず。

 メイア11歳の夏。

 メイアは、その風景に身動きもできない。
 グリスン谷を覆う濃密な霧。
 海にも似た霧の谷から首を突き出した巨大な黄金色の龍。

 たぶん、その風景だけでも人は狂うに足りる。

 ましてや、その濃密な霧の湖の下に故郷の村が消えたとあれば、それは、幻とも信じたい風景である。

 しかし、それは火龍の襲来だけでは終わらなかった。

「ウィリス!」

 叫びに答えたのは北風。
 肌を刺すような凍てついた霙交じりの寒風。
 凍てつくような北風が一気に吹き寄せ、谷から霧を吹き飛ばす。

 その風に乗って白い巨人が火龍に突進する。
 四本の腕、四つの顔。
 そして、背中から世界を覆うほどに大きく広がる巨大で異形の翼。
 快楽の笑いとも、憎悪のうなりとも判別できない叫びが響き渡る。

 メイアは、風がさらに凍てつくのを感じる。

「冬が来た」

 とっさに感じた言葉が口から漏れる。
 それが真実を語っているのだと自ら気づき、メイアはひざまずく。

「冬翼様」

 祈りの中、まるで寒風がここちよい誰かの抱擁のようにメイアを包む。

「……ウィリス」

 メイアは、少年が帰ってきたことを知った。

*

 そして、火龍と巨人は激突する。

 巨人の腕から突き出された白い氷の槍が火龍を正面から捉える。
 同時に、火龍の口が輝き、炎を吐く。
 あたり一面が焦げる。
 凍てつく寒風が、一気に紅蓮の熱風に変わる。

 だが、巨人は火炎の下をかいくぐり、火龍の翼を槍で引き裂く。

 空中で傾いた火龍の首が巨人を追い、火炎が谷間をなめる。
 一気に、谷底から蒸気が舞い上がり、またも、火龍と巨人の周囲に霧のように巻き上がる。

「それでよい」
と、エリシェ・アリオラがつぶやく。
「火龍め、それが己の足かせとなることに気づいておらぬ」

 次の瞬間、霧が一気に白くなった。
 ねっとりと濃くなり、その内側から火龍のくぐもった叫びが上がる。

 そして、人の怒号が響く。

「エリシェ!」

 邪気とともに、怒りの声が舞い降りる。
 振り返れば、全身血まみれで、傷だらけの顔の男が鏡の前で荒い息を吐いている。
 その手には、血にまみれた黄金の槍がぶらさがっている。

「相変わらず、馬鹿だな、お前は……」
と、エリシェが微笑む。
 華のように。
「さて、メイア。
 後は頼むわ。
 戦いが終わった後、ウィリスを呼び戻せるのはお前だけだ」

 そして、エリシェはさらなる跳躍のための詠唱に入った。

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 新聞小説なみの短さですが、ちょっと締め切りの関係で今週はここまで。
次回は来週に。

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2008年10月 1日 (水)

永遠の冬【62】破魔の槍


 時として、愚かとも言えることこそ最善。

 メイア11歳の夏。

 その槍と、持ち主の関係ほど不似合いなものはなかった。
 黄金に輝く槍の穂先は暖かき太陽のごとし。
 されど、それを血まみれの手で握りしめる男は、顔全体に多くの傷を刻み、おぞましき邪気を放ち、怒号と悪態をはき続けている。

 そして、その傍らでエリシェは古き言葉で詠唱を行う。

 メイアはその風景に背を向け、巨人と火龍がうなりをぶつかり合う故郷の谷間に目をやる。四つの腕を持つ巨人は、火龍の翼を槍で貫き、皮膜を引き裂く。

(今度こそお前を!)

 巨人の戦士の意志が圧倒的な戦いの意思とともに、メイアの気持ちに踏み込んでくる。
 戦い、戦い、戦い、正面からぶつかり合う。
 殺し、殺し、引き裂き、貫く。
 痛みを与え、苦痛を与え、その肉を食らう。

 巨人と火龍からあふれ出る殺気で、メイアは動けなくなる。

(消滅せよ)

 強い憎悪の波動とともに、火龍の吐息がまたも谷間を焼く。
 牧場も畑も一瞬で燃え尽き、川が蒸気に変わる。煤煙と蒸気が谷間に満ちる。
 その吐息を避けるように谷間を低く走る巨人に対して、火龍が襲い掛かる。巨人は巨大な鉤爪にわき腹を引き裂かれながらも、川床を逃げ回る。火龍は再び流れ始めた川の水の中に四足を踏ん張り、さらなる吐息を巨人に吐きかけようとする。
 だが、ここで巨人の雄叫びが響く。

(火龍よ、お前は負けた)

 突然、谷全体は凍てついた。
 蒸気がきらめく雪に変わり、火龍の翼に分厚くまとわりついた。
 川は一瞬にして凍り、火龍の四足を凍った氷の中に封じ込めた。

*

 谷の上空。
 空中に浮かぶ魔鏡から突き出す一本の腕。
 血まみれの手に握られていたのは、黄金の槍である。

*

 火龍は、怒りの叫びを上げるが、足は硬く凍りつき、見る見る厚さをましていく氷の中にがっちりと捉えられたまま、飛び立つこともできない。
 巨人に向かって吐きかけようとした火炎を足元に向けるべく、首をかしげた火龍は、次の瞬間、落下してきた黄金の光に胴体を貫かれた。
 まるで、糸が切れたように崩れ落ち、川床に倒れ伏す火龍。四足が固定されているため、その姿勢は、ずいぶん傾いたものであったが、首と翼、尾が弱弱しく、凍りついた川面に落ちる。
 巨人は、白い氷の槍を振り上げて、その口を上から串刺しにする。上下のあぎとを縫いとめられた火龍の上に、ざっと雪が降り積もり、たちまちにして小高い氷の山と化す。

 メイアの目の前で、グリスン谷は巨大な氷雪の吹き溜まりへと変わっていった。

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 次回は来週に。


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2008年11月23日 (日)

永遠の冬【63】魂(たま)呼び


 この場所こそ我が故郷。
 それだけは決して忘れない。

メイア11歳の夏。

 それはもはや谷とは言えなかった。
 氷と雪に埋められたくぼ地。
 故郷は、すべて、凍てついた氷雪の中に消えた。
 メイアの生まれた谷はもうどこにも見えない。
 黄金の火龍とともに、凍りついてしまった。

 何が起きたか、たぶん、分かっている。

 彼は、神を迎えにいった。
 今日、この時のために。
 今、この日のために。

 そして、選ばれた結果。
 彼は神とともに、帰還し、火龍と戦い、そして、今、ともに氷雪の封印となった。

「……だから、心配しなくていいよ」

 本来ならば、身を切るような風がメイアを優しく抱く。

「村は守れなかったけれど、皆を守れた。
 メイアを守れた」

 そして、メイアは、ただひとつの名前を叫ぶ。
「ウィリス!」

「そうだ、もっとしっかり叫べ」
 背後から、鋭い叱責が飛んだ。
 振り返ると血まみれの男と雛菊がいた。雛菊自身がまとったドレスも何かに引き裂かれたように、ボロボロになっている。男は体中、傷だらけだが、微かに息をしているようだ。
「あ、あの」
 思わず、メイアが声をかけると、雛菊はさらに怒鳴る。
「どうした、もっと叫べ!
 あいつの名前を呼ぶんだ。
 そうしないと帰ってこないぞ」

 一瞬、雛菊の言葉の意味が分からなかった。
 だって、ウィリスはここに……

「そんな風みたいに悟った魂なんかすぐに消えちゃうよ。
 お前の欲しいのは、亡霊か?」

 違う。
 違う。
 違う。

 私は、彼に帰ってきて欲しい。
 きちんと手や顔を持った、あのウィリスに。

「欲しいなら、叫べ!」
 血を吐きながら、雛菊が立ち上がる。
「私なら、そうする。
 黙ったまま、奪われたりしない。
 私は」
 雛菊は、言葉を切る。

(あとは、お前次第)

 分かっている。
 あなたはきっと、私の声に答えてくれる。
 あなたがお迎え役になった時から、この日のために私もここにいた。
 呼び戻す。
 あなたを。

「ウィリス!」

 叫ぶ。

「ウィリス!」

 叫ぶ。

「戻ってきて!」

 そして、北風が舞い上がり、少年の形を取った。

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 もうすぐ終わります。
 たぶん。

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2008年11月29日 (土)

永遠の冬【64】帰還


 夢を見ていた。
 果てしない夢を。

ウィリス11歳の夏。

 声が聞こえた。
 名前を呼ぶ声。
 メイアの声だ。

 ウィリスは分かっている。

 ここまでの旅路を覚えている。
 《冬翼様》を迎えに、北の山へ行ったことも、火龍と戦うために戻ってきたことも、みんなみんな知っている。
 グリスン谷を氷雪に埋めてしまった。
 故郷は、もはや、火龍とともに氷の下だ。

 それはしかたないことだった。
 あのまま、火龍に焼かれて、食われてしまう以外にこれしか方法がなかった。
 それは、ずっと昔から《冬翼様》や魔道師が考えてきたこと。

 そして、ウィリスは知っている。
 自分がお迎え役として、次の役目を担うことを。

 《冬翼様》は、この地にて火龍とともに眠りにつく。
 この谷は、永遠の冬に捧げられ、火龍を封じる場所になる。

 ウィリスは、眠り続ける《冬翼様》とその眷属の司祭となるのだ。
 この地に神殿を築き、未来永劫、祈りと舞いを捧げていくのだ。

「ウィリス」

 ああ、メイア。
 君の声が聞こえる。
 君は無事だったのだね。

「ウィリス」

 大丈夫。今、帰るから。
 ウィリスは《冬翼様》から浮かび上がり、風に乗ってメイアの下に向かう。

「ウィリス」

 風の中で形を取る。
 僕は雪狼の姫様のように、この場所にいる。
 メイア、帰ってきたよ。

 永遠の冬の中で。
 ウィリスはつぶやき、メイアに向かって両手を差し伸べる。

 泣かないで、メイア。
 僕らはずっと一緒だよ。

 ウィリス11歳の夏は、永遠の冬へと続いていく。


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【終章:魔道師学院 十五人委員会】

「終わりました」
 魔道師学院の最高議決機関である、十五人委員会において、幻視者カイリ=クスが報告した。彼女は「スイネの瞳」と呼ばれる学院有数の幻視者であり、レディアス=イル=ウォータン、および、棘のある雛菊エリシェ・アリオラの行動をその異能によって追跡していた。
「霧の龍王ファーロ・パキールは、《冬翼の大公》ペラギス・グランによって封印され、グランもまたグリスン谷にて眠りにつきました。
 《冬翼》の影は、ロクド山系を覆い、永遠の冬が始まりました」
 場に揃った十二と一つの塔の長たちがかすかに声を漏らす。
「大きな譲歩だな」
と、黒剣の塔を統べる《大剣のゼル》がうめく。
「予言書に記されたことでもあります」
と、幻視者たちが属する通火の塔の長、《薄明の公女メアル》が指摘する。そう、予言の範囲である。この時のために、魔道師学院は備えてきた。
「時代の終わりがまもなく来る」と、原蛇の塔の《双面のレト》は断言する。「ロクド山系に、《永遠の冬》が来た今、東方より《永遠の夏》もまた迫りましょう。我らがなすべきは、最小限の被害で時代の後継者となること」
「新たな戦火が、辺境騎士団領を襲っております」と、伝奏役のリュジニャンが報告する。「すでに、フィンドホルンは屍の群れに奪われ、黒き翼が北の塔に舞い降りた。ジャガシュの地は、火の神を奉じる蛮族に襲われ、黒蟻どもは、新たな女王を誕生させました」
 一同は、上座の堂主アルゴスを見つめる。
 青龍座から出た学院の支配者は、ゆっくりと口を開いた。
「我らの行くべき道は、変わっていない。
 雪狼の眷属は、しばし、お迎え役殿に預けるとしよう。
 白き仮面と雛菊を呼び戻せ。
 あの者たちに、もう少し、働いてもらおうではないか?」

 かくして、ひとつの物語が終わり、世界は新たな戦いに向かう。

(終わり)

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 これにて、一旦、おしまい。
 長い間おつきあいいただきありがとうございました。

 朱鷺田祐介 

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2009年2月 7日 (土)

歌の龍王【01】幻視

黄の戦車

我が運命はまもなく終わり、
時代は変わっていくだろう。

 物語の始まりはささいなことだ。
 二人の魔道師が夢を見た。
 魔族と龍王の夢を……

 魔道師学院の最高議決機関、十五人委員会は、二人の魔道師を呼び出した。
 一人は、いまだ階位の低い幻視者。名をラクリスという女性であった。
「私の歎願に声を貸していただき、感謝します」
とラクリスは、十五人委員会が開かれる塔の広間に跪き、頭を垂れた。本来ならば、彼女はこの場に出られる身分ではない。まだ二十代の初め、幻視者としての修行を通火の塔で始めたばかりだ。
「顔をあげよ」
 議事進行を務める伝奏役のリュジニャンが言う。
 顔を上げたラクリスは、ややおどおどしつつも、明るく輝く両の瞳を見開いた。
「その瞳、幻視の力を十分に宿しておるようだな」
 広間の片隅、ローブに顔を隠したままの何者かが年老いた声で言った。ここに集うのは、十二と一つの星座の塔を司る魔道師の長たちだ。ラクリスの目には魔族の混沌の気配がぎらりと映る。おそらくは、原蛇の塔を支配する《双面》のレトであろう。かの魔道師は魔族と契約を結び、異形の姿を持つという。
「見えるか、我が姿が」とレトが笑う。「だが、それは今宵の目的ではない。
 汝の幻視せる未来を我らで検討することこそ肝要。
 さて、この者の才、どれほどで?」
「我らは期待しております」と、女性の声が答える。通火の塔の長にして、《薄明の公女》と呼ばれし学院最高の幻視者メアルである。ラクリスからすれば、遥か高位の上司に当たる。
 その言葉はうれしかったが、その才能こそがラクリスをここに引き出してしまった、とも言える。
「もはや儀式的な挨拶は不要」
と、堂主アルゴスが発言した。学院の最高位に座す人物だ。
「幻視者ならば、この時と所は理解しておろう」
 ラクリスは同時に、ラクリスはアルゴスが放った青龍の気配に圧倒された。
 そう、あの時もまたこの圧倒的な気配に倒れた。
 ラクリスの脳裏で繰り返される。
 声にならない恐怖。
 それは歌に乗って彼女の耳元に流れてきた。

「歌の龍王」

 ラクリスはそう叫んで倒れた。
 両耳から激しく鮮血がほとばしった。
 ただちにリュジニャンの指示で、侍従たちが彼女の体を運び去った。
「幻視(み)える、ということは不幸であります」とメアルが発言した。「ラクリスは、本来、己が許されぬ場所までたどり着いたのです」
「見逃せぬな」とレトが言う。「龍王の名は」
「しかり」と今まで沈黙を守ってきた戦車の塔の長、黄金の射手リーンズがうなずく。「龍は、我らに対する大いなる脅威。もしも、かの霧の龍王ファーロ・パキールに並ぶ者が幻視に現れたとなれば、それが目覚める可能性を確かめずにはおれませぬ」
「古き伝承によれば」と牧人の塔の長、《紡ぐ者ヴェリ》が言う。「龍王もまた十二と一つの星座に対応するとされます。しかし、我らがその居場所を知るのはわずかに3騎。
 大火龍ジーラ、黒龍王アロン・ザウルキン、霧の龍王ファーロ・パキール……」
「歌の龍王の名はどの資料にもない」断言したのは、自らも青龍の塔にいたアルゴスである。
「巨人の王国以前に封じられたか、あるいは、かのレ・ドーラの戦い以来、復活しておらぬのか?」
 レ・ドーラの戦いとは、魔族帝国時代初期に行われた龍同士の内戦とその後、魔族が行った龍殺しの戦いを指す。
「されど」とアルゴスは続ける。「この幻視は、ただラクリスだけが見たものではない」
 次の瞬間、闇の中から一人の少女が姿を現す。年の頃ならば、おそらく十二、三。その外見は愛らしい野の花のように見える。
だが、十五人委員会の出席者たちは不快な吐息を洩らす。
 なぜならば、彼女はすでに人の子の身ではない。魔族の諸侯、《鏡の公女》に魂と名を捧げ、妖魔の肉体を得た魔女である。《棘を持つ雛菊》エリシェ・アリオラと呼ばれている。
「今宵は、我が師、《召喚者》スリムイル・スリムレイの命に従い、《約定の公女》フリーダ様のお言葉をお持ちいたしました」
 エリシェは悪意のこもった微笑みを浮かべる。
「まもなく、歌の龍王が目覚め、世界は変転の時を迎えるだろう」
「それはお前が幻視(み)たのか?」とアルゴス。
「私が見たのは、歌声の中で眠る龍の姿のみ」とエリシェ。
「スリムイル・スリムレイは何と?」
「我が師は、星の王を追ったまま、戻りませぬ」
「なるほど、あれはまだ……」と、アルゴスは一旦、言葉を切った。
「では、我らもまた探索の手を広げよう。世界のために」
「世界のために」
 十五人委員会の参加者たちが声を揃えて答えた。

 新たな探索が始まる。

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『深淵』の小説の冒頭であります。
全体の流れはまだまだ見えませぬが、本文とは関わりない序章と思ってください。
できれば、週一ぐらいで連載したいところですが、自分でも分かりませぬ.

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2009年2月16日 (月)

歌の龍王【02】龍を見る者


紫の通火

我は瞳を閉ざす。
涙とともに希望をこぼさぬように。

 銅鑼が鳴り響く前に、ザンダルは槍を持って塔の上に出ていた。
 上空に見える青い巨大な翼。
「来たか、バサル」
 次の瞬間、激しい稲光とともに、湖の北側、《龍の狩場》の島に火龍は舞い降りる。バサルは風と稲妻の龍だ。その吐息は、雷と同じ青い光を放つ。その身も空の濃い青だ。
 一里は離れた塔の上からでも龍の巨大さは分かる。
 バサルは、一撃で仕留めた牛を丸のみにして噛み砕く。まるで人が焼き菓子を頬張るように。パイの中から汁が垂れるように、バサルの口元を牛の血が汚す。
 ぞっとする光景だ。
 小島に放たれた牛たちは火龍への供物だ。あれが火龍と街の盟約。

 そして、バサルは振り返る。

 冷たい視線はザンダルの魂を射抜く。青い冷たい狂気と殺意、そして、小さな人の子にひとかけらの価値も認めない絶対的な否定。ザンダルは、龍王の加護の呪文さえぎしぎしと悲鳴を上げ、崩れていくのを感じる。血が凍りつき、心が砕け、呼吸もできない。命短き人の子はその視線を受けただけで死んでしまう。
 崩れ落ちそうな膝で踏みとどまり、槍にすがって塔の上でバサルを見つめ返す。あれはたぶん、気づきもしないだろう。いや、もしも、気づいてしまったならば、ザンダルは火龍の餌食になる。
 今日こそあれを《幻視》(み)るのだ。
 ザンダルは、青ざめた唇に弱々しい微笑みを浮かべる。
 そのために、彼はこの街に来た。
 なぜならば、それが青龍の魔道師の定めなのだ。

 覚悟を決め、ザンダルは火龍に向かって心の手を伸ばし……
 次の瞬間、ザンダルの意識は断ち切られた。

 中原と呼ばれるあたりの東側、スイネの都から南に下ったあたりを、ファオンの野という。
 妖精代初期の盟約により、人の子ではなく、火龍に与えられた土地である。この野をさらに南に下った先、モーファット河の中流にあるアラノス湖の島に、モーファットという街がある。人と龍の境界にある街だ。
 本来、人の子のすむべき場所ではなかったが、人の子は、風の龍バサルを信仰し、盟約と生贄を捧げることでこの地に街を築いた。
 モーファト河は、グラム山に源流を発し、スイネを経て、ファオンの野を下り、モーファットを経て、南海へと注ぐ。中原の中央を縦断する重要な交易路になった。火龍や土鬼の脅威はあるが、南北の交易は多くの富を生み出す。モーファットはその中継地点として栄える街である。

 やがて、石畳の冷たさに目覚めた。
 気づくと塔の上に倒れていた。
 まただ。また。
 火龍を見るには、まだひ弱だというのか?
 学院の秘儀を用いてさえも。
 次は防御の魔法陣を書くしかないか……。

「魔道師殿!」塔の階段を降りる途中で声がかかった。塔の警備兵だ。「まさか、また火龍を見物なさっていたのですか?」
 そう、普通の人の子であれば、火龍の視線だけで狂死している。この者も警備兵でありながら、銅鑼とともに避難していたのだろう。
「そうだ。我らは龍を学ぶ者だからな」
 多くの市民はそれを狂気と呼ぶ。火龍を観察し、その力を突きとめようとする。いかに防御の魔術に長けた魔道師であっても、命がけのことだ。
 だが、魔道師である限り、我らは力を求める。力が無ければ、勝てない相手と闘うのだから。

 ザンダルは夢を見た。
 誰かが歌を歌っていた。
 歌の意味は分からなかった。
 ただ、心地よい眠りだけがザンダルを包んでいた。

そして、一人の女性がアラノス湖で船を下りた。

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『歌の龍王』第二話です。
全体の流れはまだまだ見えませぬ。
できれば、週一ぐらいで連載したいところですが、自分でも分かりませぬ。

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2009年2月23日 (月)

歌の龍王【03】船から降りてきた女

白の風虎

我は忘れぬ。
我は諦めぬ。
我は追い詰める。

 モーファット河を上下する河船は、1枚帆と多数の櫂を併用した底の丸い船である。櫂は河を遡る際と、船の速度が必要な時にのみ用いる。
 その日、アラノス湖に来た船は、ずいぶんとみすぼらしい姿だった。帆が焼け、舷側には何か巨大な石でもぶつかったのか、ひび割れが見えた。
 やがて、波止場に入った船に向かって波止場の人足頭が叫んだ。
「派手にやられたな、土鬼か?」
 土鬼とは、イクナーリ大平原にすむ野蛮な巨人族である。凶暴で野蛮な民で、しばしばモーファット河を行く人の子の船を襲う。彼らの投げる石は豚ほどもあり、当たれば、人は死んでしまうし、船も沈みかねない。
「ああ、ヴェルニクのあたりで船を止めたら、この有様だ」
 船乗りは、もやい綱を放りながら答える。
「ヴェルニクか。あれも遺跡が多いからのお」
と、人足頭はうなずいた。モーファット河の流域には、土鬼の先祖たちが築いたと言われる巨大な遺跡群があり、土鬼の部族たちはそこを聖地とみなしている。そのため、モーファット河は別名、土鬼河と呼ばれる。北から炎に焼かれしゾースニク、封印されしカルースニク、呪われしヴェルニクの三地域に遺跡が多く集まり、したがって、それらの流域では土鬼の活動が活発なのである。
 そこで、頭はぞっとした。
 もっともモーファットに近いヴェルニクは、呪われし土地だ。土鬼たちは、赤い瞳の魔龍スゴンという怪物を神とあがめている。ところが近年、スゴンの聖域にどうやら、とてつもない財宝が眠っているという噂が流れている。伝説によれば、そこには「スゴンの瞳」と呼ばれる巨大な紅玉石が隠されているらしい。
 今まで、何度も腕利きの宝探しが聖域に忍び込んで、土鬼たちの怒りを買い、非業の最期を遂げた。
「もしかして、誰ぞ、ヴェルニクに……」
 頭が言いかけたところで、船室の扉が開き、船長と一人の若い女が出てきた。
 奇妙な装束の女だった。
 両眼を覆うような板の仮面には、一本の細い筋だけが入っている。あれで見えるのかどうかはよく分からないが、揺れる船の上でも女の足取りはゆるぎない。そして、女のまとうのは、魔道師やまじない師が好んでまとう法衣に、薄い外套だ。胸のあたりには青と銀で彩られた紋章が見える。あれは通火の星座。夢占い師か……
「船長、ご迷惑をかけた」
と、女は船長に言った。
「十分な代金はもらった。それに」
と、大柄な船長が髭をかいた。
「あんたの占いが本当なら、俺は喜ぶべきだ」
「幻視(み)えたことをご説明したまで」
と女は、軽くお辞儀をし、船を下りた。そのまま、モーファットの街を巡る塔の一つへ向かって歩き始めた。

「いったい、どうしたんだ、船長?」
と波止場の人足頭は聞いた。
「それより、頭、俺に何か伝言は預かってないか?」
「ああ、そうだ」と頭は思い出した。波止場の親方からこの船の船長にあてた手紙を預かっていたのだ。船長はそれを受け取ると、さっそく中身を開き、歓声を上げた。
「やったぞ、長男だ!」
 それは妻の出産を告げる知らせだった。
 そう言えば、この船長と来たら、子供が多い癖に娘ばかりで、息子が欲しいと日頃、愚痴っていたものだ。
「どういうことだい、船長?」
「あの女、これが幻視(み)えたんだ」
「夢占い師か、そいつはすごいな」
「それだけじゃねえ。
 あれは一昨日のことだ。夢のお告げがあって、ヴェルニクであの女を拾った。あいつはあの呪われた都から帰ってきたんだよ」
 人足頭はぞっとした顔で船長を見た。

 どんな街にも腐敗は存在する。
 その若いちんぴらもその一人だ。
 船から降りた女の金払いがよかったことを聞きつけると、波止場の雑用を放りだして、女を追いかけた。占い師であろうが、ちょっと短剣で脅せば、懐の中身を差し出すだろう。
 そうして、ちんぴらは女を追って、城壁の塔へ向かう道を急いだ。
 ありがたいことに城壁へ至る道は、人気が少ない。戦争の時はまだしも、平時は、城壁の上にいる衛兵以外、出入りがほとんどない。ましてや先日、バサルの来訪があったばかりだ。城壁に人の集まる理由などない。おかげで、若い男女が逢引きに使うぐらいだ。
 そこまで、考えて、ちんぴらはほくそ笑んだ。
 あの占い師、ずいぶん、若い女のように見えたな。財布の中身をいただくついでに、ちょっとした悪さもできるかもしれない。

「馬鹿だな、お前」

 冷徹な声が頭上から降ってきた。
 見上げると、あの女占い師が見下ろしていた。
 ぞっとするほど冷たい声だった。
 そして、女は仮面を外した。
 深紅の瞳がちんぴらを見た。
 そして、ちんぴらはそのまま、そこに斃れた。
心臓はもう止まっていた。

「くだらないな」
 女はそう言って、周囲に軽く手を振ると、そのまま、ちんぴらの背中に当てた。

 ちんぴらの名前はアート。
 死んでしまった役立たずの波止場人足。

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『歌の龍王』第三話です。
全体の流れはまだまだ見えませぬ。
できれば、週一ぐらいで連載したいところですが、自分でも分かりませぬ。

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2009年3月 3日 (火)

歌の龍王【04】滅びの日

黒の黒剣

一つの種。
それが汝なり。

「ほぅ」

 自室で瞑想していた青龍の魔道師ザンダルは、モーファットの空気の中に、微かな歪みを感じて、吐息をもらした。それはまるで蜂の羽音のように、どこからか魔力の匂いを届けてくる。

「これは……」

 冷たい視線、すっぱりとした切り口、白い羽根。
 それは翼人座の魔力だ。
 誰かの命の緒が一瞬で断ち切られた。
 おそらくは【死の凝視】というべきもの。

「地下から這い出してきた死霊の類とも思えない」

 死を司る翼人の魔力は決して珍しい力ではない。翼人の魔道師に限らず、モーファットの街にも死霊と話せるまじない師の一人や二人はいる。
 だが、この赤い雀蜂の毒針のような気配は、人の子ではなかろう。
 十年ほど前、水龍ティウチノスが倒されて以来、モーファットの湖の結界は弱まるばかり。北に広がる呪われた遺跡から何か忍び込んできたとしても防ぐことなどできはしない。

「さて、その何かであるが……」

 ザンダルは幻視のため、瞳を閉ざした。
 彼は決して、通火の魔道師や夢占い師のような専門家ではないので、夢歩きで街を把握したり、結界の外に魂を飛ばしたりはできない。漂う魔法の気配を感じ取るだけだ。
 さて、街を守るべき伯爵の占い師はどう動くやら。

 モーファットの城壁の奥、もっとも高き塔を持つ城館こそ、モーファット伯爵の住まいである。
 すでに、この城館では、騒ぎが起きていた。モーファット伯爵に仕える夢占い師のタガット老師が死んだのである。
「赤い瞳が!」
 これが唯一、残した言葉であった。
 ぞっとした伯爵は、市内に滞在する魔道師、まじない師、夢占い師を招集するべく、部下たちに命を下した。この悪しき呪いの原因を早急に突き止めなければならない。

「そう、来ましたか?」

 城館からのお召しを受けて、ザンダルは立ち上がった。
 この数日の気配を見るに、今、モーファットの街に魔道師はおそらく彼しかいない。となると、城の夢占い師が対応できないのであれば、青龍を見るという酔狂な存在でもましというべきだろう。

「タガット殿は何と」
「亡くなられました」
「何か言い残されませんでしたか?」
「ただ、『赤い瞳が』と」

 ザンダルは嫌な予感が的中したのを感じた。
 滅びの日がやってきたのだ、このモーファットにも。

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『歌の龍王』第四話です。
まずは、青龍の魔道師ザンダルと謎の女の行方を追いましょう。
できれば、週一ぐらいで連載したいところですが、自分でも分かりませぬ。

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2009年3月12日 (木)

歌の龍王【05】待ち伏せ

緑の野槌

耳元にささやく者あり。
これもまた夢なりや?

 伯爵の城へ召喚され、顔を出す途上、城壁の間の通路を抜けながら、ザンダルは街の空気の中にかすかに漂う死の気配を感じた。まるで白い羽根が舞うように、死の気配が人々の上に積もっていく。あるいは、街路の石畳の下から水がしみ出すように、人々の足元を死の気配の潮が洗う。
 かすかな波音は湖から聞こえてくるのではない。
 どこかで現実が綻び、世界の深淵とつながっているのだ。
 おそらく……
 心が身体を離れ、気配の根源へ飛んで行きそうになるのをザンダルは必死に抑えた。部屋を出る時、抱えてきた槍を杖代わりに頼る。
 ああ、おそらく伯爵の夢占い師殿は、十分な魔法的防御策を講じずに、幻視の目を死の気配の根源へ向けてしまい、死の力を直接、受けてしまったのだ。
 龍に対する時は、あれほどに注意深いのに。
 いや、おそらくは、龍に比べて、魔族を侮ってしまったのだろう。
 愚かというのは、尊敬に欠ける見方だ。
 夢占い師殿にはきっと、敵の推測などなかったのだろう。予断に縛られず、未来を感じることこそが彼らの習いであったから。
 だが、ザンダルは違う。
 火龍を眺め、火龍の向こう側をみようとする。
 そう学んだ。
 また、魔道師学院は魔族の対策についても、考えている。
 今、それがザンダルの前に立ったとしても……

 気づくと、目の前に女がいた。
 占い師のような法衣、そして、その両眼は炎のように赤く輝いていた。

 ザンダルは一瞬の隙に後悔した。
 真っ赤な視線がザンダルの両眼を貫いた。
 死の羽音が聞こえた。
「死ね」
 声は形ある武器のように、ザンダルの頭蓋骨を揺さぶった。
 だが、ザンダルの魂は、龍の鱗で守られていた。
「火龍ほどではない」
 そのまま、背負ってきた槍を振り回す。人の背ほどの槍がぶんと唸って上方から女の頭に振り下ろされる。城壁に近い道は幅が狭く、避ける場所が少ない。女はよけ切れず、肩を切り裂かれ、後方に転倒する。
「開門!」
 女は、城壁の壁を叩く。
 すると、一気に波音が響く。
「深淵を開くか。やはり魔性の身」
と、ザンダルは言った。
「ああ、お前の名前を聞いたことがあるぞ。
 赤き瞳の巫女ドレンダル」
 それは、翼人座の魔賊「赤き瞳の侯爵スゴン」に魂を売った女魔道師の名前。禁断の知識に溺れ、かの呪われしヴェルニクで暗黒の輩となった女。
「知っているなら、話は早い。
 この街は滅びるのだ」
 ドレンダルは、壁に発生させた深淵の門へと身を躍らせる。そして、代わり、そこから見えない波に乗って人よりも大きな魚が飛び出してくる。
 双魚ブトゥア。空中を泳ぐ異界の妖魚。
「小細工を」
と、ザンダルは槍を構えなおす。空中を舞う巨大な肉食の魚は、魔族ではないものの、槍一本で戦うには十分、剣呑な敵だ。直撃を食らえば、命を落としかねない。
 そして、波音は消えていない。
 深淵の門は開かれると、少しずつ拡大し、そこから異界の波が流れ込んでくる。その波によって周囲は異界となり、このような妖魔が出没するようになる。そのうち、崩壊して閉じることにはなるが、自然崩壊した場合、周囲の物や人を飲み込んでしまう。
 放置してはおけない。
 魔道師には、その対策としての呪文も用意されているが、その前に、この妖魔をなんとかせねばならない。
「短期決戦ですね」
 ザンダルは冷静に判断すると、石畳を蹴って、双魚に激しく槍を突き出した。

 しばらく後、ザンダルは伯爵の執務室にいた。
 疲弊したザンダルは、布に包んだ肉の塊を伯爵の侍従に手渡した。
「いずれ、残りは街の者が運んでくると思いますが、まずは新鮮なものを。
 双魚の肉です」
 侍従の顔色が変わる。双魚は凶暴な異界の魚だが、同時に、不老長寿の妙薬としても知られる。精のつく食べ物だ。
「いったい、それをどこで?」
と、伯爵が問いかけてくるので、ザンダルは身を整えながら答えた。
「城壁の通りで、魔族の使徒に襲われました。
 厄介な存在がこの街を狙っております」
「魔族の使徒?」
「呪われしヴェルニクを支配する魔族、【赤き瞳の侯爵スゴン】に魂を売った魔女、赤き瞳の巫女、ドレンダルです」

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『歌の龍王』第五話です。
まずは、青龍の魔道師ザンダルと謎の女の行方を追いましょう。
できれば、週一ぐらいで連載したいところですが、自分でも分かりませぬ。

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2009年3月17日 (火)

歌の龍王【06】敵の名は……

紫の黒剣

支配するは我なり。
秩序こそが世界で最も美しい。

「我ら、魔道師という生き物には、ある種のさがというべき傾向がございます」
と、青龍の魔道師ザンダルは切り出した。
 モーファットを支配する伯爵に、敵の正体を問われてのことである。敵とは、魔族「赤き瞳の侯爵スゴン」の下僕、「赤き瞳の巫女ドレンダル」のことである。
「この世の知識を得るためであれば、多くのことを忘れることができます」
「忘れる?」
「ええ、例えば、自らの命とか」
「おぬしもそうであったな。
 城壁で龍を見ているとよく聞く」
 龍は恐るべき邪視の瞳を持つと、この街では言われている。龍と目を合わせてはいけない。その瞳ににらまれれば、人の子は狂うか、死んでしまう。
 だが、この魔道師は龍を研究すると称して、城壁で龍の飛来を観察し続けている。
「御存じでしたら、話は早いですね。
 我ら、魔道師はそれぞれの星座によって研究する対象が異なります。私は龍を、通火の幻視者は夢と予言を、野槌は幻術と動物を、そして、原蛇の者は魔族を研究します。ドレンダルもまた、かつては、原蛇座の召喚魔道師でございました。魔族の秘密を学び、危険な魔族の策謀が世界を滅ぼすことを防ぐべく、各地を探索しておりました。
 そうして、彼女は、呪われしヴェルニクに辿りついたのでございます」
「あの遺跡に踏み込んだのか?」
 呪われしヴェルニクは、スゴンの封印であるだけではない。凶暴な土鬼の群れが徘徊する危険な地域である。
「ええ、ヴェルニクこそ、滅び去った巨人の七王国のひとつがあった場所でございます。土鬼はその末裔であり、我々、魔道師学院はかの地に、七王国滅亡期に試みられた魔族召喚と封印の秘儀が眠っていると考えております」
 伯爵はもはや言葉をはさまなかった。
 それは暗黙の前提として、伯爵家にも伝わる歴史的な秘密の一つであったからだ。おそらく、学院から派遣された魔道師からひそかにささやかれたこともあったに違いない。
 とはいえ、龍が飛来するこの街には、ここ何年もの間、ヴェルニクの土鬼や妖魔も近づこうとはしなかった。
「ドレンダルは、それを確かめに行き、そして、スゴンに取り込まれたのでございます。あれはすでに人の子ではありません。魔族の愛妾、その汚れた精を身に受け、妖魔と化した怪物にございます」
「その魔物がこのモーファットを滅ぼすために侵入したというのか?」
「はい。私も先ほど襲撃を受け、直接、予告されました。おそらくは、タガット殿もまた、幻視の力で彼女を見つけてしまったがゆえに、呪殺されたのでしょう。何しろ、かの赤き瞳の侯爵スゴンの属するは翼人、死の星座にございます。死の力を持って龍を殺すために生まれし魔族と聞き及んでおります」
「龍殺しか」
 かつて、魔族と龍が戦ったことがある。
 レ・ドーラの野において、龍同士の合戦が起きた日、傷ついた龍たちを魔族の諸侯が襲い、止めを刺した。すべては魔族の策謀であったという。神を倒した後、自らよりも強い者を滅ぼすため、魔族はその邪悪さを振りしぼり、龍さえも滅ぼしたのであった。後に、星座の神々とともに、火龍たちも地上に帰還し、魔族を滅ぼす戦いが行われた。魔族は敗北したが、すでに彼らは死ねない身の上になっていたのである。
「ドレンダルもすでに不死の身。殺すことはできませぬが、数年ほど深淵に追いやることは可能なはず」
と、ザンダルは言う。
「対策はあるのか?」
「人手が必要でございます。有能な騎士と傭兵、射手をお貸しください」
「いいだろう」
 そこで、ザンダルは、さらに言った。
「魔剣【野火】は今、いずこに?」

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『歌の龍王』第六話です。
まずは、青龍の魔道師ザンダルとともに、赤き瞳の巫女と対決していきましょう。
できれば、週一ぐらいで連載したいところですが、自分でも分かりませぬ

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2009年4月 1日 (水)

歌の龍王【07】魔剣

紫の海王

時過ぎれば、憎悪さえも思い出に変わる。
嵐はいつか去るのだ。

「愚かな……」
 草原の真ん中で、ナルサスは、回りを囲む兵士たちを見まわした。数名の兵士たちは、彼の得物を狙ってきた傭兵らしい。剣に長槍、槌矛に連接棍、ずいぶんやる気のようだ。
「魔剣使いのナルサスも、老いた、と見られたか」
 ナルサスは自嘲気味に笑う。すでに年は40を超えた。かつて、あの水龍ティノチウスと戦った頃の若き傭兵はすでにいない。あれから十年余り、中原の各地を転戦した。激しい戦いを何度も経て、ナルサスも変わった。
「だが、お前たちの間違いは、こいつを見くびったことだ」
 ナルサスは、腰の剣に手をかける。
 名を「野火」という。
 魔族諸侯の一人、「雫の大公ヴェパーレ」が作りし三本の水の魔剣のうち、一振りである。

(久しぶりだな、お前から我を抜こうとするとは……)

 そんな声が聞こえるとともにナルサスは、のどの渇きと体内をかけめぐる熱を感じる。魔剣は解放の兆しに喜んでいるのだ。本来ならば、抜きたくなどない。これがどれほどの残虐さを振りまくのか、よく分かっているからだ。
 だが、この兵士たちは人数を頼んでナルサスを追い詰めた。魔剣「野火」に手をかけさせるほどに。
「この刃に命を捧げるのがお前たちの望みならば、ありがたい」
 ナルサスは剣を抜いた。
 その瞬間、熱波があたりに走る。頬が乾いていく。足もとから丸く草が萎れていくのが分かる。そうして奪われた水気が野火の刃に集う。白い霧はそのまま刃に吸われ、雫を形作ることもない。
 ナルサスの肌もちりちりと干からびていくが、もはやナルサスは内なる飢えに満たされ、痛みも感じない。そして、剣に引かれるようにすっと前に出ていた。剣の刃が兵士の腕に食い込む。浅い斬り込みのように見えて、その途端、兵士が恐怖の声を上げる。
 野火が食い込んだ腕は、傷口から血を吹くこともなく、たちまち干からび、そのまま兵士は枯れ草のようになって死んだ。

(久しぶりの血じゃ、甘露、甘露)

 剣から伝わってくるおぞましい食欲の気配には、まだ慣れていない。この魔剣は、生きた人間の血潮をすすり、渇きを潤す。ゆえに、斬られた者は一撃で魂を吸い取られてしまう。
 惨劇は終わらない。
 ナルサスを引きずるように、刃はひらめき、隣に立つ兵士の首を薙ぐ。斬られた首筋から噴き出した血潮はそのまま、霧となって野火の刃に吸いこまれていく。
 ざん! さらに剣が翻り、ナルサスは飛ぶ。
 槍を持った兵士の脇をかいくぐり、腹をえぐる。臓物が弾けて転がり出るが、あっという間に干からびた干し肉に変わる。
「うわああああ」
 一瞬で三人の仲間が枯れ草のような死体に変わるのを見た残りの兵士たちは悲鳴のような鬨の声を上げる。下手に背を向ければ、伝説の魔剣に魂をすすられると気づいたのだろう。一気にナルサスに襲いかかった。
 連接棍の一撃は横あいに避けた。槌矛は受け流したが、その際に、刃から火花が散り、足元の枯れ草が一気に燃え上がった。これこそ「野火」の名の由来。
 そして、もう一人の長剣を受け流し、そのまま切り返した。刃は長剣使いの膝を断ち割り、膝の傷口から長剣使いの魂をすする。長剣使いは干からびていく己の脚をじっと見つめた後、枯れ木が朽ち果てるように倒れた。渇ききった羊皮紙のように、男の死体は粉々に砕け散る。

(どくん)

 また一人殺して、ナルサスの手の中で魔剣が歓喜の声を上げる。おぞましい喜びの声がナルサスを満たす。まだ戦える。まだ殺せる。まだ足りない!

「十分だ」

 ナルサスは、身の内を焼く血の渇きを抑えてつぶやいた。
 剣の渇きを満たすために生き物を殺すのは、おぞましいことだ。剣を通じてその血潮と魂が吸い取られていくのを感じる。その血潮と魂が自分の活力になっていることも分かる。おぞましいのは剣だけではない。それを振るう自分自身も、もはや、怪物だ。

「食われたいのか!」

 ナルサスは、連接棍の男に叫ぶ。声とは裏腹に、軽やかに宙を舞った野火の刃は、鎧の胸を真正面から斬り裂き、男の心臓を味わった。心臓が痙攣し、止まる様子が刃を通じてナルサスの腕を走る。

「ああああ」

 ただ一人残った槌矛使いの兵士は、ナルサスに背を向け、逃げ出した。
 だが、彼は数歩も歩めなかった。
 連接棍使いの胸に埋まっていたはずの野火は、まるで毒蛇のように蠢き、ナルサスの腕を離れて、槌矛使いの背中に突き刺さったのだ。
 男の悲鳴は途絶え、男はまるで枯れ木のように倒れた。

「……」

 ナルサスはもう何も言わなかった。
 これまで何度もあったことだ。野火を振るえば人が死ぬ。魂を吸われ、血潮も吸われ、枯れ木のように干からびて死ぬのだ。刃が魂と血潮をすする感触は、いつまで経っても慣れることができないが、魔剣の噂を聞きつけ、襲ってくる愚か者たちに同情する気持ちはすでになくなっている。自業自得だ。近づかなければ、こんな死に方をしなくて済んだものを。
 そして、ナルサスは、野火をじっと見つめる。
 このまま、あの剣をこの場に捨てていけたならば、どれほどよいだろう?
 だが、それは魔剣の呪縛が許さない。
 たとえ、全力を尽くして背を向けようとも、遠ざかるほどに喉は渇き、締め付けるような気持ちでいっぱいになる。

「ちっ」

 ナルサスは舌打ちをして、剣を振り返る。
 長い歳月で、彼は学んだ。呪縛に耐えることは容易ではない。運命が満たされるまで、彼はこの魔剣とともに生きていくしかないのだ。

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『歌の龍王』第七話です。
 おそらく、二人目の人物、魔剣使いの傭兵ナルサスが登場しました。このキャラクターは、もともとニフティ時代に、メールで行ったセッションのPCです。あれからずいぶん時が経ちました。

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2009年4月 8日 (水)

歌の龍王【08】邂逅

赤の風虎

甘やかな言葉を弄する前に
行動あるべし。

「あなたが近くにおられてありがたい」
 魔法の気配を放つ青年は、ナルサスが宿とする廃屋の前で待っていた。魔道師学院の法衣の胸に輝くのは青龍座の紋章。魔法使いに似合わぬ槍にもたれかかり、ほとんど瞬かぬ目で正面からナルサスを見つめて言う。
「モーファットで魔族と戦ってください」
「魔族か」
 本来なら、素っ頓狂な依頼だと思うだろう。古代の邪神、邪悪なる魔族は死を越えた存在だ。魔族の呪いを受け、復讐を誓う者はいくらでもいるが、魔族と戦って生き残った者などわずかしかいない。星の女神によって封印され、多くの力を奪われているというのに。
 おそらく、ナルサスはそのわずかな例外の一人だ。
 この魔剣「野火」を手に多くの敵と戦った。水龍ティノチウスを皮切りに、邪悪な沼の魔族と戦った。多くの仲間が死んだが、彼は生き残った。
 そこまで思い起こして、ナルサスは腰の魔剣「野火」が大人しくしている理由を理解した。この男は戦いの使者だ。また殺戮と狂気の日々が始まる。「野火」は、それを感じ取っているのだ。
「いいだろう。
 こんな荒野で賞金稼ぎの馬鹿どもを斬るのにはもう飽きた」
「即答を感謝します。
 いつ、おいでいただけますか?」
「今」と答えて、ナルサスは廃屋の扉を開ける。「荷物などわずかしかない」
 そこでやっと互いに名乗っていないことに気づいた。
「人違いではなさそうだが、あんたの名前は?」
「ザンダル。モーファットで龍を研究する魔道師です」
「龍か。酔狂なことだ。敵は、龍ではないのだな?」
「赤い瞳の巫女ドレンダル。呪われしヴェルニクを支配する魔族、【赤き瞳の侯爵スゴン】に魂を売った魔女です。すでに、モーファットに侵入しています」

 余計なことを言わない男はいい相棒になる。
 ナルサスはそう思う。
 ザンダルが引いてきた予備の馬にまたがり、モーファットへ向かって荒野を走った。かつて魔剣を獲得した火龍の街まで半日足らず。おそらく、この場所に流れてきたのは、この日のためだったかもしれない。
「急ぎます」
 ザンダルはそう言うと、一気に馬を走らせた。
 街をあける時間を少しでも減らしたいらしい。代わりの使者を立てるよりも自分が動いた方が早い。そういう判断をする男か。
 嫌いじゃない。
 ナルサスは、馬に鞭を入れた。

「何か異常は?」
 ザンダルは、モーファットを支配する伯爵家の城館に飛び込み、兵に馬を預けるとともに、駆け寄ってきた家令に問う。
「波止場周辺で失踪した者が数名」
「鱗は?」
「現場に鱗が残されていた例は三か所」
「ならば、十分。弓兵隊は?」
「控えております」
 そこでザンダルはナルサスを振り返る。
「ドレンダルは、双魚使いだ。魔族に下る前は、召喚魔道師だった」
「双魚の動きは分かる」とナルサスは答えた。昔、一緒に旅した魔道師が召喚したのを見たことがある。兵として考えれば、ずいぶん厄介な妖魔だ。しかし、斬れる自信はある。
「おそらく、街の地下に踏み込んだに違いない」
と、ザンダルが言う。
「私が案内する。魔女を斬れ」
「分かりやすいな」とナルサス。
「物事の本質は単純だよ」とザンダル。

 そう、この世の本質は単純なのだ。

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『歌の龍王』第八話です。
 ザンダル&ナルサス組と魔女ドレンダルの戦いが始まります。

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2009年4月13日 (月)

歌の龍王【09】古の遺産

黒の牧人

言葉よりも行動がすべてを示す。
たとえ、多少遅れても現実は力強い。

 モーファットもまた、古い都である。
 妖精代に建設された諸侯都市ですらなく、島の内部を深く掘り下げた基礎部分は巨人の時代以前に遡るとも言われる。
「つまり、何があるか分かっておらぬということか」
と、傭兵ナルサスが楽しそうに言う。
「アラノス湖から引きこまれた水路があるので、いくばくかは水没している。
 そして、その水底に古く巨大な都市の廃墟と魔族の封印がある」
と、青龍の魔道師ザンダルが答える。
「巨大な都市はおそらく、巨人の七王国時代の遺跡だろう。呪われしヴェルニクとならぶ七王国の遺跡かもしれない。そして、封じられた魔族はその気配から見て、海王の星座に属するかなりの大物と見るが、名は分からぬ」
「伯爵家には何か伝わっていないのか?」とナルサス。
「ここまでは、伯爵家の城館に残された古文書の記述だ」とザンダル。「学院は、お前の持つ剣の主ではないかと考えている」
 ナルサスは、腰に履いた魔剣「野火」に触れた。この「野火」は、かつて、魔族の諸侯の中でも高位の一騎である「雫の大公ヴェパーレ」が生み出した三本の魔剣の一本とされる。残る「狭霧」「雫」は、ヴェパーレの封印とともに、北原にある。確かダリンゴースという国の都フィレアに近い場所である。
「魔族の封印が二か所にあることが不可解か?」とザンダル。
「いや」と、ナルサスは頬笑み返す。「ヴェパーレは……あの怪物は、お前の言うような意味では封じられてなどいない」
 ナルサスは思い出す。
 一度だけ邂逅した魔族の諸侯のことを。

 薄明が夜の闇を追い払い始めた時。
 ダリンゴースの河畔で休んでいたナルサスは、蹄の音で目覚めた。
 同時に、傭兵の勘が全身をぴりぴりと絞り上げた。近づいてくる存在の危険さが直観的に傭兵の体を戦いの支度に追いたてる。
 魔剣がするりと鞘から這い出して手の中に納まる。いつものようなためらいも飢えも恐怖もない。戦うために最良の武器を選んだだけだ。それだけの敵が接近している。
 野火は周囲の霧を吸い込んでいくが、霧は消える気配もない。
 どうやら、霧もまた、魔の力で忍び寄っているようだ。
 やがて、霧の中、圧倒的な戦の気配を漂わせた騎士が現れた。
 青き鎧のうちから見つめる視線はまさに氷のようだ。
 片手で巨大な大剣を引き抜き、ナルサスに向ける。
「試練だ」
 騎士の声とともに、大剣の刃に淡き銀の輝きが集う。
 騎士は馬に拍車を入れ、ナルサスへ向かって突進する。
 ナルサスは、小細工をあきらめた。あの一撃を受け流すだけで精一杯だ。
 大剣は間合いに入った瞬間に振り下ろされた。ナルサスに出来ることは一つ、真っ向から野火をぶつけることだけだった。がんと恐るべき衝撃がナルサスの腕に伝わってきたが、何とか持ちこたえた。もう一撃、来るかと思い、必死に野火を構えたが、大剣の騎士はそのまま、ナルサスの横を走りぬけていた。
「よい太刀筋だ」
と、豊かな声が放たれた。
「さらに鍛えよ。そして、再びこの場所で立ち会おう。
 いつか、このミソロンギの大剣を奪いに来るがいい」

 それはおそらく呪い。運命の言葉であろう。

「この野火ですら頼りなく思えた」
「しかたあるまい」とザンダルはうなずいた。「ミソロンギの大剣か。それは古の妖精王、ミソロンギその人が残した大いなる武具だ」
 かつて、この世界を支配していた妖精騎士。500年前に、復活した魔族、冥界の大公テンバウランと戦い、これを打ち破ったのが『指輪の大公』と呼ばれたミソロンギである。彼はモーファットの南、ダニシェリアに居城を構えていたが、戦後、魔道師リリクロスとともに地上を去ったと言われている。
 妖精騎士の多くがこの戦いで傷つき、200年ほど前に起こった嵐の騎行を最後に地上から姿を消したとも言われる。少なくとも、この二百年、公式に目撃された妖精騎士は、ただ一人。黒き槍を保有する『閉ざされた瞳』イェスターンだけである。
「ヴェパーレの封印でないとすれば、確かめてみるしかあるまい」
とザンダルはうなずく。

 伯爵家の城館の地下、封じられた銀の扉が押し開かれた。
 二千年前、地の工匠、ヴァルハン族が作り上げたと言われる銀の扉はモーファットの封じられた地下領域への数少ない出入り口である。
 その入り口に立ったのは、ナルサスとザンダルを含め、わずか6名。
 モーファット伯爵家に仕える騎士の中でも名高きゾロエ・アラノスは、騎士盾と大槍を掲げ、目を閉じている。首から下がった護符は彼がこの街で海運を守護するプラージュ騎士団に属していることを示していた。
 その脇に控えるのは、大弓を持つ弓兵が2名。ファラードとニードという名前で、いずれも城壁から龍の島まで矢を飛ばす豪弓の使い手だ。筋骨逞しい腕は剣を抜いてもずいぶんと頼もしそうだ。
 最後の一人は、巨大な戦斧を持つ異形の巨漢である。額に一本の太く短い角を持ち、全身の肌は闇のように黒い。名はガウ・ガルガン。西方レベニアに生まれた黒鬼族の傭兵だ。
「すでに聞いていると思うが、この街の地下に、魔女が住みついた。
 我らはそれを討つ。よろしいな?」
 ザンダルが言った。
「騎士団の誇りにかけて全ういたそう」とゾロエが宣言する。
「魔女の首にかけた賞金を楽しみにしているぜ」とファラードが笑う。
「街を守るのが俺達の仕事だ」とニード。
「黒鬼は最強の敵を喜ぶ」とガウが吠える。
「そいつだけは保証しよう」とザンダルが答える。「さあ、地の底へ向かおう」

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『歌の龍王』第九話です。
 『深淵』とダンジョンというのは、なかなか似合わない組み合わせかもしれませんが、恐怖の雰囲気、じっとりとした佇まい、異界らしき空気を表現するためには、非常にぴったりです。一度、お試しあれ。

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2009年4月22日 (水)

歌の龍王【10】双魚の回廊

白の青龍

深淵よりさらに外。
そこは夢の戦場なり。

 薄暗い階段を五十段ばかり下ったところで、下方から水の滴る音が聞こえた。アラノス湖から流れ込む水の流れか、あるいは、モーファットの街から流れ落ちる排水か。いずれにせよ、今後の足場は滑りやすいものになるだろう。
「足もとに注意せよ」
 湖と同じ家名を持つ騎士が、ザンダルの想いを代弁する。
 おそらく、この男はこの街の地下に何度も踏み入ったことがあるのであろう。堅牢で重そうな全身鎧にも関わらず、この男の動きには不安がない。
 この探索の前衛を任せるのに最適の人材だ。
 ザンダルは安心して、魔法の気配に集中した。
 古い街の例に違わず、モーファットの街にはかつてここを行き来した人々の気配がこびりついている。魔法と無縁の人々には見えないまるで煙か何かのような微かな色合いが、魔道師には見える。石壁に触れ、そこに刻まれた浮彫をまさぐれば、この街を建設したヴァルハンの民の作業風景が浮かぶこともある。
 妖精騎士の気配がふわりと浮かびあがることもある。闇の中で星の光と戯れる黒い人影はおそらく、闇の妖精族クラディス・ラオパント、『闇を統べる者』であろう。今では、マフやヴァクトンなど北原の諸侯都市(アルリャ・イルエ)でしかその足跡をたどることもできない、という。
 階段をさらに下ると、やがて、広大な空間に出た。明かりを掲げると、半ば水に満たされた水面が光を反射する。人の背の10倍もありそうな天井。壁沿いや頭上には複雑な配置の橋や通路が行き来していた。
「ここは『回廊』と呼ばれている」
 ゾロエが解説し、水没したあたりを指さす。
「あのあたりに、かつて、妖精騎士の魔道師が住んでいたと伝わっている」
 おそらくは、モーファットでも有数の古い家である騎士の家に伝わる伝承だろう。いずれ、頼んで書庫を見せてもらうことにしよう。
 そこで、ザンダルはざわめきを感じた。
 魔法の波音が彼の耳を刺激した。
「来るぞ、双魚だ」
 ザンダルは、空間の奥を指さす。薄暗い広がりの奥から巨大な魚が二匹、まるで泳ぐように飛んでくる。
「射よ!」
 叫びながら、ゾロエが大槍と盾を構えて前進、ガウが戦斧を構えて右に走る。ナルサスは射手の前に出て、腰の剣に手をかける。
 ぎゅんと弓が引かれ、ファラードとニードが大弓を放つ。風切り音が立て続けに響き、片方の双魚がまるで壁にぶつかったように姿勢を崩し、落下する。
 もう一匹はうねるように体をひねり、ゾロエに襲いかかるが、騎士は左に一歩よけながら、横合いに大槍を叩きつける。ゾロエよりもふたまわり大きい双魚は鰓を斬り落とされつつ、床に激突する。
「はいあああああ」
 黒鬼が跳躍し、戦斧を双魚の眉間に叩きこんだ。
 頭が真っ二つに断ち切られ、双魚は動きを止める。
 ファラードとニードは半ば引き絞った弓を降ろした。
「まだだ!」
 ナルサスが叫び、頭上に斬りかかる。
 透明な何かが断ち切られ、声にならない悲鳴を上げながら、石畳の上に落ちる。野火で斬られたそれはたちまち干からび、おぞましい干し肉に変わる。
「油断するな」
 しかし、すでにニードが首筋を押さえて倒れていた。激しい鮮血が彼の死を告げる。
 ゾロエも何かに体当たりされ、大槍を落として倒れこむ。声を出しているから、騎士はまだ倒れただけだ。
「ネトゥアか!」
 双魚の名前の起源。双魚には二つの種類がおり、双魚使いはこれを使い分ける。日の光があれば、巨大な肉食魚ヴトゥアを用い、月の光があれば、月光を泳ぐ透明な魚ネトゥアを用いる。真紅の魔女ドレンダルはもと、原蛇座の召喚魔道師である。二種の双魚を使いこなすものだ。
 ザンダルは、己の油断を呪いながら、魔法の気配を探る。
 妖魔の気配は消えていない。
「ナルサス、残り3匹」
 ザンダルの叫びと同時に、黒鬼の手から戦斧が投ぜられ、空中の何かを断ち切って壁まで飛んで行った。
「後、2匹だ」
と、ガウが笑う。
 直後、その黒鬼の腕から血が噴き出した。
 見えない魚は、恐ろしい気配を放つ魔剣から逃れ、得物を手放した黒鬼を狙ったのだ。
「馬鹿め」
 黒鬼は笑って、もう片方の腕を振るった。黒鬼にかみついた何かは石畳に叩きつけられ、動かなくなる。黒鬼の強靱な肉体があってこその戦いである。
「無茶を……」
 ザンダルが言いかけて言葉を切った。ぞっとする死の気配が黒鬼の背後に突然生じたのだ。
「ガウ!」
 だが、黒鬼が身をよじる前に、闇から突き出された白い女の手がすっとその背中に触る。
「馬鹿はお前だ」
 黒鬼は何が起こったか分からぬままに、瞳を見開いたまま、倒れた。
「死ね」
 ドレンダルが立ち上がり、真っ赤な瞳をさらす。
 ファラードが悲鳴を上げて倒れる。
 ザンダルはぞっとする冷たい空気が心臓を握ったような気分になった。龍王の加護がなければ、自分も後を追っていったかもしれない。
「なるほど、俺が呼ばれる訳だ」
と、ナルサスがそちらに向かって走り出した。

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『歌の龍王』第十話です。
 双魚の群れを操るドレンダルと、討伐隊の戦いが始まりました。

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2009年4月28日 (火)

歌の龍王【11】赤き瞳の幻視


白の翼人

死は正しき終わり。
終わりなくば節度もまたなし。

 剣の飢えが肌を焼く。
 ナルサスの手の内で低くうなりを上げる魔剣「野火」は、湿ったはずの空気を渇いた熱風に変える。ナルサスが走るその周囲の石畳の表を覆っていた苔が一瞬で茶色く干からびる。
 ナルサスと魔女の間を遮った双魚ネトゥアが一瞬で斬り落とされ、砕け散る。
「猟犬よ!」
 ドレンダルが壁を叩くと、そこに虚ろな穴が開き、四足の怪物が飛び出す。
 馬ほどもある巨大な犬。
 だが、そこに血肉は一切ない。
 ただ白い骨と燐光だけの存在。
 あたりには、似合わない波音が響き始める。
「骨の猟犬」
 青龍の魔道師ザンダルはぞっとする。
 遥か死の領域に属する死の猟犬だ。
 学院の魔道師ならば、命を賭けて度重なる詠唱をせねば、召喚できぬ死の怪物を一瞬の動作で呼びだすとは、やはりドレンダルは魔女としかいいようがない。
「奴にかまれると、『深淵』にさらわれるぞ」
 『深淵』とは、この世界の裏側に存在する魔法と夢の世界、骨の猟犬はその深淵の彼方、死の領域たる葦原の国に属する生き物で、死すべき魂を食らい、死の世界へ運び去る。
 だが、ナルサスの動きは変わらない。
 骨の猟犬の横に飛び込み、一撃で前足を砕く。膝を割られた猟犬が振り向いた頭の骨を横合いから叩き割る。巨大な死の犬はそのまま弾き飛ばされて壁で砕け散る。
「たった三撃で骨の猟犬を滅ぼしたのか?」
 後方に下がりながら、ドレンダルが思わずもらす。
「三度、斬らねば死なぬとは、さすがに魔物」
と、ナルサスが言い返す。その剣を振るだけで、渇いた熱風が地下を走る。
「ヴェパーレ大公様の魔剣か」
 ドレンダルの声にさえ緊張が走る。ヴェパーレとは、魔剣「野火」を生み出した魔族の大物である。その二つ名は「雫の大公」という。しょせん、人の子から生まれたばかりの妖魔めいた存在には勝ち目がない。ナルサスの刃が届けば、彼女もまたたちまち干からびて滅びの道を辿るだろう。

「ならば、我が主の力を借りよう」
 魔女の右手に赤い宝玉が現れる。拳より少しだけ小さい宝玉から放たれる輝きとともに、まがまがしい気配が地下の空間に満ちる。

 その瞬間、ナルサスとザンダルは見た。
 深淵の彼方より見つめる赤き瞳。
 死の力を司る龍の瞳。
「呼べ、我が主の名を」
 ドレンダルのささやきが耳朶を打つ。
「知ってしまったのだろう?」

 ああ、知っている。
 だが、呼んではいけない。
 呼べば、あれが来てしまう。

 ザンダルは、その名前を飲み込む。
 しかし、ナルサスは不覚にもその名を呟いてしまう。

「赤い瞳の侯爵スゴン」

 言い切ると同時に、どこかで巨大な扉が音を立てて開かれた。
「あと、五つ」
 魔女ドレンダルは微笑む。
「その名を口にしてはいけない」と、ザンダルが叫ぶ。
「あれが来てしまう」
 警戒しておくべきだった。魔女が力にだけ頼るはずはない。見えない魚さえも、罠の本質ではない。この街を滅ぼすというならば、かの魔族の力を借りるに違いない。

 赤き瞳の侯爵スゴン。
 龍の姿をした死の魔族。
 その視線は見ただけで敵を殺すという。
 龍の屍めいた姿にふさわしい、死の化身。

 問題はそれをいかに召喚するのか?
 おそらく、かの赤い宝玉こそが召喚の道具なのだ。
「さあ、我が主の名前を呼べ!」
 魔女はナルサスへと宝玉を突きつける。
「お前こそ、多くの死の因縁を背負いたる者。
 お前が殺してきた者たちの名前にかけて、死の扉を開くがよい」

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『歌の龍王』第十一話です。
 魔剣対魔女の戦いが続きます。

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2009年5月 7日 (木)

歌の龍王【12】死の願望


赤の青龍

我は槍。
戦い、貫き、飛び行くことが使命なり。
折れることを恐れず。

「赤い目の侯爵スゴン」
 ナルサスは二度目の名を発し、さらにどこか遠くで巨大な扉が音を立てて開く。
 おそらくは、迷宮の底、あるいは、封印の内側で魔族を封じる扉が一つ一つ開かれているのだ。
「あと、四つ」
 赤き瞳の魔女ドレンダルは、笑い声を上げ、その手の赤い宝玉をナルサスへと突きつける。
「魔剣の担い手よ、その身に降りかかったあまたの死において我が主の名を呼ぶがいい」
「やめろ、ナルサス、それ以上、あれを呼んではいけない」
と、魔道師ザンダルは叫んだ。
 もしも、魔族の諸侯が顕現すれば、その力はあたり一帯を覆うだろう。スゴンの属するのは翼人座、ふりまかれるのは死の魔力だ。さきほど、ドレンダルがその凶眼とおぞましき死の手触りにより、即座に兵士を殺したように、スゴンはその身から振りまく死の魔力だけでモーファットの住民の多くを殺してしまうだろう。
「だめなのか、ザンダル?」
 ナルサスが言う。
「どういう意味だ、ナルサス」
と、ザンダルが聞き返す。
「出てくるというなら、殺せばいい」とナルサス。「そのための魔剣だ」
「魔族を殺す気か? そんなことは出来ない」
「魔族は死なぬ、そうだろう」とナルサス。「そんなことは分かっている。だが、この世に現れた影を斬ることはできる」
「我が主を斬るというのか?」とドレンダルが割って入る。
「ああ」とナルサスは不敵な笑いを浮かべる。「お前の主は、かの水龍ティノチウスよりも強いのか?」
 そうだ、とザンダルは思い出した。
 この男は、アラノス湖の水龍ティノチウスを殺した男だ。
 魔剣「野火」を手に多くの戦場を駆けた伝説の傭兵である。
「死を恐れぬというのか?」
と、ドレンダルは微笑む。
「我が主、スゴン様は【龍を殺す者】なり。
 その名を知っても、我が主を斬るというか?」
「来るというならば、斬るさ」
 ナルサスは微笑む。
「おお、怖い。怖い」と、ドレンダルは微笑み返す。「雫の大公殿も、恐ろしき者をご用意されたものだ」
 そうして、その手にあった赤い宝玉をナルサスに放る。
 しかし、ナルサスはそれを受け止めたりしなかった。投じられる赤い宝玉の下をくぐるように、ざっと踏み込み、ドレンダルの胴体を薙ぐ。
「ぐああああ」
 赤き瞳の巫女は人とは思えない悲鳴を上げて朽ち果てた。
 一瞬にして干からびた肉体は枯れ葉のように砕け散った。

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『歌の龍王』第十二話です。
 魔剣対魔女の戦いが終わりましたが、これはまだ序章に過ぎませぬ。
 次は来週か、再来週に。

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2009年5月14日 (木)

歌の龍王【13】残された宝玉

赤の戦車

形なき混沌が現実だ。
これに形を与えて秩序を生み出すのが我らの使命なのだ。

 魔剣「野火」の刃に貫かれた赤き瞳の巫女ドレンダルは、急速に干からびていった。枯れ葉のように茶色になった体。
 ぱきっと渇いた音が地下に響き、その体は崩れ去っていった。

 だが、ナルサスはすぐに剣を納めなかった。
 じっと、目だけを動かして左右を伺う。
 その後、ゆっくりした動きで、死者を見下ろす。
 そこには、先ほどまで味方だった遺体が三つ。
 黒鬼の傭兵、二人の弓兵。
 騎士は盾を構え、まだ警戒を解いていない。

「ナルサス!」
 青龍の魔道師ザンダルはやっと声を発した。
「倒したのか?」
 その声に、ナルサスは、遺体から目を反らし、「野火」を腰の鞘に納める。
「ああ、殺した」
 ナルサスは、じっと魔剣の柄を見下ろす。
「あの魔女は殺した。しばらくは出て来ない」
 魔剣使いの傭兵はやや空虚な声で答える。
「ならばいい」
とザンダルが答える。あたりの魔法の気配も消えている。幻視にひっかかるのは、ナルサスの魔剣だけ。それもまるで牛を食らって満足した火龍のように、殺気がおさまっている。

「終わったのであれば、魔道師殿に問おう」
と、騎士ゾロエが赤い宝玉を持ち上げる。もはや、光は弱まっている。
「これはいかがする?」
「我が預かる」と、ザンダルは前に進んだ。「それは騎士殿には邪悪すぎる」
 騎士は、宝玉を渡すとその場に再び座り込んだ。
「悪いが、魔道師殿とナルサス殿で援軍を呼んできてもらえぬか?
 この者たちの遺体を残していくのは忍びない」
 ゾロエにとっては、一時的とはいえ、部下であった者たちだ。
 主人として、出来る限りのことはする。
「もはや双魚はおらぬと思うが、ゾロエ殿、お一人でよいのか?」
と、ザンダルが問い返す。
「この地下を熟知し、その宝玉を処分する役割に関わりないのは、この私しかおらぬ。
 ナルサス殿には、魔道師殿の警護をお願いしたい」

「なあ、魔道師殿」
 地上へ続く扉へ向かって道を戻りながら、ナルサスはザンダルに囁いた。
「『歌の龍王』という言葉を聞いたことがあるか?」
「残念ながら、ないな」とザンダル。
「龍王の件は、確かに我が専門なれど、世に十二と一騎ありとされる龍王も、そのすべてが現在も知られている訳ではない。その中に、歌の龍王という二つ名を持つ者はいない。
 そういう龍と出会ったことがあるのか?」
「いや」と、ナルサスは剣の柄をなでる。「この剣は、殺した者の命を吸う。その時、その者の想いが伝わってくることがある。あの魔女もそうだった。なぜか、最後に奴の声が聞こえた。『歌の龍王』と」
「それは調べる必要がありそうですね」
「もう一つ、気になることがある」とナルサス。「俺が殺した時、奴は笑っていた」
 ザンダルはぞっとした。
 なるほど、ナルサスがすぐに警戒を解かなかったはずだ。
 魔剣に斬られて死ぬというのに、笑うとは……
 ザンダルは、懐にしまった赤い宝玉のことを思い出す。
 魔族の封印を解き明かす道具。
 六度、名前を呼ばせれば、封印は解かれると、あの魔女は言った。
 すでに二度、ナルサスは名前を呼んでしまった。
 つまり、後四度。
 そして、忘れてはならないこと。
 魔族は死なない。
 おそらく、ドレンダルももはや死なない。
 仮の身は滅ぼされても、いつか甦る。
 この赤い宝玉を取り戻そうとするかもしれない。
「水底に沈めてしまえばいい」
 ナルサスが言う。
「いや、沈めても無駄だ」とザンダルは答える。「水龍ティノチウスがいたころならば、魔族も躊躇うだろうが、今のアラノス湖にどこまでの封印の力はない」
 ザンダルは、選択した。
「ナルサス殿、もう少し付き合っていただこう。
 私は、この宝玉を魔道師学院に届けようと思う」
 魔道師学院とは、世界でただ一つ、魔法を研究している場所である。中原と北原の中間に位置するグラム山の山中にある。モーファットからは、大河を遡っても二カ月はかかる遥か北の地である。
「そこならば、封じられるというのだな?」
 ナルサスの問いに、ザンダルは強くうなずいた。

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『歌の龍王』第十三話です。
 残された赤い宝玉を封印するため、ザンダルとナルサスの新しい旅が始まります。
 次は来週か、再来週に。

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2009年5月20日 (水)

歌の龍王【14】闇の胎動

黄の海王

敬意を忘れたる者には厳罰あり。
怒りもまた真実なり。

 青龍の魔道師ザンダルと魔剣使いの傭兵ナルサスが地上へ増援を求めに向かった後、屍が転がるモーファットの地下空洞に、騎士ゾロエはいた。ゾロエは、無言で遺体を集め、干からびた双魚の死体の破片を水没した地下道に投げ捨てた。飛び散った血潮は無視した。
 兜と籠手を脱ぎ棄てたのは、しばらくしてからだ。

「一時とはいえ、我が部下であった者どもの死体を残しておくわけにはいかぬ。
 ネズミのかじられた遺体なぞ遺族も見たくはなかろう」
 そう言って、ゾロエは地下に残った。
 もちろん、それは言い訳にすぎない。

 長い沈黙が流れた。

 やがて、ゾロエは赤い宝玉で焼かれた右手の掌を砕け散ったドレンダルの欠片に向ける。
「いつまで死んだふりをされておるのですか?」
「くくく」と低い笑いが虚空に漏れる。壁のひびを押し広げるように、深淵から地上への扉を押し開き、ドレンダルが姿を現す。濡れたような唇と見開いた二つの瞳は血のように赤い。
「雫の大公様の魔剣に貫かれたのだぞ、少々労わって欲しいものじゃな、騎士殿」
 ドレンダルは魔剣「野火」に刺し貫かれ、古びた羊皮紙のように干からびて飛び散ったはず。だが、ここで再び、深淵より現れたのは、まるで再び生まれ落ちたかのように瑞々しい肌を持った妖魔の美女である。
「魔族はすでに死なぬ身と聞いた。御身もまたしかり」
と、騎士ゾロエは冷静に答える。
 するとドレンダルは、魔剣に貫かれた胸のあたりを指差す。
「とはいえ、痛みが消える訳ではない。
死で終わるべき痛みはまだこの身を焼いておる」
「されど、首尾は上々かと」
「まさに」と、ドレンダルは笑う。「モーファットを滅ぼすのはもう少し待ってやる」
「我が身に救いは?」とゾロエは、掌に焼きついた赤い宝玉の痕を示す。すでに白い死の刻印がそこに刻まれている。
「まだ来ぬ」と、ドレンダルは微笑む。
「しばしの間、我に仕えるがよい。さすれば……」

 数日後、ザンダルとナルサスは、モーファット河を下る川船の上にいた。
 大柄な船乗りたちがえいえいと漕ぐ櫂がぐいぐいと船を推し進めていく。船首には水の神を司るライエルの司祭がいて、波の乙女たちに船の運航を助けるように頼みこんでいる。
 この船は、モーファット河をさらに下り、二人はダニシェリアで外洋船に乗り換えて、南方デンジャハ王国のヒルズへ向かう。
 この船に乗ることになったのは、川船からの報告があったためだ。
 モーファット河沿岸には、もとより呪われしヴェルニクを始め、かつて繁栄した土鬼王国の遺跡が残り、野蛮な土鬼たちはそれを聖域と崇めている。赤き瞳の巫女ドレンダルが主人と崇める魔族「赤い目の侯爵スゴン」はその聖域の一つ、呪われしヴェルニクに封じられているという。
 ザンダルとナルサスが、かの魔女を倒した後、ヴェルニクの川岸に土鬼が集い、川船に大石を投げるようになったという。
「おそらくはこの宝玉が通るのを待ち受けておるのでしょう」
 ザンダルは分析する。
「では、ずっと迂回してイクナーリ大平原を馬で行く方がよいのではないか?」
 モーファットの領主は心配してそう言ったが、ザンダルもナルサスも大きく首を振った。
「イクナーリは土鬼どもの縄張り。そして、この赤い宝玉は彼らの守護神の宝。いかにナルサス殿が一騎当千の英雄であれども、百千を数える土鬼に追われれば、我が身が持ちませぬ。
 こうなったのであれば、いっそ、川を下り、海に出てヒルズより妖精騎士の築いた街道を登りましょう。確かに遠回りでありますが、これならば、かなり安全かと思われます」
 かくなる相談の上、船で川を下ることになったのである。

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『歌の龍王』第十四話です。
魔道師学院への旅はやたら遠回りになりそうです。
次は来週以降に。

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2009年5月28日 (木)

歌の龍王【15】夢の吹き寄せる岸辺

青の海王
遠く離れても海はひとつ。
波はいつか届くだろう。

 ザンダルは船上で夢を見た。

 山上に座り込み、膝を抱えたまま、眼下の荒野で龍たちが争うのを見下ろしていた。
 巨大な龍たちは狂ったように吠え、互いに噛みつき、引き裂き、時には、炎や稲妻、あるいは毒の吐息を吐き出して、同族と殺し合っていた。石より硬い龍の鱗さえ引き裂かれ、龍たちはどれもこれも血まみれであった。あるものは角や翼を折られ、あるものは喉や腹を引き裂かれ、それでも互いを殺すため、狂ったように戦っていた。鬨の声なのか、悲鳴なのか、もはや区別のつかぬ龍の怒号が荒野に響き渡る。
 ぞっとするような冷たさと渦巻く殺意の気配が、龍の遠吠えに乗ってまき散らされる。

(お前も一緒に殺せ、殺せ、殺せ!)

 だが、それに乗る訳にはいかない。自分と仲間たちの出番はまだまだ先だ。
 今は、この戦いを見届け、狩りに備えなくてはいけない。
 火龍と火龍が殺し合うという千載一遇の機会。戦いの趨勢が決まり、生き残った火龍たちを包囲し、殲滅しなくてはならない。傷だらけであっても火龍は火龍。ここで逃せば、後はない。

(どくん)

 心臓が高鳴った。

 目覚めると、川船は夕餉のために、川岸に寄せられていた。
「ここはどこですか?」
と、船乗りに聞くと、船乗りは答える。
「レ・ドーラの東でございます」
 ザンダルはふと午睡をしてしまった己のうかつさに気づいた。
 レ・ドーラ。
 遥か古代に、火龍同士が相争ったとされる荒野。
 そこには、多くの火龍の屍が積み重なり、火龍の怨嗟の想いが留まっていると言う。いずれ、龍の秘儀の探索に赴くべき場所としてザンダル自身も考えていた場所だ。
 モーファット河を一気に下ることばかり考えていて、気づきもしなかった。
 ここは殺意と怨嗟の想いが強すぎる。
 そして、この懐の赤い瞳は、おぞましい火龍の狂気を導く。

 狂気?

 ザンダルは気づいて、ナルサスの姿を探した。
 しかし、周囲にはかの魔剣使いの傭兵の姿はなかった。
「我が連れは?」
 ザンダルの問いに、船長が一通の手紙を差し出した。
「夕餉で岸につけた途端に、船を去られました。
 ご伝言は『もはや安息の時は過ぎた』とのことです」

ザンダル殿へ

 貴殿がこの手紙を読んでいるということは、我らが安息の時が終わったということだ。
 我が魔剣「野火」は、しばしば、血に飢えてならぬ時を迎える。その時、私は、貴殿の前を去るだろう。魔剣の導くまま、戦いに身を投じるのが私の定めだ。
 約束を違えることを許してくれ。

ナルサス

 夕餉の後、暗き川面を見つつ、ザンダルはまた、夢を見た。
 火龍と戦う魔剣使いの夢を。

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『歌の龍王』第十五話です。
 ナルサスが去り、レ・ドーラの岸辺に夢が吹き寄せられます。
 しばし、ダニシェリア周辺の物語が続きます。
 次は来週以降に。

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2009年6月 5日 (金)

歌の龍王【16】迎える者

赤の野槌

この場所こそ我が故郷。
それだけは決して忘れない。

 ナルサスが消えたレ・ドーラの岸辺で河船は夜を明かした。
 青龍の魔道師ザンダルは、夜明け前の闇の中で何かふっと忍び込んでくる気配に目を覚ました。それはまるで龍が放つ冷たい何かにも似ていたが、殺意は含まれていなかった。
 それでも、明らかに人とは違う。
 赤き瞳の巫女ドレンダルが、甦ったのか、とも思ったが、それは翼人ではなく、明らかに青龍座に属する感触だ。

 ばさり。

 羽音に目を覚ますと、岸辺に異形の人影が舞い降りた。
 一見、若い女性のように見えるが、その背には大きな龍の羽が広がり、背後には長い龍の尾が垂れている。顔つきは、少女のように見えて、口元から小さな牙がのぞいている。手には長い槍を構え、腰には剣を下げている。
 ザンダルは思い出した。
 確か、ダニシェリアの山の上、天魔の城と呼ばれるラヴィオスの谷間に、今も火龍の血筋を引く有翼の民がいるという。
「人の子にして、火龍に仕えたる者よ」
 その声ははっきりと響き渡る。上代語のなまりを含むものの、はっきりとした交易語だ。
「お前が所有する、その赤き宝玉について問いたい」
 ラヴィオスの龍人は、じっとザンダルの方を見た。
 やむなく、ザンダルは立ち上がり、龍人の前に立つ。
「これは、悪しき魔族《赤い目の侯爵スゴン》の眷族から奪いたる呪いの宝玉でございます。我はこれを封印すべく、魔道師学院への旅の途中」
「さても、婆様の予言通りか。
 しかたない。お前には、カラールまで来てもらおう」

 龍人は、高音の雄叫びを放った。
 口笛とは異なる甲高い叫びに応じるかのように、頭上からさらに複数の龍人の姿が現れる。龍人たちは、数名で一緒に網をぶら下げている。おそらくは、これに乗れというのであろう。

「ラヴィオスの龍姫様だ」
 やっと目覚めたらしい、船乗りたちが龍人の姿を見て叫びを上げる。龍姫と呼ばれているところを見ると、少女のように見えたのは間違いではなかったらしい。
 船長がザンダルを見て、諦めたような吐息を漏らす。
「魔道師殿が呼んだのですか?」
「いや、我輩を迎えに来たようだ。
 済まぬが、私もここで船を下りることになろう」
と、ザンダルが頭を下げた。

「さて、どこまで飛べばいいのだ?」
 ザンダルは龍人を振り返って聞く。
 すると龍人は南に見える高い山を指差す。
「ならば、我も翼を何とかしよう」
 ザンダルは、一歩下がって、【龍翼】の呪文を唱える。
 上代語の詠唱とともに、火龍の力が肉体にみなぎってくる。上着をはだけると背中からめきめきと火龍の翼が生える。皮膚が避け、血がしたたる。変化に肉体がついて来れなかったようだ。
「これでしばし、飛べましょう」

「人の子もやるな」と、龍人は笑い、仲間に手を振る。
 網を持った一団は飛び去り、ザンダルもまた山に向かって飛びあがった。

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『歌の龍王』第十六話です。
 龍人ラヴィオスとともに、ダニシェリアの山奥、カラールへ向かいます。しばし、ダニシェリア周辺の物語が続きます。次は来週以降に。

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2009年6月11日 (木)

歌の龍王【17】カラールの玉座

白の牧人

子供たちが砂で遊ぶ。
戯れに描いた絵に真実が描き出される。

 レ・ドーラの岸辺からカラールの山へ一刻ほど飛んだ。
 【龍翼】の魔法は、長期飛行には向かない。一応、空を飛べるというだけだ。
 空を飛ぶという行為は不思議なものだ。
 鳥や虫の場合、身体構造の軽さと翼の構造があって成立する移動手法であるが、火龍や人の子は、本来、自力で飛ぶには頑丈すぎる、すなわち、重すぎる身体を保有している。ゆえに、龍の翼を生やす魔法は、翼と言う魔法の要石を経由して、飛行の力を得ることに他ならない。
龍の民ラヴィオスは、それを常用できる魔力を血脈として受けついだ。それゆえ、ラヴィオスは羽と尾を持つ。その服は上着が貫頭衣のように見えて、背中の羽の邪魔にならぬように、背中が大きく開き、そのまま、ゆったりとしたスカート状に下へ垂れているが、腰のあたりには、前垂れがある。

(文化というものは複合的な事績の総合的な発露である)
 以前、学院で学んだ各地の風俗に関する講義を思い出しながら、ラヴィオスたちの飛行する姿を見ていると、あっと言う間に飛行の時は過ぎてしまった。

 ラヴィオスたちは、山腹に村を築いていた。塔のような、橋のような奇怪な出っ張りが崖から突き出しているのは、おそらく飛行を助けるためだろう。
「さらに飛ぶぞ」
 龍人の姫が、さらに高いあたりを指差す。
 そこには、妖精騎士たちが好んで築く、高く優美な塔を持った古城が立っていた。高い山の中腹に築かれた古代の城だ。おそらくは、あれが指輪の大公こと妖精王ミソロンギが住んだカラールの城砦であろう。

 一瞬、声が聞こえた。

 希望? 夢?
 それは一体、何を意味するというのだ?

(幻視か?)と、ザンダルは頭を振る。ここはかつて、妖精王が魔族と戦った場所。いかなる夢が封じられていようともおかしくはない。
 あの言葉を発したのは、魔族か、妖精騎士か?
 いずれにせよ、それは絶望のどん底にあったのだろう。

(理解できるということは悲しいことだ)

 誰がそう言ったかは覚えていない。魔道師学院で修行していた頃の記憶。そして、それはおそらくこう続くのだ。

(幻視に飲み込まれてはいけない。
 戻り、語ることこそが魔道師の定め)

 そうだ。辿りつけ。

 やがて、龍人とザンダルはカラールの城のテラスに舞い降りた。
 城の上層にあるテラスは、大きく開き切った大扉を経て、内部の大広間に続いていた。おそらくは、妖精騎士が空を飛んで参集するのに適した構造なのだろう。
 大広間の中には、複数の龍人が待ち受けていた。輿の上に座り込んでいるのは龍人の姫が口にした「婆様」であろうか。比較的年齢の分かりにくい龍人たちの中でも老齢による顔のしわが顕著である。
 ザンダルは、龍人の姫に促されるまま、婆様の前に進み、跪く。
「龍に仕えし人の子よ。破滅の子よ」
 婆様がよわよわしい声で言う。
「我はお前に警告を与えるために、この地に招いた。
 お前は赤き瞳を魔族より託された。
 それは、魔族の策謀である」

 《策謀》。
 魔族は復活のため、遥か古代から多くの陰謀の仕掛けをこの地上にばらまいてきた。人の子から世界を奪い取り、新たな時代を我がものとするために、魔族は複雑怪奇な深謀遠慮を張り巡らせている。一見、無関係な事柄が運命の綾織りの中で、次なる紋様を生み出すべく歪められている。
「汝がモーファットを救うべく、赤き瞳の巫女ドレンダルと戦いしはモーファットにとって避けうることのできぬこと。そして、汝がその魔の宝玉を学院に封じようとするのも当然のなりゆき。土鬼の襲撃を避けるべく策を講じて、南回りとしたも当然。
 だが、それらすべては《策謀》のうち。
 もしや、ここで今宵、我が汝に警告するのさえも《策謀》のうちかもしれぬ」
 永遠の命とおそるべき幻視の力を持つ魔族たちにとって、ありうるだろうザンダルの一生を見通すことも不可能ではない。
「だが、我らも幻視した以上、汝の定めを信じ、助言することこそ《策謀》に対する抵抗となろう。これらはすべて、《後継者の指輪》を巡る戦いなり」
 《後継者の指輪》とは、かつて、指輪の女王が巨人に託した世界の主の印。巨人が滅びた後、妖精騎士が引き継ぎ、ミソロンギまで、代々の妖精王が所有してきた。ミソロンギの失踪とともに、消えたまま、すでに幾百年を経た。
「これより、汝は古き者たちと多数出会うであろう。
 魔族たちもまた、汝の前に姿を現すだろう。
 世界は絶望に満ちるかもしれない。
 だが、汝がその宝玉を無事、学院に届けることこそ重要な任務なのだ」
 龍人の婆はそのまま沈黙した。
 ザンダルは言葉を発することができなかった。
「これが全てだ」
 龍人の姫がささやくように言った。
 婆はもう動かない。
「婆は多くの予言を背負い、伝えるためにここまで生きてきた。
 お前が最後の面会人だ」
 声が震えるように聞こえたのは、気のせいではないだろう。

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『歌の龍王』第十七話です。
 魔族との《策謀》が動き出しました。
 次は来週以降に。

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2009年6月17日 (水)

歌の龍王【18】海へ

黄の原蛇

希望? 夢?
それは一体、何を意味するというのだ?

 目覚めると、再び河船の甲板にいた。
 ラヴィオスの龍人たちとの会見から、追い払われるように戻ってきた。ミソロンギの王城を見ると言う貴重な時間を長引かせることは許されなかった。おそらく、学院の師匠に後で詰問されることになるだろう。師匠の妖精騎士へのこだわりがなければ、ザンダルは、あれが何かさえ、きちんと把握することはなかっただろう。

 しかし……

 ザンダルは懐にしまった「赤い瞳」に触れる。
 これ自体が魔族の《策謀》とは?

 つまり、私は何をさせられているのか?

 分からない。
 だが、興味深い。

 魔道師学院に属する魔道師が三千人と言われる。
 その中の何人が、実際に魔族と出会ったり、その策謀に触れたりできるものか?
 特に、青龍座は、火龍を見つめるのが役目。
 もとより、魔族などとは縁がない。
 だが、それが定めならよい。
 《策謀》というなら、食い破ってやろう。
 火龍に比べれば、お前たちなど。

 ダニシェリアの山を越えると、モーファット河は一気に川幅を広げ、まるで湖水のように流れが緩やかになっていく。やがて、ある朝、風に潮の匂いが混じるようになる。
「海が近くなりましたからなあ」
と、船長が言う。
 海は初めてだった。
「ああ、モーファットの湖など比較にもなりませんよ」
 ザンダルは、やがて、それを実感する。
 河口に近づくにつれ、微かに響く波音が少しずつ少しずつ大きくなっていく。最初は波の音とさえ分からなかった。
 知識として、海については学んでいた。
 だが、轟々たる波音が四方から身を包むように響き続けるのは別の体験だ。
 耳ではない。体の全体に響いてくる。

 ああ、これは海か?

 そして、ザンダルの耳に別の声が響く。

「戦いの角笛が響く。
 戦いの狼煙が上がる」

 それは果てしなく広がる海から響いてきた。

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『歌の龍王』第十八話です。
 ザンダルは、海に辿りつき、南海の魔物が目覚めます。
 次は来週以降に。

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2009年6月26日 (金)

歌の龍王【19】波の騎士


白の風虎

我は忘れぬ。
我は諦めぬ。
我は追い詰める。

 それは果てしなき海の彼方から聞こえてきた。
 青龍の魔道師ザンダルは、波の声に呑まれていく。

 夢を見た。
 いや、ずっとずっと長い夢を見てきた。
 あれからずっとこの青い青い海の中で夢見てきた。
 あれから?
 思い出せない。
 たぶん、重要ではないはずだ。

 そう、夢を見ていた。

 波の音に揺られ、海を漂ってきた。
 時折、小さな人の子どもが操る船が上方を通過していったが、気にもならなかった。
 海は静かで、優しく、嵐であっても、深き底に沈めば気にもならない。

 そう、ずっとずっと夢を見ていた。

 だが、銀の光がやってきた。

「波の騎士もすでに老いたか?」

 そう、私は波の騎士。
 青く猛き魔族の騎士……

「目覚めに備えよ」

 銀の光は海の上からささやきかける。
 ああ、もうすぐ……

「旦那、旦那、もうすぐ港ですぜ」
 船乗りの声がザンダルを目覚めさせた。

 あれは、一体、何だ?
 波の騎士?
 もしかして、海に封じられた魔族の夢か?
 銀の光は何だろう。

 ザンダルは、どこか惚けたような気分で、頭を振る。
 ここで沿岸航路の船に乗り換える予定だ。
 時間があれば、調べ物をしたいところだが、書物は皆、モーファットに預けてきてしまった。
「もう着きましたぜ、旦那」
 船乗りの声に促されて立ち上がる。
 槍と鞄を持ちあげて、渡り板で波止場に降りると、潮風がむっと体を包む。ざわめく波音がずっと響いている。

「あなた様こそが御使い」
 波止場に立った娘が声をかけてきた。
 青く薄いローブは、まるで海の色だ。
「ようこそ、始まりの港ラズーリへ。
 我がゲグに仕えし者は、あなた様を歓迎いたします」

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『歌の龍王』第十九話です。
 ザンダルは、海に辿りつき、南海の魔物が目覚めます。
 次は来週以降に。

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2009年7月 8日 (水)

歌の龍王【20】港町ラズーリの闇

赤の八弦琴

我は見つめる者。
汝の生きざま、とくと見届けよう。

 港町ラズーリの波止場は波の音に満ちていた。
 ゲグに仕える者と名乗った娘は、海のように青いローブの中からザンダルに手を差し伸べる。その肌の色はずいぶんと日に焼けて黒いが、それは健康的で魅惑的だった。
「あなた様こそが御使い」
 娘は繰り返す。
「海の神王を目覚めさせる者」
 おそらくは、海に封じられた魔族「波の騎士」を信奉する異端者であろう。何かの予言が彼女を導いている。それとも、ザンダルが懐に抱いた「赤き瞳」に呼び寄せられたのか?
「夢が……この街を覆いました」
 娘はザンダルの手に触れる。
 またも脳裏に海中を彷徨う者の夢が広がる。
 そして、輝く海面には、白銀の巨大な球体が浮かんでいる。

 ザンダルの記憶のどこかでちりちりとした警戒が立ち上がる。
あれは危険なものだ。
 おそらく、ザンダル自身が抱くスゴンの赤き瞳よりもっとずっと…

「あれは何だ?」
 ザンダルは女の手を振りほどきながら、問いかける。
「目覚めを呼ぶ者。真実の姿を失い、復活の時を求めて彷徨う者」
 そうして、娘は水平線を指差す。青い、青い海と、青い、青い空の狭間に、白い入道雲が葬列のように並ぶ水平線に、なにやら、きらりと光る物がある。白銀の何かが雲の狭間をさまよい、ゆっくりと移動していく。

 大きい。

 あれは何だ?
 思わず、幻視の糸を伸ばし……ザンダルはぞっとするような気配に身を潜めた。
 とてつもない魔力。
 風の遠吠えがザンダルの耳に響いた。
 風虎か。
 モーファットで火龍を観察していたザンダルですら、その魔力の大きさにぞっとする。
 公爵、もしくは大公の名を持つ者に違いない。
 風虎座の魔族など縁がないと思っていたため、あれが何かは判別できないが、危険な存在であることには間違いない。

「あれこそ目覚めをもたらす第一の使者。
 天空を舞う白銀の大公」
 ゲグに仕える娘が言う。
「さあ、参りましょう。
 我らが神がお待ちしております」

「そういう訳にはいかない。
 魔道師学院の名にかけ、魔族の信徒と通じる訳にはいかぬのだ」
 ザンダルは、ずっと持ってきた手槍を構え、娘に向ける。
 相手が異端者ならば、この街の警吏たちに突き出し、協力を得るのが得策。うまくすれば、街にいる魔道師かまじない師の力も借りられよう。
 そう決めて、ザンダルは娘に声をかける。
「この街にも、領主がおろう。
 そこで詮議をいたそう」
「ええ、構いませんわ」
と娘は微笑み返す。
「ご挨拶がまだでしたね。
 私、このラズーリを治めるライン・ラズーリの娘、アナベルでございます」

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『歌の龍王』第二十話です。
 ラズーリの港に住む異端結社「ゲグ」の者たちが暗躍します。
 次は来週以降に。

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2009年7月15日 (水)

歌の龍王【21】ゲグの玉座

風の風虎

風の匂いがする。
季節が変わっていく。
狩猟に備えるとしよう。

 ライン・ラズーリの館は、海に突き出した高台の上に立っていた。ベランダに立つと、潮風が吹き寄せる。見下ろせば、港と高台の間には真っ白な砂浜が広がり、そこでは近海で漁をする小舟が集っていた。
「少し出たあたりにサンゴ礁がありまして、よい漁場になっております」
 街の領主ライン・ラズーリはゆったりとした白の絹に身を包んだ小太りの男だった。南方沿海地域を席巻するテルテヌ系のため、黒髪黒眼で肌も浅黒く、豊かな髭を蓄えている。豊かな街の領主らしく、指輪や首飾りに金や宝石がたっぷりと使われていた。
「アナベルからお聞きの通り、我らはゲグの教えを信じております。
 いえ、プラージュの狩猟神にも敬意を払っておりますが、北の国々ほど、かの神々がこの海辺で力を持たぬのもまた真実。この海の深きあたりに住まうゲグの海神に貢物を捧げるのもまたやむなきこととお受け取りください」
 後半は、魔道師学院という勢力に対する言い訳であろう。
 ザンダルは状況を踏まえ、深くは踏み込まないことにした。重要なのは、「赤き瞳」を無事、学院に運ぶこと。そのため、この街の領主とうまく付き合い、デンジャハ王国への船旅を手配することだ。
 また、ゲグという海神に関する情報が必要だった。ただの地域信仰には思えない。あの白銀の大公ともども、情報を収集し、対策を練らねばならない。
「よろしければ、ゲグなる神について、もう少しご教授願えましょうか?
 あるいは、文書などあれば、拝見させていただきたいところです」
「ゲグ神の正しき名前は封じられております」と、ライン・ラズーリは、答える。魔道師が下手に出たのがうれしいのか口舌はなめらかだ。「おそらくは、古き戦いで海に封じられた際に、禁じられた名前なのでしょう。ゲグ神の啓示では、かの神が真の名を取り戻したる時、世界で最後の戦いが始まるとされております」
「世界で最後の戦いとは剣呑な」
「いえ、ゲグ神は、魔神に奪われた王者の指輪を取り戻すのです。それにより、真の支配者を得て、世界から戦いが無くなるのです」
 それは、おそらく、後継者の指輪にまつわる物語が歪んだものに他ならない。大いなる時代の終わり、そこで時代の支配種族は「後継者の指輪」を失い、新たな支配種族が選ばれる。
 それは予言だ。

「いつか、妖精騎士の時代、妖精代が終わる」
 ザンダルは、学院の歴史講義を思い出す。
 妖精代に分類される現在の「時代」は、「後継者の指輪」が虚空に消えたことにより「末期」に入った。時の支配種族たる妖精騎士はすでに滅びの時を迎えつつある。「後継者の指輪」を発見し、世界を支配したものが次なる時代を作るのだ。
「十二と一つの星座の時代が経巡るという理論に従うならば、通火の世が終わった後に来るのは、変化と幻影の支配する野槌の世、獣の王の時代である」
 講義をしていた老魔道師は傍らの魔道書を開く。
 予言の書である。
「妖精代9528年、白の風虎の年。
 獣の王、西に至り、冬を解き放つ」
 大音声に読み上げたのは、ここ数十年、議論の対象となってきた予言の一節である。その成立の年はもうすぐ近づいている。

 ゲグ神もまた、「後継者の指輪」探索の戦いに参戦する者であろうか?

「魔道師であるあなたさまであれば、ご存じでありましょう」
 ライン・ラズーリの言葉がザンダルを現実に引き戻す。
「緑の翼人の年、炎の王、月下に吠え、友去りなん」
 それは、今年の予言だ。
 何が起こるのか、は誰も推測できていない。
 東方から火の神王に導かれた火神教団の軍団が北方、ハジの荒野に侵入しつつあり、それこそが予言の指す事柄ではないか? とも言われている。
 しかし、ここラズーリは遥か南の果て、南海に面した港街だ。
 北の予言がそのまま関係するとも思えない。
「我らは、これをこう解釈いたします。
 白き光をもたらす白炎の王、月下に吠える。
 さすれば、友なる神、この地を去り、神々の戦場に向かわん」
 ライン・ラズーリの言葉はザンダルを揺るがした。
 白き炎の王?
 もしかして、地平線の彼方に輝いた白銀の大公のことか?
 かの者が、あの大きさの身体を持つ魔族であるならば、深海に封じられたる海神ゲグを目覚めさせ、真の名を取り戻させる力もあるやもしれない。
 そして、ゲグは魔族としての力を取り戻し、北の戦場に帰還する。
 しかし、どうやって?

 どくん。

 ザンダルは懐に納めた「赤き瞳」の鼓動を感じた。

《策謀》

 龍人ラヴィオスの老巫女が言い残した言葉が脳裏をよぎる。
「なるほど」
 ザンダルは遥か水平線を見つめる。
「では、あなたがたが私に望むのはいかなる行動でございますか?」
「私とともに」
と、背後から声がかかる。ラインの娘、アナベル・ラズーリだ。
「海へ出ていただきます」

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『歌の龍王』第二十一話です。
 ラズーリの港に住む異端結社「ゲグ」の者たちが暗躍します。
 次は来週以降に。

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2009年7月25日 (土)

歌の龍王【22】ゲグの玉座(承前)

 赤の海王

嵐に荒れた海も時が過ぎれば
すべてを呑み込み、静かになる。

 船に乗っていた。
 港町ラズーリの領主の娘、アナベルに導かれるまま、領主の所有する交易用の大型帆船に乗り込み、船出したのだ。
「船旅日和ですわ」
 心地よい潮風が船の帆を押す。
 晴れ渡った空には、入道雲一つない。
 それでも、ザンダルは奇妙な胸騒ぎに襲われていた。

 これは見かけにすぎない。

 ザンダルの敏感な感覚は、心地よい海のどこかにアナベルが信奉する深海の邪神ゲグがいて、ザンダルに触れようとしているのに気づいていた。
 《策謀》
 ラヴィオスの長老はそう言っていた。
 ザンダルがスゴンの赤き瞳を持って旅すること、そのものが何らかの《策謀》の一部であるというのだ。確かにそうかもしれない。ラズーリの街に着く直前、ザンダルを訪れた幻視は、海底に封じられた何かの夢だった。おそらくは、海に封じられた魔族。
 ラズーリの館では、手掛かりは得られなかった。
 ゲグなる海の邪神を信仰しようとも、所詮は、魔法使いではない。魔道師学院のような知識の書を蓄えている訳ではない。
 やむを得ぬことだ。
「《策謀》というならば、無碍には殺されまい」
 ザンダルは思っていた。
 我を手駒に使う気ならば、一息で終わるものかと。

 心地よい船旅は午後になって一変した。
 日が傾くにつれ、地平線にもくもくと入道雲が湧き上がり、風のように迫ってきた。船はずいぶんと沖に出ており、もはや、港に戻ることもできそうになかった。心地よい潮風は冷たい雫混じりの突風と化し、海面は泡立つほどの波が立ち、船は激しく揺れた。
「ゲグ様のご加護がある。
 帆を降ろし、嵐に備えよ!」
 アナベルは落ち着いて、船長に指示した。船長もまた、豪気にうなずき、船員たちに帆を降ろすように命じた。それでも帆柱はぎしぎしときしみ、ザンダルは手近な索具に捕まらずにはおられなかった。アナベルは、邪神の加護があるのか、甲板にしかと立ったまま、揺らぎもしない。ドレスが波の雫に濡れ、体にべっとりと張り付いたが、それは豊かな胸のふくらみをあらわにするばかりで、彼女を苦しめている様子はかけらもない。濡れた唇には会心の笑みが浮かんでいる。
「ごらんなさい」
と、アナベルが空を覆う暗雲の一角を指差す。ザンダルが目を向けると、そこに銀の光が見える。ザンダルはぞくりとした。風虎の魔力が荒れ狂い、雷鳴とともにザンダルの耳を撃つ。懐で赤き瞳がどくんと鼓動で答える。

「戦いの時は来た。目覚めよ、我が盟友」

 声が響き渡る。
 嵐がさらに強まり、風が吠える。海面はもはや荒れ狂う波で渦巻いている。
 暗雲からいくつもの稲妻が飛ぶ。
 帆柱の上にも次々と落雷し、甲板の上をいくつもの球電が跳ねた。
 ゲグの加護を信じる船乗りたちも悲鳴を上げ、船室に飛び込んだり、舷側にしがみついたりしている。

「目覚めよ!」

 世界を轟かせる声とともに、雷雲の中から巨大な銀の球体が現れる。城のごとく巨大な銀の宝玉……
 ザンダルは、やっと思い出した。
 これは、《宝玉の大公》。
 風虎座の魔族の重鎮にして、すべての姿を奪われた者。
 地上に近づくことを禁じられ、遥か西方の天空をさすらい、唯一、彼に許された玉座の地を求めているという伝説の存在。
 それがなぜ南海の海に嵐をもたらしているのか?
 ザンダルの問いは、立て続けに放たれた稲妻で答えられた。
 稲妻に乗って、奇妙な七色の光が帆船の甲板に降り立った。それは形のない蜃気楼のような何か。

(飢え?)

 ザンダルの脳裏に激しい渇望が浮かぶ。
 あれは飢えている。
 まさか……
 ザンダルが声を上げる前に、七色の光は船員たちに襲いかかった。まるで輝く煙のように船員の上に漂うと、船員の瞳から緊張と警戒が消え、次にその手から力が抜けた。
 そこで、再び、巨大な波が船を襲った。
 七色の光に襲われた船員たちが波にさらわれて消えた。

(お前たちは使者)

 ザンダルの脳裏に、海底へ沈んでいく船員たちの姿が見えた。
 淡く七色の燐光に包まれながら、海の底へ沈んでいく。
 嵐に泡立つ海面とは裏腹に静かな海の中。
 そして、海底から「それ」はやってくる。
 船よりも巨大で平板な肉体は、エイに近い。

(さあ、目覚めよ、盟友)

 七色の光は船員たちの水死体とともに、巨大な海の邪神に向かって歌う。

(戦いの時は来たのです!)

 そして、ザンダルはアナベルの声を聞いた。
「覚醒の時は来ました。
 さあ、ザンダル殿、ゲグ様との謁見の時です」
 海神の巫女は、ザンダルに口づけした。
 そして、再び、巨大な波が船を襲う。
 竜骨が砕ける音とともに、ザンダルは海に投げ出された。
 一瞬、背後の海面に巨大な三角の影が見えた。

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『歌の龍王』第二十二話です。
 海に出たザンダルは、波に呑み込まれ……
 次は来週以降に。

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2009年7月30日 (木)

歌の龍王【23】ゲグの玉座(承前2)


黒の海王

人生は海なり。
他の人々もまた同じ海原にいる。
それを忘れるな。

 アナベルとザンダルは、海を沈んでいく。
「ご安心を」
 アナベルは、水中でささやく。

(これは夢なのか?)

 海面に近い泡立つあたりを抜けると、海上の嵐とは裏腹に、海の中は静かで、動きがなかった。
 海に落ちた衝撃も動揺もなかった。
「すべては、ゲグ様の御心のままに。
 あなた様もわたくしも、あの船乗りたちもすべて、天上の御方からゲグ様への御使いにございます」
 アナベルが話すたびに、その唇から気泡が漏れていく。
 青く薄暗いはずの海中には、船乗りたちを包む七色の燐光で柔らかく照らされている。《宝玉の大公》が稲妻とともに船へと降ろした生ける光、飢えた異形の霊体だ。
「あれは、供物の光」
 アナベルが海中を指差すと、そこを巨大なエイのような何かが泳いでいく。淡く光ったまま、水中に浮かぶ船乗りたちの体は、次々とその巨大な口に吸いこまれていく。
 音はない。
 ただ、静かに燐光が消えていく。

(私も生贄にされるのか?)

 半ば麻痺したザンダルの心の中に、恐怖が頭をもたげる。
「いいえ、大丈夫」
と、アナベルはザンダルに寄りそう。
「あなた様とわたくしは、見届け人。
 《海の騎士》の帰還を祝うのです」
 
(つまり、これもまた《策謀》の内なのか?)

 ザンダルの想いに答えるように、その懐で、スゴンの赤き瞳が輝きを放つ。

「時は来たれり!」
 海の上から銀の光が鋭く海中に射し込み、赤き瞳の放つ赤い光とともに、ゲグの巨体を照らす。
「目覚めよ、我が盟友。
 海の騎士たる者、スボターン!」
 ゲグの巨体は激しくのたうち、海上で向かって突進した。答えるように、波の谷間がぐわっと口を開き、巨体をさらって空中へ放り出す。
 同時に、アナベルとザンダルも、波につかまれ、海上へと引き上げられる。まるで波から風に抱き渡されたかのように、そのまま、嵐の空中へと舞い上がる。
 眼の前は、銀の光に満ちていた。
 《宝玉の大公》が放つ銀の光が、エイのようなゲグの巨体を受け止め、空中に浮かべていた。
「今こそ、赤き瞳を!」
 アナベルがザンダルに言う。
「それこそが封印を断ち切る破封の宝玉」
 ザンダルは、一瞬、ためらったが、もはや腕は勝手に動いていた。
 懐から赤き瞳を取り出し、頭上に掲げる。
 赤い光が大きく放たれ、ゲグを包む。

「目覚めよ!」

 《宝玉の大公》の宣言とともに、エイのような三角の平たい巨体は、青い輝きを放ちながら、光の粒に変わり、その後、青い鎧を着た騎士へと変じた。

「我は目覚めたり」
 青い騎士は叫んだ。
「我は平穏の封印より解放された。
 我は意を決し、戦いに出る」

 その心は突風のように吹き荒れ、ザンダルは意識を失った。
 火龍の狂気にも似ていた。

 目覚めると、見たこともない船員たちがザンダルの顔を覗き込んでいた。
「分かるか? 大丈夫か?」
 船員の背後には、船室の天井が見えた。ゆったりとした揺れ、木材のきしむ音から、今も海上にいると分かった。
「ああ、ここは?」
 ザンダルはやっとのことで、質問をひねり出す。
「海王船だ」
 回答は別の場所から発せられた。
首をひねると、部屋の奥、執務机のわきに若くしなやかな肉体をした青年が座ったまま、ザンダルを見ていた。
「渦の海の海王ルーニク様だ」
と、船員が説明する。
 海王とは、八つの海を支配する船乗りの長たる存在だ。
 南方デンジャハ王国の都グナイクを本拠地とすると聞く。
 渦の海は、確か南方を指すはず。
「学院の魔道師に問う」
と、ルーニクは前置きなしで言った。
「お前の持っていた、この二つの宝玉は一体、何だ?」
 青年の前、執務机の上には、スゴンの赤き瞳と並んで、青く歪な多面体の宝玉が置かれていた。そこから放たれた海王の魔力を感じて、ザンダルはぞっとした。これはゲグ……いや、解放された魔族《海の騎士スボターン》に属する物だ。

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『歌の龍王』第二十三話です。
 ザンダルは、海王ルーニクの船に救われ、海王の都グナイクへと向かいます。
 次は来週以降に。

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2009年8月 8日 (土)

歌の龍王【24】海王

赤の風虎

甘やかな言葉を弄する前に
行動あるべし。

 奇妙な多面体であった。
 青い海のような宝玉をわざわざ歪な多面体に細工したように見える。
 イルイア・ゲグと言う。
 《波の騎士》あるいは《海の騎士》と呼ばれたる魔族スボターンの宝玉という。

「邪悪な宝玉だ」
と、ルーニクが触れずに言う。
「このイルイア・ゲグが流れついた村は間もなく滅ぶという」
 若き海王はそのおぞましい魔力を警戒するようににらんでいる。

「おそらくは」とザンダルが答える。
「我が身はすでに《策謀》の中。それもまた魔族が陰謀のため、我に与えたもの」
「そのようなおぞましき存在。捨ててしまえ!」
と、ルーニクが吐き捨てるように言う。
「そして、どこぞの浜辺に流れ着く」
「では、どうすればよいのだ?」
「私が魔道師学院に運び、封じましょう」

 それが定めなのだろう。
 そして、そうすることこそが魔族の望み。

「預けてもよいのだな?」
と、ルーニクは念を押す。
「私はこのために青龍の加護を得ているのでしょう」
 ザンダルは答えて、魔法の加護を得る《龍王の加護》の呪文を唱える。宝玉に触れる前に、これを唱えて置かねば、いかなる狂気を吹き込まれるか分かったものではない。
 だが、事態はザンダルの予想以上に激しかった。
 目の前に悪しき宝玉が二つも並んでいるせいか、呪文とともに、魔力が奔馬のようにたけり狂う。ザンダルが巡らせた精神集中はたやすく突き破られ、意識が飛びそうになる。耐えようと噛み締めた歯が砕けた。

 ザンダルはめまいを感じながら、呪文を唱え終わり、息を整えてから、イルイア・ゲグをつかんだ。
 次の瞬間、青い波に呑み込まれ、頭上で声が響いた。
(我は忘れぬ)
 赤き瞳を通して、魔族《赤き瞳の侯爵スゴン》が叫びを上げる。
 火龍を滅ぼすために生まれた死の怪物。
(我は諦めぬ)
 イルイア・ゲグの回りに渦巻く青き魔力が多面体に輝き、《海の騎士スボターン》の決意を宣言する。
(我は追い詰める)
 それらに答えるように、頭上で雷鳴が轟いた。それはおそらく、《宝玉の大公バーグロー》の答え。
 魔族の時代が来るのだ。

 そのまま、ザンダルは過去の夢に落ちていく。

 何か後悔していた。
 誰かを助けられなかった。
 勇気がなかった。
 決断が出来なかった。
 力がなかった。
 弱い自分が嫌いだった。
 だから……

「力が欲しいか?」

 イルイア・ゲグの声が脳裏に響く。
《龍王の加護》がなければ、あっさり飲まれていただろう。承諾し、邪悪な宝玉の奴隷になっていたはずだ。

「大丈夫か?」
 ルーニクの声はさすがに心配そうだ。
「私は、すでに龍の狂気に身を焼く者。
 魔族ごときに負けはしません」
と、ザンダルは微笑み返した。
「ならばよい」とルーニクが立ち上がる。
「明日には、グナイクに着く。
 そこで海王連にも説明していただくとしよう」

 グナイク。
 それは海王の都。海を支配する者たちの王城。

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『歌の龍王』第二十四話です。
 ザンダルは、海王ルーニクの船に救われ、海王の都グナイクへと向かいます。
 次は来週以降に。

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2009年8月13日 (木)

歌の龍王【25】海王(承前1)


黄の青龍

裏切り者よ。紛い物よ。
汝は悪しきもの。
我は復讐を忘れず。

 グナイク。
 それは海王の都。海を支配する者たちの王城。
 大海原を行く海王船の巨大な甲板から遥か彼方に見えたのは、沖合の小島に守られた巨大な湾岸都市であった。灯台のある小島の上には、巨大な弩弓砲と投石機が設置され、敵艦隊や妖魔の類から街を守っている。三本のマストに十枚近い帆を張った大型帆船である海王船は、すべるように小島を迂回し、グナイクの港を形成する湾へと進んでいく。
 湾の中には、多数の帆船が停泊していた。
 多くが三本マストの外洋帆船で周囲には輸送用の大型手漕ぎボートが波止場との間を行き来している。
 中でも、巨大な船が三隻あった。
 ザンダルが乗る海王ルーニクの「大渦号」も巨大であったが、それらはさらに巨大な船である。ルーニクは、ザンダルにそれぞれを指差し、説明する。
まず、指差した一隻は青い旗に、オメラス大公領の紋章を掲げている。
「風の海の海王カーディフの《微風》号だ。
 カーディフ殿はオメラス大公の甥子に当たられる」
 さらに壮麗な黄金の飾りに輝く船には、太陽の紋章がある。
「あれが、東方、光の海を支配する海王ザラシュ・ネパード殿の《黄金の太陽》号だ」
 そして、もっとも不気味な漆黒のマストを掲げた船からはまがまがしい気配が漂う。
「《黒骨》号だ。闇の海の海王ウィンネッケ殿まで来ておられる!」

(死は安寧)

 ザンダルの脳裏に不可解な幻視がよぎる。
 闇の海からやってきた船はあまりにもまがまがしい。

「ザンダル殿、あなたは幸運だ。
 一度に四隻もの海王船を見られることは、滅多にない。
 いや、それだけ今回の件は非常事態ということかもしれないな」

「帆をたため!」
 海王ルーニクの指揮のもと、船員たちはマストを登り、あるいはロープを引き、帆をたたむ作業に勤しむ。荒くれ者ばかりの船員たちが一糸乱れず、指揮に従う。
「碇、用意!」
 巨大な鉄の碇が海面に投じられる。
 ざっぱーーん。
 深い湾の入り口で海王船は止まり、船員たちは荷物をボートに運び、上陸の準備に入る。
 ルーニクは、傍らで入港を見守っていたザンダルを振り返って言った。
「さて、魔道師どの。我ら海王の都グナイクへようこそ」

 ボートで上陸した波止場は、活気に満ちていた。多数の商船から荷揚げされる多くの富がひっきりなしに波止場に届く。それをまた街の市場や倉庫へと運ぶ馬車が波止場を行き来する。
 ザンダルはルーニクとともに上陸し、そのまま王城へ向かう馬車に飛び乗った。

 グナイクの王城の広間は、街を見下ろすテラスの続きにあった。
 ザンダルとルーニクが到着した時、そこにはすでに二人の先客が会議用の円卓に座っていた。一人は壮年の貴族で、オメラス大公家の紋章を身につけていることから、風の海の海王カーディフと知れた。もう一人は質素な船乗りの服を着た老人で顔は白い無精ひげで覆われていた。
「おお、ルーニク、我が息子よ!」
 老人の方がさっそく声をかけてきた。
「グナイクの長老、アイオロス殿!
 ああ、彼こそが果ての海の海王……ということになっている」
 ルーニクはふざけた調子で合図して言う。
「こやつ、まだ信じておらぬな?
 わしこそが唯一、果ての海に達した男。
 だから、わしには果ての海の海王を名乗る資格がある」
 そう言って、二人を円卓に導く。
「好きなように座れ。どうせ、全員はおらぬ。
 ああ、こちらが風の海のカーディフ」
 高貴な出自の海王は華麗なしぐさでお辞儀をして見せる。
「彼が《海の騎士》の覚醒を見届けた魔道師ですな?」
 ザンダルはうなずき返す。
 懐から二つの宝玉を治めた箱を取り出す。
「まあ、ちょっと待て」とアイオロス老人が手を止めて奥を振り返る。「珍しい奴らが来ておるからな」
 手を叩くと、奥の間の扉が開き、壮麗な鎧をまとった壮年の騎士が出てきた。その手には、青い鞘に収まった巨大な剣が握られている。
(魔剣?)
 ザンダルの目にはそれが青く輝いているように見えた。
「海の聖剣ラツ・ヴァイネルダフではありませんか!」
 ルーニクが驚きの声を上げる。
「それは確か失われ、ザラシュ殿も探索を諦められたと」
「不可思議な縁により、北原より持ち帰られた」と、光の海王ザラシュ・ネパードは微笑み返した。「かのラルハース動乱の折、かの城の地下、大海魔の巣にて発見されたのだ」
 その話はザンダルも聞いたことがあった。
 北原の中心にある大国ラルハースの継承者を巡る戦乱、いわゆる「ラルハース継承戦争」で、何人かの勇者たちがラルハースの地下にある巨大な水没した洞窟へと入り込んだ。そこで大海魔ダーラの巣を発見した一行の中に、ザラシュが探索に派遣したプラージュの司祭がいた。彼は巣の中央に突き立った大剣こそ失われた海王の聖剣ラツ・ヴァイネルダフと識別、命からがら、これを持ち帰った。事情を知ったラルハースの新侯爵ジェイガンは、グナイクへその聖剣を持ちかえることを許した。
 かくして、引退を考えていた海王ザラシュは、その力を取り戻したのである。
「ある意味、時代が望んだのだ」
 その言葉を発したのはザラシュの背後から現れたローブ姿の人物である。ザンダルはその身がまとう禍々しい闇の気配に身をよじらせた。
 海王はローブの頭部をはいだ。
「魔道師はさすがに敏感だな。
 我こそ闇の海の海王ウィンネッケ」
 そういう声を発した頭は獣の物となっていた。
 闇の海の魔性に浸食されたのだという。その胴体も異形に変じ、人ならぬものになってしまっているらしい。
 ウィンネッケは続ける。
「龍に仕える魔道師よ。お前がもたらした知らせと宝玉は、この海に波乱をもたらす。
 海の聖剣は復活した海の魔族と戦うため、海王の元に帰還したと言えよう」
 ザンダルはうなずく。
 ウィンネッケは、さらに窓の外に向け、手を振った。
「そして6人目の海王が帰還する」

 グナイクの湾の中央に炎の柱が立った。
 そして、紅蓮の炎が吹き消えると、そこには真紅の海王船が姿を現す。

「あれは、《紅蓮の刃》号。
 炎の海の海王ヨーウィー殿が探索から帰還されたのだな」

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『歌の龍王』第二十五話です。
 ザンダルは、海王の都グナイクで海王と出会いました。
 次は来週以降に。

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2009年8月17日 (月)

歌の龍王【26】海王(承前2)

紫の戦車

我は混沌を焼く。
太陽の下、大地は常に堅固なり。

 世に八つの海があるとされている。
 光の海、闇の海、炎の海、氷の海、風の海、渦の海、藻の海、果ての海。
 その中でも、炎の海は南の果て、遥か彼方に広がる熱帯の海だ。グナイクからさらに南の彼方、炎を吹くいくつもの島がそこにはあるという。
 海王ヨーウィーといくつかの船だけが炎の海へ旅し、珍奇な品物を持ちかえるばかりで、そこに行って帰ってきた者は少ない。炎の海への旅は何カ月もかかるという。何もない熱帯の海を何カ月も旅するのは大変な労苦である。炎の加護を受けたヨーウィーの《紅蓮の刃》号でなければ、踏破することも難しいことだろう。
 とはいえ、ヨーウィー自身、数年ぶりのグナイク帰還である。
 数年前、《海の司祭アイカ・ラシーグ》という魔族にまつわる事件で、炎の海のとある島へ探索に出たまま、ずっと帰還していなかったのである。グナイクの海王衆は、遠方の海を支配する海王たちと同様、ヨーウィーが炎の海に腰を落ち着けたのかもしれないと思っていたほどだ。

「グナイクの面前で火柱を上げて帰還とはヨーウィーもどうしたのやら」

 帆船はほぼ木製であるから、火の気は厳禁である。
 炎の加護を持つ《紅蓮の刃》号とはいえ、海王の港の目前、多数の帆船が係留された港の目前で火柱を上げ、出現するとは異常事態に違いない。火柱が一瞬で消え、真紅の海王船が湾の入り口で碇を降ろすまで、ずいぶんな混乱が波止場で起こった。

「警告を持ち帰った」
 王城に現れたヨーウィーはそう言った。
 ヨーウィーの姿は、船乗りには見えなかった。頭からすっぽりと白いローブを被り、腰には何やら禍々しい戦鎚をぶら下げている。しわの刻まれた顔は、陽に焼けた老船乗りらしいものであったが、目が血走り、うつろであった。
「南海にて、《津波の王》が目覚めようとしている」
 ヨーウィーは続ける。
「《海の司祭アイカ・ラシーグ》は、邪悪の先ぶれだった。
 南海の水底に封じられた魔族復活の危機を伝える予兆だったのだ。
 《津波の王》に仕える大海蛇がこのグナイクに向かっておる。
壮絶な津波とともに」

「《海の騎士》に続いて、《津波の王》も覚醒したとなれば、今後、南海は戦場となろう」
 答えたのは、光の海王ザラシュ・ネパードである。聖剣ラツ・ヴァイネルダフを取り戻した騎士たる海王は、海を統べる将としての気迫を取り戻したようだ。
「まずは、《津波の王》の手先たる大海蛇を何とかせねばいかんな」
「よき武器がそこにあるではないか?」
 ウィンネッケが指差したのは、ザンダルが円卓に置いた二つの宝玉であった。禍々しい《スゴンの赤き瞳》と、奇怪な多面体《イルイア・ゲグ》。

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『歌の龍王』第二十六話です。
 海王の都グナイクで魔族の危機が広がります。
 次は来週以降に。

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2009年9月12日 (土)

歌の龍王【27】海王(承前3)

緑の古鏡

物事はすべて諸刃の剣。
自分に向く時がいつか来るのだ。

「これらを魔族との戦いに用いられるというのか?」
 ザンダルは、ウィンネッケに言う。
「魔族の宝玉ですぞ?」
「だが、そこにまぎれもなく強い魔力がある」
 ウィンネッケは躊躇いのない口調で答える。
「ことに《スゴンの赤き瞳》は、龍を殺すために蓄えられた死の力。
 魔族の眷族を追い払うだけの力があろう」
 それは間違いない。
 だが、それを使用すれば……
「スゴンの封印をさらに解放することになりかねない」
 ザンダルは明言し、闇の海の海王に抗議する。
「おそらく、それが目的であろうな」
と、獣頭の海王は答える。闇の海で人ならぬ異形に変じたこの海王は、海の魔性に関する限り、魔道師に比肩するばかりの知識を持っている。彼は闇の海で何を見たのだろうか?
「貴殿はさきほど、貴殿がこの宝玉を持って旅すること、それ自体が魔族の《策謀》の一環と言われた。龍人の予言とあれば、無碍にもできぬ。
 おそらく、この場で《津波の王》の下僕に対して、それを用いるのも、魔族《策謀の統領》が用意した罠かもしれぬ。
 では、貴殿はどうする?」
「私は、この宝玉をグラム山の魔道師学院へ運び、厳重に封印いたします」
「さて、それは正解かね?」と、ヨーウィーが言う。
 炎の海より警告を持って帰還した海王は、ザンダルをじっと見つめた。
「どうなると思うかね、魔道師殿」
「封印がよろしくないと言われるのですか?」
「いや、結果は多分、問題ない。魔道師ならば誰もがそう結論付けるだろう。
 だが、その過程において、貴殿は魔族《赤き瞳の侯爵スゴン》の復活を触れて回ることになる。この南海、あるいは、中原に封じられた魔族たちに」
 ザンダルには言い返す言葉もなかった。
 港町ラズーリで、さっそく海の邪神ゲグに仕える者たちと出会い、ゲグ、すなわち、《波の騎士スボターン》の覚醒に出会った。
「そして、最終地点はグラム山の魔道師学院だが」とウィンネッケ。「そこで無事、封印できればよいが、逆に言えば、グラム山に《スゴン》が出現するかもしれない」
「貴殿は体のいい飛脚にされておるのかもしれんよ」とヨーウィー。
 ザンダルは、黙って唇を噛み締める。
 分かっていたかもしれない。
 想像していた。最悪の可能性として。
「気を落とすな、若いの」と、アイオロスが言う。「陰謀を仕掛けるという点で魔族にはそう簡単には勝てん。だが、罠があるのが分かれば、まだ戦いようがある。何のために、この場に世界最高の船乗りが6人も顔を揃えていると思っているのじゃ?」
 そう、ザンダルの前には、世界に広がる八つの海を支配する海王の内、6人までが顔をそろえていた。
 風の海のカーディフ、光の海のザラシュ・ネパード、闇の海のウィンネッケ、炎の海のヨーウィー、渦の海のルーニク、そして、果ての海のアイオロス。
「船に乗っていれば、最悪のことなどいくらでも起きる。嵐が来る。風がない。水がない。食べ物がない。目指す島が見つからない。時には、部下が飢えて死ぬのを見つめなくてはならない時もある。果てしない海で彷徨い、三日も風がなければ、屈強の船乗りだって頭のおかしくなる奴すらいる。何もなくても、マストから落ちて死ぬ奴は必ず出る。
 それでも、海に出るのが船乗りだ」
 アイオロスの言葉に他の5名の海王たちが揃ってうなずく。その姿はそれぞれ違うが、目に宿る強い光が共通している。
「魔族が解放を求めて、わしらの街ごと罠にかけたのであれば、よかろう。ただでは解放してやらん。働いてもらうさ。ウィンネッケの言うのはそういうことだ」
「そして、そのまま、そいつには深き海底に沈んでもらえばよい」
 ウィンネッケが笑い、獣の唇から剣歯が覗いた。
「《スゴンの赤き瞳》を海に沈めると?」
 ザンダルにはなかった発想だ。
「このまま、魔族の《策謀》通り、飛脚をするよりもずっとよいではないか?」

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『歌の龍王』第二十七話です。
 JGC回りで少々間があいてしまいました。
 次は来週以降に。

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2009年9月28日 (月)

歌の龍王【28】海王(承前4)

青の海王

樹木は枯れて、地に帰り草を育てる。
獅子は死んで虫を育てる。
死は決して無駄ではないのだ。

 準備は予想外に素早く進んだ。
 ザンダルが抗弁し切れぬまま、沈黙すると、海王たちはさっさと職人を呼び、魔族の宝玉を巨大な銛の先端に嵌めてしまった。人の子の背丈の倍はあろうかという大物だ。
「まるで、誂えたようだな」
とルーニクが言うと、老アイオロスが答える。
「おそらくは、これもまた運命なのかもしれぬ」
「ああ、《策謀》のうちであろう」と、獣頭のウィンネッケが笑う。山犬のような口元から、黄色い牙がこぼれる。「これほど痛快な気持ちになるのも奴らの仕込みかもしれん」
「だからと言って、《津波の王》にグナイクを沈めさせる訳にはいかん」
と、ザラシュ・ネパードが言う。海の聖剣が戻ったためか、実に生き生きしている。
「然り」とヨーウィーが答える。「さて、この死の銛を振るう役だが……」
「面白そうな話だな」とカーディフが片手を上げる。
「いや、待て」とザラシュが止める。「オメラス大公閣下のご血族に、死の銛を振わせる訳にもいかんよ」
 カーディフは、南東地域の有力貴族の一族だ。海蛇退治にそのような高貴な血筋を費やす訳にはいけない。
「おぬしも同様じゃ、ザラシュ」と老アイオロスが口をはさむ。「お前は、海の聖剣の守護者だ。いざという時、その聖剣を持って後詰をせねばならん」
「爺にさせる訳にもいかぬし」と、ルーニクが笑う。「この若造の出番でよいですかな?」
「任せる」とウィンネッケが同意し、ヨーウィーがうなずいた。
「決まりだ」とルーニクは死の銛をつかんだ。

 翌日には、ザンダルと海王たちはグナイクの港を出ていた。
「グナイクに、《津波の王》が達する前に、海上で戦うのじゃ」
 アイオロスはそう言い、水占いの末、グナイクの沖へと船を進めるように命じた。
 津波は岸辺に近づき、海底が浅くなるほどに高くなる。ヨーウィーの言う脅威が呼び名の通り、津波を操る者なら、浜辺で待ち受けるのは愚の骨頂と言える。外洋を彷徨っている間に迎え撃つのが、海王の有利である。
 グナイクを順次出版した艦隊は四隻、沖合で三角形の布陣を組んだ。先鋒にはヨーウィーの《紅蓮の刃》号、続いて、本命の銛を掲げたルーニクの《大渦号》、後方は右にザラシュの《黄金の太陽》号、左にウィンネッケの《黒骨》号の陣容である。カーディフの《微風》号はグナイクの守りとして、海王の港に残った。
「おぬしは残ってもよかったのだぞ」
と、ルーニクがザンダルに言う。
「その宝玉の行方を見届けるのも、我が使命。
 あのまま、本当に海底へ沈めてよいのか? やはり迷いが残っております」
「青龍座の人間にしては踏ん切りが悪いな」と、ルーニクが笑う。
「人は」とザンダルは唇をかむ。「なかなか龍にはなれませぬ」

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『歌の龍王』第二十八話です。
 次回、嵐の海で海王たちが津波の王の僕たる大海蛇と戦います。
 次は来週以降に。

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2009年10月 7日 (水)

歌の龍王【29】海王(承前5)

紫の通火

我は瞳を閉ざす。
涙とともに希望をこぼさぬように。

 沖に出てしばらくすると、青く澄み渡った空の彼方、水平線に巨大な入道雲が現れた。
「何かいるぜ」
と、ルーニクが笑う。
 ザンダルが目を向けると、入道雲のあたりから複数の蠢く気配を感じる。

敬意を忘れたる者には厳罰あり。
怒りもまた真実なり。

 入道雲の雲間にばしっと稲妻が走り、巨大な銀色の球体が浮かび上がる。
「宝玉の大公が雲の中に……」
 ザンダルは叫ぶ。
 入道雲の中にいるのは、海底の邪神ゲグの封印を解き、波の騎士の帰還を導いた者。《宝玉の大公》だ。巨大な空飛ぶ銀の球体。
 いや、あれもまた魔族の宝玉。
 忌まわしき力を持つ珠。
「波間を見ろ」
 ルーニクの指差す先、地平線に泡立つような波が立ち上がっている。
 この距離にして見えるということはすでにすさまじい波だ。
 そして、ザンダルの幻視に巨大な大海蛇と、白い巡礼姿の男が映る。

「我は警告したり。
 津波の王は目覚め、海王の都へと押し寄せん」

 あれこそが、ヨーウィーの言った《海の司祭アイカ・ラシーグ》か。
 警告を発しようとする前に、大海蛇が吠えた。

「我が痛みを! 我が苦しみを!」

 ざっと意識が海の底へ呑まれていく。

 胴体を貫く激痛。
 思わず見開いた目に映るのは、何もない海底の闇。
 遥か遠く頭上のどこかに光ある海面があるのは知っている。
 だが、呪わしき黄金の槍に貫かれ、海底で串刺しになったこの身には届かない。
 のたうっても、海底に降り積もった白い塵芥が舞いあがり、視界を閉ざすだけ。
 あまりに海が深きゆえに、音もなく、魚も蟹も近づいてなど来ない。
 時折、海底を彷徨う盲目の大鮫が流れよってくるか、鯨を連れた海巨人どもが封印を見回りにくることもあったが、それすら、稀になった。
 孤独の中、何年が過ぎたかなど分からない。
 自ら死んだように横たわるだけ。
 星辰の合により、体を貫く破魔の槍の魔力が微かに上下するだけが時の流れを知る唯一の方法だ。

 ある時、破魔の槍の力が劇的に強まり、胴体を焼き尽くす。
 激痛のあまり、痛みを忘れて槍をつかんだ。槍の魔力が手を焼き、黒焦げにした。槍の側面についた棘にひっかかり、指がちぎれたが、両手を焼いた痛みに紛れ、気づいた時には目の前の暗い海水の中に、指が浮かんでいた。白い海底の塵芥の中でゆっくりと血潮を引きながら、回る指。

(ああ、こやつだけはこの槍から自由になったのだ)

 うれしかった。

「行け、我が指よ。我に代わり、海底の怒りをつたえよ」

 指はゆっくりと海蛇に姿を変え、遥か彼方の海面を目指して浮上していった。

「帆を回せ!」
 ルーニクの声にはっと意識を戻すと、船はすでに恐ろしいほどの速度で嵐の中を走っていた。いつの間にか、入道雲の真下に突入し、上空では稲妻が走っている。船は激しく揺れている。甲板上を船員たちが走り回り、横に展開した三角帆が風をはらんで船の行方を変えていく。
 立ち上がると、船は巨大な波に向かって斜めに切り上がりつつあった。
「ザンダル、目覚めたか!」
 若い海王は、スゴンの赤き瞳を穂先にした巨大な銛を抱えている。
「奴が来るぞ!」
 巨大な波の下、鯨よりも巨大な細長い何かが蠢く。
 ざっと波を割り、大海蛇が頭をもたげる。地上の毒蛇とは異なり、まるくのっぺりした海蛇特有の頭は、まるで指先のようにも見えるし、両目が正面に配置されているため、人の顔のようにも見える。

「行け、我が指よ。我に代わり、海底の怒りをつたえよ」

 《津波の王ラシーグ》の声がザンダルの耳に響く。この大海蛇ですら、ラシーグの指から生まれた分身に過ぎない。王はどれほど巨大なのか?
 大海蛇は再び、吠えた。
 それはまさにこう聞こえた。
「絶望せよ」と。
 まさに然り。
 海王の誇る大帆船すら木の葉のようにしか見えない巨大な怪物が、尖塔のような津波ととこに立ちはだかっているのだ。
 いかなる者がその行く手を阻めよう。
 海王の都すら一息に呑み込んでしまいそうだ。
 だが、ザンダルの目の前には、一人の若い海王がいた。
 ルーニクは赤銅色に焼けた腕で赤い宝玉を穂先にした銛を構え、大海蛇に向かい、一歩も引かぬ構えだ。
 大海蛇は、ルーニクをしかと見つめ、巨大な顎を開く。
「人の子よ。我に歯向かうか?」
 その声と吐息だけで数名の船員が吹き飛ばされた。舷側から嵐の海に落ちた者は決して助かるまい。
 だが、ルーニクは膝すら折らない。
「さあ、これが答えだ!」
 ルーニクは、赤き瞳の銛を大海蛇の口に向かって投じた。それはまるで空を飛ぶ龍のように大海蛇へ突進する。海王たちの魔力が添えられているのをザンダルは感じた。ウィンネッケの闇の力、ヨーウィーの炎の力、ザラシュの破魔の力に加え、海の聖剣が生み出す風と波の力が死の槍を守り、大海蛇へと導く。
 それは大海蛇の口の奥へと飛び込んだ。

 ぎいい。

 ザンダルの脳裏のどこかで重い金属の扉が開く。
 スゴンが這い出してこようとしている。
 冷たい死の力。
 龍めいた頭蓋骨の奥で光る赤い瞳。

「死は安寧」

 それは、ぼそりとつぶやく。

 ザンダルは見た。
 銛が口の中に刺さった瞬間、赤い光は一瞬輝き、次の瞬間、大海蛇は動きを止めた。
 目から光が消え、そのまま、下に落下する。
 断末魔もなかった。
 いままで大海蛇の頭を支えていた全ての力が失われたように、その巨体は真下に沈んだ。目の前にあった津波さえも力を失い、一気に崩れ去る。
 その余波で、大渦号はぐいっと押しやられる。
 甲板が逆の向きに激しく傾き、ザンダルは濡れた甲板で倒れ、そのまま滑り落ちる。途中でロープの束に当たらなければ、そのまま、舷側を越えていたかもしれない。
 しかし、船の揺れはそれで終わりだった。

 目の前で大津波は消えた。
 風もみるみる内に弱まり、上空を覆っていた雷雲は風に乗って飛び去っていった。
 太陽が現れ、風は完全に止んだ。
 凪が来た。
 つい先ほどまで嵐の中にいたとは思えない風情だ。
 そして、盟友たる海王の船も見える範囲に無事浮かんでいる。

「まだだ、気を許すな!」
 ルーニクが怒鳴る。
 ぞっとする感触で、ザンダルは頭上を見上げた。
 そこには、巨大な銀の球体が浮かんでいた。
 城よりも巨大なそれは四隻の海王船の頭上に、まるで雲のように浮かんでいた。
 船員たちは頭上を見上げて、声もないまま、息を呑んだ。
 そのまま落下してきただけで、『大渦号』はあとかたもなく砕け散るだろう。
 すでに、魔族を倒す武器はもはや存在しない。
 風が無ければ、たとえ、海王とて帆船を動かすこともできない。
 風を司る風虎座の呪文を唱えるしかない。
 だが、ザンダルには分かっていた。
 この場の風を支配しているのは頭上の球体、《宝玉の大公》だ。
 ぞっとする沈黙の後、大音声が響いた。

「果たされたり!」

 同時に、銀の球体から何かが落下してきた。
 それはふわりと甲板に舞い降りた。
 一本の銛。
 穂先には赤い宝玉が輝いていた。
 「スゴンの赤き瞳」だった。

「果たされたり!」

 再び声が響き、銀の球体は消えた。
 何も兆しもなく。
 見上げる空には雲一つなかった。

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『歌の龍王』第二十九話です。
 次は来週以降に。

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2009年10月14日 (水)

歌の龍王【30】海王(承前6)


青の古鏡

見ないことこそ見ることに通じる。
それを忘れるな。

 しばし、人々はその銛をじっと見ていた。
 何が果たされたのか?
 この銛に何の意味があるのか?
 《津波の王》の下僕、大海蛇とともに海底に沈むべきだった赤い宝玉のついた銛は、なぜか虚空から投げ返された。大海蛇は死んだように見えた。
 気配は消え、巨大な津波もその場で崩壊した。

「果たされたり!」

 銀の球体、いや、《宝玉の大公》はこの言葉を残して消えた。
 何が果たされたのか?

「ザンダルよ。それは、おまえのものだ」

 甲板に、闇の海の海王ウィンネッケの声が響いた。
 いつの間に船を移ってきたのか?
 怪異な容貌の海王はザンダルの背後に立っていた。
 ザンダルが振り返ると、そのローブから闇がこぼれおちるように見えた。

「よいか、ザンダル」と闇の海王は言う。
「この世界は螺旋のようなものだ。
 繰り返しのように見えて、少しずつ前へと進む。
 ある時は、その未来のためにある。
 今日、お前が我ら海王と大海蛇の戦いに加わったのは、未来のため。
 そこにある赤き瞳の銛もまた未来のため。
 貴殿が青龍の魔道師であるのも、また仕掛けのうち」

 振り返ると、赤き瞳の銛は、そのまま、使いなれた槍のように振るえそうだった。

「魔族はおそらく、この銛を生み出すために、ここへお前を導いた。
 いや、おそらく、そのためにお前を用意した。
 だから、あれはお前が担うべき武器だ」
 ウィンネッケの声が淡々と響く。

 分かっていた。

 赤き瞳との旅がこれほど簡単に終わらないことなどよく分かっていた。
 魔族に魅入られたのだ。
 これは《策謀》なのだ。
 魔族の誰かが描いた陰謀の綾織り。
 では、今、ザンダルがこれを取らなかったとしたら?

「誰かがそれを受け取るだけだ」
 ザンダルの心を見透かすようにウィンネッケが言う。
 ザンダルが振り返ると、ルーニクがうなずく。
「お前が持って行かぬなら、俺がもらう。
 《津波の王》がまた大海蛇を送ってきたら、それで戦う」

(そうして、いずれ、《赤き瞳の侯爵スゴン》は目覚めるのだ)

 遥か闇の彼方で妖艶な女の声がささやく。
 ザンダルはその声の主を知っている。
 赤き瞳の魔女ドレンダル。
 最初の使者。

 ナルサスの魔剣によって斬られても滅びぬ魔女。

(あなた様は見届けるのです。我らが神の復活を)

 ラズーリの領主の娘、アナベルが海底から微笑む。
 船ごと沈んだはずだが、彼女もまたどこかで生きているに違いない。

「分かりました」
 ザンダルは覚悟を決めて銛をつかんだ。
 青龍の加護を信じよう。

「残念」とルーニクが笑った。
「まあ、後は任せる」

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『歌の龍王』第三十話です。
 海王編終了。
 次は来週以降に。

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