2019年8月13日 (火)

歌の龍王【64】棍棒王の南下(3)

        *

 

月待ち

 

運命は流転する。

 

        *

 

 棍棒王ラ・ダルカ率いる土鬼の群れが南下したことに対して、ユパ王国はカスリーン公女に、レ・ドーラ辺境伯の称号を与え、南部国境防衛の要とした。

 イクナーリ大平原に群居する巨人の亜種、土鬼は人の子に比べると、数倍の体格を持ち、凶暴さでは人の子の兵士10人に匹敵すると言われるが、性格が粗暴で、国家としてのまとまわりを持たなかった。巨人の七王国の時代には見られたような、神の下僕としての巨人族の叡智はもはやかけらも残っていなかった。木をそのまま引き抜いたような棍棒と、人の子の家の壁をそのまま持ち歩いているような巨大な円形盾以上の武装はなく、目の前の敵を殺してはそのまま食うだけだった。

 ラ・ダルカのような首魁が現れなければ、数百が集まることなどなかった。

 

 ラ・ダルカは怒号を上げる。

「レ・ドーラに踏み込んだ人の子どもを踏み潰せ!」

 傍らに据えられた巨大な棍棒を振り上げると、周囲に座っていた土鬼たちが立ち上がり、呼応する。

「踏み潰せ!」

「踏み潰せ!」

「踏み潰せ!」

 土鬼たちは野蛮な怒号を上げる。

 

「厄介だな」

 そうつぶやくのは、カスリーン軍の偵察部隊を率いるストラガナ侯だ。カスリーン自身の異母弟であり、西方草原から来たガラン族の騎兵を率いる浅黒い肌の貴公子である。

 馬の扱いにおいては、ユパ随一とされる彼であっても、一千を超える土鬼の群れに近づくのは避けたかった。こうして、遠目に眺めることがせいぜいである。

 土鬼は野蛮な巨人だ。弓などは使えないが、奴らの投げる石はガラン族騎兵が愛用する短弓よりよほど遠くまで飛び、当たれば骨を砕く。馬の足すら折りかねない。

 長弓兵や大型弩弓砲の出番である。

 カスリーンはラグレッタ城砦の東まで伸びた運河に水を入れ、これを防衛線とした。運河に水軍が浮かび、砲台を兼ねた浮城となった。その中核にいるのは海王ルーニクである。

 

「一尺でも東へ!」

 運河の掘削は続いている。水を入れずとも、深い堀は防衛に役立つ。土鬼どもが、レ・ドーラになだれ込む入り口を少しでも東にずらせれば、戦いは有利になる。柵と堀が巨人の動きを封じるのだ。

 

「そして、この魔法陣はどう使うのだ」

 鉄の公女カスリーンは、その名前にふさわしい黒い鉄の籠手で、ラグレッタ城砦の城館の上、あえて、平たく作った屋上に描かれた文様を指差した。

「我らは、龍を召喚できます」

 魔道師学院から派遣された魔道師たちの長フェムレンが言った。丁寧ではあるが、断固たる口調。彼は、この世界の中でももっとも畏れられる存在を召喚すると言った。

「操れるのだな?」

 カスリーンは問い返す。

 このレ・ドーラの地はかつて、龍たちが殺し合い、屍を晒す荒野である。これを領地とするカスリーンは、龍どもの恨みの強さ、狂気のあふれる思いをよく知っている。

 大地の浄化を兼ねて、龍骨を掘り出しているが、その結果、龍の亡霊の恨みに心を蝕まれる者、体調を崩して寝込む者が後を断たない。

「出来ます」

 フェムレンは強くうなずく。

「我らは、必要な事柄を知っておりますゆえ」

「では、召喚する龍の名を問おう」

 カスリーンの問に対して、フェムレンは一見、無表情な顔をほころばせた。

 彼はカスリーンの横に立つ助言役の魔道師ザンダルを見てから答えた。

「歌の龍王。それは夢を超える歌い手にございます」

 

 

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『歌の龍王』第64話です。

 やっとタイトルまで来た。

 少しずつ再開して参ります。

 

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2011年11月14日 (月)

歌の龍王【63】棍棒王の南下(2)


赤の風虎

甘やかな言葉を弄する前に
行動あるべし。

 棍棒王ラ・ダルカの名前は、イクナーリ大平原においては恐怖を表す。
 巨大な土鬼は兵として、人の子10人分とも言われるが、その怪物たちを数百、あるいは、千の単位で集め、従わせることができれば、もはや、立ち向かえる人の子の国はない。
 中原の中央部が今も、半ば荒野のまま放置されているのは、かつての巨人王国への敬意というよりも、土鬼との戦争の不毛さゆえである。特に、妖精騎士たちが姿を消して以来、妖精王国はもはや、大平原へ領土を拡大する力を失いつつあった。
 妖精王国から独立したユパ王国にとって、大平原への拡大は悲願であったが、ルケリア河東岸への領土拡大が難航してきたのは、ひとえに、土鬼たちの中に時折、現れる棍棒王のような首魁の存在である。
 普段は氏族単位で暮らしているニ十、三十の土鬼たちを軍隊で追い払うことは可能だが、棍棒王を奉じて、略奪戦争のため、集まった数百、千の土鬼を蹴散らすことなどできない。

 棍棒王ラ・ダルカは、すでに齢50を数えていたが、巨人の末裔である土鬼としては、まだまだ壮年にすら達していない。土鬼としても、ひときわ、大きな巨体を、配下に引かせた巨大な荷車の上の玉座にゆだねていた。周囲には、頭を垂れた土鬼たちが集まっている。その数、千余り。
 大平原の南部、レ・ドーラへ向かう途中の丘の上である。
 見渡す限り、巨大な土鬼たちが大平原に座り込み、ラ・ダルカに向かって頭を垂れている。
「我らが守護神、スゴンより天啓が下った」
 ラ・ダルカは怒号を上げる。
「レ・ドーラに踏み込んだ人の子どもを踏み潰せ!
 勝手に、河を引き、我らの縄張りを引き裂こうとする虫けらどもを踏み潰せ!」
 傍らに据えられた巨大な棍棒を振り上げると、周囲に座っていた土鬼たちが立ち上がり、呼応する。
「踏み潰せ!」
「踏み潰せ!」
「踏み潰せ!」
 土鬼たちは野蛮な怒号を上げて、南へと歩き出す。

 棍棒王南下の報が入るとともに、カスリーンはラグレッタ城砦に集う兵士たちを集めて演説した。
「我が民よ。ついに決戦の時が来た!
 かの棍棒王ラ・ダルカの名の下に、大平原の土鬼、一千余が群れをなし、この城砦に向かって南下しつつある」
 すでに、状況は知れ渡っており、兵たちより驚きや恐怖の声は上がらなかった。すでに、土鬼の群れを何度も撃退し、兵士たちには自信がつきつつあった。
「かつて、ラ・ダルカの名前は恐怖そのものだった。
 だが、我々はこの日のために備えてきた。
 兵を鍛え、武器を備え、防御を固めた。
 運河には我らの水軍が浮かび、騎士団も騎兵隊も歩兵隊も砲兵隊も皆、精鋭となった!
 さらに、南方から、東方から、西方から、北方から、魔道師学院から、援軍が集った」
 カスリーンの声は城の庭全体に響き渡る。
 ラグレッタ城砦に集う軍団はユパ王国国内から集まったものだけではない。
 ストラガナ侯の呼びかけで、西方草原からガラン族の騎兵がやってきた。
 海王ルーニクは、南方王国から船乗りや荒くれの戦士たちを引き連れて帰ってきた。アナベル・ラズーリに従うゲグ教徒の一団もいる。モーファットからも、援軍が派遣されてきた。
 直接関係のないはずのマイオス王国や、妖精王国の大公領、メジナ、アラゾフ、スイネすら、傭兵部隊を送り込んできた。この機会に、レ・ドーラの権益へ食い込むため、カスリーンに恩を売ることに決めたのだ。
 魔道師学院からも、4人の魔道師が到着した。
 フェムレンと弟子たちは、すでに城砦の屋上に巨大な魔法陣を描いていた。青龍座に対応した十二と一重の魔法陣。
「この戦いに際して、畏れ多くも、ユパ王国国王陛下は、私にレ・ドーラ辺境伯の称号を賜った!」
 カスリーンは黒鉄の篭手を振り上げる。
 ザンダルは大きく頷く。
 これは、ラ・ダルカとの戦いに先立って得られた最大の勝利のひとつだ。
 レ・ドーラ辺境伯。
 王家としては、宿敵ラ・ダルカとの激戦に突入する剣の公爵家息女に対する最大限の支援のつもりであろう。ラ・ダルカが侵攻方向を変えた場合に備えて、王国軍の主力は、ルケリア河沿岸に待機しなくてはならない。援兵が少ない分を名義と軍資金で補ったのだ。
 カスリーンとザンダルにとって、それは想定範囲であり、ありがたいことだった。
 この称号を得ることで、カスリーンは大幅な自由裁量権を得る。多くの勢力からかき集めた混成部隊を指揮するためにも必要な地位だが、これで、レ・ドーラは正式にカスリーンの領地になった。王になる。かつて、カスリーンが望んだ目標にまた一歩近づいたのだ。
 だからこそ、カスリーンは意気揚々と立ち上がる。
「我らは勝つ」
 彼女は黒鉄の篭手を振り上げる。
 兵士たちが歓呼の声で答えた。

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『歌の龍王』第63話です。

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2011年11月 6日 (日)

歌の龍王【62】棍棒王の南下(1)

紫の黒剣

支配するは我なり。
秩序こそが世界で最も美しい。

 年が変わり、三つ目の骨塚を越えた。
 中原では最も南に位置するレ・ドーラの荒野では、雪などは降らぬ。ただ、乾いた涼風が大平原を渡ってくるばかりだ。時折、季節外れの遠雷が南の山から響くが、レ・ドーラまで雷雨が下ってくるのは稀である。
「火龍の屍骨さえなければ、豊かな土地なのだな」
と、ザンダルはラグレッタ城砦の城壁で口にする。
 すでに、ラグレッタ城砦の手前まで達した運河の周辺では、水を得て草原が少しずつ広がり始めている。草が生えれば、生き物も増える。まず、ストラガナ侯率いるガラン騎兵たちが馬と羊、猟犬を持ち込んだ。草を追い、ルケリア河の周囲に住んでいた野生の鹿や羚羊なども運河沿いに南下してきた。
 運河の南側、レ・ドーラの荒野に入るまでのあたりの荒地は開拓地となった。まだ田畑が出来た訳ではないが、それでも、カスリーンに従う兵士と家族たちが住み着き、羊や牛、豚などを買う暮らしを始めた。
「形が整うまでに後3年はかかりましょう」と、答えるのは財務官のギルス・トラスである。「しかし、ギュネス公子の差配で、開拓村には冬越しの食料が送られました」
「宝冠の公爵の名義で、だな」とカスリーンが笑う。
「表向きは、カスリーン様とギュネス様の連名でございますが」と財務官。「荷馬車の後ろに、宝冠の公爵家が差配した芸人どもがついておりました」
「今は、それでよい」とカスリーン。「いずれ、運河沿いの村をひとつふたつ、ギュネス殿に与えねばならぬと思っていたゆえ」
「街道沿いにすれば、公子が道と港、それに市場を整えてくださります」と、ザンダル。内政開発は、宝冠の公爵家が得意とするところだ。恩を売れば、軍事外征への支援となって帰ってくる。かように、内政と軍事を分担するのが、ユパ王国を支える三頭政治の肝である。
「任す」とカスリーンはうなずいた。
「ところで」と、ザンダルは言う。「モーファット伯爵のご次男、オルドリク様の件は、あれでよろしいのですね?」
「ああ、まだ、私は婿を取って、子作りに専念する気はない」
 カスリーンは、黒鉄の篭手を握る。
「了解いたしました。運河沿いのひとつをアイリーン様に贈ります。
 ゾロエ殿によれば、城ひとつ寄越すなら、婿入りという形も受け入れるとか」
「我らが一族に入り込み、あわよくば、レ・ドーラの領主を目指すか。
 よいだろう。アイリーンには過ぎた婿だな」
 結局のところ、モーファット伯爵家との縁談は、カスリーンの妹アイリーンのもとに、伯爵家の次男坊オルドリクが婿入りし、ルケリア河と運河の分岐点に築きつつある河城の城主とすることで決着した。重要な軍事拠点であるだけでなく、運河がモーファットまで達した暁には、通行税を管理することになる城だ。将来の収益を考え、姉上やモーファット伯爵家の手前もあり、一族を配することになった。すでに、オルドリクはユパ入りし、騎士ゾロエ・アラノスと連携してユパ王国の宮廷で社交に勤しんでいる。若いが、優しく、節度を感じさせる男なので、有能な財務官をつければ、問題はなかろう。アイリーンとも似合いの夫婦になるだろう。狩猟と漁撈を司るプラージュ教団で学んだ司祭というのも、河を見守る城の城主にふさわしい。
「問題は、土鬼どもか」とカスリーンが運河の北に広がる大平原に目を向ける。今は、無人の荒野であるが、遥か彼方には、棍棒王ラ・ダルカが支配する土鬼たちの縄張りがある。冬に入り、食料が減ったことから、土鬼たちが南下の気配を見せているという。
「ストラガナ侯の放った物見によれば、ラ・ダルカの棍棒が見えたとのこと。
 すでに、数百の土鬼が集いつつあり、南下を始めた模様です」
「我らの防衛体制は?」
「このラグレッタ城砦より西は、運河の工事区画もあり、防備は固いものとなっていますが、ここより東、アールラン城砦までの間は、柵のみとなっております」
 運河の工事は大型の川船を通すため、幅100歩、深さ30歩を超す大型の堀を掘っている。注水されていなくとも、両岸に柵を立て、投石機や弩弓砲が並べば、鉄壁である。
「運河に水は入れられるか?」
「数日以内には」
 それはここ何ヶ月か、準備してきたことであった。いずれ、土鬼を束ねる大王、棍棒王ラ・ダルカが攻め寄せてくる。それはカスリーンも、ザンダルも、考えてきたことだ。
 レ・ドーラの中には建てたばかりのアールラン城砦は火龍の気配を嫌う土鬼たちも避けるだろう。やはり、狙いはラグレッタ城砦だ。
「水軍の招集を」

 そして、カスリーンとザンダルにとって最大の戦いが始まる。

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『歌の龍王』第62話です。
新章に入ります。棍棒王ラ・ダルカと土鬼の大軍がカスリーンの領地へと迫ります。

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2011年10月25日 (火)

歌の龍王【61】黒鉄の篭手と火龍の姫(9)

赤の黒剣

波乱の予感がする。
新たな何かが生まれ、
世界に飛び立っていく。

「思い出すべき時が来たようだ」とフェムレンが言う。

 ザンダルの心が冷たく澄み渡った。
 呪文〈龍王の加護〉の力だけではない。
 おそらくは、この瞬間のために、ザンダルは「鍛えられて」いた。
 自らの記憶が「改竄」されていたことに対する衝撃はほぼ打ち消された。
 想定範囲内だ。
 これならば、耐えられる。

 だが……

「お前とカスリーン姫の関係は、難しい」
 フェムレンは淡々と言う。
「我は、師に過ぎませぬ」とザンダルは答える。「姫君はすでに我が掌より旅立たれ、王国の礎を築きつつあります」
「人としての関係だ」とフェムレン。「分かっておるな」
「私は、」とザンダルは言い淀んだ後、フェムレンの前に膝を折る。
「我は槍。いずれ、火龍の理に飲まれる身」
「我らは急がぬよ」とフェムレンは微笑む。おそらくは作られた笑い。
「だが、レ・ドーラを進めば、お前もカスリーンも決断を迫られよう」

 そう。いつか、歌の龍王と相まみえ……
 答えを出さねばならない。

「忘れるな、ザンダル。我らが敵は…」
「不死なる魔族」
「《策謀》には、長き時がかかる」
「次の世代、いえ、子孫すらも《策謀》のうちにありましょう」
「12とひとつの年が巡った後に後悔しても、取り返すことなどできぬが、綾織を見つめる幻視者でなき、我らはただ前に進むのみ」
「左様」とザンダルは引き取る。「我ら、青龍は槍であることに価値がある」

赤の戦車

形なき混沌が現実だ。
これに秩序という形を与えて、
未来を生み出すのが我らの使命なのだ。

「ザンダル、誰と話している?」
 女性の声が割り込んできた。
振り返れば、そこには、黒鉄の篭手をつけた火龍の姫、カスリーンがいる。背後には、忠実なる騎士コーディルと、もはや、腹心となったアナベル・ラズーリの姿がある。
 視線を走らせると、周囲にドレンダルはおろか、フェムレンの気配もない。

(すべては幻視の内への介入か)

 ザンダルは納得し、カスリーンの前に膝を折る。
「失礼。我ら魔道師にはよくない癖がありまして」
「また、何か幻視(み)えたのか?」
 カスリーンは目を逸らさない。
「はい」とザンダルは覚悟した。「奇妙なる啓示を得ました。
 姫君は、いずれ、火龍の魂と相まみえることとなりましょう」
 いずれ、詳細は語るが、今は、注意を喚起するきっかけをお与えしよう。
「何を今さら」とカスリーンは、黒鉄の篭手を掲げる。
「このレ・ドーラに踏み込んだ時から、覚悟していたこと。
 そして、あの日、お前は言ったではないか?
 『この黒鉄の篭手が、姫様を守ります』と」

 ええ、その通りです。火龍の姫よ。

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『歌の龍王』第61話です。
今回は、短めに。

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2011年10月18日 (火)

歌の龍王【60】黒鉄の篭手と火龍の姫(8)

紫の古鏡

無垢ならん。
知らず。
聞かず。
疑わず。

 青龍の塔から来た魔道師フェムレン。妙にニコニコしながら、ザンダルと共同して、龍骨の野における採掘活動を指揮してきた男。龍王の猟犬を見てもその表情は変わらず、また、魔族《赤き瞳の侯爵スゴン》の解放すら可能性として示唆してきた。
「あなたは一体、どなたですか?」
 思わず、ザンダルは聞いた。
「何の芸もない質問だね、ザンダル君」
 フェムレンの口調は少しだけ上級の導師のものに変わった。
「分析は出来るだろう?」
 魔道師学院の魔道師は、理解力を問う。分析し、解析し、理解することのできぬ魔道師に価値はない。そう、謎の解けない魔道師になど用はないのだ。
 だが、そこで考えこむことが必ずしも最善手とは限らない。
「時間の節約です、フェムレン殿」と、ザンダルは言い切る。
「ドレンダルが干渉してきた以上、カスリーン閣下のため、最大効率で情報を開示願います」
「拙速もまた青龍のさが」とフェムレンはうなずく。「偽名は使っておらぬよ。
 ただ、我が青龍の塔の長、《龍鱗公バルナ》の直命を受けている」
 数年前より、青龍の塔は、激動の時代を迎えていた。
 ミスタクタイズ河流域で覚醒した《霧の龍王パーロ・ファキール》の調査に多数の人員が投入され、長を含む多数が死亡した。新たに長となったのが、《龍鱗公バルナ》で、顔の半分を龍の鱗に覆われているため、その名がある。
 ザンダルはその前に、ユパへ派遣されていたため、バルナとその側近には面識がなかった。フェムレンがそれなりに重責のある者とは思っていたが、塔の長の側近とは知らなかった。
「では、二つ、問います。
 まず、歌の龍王とは?」
「そこが、分岐点となる」とフェムレン。「まもなく、世界の運命が分岐する」
「それはすでに聞きました」
「いまだ目覚めざる龍王の器だ」
 ザンダルは確信したが、言葉は発しなかった。
「自制心は魔道師の宝だ」とフェムレン。
「カスリーンは、間違いなく、火龍の魂を持つ姫だ」
「ユパの剣の公爵家の血筋でしょうか?」
「それは確認できていない。だが、お前が派遣される前から、その兆候が察知されていた」
「火龍の姫を育成するために、私が選ばれたのですね」
 ザンダルの言葉はもはや質問ではなく、確認だ。
「黒鉄の篭手にも何か仕掛けがありましょうか?」
「あれは、心の鍵に過ぎぬ」
「外せば?」
「何故、カスリーンは王となることにあれほどこだわるかわかるか?」
 ザンダルはフェムレンの言葉に、カスリーンに見た幻視を重ねる。泣いていた少女。幼い頃のカスリーン。血の海に倒れ伏した侍女。
「あの篭手は、彼女の内なる火龍のやみがたい衝動を体現するものだ。
 カスリーンは内なる力を征服という野心に還元している」
「あれをつけたのは……」
「私だ」とフェムレン。「どうやら、あの時の暗示はお前をきちんと制御してきたようだな」

 ザンダルは、心のどこかで鍵が外れるのを感じた。
 さまざまな風景と言葉が一気に蘇ってきた。

「火龍の姫を守り、育てよ」
 遥か昔、青龍の長であった現在の魔道師学院の堂主アルゴスからの命令。
「いずれ、彼女は大いなる槍に育つ。
 火龍の器として、我らと同盟する《世界の槍》だ」

 それは、壮大な実験の一幕。

「そして、お前も」

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『歌の龍王』第60話です。
今回は、短めに。

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2011年10月14日 (金)

歌の龍王【59】黒鉄の篭手と火龍の姫(7)

紫の牧人

我はここで待つ。
汝の時が至るのを。

「赤き瞳の巫女ドレンダル」
 それは魔族《赤き瞳の侯爵》に仕える魔女の名前。
「ザンダル」
 魔女の声は陰々滅々とした調子で響く。

 かつて、「真理の探索者」と名乗る市井の研究家たちが幻視を危険な物として、幻視に反対する意見を魔道師学院に向かって具申したことがある。
 第一に、幻視とは、人の子の住まうべき現世から離れ、魔の領域たる深淵へと踏み込むことになるからだ。そこには、魔族や妖魔たちが漂い、おりあらば、人の子の魂を歪め、あるいは、くらってしまおうと待ち構えている。これが危険でなくてなんだろうか? 

(そんなことは最初から分かっている)

 幻視の中、仇敵と相見えながら、ザンダルは脳裏をよぎる記憶を振り払い、素早く、魔族の影響から魂の防御を固める《龍王の加護》の呪文を唱える。
 ずんと疲労が走り、呼吸が乱れたが、集中は切れなかった。
「魂を龍の鱗で覆ったか」
 ドレンダルがあざ笑うように言う。
「だから、青龍の魔道師は扱いやすい。
 心に鎧をまとって、もはや何も感じたりできない」
「何が言いたい?」
「忠告してやろう。魔道師よ。
 お前はなぜ、ここにいる?」
 同時に、夢の彼方で魔族が雄叫びを上げ、死の魔力を含んだ忌まわしい突風がザンダルの周囲を吹き荒れる。翼人座に属する魔族《赤き瞳の侯爵スゴン》だ。あれは、後三度に迫った解放の時を待ちわびているのだ。
「く」
 防衛の呪文を唱えた後でなければ、魂を刈り取られていたかもしれない。
「さ、答えろ、ザンダル」
 魔女は追い立てるように質問を重ねる。
 お前はなぜ、ここにいる?」
 ザンダルの脳裏で火花が弾ける。

 最初のきっかけは数年前だ。
 まだ幼いカスリーン姫の家庭教師として招かれた。
 塔の上役の推薦という。
 若い魔道師にとって、一国の上層部にいる上級貴族の家に招かれるのは、安全な第一歩である。その後の庇護者、支援者として申し分ない。

「いや、待て」

若き姫の家庭教師に、青龍を招くのか?
魔道師学院にも十二とひとつの塔があり、それぞれ得意とするあたりが違う。家庭教師として考えるなら、未来を慮り、夢を見通す力のある通火座の幻視者がまず挙がる。宮廷の助言者としても有能であり、いざとなれば、悪しき兆候を敏感に感じ取る。
黒剣の星座は、生命と治癒、そして、物事の支配を司るゆえに、宮廷医師を兼ねて招かれることがある。魔族の影響が強い地域では、あえて、原蛇の魔道師を呼び、秘儀にまつわる助言者とする場合もある。
だが、なぜ、ユパ王国の剣の公爵は、幼い次女のために、青龍の魔道師を求めたのか?
火龍とは縁のない国で。

(本当に、縁がないのか?)

 矛盾が生じた場合、前提を検証するのが、学問のあり方だ。
 論理が間違っていないのに、結論が導けないのは、何かが欠けているか、誤った情報を前提にしているからだ。

「そう、誤った情報だ」と、フェムレンの声が響く。龍骨回収のため、青龍の塔から派遣されてきた先達である。「お前は今、情報の欠落に守られている」

(幻視の中に介入してきた?)

 ザンダルは一瞬、動揺したが、《龍王の加護》のおかげで踏みとどまった。
 心に龍の鱗を生やし、魂を守る。

「《策謀》との戦いのために、お前はここにいる」
 フェムレンは予想通りに言葉でザンダルを支援する。
「どちらがお前を駒に選んだかは分からない」

 《策謀》

 魔族と魔道師の間に展開される暗闘。
 不死の魔族ゆえに、その陰謀は果てしない時の中で仕込まれる。
 今、ここで起きていることは、《策謀》の結実なのだ。
 おそらく、ザンダルだけでなく、カスリーンも他の者たちも、《策謀》の一環としてここにいる。レ・ドーラの龍骨を掘り、カスリーンが自らの国を求めるのも。

「さて、私の用事は済んだ」と、ドレンダルが微笑む。
「そういうことか」とザンダル。
 おそらくは、ザンダルに《策謀》の存在を伝えるために姿を表したのだ。
「次は、扉を開けてもらうぞ」

 そうして、幻視は終わり……ザンダルは思い出した。
 黒鉄の篭手と火龍の姫の意味を。

「封印なのですね」とザンダル。
「そうだ」と近寄ってきたフェムレンが答える。「カスリーンは、このレ・ドーラを治めるために生まれてきた」
「歌の龍王とは?」
「そこが、分岐点となる」とフェムレン。「まもなく、世界の運命が分岐する」

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『歌の龍王』第五十九話です。
今回は、短めに。

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2011年10月 5日 (水)

歌の龍王【58】黒鉄の篭手と火龍の姫(6)

黒の指輪

我が名前を遠くより呼ぶ者は誰ぞ?

 自分のあやまちという物はなかなか認めたくないものだ。
 たとえ、魔道師学院の教えがひたすら、客観的、論理的な物事の把握を求めていても、なかなか人の子というものは自分を把握できないものである。
「火龍の姫、火龍の魂」
 ザンダルは、海王ルーニクが言った言葉を反芻する。
 カスリーンに対する忠誠はザンダル自身も驚くほどのものだ。
 あの日、「王になりたい」と言った少女の苛烈なまでに強い瞳に、ザンダルは魅せられ、仕えてきた。一度は、モーファットの都で火龍の研究をするため、ユパを去ったが、なぜか、封印すべき《紅蓮の瞳》とともに、カスリーンのもとに戻ってきた。

(戻ってきた……)

 ザンダルは閃きを感じて目を閉じる。
 幻視の力が頭蓋と心臓の間で目覚めていく。
 心の中で、時と空間の綾織に手を伸ばす。

(火龍の姫。まずは過去へ)

 ザンダルは自分の記憶を元に、過去を幻視する。
 過去、いや、ザンダルの脳の内側で再構築された過去のある場面。

「記憶は事実ではない。
 現実を記憶する際、お前の脳と心が保持するために、圧縮した濃度差を持っている。
 そして、人がその濃淡の綾織に意味を与える」

 通火の幻視者が講義する言葉が流れる。
 幻視の力とは単独のものではない。
 確かに、それを滑るのは、通火の星座とされるが、それだけではまさに「幻視(み)る」だけに過ぎない。「幻視(み)た」ものを解釈し、分析し、理論化し、回答を導き出すには、受け取る側に想像力、観察力、分析力と、それを裏打ちする膨大な知識が必要となる。例えば、魔族の影を幻視したとしても、魔族の知識がなければ、それがいずれの魔族でいかような力と意図を持ち、どのように行動するかを知ることはできない。

「常に警戒せよ。
 お前の記憶に干渉しようとする者がいる。
 それこそが魔族の《策謀》の一手だ」

 淡い光に包まれた光景。
 高貴なる姫が命じる。
「我が王となるその日まで、汝は我が側におれ」
 少女は、年上の魔道師に命じる。
 謹んで、その手にくちづけする魔道師。

(懐かしき光景。あの頃から、カスリーン様は火龍の魂をお持ちであった)

 ふっと心が和み、ザンダルはそのまま、夢の中で漂ってしまいそうであった。
 だが、そこでザンダルは踏みとどまった。
 微かに笑い声が聞こえたからだ。
 悪意ある嘲笑の笑い。
 ねっとりと絡みつくような女の声。

(この声は……まさか。
 いや、予想されてしかるべきであったか。
 赤き瞳の巫女ドレンダル)

 それは魔族《赤き瞳の侯爵》に仕える魔女の名前。
 幻視の中の懐かしき風景は一瞬で、壁に描かれた淡い浮き彫りに変わり、モーファットの都の底、じっとりと濡れた回廊が夢の中に浮かび上がる。
 それはかつて、ザンダルが魔剣使いのナルサスや騎士ゾロエ・アラノスらと、魔女を倒した場所。ナルサスの魔剣《野火》に切られた魔女は、乾いた羊皮紙が崩れるようにその肉体を破壊されたはず。
 だが、ザンダルの目の前で、湿気に濡れた石畳を覆う石の板の一枚が引き裂かれ、そこからじっとりと濡れたドレンダルが這い出してきた。まるで、生まれたばかりの赤子のように白濁した液体に濡れている。
「ザンダル」
 魔女の声は陰々滅々とした調子で響く。

(ぬかったな)

 幻視の途中で、介入されるとは?
 ザンダルは己のうかつを恥じた。
 おそらくは、これもまた《策謀》の一幕。

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『歌の龍王』第五十八話です。
今回は、短めに。

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2011年9月29日 (木)

歌の龍王【57】黒鉄の篭手と火龍の姫(5)


緑の戦車

命短き者よ。
生き急ぐな。
お前の生きる大地は
常にゆっくりと歩む。

 城の雰囲気が変わった、とザンダルは思う。
 渦の海の海王ルーニクはもとより快活な男で、南方人の船乗りらしいおおらかさを持っており、その雰囲気が周囲を明るくする。黒鉄の姫カスリーンに向かって、口説き文句を口にしても嫌味のないのはおそらく、その人柄ゆえであろう。
 カスリーンにとって、歳の近い女友達が出来たこともあるだろう、とザンダルは分析する。アナベル・ラズーリは有能な秘書官として、コーディスやザンダルの気が回らぬあたりを補佐している。財務官ギルス・トラスは有能で忠実だが、あくまでも、年上の官僚である。相談役として信頼をおけるが、相談できる事柄には限界がある。同じ財政面の相談先であるギュネス公子は、友好的であるが、国内的には競争相手である宝冠の公爵家から来た男だ。色々、下心もある。
 そういう意味で、アナベルはカスリーンの中で重要度を増している。
「さて」
 ザンダルは思わず、口に出した。
 状況を分析し、計画を立案する。
 魔道師として、ザンダルに出来ることは8割方、こなした。
 カスリーンの回廊に関する基本的な流れは作った。
 後は……

「ルーニク、念のため、聞いておきたい」
と、ザンダルは海王を呼び止めた。
「いつまで、ここにいられる?」
「1年かな?」と、ルーニク。「あるいは、アイオロスの爺様が死ぬまで」
 アイオロスとは、果ての海の海王を自称する老人である。
「あと、ゾラの馬鹿が暴れると困るな」
 ゾラは、カーフュンの港を支配する死人使いのまじない師である。死人に漕がせる二段櫂船で周辺の海域を制圧し、自らこそ渦の海の覇者であると名乗っている。ルーニクにとって、油断のならない敵である。
「いずれ、戻ると考えていいのだな?」
「ああ、今回は諸々あって、ここまで来たが、渦の海には戻らねばならぬ」
 その表情を見て、ザンダルは何かを感じた。ざわめく波、海の匂い。そして、あの日、グナイクに集いたる海王たちの姿。渦の海のルーニク、風の海のカーディフ、光の海のザラシュ・ネパード、闇の海のウィンネッケ、果ての海のアイオロス、炎の海のヨーウィー。八つの海をすべる海王のうち、6人までが集い、《津波の王》と戦った。その中で渦の海ルーニクは一番の若輩ではあったが、決して力が劣っていた訳ではない。中原の運河を走る軍船ごときに、海王が出るほどのものではない。
 つまり、ルーニクの来訪もまた、《策謀》との兼ね合いか?
 おそらくは海王たちのいずれか、アイオロスかウィンネッケのいずれかが、何かの兆候を予見したのかもしれない。
「何を幻視(み)た?」
「俺は何も」とルーニク。「ただ、闇の海のウィンネッケが、海の騎士と宝玉の大公の北上を予見した。そして、歌の龍王の名を聞いた」
 海の騎士は、アナベルが信仰する深海の神ゲグの別名でもある。おそらくは、封じられた魔族であろう。

*

「ゲグ神の正しき名前は封じられております」と、あの日、ライン・ラズーリは答えた。「おそらくは、古き戦いで海に封じられた際に、禁じられた名前なのでしょう。ゲグ神の啓示では、かの神が真の名を取り戻したる時、世界で最後の戦いが始まるとされております」
「世界で最後の戦いとは剣呑な」とザンダル。
「いえ、ゲグ神は、魔神に奪われた王者の指輪を取り戻すのです。それにより、真の支配者を得て、世界から戦いが無くなるのです」
 それは、おそらく、後継者の指輪にまつわる物語が歪んだものに他ならない。大いなる時代の終わり、そこで時代の支配種族は「後継者の指輪」を失い、新たな支配種族が選ばれる。
 それは予言だ。
「いつか、妖精騎士の時代、妖精代が終わる」
 ザンダルは、学院の歴史講義を思い出す。
 妖精代に分類される現在の「時代」は、「後継者の指輪」が虚空に消えたことにより「末期」に入った。時の支配種族たる妖精騎士はすでに滅びの時を迎えつつある。「後継者の指輪」を発見し、世界を支配したものが次なる時代を作るのだ。
「十二と一つの星座の時代が経巡るという理論に従うならば、通火の世が終わった後に来るのは、変化と幻影の支配する野槌の世、獣の王の時代である」
 講義をしていた老魔道師は傍らの魔道書を開く。
 予言の書である。
「妖精代9528年、白の風虎の年。
 獣の王、西に至り、冬を解き放つ」
 大音声に読み上げたのは、ここ数十年、議論の対象となってきた予言の一節である。その成立の年はもうすぐ近づいている。
「魔道師であるあなたさまであれば、ご存じでありましょう」
 ライン・ラズーリの言葉がザンダルを現実に引き戻す。
「緑の翼人の年、炎の王、月下に吠え、友去りなん」
 それは、今年の予言だ。

「いや」とザンダルは頭を振る。時は流れている。すでに、ユパにとどまること半年以上、白の風虎の年は残り少ない。
「黒の八弦琴の年。
 黒き盾持てる武勲の者、龍を倒す」
 ザンダルはつぶやく。
(それは真実なのか?)
 言葉には出来ない。
 予言書すら、《策謀》の道具である。

「焦るな、魔道師殿」とルーニクが強く言う。「《策謀》は常にお前の周囲にいる。おそらくは、ここに俺とお前がいることも《策謀》の結果かもしれぬ。
 だが、船乗りはそうは思わない。これも風次第。
 辿りつけるなら、風は大歓迎だ」
 そこで、ルーニクは思い出したように手を叩く。
「あの姫はまさに火龍の魂を持っておられる」
 ルーニクの頬が赤くなっている。
「物陰で言い寄ったら、拳で殴られた。
 黒鉄の篭手で、だぞ」
「カスリーン様」
 ザンダルは頭を抱えた。
 城主の姫に言い寄るルーニクもどうかしているが、鉄の篭手で殴り返すカスリーンの男らしさも見上げたものである。あれほど人あしらいのうまいカスリーンだが、その本性は実に率直で、言い方は悪いが、軍人の娘らしく粗暴である。
「あれは別に好きな男がいるな」と、ルーニク。
「はて」とザンダルは首を傾げる。コーディスやストラガナは忠実だが、カスリーンは兄や弟以上に思っていない。他に思い当たる若者などいない。
「これだから、魔道師と言うものは、人の心が分からないというのだ」
「無理を言うな」とザンダル。「私の専門は火龍だ」
「カスリーン姫は、火龍の魂を持っている。お前の専門だ」
「いや、それは比喩表現に過ぎぬ……」
 ザンダルはそこで言葉を切った。
 何かひっかかる。
 なぜだろう?
「比喩などでないとしたら?」

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『歌の龍王』第五十七話です。

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2011年9月15日 (木)

歌の龍王【56】黒鉄の篭手と火龍の姫(4)

 偽り

私はすべて。
すべては私。
他に何もない。


「風がザンダルを追え、と言った」
 そう、ルーニクは笑った。
「その結果、これほど美しい姫に会えた」
 若き海王は、カスリーンにお辞儀をする。
「我は、このような者ぞ」と、カスリーンは黒鉄の篭手を鳴らして見せる。
「じゃじゃ馬は嫌いじゃない」と、ルーニク。「面白そうな状況じゃないかい?」
 ルーニクは不敵に笑い、カスリーンの宮廷に集まった男女を見回した。
「多士済々、とでもいうのかねえ」
 若き海王の言葉は、まさにこの場を言い表すのに適切な表現であった。
 黒鉄の姫たるカスリーンの横には、彼女の忠義の騎士たるコーディス・ランドールと、参謀役たる青龍の魔道師ザンダルが控え、さらに、側近として、宝冠の公爵家より来たギュネス公子、ガラン族を率いるアル・ストラガナ侯、モーファットより外交特使として滞在している騎士ゾロエ・アラノス、最近、姫の個人的な友人として徴用されているアナベル・ラズーリ、アールラン城砦の守備隊長となったボルツ、工兵頭のキリク、財務官のギルス・トラスと、ずいぶん幅の広い陣容である。さらに、隅で妙ににこにこしているフェムレンは屈指の魔道師である。
「ルーニク、我らが建造しているのは河船だぞ」と、ザンダルは言う。「お前の支配する渦の海に比べたら、ずいぶん狭い場所だぞ」
「そこに水があるなら、船に乗った海王は無敵だ」
「面白い」と、カスリーンが笑う。「アナベル、この男を船大工の棟梁に合わせろ。あの老人が認めたら、船長はこのルーニクだ」
「せめて、海軍司令官と言ってくれ」
「悪いが、ユパには、そもそも海軍なぞない」とカスリーン。内陸国のユパはもっぱら、騎兵と歩兵の国である。水軍専門の将軍もいない。「お前が戦果を上げれば、初の水軍提督にしてやるさ」
「よかろう。見ていろよ」
 ルーニクは、軽く礼をすると、さっさと出ていった。アナベルも軽く礼をして、その後を追った。
「風のような男だな」と、カスリーンは微笑んだ。
「まあ、素早さが信条の男です。実力もあります」とザンダル。
「よろしいでしょうか?」と、騎士ゾロエが言った。「あの話、私にも参加させていただけませんか?」
「ゾロエ殿?」とカスリーンが問い返す。「水軍の話ですかな?」
「私も、湖の国モーファットの騎士。こう見えても、水軍の指揮には一家言がござる。よろしければ、私にも一隻お与えいただけませんでしょうか?」
「では、急げ」とカスリーンは微笑む。「ルーニクが船大工の棟梁をたらしこむ前に、追いつく必要があろう」
「御意」
 そそくさと出かける騎士の後ろ姿を見送ったカスリーンは、ザンダルとコーディスの方をちらりと見た。
「分かりました」とザンダルが立ち上がる。「コーディス殿、参りましょう。このままでは、姫の御座船まで、ルーニクに取られてしまう」

 結局のところ、アナベルが建造した三隻の軍船は、海王ルーニク、騎士ゾロエ、騎士コーディスを艦長として、それぞれ、金の波号、銀の風号、黒鉄の篭手号と名付けられた。コーディスが艦長となったのがカスリーンの御座船である。ルーニクの金の波号がまず、完成し、海王船を操ってきた船乗りたちが士官として乗り込んで、ルケリア河と運河に進水した。
 金の波号の特色は、ルーニクが追加させた三角帆と二機目の大型弩弓砲、両舷の装甲板、そして、船の前方、水面下に作らせた衝角である。
「ルケリア河で海戦をやる気か?」と、船大工の頭が呆れた。
「こいつがないと、どうも落ち着かねえからな」とルーニク。
 皮肉にも、それが役立つ時がしばらくして、やってきた。

 発端は、運河工事区画への土鬼の攻撃であった。
 運河の工事は、ルケリア河から守備用の小城砦を作りながら、進められていた。運河沿いには、木の柵を作り、人夫たちを守るために、ストラガナ侯のガラン族騎兵が巡回していた。すでに、運河は100里、徒歩で12日以上の距離に達し、ユパの同盟国である中原の小都市レドランの南を通過していた。運河の幅は約100歩と広く、軍船が行き来できる一方、運河の南側に配置された投石機や大型弩弓砲が土鬼の渡河を拒んでいる。二、三十の土鬼であれば、ガラン騎兵と守備隊で撃退できるはずだった。
 だが、その日の攻撃は、二百を越える数だった。
「近づきすぎるな!」
 アル・ストラガナは、偵察隊が土鬼の群れを捕捉した段階で、周囲に使者を飛ばすとともに、土鬼の進軍を遅らせるべく、散発的な襲撃を仕掛けた。
 短弓の射程ぎりぎりまで近づき、さっと矢を放って逃げ出す。
 馬上から放たれる短弓は、土鬼に致命傷を与えるほどではないが、無視できるほどではない。怒って群れから離れれば、馬上槍を構えたガラン騎兵が突進し、一体ずつ葬った。
 決して、効率のよい方法ではないし、ガラン騎兵だけで倒せる数ではない。
 だが、ストラガナは囮の達人であった。
 気づくと、土鬼の群れはすでに運河が出来上がっているあたりに誘導されていた。
 土鬼たちは、川岸に敵を追い詰めたと思って突進した。
「河沿いに逃げろ!」
 運河と土鬼の群れに挟まれたかに見えたガラン騎兵たちは、するりと抜けだす。そのまま、運河の川岸に殺到する土鬼に向かって対岸から大型弩弓砲や投石機が放たれた。
 さらに、運河の上に滑りこんできたのが、金の波号だ。
 甲板上から、二機の大型弩弓砲を発射する。
 ルーニク自身は、帆柱の上にいた。
 じっと敵の軍勢を見据えてから、弩弓砲の砲手に指示を出す。
「右の前列、あいつを狙え!」
 砲手たちは、ルーニクの指示をよく分かっていた。土鬼たちの中でも先頭に立つ古強者に向かって弩弓の太矢が一気に飛ぶ。
「左舷、大弓放て!」
 二段櫂船の特色は、全員が腕力自慢の剛弓使いであることだ。大きな櫂を操り、船を走らせる船員たちは、大弓を軽々と弾く腕力の持ち主である。二段櫂船は、速度を落とす代わりに、上段櫂を操る船乗りをそのまま、射手にできる。金の波号は動く砲台である。
 無論、土鬼もただやられるだけでは終わらない。
 船に向かって巨石を投げてくる。
 だが、ルーニクの目は、飛び交う巨石の落下地点を見切って、船を進ませる。
「下段櫂! 漕げ!」
 そして、風に向かって声を上げると、船を守っている水の精霊がすっと、その船足を加速する。金の波号は狭い運河とは思えないほど軽やかに船体をひねり、進行方向を狙って投じられた巨石を回避する。
 よほど、悔しかったのか、何匹かの土鬼が運河に飛び込む。
「泳げるのか、お前たち」
 ルーニクがあざ笑う。もちろん、乾いた平原で暮らす土鬼たちは泳ぎなど知らぬ。浮かぶこともできず、次々に、そのまま、水に沈んでしまうのが、それでも無理矢理水をかいて船に迫ろうとする。
「大弓、近づかせるな!」
 大弓や弩弓砲が水中でもがく土鬼たちに打ち込まれていく。
 なんとかもがいていた土鬼の血が運河を染める。
「艦長! 一体、運河を渡ります!」
 見張りが叫ぶ。
 見れば、対岸では、弩弓砲が動きを止めている。おそらく、索状に支障があるのか、次の太矢を仕込めずにいる。
「抜かせる訳にはいかねえなあ。全速前進!」
 ルーニクの指揮で、二段櫂をまとめるための太鼓が連打される。ルーニクは綱を伝って一気に舵の前に滑り降りた。
「行け、金の波!」
 速度を増した金の波号は風のように運河を走り、運河を渡りかけた土鬼に正面から激突した。船首の下に仕込まれた衝角が、土鬼の首をへし折った。
 金の波はそのまま、土鬼の上を走り抜け、そのまま、優雅に方向転換して見せる。わずか100歩の運河とは思えない動きである。
「右舷、大弓!」
 一気に速度を上げつつ、向きを変えた金の波号は、運河をルケリア河方向にさかのぼりつつ、土鬼の群れの上に矢をばらまいていった。

 後に、ルケリアの河城と呼ばれるユパ王国水軍の始まりである。

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『歌の龍王』第五十六話です。
海王を出したら、海戦やらないとねえ。

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2011年9月 7日 (水)

歌の龍王【55】黒鉄の篭手と火龍の姫(3)

紫の翼人

あらゆる拘束を断ち切り、自由にする。
肉体といういましめからも解き放たれるがよい。

 剣の公爵の次女、カスリーンは御年18歳となるが、今も、戦場に立ち、常日頃より、両手に黒鉄の篭手をまとっている。ドレスの上からつけた黒鉄の篭手。ゆえに彼女は黒鉄の姫とも呼ばれる。

「ザンダル、覚えているか?」
 カスリーンは、つぶやくように言った。
「この篭手の意味を」
「ええ」とザンダルは答える。「それは証でございます」
「そうじゃ」とカスリーンは答えた。「我は、成人の折に誓った。王になると」

 そう、それこそがカスリーンが龍骨の野、レ・ドーラにいる理由。
 それこそが、ザンダルがここにいる理由でもある。
 剣の公爵家の次女カスリーンは、火龍のごとき魂の持ち主であった。
 5年前まで、彼女の家庭教師であったザンダルはその理由を感じ取っていた。
 幼少の彼女が体験した陰惨な暗殺の風景。
 彼女の前に、血まみれで倒れている侍女の姿。
 その時に感じた怒りと憎しみが彼女を突き動かしている。
 ザンダルは、彼女のその気持ちを抑えるのではなく、一本の槍に鍛え上げた。
 この姫は、火龍のごとき心を持って、その穂先を磨き上げた。

「三月もすれば、アナベルは軍船を用意できよう」と、カスリーンは言う。「城には多くの志願兵が集まっておる。レ・ドーラでは宝を掘っているという噂が広がっているようじゃ」
 それは、アナベルの仕掛けであった。
 250の樽とともに入国し、レ・ドーラへ向かう前に、あえて王都ユパで大きな商売をして、レ・ドーラの富に関する噂を広げた。ルケリア河からの運河工事にも人が集まり、レ・ドーラへ向かう水路の一部が開かれるのも間もなくと見られている。予定をずいぶんと上回る流れである。
「レ・ドーラ城砦からの前進に、あとどれほどかかる?」
 龍骨の野の入り口にさしかかり、カスリーン軍の東方進出は一旦、止まっていた。狂気の源である、死龍の骨を掘り出す作業にとりかかったためである。
「後、一月ほどで」
 魔道師学院から派遣されたフェムレンと魔道師候補生たちは、発掘の手順を確立し、すでに最初の骨塚を掘り上げた。名の知れぬ龍王は、頭骨を除き、ほぼ全身が確認され、型を取り、調査された後、学院や諸国に売却された。
「頭はありませんでした。
 おそらく、魔族が持ち去ったのでしょう」
「その火龍は恨んでおるのかな?」
と、カスリーンが聞いた。
「火龍の人格は、凶暴にして貪欲、冷酷にして残虐ですが、妙に鷹揚な部分もあります。
 かの龍王の猟犬のごとく、恨みを忘れぬ部分もあれば、戦いを愛し、好敵手を賞賛するとも言われております」
「なぜ?」
「火龍にとって、地上は仮の宿に過ぎません。あの者たちには、もっと厳しい戦場がございます。世界の深淵の深き果て、終末の浜辺こそが、彼らの真の住まうべき場所」
「では、なにゆえ、地上に出現するのだ」
「転生の癒しを受けるためでございます。
 あれらは、世界の槍。
 戦いに傷ついた火龍たちは、終末の浜辺よりこの地上に転生し、一時の癒しを受けた後、自ら英雄の刃によって死に、本来の戦場に旅立つと言われております」
「地上での乱行が、あれらには、癒しというのか?」
「我ら学院が集めた火龍からの証言を総合した仮説にございます」
「火龍から話を聞いたのか?」
 カスリーンは、呆れた。
 火龍と言えば、人の子など、ちょっと生きのいい餌にしか考えていない。人の子が蟻を踏みにじるように、火龍もまた人の子を踏みにじって気にもかけない。
 火龍の放つ狂気は、見た者を狂気に追いやることすらある。
 もとより、火龍に近づいて無事な訳がない。
 しかし、ザンダルはまるで当たり前のように答える。
「もちろんです。研究対象が知性ある者ならば、会話は当然の選択です」
 こういう時のザンダルは、妙に無表情になる。
 冷静と言えば、冷静だが、どこか、人としての感情が欠落したように見える。
 おそらく、青龍の魔道師とはこういうものなのかもしれない。
 そう言えば、フェムレンとその弟子たちも、どこかたがの外れたような部分がある。
「火龍を倒す、捕らえる、という選択よりも、会話の方が危険性は低いのです」
 カスリーンは言葉を飲み込む。
 火龍を倒すべく、訓練された兵員を送り込み、全滅するのに比べれば、若い魔道師1名が接触を試みた方が失敗時の損失は少ない。おそらく、そのような冷徹な計算だ。ザンダルも、そうして接触をするべく、モーファットで日々を過ごしていた。
 いつか、火龍への接近を果たし、彼らと会話する。
 それがザンダルの人生であったはずだった。
「だが、お前は私のもとに戻ってきた」
「御意」
「それもまた、誰かの《策謀》か?」
「それは、いずれ分かります。もしも、我らの企てが《策謀》の結果ならば、アナベル・ラズーリに続く者が現れるでしょう」

 果たして、それは次々と現れた。
 多くの者たちがレ・ドーラの開拓に参加し、運河は最初の一区画が注水された。掘削作業の範囲も広がり、ラグレッタ城砦の周辺に船着場が作られることも決まった。
 フェムレンとその弟子たちは、骨塚に続く荒野で骨を拾って歩き、徒歩で一日分、進んだあたりにレ・ドーラで二番目の城砦、アールランが築かれた。
 ラグレッタ城砦の守備隊長ボルツがアールラン城砦の城主に抜擢され、工兵頭のキリクとともに、城砦建設から仕切った。この時、アートという名前の新参者の傭兵がボルツに気に入られ、歩兵槍隊に加わった。

 そして、二月が経った頃、二人の男がラグレッタ城砦に姿を表した。
 一人は、予想された人物である。
「モーファット伯爵領の使者、騎士ゾロエ・アラノスであります」
 大柄な騎士は、古き家柄の出にして、件の赤き瞳の魔女ドレンダルが出現した際、ザンダルとともに、討伐に参加した人物だ。
「来訪を感謝する」とカスリーンが言った。
 すでに、モーファットとは何度も使者が行き来し、カスリーンの意図は伝えられているが、運河の建設が始まったのに対応し、モーファットからも、運河が開かれることとなり、その打ち合わせを兼ねた外交特使として、ゾロエが派遣されてきたのである。
「モーファットとしても、このまま、ユパがレ・ドーラ全域を飲み込むことを見過ごすわけにもいかぬだろう」
 騎士の来訪を聞き、カスリーンはそう呟いた。
 モーファットは湖に守られた水上都市であり、それゆえに、隣国という脅威を長らく持たなかった。土鬼と火龍のみが主な脅威だったが、火龍に餌付けすることで、土鬼の脅威も減っていた。だが、カスリーンの道がレ・ドーラを抜け、水路が開削されれば、モーファットの地位が上昇する一方、カスリーンら、ユパ王国の影響を受けることにもなる。
 下手をすれば、ユパの属国にもなりかねない。
 そこで、自らもレ・ドーラ貫通運河に加わり、領地を拡大することにしたのだ。
「カスリーン殿下の計画は、我がモーファットにとっても、発展のきっかけとなります。ぜひとも、ご協力いたします」
 ゾロエは、ラグレッタ城砦に留まらず、最前線のアールランまで足を伸ばし、建設の状況、兵員、開拓の様子などを見て回った。ザンダルは、隠すことなくすべてを見せ、大型弩弓砲の設計図の写しまで渡した。
「カスリーン殿の度量の大きさには感服いたした」とゾロエ。「あれでわずか18歳とは末恐ろしいわい」
 だが、その目は決して笑っていない。
 隣国に若き逸材がいることは、決して嬉しいことではない。盟友たる間はよいが、戦乱の時代、いつ事態が変わるかどうかも分からない。
「ご結婚のご予定は?」とゾロエが探りを入れる。裏切りを避ける最善の方法は、人質を兼ねた政略結婚だ。剣の公爵家の次女とあれば、モーファット伯爵家としても、歓迎すべき嫁である。
「我は、この企てに命をかけた身。今のところ、考えてはおらぬ」と、カスリーン。「それとも、伯爵殿が我を嫁に欲しいと?」
「ご検討ください」とゾロエ。「伯爵家には、御年17歳になります、次男オルドリク様が居られます」
 そう言えば、とザンダルも思い出す。確か学者気質で、プラージュ教団の神殿で学んでいたはずだが、戻ってきたのかもしれない。軍人というよりも、神殿の司祭にふさわしい優しい若者であった。
「我は、このような身の上」と彼女は、黒鉄の篭手を示す。豪華なドレスとは似合わぬ無骨な武具が彼女の肘から指先までを覆っている。この数年、彼女が篭手を外した様子を見た者は、側仕えの侍女だけという。世の中には、彼女の篭手の下には醜い刻印があると噂されている。それゆえ、カスリーンは父の公爵をも説得し、未婚の身を貫いて来られたのである。
「お優しいオルドリク様でしたら、ぜひ、我が妹アイリーンこそふさわしいかと」
 カスリーンは妹の名前を上げた。
「ぜひ、一度、オルドリク様には、ユパへおいでくださるようにお伝えください。
 私の妹もまず、お会いしてご挨拶したいと思っておるでしょう」
 双方とも、納得する決着点であった。
 ゾロエはモーファットとの仲介役として、しばらく、ラグレッタ城砦に滞在することになり、縁談の件は使者がモーファットとユパの間を行き来することになった。
「後は、父上に任せよう」
 自分の縁談話を妹に放り投げたカスリーンはザンダルに微笑んだ。
 ザンダルは何も言わなかった。

 もう一人の来訪者は、レ・ドーラの荒野に最も似合わない南方の若者であった。
 彼の名はルーニク。渦の海の海王である。

「ザンダルよ。そろそろ、船乗りが必要ではないかな?」

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『歌の龍王』第五十五話です。

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2011年8月29日 (月)

歌の龍王【54】黒鉄の篭手と火龍の姫(2)


黒の原蛇

融合せよ。
汝の生きざまを我に分け与えよ。

 龍骨の野、レ・ドーラを開拓し、東西に走る水路を持ってモーファットとユパを結ぼうとする野心ある姫君、カスリーンと、青龍の魔道師ザンダルは、次々と苦難に出会いながらも、一歩ずつその計画を邁進してきた。
 そして、聖なる山ルケから下り、ユパの東方辺境を形作るルケリア河から東へ向かう水路の掘削に取り掛かった。この水路は、カスリーンの版図における物流の中核となるべきものであり、そこには大型の川船を浮かべる予定であった。
 そんな流れを読みきったかのように、モーファット河の河口にある港町ラズーリの娘にして、海神ゲグの巫女、アナベル・ラズーリが船大工を連れてラグレッタ砦へと姿を表した。

「なぜ? とはお聞きにならないのですね?」
 アナベル・ラズーリは、微笑みながら言った。
「君の行動はすべて、海神ゲグの思し召しであろう?」
 ザンダルは尋ねたが、彼女は微笑むばかりで答えなかった。
 それを見て、ザンダルはカスリーンに振り返った。
「カスリーン殿下、この者は…」
「ザンダル、せっかくの客に失礼であろう」
 カスリーンは、黒鉄の姫と呼ばれる由来になった篭手に包まれた手を軽く振る。
「「異国の才は、可能性を与える、と言ったのはお前ではないか?」
 幼いカスリーン姫に、王となる道のひとつとして、そう助言したのはザンダル自身だった。
 姉と対抗し、同じ国の貴族とも対立するカスリーンにとって、国内で得られる人材は限られる。積極的に国外の人材も、取り込まねばならない。それはザンダルが教えたこと。
「樽が不足しておる」
 カスリーンは唐突に言った。聞いたアナベルはにっこりとほほ笑み、船大工の長である老人を振り返る。老人が深くうなずき返すのを見てから、アナベルは答える。
「一月にて、200個」
「それでよい。頼むぞ」
 アナベルと船大工たちはそのまま退出した。

「私が浅慮でありました」
 ザンダルは深く頭を垂れた。
「本来のお前なら、説明の必要もあるまいが、あえて、問おう」
と、カスリーン。
「木材を湾曲させて作る樽は」とザンダルが解く。「密閉の度合いも高く、小麦などの穀物、ワインや油などの液体に至るまで、諸産物の輸送に欠かせぬ容器でございますが、その技術の根幹は、船大工が船底の曲線を描き出す技術と源を同じくするものでございます。
 樽を見れば、船大工の腕が知れましょう。
 期日を守るかどうか、あの者の誠実さも分かりましょう。
 200個の樽をどうやって運び込むかで、あの者の器量も知れます。
 加えて、現状、我らの企てが進めば進むだけ、輸送用の樽が確かに必要なのも事実。
 カスリーン様のご判断は、誠に賢明なものでありました」
「まだまだだな、ザンダル」とカスリーン。「私はあの女が気に入った」
「しかし、あれは?」
「魔族の信徒であろう。南海において、お前を魔物の海へと導いた女。
 だがな、あれは、良き商人だ。
 何より、一呼吸で決断したのがよい。
私の言い分を瞬時に理解し、船大工の長の腕も鑑みて、すぐさま200と答えた」
カスリーンはやはり黒鉄の姫であった。武家に生まれ、戦場に生きる。素早く相手の意図を読み取って、瞬時に判断を下す。その有能さを愛する指揮官だ。

 黄の戦車

 我が運命はまもなく終わり、
 時代は変わっていくのだろう。

 一月の後、アナベルは250個の樽を積み込んだ馬車で到着した。それぞれの樽には、南方の酒やヤシ油、松脂、干した果物、穀物、砂鉄などを詰め込んであった。カスリーンは樽の出来を確認した後、すべての樽を高価で買い上げ、さらに、運河を走る中型の軍船三隻を発注した。
「帆走もでき、二段櫂で樽50を運べること」
 聖山ルケから流れ落ちるルケリア河の流れは、モーファット河よりやや強い。遡るには帆走ではなく、櫂が必要だ。運河に入った後、土鬼との戦闘にも使うとなれば、二段櫂の速度が必要だろう。
「大型の弩を載せる。それについては城の工兵頭のキリクより説明する」
 アナベルはそのすべてを受け入れた。

 アナベルとカスリーンは、急速に親密となった。
 カスリーンは、アナベルの機転と知識を高く評価し、ラグレッタ城砦の執務室に呼びつけ、長時間に渡って話し込んだ。ザンダルは警戒し、可能な限り、同席したが、この二人の若い貴婦人がどんどん親しくなっていき、午後のお茶を楽しみながら、笑い声を上げるようになったので、その役目は騎士コーディスに任せるようになった。
「最近、見張りはやめたのか?」とカスリーンがザンダルに聞いた。「アナベルが寂しがっておるぞ」
「魔道師というものは、どうもお茶の席には似合わぬもので……」
「苦手か?」
「私は、特に、人よりも火龍に興味があるもので……」
 ザンダルは言葉を濁したが、そこに、カスリーンが斬り込んだ。
「ふむ、わらわも苦手か?」
 その視線は、火龍のように鋭い。
 ザンダルの背筋にぞくぞくしたものが走った。
 この姫は、決して、同じ年頃の友達ができて、はしゃいでいる小娘ではなかった。彼女は今も黒鉄の姫にして、火龍の魂を持つ姫将軍である。
「私にとりまして、殿下は、火龍と同じく興味深い存在です」
 ザンダルはそういうしかなかった。
「では、お前の忠誠を示せ」
 カスリーンは、黒鉄の篭手を差し出した。
 ザンダルは黙って彼女の前にひざまずき、その篭手に口づけした。
「それでよい。お前は私の物だ」

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『歌の龍王』第五十四話です。

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2011年7月10日 (日)

歌の龍王【53】黒鉄の篭手と火龍の姫(1)


黒の指輪

我が名前を遠くより呼ぶ者は誰ぞ?

(我らは歌う。歌の龍王の再誕を)

 ザンダルは落ちていく。記憶の彼方へ。

「わらわが王になる方法を教えよ」
 それは五年前、カスリーン公女が家庭教師であったザンダルに向かって発した言葉である。
 御年十三歳。十二とひとつの星座が一巡する歳に至り、成人の儀を迎えた少女は、ドレスの上から黒鉄(くろがね)の篭手を着用し、自ら、剣の公爵家の第二公女として、軍略に関わることを選んだ。
 剣の公爵家に生まれた三姉妹の次女として、長兄たるデルフィス将軍、長姉マデリーン・ケドリック子爵夫人を追いかけ、ユパ王国の剣として生きることを決意したのだ。兄譲りの武闘派であり、自ら馬を駆り、剣を手にする女将軍である。
 野心あふれる少女であった。

 学院の魔道師であるザンダルは彼女が背負う物を幻視していた。

 血まみれの寝間着をまとい、鋭い視線で何者かを睨みつける幼いカスリーン。
 その足元に倒れる若い侍女の体からは、鮮血が流れ出ていた。

(おそらくは、何者かが彼女の暗殺を企てたのであろう)

 ユパの二大巨頭であり、軍事を司る剣の公爵家には敵が多い。国内の内政を司る宝冠の公爵家とは、複雑な権力争いが続いているし、近隣のマイオス王国や妖精王国にも、ユパをよく思わぬ者がいくらでもいる。そして、同じ一族ですら安心はできぬ。長姉マデリーンとは決して仲がいいとも言えぬし、従姉妹のいずれかがカスリーンの継ぐべき領地や権力を狙っているかもしれない。

 そうして、少女は決意した。
 火龍のような怒りの気持ちを忘れず、自らを守り切るだけの力と地位を手に入れることを。
 それを野心と呼ぶか、野望と呼ぶかは分からない。
 だが、彼女は自ら、黒鉄の篭手を装着することで、武に生きることを宣言したのだ。

 ザンダルとフェムレンが、龍王の猟犬シーバスを追い払ってから半月が過ぎ、最初の骨塚の解体は順調に進んだ。
 フェムレンと青龍の塔の候補生たちは、龍骨を掘り出し、洗い、鑑定し、箱に詰めた。
 南方より龍骨を薬の材料として珍重するテルテヌ人の商人たちが、何組も姿を見せた。カスリーンは、財務や商業取引に詳しい部下を集めて相談した結果、ラグレッタ砦で、龍骨の取引市を開催することにした。発案したのは、宝冠の公爵家からラグレッタ砦の行政官として招いたという公爵の甥、ギュネス公子である。ユパ国内の商人や職人たちを取りまとめ、王国の内政を司ってきた宝冠の公爵家らしい発想と言える。
「任せよう」
 カスリーンは決断が早い。
 側近の財務官に命じて、ギュネス公子とともに取引市を開催させた。初回の龍骨は、同じ大きさの金に近い価格で競り落とされた。
 カスリーンは、この報酬で兵士たちに褒賞を支払い、戦死者の家族に弔慰金を送った。龍骨が大金になることが分かると、砦の兵士たちも、俄然、やる気が出てきた。兵士たちには武勲に応じて、褒賞が支払われることが伝えられ、危険な龍骨の掘り出しにも高い日当が支払われた。龍骨は危険な代物だったので、現場から盗みだす者はほとんどいなかった。魔道師学院から来た候補生が主に扱い、フェムレンが管理した。いくつかは学院へ送られたが、大半はカスリーンの手で売却された。
 その資金を使ってカスリーンの支配地の北側に、大きな空濠が掘られ始めた。いずれ、ユパ王国の東方辺境を示すルケリア河と結び、ユパ本国との水路とするためである。
「姉上も、賛同されておる」とカスリーンは微笑んで見せた。「ザンダル」
「重畳でございます」とザンダル。
 ここまでは、五年前から決まっていたことだ。
 レ・ドーラを制圧し、モーファットとユパの間に水路を引く。そうすることで、ユパにも、カスリーンにも利益が生じる。
「さすれば、グナイクに手紙を書きましょう」とザンダル。
 そこで、カスリーンの側近である騎士コーディルが現れ、カスリーンに耳打ちした。カスリーンはさらに微笑みを浮かべる。
「どうやら、海からの使者がもう現れたようだな」
 ザンダルはうなずいた。
「どうやら、私の旅は、このためにあったようにございます」

 先ほどから感じていた波音はそういうことだったのか?

 やがて、扉から現れたのは、海の色をした青く薄いローブの娘であった。
 ザンダルが最後に見た彼女は、邪神の住まう海の底へと沈みつつあった。
 今、彼女はにこやかに微笑み、お辞儀をした。
「ご無沙汰しております、ザンダルさま」
 その娘は、港町ラズーリの領主ライン・ラズーリの娘、アナベル。海神ゲグに仕える巫女であった。
「そろそろ、船大工が必要な頃合いかと思いまして、馳せ参じました」
 彼女の背後には、日に焼けた老職人が控えていた。

「ほほう。愛らしい娘ではないか?」
 カスリーンがザンダルを見て言った。

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『歌の龍王』第五十三話です。
 四ヶ月、更新ができませんでしたが、少しずつ再開して参ります。

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2011年3月10日 (木)

歌の龍王【52】龍王の猟犬(4)

緑の原蛇

我をあがめよ。
願望を形にするのだ。
おさえてはならない。

 龍王の猟犬と呼ばれた火龍の死霊。
それは、赤き瞳の放つ光の前にその朧気な姿を揺るがせた。
まるで風に舞い散る霧のようだった。
白く半透明の火龍の姿が吹き飛ばされるように消える。

(あと三度)

 龍を殺すために生まれた魔族がそう囁いた。

「ああ、分かっている。これは始まりに過ぎない」
 ザンダルは答える。
 レ・ドーラの入り口でこれだ。
 モーファットに至るまでに、後三度どころか何十回もかの者の名を呼ぶ機会があるだろう。いずれ、スゴンをこの地に解放する時が来るに違いない。

「まずは最初の骨塚をしっかりと除去し、搬出可能な状態とします」
 城砦に戻り、ザンダルとフェムレンは黒鉄の姫カスリーンに報告した。
「龍王の猟犬という死霊はどうなった?」
「赤き瞳の力で追い払いました」とザンダル。
「倒した訳ではないのか?」とカスリーン。
「今回の件で、龍王の猟犬が消えた訳ではありません。残念ながら、あれは死霊であります。レ・ドーラの地に満ちる翼人座の魔力に囚われた怨念でありますゆえ、それが解決せぬ限り、どうになりませぬ」
「危険は今後も続くと?」
「それゆえに、骨塚を掘るのです。恨みの核となっているのは、いまだ、あの地に残る龍の骸であります。それを取り除き、拡散させることで怨念が浄化されていくのです」
「どれほどかかる?」
「作業が始まっておりませぬので、しかとは見積もれませぬが、最低でも2、3年は」
 ザンダルの報告を聞き、カスリーンはため息をひとつついたが、怒りは見せなかった。
「5年でここまで来た。あと3年かかるのは致し方ない。
 モーファットまでの回廊を開くのだ。任す」
 カスリーンは忍耐強い。待つことを理解している。
「だが」とカスリーンは言う。「兵たちの士気を維持し、作業を継続するにはどうする?」
「姫の兵たちには、いずれ来たる大戦役に備えていただかねばなりません」
「なるほど」
 カスリーンは目を輝かせた。
「レ・ドーラに達し、魔道師学院の助けを得て龍骨の発掘を始められた姫は、ユパ王国の中でさらなる一歩を踏み出されました。
 そのため、今、姫は七つの敵と戦う定めにあります。
 第一は土鬼。今は、近隣の氏族だけですが、いずれ、覇王たる棍棒王ラ・ダルカが乗り出してくるでしょう。ラ・ダルカは数十の氏族を支配し、数千の土鬼を戦場にかき集めることができます。現状、姉上の御夫君、ケドリック将軍はラ・ダルカの猛攻によく耐えております。あの軍勢が何らかの理由で向きを変え、南下してくる可能性があります」
 土鬼の王の中でも、もっとも偉大とされる棍棒王ラ・ダルカは中原の大平原を支配する怪物だ。組織化された人の子の王国が土鬼を完全に排除できないのは、ラ・ダルカの王国が存在するからに他ならない。
「これについては、城砦の守りを固める他ありませぬ。姫とコーディス殿には城砦防衛の強化をお願いいたします。工兵頭のキリク殿には、学院より送られた大型弩弓砲の図面を渡してあります」
「次は、姉上か?」
「ご明察の通り。レ・ドーラ回廊計画が具現化したことで、姫は魔道師学院、モーファット伯爵領、デンジャハ王国と結びつきました。支配地の開拓はいまだなりませぬが、城砦の数はすでに三つ。姉上は危機感を抱いておられましょう」
 ユパの軍事面を支配する剣の公爵には二人の息子と三人の娘がいる。黒鉄の姫と呼ばれるカスリーンは今年18で、次女である。王国軍の次期司令官と目される兄のデルフィス将軍が王都の防衛を任されているのに対して、カスリーンの姉マデリーンはユパの東北部国境地帯に陣を張り、マイオスとともに、聖山ルケ周辺を護衛している。ルケ山への参道を掌握し、街道の利権を掌握しているとはいえ、土鬼との激戦は決して楽なものではない。火龍の死地へ踏み込むとはいえ、今後、龍骨を巡る利益が上がり始め、回廊が開かれた際にはカスリーンの得る権益は莫大なものになるだろう。マデリーンもまた野心ある姫である。妹の権益を少しでも掠め取ろうとするかもしれない。
「ラ・ダルカを倒さぬ限り、姉上とて派手には動けぬ。足の引っ張り合いをする時期でないことをわからぬ姉上ではない。少し機嫌を取っておこう」
「お願いいたします。
 さて、第三の敵は、火龍の猟犬でございます。
これはいずれ、我ら魔道師学院が対応いたします。
 第四の敵は、魔族にございます。我らがここにて龍骨の野を渡るのを利用し、封印を脱して復活しようとする魔族どもの《策謀》がございます。おそらく、《赤き瞳の侯爵スゴン》なる魔族が、呪われしヴェルニクの封印より帰還するべく暗躍した結果が、この赤き瞳の杖です。いずれ、この地にも魔族の手先どもが現れましょう」
「それらは、お前に任す」
 カスリーンは言い切る。
 彼女は自分にできること、できないことを見極める。
「第五の敵は、宝冠の公爵にございます」
 それはユパ王国の産業面を支えるもうひとつの公爵家だ。財務経営に秀で、王都の職人組合を傘下に置き、ユパの内政を担当する穏健派とされるが、剣の公爵家との間には、血で血を洗う暗闘が続いている。
「龍骨はすでに多くの資金を呼び寄せております。
 すでに南方デンジャハ王国から龍骨の買い取りを意図した特使が到着しております。まだ掘ってもいない骨塚を買うつもりです。
 我々が資金と交易路を手に入れることに、彼らは脅威を感じるでしょう」
「コーディス!」とカスリーンは呼ぶ。
「は」と前に出た、カスリーンの騎士。「宝冠の公爵家はすでに抑えた。ラグレッタ砦城下の行政官は宝冠の公爵の甥を当て、薬剤加工職人の一座を統括させる話は、剣の公爵殿下もご承知済みです」
「見事でございます」とザンダルは頭を垂れる。
「第六の敵はマイオス王国にございます。かの国はラ・ダルカに抗する限り味方でございますが、土鬼が駆逐されれば、国境を接する競争相手」
「それは姉上の領分だ」
「兵においてはそうでありましょう。だが、世の中には暗殺者というものもおります」
「ふふふ」とカスリーンは笑う。「それこそ我らが人生よ」
 もはや、この姫は暗殺者に狙われることすら日常として受け入れていた。
 誠に、火龍のごとき姫である。
「最後の敵は己れなどという世迷言は言うまいな、ザンダル」
 カスリーンは試すように言うと、ザンダルもほほえみで答える。
「そのような精神論は、我ら魔道師とは無用のものにございます。
 第七の敵は、『歌の龍王』。
 我らが学院の予言せし、時代を変える者。
 かの『刺のある雛菊』が申し上げたる通り、そして、我もこの旅にて魔族の囁きの中に聞きましたその名、いずれ、レ・ドーラの奥にて相まみえるものとお覚悟ください」
「なぜ、そう断言できる?」
「なぜならば、火龍の猟犬を撃退せし戦いの中。
 我ら二人が幻視いたしましたゆえ」

紫の牧人

我はここで待つ。
汝の時が至るのを。

 ザンダルとフェムレンは幻視(み)た。
 龍王の猟犬が消し飛ばされる直前、その者が歌うのを。
 それに答えるように、魔族の赤き瞳が舞うのを。

(我らは歌う。歌の龍王の再誕を)

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『歌の龍王』第五十二話です。
 更新が遅くなりました。

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2011年3月 1日 (火)

歌の龍王【51】龍王の猟犬(3)


赤の戦車

形なき混沌が現実だ。
これに秩序という形を与えて、
未来を生み出すのが我らの使命なのだ。

 魔道師がまじない師ではなく、魔道師たる点は「見ている距離」である。
 どれほど長い先まで見て、物事を考えているのか? その違いである。
 例えば、気の長いといわれる農民は1年先、あるいは数年先を見ているだろう。これから撒く種の育つまでを彼らは分かっているし、家畜たちがどう育っていくか、それを見ているだろう。次の世代のことも考えているかもしれない。
 だが、魔道師たちは数十年先、数百年先を見つめるように訓練されている。
 なぜならば、彼らの敵は無限の命を持つ魔族の《策謀》だからだ。
 魔族たちは何十年、何百年、何世代もの時をかけて、《策謀》を展開する。彼らは長い時をかけて罠を用意するのだ。
 不死者だけが可能な長期間を念頭に置いた《策謀》に対抗するため、魔道師は、人間よりも長く残る研究機関としての魔道師学院を維持している。個々の魔道師の寿命は五十年ほどでも、組織が意思と知識を保持していけば、魔族に対抗できるはずだ。
 魔道師学院は、今後数百年を視野に置いて、ありとあらゆる状況を想定し、対策を検討している。最良の方法だけではない。最悪の状況、すなわち、魔族が次々と解放され、人の子を滅ぼすという事態にならないために、その一歩手前、二歩手前の「少しでも不利を減らす」という状況への路線を検討し続けてきた。
 ザンダルの生き方も同じだ。
 火龍との戦い、という最悪の状況に対処するために、あらゆる可能性を検討し、それぞれに備える。そこへの一歩に向かって、火龍を観察し、火龍の力を学び、火龍との戦いすら検討してきた。
 そして、ザンダルが魔族《赤き瞳の侯爵スゴン》の《策謀》に巻き込まれて、わずか一月余り。すでに学院は最悪の事態を想定していた。

「魔族は必ず特定の強い心理的な傾向を持ちます」とフェムレンは冷静に答える。
「《赤き瞳の侯爵スゴン》の場合、火龍との戦いという強い目的がある。目の前に火龍がいれば、《スゴン》は火龍との戦いに向かう。そういう訳で、スゴンを解放せざるを得ないとしたら、目の前に火龍の亡霊がいるレ・ドーラはファオンの野と並ぶ候補地なのです」
 目前で顕現しつつある巨大な火龍の死霊が放つおぞましき霊力の波をものともせずに、フェムレンは言い切った。
「まあ、こう我々が考えるというのも、奴らの仕掛けかもしれませんがね」

 その通り。
 学院の反応もまた《策謀》の一部という訳だ。後四度、スゴンの名を呼べば、かの者は開放される。それゆえに、ザンダルをここに呼び寄せ、《赤き瞳》を使わせようとしているかもしれない。

 だが、考えている暇はない。
 目の前の怪物は、待ってはくれそうにない。

「後悔するなよ、フェムレン」
 ザンダルは杖を前に突き出した。
「その力を示せ、赤き瞳の侯爵スゴン!」

 どこか、封印がひとつ外れた。
 闇の中で赤い双眸が輝き、杖の先の赤き瞳が輝きを増す。
 骨塚の上で形を取りつつあった、火龍の死霊が怒りの遠吠えを上げた。
 火龍の猟犬の姿が風に揺らぐ。

(あと三度)

 龍を殺すために生まれた魔族がそう囁いた。

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『歌の龍王』第五十一話です。
 少しずつ再開していきたいと思っております。

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2011年2月22日 (火)

歌の龍王【50】龍王の猟犬(2)

白の黒剣

血が一滴、滴った。
無明の闇から今、何かが誕生し、
世界に波紋をもたらしていく。

 魔道師に必要なものはいくつかある。
 ある者は謎を解く知性だと言う。
 確かに、真理を解き明かすことこそ魔道師の目標である。あくなき真理の探求も、それを成し遂げるだけの能力が必要だ。しばしば魔道師学院ではこう言われる。

「現実を知りたければ、調査すること。
 事実を知りたければ、分析すること。
 真実を知りたければ、考察すること」

 この三行の戒めを学んだ学生に対して、教師役が冷徹に言い放つ。

「謎が解けない魔道師など、学院には必要ないのだ」と。

 別のある者はたゆまぬ探求の意思だという。真理の探求は過酷なものである。その過程において、多くの魔道師たちが傷つき、あるいは、心が折れて倒れていった。死ななければ、傷ついた肉体はまだ癒せる場合がある。四肢を再生する魔法も存在する。されど、一度、折れてしまった心、歪んでしまった心を完全に癒すのは、さらに困難である。

「人は望む者になるのだ」

 誰かがそう言った。そして、いつか狂気による救済すら望むようになる。

(おそらく、今、私もその瀬戸際にいる)

 ザンダルは目の前で具現化しつつある龍王の猟犬という現象に対して、そう思った。青龍の魔道師として心を龍の鱗で覆い、はたまた、日頃より火龍を観察し、心身を火龍との接触に向けて鍛えてきたが、あふれる深淵の魔力とともに形成されていく火龍の死霊はまさにただならぬ存在であった。
 それは存在するだけで、ザンダルの魂を消し飛ばさんとしていた。

「おそるべき存在だ」
と、フェムレンがつぶやく。相変わらず呑気な声だが、さすがに少し震えている。
「そうですね」と、ザンダルの心の中を読むように付け加える。「でも、声が震えている理由のひとつは、具現化する火龍の死霊という魔力の重合的な集積体が発するある種の影響力が、物理的な衝撃波に変換されているのではないかとも思います」
 常に分析せずにはいられない。
 それが魔道師だ。
 ザンダルの気持ちが少し軽くなった。
 ならば、我もこの状況を解明するのみ。
 《策謀》も含め、すべて解析することが求められている。
 まずは、もう一度、《スゴンの赤き瞳》を構えよう。

 ザンダルが杖を前に構え直すと、骨塚の上の強大な想念の塊がむくりと身を震わせた。死せる火龍の怨念が槍のように突き出される。

 紫の翼人

 あらゆる拘束を断ち切り、自由にする。
 肉体といういましめからも解き放たれるがよい。

 まるで金属が打ち合わされたような甲高い音が響いた。
 骨塚の上でもやもやしていた想念が一瞬、火龍の姿を取ったかというと、大鎌のような形をした透き通った何かがザンダルに向けて放たれた。対応して《スゴンの赤き瞳》が輝きを放ち、まるで空中で大鎌の刃を打ち合わせたように双方が砕け散った。

(求めよ!)

 ザンダルの中で声が叫ぶ。スゴンが封印の奥底から呼びかけてくる。

(さあ、我が名を呼べ!)

 これもまた《策謀》の一段階という訳だ。後四度、スゴンの名を呼べば、かの者は開放される。それゆえに、ザンダルをここに呼び寄せ、《赤き瞳》を使わせようとしているのだ。
 しかし、なぜ、レ・ドーラで?

「いかなる結果でも、学院はあなたの判断を支持します」
 するりと近づいてきたフェムレンが杖を持つザンダルの手に己の手を重ねる。
「スゴンをレ・ドーラで解放することは、ひとつの解決策ではないかと思われます」

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『歌の龍王』第五十話です。
 少しずつ再開していきたいと思っております。

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2011年2月13日 (日)

歌の龍王【49】龍王の猟犬(1)

紫の牧人

我はここで待つ。
汝の時が至るのを。

 レ・ドーラ、それは龍の墓場。
 レ・ドーラ、それは火龍たちの古戦場。
 レ・ドーラ、それは未だ消えぬ憎悪の住処。

 モーファットへの回廊を開くべく、レ・ドーラに進軍した黒鉄の姫こと、剣の公爵家の侍女カスリーンに従うことになった青龍の魔道師ザンダルは、魔道師学院の手助けを得て、回廊計画を推進していった。土鬼の部族を撃退し、築城を進めながら、レ・ドーラの西端に達したザンダルは、魔道師学院から派遣されたフェムレンや配下の魔道師候補生たちとともに、レ・ドーラを狂気の荒野にしている火龍の遺骨の発掘回収作業に取り掛かろうとしていた。

 ざわり、と空気が動いた。
 何かがレ・ドーラそのものから巨大な頭をもたげたような気配がした。まるで、巨大な、それでいて姿も見えず、足音さえしないおぞましい何かがゆっくりと目覚めつつあった。
 ザンダルとフェムレンは、発掘の道具を持って立ち上がったばかりの魔道師候補生たちを押しとどめた。
「下がれ」
 だが、すでに、敏感な候補生たちの何人かが悲鳴を上げ、あるいは、泡を吹いて昏倒していた。まだ半人前とはいえ、魔道師の訓練生である。この地に満ちるおぞましい気の変化を即座に感じ取ったと見える。
 有望かもしれないが、敏感なだけでは意味が無い。対策がない状態で、龍骨の野に踏み込ませれば、彼らは自滅してしまいかねない。
「逃げろ」
ザンダルが候補生たちに命じると、彼らは倒れた者を抱えて後退した。候補生からの質問は出なかった。必要ないほど、おぞましい気の高まりだった。
ザンダルは、真紅の宝珠の杖を前に掲げたが、まったく勝てる気がしない。
 ぞっとするほどの圧力を感じる。
「青龍と翼人の魔力が混じり合っておりますな」
と、フェムレンが冷静に分析する。レ・ドーラに派遣されるだけのことはある。この状況でもにこやかな笑顔を崩さない。
「龍王の猟犬かもしれませんな」と続ける。
 ザンダルは記憶を探る。
「レ・ドーラ奥地に出現する火龍の亡霊か?」
 それは質問のようで、質問ではなかった。
ザンダルとフェムレンは同時に次の動きに転じた。
「龍王の加護を求めん!」
 二人はほぼ同じ手順で、印を結び、呪文を詠唱した。火龍の狂気から精神を守るための防衛の魔法だ。レ・ドーラ、火龍の墓場に満ちる青龍座の魔力が二人の周囲に吹き寄せられる。
 一瞬早く、詠唱を完成したフェムレンは身を刻む痛みに片膝を付きつつも、一瞬、青白い魔力に包まれた。レ・ドーラの濃厚な魔力環境の中では本来、見えぬはずの魔力さえ光を放つのか?
 一方、ザンダルは苦戦していた。まるで魔力それ自体が怪物のように暴れていたからだ。まるで、火龍そのものの悪意のように、ザンダルの周囲で暴れ、命を削り落とそうとする。槍のように研ぎ澄まされた悪意の力が迫ってくる。避けようとして魔力を編み直すと、それは奔流となって手を逃れようとする。
 一瞬、鉄の姫カスリーンの顔がよぎる。

多彩なる夢魔

疑え、すべては偽りなのだ。
真実など、ありはしない。
今こそ、密やかな企てが形となる。

 それは呪詛の言葉。絶望を憎悪の毒矢に変え、他者を呪い殺すための言葉。
 魔法の反動が憎悪の呪いに変じていこうとしている。
 ザンダルは思わず、その飛び行く先を悟り、魔力を飲み込む。
「それは私の願いではない!」

 ザザザザザア―――――。

 波音が響き渡った。
「深淵が開く」
 フェムレンが驚きの声を上げる。
「逃げてくれ」とザンダルは答える。「ここの魔力は火龍そのものだ」

 深淵---それは、地上の物質世界の裏側に存在する魔力の世界。
 本来、それは表裏一体でありつつも、薄い膜のような世界の帳で区切られているが、まれに、帳を引き裂き、深淵が溢れ出す。
 今回は呪文を使おうとしてかき集めた魔法の反動が制御を外れ、帳を大きく引き裂いてしまったのである。

青の原蛇

多彩の渦が流れる。
水なき場所にさえ
深淵の波音が響き渡る。

*

 それは水ではない。
 だが、何かが波のように流れてくる。
 足元を、頬を、何かが流れるように触れていく。
 風ではなく、まるで波のような何か。
 ザンダルとフェムレンの目はその波の源が見えていた。
 龍骨の骨塚のすぐ脇、空中にぽっかりとまるで洞窟か何かのようなゆらぎが現れている。すでに、その周辺には、大小の双魚が泳ぎだしている。生の魔力が生きる世界、深淵と地上の帳が大きく引き裂かれ、深淵の妖魔たちが出現し始めているのだ。
「ここまで具現化した深淵の発生を見るのはひさしぶりですな」
 フェムレンの声は状況を理解していないかと思われるほど呑気だ。楽しんでさえいるように聞こえる。おそらくはそうなのだろう。恐怖を感じる魂がもはや擦り切れてしまっているのかもしれない。青龍の塔で長年、生きてきたということはそういうことだ。
「学院堂主アルゴス様が、青龍の塔の長であられた頃、レ・ドーラにて同様の事象に遭遇されたという記録を拝見しました。龍王の猟犬シーボスが出現する条件は満たしております」
「アルゴス様と同じ体験ができるとは光栄」とザンダルもほほえむ。
 もとより、火龍を観察することを一生の使命としてきた。三万年の時が熟成した火龍の怨霊を目撃できるのであれば、魔道師冥利に尽きるというものだ。
「生き残れたら、未来の堂主か?」とザンダル。
「少なくとも、青龍の塔の長にはなれましょう」とフェムレン。「まずは、《スゴンの赤き瞳》を掲げられよ」
 ザンダルは、杖を構え直し、先端に固定したままの魔族の宝玉を龍の骨塚に向ける。杖はかすかに震え、赤き瞳が輝きを増した。

(あの日を思い出す)

 遙かどこか、六つの封印の奥底で魔族《赤き瞳の侯爵スゴン》がつぶやく。

(火龍よ。我はお前たちを殺すために生まれた)

 魔族の独白に答えるかのように、骨塚から火龍の遠吠えが上がり、青ざめた透明の何かが立ち上がってくる。叩きつけるような狂気の気配が突風のようにザンダルとフェムレンを襲う。《赤き瞳》が輝きを増し、青い突風を弾く。
 同時に、ザンダルの脳裏に、火龍の幻視が侵入する。
 二重写しになったレ・ドーラの骨塚の向こう側に、巨大な影が現れる。
 火龍だ。
 それは、黒鉄色の鱗を持つ火龍であった。《風の龍バサル》を思わせるやや細身の姿は、本来、飛龍であったことを物語っていたが、もはや、片方の翼が引きちぎられ、空に舞うことはもはやかなわなかった。レ・ドーラの戦いは、まず、若い火龍と年上の火龍たちの戦いから始まった。火龍たちの間に蔓延した不和と憎悪は、火龍の本質たる狂気と破壊の性格を燃え上がらせ、ここ、レ・ドーラにおいて、前代未聞の、火龍同士の殺し合いに発展した。
 黒の飛龍はその戦いで深く傷ついたが、天空に逃れることもできず、地べたを這ってレ・ドーラから逃げ出そうとしていた。

(狼煙を上げよ!)

 吐息のような風が叫んだ。
 ザンダルの手の中で、杖が震え、《スゴンの赤き瞳》が輝いた。
 同時に、ザンダルは見た。
 幻視の中、ザンダルの両側から、魔族の戦士たちが黒き飛龍に向かって走りだした。右からは、骨だけになった火龍のような怪物が赤い目を輝かせて飛び出した。《赤き瞳の侯爵スゴン》である。その姿は飛龍と互角の巨体である。左からは青き鎧を着た若き騎士が突進する。波の騎士であろうか? そして、ザンダルの頭上を、銀の弓を持つ射手が発射した毒矢が立て続けに走った。
 矢の一本は、黒き飛龍の片目を見事に射抜いた。悲鳴を上げることもできぬまま、足を止めた飛龍の喉に続く矢が突き立つ。棒立ちになった胸元へ、青き騎士の構える突撃槍が突き立つ。そして、赤い瞳を輝かせた骨だけの龍が、その喉元に食らいつき、引きちぎった。火龍の血潮が傷から滝のように流れ落ちる。スゴンはそのまま、前足を振り上げ、飛龍を叩きのめす。飛龍は己の命が奪われるのが信じられぬように、残った片目をスゴンに向けたが、スゴンの赤き瞳が燃えるように輝くと、残った片目の光がふっと消えた。死の翼の羽ばたきが荒野に響いた。

(火龍を殺すために、我は生まれた)

 世界の槍たる火龍を睨み殺すなど、どれほど呪われた存在であろうか?
 魔族に睨み殺されるなど、火龍の誇りをどれだけ傷つけられたのだろうか?

(ゆえに、我はここにあり)

 骨塚から黒き龍の霊気が立ち上る。
 ゆっくりと火龍のごとき形を取る。
 それは、龍王の猟犬と呼ばれていた。
 龍たちの古戦場にして、龍の屍骨が散乱する龍の墓場レ・ドーラ。たとえ、その戦いから三万年の時が流れようとも、この血の流れた火龍たちの血潮と怒りは消えたりはしない。すべての龍骨が風に朽ちるその日まで、レ・ドーラは死んだ火龍たちの怨嗟の遠吠えに包まれている。

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『歌の龍王』第四十九話です。
 諸般の事情により、半年ぶりに再開。少しずつ執筆していきたいと思っております。

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2010年8月24日 (火)

歌の龍王【48】龍骨の野(10)


白の黒剣

血が一滴、滴った。
無明の闇から、今、何かが誕生し、
世界に波紋をもたらしていく。

「我々の為すべきことは変わりませぬ」
 しばし、考えてからザンダルは口を開いた。
「レ・ドーラを制圧し、モーファットへの回廊を開く。
 それが、殿下の宿願にも、学院の命にも通じる道にございます」
「では、『歌の龍王』とやらの件は?」とカスリーン。
「ご安心を」とザンダルは頭を下げる。
「土鬼を排除して、レ・ドーラの龍骨を収集する過程で、歌の龍王に関する情報収集も可能です。骨の収集に関しては、私が率先して指揮いたします」
 カスリーンは一瞬、じっとザンダルを見てうなずいた。
「何か?」と、ザンダルが問いかける。
「お前が、やはり魔道師なのだ、ということを思い出した」とカスリーン。「お前もまた、魔道師学院という枠組みに囚われた者なのだな?」
「それもまた世間の仕組みにございますが、魔道師という生き物は色々ありまして。
 殿下はエリシェ殿をどう見られました?」
「奇妙な娘だな。いやおぞましいと言ってもよいかもしれぬ」
「我々は、あの方を『刺のある雛菊』と呼びます」
「可憐に見えて危険か」
「分かりやすい言い方をすれば、彼女は『怪物』です。
 魔族に魂を売り、永遠の少女の肉体を手に入れた魔女です」

 エリシェ・アリオラ。
 その肉体は、魔族が生み出した人造の少女ラヴィオラの物であるという。
 彼女もまた、人の子の枠組みからはみ出した魔女である。

「我ら魔道師は、彼女を嫌悪する一方で、彼女のような立場にも憧れます」
 ザンダルの告白に、カスリーンは言葉を挟まない。
「この私でさえも、龍の血をこの身に注ぎこみ、人ならぬ視点でこの世界を解釈することができるならば、魂を売るのにためらいなどしないでしょう。
 それは知識への近道なのです」
「ならば、お前はレ・ドーラで得るべき知識を得たら、我が元から去っていくのか?」
 カスリーンにしては直接的な問いであった。
 ザンダルは、カスリーンの前に跪き、頭を垂れる。
「殿下のお許しが出るのでありますれば」
「許さぬ」とカスリーンは即答した。有無を言わさぬ口調である。
「それでよろしゅうございます」とザンダルは顔を上げる。「レ・ドーラの龍骨の野にて、運命が定められる時まで、私はここに留まります」

 レ・ドーラへの進軍が続いた。
 三月の間に、土鬼の村をふたつ焼き払い、丘を七つ越え、新たな城砦が築かれた。レ・ドーラの入り口であることから、レ・ドーラ城砦と名付けられた。
 城砦周辺の柵が延長され、最初の骨塚まで伸びていった。
 ザンダルはその骨塚を見た瞬間、ぞっとした。
 蹲るように盛り上がった巨大な丘からは瘴気がゆっくりと吐き出されていた。死んでから悠久の年月が流れたというのに、憎悪の夢があたりを満たしている。

*

紫の黒剣

支配するは我なり。
秩序こそが世界でもっとも美しい。

*

「名も同定されていない入り口の龍骨ですらこれか」
と、ザンダルが呟いた。
「レ・ドーラの戦いがあった魔棲代第二期は、今から3万年を遡る古代とされております」
 魔道師学院からザンダルを助けるために派遣されたフィムレンという魔道師が言及する。フィムレンは、丸い顔をした穏やかな男で、狂気と知性に削り落とされた青龍座には似合わない温厚さを持っていた。おそらくは書類調査か遺跡発掘が本業なのであろう。
 魔棲代とは、魔族帝国の時代を指す。天城紀が終わり、剣の王ソダールの死によって、世界の支配者が魔族となった時代だ。初期の魔族帝国は魔族の母、蛇姫オラヴィーと、その夫にして、死の神たる翼の王ティオールの二頭政治であったが、ティオールが暗殺され、オラヴィーがその後を追ったことで、魔族皇帝の時代に移る。魔族帝国の支配を完成させるのが、第二期に起こった龍同士の内戦であるレ・ドーラの戦いだ。この戦いを仕組んだのが、魔族であり、レ・ドーラの戦いに生き残った火龍たちは、傷付いたところを魔族たちに襲われ、ほぼ全員が殺された。天空に逃れた数匹の火龍と、もとより戦いに参加しなかった南海の海流たちだけが生き残ったという。
「レ・ドーラの戦いでは、中心部で龍王たちと龍どもが殺し合い、その後、魔族の包囲網を抜け出すべく、火龍と魔族がぶつかったとされています。すなわち、龍骨の野においては、外側ほど、魔族と戦って死んだ豪の者である可能性が高くなっております。あれもまた、強き龍、遺骨の大きさから見て、いずれかの龍王である可能性も否定できませぬ」
「なるほど。同定は可能ですか?」
「まずは発掘です」と、フィムレンが後方に合図した。フィムレンとともに、多くの魔道師候補生が到着していた。兵士たちを投入する前に、魔道師学院の手で調査を進めるのだ。

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『歌の龍王』第四十八話です。
 短めでも続きをかいていきたいと思っています。
 また、龍王教典の内容に関するご指摘をいただきました。ありがとうございます。

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2010年8月16日 (月)

歌の龍王【47】龍骨の野(9)

緑の野槌

耳元にささやく者あり。
これもまた夢なりや?

「ザンダル、説明せよ」
 鏡の間から戻ってきたザンダルは、カスリーンに命じられた。
「御意」とザンダルは頭を垂れる。
「魔道師学院には、高位の幻視者がおりまする。その者は夢占いにて、未来の危機を幻視いたしました。『歌の龍王が復活し、世界を大きく変える』と」
「歌の龍王とは?」
「残念ながら、私のごとき青龍座の魔道師でも聞いたことがありませぬ。さきほどのエリシェ殿のご様子から見ても、学院でも正体を判じられぬ状況かと思います」
「推測も出来ぬか」
「先入観は危険でございます」とザンダルは前置きした。「その上であえて申し上げまするが、本来、歌は12とひとつの星座の内、八弦琴に属するものでございます。歌の公女イェロマーグのごとく、歌と予知を司る魔族もおります。
 されど、火龍と歌というのはどうにも不似合いにございます」
「龍王というのだから、名などだけでも残ってはいないのか?」
「龍王の名を持つ者は、この世に12と一騎とされております」
 この世界が12とひとつの星座に支配されるように、12とひとつは、世界の魔法的な構造を読み解く重要な数字である。円周に配置された12の星座と不動星を中心として自ら回転するひとつの星座「八弦琴」。
 叙事詩は言う。かの天空城が陥落した際、魔族に味方したのは、12と一騎の龍王であったという。

火龍ジーラ、火龍の王の王なり。今は北の山に眠るとされる。
剣の龍王シュティーゴ、武勲の龍王なり。
白の龍王バール・ゴラン、死の龍王なり。千年前、妖精騎士に討ち果たされたという。
双角の龍王ザウル、戦いの龍王なり。魔族の策謀によりレ・ドーラに果てたという。
魔龍大公ゴア、別名、雄叫びの龍王。200年前、人に転生したと言われている。
黒の龍王アロン・ザウルキン、影の都に潜む闇の龍王なり。
霧の龍王ファーロ・パキール、青ざめた鱗を持つ者なり。北の山で目覚め、冬の内に封じられたという。
青の龍王シュトルプ、レ・ドーラに果てると記されるのみ。
風の龍王ラコッド、多彩なる翼を持つ飛竜の王なり。西風の峰に住むと言う。
雷鳴の龍王ザイラス、天空の雲海に住むという伝説の龍王なり。

「数が足りぬな」とカスリーンが言う。「他にはないのか?」
「私としてはいささか不本意ではありますが」とザンダルは前置きする。
「異端結社「龍王教団」の聖典にして、おぞましき偽書「龍王教典」によれば、12と一騎の龍王はかくなる陣容なりとあります」

剣の龍王シュレーン・アロセス、夢魔の王リアンドールを打ち倒せし英雄の王。
白き龍翼ファロパント・ティオール、死を司る白き龍王なり。
龍の公女アリメディ・オレイア、世界の秩序を守る女神なり。
炎の守護者ゴーレイト・ザルナーン、すべてを焼き尽くす炎の王なり。
紫の光龍ソルーナ・デルヴィアン、暁の光たる預言者なり。マフの地底に封じられていると言う。
龍ナイラール・ランダロイ、狂気の声を伝える者なり。昨今の調査により、スイネの地下に封じられていることが明らかになっている。
宝玉の主タルシス・グルーデ、富と財貨の守護者なり。
混沌の金龍ブラン・ガイドレー、三つの首を持つ魔術の王なり。
海龍王ゼアン・グレイ、南海に眠る龍王なり。
森に吠える者ジャミアン・エンバー、森の賢者にて豊穣の守護者、真実を語る者なり。
月光の王エリシェ・ラクシャス、廃都に眠る者なり。
風の龍バーサル・メアゴール、天空の旅人にして、真実を伝える者なり。
龍の歌姫たるクラリア・エリマーグ、真理を歌う者なり。

 以上、12と一騎なり」

「龍の歌姫がおるではないか?」とカスリーンが指摘する。
「いいえ、これは魔族『歌の公女イェロマーグ』の異名に過ぎませぬ」とザンダル。「龍王教団は魔族教団でございます。龍に似た姿の魔族『龍の大公イヌーブ』を、龍と誤解して進行しているに過ぎませぬ。クラリア・エリマーグもまた同様」
 だが、ザンダルはぞっとせずにはおられなかった。

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『歌の龍王』第四十七話です。
 短めでも続きをかいていきたいと思っています。

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2010年8月10日 (火)

歌の龍王【46】龍骨の野(8)

赤の黒剣

波乱の予感がする。
新たな何かが生まれ、世界に飛び出していく。

「歌の龍王」とエリシェ・アリオラは言った。
「あえて、カスリーン殿下にも申し上げます。我ら魔道師学院は、近い将来、歌の龍王なる者が復活し、世界に激変を与えるという予言を得ました」
「龍王?」 そういうカスリーンの声がかすれていた。
 古代に龍王たちが戦った龍の戦場、レ・ドーラに近いユパの民は、龍の恐ろしい伝説を山ほど聞いている。レ・ドーラの彼方、モーファットには風の龍が飛来しているし、昨今はファオンの野の火龍が境界を越えて中央平原に進出している。ただの火龍でさえ、城一つを簡単に焼き滅ぼせるという。北方ミスタクタイズ河に出現した霧の龍王はすでに数え切れぬ村を食い散らかした。そんな怪物がさらに復活すれば大騒ぎである。
「その龍王は、レ・ドーラにいるというのか?」
 それでも、質問を即座に返すのは、カスリーンの気丈さである。
「まだ何とも申せません」とエリシェ。「しかし、どうやら、ザンダルがモーファットで討ち果たした魔女は、その手がかりを抱えていたようにございます。レ・ドーラは龍骨の野。そして、カスリーン殿下がそれを越えて、モーファットまでの道を開くとなれば、いずれ、歌の龍王の手がかりを得るやもしれません。その時はぜひとも、我らにご一報をば願います」
「うむ、分かった」
「では、帰還の術式を行います故、鏡の間をお貸しください」

 妖精王国が衰退して久しい。すでに独立したユパ王国においても、それは同様であるが、どうしても変わらぬ城の様式のひとつが鏡の間である。
 古鏡の魔術は、鏡と鏡の間を転移する旅の魔法である。
 妖精王国の諸都市は、この魔術によって結ばれ、妖精騎士や古鏡座の魔道師が使者として鏡から現れ、消えてゆくために、城の最上階に鏡の間を作るのが慣例となっていた。鏡の間には、妖精騎士が造らせた魔法の鏡が備えられ、古鏡座の魔法陣が描かれている。
 ラグレッタ城砦も例外ではない。
「よい品、よい魔法陣だ」と、エリシェは褒めた。そのまま呪文の一声で、魔法陣に記憶させた魔力を起動させる。ザンダルはぞっとするほどの魔力が湧き上がるのを感じた。
 微かに、龍の遠吠えが聞こえた。魂を吹き飛ばしそうな恐怖を伴いながらも、まるで風が歌うような抑揚を含んだ声は、ザンダルには歌声にも聞こえた。
「聞こえたな」とエリシェ。
「あれが歌の龍王」とザンダル。

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『歌の龍王』第四十六話です。
 短めでも続きをかいていきたいと思っています。

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2010年8月 2日 (月)

歌の龍王【45】龍骨の野(7)

白の古鏡

我は鏡。
汝の過去を愛してあげよう。

「怪物」と、呼ばれる人々がいる。
 外見の問題ではない。一般人の感覚では把握できないような強大な何かを内に秘めた、人ならぬ感性の持ち主である。カスリーンも、ユパ王国において、怪物めいた人物を何人も見てきた。現国王もそうだ。老いてなお、剣と宝冠の二公爵家を操り、国家を完全に支配する。あるいは、噂に聞く北原ユラスの黒男爵など怪物というべき存在だ。
 長年、師と仰いできた青龍座の魔道師ザンダルでさえ、人ならぬ狂気を垣間見せる。
 そして、この少女だ。
 魔道師学院の使者と名乗る少女は、外見上、12,3才の貴族の娘に見えるが、カスリーンの直感が「違う」と告げていた。

 これこそ「怪物」だ。
 おそらく、魔道師学院の闇に属する何か。

 それでも、執務室の椅子で泰然として座ったままで居られたのは、おそらくカスリーン自身もまた「怪物」だからだ。
 若くして、玉座への野心を抱き、鉄の姫と呼ばれる女将軍として生きてきた。

(これは勝負だな)

 状況を察したザンダルが、青ざめたまま、前を向く。その手には赤き瞳の宝珠をつけた杖が握られていた。たとえ、あれが「最悪の存在」であったとしても、この宝珠ならば、殺せる可能性がある。
 コーディスも、異常を察し、カスリーンの斜め前に立つ。何かあれば、割って入るつもりだ。腰の剣に軽く触れ、確認する。

「ようこそ、学院の使者殿」とカスリーンは答える。
「初めまして、カスリーン殿下」とエリシェ・アリオラが優雅に礼を返す。「魔道師学院を代表し、カスリーン殿下への親書をお持ちいたしました。そして」と彼女は視線をザンダルに向ける。「ザンダル殿にも、学院からの命令をあずかっている」
「まずは親書をお受取りいたしましょう」とザンダルが言う。「私への命令は、その後に」
「コーディス」とカスリーンが命じる。
 騎士が親書を受け取り、カスリーンに渡す。
「学院は、ザンダル殿から報告のあった龍骨の一件を歓迎いたします。
 十分な資金と技術の提供によって、学院はお答えできるでしょう」
 エリシェが親書の趣旨を述べると、カスリーンはうなずき返す。
「よきお答えを素早くいただき、感謝します。
双方の利益となることを期待します」
「そして」とエリシェはザンダルに向かう。
「魔道師学院堂主アルゴスの名を持って、告げる」
 堂主の名に接し、ザンダルは杖を置き、跪いた。
「堂主アルゴスは、青龍の塔に仕えし魔道師ザンダルに三つの命を下す。
 ひとつ、龍骨の野に関する調査報告をまとめ、早急に学院へ帰還せよ。
 ひとつ、赤き瞳の杖をエリシェ・アリオラに渡し、学院へ移送せよ。
 ひとつ、「歌の龍王」に関する知見があれば、大至急、報告せよ」
 エリシェの言葉に対して、ザンダルは呆然となった。
「お待ちください」とザンダル。「私は現在、この地を離れることはできませぬ」
「今、ザンダルを手放す訳にはゆかぬ」とカスリーンも答える。
「火急の案件です」とエリシェ。「では、こちらを見なさい」

 ザンダルは見たくなかった。だが、それは許されなかった。
 エリシェ・アリオラの周囲に、多彩の渦が流れ、輝きを放つ。
 彼女の瞳が輝き、ザンダルは夢を見た。

「歌の龍王」と誰かが言った。

「今宵は、我が師、《召喚者》スリムイル・スリムレイの命に従い、《約定の公女》フリーダ様のお言葉をお持ちいたしました」
 エリシェは悪意のこもった微笑みを浮かべる。
「まもなく、歌の龍王が目覚め、世界は変転の時を迎えるだろう」

「なあ、魔道師殿」
 地上へ続く扉へ向かって道を戻りながら、ナルサスはザンダルに囁いた。
「『歌の龍王』という言葉を聞いたことがあるか?」
「残念ながら、ないな」とザンダル。
「龍王の件は、確かに我が専門なれど、世に十二と一騎ありとされる龍王も、そのすべてが現在も知られている訳ではない。その中に、歌の龍王という二つ名を持つ者はいない。
 そういう龍と出会ったことがあるのか?」
「いや」と、ナルサスは剣の柄をなでる。「この剣は、殺した者の命を吸う。その時、その者の想いが伝わってくることがある。あの魔女もそうだった。なぜか、最後に奴の声が聞こえた。『歌の龍王』と」


 気づくと、目の前に女がいた。
 占い師のような法衣、そして、その両眼は炎のように赤く輝いていた。

 ザンダルは一瞬の隙に後悔した。
 真っ赤な視線がザンダルの両眼を貫いた。
 死の羽音が聞こえた。
「死ね」
 声は形ある武器のように、ザンダルの頭蓋骨を揺さぶった。
 だが、ザンダルの魂は、龍の鱗で守られていた。
「火龍ほどではない」

「なるほど」とエリシェ・アリオラは言った。
「了解いたしました。一度、学院に戻り、堂主猊下と検討いたします。
 龍骨の件はそのまま進めさせていただければ幸いです」

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『歌の龍王』第四十五話です。
 短めでも続きをかいていきたいと思っています。

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2010年7月30日 (金)

歌の龍王【44】龍骨の野(6)

緑の原蛇

我をあがめよ。
願望を形にするのだ。
抑えてはならない。

 龍骨の野レ・ドーラを制圧し、湖の都モーファットまでの回廊を手に入れようとする鉄の公女カスリーンと魔道師ザンダルは、レ・ドーラに残る龍の狂気に対する対策を練る。
「ええ、ですから、狂う理由を消しましょう」とザンダル。
「出来るのか?」とカスリーン。
 ザンダルはまるで、当たり前のように答える。
「龍骨をすべて回収すればいいのです」
「魔道師とは、身も蓋もないことを言う」
とカスリーンは呆れた。
「レ・ドーラの征服というから、ずいぶん派手な征旅となるかと思えば、骨拾いか」
「しかし、これは龍骨の野、レ・ドーラを制圧するために、欠かせない仕事です」
と、ザンダルは真面目な顔をしていう。
「さらに重要なことは、金になるということです」
「金?」
「中原ではあまり知られておりませんが、南方に住むテルテヌ人は、長寿の薬として、龍の骨を珍重いたします。さらに、魔道師学院でも、貴重な実験素材ですし、いくつかの教団が薬剤に珍重すると伝え聞きます。
 すでに財務官の方と相談し、南方グナイクの海王にも話をつなぎました。鉱山を一つ掘り当てたと思っていただければありがたい」
「だが、我らは兵団ぞ。骨拾いだけでは士気が上がらぬ」
 カスリーンは勘気が強い。やはり戦場向きの姫である。
「ご安心を。あの土鬼どもだけで、十分に戦は続きます」とザンダル。「戦いの苦手な者は骨拾いに、戦いに逸る者は土鬼の討伐に向けましょう。龍骨の管理は密に致しますが、利益の一部を兵に還元すれば、士気も上がり、兵も喜びます。武功の恩賞を多めとし、優れた武将は今後、モーファットまでに築く城にて、重く扱うと公言すれば、獅子奮迅の働きをしましょう」
 そこで、ザンダルはざわりとした感触を感じた。
「素早いな」
 その言葉は半ば緊張と、半ば喜びを持っていた。
「カスリーン様、まもなく学院の使者が参りましょう。
 これよりは政治の時、カスリーン様の戦場にございます」
「魔道師どもが、金と権力の匂いを嗅ぎつけたか?」

 その少女がいつどこから沸いて出たのかは、判然とはしなかった。
 いつの間にか、城の大広間にいたという者もいれば、虚空から沸いて出たとも、姿見から踏み出してきたともいう。
 愛らしいドレスに身を包んだ一見無垢な少女のように見えて、どこか禍々しい雰囲気を漂わせている。魔道師学院の魔道師の中でも、古鏡座に属することを示す白銀の紋章が胸に光っている。
「良き土地だ」

「これは何者だ?」と、ザンダルは青ざめて呟いた。幻視に浮かぶ少女の印象は、花束のような可憐さと、毒草のごとき禍々しさを兼ね備えていた。
 通常、国家間の密使として働く古鏡座の転移者が持つ軽やかさがそこにはない。いや、確かに一陣の風のような軽快さはあるが、これは瘴気を含んだ魔の風のようだ。まるで……

「赤い瞳の巫女ドレンダル」

 モーファットで相対した魔族の走狗。魔族の精を受け、人ならぬ怪物と化した魔女。あの女を彷彿とされる闇が、少女の形をして歩いている。
 だが、その姿は龍骨の野レ・ドーラにふさわしいかもしれない。
「お気をつけください」
と、ザンダルはキャスリーンに向かって呟く。
「学院は、とんでもない怪物を送り込んできたようです」

「私は、魔道師学院より派遣されました使者にございます。
 名をエリシェ・アリオラと申します」
 執務室の扉から現れた少女は、そう言った。

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『歌の龍王』第四十四話です。
 一時、中断しておりましたが、とりあえず、再開へ向けて調整中。
 短めでも続きをかいていきたいと思っています。

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2010年5月17日 (月)

歌の龍王【43】龍骨の野(5)

白の通火

我は灯りを掲げ、後続を導く。
闇の中にも、常に道は存在するのだ。

「戦争と征服は異なる作業です」
 カスリーンの装甲馬車の上でザンダルは解説した。
北原で開発された大型の装甲馬車は、実に12の車輪を有することで、小さな家にも等しい大きさを持っている。それは、カスリーンのための居住区を兼ねるとともに、軍団の作戦本部となり、彼女の宮廷となっていた。
「戦争では、敵を倒せばよい」
と、カスリーンが答える。彼女はけだるそうに、毛皮を敷き詰めたソファに横たわっている。
「だが、征服するには、占領地を維持する工夫が必要だ」
「御見事です」と、ザンダルが頭を垂れる。
「ふ、お前が教えてくれたことだ」とカスリーン。
「知識を聞いても、身に出来ぬ者がいかに多いことか?
 いえ、私も同様ですが」
「魔道師が何を言う? お前たちこそ知識の徒ではないか?」
「残念ながら、我ら魔道師は知識に囚われております。
 知識を身につけて、その先の応用がなければ、ただの言葉に過ぎません。
 カスリーン様は、この5年間で実行に移された。
 それが素晴らしい」
「いい加減にしろ、ザンダル。何が言いたい?」
 カスリーンはきっと魔道師を睨みつける。
 魔道師は、地図を指差す。
「今回は、一気に前線を押し上げ、レ・ドーラに向かいますが、戦線が維持できなくなる限界点があります。戦場の判断は迅速かつ、適切に行わなくてはなりません。
 判断すべき時期としては、ラグレッタ砦より先、2日目と7日目」
 そこで、ザンダルの指はレ・ドーラの野そのものを指さしていた。
「レ・ドーラに踏み込んで2~3日目が、注意すべき時です。
 死した龍どもの気に狂う者が出るでしょう。
 ここで、我らのとるべき道は三つ」
「続けて、前進するか、後退するか?
 して、もう一つは?」
「その場に留まります」
「狂うのではないのか?」
「ええ、ですから、狂う理由を消しましょう」
「出来るのか?」
「龍骨をすべて回収すればいいのです」

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『歌の龍王』第四十三話です。
 GWのイベント続きで一時、中断しておりましたが、とりあえず、再開。
 短めでも続きをかいていきたいと思っています。

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2010年4月13日 (火)

歌の龍王【42】龍骨の野(4)


黄の戦車

我が運命は間もなく終わり、
時代は変わっていくだろう。

 その巨人の亜種たちは土鬼(ローグル)と呼ばれている。
 妖精騎士の前の時代を支配した真の巨人たちは、人の子の十倍に達する背丈を誇ったが、今日、土鬼と呼ばれる亜種は人の背丈のニ倍ほどに過ぎない。人に比べて、肩幅が広く、顔も何もかもが横に平たい。巨人種の常で四肢は恐ろしく太く、筋骨がしっかりとしている。服は巨大な獣の毛皮を縫い合わせたのか、それとも何かを織ったのか、茶色い腰布を除けば、ほとんど何もつけていない。大地のような黄褐色の肌、少し濃い茶色の髪と瞳だ。人の形はしているが、野蛮で凶暴な気配を漂わせている。
 武器は大木をそのまま乾燥させ、鉄輪で固めたような巨大な棍棒だ。これを片手でしっかりと持っている。さらに、馬車の車輪より大きな円形盾を構えている。
 数は百余り。
 人の子の兵ならば、砦を攻めるには全く足りない数であるが、騎馬武者よりも大きい土鬼どもの戦士百となれば、話は違う。その内、半分でも城壁の中になだれ込まれたら、城砦は壊滅する。
「殺せ!」
 土鬼語の叫びが放たれる。
 土鬼どもは、円形盾と棍棒を頭上にを掲げて突進してきた。
「打て!」
 守備隊長ボルスの叫びとともに、城壁から弓弦の音が弾ける。まるで鳥の鳴くような甲高い風斬り音。続いて、やや重い大弩が放たれる音が続く。
 山なりに打ち出された多くの矢が土鬼たちの頭上に舞い降りるが、その大半は円形盾に阻まれる。時折、土鬼の頭や肩に突き刺さることがあっても、それではやつらの厚い皮を貫き切れないのか、倒れた者はまだわずかだ。
 それでも、大弩の直撃を受けた土鬼はさすがにその場に倒れる。
「手を止めるな!」
 叫びを打ち消すように、弓音が繰り返され、十本以上の矢に貫かれた先鋒の土鬼たちがやっと倒れて行く。
 数台の大弩は休む間もない。
 それでも、土鬼たちの被害はまだ数えるほどだ。
 8割以上の土鬼たちは、そのまま城砦の前の柵へと突っ込んでくる。
「槍歩兵隊、突け!」
 柵の前に突進してきた土鬼に向かって歩兵隊が長い歩兵槍の穂先を揃えて突き出す。槍衾に貫かれ、土鬼の血が大地にはじけ飛ぶ。だが、それで終わる訳ではない。土鬼たちは突き出された歩兵槍を巨大な盾と棍棒で叩き折り、柵そのものに体当たりする。さらに、柵に手をかけ、乗り越えようとする。そういう時は、槍歩兵の中に混じった斧槍使いが飛び出し、柵に取り付いた土鬼に一撃を食らわせる。斧槍の華美な輝きがきらめくと、近くの槍歩兵たちがそれを追うように、柵の土鬼に槍衾を突きつける。
 そうやって、柵のあたりは土鬼どもの墓場になっていく。
 それでも、戦いは終わらない。
 やがて、柵が傾き、乗り越える土鬼が出てくる。一人目は、斧槍使いが迎え撃つ。だが、二人目はその棍棒を振るって兵士をなぎ倒す。歩兵槍を折られ、腰の剣を抜いても、土鬼の棍棒から見れば、無いも同然だ。槍衾で倒れるまでに4、5名の兵が打ち倒される。
「第五柵、引け!」
 角笛が響き、柵の一角から後退が始まる。
 一段後ろの柵まで後退するのだ。
 抜かれた柵に飛び込んだ土鬼はそのまま前に進むが、そこで左右から歩兵隊が槍を突き出す。土鬼の先鋒がまた倒れた。それは罠だった。

 一方、弓兵たちは土鬼の二陣目に向かって弓矢の雨を降らせ続ける。人の子の矢が一本当たっても土鬼を殺すことはできないが、十本当たれば、倒れる。柵に届いた時、柵を越える力が残っていなければ、歩兵が楽になる。

「よい動きだ」
 ザンダルは城壁の上でうなずいた。
 守備隊長は、柵をうまく使って戦っている。
 すでに土鬼の3割は倒した。
 残る土鬼たちにも多くの矢が突き立っている。
「もう一押し」

 土鬼の群れがあらかた柵に届いたところで、新たな角笛が響いた。
 すると、馬蹄の響きが城砦の反対側から響いてくる。
 見れば、ガラン族の騎兵たちである。
 先頭にはストラガナ侯とガンツがいる。手には短弓が構えられている。
「打て!」
 土鬼たちに向けて矢が放たれる。
 背中から射られて、また数名の戦士が倒れる。
 怒りの声を上げ、数名の土鬼たちがガラン族騎兵に向かって突進する。
 だが、ガラン騎兵たちは土鬼と直接、刃を交えたりはしなかった。馬を自在に操って、土鬼から距離を取ると、さらに短弓を打ち込む。それも足を狙う。
 土鬼の歩みが落ちたところを囲んで突進し、馬上槍を投げる。
 疾駆する場所から投じられた槍は容易に土鬼の胸を貫いた。

 さらに、城砦の反対側からコーディスの率いる騎士隊も、柵周辺に集まる土鬼たちに襲いかかった。
 こちらは小細工などしない馬上突撃である。
 巨大な突撃槍を構え、土鬼の盾を正面から打ち砕き、馬蹄で踏みつぶした。すかさず片手半剣を引き抜き、土鬼の顔面を叩き潰す。全身鎧に命を預け、ただただ武器を振るう。

 騎士の鋼、騎兵の槍に挟まれた土鬼たちの前で、柵の歩兵たちが再び矢衾を揃える。
「突け!」
 守備隊長の叫びに揃えて穂先が輝き、土鬼たちは貫かれて倒れた。

 土鬼たちは半数を失い、荒野へ逃げ帰っていった。
 ガラン騎兵たちが送り狼になり、さらに数名を打ち倒した。

「死者7名、負傷者21名」
 城砦の守備隊長ボルスが、コーディスとザンダルに伝えた。
「土鬼百を迎え撃って、48を討った。誇れる数だ」
と、ザンダルは評価する。「素晴らしい指揮だった」
「7名の戦死者は珍しい数じゃない」と、ボルスは呟く。
「全部、槍歩兵だ。こいつらは補充が利く」
 だが、ボルスの表情に悲しみが混じる。
 たとえ、歩兵であっても、死ぬことは悲しい。
「分かっている」とコーディスが言う。
「彼らの家族は、全部、カスリーン様が面倒見てくださる」
「それをぜひ、今宵の宴にて兵士にお伝え下さい」
「分かっている。死傷者への見舞金は手厚くする」
 そこで、コーディスはザンダルを振り返り、うなずいた。
「兵士の忠誠に対して、カスリーン様は必ず答えられる」

 それもまた、ザンダルが過去の治世者から学んだ知識を伝えたもの。

(王たるには、兵士の忠誠が必要なのです)

 ザンダルは微かに会釈を返す以外に何もしなかった。

 数日後、公爵家の館に戻ったザンダルは、カスリーンに呼び出された。
「見るべきものは見たな」
 カスリーンの言葉は確認にすぎなかった。
「レ・ドーラに進軍する」
「はい」
 ザンダルの言葉も確認にすぎなかった。

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『歌の龍王』第四十二話です。
ついに、レ・ドーラでの土鬼との戦闘が始まります。

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2010年4月 5日 (月)

歌の龍王【41】龍骨の野(3)

黄の八弦琴

伝説こそ語るべし。
なぜなら、皆を導き、希望を与えるから。

 しばし、沈黙が落ちた。
 ラグレッタ砦の城壁の上、職人頭のキリクと青龍の魔道師ザンダルは、言葉を紡ぐのを止めていた。騎士コーディスもまた何も言わない。そういう時に控えているべきことを理解している男だった。
 レ・ドーラから風が吹いてくる。微かな龍の遠吠えは死んだ龍たちの亡霊の声か。笛のようにも、かすれた嗚咽のようにも聞こえる。
「乾いた風だ」
 やがて、コーディスが呟く。
「荒野そのもののようだ」
「それもまた変えます」
とザンダルが言う。
「水路の件だね」と職人頭のキリクが確認する。
「モーファットからユパまで水路を引くそうだね」
「それがカスリーン回廊の次の姿です」
とザンダルは答えた。
 レ・ドーラは不毛の荒野だ。今も龍の死骨が散乱するだけで、何も生み出さない。そこにはほとんど植物も生えず、ただ乾燥した風が吹くだけだ。
 今まで、誰もモーファットまでの荒野を征服しようとしなかったのには、レ・ドーラの気候に問題があった。農地として開拓するには水が足りない。軍馬を養うにも草が少ない。何もかも持ち込みでは話にならない。

 だが、水があれば、どうだろう。

 幸い、モーファット河の水量は多いし、アラノス湖の西岸はあまり開拓が進んでいない。以前、モーファット伯爵に灌漑水路の建設を献策し、好感も得ている。
 あとは少々の資金と将来の利益だ。

「あんたら、魔道師というのは考えることが果てしないな」
と、キリクが呆れる。「何年かかるやら?」
「我らの生きている間には終わりますまい」とザンダルが答える。
「着工までに解決するべき問題が残っていますからね」
 そこでザンダルは、東北を指さした。
 彼方に、何か土埃が立っている。
「ストラガナが何か見つけてきたようですね」

 もちろん、ザンダルの目には、さらなるものが見えていた。
 巨大な棍棒を構えた野蛮な巨人たちの群れ。
 土鬼の部隊だ。

「土鬼の襲撃です」
 魔道師の言葉に、コーディスがうなずき、城壁の内側に向かって叫ぶ。
「敵来襲! 土鬼だ!」
 答えるように、見張り台の兵士が角笛を吹く。
 城砦の内外が一気にざわめき始める。
「弩を用意しろ!」
「歩兵隊、集合!」
「弓兵隊、城壁へ!」

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『歌の龍王』第四十一話です。
 短めでも続きをかいていきたいと思っています。

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2010年3月30日 (火)

歌の龍王【40】龍骨の野(2)

黄の黒剣

望め!
さすれば、混沌は形を得て、
そこに生じる。

 ラグレッタ砦の視察はそれほど時間がかからなかった。カスリーンは、よい人材を集め、その忠誠を勝ち取っていたからだ。

「こことここに柵を築きます」

 工兵頭のキリクは砦からの射程を計測し、大弩の支援が受けられるあたりに、外周の防衛柵を築いていた。中型の弩を増産し、柵まで押し出し、さらに先行する柵を進める。より巨大な敵である土鬼との戦いは、距離と速度の兼ね合いで進む。

「こちらの平地はガラン騎兵のために開けておきます。
 代わりに、ここの大弩を塔に揚げ、いざという時の罠に」

 突出したガラン族騎兵が土鬼に追われても、彼らなら振り切って逃げて来られる。よしんば、そちらから攻め寄せられた時には、塔の上から狙撃する。その間に、柵の弩が向きを変えられる。
 守りに関してザンダルが付け加えるべきことはなかった。
「素晴らしい」
 短い賞賛の言葉に、キリクは満面の笑みを浮かべた。
「あなたの残した図面です」
 古びた羊皮紙を差し出す。そこには、昔、魔道師学院から送ってもらった大弩に関する設計図が描かれていた。
「他の連中には分かりませんがね、俺には分かる。
 作りが違う。こいつは凄い」
魔道師学院としては珍しくもない技術だが、世界各地で収集された細かい工夫が反映され、当時のユパで使っていたものより一段、射程が伸びていた。
「頭のような職人の工夫を学院が集めただけだ。
 そう、それが技術の洗練というものだ」
と、ザンダルが答えると、キリクは肩をすくめる。
「俺たち職人は自分独特の工夫を弟子以外に教えたりしない。
 技は盗むものだ。
 ところが、あなたがたは、かき集めて整理して、組み合わせてほいとくれなすった」
「我らは……」とザンダルは微笑む。
「魔道師学院には、個人の都合などを考えている時間はないのでね」

(時はないのだよ)

 かつて、ザンダルは魔道師学院でそう叩き込まれた。

 時間はないのだ。
 妖精代の終焉が迫っている。
 魔道師学院は、来るべき時代の終わりに備えている。
 かつて、巨人の七王国が滅び去ったように、妖精王国も遠からず滅び去る。その時、次なる時代の覇者を決める戦いが始まるという。「後継者の指輪」を巡り、戦いが始まるのだ。
 妖精騎士が完全に地上を去り、残された我ら人の子こそ後継者たらんとすれど、魔族たちは策謀を巡らせ、火龍たちはかつての盟約から解き放たれつつある。一度は滅びたはずの土鬼たちや、東方の古き種族たちも蠢動を続けている。

 ザンダルが火龍を学ぶのは、単なる研究心だけではない。
 いつか火龍の力に対抗し、人の子の時代を選びとるための手立てを探すためなのだ。

「ユパの安定は学院も望んでいることなのです」
 ザンダルは付け加えた。
 ユパが東進し、レ・ドーラまでの情勢が安定すれば、ザンダルのような魔道師たちが古代の龍について、さらなる研究を行えるようになる。土鬼が歩んだ破滅の轍を踏んではならない。火龍の力を制御し、人の子の世を生み出すのだ。
 それが学院の方針だ。
 時間がかかる計画だ。おそらくザンダルが死んでなお数十年の時がいるだろう。
 だが、一歩目を踏み出さねばならない。
 その一歩がカスリーンであっただけだ。

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『歌の龍王』第四十話です。
 短めでも続きをかいていきたいと思っています。

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2010年3月22日 (月)

歌の龍王【39】龍骨の野(1)


黒の戦車

反逆者には炎をもって、戦わん。
一同、情けは無用ぞ。

 やがて、大きな砦が見えてきた。
 石垣と板塀を巡らせた大型の砦だ。塔があれば、城と言えないこともない。
 東方国境の中核を担うラグレッタ砦はほとんど起伏のない荒野の真ん中にある。地の利を選ぶことのできないまま、国境線を維持するために作られた戦線の中心を担う。
「だが、ガラン族騎兵を主力とするなら、このくらいの方がいい」
 ザンダルは判断する。
 広大な平原のど真ん中の城砦は、地形に頼って敵の侵攻を防げない。どちらかと言えば、巡回する騎兵隊の活動拠点や兵站の経由地に過ぎず、国境防衛隊は城砦から離れた場所で敵を迎え撃つのが基本的な戦術となる。
 そうやって少しずつ周囲の敵勢力を駆逐し、1日の行軍で移動できる先のあたりへさらなる砦を建設していく。それは5年前、ザンダルがカスリーンに授けた策であるが、5年間の間に、カスリーンはそれを成し遂げる体制を作り上げた。ラグレッタ砦に集められた多くの資材と兵員はその証拠だ。
 すでに次の砦建設場所は目星がつけられていた。
レ・ドーラの荒野の外れである。
 そこから先は、龍の骨が散乱する忌まわしい荒野だ。
 土鬼どもでさえ、あまり近づかない。
「ゆえに、つけ込む余地がある」
 ザンダルはつぶやく。

(狂気の沙汰ではないのか?)

 ふと、疑念が過ぎることがない訳ではない。
 だが、ここまで戦線を伸ばさねば、カスリーンの道は開けない。

(レ・ドーラ)

 かつて、青龍座の魔道師ゆえに、ここへ来た。
 龍の骨を拾い、風に舞う火龍の亡霊たちが上げる怨嗟の遠吠えを聞いた。
 遥か古代の戦いの憎悪が今も残る場所。
 龍の血肉が染み付いた戦場。
 そこへさらに人の子と土鬼の血肉をばらまこうというのか?

(それこそ、ドレンダルと変わらぬな)

 それに答えるように、また、風の中で火龍の声が響く。
 コーディスとストラガナ侯も居心地の悪そうな顔をする。
 いやな予感が漂う。

「だが、進まねばならぬ」

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『歌の龍王』第三十九話です。
 カスリーン姫の野望に加担すると覚悟を決めたザンダルは、レ・ドーラへと向かいます。
 短めでも続きをかいていきたいと思っています。

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2010年3月16日 (火)

歌の龍王【38】野望の姫(7)


黒の風虎

風の匂いがする。
季節が変わっていく。
狩猟に備えるとしよう。

 馬蹄の響きに包まれ、ザンダルは東へ走った。
 ストラガナ侯の言葉通り、ガラン族の騎兵たちは風のように走る。彼らは馬を手足のように操り、手綱を握らぬ時でも馬が暴れる気配もない。
「ガランは鞍上で眠れるようになって、一人前だ」
 ストラガナ侯の副官で、騎兵頭のガンツはそう笑った。髭だらけの顔をした小柄な老人だが、馬上槍一本で多くの敵を倒した猛者だという。
「だから、ガンツは遅い。馬に乗ると寝てばかりだ」
と、若いストラガナ侯が混ぜっ返す。
「若様が速すぎるのです。生粋の草原生まれのようだ。
 母上様もお喜びでしょう」
「爺、泣くな」
 始終、こんな様子だった。

(幼子のようだな)
と、ザンダルは思った。
(カスリーン姫に、このような表情を見たことがない。
 あの方は、あの悪夢の中に無邪気さというものを捨ててきたのかもしれない)
 血まみれの床に立つ幼いカスリーン。
 倒れ伏す侍女。
 貫くようなカスリーンの視線。
 まるで、それはモーファットで撃退した魔族の下僕、赤き瞳の巫女ドレンダルのようだ。
 憎悪と呪詛に満ちた狂気をはらんでいる。

 その歪みをカスリーンは自覚している。
 己の血筋と育ち、そして、剣の公爵家の定めが彼女を戦いに追いやっている。
 ゆえに、彼女は自らにないものを求めて家臣を集めた。
 ストラガナ侯の明るさは彼女に必要なものだ。

「すべて、あなたの仕掛けですか?」
 ザンダルの思いに割り込むように騎士コーディスが馬上で話しかけてきた。
 その目はじっとザンダルを睨んでいる。
「カスリーン様は、あなたのことばかり話される。
 ストラガナ侯を選んだのもあなただと」

 ザンダルは記憶を探る。
 もしかしたら、今、思っていることを、5年前も考え、口にしていたかもしれない。
5年前。
カスリーンの瞳が強く鋭い憎悪に染まり、13才とは思えない怒りに手を震わせた時、ザンダルは彼女の背後に幼少時の悲劇を幻視した。
その怒りを理解した。
おそらく他の幻視者たちは憎悪を緩和しようとしたが、青龍の魔道師であるザンダルは、違っていた。火龍の怒りを理解し、受け止めた。怒りや憎悪を殺すのではなく、正しい使い方を教えた。
王への道を教え、覇業に求められる学識を与え、さらに人脈を築くように導いた。

人の輪を広げるのは、ザンダル自身には出来ないことだった。火龍の精神に耐えるため、人の子らしからぬ強靭な龍の鱗で覆い隠した心で、人と付き合える訳がない。
だが、生まれながらの上級貴族である公爵家の姫カスリーンは、己の野心を隠して、人と付き合う術を生まれてからずっと学んできた。

「自分に無い才能なら、他者を頼ればいい」

 割り切った考え方を彼女は受け取り、将来、彼女の王宮を担うであろう人材をかき集めた。コーディスしかり、ストラガナ侯しかり、ガンツしかり、先日の財務官もそれゆえに有能で、彼女の道を理解していた。

「異国の才は、あなたに可能性を与えます」
 5年前、ザンダルは確かにそう言った。その時、公爵家の庭では、アイリーン姫とストラガナ侯が遊んでいた。
「あれか?」と、13才のカスリーンは即座に立ち上がる。「では、アイリーンとストラガナを我が陣営に加えよう」
 カスリーンは、庭先に出ていき、ストラガナに何か言った。ストラガナは跳ね上がり、アイリーンと一緒に走り回った。
 やがて、戻ってきたカスリーンは言った。
「ストラガナ侯を我が臣下とした」
「どうやって?」
「私が軍を率いる時、ガラン騎兵とともに参れと言った」
 カスリーンは決断が速く、行動に移すことを躊躇わない。
 そして、率直な言葉にストラガナは喜んだ。

「だが、この5年間を支えたのは、あなただ、コーディス・ランドール卿」
とザンダルが答える。
「私は、火龍を学ぶ者。この身はいずれ人を辞める」
「ゆえに、あの日、あなたはユパを離れた」
 もはやコーディスの言葉は確認でしかない。

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『歌の龍王』第三十八話です。
 短めでも続きをかいていきたいと思っています。

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2010年3月 8日 (月)

歌の龍王【37】野望の姫(6)

黄の翼人

たとえ永遠に見えても
すべてのものに必ず終わりが存在する。

「カスリーンの道を開く時が来たのだ」
 黒鉄の姫は宣言する。
 鉄の篭手がユパからモーファットへと続く帯状の地域をざっと薙ぐ。
 レ・ドーラの荒野だ。
 それは火龍の墓場。
 遥か古代に、火龍同士が相争ったとされる荒野。
 そこには、多くの火龍の屍が積み重なり、火龍の怨嗟の想いが留まっている。
 中原南部に位置するユパでさらなる領土を得るためには、背後に山々のあるレ・ドーラの荒野を制圧し、モーファットへの回廊地域を形成する。モーファットまで版図が広がれば、ユパの経済圏は格段に広がる。回廊は新たな街道となってユパはさらなる利権を得る。
「黄金の道です」
 かつて、ザンダルはそう説明した。
「では、我が名をつけよう。これはカスリーンの道よ」
 13歳の姫君はそう答えた。

(5年間、あなたは変わらなかった)

 ザンダルは口に出さないまま、そう呟いた。
 これはしかたのないことだ。
 おそらく、これもまた運命の綾織の中で、誰かが求めたことだ。

(お前か?)

 ザンダルは、はっとしてスゴンの赤き瞳に目をやる。
 だが、まがまがしい宝玉は何も伝えてこない。
 逆に、その沈黙こそ明白な答えのようにも思えた。

「分かりました」と、ザンダルは深々と頭を下げた。
「カスリーン殿下の仰せの通りに」
「よし」とカスリーンは微笑む。
「では、早速、コーデルとともに戦略を立てよ」
「では、現場を見ましょう」とザンダルは立ち上がる。
 カスリーンが目配せする前に、コーディスが立ち上がっていた。
 二人の男は無言で東屋を出て行った。

赤の野槌

この場所こそ我が故郷。
これだけは決して忘れない。

三日の間、ザンダルはコーディスとともに、カスリーンの陣営と東方国境を見て回った。コーディスは生真面目で論理的な考え方をする男だった。剣の公爵の配下として、現場で軍を差配する腕のいい指揮官なのだろう。人の使い方がうまかった。
まず、ザンダルが求めるだろう、軍役回りの数字に通暁した財務官に使者を送り、その後、ザンダルと二人で乗り付けた。
「姫君の軍師となられた魔道師殿である。麾下の軍団の全容をお知らせせよ」
 たちまち書類が積まれた。
 ザンダルは一部屋を借りて、一晩、それを読みふけった。時折、財務官やコーディスを呼び寄せ、細かいあたりを聞き取ったり、地図と見比べたりして過ごした。
 翌朝、書類の手際を褒めた後、一言付け加えた。
「いずれ、大弩を備えた出城を七つ作ります。
 経費の試算をお願いします」
 財務官は、迷いもなくうなずき、背後に控えた従者から一冊の書類を受け取り、ザンダルに差し出した。
「姫の差配か」
 ザンダルの問いに財務官はうなずく。
 数字は完璧だった。
「カスリーン殿下への忠誠、確かに見届けました」

 次に、ザンダルはコーディスとともに砦を見て回った。
 途中で浅黒い肌の少年が馬で追いついてきた。服装からユパの貴公子と知れるが、その顔つきはサイン人ではない。そして、馬を操る様子が尋常でなく、うまい。手綱などほとんど振らぬまま、足の動きだけで乗馬を手足のように操っている。
「これはストラガナ侯」
 コーディスが頭を垂れる。
「ははは」とストラガナは笑い、じっとザンダルを見た。「おお、覚えているぞ。こいつだ。5年前に、姉様を教えていた魔道師だ」
 アル・ストラガナ侯は、西方草原ガラン族との盟約により、第三夫人としてユパ王に嫁いできた族長の娘メレの息子である。ガラン族の生まれのため、幼少時よりガラン族騎兵に混じり、牧場を走りまわっていた彼は、剣の公爵家とも仲がよく、カスリーンやアイリーンによくなついていた。5年前、ザンダルがカスリーンの家庭教師をしていると、時折、風のように現れ、庭でアイリーンと遊んでいたものだった。
「ご無沙汰しております。アル・ストラガナ侯に置かれましては、5年間で見違えるようなご成長、お喜び申し上げます」
 ザンダルも頭を垂れる。
「姉様から聞いたぞ。砦を見に行くのだろう? 私も一緒に行こう」
「ストラガナ殿下、騎兵隊のお仕事はよろしいのですか?」
とコーディスが釘を刺す。
「これも仕事だ。
何しろ、姉様のご命令だ。
 『ザンダルに我が軍の威容を余すところなく見せるのだ』と」
 最後はカスリーンの口調を的確に真似ていた。
 ザンダルは苦笑を押さえた。
 そこへ、背後から多数の馬蹄の音が響いてきた。
「また、部隊を置いてきたのか?」
と、コーディスが呆れたように言うと、少年は肩をすくめた。
「ガンツは足が遅い。
 ガラン族は風のように走る」

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『歌の龍王』第三十七話です。
 短めでも続きをかいていきたいと思っています。

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2010年3月 1日 (月)

歌の龍王【36】野望の姫(5)


黒の海王

人生は海なり。
ほかの人々もまた同じ海原にいる。
それを忘れるな。

 そう忘れていた。
 カスリーンの姉マデリーンもまた野望を持った女であった。
 5年前、彼女はすでにユパの歩兵隊長の一人であるケドリック子爵夫人であった。
 嫁いで一男一女を産んだ後、ケドリックが与えられた城の采配に才能を発揮し、夫ケドリックと息を合わせてルケリア河に沿って東北方向へ進出、土鬼とマイオス王国の争乱で混乱している地域に出城を築いた。この地域は本来、マイオス王サームが所有する土地であったが、マデリーンは巧みな外交術でサームの内諾を取り付けた。
 東方の土鬼王国には、棍棒王ラ・ダルカがいる。数百年ぶりに土鬼の氏族を統合した土鬼の王である。ラ・ダルカはレ・ドーラの荒野を越え、マイオスの東方国境を打ち破り、聖山ルケへと侵攻した。
ルケ山は古来の神王が封じられると言われる聖地である。かつて神征紀の戦いの後、指輪の女王はこの山の上に降り立って世界の支配を取り戻された。その後、ヴァクトンへ移り、国作りを巨人たちに命じるのであるが、魔族の反乱により天空城で殺された夫、剣の王ソダールの神霊を慰めるため、しばしば、この地へやってきたという。以来、多くの神威がここで発揮され、世界の支配者たることを示す後継者の指輪も、この地で巨人の王に与えられた。
山上に残る朽ち果てた巨人の宮殿は、その跡とされている。
その場所は古王神殿、ライエル、プラージュのいずれもが、古王の聖地と呼び、今も巡礼が絶えない。山上の修行場には、半神ともいうべき悟りを得た聖者もおり、魔法でも癒えぬ、業病さえも癒してくれるという。
マイオス王国は農業と牧畜の国であるが、マイオス王にとって、ルケ山への参拝街道から上がる税収は非常に大きいものである。そのため、ルケ山を守る東方辺境には大軍を配置していたが、ラ・ダルカとの戦いで敗戦を重ね、多くの村や砦が滅ぼされた。
マデリーンは困ったマイオス王サームにつけ込んだのだ。
サームはラ・ダルカとの戦いを有利に運ぶため、滅ぼされた地域への侵攻を認めた。ユパ国王も、東方への拡大、マイオスとの同盟、ルケ山参拝者の保護などマデリーンの上げた瞑目を認めた。うまく行けばよし、すべては土鬼との戦いが終わってからだと考えていた。
下手をすれば、ラ・ダルカの怒りを買い、非業の死を遂げるのはケドリックとマデリーンであるかもしれなかった。

「だが、姉上は賭けに勝ちつつある」
 カスリーンは淡々と語った。

 ルケ山から流れ落ちるルケリア河の流れは、「女神の涙」とも言われるが、その水量は多く、たとえ、土鬼であっても身が立たない。ルケリアの西岸に築いた第一の砦には、多数の大弩(おおいしゆみ)を揃え、ルケリア河に沿っての補給路を確保した。東岸に渡り、築いた第二の砦にも、大弩を揃えたが、さらに、弩の射程に沿って大型の柵を何重にも巡らせた。柵の内側には長い歩兵槍を揃えた重装歩兵が並び、その背後には大弓を構えた弓兵を並べた。
 土鬼たちは巨大な石を投じたが、それは柵から砦まで届くことはなかった。怒って柵を破ろうとする間に、大弩と弓兵隊の矢が降り注ぎ、例え、乗り越えても重装歩兵たちの槍衾が迎え撃った。
 マデリーンとケドリックは、ラ・ダルカが率いる土鬼の襲撃に二度、耐えた。二度目など、負傷したケドリックに代わって、マデリーンが部隊を率い、自ら弩の指揮を取った。

「姉上は、ルケリア河沿いに、さらに三つの砦を築き、ケドリックは間もなく、辺境伯の称号を与えられる」
 やっとカスリーンの声に悔しげな感情が混じる。
「辺境伯」
 それは、ザンダルとカスリーンが求めた第一の里程標であった。
 辺境に向かい、砦を築き、爵位を得る。
 公爵の娘として、辺境での裁量権を得るためにおそらく必要とされる爵位の目処となったのが、男爵、あるいは、辺境伯である。辺境ゆえに広さだけはある領地に合わせて与えられる変則的な称号、辺境伯は、カスリーンの野望にこそふさわしい。
「姉上の武勲、認めぬつもりはない」とカスリーン。「だが、ケドリックが辺境伯になった場合、我が版図もその指揮下に加えられるという噂がある」
 次代の勢力争いはすでに始まっているということか。
 弩と重装歩兵を率いるマデリーンにとって、カスリーンが有する騎士団とガラン族騎兵隊は、魅力ある兵種だ。
 だが、ルケリア河沿いでラ・ダルカ本軍と戦う死地に招かれるのはカスリーンとしては、望まぬ展開だ。東方辺境で土鬼の氏族をひとつずつ潰し、砦で版図をまとめて、レ・ドーラへと向かう。それがザンダルとカスリーンの計画であった。
 その計画を変えぬためには、さらに東方へ進出、実績を作りつつ、中央から離脱することだ。すなわち……

「レ・ドーラ侵攻」

 カスリーンは微笑んだ。

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『歌の龍王』第三十六話です。
 短めでも続きをかいていきたいと思っています。

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2010年2月23日 (火)

歌の龍王【35】野望の姫(4)

赤の風虎

甘やかな言葉を弄する前に
行動あるべし。

 回想は続く。

 火龍のような姫。
 カスリーンを言い表すならば、まさにその言葉こそ適切であっただろう。
 わずか数カ月であったが、ザンダルはカスリーンの家庭教師を務めた。
 カスリーンは熱心な生徒であったが、燃えるような野望が彼女の言動をねじ曲げていた。
「王になる術を教えよ」
という言葉は13歳の若き姫君には不似合いなものである。
 だが、ザンダルは問わなかった。

(あの時、幻視(み)えてしまったから)

 血まみれの寝間着をまとい、きっと立つ幼いカスリーンの姿が。
 その足元に倒れる若い侍女の姿。
 絨毯の上に流れる真紅の血潮。

(暗殺? 政争?)

 いずれにせよ、幼い彼女を悲劇が見舞ったのだ。
 少女は、幼少にして死を目撃したのだ。
 おそらくその侍女は彼女の代わりに死んだ。
 彼女の犠牲になって。

 想いの出発点について、カスリーンは何を語らない。
 だから、ザンダルも問わない。
 だが、そこには火龍のような想いがあった。

(火龍であれば……)

 ザンダルはそこで少し気が楽になった。
 人とうまく付き合うのは難しい。
 だが、火龍なら「分かる」。
 いや、それなら動ける。
 青龍座の魔道師としての自分が魂の中心で頭をもたげる。
 冷徹な狂気。
 それは火龍の印。

「王になるためには、いくつもの条件を整えなくてはなりません」
 ザンダルの言葉は、一切の感情を排した冷徹な物となった。
「そのために、『王』というものを定義しましょう。
 王、とは一定範囲の領土とそこに属する領民を支配する最高君主です」
「一定範囲とは?」
「国の大きさです。現状、王国を名乗っている他の国々を鑑みるに、ユパ王国の4分の1もあれば、よいでしょう」
「これが目標となります。
 では、それを実現するためにいくつかの方策があります。
 まず、ユパの王になるという可能性はずいぶん低いものです。
 すでにユパ王家がある訳ですから」
「北原にあるユラス男爵は、主家を滅ぼし、領地を支配していると聞くぞ」
 カスリーンは言った。
 大胆な発言である。
 北原の最北端、闇と寒気が支配するユラス男爵領は、名前こそ男爵領であるが、主家であるナセンシア大公家を滅ぼした黒騎士ベルガード・ユラスが支配する独立国家である。
 そのユラスに習うということは、反逆の意図ありとして処刑されてもおかしくない発言だ。
 だが、ザンダルは気にしない。
 火龍とは、おのれ以外に縛られぬ生き物だ。
 カスリーンが火龍ならば、このような大胆な発言もしかたない。
 それでも、一応、釘を刺すことにした。
「ベルガード・ユラスは、魔族に魂を売った怪物でございます。
 姫にそのお覚悟はございますか?」
 ザンダルの問いに、カスリーンはしばし沈黙した。ベルガード・ユラスは魔族に魂を売り、闇に潜む怪物となってすでに200年の長きに渡り、ユラスを支配してきた。
「それしか道がないなら」とカスリーンは言葉を搾り出す。
「魔族に魂を売ろう。それで王になれるなら」
「分かりました。
 ですが、魔族は私の専門ではございません。
 魔族にも色々ございますから、最後の手段として、他の手段を検討いたしましょう」
 そこでザンダルは姫をじっと見た。
 目つきが厳しいものの、公爵家が育て上げた少女は輝くように美しい。おそらく武芸の訓練で鍛え上げたのであろう身体は、鹿のようにしなやかで、それ故に、胸も腰も美しい曲線を維持している。
「姫は女性でございますので、政略結婚で王妃を目指すという可能性がございます。
 選択肢はユパ、あるいは、他の国家ということで検討いたしましょう。
 ユパ王家の現国王モルドス・アル・ユパ陛下はすでに41。マイオス王女アリエンス様との間に2男3女。この夫婦に介入することはまず無理でございます。王太子タルドン殿下はメジナ大公家キリア家の姫を娶られました。次男ハドン殿下は未婚でございますが、こちらもスイネ大公家との縁談が進んでおられます」
「可能性があるのは、庶子のストラガナ侯だけだ」
 カスリーンは吐き捨てるように言う。とうに検討済みだったのか、実際に縁談話が出ているのか?
「ストラガナは、西方ガラン族から来た第三夫人との間の子だ。
 ガラン族騎兵にはずいぶん人気がある」
 そういうカスリーンの顔にはやや苦いものがある。
 誇りが許さぬようだ。
「あれは、部下としてはよいが、王にはなれぬ」
 そう付け加えた。
 ザンダルは黙って瞑目した。
 カスリーンの交友関係は多少把握している。軍馬の訓練で、4歳年下のストラガナ侯としばしば馬場で会っているし、ストラガナはカスリーンを姉のように慕っている。だが、その出自、血脈ゆえに、ユパ王となれる可能性は非常に低い。正嫡のタルドン、ハドンが壮健なだけに可能性は低い。
「では、現ユパ王家に参入する案は横に置きます。近隣の王家に輿入れする可能性については、調査しておきますが、同様の状況であると考えます」
「わらわは、王になれぬか?」
「いえ、まだ可能性の検討は終わっておりませぬ。
 王の定義をそのまま受け取るならば、姫が王になる道はまだ三つあります」
「三つもあると?」
「あくまで可能性ですが。
 第一の策は、ユパ王家を滅ぼし、ユラスに習う道でございますが、これはまさに謀反。王冠の公爵家も、ガラン族騎兵も、いえ、姉上、兄上、ご両親も賛成はなさいますまい。口にするのもこの場限りで、今後一切語るべきではございません」
 ザンダルの言葉にカスリーンは深く頷いた。
「二つ目の策は、ガラン族のつてを辿り、西方草原へ向かうことでございます」
「この国を捨てろと?」
 カスリーンの反応は激しいものだったが、ザンダルは気にしないで続けた。
「ここ、ユパ王国には王がおります」
 それはすでに検討したことだった。
 王位を奪う、という選択が出来ないなら、王のいない場所へ行く。
 魔道師学院で学んだ論理思考がザンダルを導く。
「そして、王のいる場所へ輿入れして、王家を乗っ取るのも難しい。
 それは王がすでにいるからです。
 では、王のいない場所に乗り込みましょう」
「王のいない場所だと?」
「ええ、ユパに関わる領域で、二つの地域が検討に値します。
 そのひとつが西方草原です。
 かの地には、祖先たるユパ王が支配した領地がございます。臣下となるのは騎馬の民のみ、領地は果てしない草原でございます。故郷に帰りたいと思うガラン騎兵隊数百名、さらに姫の傘下に集う騎士とその一族が100もおれば、かの草原で騎馬の一氏族を起こし、覇業に取り掛かることもできましょう。
姫は王となれます」
 そこでカスリーンは、一瞬、夢見るような目をした。
 カスリーンはこの国を出たことがない。
 だが、王国親衛隊である、西方草原から来たガラン族騎兵との交わりでかの地の話はずっと聞いていた。朴訥なガラン騎兵たちが歌う故郷の歌は草原を吹き渡る風のように自由であった。

(この国は姫には狭すぎる)

 ザンダルは、この選択が姫にとって、もっとも幸せかもしれないと思っていた。この地に残っても、カスリーンに残された道は政略結婚の道具になるか、自ら武器を取るだけだ。どうせ戦うならば、ユパ国王の遺産が継承出来、ストラガナ侯のつてまで使える西方草原にこそ夢がある。
 だが、別の冷たい予感があった。
 カスリーンは誇り高い姫だ。
 都落ちのような戦いは選ばないだろう。
「この国を捨てろと?」
 カスリーンは繰り返す。
「そんな不名誉なことが出来るか!」
「分かっております」
と、ザンダルは冷静に答えた。
「三つ目の策がございます。
 ユパに留まり、軍事指揮官として、一定の領土を征服し、独立されればよろしい。
 ありがたいことに、姫は剣の公爵の御子でございます。女性であっても、軍を率いる身になれまする。そして、ユパの周囲、特に東方には蛮族たる土鬼の領地があり、この地の支配はユパ王国の悲願。東方の土鬼を征伐する戦いにはいくらでも大義があります」
 ユパ王国の東は土鬼たちの領土だ。
 東方辺境を守るために、ユパは膨大な兵力を東方に展開している。その統括をしているのが剣の公爵である。その一族の子供たちは実際の指揮官として戦場に立ち続けてきた。時には息子が出来ず、姫が軍隊を指揮したことさえある。現公爵の姉ジリーンも、土鬼との戦いで死んでいる。ゆえに、その姪たるカスリーンにも、軍団を率いて戦うことができる。それだけの訓練も受けてきた。
「それで、わらわは王になれるのか?」
 カスリーンは鋭く言う。
 13歳とは思えぬ眼光だ。
 ザンダルの幻視に、血まみれの寝間着の少女と火龍の瞳が映る。

(ああ、この方はまこと、火龍の魂を持っておられる)

「突出し、ユパと土鬼の領地の間に、緩衝地帯を築くのです」
と、ザンダルは地図の上で南北に指を動かす。ユパ王国の東方辺境に沿って描かれる三日月のような円弧。
「これを公爵家に従う男爵領といたします」
「まず、男爵となると」
「ええ、あとは独立国家とする根回しができればよいのです。
 おそらくは10年。
 10年、この地を守りきれば、国王の代が代わります。
 そこが付け目です」
「10年」とカスリーンはじっと考える。わずか13歳の娘にとって、それは今まで生きてきた全人生に等しい年月だ。
「もちろん、土鬼を討伐して領地を得るのにも時間がかかります。
 おそらくは、それに10年。いえ、15年かかるかと」
「25年か」
 カスリーンはつぶやく。
「お前は、わらわが25年で王になれるというのか?」
 火を吐くようなカスリーンの問いにザンダルは即座に答えた。
「御意」
「では、そうしよう」
 カスリーンはにっこりと微笑んだ。
「お前はわらわが玉座に座るその日まで、側におれ。
 お前はわらわのために戦うのじゃ」

紫の野槌

試すことを恐れてはいけない。
未知の世界にのみ、存在するものもある。

「あれから5年。わらわは軍を率いている。東方辺境軍の一軍団の指揮官だ。コーディスはわらわの側近として騎士100騎、兵2000を率い、さらに、ストラガナ侯よりガラン騎兵500を借り受けておる。すでに、国境の砦を三つ押さえた」
 カスリーンは淡々と語る。
 かつて、13歳の姫君に魔道師が提示した「王への道のり」を着実に歩んでいる。
「私の予想以上でございます、姫」
 ザンダルは正直に頭を垂れた。
「これならば、このような魔族の武器に頼らずとも姫の武勲は約束されたようなもの」
「そうはいかんよ」
と、カスリーンが笑う。
「お前は、わが家族を理解しておらんな。いや、人間をか。
 困ったことに、我が姉上も、野心家でな」

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『歌の龍王』第三十五話です。
 発作的に書き始めてしまった。
 できれば次回は来週に。

*一部誤字修正

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2010年2月22日 (月)

歌の龍王【34】野望の姫(3)


青の通火

汝の臆病さを恥じるな。
慎重さこそ汝の命を救うだろう。

「あなたは今もあの願いを抱いておられるのですね?」
 ザンダルはしばし考えた後、カスリーンに問い直した。
「願いか。お前らしい言い方だ」
 カスリーンの口調は憐れむようだ。
「学院の魔道師どもはいつまで経っても、時代の流れを認めようとしない。
 ここはユパだ。
 もはや妖精王国ではない」
 その発言は、本来、公に発せられるべきものではない。
 今でも、世界は妖精王国の統治下にある、とされている。
 少なくとも、魔道師学院と中原、北原ではそれが建前だ。

 だが……

 妖精王国。
 9526年目を迎えたこの恐ろしく長大な歴史のある国家は、もう存在しないも同然である。
 指輪の女王から世界の統治権を授けられた妖精騎士はもはや滅びた。
 不老不死の魔法種族たちは、完全に消え去った訳ではないが、500年前、復活した魔族の軍団との戦いで疲弊し、傷つき、その都に引き籠って出てくることなどほとんどない。人の子の大半は妖精騎士など見たこともなく、伝説の存在だと考えている。石造りの都メジナなど、その街の中央に妖精騎士の宮殿が屹立しているが、多くの市民には、それは板状の険しい山にしか見えないし、出入する姿を捕らえることもできない。
 現在、この世界を統治しているのは、妖精王から統治を委任された血筋の人の子たちだ。

 そのため、2、300年前から世界各地で戦乱が渦巻き、辺境では妖精王国との関係などまったく持たない独立国家さえ誕生した。ユパ王国もまたそうした独立国家の一つである。
 人の子が独自に王国を築いた、という現実は野心ある者の心に火をつけた。
 カスリーンもまたそうした野望を持つ者の一人だ。
 5年前、ザンダルが彼女の家庭教師をしていた頃。
 歴史を学んだ彼女は、ザンダルに向かってこう問いかけた。

「わらわが王になる方法を教えよ」

 ザンダルは、しばし考えてこう答えた。
「戦術、外交、策略を教えることは可能です。
 ですが、天運と人徳を教えることはできません」
「堅苦しいことを」
とカスリーンが問い詰める。
「天運と人徳なら、すでにある。
 お前は、戦場の策略と武力の調達方法、策謀の見極め方を教えてくれ」
 13歳の少女とは思えぬ発言であったが、ザンダルは感銘した。
「私にできうるすべてをお教えいたしましょう」
「頼むぞ」
「まず、学ぶべきことが一つ。
 倒せない敵とは戦わないことです」
「なんと臆病な」
 カスリーンは軽蔑した目で見た。
(この姫の魂は、なんと勇猛なことよ)
「姫は、火龍を目撃されたことがございますか?」
「まだない」
「私はございます」
「……」
「人の子が火龍に勝つことは非常に困難です。
 無策では食われるのみ。
 策を弄し、武力を集め、いかに仕込んでみたところで、あの固き鱗を貫く研ぎ澄まされた槍が用意出来なければ、火龍に勝つことはできません。槍を構えても、騎士と軍馬が恐れをいだけば、戦いになりませぬ。火龍の炎を防ぐ魔法の盾がなければ、先手を取られた途端に負けとなります。
たとえ、そのすべてが揃っても、火龍を倒せる確率は半々でございます」
「……」
「ご理解いただけました?
 カスリーン姫の目指す玉座とは、火龍のごとき存在です」
 そこで若き姫は、一度、唇をぐっとかみしめた後、ザンダルをにらみつけた。
「では、お前に命ずる。
 ザンダルの知恵が必要じゃ。
 お前はわらわが玉座に座るその日まで、側におれ。
 お前はわらわのために戦うのじゃ」
 ザンダルは、この少女の瞳に火龍と同じ炎を見た。
 膝を折り、少女の前に頭を垂れた。
 あの日。

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『歌の龍王』第三十四話です。
 短めでも続きをかいていきたいと思っています。

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2010年2月15日 (月)

歌の龍王【33】野望の姫(2)


青の戦車

我は大地を編む。
世界は今も、これからも
自ら出来ていくのだ。

 黒鉄(くろがね)の姫、と呼ばれていた。
 剣の公爵家に生まれた三人姉妹のうち、次女にあたるカスリーンは、兄譲りの武闘派である。自ら剣を取り、馬を駆る女将軍である。ドレスの上から両手にはめた篭手は、彼女の生きざまの証である。御年18になる。
「お前が我が家を去って5年になる」
 カスリーンは繰り返した。
 ザンダルへ平伏した後、彼女の目をじっと見つめ返した。
「かの時には大変お世話になりました」
「5年ぶりの言葉がそれだけか?」とカスリーンは睨み返す。
「まあ、よい。お前には貸しがある」
「御意」とザンダルがうなずく。
 何も言葉は紡がない。
 紡いだとて、無駄にしかならない。
 だから、沈黙を守る。
「もはやユパを無事に通れるつもりでいたのか?」
 カスリーンは口元を歪めた後、諦めたような目でザンダルを見る。
「ああ、そうだ。お前は考えてなどいない。
 火龍の狂気はそれほど心地よいか?」
 だが、ザンダルは答えない。
 その沈黙をいまいましげに見つめた後、カスリーンはため息をつく。
「こんな男を。あの頃は私も若かった」
 コーディスがちらりと視線を流すと、カスリーンは両手の篭手を打ち合わせ、コーデルに合図する。騎士は傍らの文机から地図を取り、ザンダルの前に広げる。ユパを中心とした中原南部の地図だ。ユパの東国境は東北のルケ山から南下したあたりで、土鬼の版図に接する。その反対側、遥かな荒野を隔てれば、モーファットまで続くが、そのためには、レ・ドーラの荒野を超えなくてはならない。
「覚えていないとはいわせん。お前が描いた地図だ」
 カスリーンは篭手に包まれた右手で国境を指差す。
「我らは、東方で土鬼と戦っている」
 土鬼は、ヴェルニクなどに住まう巨人だ。巨人族の中では小型だが、それでも人の背の倍以上ある。巨大な棍棒の一振りは、騎士を粉砕するほどだ。
「その槍は《スゴンの赤き瞳》を宿す。
 奴らの守護神だ。
 武器として使えるのではないか?」
「現段階では、否定も肯定もできません」
「例えば」とカスリーンは言い募る。「それなら、土鬼を殺せよう」
「ここに宿る死の力。確かに土鬼であっても殺せないことはありません」
「ならばよい」
とカスリーンは微笑む。
「ザンダル、お前は私のために戦うのだ」
「御意」
 ザンダルは胸に手を当てて、答えた。

 しばし、沈黙が続いた。
 居心地の悪い沈黙を埋めるように、またカスリーンが話し始める。
「マデリーン姉様は覚えているな?」
 回答を求めない呼びかけ。ただ確認のためだけの一方的な言葉。
 ザンダルは、沈黙したまま、泡立つ気持ちを抑え、剣の公爵家の系図を思い出す。子供たちは二男三女。長兄のデルフィス将軍を筆頭に、長女マデリーン、次女カスリーン、三女アイリーン、最後にまだ幼い次男ヴィランが続く。記憶が間違っていなければ、マデリーンは御年26、すでに、ユパの歩兵隊長の一人であるケドリック子爵に嫁いで久しい。残念ながら、この姉妹、決して仲がよいとは言えない。
「姉上は、マイオスと友誼を結び、聖山ルケに近いあたりに布陣した。
 我らはその南で、ヴェルニクの土鬼と渡り合っている」
 ここで、カスリーンはコーディスを振り返る。
 騎士は目でザンダルに地図を指す。
 なるほど、この男が今はカスリーンの騎士となり、姉妹で軍功を競っているということのようだ。

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『歌の龍王』第三十三話です。
 短めでも続きをかいていきたいと思っています。

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2010年2月 9日 (火)

歌の龍王【32】野望の姫


黒の野槌

見た目の通りとは限らない。
しばしば真実は別の場所にあり。

 ユパ王国の剣の公爵に仕える騎士コーディス・ランドールの台詞は、ザンダルにとって不思議でも何でもなかった。
「その武具を持って、我が軍を手助けして欲しい」
 予想してしかるべき事柄であっただろう。
 魔族にまつわる武器であっても、それが戦に役立つなら使う。
 そう考える者がいない訳ではない。
 いや、実際のところ、ザンダル自身がその総本山に属している。
 魔道師学院は魔法を研究する最高学府である。
 当然ながら、魔術の実践的な利用方法について最も深く研究している。ザンダル自身も青龍座の魔力により、火龍の力を一時的に得る呪文を覚えている。いや、準備さえできれば、火龍を召喚することも不可能ではない。その戦略的な意味合いは十分に承知している。
 だからこそ、スゴンの赤き瞳の矛を軍の力にしたいとする騎士の言葉はよく理解出来る。

 だが……

「お断りいたします」
と、ザンダルは答える。
「呪われしヴェルニクのこと、知らぬ訳ではございませんでしょうに」

 魔族の力を戦に用いようとする者は、過去にもいた。
 かの呪われしヴェルニクは、そうして魔族を戦略に使おうとしたために滅びた。巨人の七王国のひとつであったヴェルニクは、他の王国との戦争に勝つため、魔族《赤き目の侯爵スゴン》を召喚し、その力を借りようとしたのだ。だが、《スゴン》の力を制御し切れずに国は死に絶えた。他の六つの王国が滅びた国に巣食う魔族を七重の封印で封じ込めたのだ。
 《スゴンの赤き瞳》を穂先とする矛を戦に用いるのは、ヴェルニクと同じ轍を踏むことになりかねない。ただでさえ、《スゴン》の封印は残り少ないのだから。

「やはり、あなたはそう言われるのですね」
 東屋の奥の扉が開き、女性の声が響いた。
 ザンダルは、その声に聞き覚えがあった。
「カスリーン姫」
 見れば、そこにいるのは金髪の妙齢の女性である。ドレスの上から篭手をつけた姿は勇ましくも不可解な姿であるが、ザンダルは驚かなかった。
 かの姫こそ、剣の公爵の次女、黒鉄の姫カスリーンである。
「お変わりなき様子。
 ご無沙汰しております」
と、ザンダルは頭を下げる。
「あれから5年か」とカスリーンが言う。
「これは定めだ、ザンダル」
 見下ろすその瞳は強い意志に輝いている。
「お前は、私のために戦う定めなのだ」

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『歌の龍王』第三十二話です。
 お待たせしました。カスリーンの描き方でジタバタしているうちに時間が過ぎてしまいました。次回は今月中になんとかしたいところ。

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2009年12月26日 (土)

歌の龍王【31】風の都

赤の海王

ここまでは我が導きで来た。
後は汝が選ぶ道なり。

 南方半島と中原の境となる谷を抜けると、そこはユパ王国であった。
 温暖な草原地帯の真ん中を一直線に来たへ抜ける神代街道は、人通りも多く、通り過ぎてゆく村々も豊かな風情であった。
 ザンダルは、海の匂いがもう追いかけてこないことにほっとした。
 海王の都グナイクを立ってもはや数日。最初はルーニクがクレンタス経由で河船を仕立てようか、とも言ってくれたが、もはや海で騒動を起こすのは御免だった。グラム山へ向かって中原の平地を北上する街道を旅することにした。
 半島を出て、北に向かう旅は存外に平穏なものであった。
 神代街道は、古来より交通の中心であり、道も整えられており、宿屋や厩も十分に存在していた。グナイクからユパへの道は交易の商隊が盛んに行き来し、治安もよかった。
 やがて、牧草地が広がると、小柄な騎手を乗せた馬が走り回るのが見えた。
 騎手の肌は浅黒く、黒髪で雰囲気もずいぶんと違っていた。
「ガラン族の騎手か」
 ザンダルは思い出した。
 ユパ王国の国王が王を名乗る前、西方草原と中原を分かつ関門領セツィの領主をしていたことがあり、ユパに移封された際、近衛騎兵隊として、西方草原の騎馬民族、ガラン族がセツィから連れてこられたと聞く。そのせいか、ユパ王国では13年に一度、《風の女王ピスケール》の大祭が行われる。次の大祭がいつだったかは思い出せないが、おそらくは風虎の年、あと2年後であろう。
「魔道師ザンダル殿ですな」
 街道を北から下ってきた騎士が、馬上から声をかけてきた。
「どちらの方ですかな?」
とザンダルが問えば、騎士は剣の紋章が描かれた盾を掲げた。
「剣の公爵に仕えし騎士、コーディス・ランドール。
 我が主人の命を受け、貴殿とその槍を迎えに参った」
 ザンダルは、肩に担いだ槍を振り返る。正確に言えば、《赤き瞳》をくくりつけた海王の銛であるが、細かいことは言ってもしかたない。
 剣の公爵と言えば、この国の重鎮である。ユパ王国は国王と、それを補佐する二人の公爵、剣の左公爵と王冠の右公爵による三頭政治が営まれ、しばしば、二人の公爵が血で血を洗う内紛を起こしてきたという。魔法の武器が国内に入ったとあれば、そのいずれかが反応するのもやむないこと。剣の公爵とあれば、おそらく、軍政を司る者であろう。

 騎士コーディスに従って、街道を逸れ、牧場に面した東屋に入った。
「王都に入る前に、貴殿とお話したい点があります。
 その武具を持って、我が軍を手助けして欲しい」

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『歌の龍王』第三十一話です。
 お待たせしました。とりあえず、ユパ王国へと入ります。
 次は年を越えて、1月初旬になる予定。
 最悪、TRPG文華祭(1月9~11日)以降ということで。

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2009年10月14日 (水)

歌の龍王【30】海王(承前6)


青の古鏡

見ないことこそ見ることに通じる。
それを忘れるな。

 しばし、人々はその銛をじっと見ていた。
 何が果たされたのか?
 この銛に何の意味があるのか?
 《津波の王》の下僕、大海蛇とともに海底に沈むべきだった赤い宝玉のついた銛は、なぜか虚空から投げ返された。大海蛇は死んだように見えた。
 気配は消え、巨大な津波もその場で崩壊した。

「果たされたり!」

 銀の球体、いや、《宝玉の大公》はこの言葉を残して消えた。
 何が果たされたのか?

「ザンダルよ。それは、おまえのものだ」

 甲板に、闇の海の海王ウィンネッケの声が響いた。
 いつの間に船を移ってきたのか?
 怪異な容貌の海王はザンダルの背後に立っていた。
 ザンダルが振り返ると、そのローブから闇がこぼれおちるように見えた。

「よいか、ザンダル」と闇の海王は言う。
「この世界は螺旋のようなものだ。
 繰り返しのように見えて、少しずつ前へと進む。
 ある時は、その未来のためにある。
 今日、お前が我ら海王と大海蛇の戦いに加わったのは、未来のため。
 そこにある赤き瞳の銛もまた未来のため。
 貴殿が青龍の魔道師であるのも、また仕掛けのうち」

 振り返ると、赤き瞳の銛は、そのまま、使いなれた槍のように振るえそうだった。

「魔族はおそらく、この銛を生み出すために、ここへお前を導いた。
 いや、おそらく、そのためにお前を用意した。
 だから、あれはお前が担うべき武器だ」
 ウィンネッケの声が淡々と響く。

 分かっていた。

 赤き瞳との旅がこれほど簡単に終わらないことなどよく分かっていた。
 魔族に魅入られたのだ。
 これは《策謀》なのだ。
 魔族の誰かが描いた陰謀の綾織り。
 では、今、ザンダルがこれを取らなかったとしたら?

「誰かがそれを受け取るだけだ」
 ザンダルの心を見透かすようにウィンネッケが言う。
 ザンダルが振り返ると、ルーニクがうなずく。
「お前が持って行かぬなら、俺がもらう。
 《津波の王》がまた大海蛇を送ってきたら、それで戦う」

(そうして、いずれ、《赤き瞳の侯爵スゴン》は目覚めるのだ)

 遥か闇の彼方で妖艶な女の声がささやく。
 ザンダルはその声の主を知っている。
 赤き瞳の魔女ドレンダル。
 最初の使者。

 ナルサスの魔剣によって斬られても滅びぬ魔女。

(あなた様は見届けるのです。我らが神の復活を)

 ラズーリの領主の娘、アナベルが海底から微笑む。
 船ごと沈んだはずだが、彼女もまたどこかで生きているに違いない。

「分かりました」
 ザンダルは覚悟を決めて銛をつかんだ。
 青龍の加護を信じよう。

「残念」とルーニクが笑った。
「まあ、後は任せる」

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『歌の龍王』第三十話です。
 海王編終了。
 次は来週以降に。

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2009年10月 7日 (水)

歌の龍王【29】海王(承前5)

紫の通火

我は瞳を閉ざす。
涙とともに希望をこぼさぬように。

 沖に出てしばらくすると、青く澄み渡った空の彼方、水平線に巨大な入道雲が現れた。
「何かいるぜ」
と、ルーニクが笑う。
 ザンダルが目を向けると、入道雲のあたりから複数の蠢く気配を感じる。

敬意を忘れたる者には厳罰あり。
怒りもまた真実なり。

 入道雲の雲間にばしっと稲妻が走り、巨大な銀色の球体が浮かび上がる。
「宝玉の大公が雲の中に……」
 ザンダルは叫ぶ。
 入道雲の中にいるのは、海底の邪神ゲグの封印を解き、波の騎士の帰還を導いた者。《宝玉の大公》だ。巨大な空飛ぶ銀の球体。
 いや、あれもまた魔族の宝玉。
 忌まわしき力を持つ珠。
「波間を見ろ」
 ルーニクの指差す先、地平線に泡立つような波が立ち上がっている。
 この距離にして見えるということはすでにすさまじい波だ。
 そして、ザンダルの幻視に巨大な大海蛇と、白い巡礼姿の男が映る。

「我は警告したり。
 津波の王は目覚め、海王の都へと押し寄せん」

 あれこそが、ヨーウィーの言った《海の司祭アイカ・ラシーグ》か。
 警告を発しようとする前に、大海蛇が吠えた。

「我が痛みを! 我が苦しみを!」

 ざっと意識が海の底へ呑まれていく。

 胴体を貫く激痛。
 思わず見開いた目に映るのは、何もない海底の闇。
 遥か遠く頭上のどこかに光ある海面があるのは知っている。
 だが、呪わしき黄金の槍に貫かれ、海底で串刺しになったこの身には届かない。
 のたうっても、海底に降り積もった白い塵芥が舞いあがり、視界を閉ざすだけ。
 あまりに海が深きゆえに、音もなく、魚も蟹も近づいてなど来ない。
 時折、海底を彷徨う盲目の大鮫が流れよってくるか、鯨を連れた海巨人どもが封印を見回りにくることもあったが、それすら、稀になった。
 孤独の中、何年が過ぎたかなど分からない。
 自ら死んだように横たわるだけ。
 星辰の合により、体を貫く破魔の槍の魔力が微かに上下するだけが時の流れを知る唯一の方法だ。

 ある時、破魔の槍の力が劇的に強まり、胴体を焼き尽くす。
 激痛のあまり、痛みを忘れて槍をつかんだ。槍の魔力が手を焼き、黒焦げにした。槍の側面についた棘にひっかかり、指がちぎれたが、両手を焼いた痛みに紛れ、気づいた時には目の前の暗い海水の中に、指が浮かんでいた。白い海底の塵芥の中でゆっくりと血潮を引きながら、回る指。

(ああ、こやつだけはこの槍から自由になったのだ)

 うれしかった。

「行け、我が指よ。我に代わり、海底の怒りをつたえよ」

 指はゆっくりと海蛇に姿を変え、遥か彼方の海面を目指して浮上していった。

「帆を回せ!」
 ルーニクの声にはっと意識を戻すと、船はすでに恐ろしいほどの速度で嵐の中を走っていた。いつの間にか、入道雲の真下に突入し、上空では稲妻が走っている。船は激しく揺れている。甲板上を船員たちが走り回り、横に展開した三角帆が風をはらんで船の行方を変えていく。
 立ち上がると、船は巨大な波に向かって斜めに切り上がりつつあった。
「ザンダル、目覚めたか!」
 若い海王は、スゴンの赤き瞳を穂先にした巨大な銛を抱えている。
「奴が来るぞ!」
 巨大な波の下、鯨よりも巨大な細長い何かが蠢く。
 ざっと波を割り、大海蛇が頭をもたげる。地上の毒蛇とは異なり、まるくのっぺりした海蛇特有の頭は、まるで指先のようにも見えるし、両目が正面に配置されているため、人の顔のようにも見える。

「行け、我が指よ。我に代わり、海底の怒りをつたえよ」

 《津波の王ラシーグ》の声がザンダルの耳に響く。この大海蛇ですら、ラシーグの指から生まれた分身に過ぎない。王はどれほど巨大なのか?
 大海蛇は再び、吠えた。
 それはまさにこう聞こえた。
「絶望せよ」と。
 まさに然り。
 海王の誇る大帆船すら木の葉のようにしか見えない巨大な怪物が、尖塔のような津波ととこに立ちはだかっているのだ。
 いかなる者がその行く手を阻めよう。
 海王の都すら一息に呑み込んでしまいそうだ。
 だが、ザンダルの目の前には、一人の若い海王がいた。
 ルーニクは赤銅色に焼けた腕で赤い宝玉を穂先にした銛を構え、大海蛇に向かい、一歩も引かぬ構えだ。
 大海蛇は、ルーニクをしかと見つめ、巨大な顎を開く。
「人の子よ。我に歯向かうか?」
 その声と吐息だけで数名の船員が吹き飛ばされた。舷側から嵐の海に落ちた者は決して助かるまい。
 だが、ルーニクは膝すら折らない。
「さあ、これが答えだ!」
 ルーニクは、赤き瞳の銛を大海蛇の口に向かって投じた。それはまるで空を飛ぶ龍のように大海蛇へ突進する。海王たちの魔力が添えられているのをザンダルは感じた。ウィンネッケの闇の力、ヨーウィーの炎の力、ザラシュの破魔の力に加え、海の聖剣が生み出す風と波の力が死の槍を守り、大海蛇へと導く。
 それは大海蛇の口の奥へと飛び込んだ。

 ぎいい。

 ザンダルの脳裏のどこかで重い金属の扉が開く。
 スゴンが這い出してこようとしている。
 冷たい死の力。
 龍めいた頭蓋骨の奥で光る赤い瞳。

「死は安寧」

 それは、ぼそりとつぶやく。

 ザンダルは見た。
 銛が口の中に刺さった瞬間、赤い光は一瞬輝き、次の瞬間、大海蛇は動きを止めた。
 目から光が消え、そのまま、下に落下する。
 断末魔もなかった。
 いままで大海蛇の頭を支えていた全ての力が失われたように、その巨体は真下に沈んだ。目の前にあった津波さえも力を失い、一気に崩れ去る。
 その余波で、大渦号はぐいっと押しやられる。
 甲板が逆の向きに激しく傾き、ザンダルは濡れた甲板で倒れ、そのまま滑り落ちる。途中でロープの束に当たらなければ、そのまま、舷側を越えていたかもしれない。
 しかし、船の揺れはそれで終わりだった。

 目の前で大津波は消えた。
 風もみるみる内に弱まり、上空を覆っていた雷雲は風に乗って飛び去っていった。
 太陽が現れ、風は完全に止んだ。
 凪が来た。
 つい先ほどまで嵐の中にいたとは思えない風情だ。
 そして、盟友たる海王の船も見える範囲に無事浮かんでいる。

「まだだ、気を許すな!」
 ルーニクが怒鳴る。
 ぞっとする感触で、ザンダルは頭上を見上げた。
 そこには、巨大な銀の球体が浮かんでいた。
 城よりも巨大なそれは四隻の海王船の頭上に、まるで雲のように浮かんでいた。
 船員たちは頭上を見上げて、声もないまま、息を呑んだ。
 そのまま落下してきただけで、『大渦号』はあとかたもなく砕け散るだろう。
 すでに、魔族を倒す武器はもはや存在しない。
 風が無ければ、たとえ、海王とて帆船を動かすこともできない。
 風を司る風虎座の呪文を唱えるしかない。
 だが、ザンダルには分かっていた。
 この場の風を支配しているのは頭上の球体、《宝玉の大公》だ。
 ぞっとする沈黙の後、大音声が響いた。

「果たされたり!」

 同時に、銀の球体から何かが落下してきた。
 それはふわりと甲板に舞い降りた。
 一本の銛。
 穂先には赤い宝玉が輝いていた。
 「スゴンの赤き瞳」だった。

「果たされたり!」

 再び声が響き、銀の球体は消えた。
 何も兆しもなく。
 見上げる空には雲一つなかった。

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『歌の龍王』第二十九話です。
 次は来週以降に。

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2009年9月28日 (月)

歌の龍王【28】海王(承前4)

青の海王

樹木は枯れて、地に帰り草を育てる。
獅子は死んで虫を育てる。
死は決して無駄ではないのだ。

 準備は予想外に素早く進んだ。
 ザンダルが抗弁し切れぬまま、沈黙すると、海王たちはさっさと職人を呼び、魔族の宝玉を巨大な銛の先端に嵌めてしまった。人の子の背丈の倍はあろうかという大物だ。
「まるで、誂えたようだな」
とルーニクが言うと、老アイオロスが答える。
「おそらくは、これもまた運命なのかもしれぬ」
「ああ、《策謀》のうちであろう」と、獣頭のウィンネッケが笑う。山犬のような口元から、黄色い牙がこぼれる。「これほど痛快な気持ちになるのも奴らの仕込みかもしれん」
「だからと言って、《津波の王》にグナイクを沈めさせる訳にはいかん」
と、ザラシュ・ネパードが言う。海の聖剣が戻ったためか、実に生き生きしている。
「然り」とヨーウィーが答える。「さて、この死の銛を振るう役だが……」
「面白そうな話だな」とカーディフが片手を上げる。
「いや、待て」とザラシュが止める。「オメラス大公閣下のご血族に、死の銛を振わせる訳にもいかんよ」
 カーディフは、南東地域の有力貴族の一族だ。海蛇退治にそのような高貴な血筋を費やす訳にはいけない。
「おぬしも同様じゃ、ザラシュ」と老アイオロスが口をはさむ。「お前は、海の聖剣の守護者だ。いざという時、その聖剣を持って後詰をせねばならん」
「爺にさせる訳にもいかぬし」と、ルーニクが笑う。「この若造の出番でよいですかな?」
「任せる」とウィンネッケが同意し、ヨーウィーがうなずいた。
「決まりだ」とルーニクは死の銛をつかんだ。

 翌日には、ザンダルと海王たちはグナイクの港を出ていた。
「グナイクに、《津波の王》が達する前に、海上で戦うのじゃ」
 アイオロスはそう言い、水占いの末、グナイクの沖へと船を進めるように命じた。
 津波は岸辺に近づき、海底が浅くなるほどに高くなる。ヨーウィーの言う脅威が呼び名の通り、津波を操る者なら、浜辺で待ち受けるのは愚の骨頂と言える。外洋を彷徨っている間に迎え撃つのが、海王の有利である。
 グナイクを順次出版した艦隊は四隻、沖合で三角形の布陣を組んだ。先鋒にはヨーウィーの《紅蓮の刃》号、続いて、本命の銛を掲げたルーニクの《大渦号》、後方は右にザラシュの《黄金の太陽》号、左にウィンネッケの《黒骨》号の陣容である。カーディフの《微風》号はグナイクの守りとして、海王の港に残った。
「おぬしは残ってもよかったのだぞ」
と、ルーニクがザンダルに言う。
「その宝玉の行方を見届けるのも、我が使命。
 あのまま、本当に海底へ沈めてよいのか? やはり迷いが残っております」
「青龍座の人間にしては踏ん切りが悪いな」と、ルーニクが笑う。
「人は」とザンダルは唇をかむ。「なかなか龍にはなれませぬ」

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『歌の龍王』第二十八話です。
 次回、嵐の海で海王たちが津波の王の僕たる大海蛇と戦います。
 次は来週以降に。

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2009年9月12日 (土)

歌の龍王【27】海王(承前3)

緑の古鏡

物事はすべて諸刃の剣。
自分に向く時がいつか来るのだ。

「これらを魔族との戦いに用いられるというのか?」
 ザンダルは、ウィンネッケに言う。
「魔族の宝玉ですぞ?」
「だが、そこにまぎれもなく強い魔力がある」
 ウィンネッケは躊躇いのない口調で答える。
「ことに《スゴンの赤き瞳》は、龍を殺すために蓄えられた死の力。
 魔族の眷族を追い払うだけの力があろう」
 それは間違いない。
 だが、それを使用すれば……
「スゴンの封印をさらに解放することになりかねない」
 ザンダルは明言し、闇の海の海王に抗議する。
「おそらく、それが目的であろうな」
と、獣頭の海王は答える。闇の海で人ならぬ異形に変じたこの海王は、海の魔性に関する限り、魔道師に比肩するばかりの知識を持っている。彼は闇の海で何を見たのだろうか?
「貴殿はさきほど、貴殿がこの宝玉を持って旅すること、それ自体が魔族の《策謀》の一環と言われた。龍人の予言とあれば、無碍にもできぬ。
 おそらく、この場で《津波の王》の下僕に対して、それを用いるのも、魔族《策謀の統領》が用意した罠かもしれぬ。
 では、貴殿はどうする?」
「私は、この宝玉をグラム山の魔道師学院へ運び、厳重に封印いたします」
「さて、それは正解かね?」と、ヨーウィーが言う。
 炎の海より警告を持って帰還した海王は、ザンダルをじっと見つめた。
「どうなると思うかね、魔道師殿」
「封印がよろしくないと言われるのですか?」
「いや、結果は多分、問題ない。魔道師ならば誰もがそう結論付けるだろう。
 だが、その過程において、貴殿は魔族《赤き瞳の侯爵スゴン》の復活を触れて回ることになる。この南海、あるいは、中原に封じられた魔族たちに」
 ザンダルには言い返す言葉もなかった。
 港町ラズーリで、さっそく海の邪神ゲグに仕える者たちと出会い、ゲグ、すなわち、《波の騎士スボターン》の覚醒に出会った。
「そして、最終地点はグラム山の魔道師学院だが」とウィンネッケ。「そこで無事、封印できればよいが、逆に言えば、グラム山に《スゴン》が出現するかもしれない」
「貴殿は体のいい飛脚にされておるのかもしれんよ」とヨーウィー。
 ザンダルは、黙って唇を噛み締める。
 分かっていたかもしれない。
 想像していた。最悪の可能性として。
「気を落とすな、若いの」と、アイオロスが言う。「陰謀を仕掛けるという点で魔族にはそう簡単には勝てん。だが、罠があるのが分かれば、まだ戦いようがある。何のために、この場に世界最高の船乗りが6人も顔を揃えていると思っているのじゃ?」
 そう、ザンダルの前には、世界に広がる八つの海を支配する海王の内、6人までが顔をそろえていた。
 風の海のカーディフ、光の海のザラシュ・ネパード、闇の海のウィンネッケ、炎の海のヨーウィー、渦の海のルーニク、そして、果ての海のアイオロス。
「船に乗っていれば、最悪のことなどいくらでも起きる。嵐が来る。風がない。水がない。食べ物がない。目指す島が見つからない。時には、部下が飢えて死ぬのを見つめなくてはならない時もある。果てしない海で彷徨い、三日も風がなければ、屈強の船乗りだって頭のおかしくなる奴すらいる。何もなくても、マストから落ちて死ぬ奴は必ず出る。
 それでも、海に出るのが船乗りだ」
 アイオロスの言葉に他の5名の海王たちが揃ってうなずく。その姿はそれぞれ違うが、目に宿る強い光が共通している。
「魔族が解放を求めて、わしらの街ごと罠にかけたのであれば、よかろう。ただでは解放してやらん。働いてもらうさ。ウィンネッケの言うのはそういうことだ」
「そして、そのまま、そいつには深き海底に沈んでもらえばよい」
 ウィンネッケが笑い、獣の唇から剣歯が覗いた。
「《スゴンの赤き瞳》を海に沈めると?」
 ザンダルにはなかった発想だ。
「このまま、魔族の《策謀》通り、飛脚をするよりもずっとよいではないか?」

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『歌の龍王』第二十七話です。
 JGC回りで少々間があいてしまいました。
 次は来週以降に。

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2009年8月17日 (月)

歌の龍王【26】海王(承前2)

紫の戦車

我は混沌を焼く。
太陽の下、大地は常に堅固なり。

 世に八つの海があるとされている。
 光の海、闇の海、炎の海、氷の海、風の海、渦の海、藻の海、果ての海。
 その中でも、炎の海は南の果て、遥か彼方に広がる熱帯の海だ。グナイクからさらに南の彼方、炎を吹くいくつもの島がそこにはあるという。
 海王ヨーウィーといくつかの船だけが炎の海へ旅し、珍奇な品物を持ちかえるばかりで、そこに行って帰ってきた者は少ない。炎の海への旅は何カ月もかかるという。何もない熱帯の海を何カ月も旅するのは大変な労苦である。炎の加護を受けたヨーウィーの《紅蓮の刃》号でなければ、踏破することも難しいことだろう。
 とはいえ、ヨーウィー自身、数年ぶりのグナイク帰還である。
 数年前、《海の司祭アイカ・ラシーグ》という魔族にまつわる事件で、炎の海のとある島へ探索に出たまま、ずっと帰還していなかったのである。グナイクの海王衆は、遠方の海を支配する海王たちと同様、ヨーウィーが炎の海に腰を落ち着けたのかもしれないと思っていたほどだ。

「グナイクの面前で火柱を上げて帰還とはヨーウィーもどうしたのやら」

 帆船はほぼ木製であるから、火の気は厳禁である。
 炎の加護を持つ《紅蓮の刃》号とはいえ、海王の港の目前、多数の帆船が係留された港の目前で火柱を上げ、出現するとは異常事態に違いない。火柱が一瞬で消え、真紅の海王船が湾の入り口で碇を降ろすまで、ずいぶんな混乱が波止場で起こった。

「警告を持ち帰った」
 王城に現れたヨーウィーはそう言った。
 ヨーウィーの姿は、船乗りには見えなかった。頭からすっぽりと白いローブを被り、腰には何やら禍々しい戦鎚をぶら下げている。しわの刻まれた顔は、陽に焼けた老船乗りらしいものであったが、目が血走り、うつろであった。
「南海にて、《津波の王》が目覚めようとしている」
 ヨーウィーは続ける。
「《海の司祭アイカ・ラシーグ》は、邪悪の先ぶれだった。
 南海の水底に封じられた魔族復活の危機を伝える予兆だったのだ。
 《津波の王》に仕える大海蛇がこのグナイクに向かっておる。
壮絶な津波とともに」

「《海の騎士》に続いて、《津波の王》も覚醒したとなれば、今後、南海は戦場となろう」
 答えたのは、光の海王ザラシュ・ネパードである。聖剣ラツ・ヴァイネルダフを取り戻した騎士たる海王は、海を統べる将としての気迫を取り戻したようだ。
「まずは、《津波の王》の手先たる大海蛇を何とかせねばいかんな」
「よき武器がそこにあるではないか?」
 ウィンネッケが指差したのは、ザンダルが円卓に置いた二つの宝玉であった。禍々しい《スゴンの赤き瞳》と、奇怪な多面体《イルイア・ゲグ》。

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『歌の龍王』第二十六話です。
 海王の都グナイクで魔族の危機が広がります。
 次は来週以降に。

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2009年8月13日 (木)

歌の龍王【25】海王(承前1)


黄の青龍

裏切り者よ。紛い物よ。
汝は悪しきもの。
我は復讐を忘れず。

 グナイク。
 それは海王の都。海を支配する者たちの王城。
 大海原を行く海王船の巨大な甲板から遥か彼方に見えたのは、沖合の小島に守られた巨大な湾岸都市であった。灯台のある小島の上には、巨大な弩弓砲と投石機が設置され、敵艦隊や妖魔の類から街を守っている。三本のマストに十枚近い帆を張った大型帆船である海王船は、すべるように小島を迂回し、グナイクの港を形成する湾へと進んでいく。
 湾の中には、多数の帆船が停泊していた。
 多くが三本マストの外洋帆船で周囲には輸送用の大型手漕ぎボートが波止場との間を行き来している。
 中でも、巨大な船が三隻あった。
 ザンダルが乗る海王ルーニクの「大渦号」も巨大であったが、それらはさらに巨大な船である。ルーニクは、ザンダルにそれぞれを指差し、説明する。
まず、指差した一隻は青い旗に、オメラス大公領の紋章を掲げている。
「風の海の海王カーディフの《微風》号だ。
 カーディフ殿はオメラス大公の甥子に当たられる」
 さらに壮麗な黄金の飾りに輝く船には、太陽の紋章がある。
「あれが、東方、光の海を支配する海王ザラシュ・ネパード殿の《黄金の太陽》号だ」
 そして、もっとも不気味な漆黒のマストを掲げた船からはまがまがしい気配が漂う。
「《黒骨》号だ。闇の海の海王ウィンネッケ殿まで来ておられる!」

(死は安寧)

 ザンダルの脳裏に不可解な幻視がよぎる。
 闇の海からやってきた船はあまりにもまがまがしい。

「ザンダル殿、あなたは幸運だ。
 一度に四隻もの海王船を見られることは、滅多にない。
 いや、それだけ今回の件は非常事態ということかもしれないな」

「帆をたため!」
 海王ルーニクの指揮のもと、船員たちはマストを登り、あるいはロープを引き、帆をたたむ作業に勤しむ。荒くれ者ばかりの船員たちが一糸乱れず、指揮に従う。
「碇、用意!」
 巨大な鉄の碇が海面に投じられる。
 ざっぱーーん。
 深い湾の入り口で海王船は止まり、船員たちは荷物をボートに運び、上陸の準備に入る。
 ルーニクは、傍らで入港を見守っていたザンダルを振り返って言った。
「さて、魔道師どの。我ら海王の都グナイクへようこそ」

 ボートで上陸した波止場は、活気に満ちていた。多数の商船から荷揚げされる多くの富がひっきりなしに波止場に届く。それをまた街の市場や倉庫へと運ぶ馬車が波止場を行き来する。
 ザンダルはルーニクとともに上陸し、そのまま王城へ向かう馬車に飛び乗った。

 グナイクの王城の広間は、街を見下ろすテラスの続きにあった。
 ザンダルとルーニクが到着した時、そこにはすでに二人の先客が会議用の円卓に座っていた。一人は壮年の貴族で、オメラス大公家の紋章を身につけていることから、風の海の海王カーディフと知れた。もう一人は質素な船乗りの服を着た老人で顔は白い無精ひげで覆われていた。
「おお、ルーニク、我が息子よ!」
 老人の方がさっそく声をかけてきた。
「グナイクの長老、アイオロス殿!
 ああ、彼こそが果ての海の海王……ということになっている」
 ルーニクはふざけた調子で合図して言う。
「こやつ、まだ信じておらぬな?
 わしこそが唯一、果ての海に達した男。
 だから、わしには果ての海の海王を名乗る資格がある」
 そう言って、二人を円卓に導く。
「好きなように座れ。どうせ、全員はおらぬ。
 ああ、こちらが風の海のカーディフ」
 高貴な出自の海王は華麗なしぐさでお辞儀をして見せる。
「彼が《海の騎士》の覚醒を見届けた魔道師ですな?」
 ザンダルはうなずき返す。
 懐から二つの宝玉を治めた箱を取り出す。
「まあ、ちょっと待て」とアイオロス老人が手を止めて奥を振り返る。「珍しい奴らが来ておるからな」
 手を叩くと、奥の間の扉が開き、壮麗な鎧をまとった壮年の騎士が出てきた。その手には、青い鞘に収まった巨大な剣が握られている。
(魔剣?)
 ザンダルの目にはそれが青く輝いているように見えた。
「海の聖剣ラツ・ヴァイネルダフではありませんか!」
 ルーニクが驚きの声を上げる。
「それは確か失われ、ザラシュ殿も探索を諦められたと」
「不可思議な縁により、北原より持ち帰られた」と、光の海王ザラシュ・ネパードは微笑み返した。「かのラルハース動乱の折、かの城の地下、大海魔の巣にて発見されたのだ」
 その話はザンダルも聞いたことがあった。
 北原の中心にある大国ラルハースの継承者を巡る戦乱、いわゆる「ラルハース継承戦争」で、何人かの勇者たちがラルハースの地下にある巨大な水没した洞窟へと入り込んだ。そこで大海魔ダーラの巣を発見した一行の中に、ザラシュが探索に派遣したプラージュの司祭がいた。彼は巣の中央に突き立った大剣こそ失われた海王の聖剣ラツ・ヴァイネルダフと識別、命からがら、これを持ち帰った。事情を知ったラルハースの新侯爵ジェイガンは、グナイクへその聖剣を持ちかえることを許した。
 かくして、引退を考えていた海王ザラシュは、その力を取り戻したのである。
「ある意味、時代が望んだのだ」
 その言葉を発したのはザラシュの背後から現れたローブ姿の人物である。ザンダルはその身がまとう禍々しい闇の気配に身をよじらせた。
 海王はローブの頭部をはいだ。
「魔道師はさすがに敏感だな。
 我こそ闇の海の海王ウィンネッケ」
 そういう声を発した頭は獣の物となっていた。
 闇の海の魔性に浸食されたのだという。その胴体も異形に変じ、人ならぬものになってしまっているらしい。
 ウィンネッケは続ける。
「龍に仕える魔道師よ。お前がもたらした知らせと宝玉は、この海に波乱をもたらす。
 海の聖剣は復活した海の魔族と戦うため、海王の元に帰還したと言えよう」
 ザンダルはうなずく。
 ウィンネッケは、さらに窓の外に向け、手を振った。
「そして6人目の海王が帰還する」

 グナイクの湾の中央に炎の柱が立った。
 そして、紅蓮の炎が吹き消えると、そこには真紅の海王船が姿を現す。

「あれは、《紅蓮の刃》号。
 炎の海の海王ヨーウィー殿が探索から帰還されたのだな」

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『歌の龍王』第二十五話です。
 ザンダルは、海王の都グナイクで海王と出会いました。
 次は来週以降に。

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2009年8月 8日 (土)

歌の龍王【24】海王

赤の風虎

甘やかな言葉を弄する前に
行動あるべし。

 奇妙な多面体であった。
 青い海のような宝玉をわざわざ歪な多面体に細工したように見える。
 イルイア・ゲグと言う。
 《波の騎士》あるいは《海の騎士》と呼ばれたる魔族スボターンの宝玉という。

「邪悪な宝玉だ」
と、ルーニクが触れずに言う。
「このイルイア・ゲグが流れついた村は間もなく滅ぶという」
 若き海王はそのおぞましい魔力を警戒するようににらんでいる。

「おそらくは」とザンダルが答える。
「我が身はすでに《策謀》の中。それもまた魔族が陰謀のため、我に与えたもの」
「そのようなおぞましき存在。捨ててしまえ!」
と、ルーニクが吐き捨てるように言う。
「そして、どこぞの浜辺に流れ着く」
「では、どうすればよいのだ?」
「私が魔道師学院に運び、封じましょう」

 それが定めなのだろう。
 そして、そうすることこそが魔族の望み。

「預けてもよいのだな?」
と、ルーニクは念を押す。
「私はこのために青龍の加護を得ているのでしょう」
 ザンダルは答えて、魔法の加護を得る《龍王の加護》の呪文を唱える。宝玉に触れる前に、これを唱えて置かねば、いかなる狂気を吹き込まれるか分かったものではない。
 だが、事態はザンダルの予想以上に激しかった。
 目の前に悪しき宝玉が二つも並んでいるせいか、呪文とともに、魔力が奔馬のようにたけり狂う。ザンダルが巡らせた精神集中はたやすく突き破られ、意識が飛びそうになる。耐えようと噛み締めた歯が砕けた。

 ザンダルはめまいを感じながら、呪文を唱え終わり、息を整えてから、イルイア・ゲグをつかんだ。
 次の瞬間、青い波に呑み込まれ、頭上で声が響いた。
(我は忘れぬ)
 赤き瞳を通して、魔族《赤き瞳の侯爵スゴン》が叫びを上げる。
 火龍を滅ぼすために生まれた死の怪物。
(我は諦めぬ)
 イルイア・ゲグの回りに渦巻く青き魔力が多面体に輝き、《海の騎士スボターン》の決意を宣言する。
(我は追い詰める)
 それらに答えるように、頭上で雷鳴が轟いた。それはおそらく、《宝玉の大公バーグロー》の答え。
 魔族の時代が来るのだ。

 そのまま、ザンダルは過去の夢に落ちていく。

 何か後悔していた。
 誰かを助けられなかった。
 勇気がなかった。
 決断が出来なかった。
 力がなかった。
 弱い自分が嫌いだった。
 だから……

「力が欲しいか?」

 イルイア・ゲグの声が脳裏に響く。
《龍王の加護》がなければ、あっさり飲まれていただろう。承諾し、邪悪な宝玉の奴隷になっていたはずだ。

「大丈夫か?」
 ルーニクの声はさすがに心配そうだ。
「私は、すでに龍の狂気に身を焼く者。
 魔族ごときに負けはしません」
と、ザンダルは微笑み返した。
「ならばよい」とルーニクが立ち上がる。
「明日には、グナイクに着く。
 そこで海王連にも説明していただくとしよう」

 グナイク。
 それは海王の都。海を支配する者たちの王城。

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『歌の龍王』第二十四話です。
 ザンダルは、海王ルーニクの船に救われ、海王の都グナイクへと向かいます。
 次は来週以降に。

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2009年7月30日 (木)

歌の龍王【23】ゲグの玉座(承前2)


黒の海王

人生は海なり。
他の人々もまた同じ海原にいる。
それを忘れるな。

 アナベルとザンダルは、海を沈んでいく。
「ご安心を」
 アナベルは、水中でささやく。

(これは夢なのか?)

 海面に近い泡立つあたりを抜けると、海上の嵐とは裏腹に、海の中は静かで、動きがなかった。
 海に落ちた衝撃も動揺もなかった。
「すべては、ゲグ様の御心のままに。
 あなた様もわたくしも、あの船乗りたちもすべて、天上の御方からゲグ様への御使いにございます」
 アナベルが話すたびに、その唇から気泡が漏れていく。
 青く薄暗いはずの海中には、船乗りたちを包む七色の燐光で柔らかく照らされている。《宝玉の大公》が稲妻とともに船へと降ろした生ける光、飢えた異形の霊体だ。
「あれは、供物の光」
 アナベルが海中を指差すと、そこを巨大なエイのような何かが泳いでいく。淡く光ったまま、水中に浮かぶ船乗りたちの体は、次々とその巨大な口に吸いこまれていく。
 音はない。
 ただ、静かに燐光が消えていく。

(私も生贄にされるのか?)

 半ば麻痺したザンダルの心の中に、恐怖が頭をもたげる。
「いいえ、大丈夫」
と、アナベルはザンダルに寄りそう。
「あなた様とわたくしは、見届け人。
 《海の騎士》の帰還を祝うのです」
 
(つまり、これもまた《策謀》の内なのか?)

 ザンダルの想いに答えるように、その懐で、スゴンの赤き瞳が輝きを放つ。

「時は来たれり!」
 海の上から銀の光が鋭く海中に射し込み、赤き瞳の放つ赤い光とともに、ゲグの巨体を照らす。
「目覚めよ、我が盟友。
 海の騎士たる者、スボターン!」
 ゲグの巨体は激しくのたうち、海上で向かって突進した。答えるように、波の谷間がぐわっと口を開き、巨体をさらって空中へ放り出す。
 同時に、アナベルとザンダルも、波につかまれ、海上へと引き上げられる。まるで波から風に抱き渡されたかのように、そのまま、嵐の空中へと舞い上がる。
 眼の前は、銀の光に満ちていた。
 《宝玉の大公》が放つ銀の光が、エイのようなゲグの巨体を受け止め、空中に浮かべていた。
「今こそ、赤き瞳を!」
 アナベルがザンダルに言う。
「それこそが封印を断ち切る破封の宝玉」
 ザンダルは、一瞬、ためらったが、もはや腕は勝手に動いていた。
 懐から赤き瞳を取り出し、頭上に掲げる。
 赤い光が大きく放たれ、ゲグを包む。

「目覚めよ!」

 《宝玉の大公》の宣言とともに、エイのような三角の平たい巨体は、青い輝きを放ちながら、光の粒に変わり、その後、青い鎧を着た騎士へと変じた。

「我は目覚めたり」
 青い騎士は叫んだ。
「我は平穏の封印より解放された。
 我は意を決し、戦いに出る」

 その心は突風のように吹き荒れ、ザンダルは意識を失った。
 火龍の狂気にも似ていた。

 目覚めると、見たこともない船員たちがザンダルの顔を覗き込んでいた。
「分かるか? 大丈夫か?」
 船員の背後には、船室の天井が見えた。ゆったりとした揺れ、木材のきしむ音から、今も海上にいると分かった。
「ああ、ここは?」
 ザンダルはやっとのことで、質問をひねり出す。
「海王船だ」
 回答は別の場所から発せられた。
首をひねると、部屋の奥、執務机のわきに若くしなやかな肉体をした青年が座ったまま、ザンダルを見ていた。
「渦の海の海王ルーニク様だ」
と、船員が説明する。
 海王とは、八つの海を支配する船乗りの長たる存在だ。
 南方デンジャハ王国の都グナイクを本拠地とすると聞く。
 渦の海は、確か南方を指すはず。
「学院の魔道師に問う」
と、ルーニクは前置きなしで言った。
「お前の持っていた、この二つの宝玉は一体、何だ?」
 青年の前、執務机の上には、スゴンの赤き瞳と並んで、青く歪な多面体の宝玉が置かれていた。そこから放たれた海王の魔力を感じて、ザンダルはぞっとした。これはゲグ……いや、解放された魔族《海の騎士スボターン》に属する物だ。

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『歌の龍王』第二十三話です。
 ザンダルは、海王ルーニクの船に救われ、海王の都グナイクへと向かいます。
 次は来週以降に。

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2009年7月25日 (土)

歌の龍王【22】ゲグの玉座(承前)

 赤の海王

嵐に荒れた海も時が過ぎれば
すべてを呑み込み、静かになる。

 船に乗っていた。
 港町ラズーリの領主の娘、アナベルに導かれるまま、領主の所有する交易用の大型帆船に乗り込み、船出したのだ。
「船旅日和ですわ」
 心地よい潮風が船の帆を押す。
 晴れ渡った空には、入道雲一つない。
 それでも、ザンダルは奇妙な胸騒ぎに襲われていた。

 これは見かけにすぎない。

 ザンダルの敏感な感覚は、心地よい海のどこかにアナベルが信奉する深海の邪神ゲグがいて、ザンダルに触れようとしているのに気づいていた。
 《策謀》
 ラヴィオスの長老はそう言っていた。
 ザンダルがスゴンの赤き瞳を持って旅すること、そのものが何らかの《策謀》の一部であるというのだ。確かにそうかもしれない。ラズーリの街に着く直前、ザンダルを訪れた幻視は、海底に封じられた何かの夢だった。おそらくは、海に封じられた魔族。
 ラズーリの館では、手掛かりは得られなかった。
 ゲグなる海の邪神を信仰しようとも、所詮は、魔法使いではない。魔道師学院のような知識の書を蓄えている訳ではない。
 やむを得ぬことだ。
「《策謀》というならば、無碍には殺されまい」
 ザンダルは思っていた。
 我を手駒に使う気ならば、一息で終わるものかと。

 心地よい船旅は午後になって一変した。
 日が傾くにつれ、地平線にもくもくと入道雲が湧き上がり、風のように迫ってきた。船はずいぶんと沖に出ており、もはや、港に戻ることもできそうになかった。心地よい潮風は冷たい雫混じりの突風と化し、海面は泡立つほどの波が立ち、船は激しく揺れた。
「ゲグ様のご加護がある。
 帆を降ろし、嵐に備えよ!」
 アナベルは落ち着いて、船長に指示した。船長もまた、豪気にうなずき、船員たちに帆を降ろすように命じた。それでも帆柱はぎしぎしときしみ、ザンダルは手近な索具に捕まらずにはおられなかった。アナベルは、邪神の加護があるのか、甲板にしかと立ったまま、揺らぎもしない。ドレスが波の雫に濡れ、体にべっとりと張り付いたが、それは豊かな胸のふくらみをあらわにするばかりで、彼女を苦しめている様子はかけらもない。濡れた唇には会心の笑みが浮かんでいる。
「ごらんなさい」
と、アナベルが空を覆う暗雲の一角を指差す。ザンダルが目を向けると、そこに銀の光が見える。ザンダルはぞくりとした。風虎の魔力が荒れ狂い、雷鳴とともにザンダルの耳を撃つ。懐で赤き瞳がどくんと鼓動で答える。

「戦いの時は来た。目覚めよ、我が盟友」

 声が響き渡る。
 嵐がさらに強まり、風が吠える。海面はもはや荒れ狂う波で渦巻いている。
 暗雲からいくつもの稲妻が飛ぶ。
 帆柱の上にも次々と落雷し、甲板の上をいくつもの球電が跳ねた。
 ゲグの加護を信じる船乗りたちも悲鳴を上げ、船室に飛び込んだり、舷側にしがみついたりしている。

「目覚めよ!」

 世界を轟かせる声とともに、雷雲の中から巨大な銀の球体が現れる。城のごとく巨大な銀の宝玉……
 ザンダルは、やっと思い出した。
 これは、《宝玉の大公》。
 風虎座の魔族の重鎮にして、すべての姿を奪われた者。
 地上に近づくことを禁じられ、遥か西方の天空をさすらい、唯一、彼に許された玉座の地を求めているという伝説の存在。
 それがなぜ南海の海に嵐をもたらしているのか?
 ザンダルの問いは、立て続けに放たれた稲妻で答えられた。
 稲妻に乗って、奇妙な七色の光が帆船の甲板に降り立った。それは形のない蜃気楼のような何か。

(飢え?)

 ザンダルの脳裏に激しい渇望が浮かぶ。
 あれは飢えている。
 まさか……
 ザンダルが声を上げる前に、七色の光は船員たちに襲いかかった。まるで輝く煙のように船員の上に漂うと、船員の瞳から緊張と警戒が消え、次にその手から力が抜けた。
 そこで、再び、巨大な波が船を襲った。
 七色の光に襲われた船員たちが波にさらわれて消えた。

(お前たちは使者)

 ザンダルの脳裏に、海底へ沈んでいく船員たちの姿が見えた。
 淡く七色の燐光に包まれながら、海の底へ沈んでいく。
 嵐に泡立つ海面とは裏腹に静かな海の中。
 そして、海底から「それ」はやってくる。
 船よりも巨大で平板な肉体は、エイに近い。

(さあ、目覚めよ、盟友)

 七色の光は船員たちの水死体とともに、巨大な海の邪神に向かって歌う。

(戦いの時は来たのです!)

 そして、ザンダルはアナベルの声を聞いた。
「覚醒の時は来ました。
 さあ、ザンダル殿、ゲグ様との謁見の時です」
 海神の巫女は、ザンダルに口づけした。
 そして、再び、巨大な波が船を襲う。
 竜骨が砕ける音とともに、ザンダルは海に投げ出された。
 一瞬、背後の海面に巨大な三角の影が見えた。

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『歌の龍王』第二十二話です。
 海に出たザンダルは、波に呑み込まれ……
 次は来週以降に。

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2009年7月15日 (水)

歌の龍王【21】ゲグの玉座

風の風虎

風の匂いがする。
季節が変わっていく。
狩猟に備えるとしよう。

 ライン・ラズーリの館は、海に突き出した高台の上に立っていた。ベランダに立つと、潮風が吹き寄せる。見下ろせば、港と高台の間には真っ白な砂浜が広がり、そこでは近海で漁をする小舟が集っていた。
「少し出たあたりにサンゴ礁がありまして、よい漁場になっております」
 街の領主ライン・ラズーリはゆったりとした白の絹に身を包んだ小太りの男だった。南方沿海地域を席巻するテルテヌ系のため、黒髪黒眼で肌も浅黒く、豊かな髭を蓄えている。豊かな街の領主らしく、指輪や首飾りに金や宝石がたっぷりと使われていた。
「アナベルからお聞きの通り、我らはゲグの教えを信じております。
 いえ、プラージュの狩猟神にも敬意を払っておりますが、北の国々ほど、かの神々がこの海辺で力を持たぬのもまた真実。この海の深きあたりに住まうゲグの海神に貢物を捧げるのもまたやむなきこととお受け取りください」
 後半は、魔道師学院という勢力に対する言い訳であろう。
 ザンダルは状況を踏まえ、深くは踏み込まないことにした。重要なのは、「赤き瞳」を無事、学院に運ぶこと。そのため、この街の領主とうまく付き合い、デンジャハ王国への船旅を手配することだ。
 また、ゲグという海神に関する情報が必要だった。ただの地域信仰には思えない。あの白銀の大公ともども、情報を収集し、対策を練らねばならない。
「よろしければ、ゲグなる神について、もう少しご教授願えましょうか?
 あるいは、文書などあれば、拝見させていただきたいところです」
「ゲグ神の正しき名前は封じられております」と、ライン・ラズーリは、答える。魔道師が下手に出たのがうれしいのか口舌はなめらかだ。「おそらくは、古き戦いで海に封じられた際に、禁じられた名前なのでしょう。ゲグ神の啓示では、かの神が真の名を取り戻したる時、世界で最後の戦いが始まるとされております」
「世界で最後の戦いとは剣呑な」
「いえ、ゲグ神は、魔神に奪われた王者の指輪を取り戻すのです。それにより、真の支配者を得て、世界から戦いが無くなるのです」
 それは、おそらく、後継者の指輪にまつわる物語が歪んだものに他ならない。大いなる時代の終わり、そこで時代の支配種族は「後継者の指輪」を失い、新たな支配種族が選ばれる。
 それは予言だ。

「いつか、妖精騎士の時代、妖精代が終わる」
 ザンダルは、学院の歴史講義を思い出す。
 妖精代に分類される現在の「時代」は、「後継者の指輪」が虚空に消えたことにより「末期」に入った。時の支配種族たる妖精騎士はすでに滅びの時を迎えつつある。「後継者の指輪」を発見し、世界を支配したものが次なる時代を作るのだ。
「十二と一つの星座の時代が経巡るという理論に従うならば、通火の世が終わった後に来るのは、変化と幻影の支配する野槌の世、獣の王の時代である」
 講義をしていた老魔道師は傍らの魔道書を開く。
 予言の書である。
「妖精代9528年、白の風虎の年。
 獣の王、西に至り、冬を解き放つ」
 大音声に読み上げたのは、ここ数十年、議論の対象となってきた予言の一節である。その成立の年はもうすぐ近づいている。

 ゲグ神もまた、「後継者の指輪」探索の戦いに参戦する者であろうか?

「魔道師であるあなたさまであれば、ご存じでありましょう」
 ライン・ラズーリの言葉がザンダルを現実に引き戻す。
「緑の翼人の年、炎の王、月下に吠え、友去りなん」
 それは、今年の予言だ。
 何が起こるのか、は誰も推測できていない。
 東方から火の神王に導かれた火神教団の軍団が北方、ハジの荒野に侵入しつつあり、それこそが予言の指す事柄ではないか? とも言われている。
 しかし、ここラズーリは遥か南の果て、南海に面した港街だ。
 北の予言がそのまま関係するとも思えない。
「我らは、これをこう解釈いたします。
 白き光をもたらす白炎の王、月下に吠える。
 さすれば、友なる神、この地を去り、神々の戦場に向かわん」
 ライン・ラズーリの言葉はザンダルを揺るがした。
 白き炎の王?
 もしかして、地平線の彼方に輝いた白銀の大公のことか?
 かの者が、あの大きさの身体を持つ魔族であるならば、深海に封じられたる海神ゲグを目覚めさせ、真の名を取り戻させる力もあるやもしれない。
 そして、ゲグは魔族としての力を取り戻し、北の戦場に帰還する。
 しかし、どうやって?

 どくん。

 ザンダルは懐に納めた「赤き瞳」の鼓動を感じた。

《策謀》

 龍人ラヴィオスの老巫女が言い残した言葉が脳裏をよぎる。
「なるほど」
 ザンダルは遥か水平線を見つめる。
「では、あなたがたが私に望むのはいかなる行動でございますか?」
「私とともに」
と、背後から声がかかる。ラインの娘、アナベル・ラズーリだ。
「海へ出ていただきます」

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『歌の龍王』第二十一話です。
 ラズーリの港に住む異端結社「ゲグ」の者たちが暗躍します。
 次は来週以降に。

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2009年7月 8日 (水)

歌の龍王【20】港町ラズーリの闇

赤の八弦琴

我は見つめる者。
汝の生きざま、とくと見届けよう。

 港町ラズーリの波止場は波の音に満ちていた。
 ゲグに仕える者と名乗った娘は、海のように青いローブの中からザンダルに手を差し伸べる。その肌の色はずいぶんと日に焼けて黒いが、それは健康的で魅惑的だった。
「あなた様こそが御使い」
 娘は繰り返す。
「海の神王を目覚めさせる者」
 おそらくは、海に封じられた魔族「波の騎士」を信奉する異端者であろう。何かの予言が彼女を導いている。それとも、ザンダルが懐に抱いた「赤き瞳」に呼び寄せられたのか?
「夢が……この街を覆いました」
 娘はザンダルの手に触れる。
 またも脳裏に海中を彷徨う者の夢が広がる。
 そして、輝く海面には、白銀の巨大な球体が浮かんでいる。

 ザンダルの記憶のどこかでちりちりとした警戒が立ち上がる。
あれは危険なものだ。
 おそらく、ザンダル自身が抱くスゴンの赤き瞳よりもっとずっと…

「あれは何だ?」
 ザンダルは女の手を振りほどきながら、問いかける。
「目覚めを呼ぶ者。真実の姿を失い、復活の時を求めて彷徨う者」
 そうして、娘は水平線を指差す。青い、青い海と、青い、青い空の狭間に、白い入道雲が葬列のように並ぶ水平線に、なにやら、きらりと光る物がある。白銀の何かが雲の狭間をさまよい、ゆっくりと移動していく。

 大きい。

 あれは何だ?
 思わず、幻視の糸を伸ばし……ザンダルはぞっとするような気配に身を潜めた。
 とてつもない魔力。
 風の遠吠えがザンダルの耳に響いた。
 風虎か。
 モーファットで火龍を観察していたザンダルですら、その魔力の大きさにぞっとする。
 公爵、もしくは大公の名を持つ者に違いない。
 風虎座の魔族など縁がないと思っていたため、あれが何かは判別できないが、危険な存在であることには間違いない。

「あれこそ目覚めをもたらす第一の使者。
 天空を舞う白銀の大公」
 ゲグに仕える娘が言う。
「さあ、参りましょう。
 我らが神がお待ちしております」

「そういう訳にはいかない。
 魔道師学院の名にかけ、魔族の信徒と通じる訳にはいかぬのだ」
 ザンダルは、ずっと持ってきた手槍を構え、娘に向ける。
 相手が異端者ならば、この街の警吏たちに突き出し、協力を得るのが得策。うまくすれば、街にいる魔道師かまじない師の力も借りられよう。
 そう決めて、ザンダルは娘に声をかける。
「この街にも、領主がおろう。
 そこで詮議をいたそう」
「ええ、構いませんわ」
と娘は微笑み返す。
「ご挨拶がまだでしたね。
 私、このラズーリを治めるライン・ラズーリの娘、アナベルでございます」

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『歌の龍王』第二十話です。
 ラズーリの港に住む異端結社「ゲグ」の者たちが暗躍します。
 次は来週以降に。

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2009年6月26日 (金)

歌の龍王【19】波の騎士


白の風虎

我は忘れぬ。
我は諦めぬ。
我は追い詰める。

 それは果てしなき海の彼方から聞こえてきた。
 青龍の魔道師ザンダルは、波の声に呑まれていく。

 夢を見た。
 いや、ずっとずっと長い夢を見てきた。
 あれからずっとこの青い青い海の中で夢見てきた。
 あれから?
 思い出せない。
 たぶん、重要ではないはずだ。

 そう、夢を見ていた。

 波の音に揺られ、海を漂ってきた。
 時折、小さな人の子どもが操る船が上方を通過していったが、気にもならなかった。
 海は静かで、優しく、嵐であっても、深き底に沈めば気にもならない。

 そう、ずっとずっと夢を見ていた。

 だが、銀の光がやってきた。

「波の騎士もすでに老いたか?」

 そう、私は波の騎士。
 青く猛き魔族の騎士……

「目覚めに備えよ」

 銀の光は海の上からささやきかける。
 ああ、もうすぐ……

「旦那、旦那、もうすぐ港ですぜ」
 船乗りの声がザンダルを目覚めさせた。

 あれは、一体、何だ?
 波の騎士?
 もしかして、海に封じられた魔族の夢か?
 銀の光は何だろう。

 ザンダルは、どこか惚けたような気分で、頭を振る。
 ここで沿岸航路の船に乗り換える予定だ。
 時間があれば、調べ物をしたいところだが、書物は皆、モーファットに預けてきてしまった。
「もう着きましたぜ、旦那」
 船乗りの声に促されて立ち上がる。
 槍と鞄を持ちあげて、渡り板で波止場に降りると、潮風がむっと体を包む。ざわめく波音がずっと響いている。

「あなた様こそが御使い」
 波止場に立った娘が声をかけてきた。
 青く薄いローブは、まるで海の色だ。
「ようこそ、始まりの港ラズーリへ。
 我がゲグに仕えし者は、あなた様を歓迎いたします」

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『歌の龍王』第十九話です。
 ザンダルは、海に辿りつき、南海の魔物が目覚めます。
 次は来週以降に。

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2009年6月17日 (水)

歌の龍王【18】海へ

黄の原蛇

希望? 夢?
それは一体、何を意味するというのだ?

 目覚めると、再び河船の甲板にいた。
 ラヴィオスの龍人たちとの会見から、追い払われるように戻ってきた。ミソロンギの王城を見ると言う貴重な時間を長引かせることは許されなかった。おそらく、学院の師匠に後で詰問されることになるだろう。師匠の妖精騎士へのこだわりがなければ、ザンダルは、あれが何かさえ、きちんと把握することはなかっただろう。

 しかし……

 ザンダルは懐にしまった「赤い瞳」に触れる。
 これ自体が魔族の《策謀》とは?

 つまり、私は何をさせられているのか?

 分からない。
 だが、興味深い。

 魔道師学院に属する魔道師が三千人と言われる。
 その中の何人が、実際に魔族と出会ったり、その策謀に触れたりできるものか?
 特に、青龍座は、火龍を見つめるのが役目。
 もとより、魔族などとは縁がない。
 だが、それが定めならよい。
 《策謀》というなら、食い破ってやろう。
 火龍に比べれば、お前たちなど。

 ダニシェリアの山を越えると、モーファット河は一気に川幅を広げ、まるで湖水のように流れが緩やかになっていく。やがて、ある朝、風に潮の匂いが混じるようになる。
「海が近くなりましたからなあ」
と、船長が言う。
 海は初めてだった。
「ああ、モーファットの湖など比較にもなりませんよ」
 ザンダルは、やがて、それを実感する。
 河口に近づくにつれ、微かに響く波音が少しずつ少しずつ大きくなっていく。最初は波の音とさえ分からなかった。
 知識として、海については学んでいた。
 だが、轟々たる波音が四方から身を包むように響き続けるのは別の体験だ。
 耳ではない。体の全体に響いてくる。

 ああ、これは海か?

 そして、ザンダルの耳に別の声が響く。

「戦いの角笛が響く。
 戦いの狼煙が上がる」

 それは果てしなく広がる海から響いてきた。

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『歌の龍王』第十八話です。
 ザンダルは、海に辿りつき、南海の魔物が目覚めます。
 次は来週以降に。

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2009年6月11日 (木)

歌の龍王【17】カラールの玉座

白の牧人

子供たちが砂で遊ぶ。
戯れに描いた絵に真実が描き出される。

 レ・ドーラの岸辺からカラールの山へ一刻ほど飛んだ。
 【龍翼】の魔法は、長期飛行には向かない。一応、空を飛べるというだけだ。
 空を飛ぶという行為は不思議なものだ。
 鳥や虫の場合、身体構造の軽さと翼の構造があって成立する移動手法であるが、火龍や人の子は、本来、自力で飛ぶには頑丈すぎる、すなわち、重すぎる身体を保有している。ゆえに、龍の翼を生やす魔法は、翼と言う魔法の要石を経由して、飛行の力を得ることに他ならない。
龍の民ラヴィオスは、それを常用できる魔力を血脈として受けついだ。それゆえ、ラヴィオスは羽と尾を持つ。その服は上着が貫頭衣のように見えて、背中の羽の邪魔にならぬように、背中が大きく開き、そのまま、ゆったりとしたスカート状に下へ垂れているが、腰のあたりには、前垂れがある。

(文化というものは複合的な事績の総合的な発露である)
 以前、学院で学んだ各地の風俗に関する講義を思い出しながら、ラヴィオスたちの飛行する姿を見ていると、あっと言う間に飛行の時は過ぎてしまった。

 ラヴィオスたちは、山腹に村を築いていた。塔のような、橋のような奇怪な出っ張りが崖から突き出しているのは、おそらく飛行を助けるためだろう。
「さらに飛ぶぞ」
 龍人の姫が、さらに高いあたりを指差す。
 そこには、妖精騎士たちが好んで築く、高く優美な塔を持った古城が立っていた。高い山の中腹に築かれた古代の城だ。おそらくは、あれが指輪の大公こと妖精王ミソロンギが住んだカラールの城砦であろう。

 一瞬、声が聞こえた。

 希望? 夢?
 それは一体、何を意味するというのだ?

(幻視か?)と、ザンダルは頭を振る。ここはかつて、妖精王が魔族と戦った場所。いかなる夢が封じられていようともおかしくはない。
 あの言葉を発したのは、魔族か、妖精騎士か?
 いずれにせよ、それは絶望のどん底にあったのだろう。

(理解できるということは悲しいことだ)

 誰がそう言ったかは覚えていない。魔道師学院で修行していた頃の記憶。そして、それはおそらくこう続くのだ。

(幻視に飲み込まれてはいけない。
 戻り、語ることこそが魔道師の定め)

 そうだ。辿りつけ。

 やがて、龍人とザンダルはカラールの城のテラスに舞い降りた。
 城の上層にあるテラスは、大きく開き切った大扉を経て、内部の大広間に続いていた。おそらくは、妖精騎士が空を飛んで参集するのに適した構造なのだろう。
 大広間の中には、複数の龍人が待ち受けていた。輿の上に座り込んでいるのは龍人の姫が口にした「婆様」であろうか。比較的年齢の分かりにくい龍人たちの中でも老齢による顔のしわが顕著である。
 ザンダルは、龍人の姫に促されるまま、婆様の前に進み、跪く。
「龍に仕えし人の子よ。破滅の子よ」
 婆様がよわよわしい声で言う。
「我はお前に警告を与えるために、この地に招いた。
 お前は赤き瞳を魔族より託された。
 それは、魔族の策謀である」

 《策謀》。
 魔族は復活のため、遥か古代から多くの陰謀の仕掛けをこの地上にばらまいてきた。人の子から世界を奪い取り、新たな時代を我がものとするために、魔族は複雑怪奇な深謀遠慮を張り巡らせている。一見、無関係な事柄が運命の綾織りの中で、次なる紋様を生み出すべく歪められている。
「汝がモーファットを救うべく、赤き瞳の巫女ドレンダルと戦いしはモーファットにとって避けうることのできぬこと。そして、汝がその魔の宝玉を学院に封じようとするのも当然のなりゆき。土鬼の襲撃を避けるべく策を講じて、南回りとしたも当然。
 だが、それらすべては《策謀》のうち。
 もしや、ここで今宵、我が汝に警告するのさえも《策謀》のうちかもしれぬ」
 永遠の命とおそるべき幻視の力を持つ魔族たちにとって、ありうるだろうザンダルの一生を見通すことも不可能ではない。
「だが、我らも幻視した以上、汝の定めを信じ、助言することこそ《策謀》に対する抵抗となろう。これらはすべて、《後継者の指輪》を巡る戦いなり」
 《後継者の指輪》とは、かつて、指輪の女王が巨人に託した世界の主の印。巨人が滅びた後、妖精騎士が引き継ぎ、ミソロンギまで、代々の妖精王が所有してきた。ミソロンギの失踪とともに、消えたまま、すでに幾百年を経た。
「これより、汝は古き者たちと多数出会うであろう。
 魔族たちもまた、汝の前に姿を現すだろう。
 世界は絶望に満ちるかもしれない。
 だが、汝がその宝玉を無事、学院に届けることこそ重要な任務なのだ」
 龍人の婆はそのまま沈黙した。
 ザンダルは言葉を発することができなかった。
「これが全てだ」
 龍人の姫がささやくように言った。
 婆はもう動かない。
「婆は多くの予言を背負い、伝えるためにここまで生きてきた。
 お前が最後の面会人だ」
 声が震えるように聞こえたのは、気のせいではないだろう。

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『歌の龍王』第十七話です。
 魔族との《策謀》が動き出しました。
 次は来週以降に。

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2009年6月 5日 (金)

歌の龍王【16】迎える者

赤の野槌

この場所こそ我が故郷。
それだけは決して忘れない。

 ナルサスが消えたレ・ドーラの岸辺で河船は夜を明かした。
 青龍の魔道師ザンダルは、夜明け前の闇の中で何かふっと忍び込んでくる気配に目を覚ました。それはまるで龍が放つ冷たい何かにも似ていたが、殺意は含まれていなかった。
 それでも、明らかに人とは違う。
 赤き瞳の巫女ドレンダルが、甦ったのか、とも思ったが、それは翼人ではなく、明らかに青龍座に属する感触だ。

 ばさり。

 羽音に目を覚ますと、岸辺に異形の人影が舞い降りた。
 一見、若い女性のように見えるが、その背には大きな龍の羽が広がり、背後には長い龍の尾が垂れている。顔つきは、少女のように見えて、口元から小さな牙がのぞいている。手には長い槍を構え、腰には剣を下げている。
 ザンダルは思い出した。
 確か、ダニシェリアの山の上、天魔の城と呼ばれるラヴィオスの谷間に、今も火龍の血筋を引く有翼の民がいるという。
「人の子にして、火龍に仕えたる者よ」
 その声ははっきりと響き渡る。上代語のなまりを含むものの、はっきりとした交易語だ。
「お前が所有する、その赤き宝玉について問いたい」
 ラヴィオスの龍人は、じっとザンダルの方を見た。
 やむなく、ザンダルは立ち上がり、龍人の前に立つ。
「これは、悪しき魔族《赤い目の侯爵スゴン》の眷族から奪いたる呪いの宝玉でございます。我はこれを封印すべく、魔道師学院への旅の途中」
「さても、婆様の予言通りか。
 しかたない。お前には、カラールまで来てもらおう」

 龍人は、高音の雄叫びを放った。
 口笛とは異なる甲高い叫びに応じるかのように、頭上からさらに複数の龍人の姿が現れる。龍人たちは、数名で一緒に網をぶら下げている。おそらくは、これに乗れというのであろう。

「ラヴィオスの龍姫様だ」
 やっと目覚めたらしい、船乗りたちが龍人の姿を見て叫びを上げる。龍姫と呼ばれているところを見ると、少女のように見えたのは間違いではなかったらしい。
 船長がザンダルを見て、諦めたような吐息を漏らす。
「魔道師殿が呼んだのですか?」
「いや、我輩を迎えに来たようだ。
 済まぬが、私もここで船を下りることになろう」
と、ザンダルが頭を下げた。

「さて、どこまで飛べばいいのだ?」
 ザンダルは龍人を振り返って聞く。
 すると龍人は南に見える高い山を指差す。
「ならば、我も翼を何とかしよう」
 ザンダルは、一歩下がって、【龍翼】の呪文を唱える。
 上代語の詠唱とともに、火龍の力が肉体にみなぎってくる。上着をはだけると背中からめきめきと火龍の翼が生える。皮膚が避け、血がしたたる。変化に肉体がついて来れなかったようだ。
「これでしばし、飛べましょう」

「人の子もやるな」と、龍人は笑い、仲間に手を振る。
 網を持った一団は飛び去り、ザンダルもまた山に向かって飛びあがった。

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『歌の龍王』第十六話です。
 龍人ラヴィオスとともに、ダニシェリアの山奥、カラールへ向かいます。しばし、ダニシェリア周辺の物語が続きます。次は来週以降に。

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2009年5月28日 (木)

歌の龍王【15】夢の吹き寄せる岸辺

青の海王
遠く離れても海はひとつ。
波はいつか届くだろう。

 ザンダルは船上で夢を見た。

 山上に座り込み、膝を抱えたまま、眼下の荒野で龍たちが争うのを見下ろしていた。
 巨大な龍たちは狂ったように吠え、互いに噛みつき、引き裂き、時には、炎や稲妻、あるいは毒の吐息を吐き出して、同族と殺し合っていた。石より硬い龍の鱗さえ引き裂かれ、龍たちはどれもこれも血まみれであった。あるものは角や翼を折られ、あるものは喉や腹を引き裂かれ、それでも互いを殺すため、狂ったように戦っていた。鬨の声なのか、悲鳴なのか、もはや区別のつかぬ龍の怒号が荒野に響き渡る。
 ぞっとするような冷たさと渦巻く殺意の気配が、龍の遠吠えに乗ってまき散らされる。

(お前も一緒に殺せ、殺せ、殺せ!)

 だが、それに乗る訳にはいかない。自分と仲間たちの出番はまだまだ先だ。
 今は、この戦いを見届け、狩りに備えなくてはいけない。
 火龍と火龍が殺し合うという千載一遇の機会。戦いの趨勢が決まり、生き残った火龍たちを包囲し、殲滅しなくてはならない。傷だらけであっても火龍は火龍。ここで逃せば、後はない。

(どくん)

 心臓が高鳴った。

 目覚めると、川船は夕餉のために、川岸に寄せられていた。
「ここはどこですか?」
と、船乗りに聞くと、船乗りは答える。
「レ・ドーラの東でございます」
 ザンダルはふと午睡をしてしまった己のうかつさに気づいた。
 レ・ドーラ。
 遥か古代に、火龍同士が相争ったとされる荒野。
 そこには、多くの火龍の屍が積み重なり、火龍の怨嗟の想いが留まっていると言う。いずれ、龍の秘儀の探索に赴くべき場所としてザンダル自身も考えていた場所だ。
 モーファット河を一気に下ることばかり考えていて、気づきもしなかった。
 ここは殺意と怨嗟の想いが強すぎる。
 そして、この懐の赤い瞳は、おぞましい火龍の狂気を導く。

 狂気?

 ザンダルは気づいて、ナルサスの姿を探した。
 しかし、周囲にはかの魔剣使いの傭兵の姿はなかった。
「我が連れは?」
 ザンダルの問いに、船長が一通の手紙を差し出した。
「夕餉で岸につけた途端に、船を去られました。
 ご伝言は『もはや安息の時は過ぎた』とのことです」

ザンダル殿へ

 貴殿がこの手紙を読んでいるということは、我らが安息の時が終わったということだ。
 我が魔剣「野火」は、しばしば、血に飢えてならぬ時を迎える。その時、私は、貴殿の前を去るだろう。魔剣の導くまま、戦いに身を投じるのが私の定めだ。
 約束を違えることを許してくれ。

ナルサス

 夕餉の後、暗き川面を見つつ、ザンダルはまた、夢を見た。
 火龍と戦う魔剣使いの夢を。

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『歌の龍王』第十五話です。
 ナルサスが去り、レ・ドーラの岸辺に夢が吹き寄せられます。
 しばし、ダニシェリア周辺の物語が続きます。
 次は来週以降に。

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2009年5月20日 (水)

歌の龍王【14】闇の胎動

黄の海王

敬意を忘れたる者には厳罰あり。
怒りもまた真実なり。

 青龍の魔道師ザンダルと魔剣使いの傭兵ナルサスが地上へ増援を求めに向かった後、屍が転がるモーファットの地下空洞に、騎士ゾロエはいた。ゾロエは、無言で遺体を集め、干からびた双魚の死体の破片を水没した地下道に投げ捨てた。飛び散った血潮は無視した。
 兜と籠手を脱ぎ棄てたのは、しばらくしてからだ。

「一時とはいえ、我が部下であった者どもの死体を残しておくわけにはいかぬ。
 ネズミのかじられた遺体なぞ遺族も見たくはなかろう」
 そう言って、ゾロエは地下に残った。
 もちろん、それは言い訳にすぎない。

 長い沈黙が流れた。

 やがて、ゾロエは赤い宝玉で焼かれた右手の掌を砕け散ったドレンダルの欠片に向ける。
「いつまで死んだふりをされておるのですか?」
「くくく」と低い笑いが虚空に漏れる。壁のひびを押し広げるように、深淵から地上への扉を押し開き、ドレンダルが姿を現す。濡れたような唇と見開いた二つの瞳は血のように赤い。
「雫の大公様の魔剣に貫かれたのだぞ、少々労わって欲しいものじゃな、騎士殿」
 ドレンダルは魔剣「野火」に刺し貫かれ、古びた羊皮紙のように干からびて飛び散ったはず。だが、ここで再び、深淵より現れたのは、まるで再び生まれ落ちたかのように瑞々しい肌を持った妖魔の美女である。
「魔族はすでに死なぬ身と聞いた。御身もまたしかり」
と、騎士ゾロエは冷静に答える。
 するとドレンダルは、魔剣に貫かれた胸のあたりを指差す。
「とはいえ、痛みが消える訳ではない。
死で終わるべき痛みはまだこの身を焼いておる」
「されど、首尾は上々かと」
「まさに」と、ドレンダルは笑う。「モーファットを滅ぼすのはもう少し待ってやる」
「我が身に救いは?」とゾロエは、掌に焼きついた赤い宝玉の痕を示す。すでに白い死の刻印がそこに刻まれている。
「まだ来ぬ」と、ドレンダルは微笑む。
「しばしの間、我に仕えるがよい。さすれば……」

 数日後、ザンダルとナルサスは、モーファット河を下る川船の上にいた。
 大柄な船乗りたちがえいえいと漕ぐ櫂がぐいぐいと船を推し進めていく。船首には水の神を司るライエルの司祭がいて、波の乙女たちに船の運航を助けるように頼みこんでいる。
 この船は、モーファット河をさらに下り、二人はダニシェリアで外洋船に乗り換えて、南方デンジャハ王国のヒルズへ向かう。
 この船に乗ることになったのは、川船からの報告があったためだ。
 モーファット河沿岸には、もとより呪われしヴェルニクを始め、かつて繁栄した土鬼王国の遺跡が残り、野蛮な土鬼たちはそれを聖域と崇めている。赤き瞳の巫女ドレンダルが主人と崇める魔族「赤い目の侯爵スゴン」はその聖域の一つ、呪われしヴェルニクに封じられているという。
 ザンダルとナルサスが、かの魔女を倒した後、ヴェルニクの川岸に土鬼が集い、川船に大石を投げるようになったという。
「おそらくはこの宝玉が通るのを待ち受けておるのでしょう」
 ザンダルは分析する。
「では、ずっと迂回してイクナーリ大平原を馬で行く方がよいのではないか?」
 モーファットの領主は心配してそう言ったが、ザンダルもナルサスも大きく首を振った。
「イクナーリは土鬼どもの縄張り。そして、この赤い宝玉は彼らの守護神の宝。いかにナルサス殿が一騎当千の英雄であれども、百千を数える土鬼に追われれば、我が身が持ちませぬ。
 こうなったのであれば、いっそ、川を下り、海に出てヒルズより妖精騎士の築いた街道を登りましょう。確かに遠回りでありますが、これならば、かなり安全かと思われます」
 かくなる相談の上、船で川を下ることになったのである。

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『歌の龍王』第十四話です。
魔道師学院への旅はやたら遠回りになりそうです。
次は来週以降に。

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2009年5月14日 (木)

歌の龍王【13】残された宝玉

赤の戦車

形なき混沌が現実だ。
これに形を与えて秩序を生み出すのが我らの使命なのだ。

 魔剣「野火」の刃に貫かれた赤き瞳の巫女ドレンダルは、急速に干からびていった。枯れ葉のように茶色になった体。
 ぱきっと渇いた音が地下に響き、その体は崩れ去っていった。

 だが、ナルサスはすぐに剣を納めなかった。
 じっと、目だけを動かして左右を伺う。
 その後、ゆっくりした動きで、死者を見下ろす。
 そこには、先ほどまで味方だった遺体が三つ。
 黒鬼の傭兵、二人の弓兵。
 騎士は盾を構え、まだ警戒を解いていない。

「ナルサス!」
 青龍の魔道師ザンダルはやっと声を発した。
「倒したのか?」
 その声に、ナルサスは、遺体から目を反らし、「野火」を腰の鞘に納める。
「ああ、殺した」
 ナルサスは、じっと魔剣の柄を見下ろす。
「あの魔女は殺した。しばらくは出て来ない」
 魔剣使いの傭兵はやや空虚な声で答える。
「ならばいい」
とザンダルが答える。あたりの魔法の気配も消えている。幻視にひっかかるのは、ナルサスの魔剣だけ。それもまるで牛を食らって満足した火龍のように、殺気がおさまっている。

「終わったのであれば、魔道師殿に問おう」
と、騎士ゾロエが赤い宝玉を持ち上げる。もはや、光は弱まっている。
「これはいかがする?」
「我が預かる」と、ザンダルは前に進んだ。「それは騎士殿には邪悪すぎる」
 騎士は、宝玉を渡すとその場に再び座り込んだ。
「悪いが、魔道師殿とナルサス殿で援軍を呼んできてもらえぬか?
 この者たちの遺体を残していくのは忍びない」
 ゾロエにとっては、一時的とはいえ、部下であった者たちだ。
 主人として、出来る限りのことはする。
「もはや双魚はおらぬと思うが、ゾロエ殿、お一人でよいのか?」
と、ザンダルが問い返す。
「この地下を熟知し、その宝玉を処分する役割に関わりないのは、この私しかおらぬ。
 ナルサス殿には、魔道師殿の警護をお願いしたい」

「なあ、魔道師殿」
 地上へ続く扉へ向かって道を戻りながら、ナルサスはザンダルに囁いた。
「『歌の龍王』という言葉を聞いたことがあるか?」
「残念ながら、ないな」とザンダル。
「龍王の件は、確かに我が専門なれど、世に十二と一騎ありとされる龍王も、そのすべてが現在も知られている訳ではない。その中に、歌の龍王という二つ名を持つ者はいない。
 そういう龍と出会ったことがあるのか?」
「いや」と、ナルサスは剣の柄をなでる。「この剣は、殺した者の命を吸う。その時、その者の想いが伝わってくることがある。あの魔女もそうだった。なぜか、最後に奴の声が聞こえた。『歌の龍王』と」
「それは調べる必要がありそうですね」
「もう一つ、気になることがある」とナルサス。「俺が殺した時、奴は笑っていた」
 ザンダルはぞっとした。
 なるほど、ナルサスがすぐに警戒を解かなかったはずだ。
 魔剣に斬られて死ぬというのに、笑うとは……
 ザンダルは、懐にしまった赤い宝玉のことを思い出す。
 魔族の封印を解き明かす道具。
 六度、名前を呼ばせれば、封印は解かれると、あの魔女は言った。
 すでに二度、ナルサスは名前を呼んでしまった。
 つまり、後四度。
 そして、忘れてはならないこと。
 魔族は死なない。
 おそらく、ドレンダルももはや死なない。
 仮の身は滅ぼされても、いつか甦る。
 この赤い宝玉を取り戻そうとするかもしれない。
「水底に沈めてしまえばいい」
 ナルサスが言う。
「いや、沈めても無駄だ」とザンダルは答える。「水龍ティノチウスがいたころならば、魔族も躊躇うだろうが、今のアラノス湖にどこまでの封印の力はない」
 ザンダルは、選択した。
「ナルサス殿、もう少し付き合っていただこう。
 私は、この宝玉を魔道師学院に届けようと思う」
 魔道師学院とは、世界でただ一つ、魔法を研究している場所である。中原と北原の中間に位置するグラム山の山中にある。モーファットからは、大河を遡っても二カ月はかかる遥か北の地である。
「そこならば、封じられるというのだな?」
 ナルサスの問いに、ザンダルは強くうなずいた。

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『歌の龍王』第十三話です。
 残された赤い宝玉を封印するため、ザンダルとナルサスの新しい旅が始まります。
 次は来週か、再来週に。

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2009年5月 7日 (木)

歌の龍王【12】死の願望


赤の青龍

我は槍。
戦い、貫き、飛び行くことが使命なり。
折れることを恐れず。

「赤い目の侯爵スゴン」
 ナルサスは二度目の名を発し、さらにどこか遠くで巨大な扉が音を立てて開く。
 おそらくは、迷宮の底、あるいは、封印の内側で魔族を封じる扉が一つ一つ開かれているのだ。
「あと、四つ」
 赤き瞳の魔女ドレンダルは、笑い声を上げ、その手の赤い宝玉をナルサスへと突きつける。
「魔剣の担い手よ、その身に降りかかったあまたの死において我が主の名を呼ぶがいい」
「やめろ、ナルサス、それ以上、あれを呼んではいけない」
と、魔道師ザンダルは叫んだ。
 もしも、魔族の諸侯が顕現すれば、その力はあたり一帯を覆うだろう。スゴンの属するのは翼人座、ふりまかれるのは死の魔力だ。さきほど、ドレンダルがその凶眼とおぞましき死の手触りにより、即座に兵士を殺したように、スゴンはその身から振りまく死の魔力だけでモーファットの住民の多くを殺してしまうだろう。
「だめなのか、ザンダル?」
 ナルサスが言う。
「どういう意味だ、ナルサス」
と、ザンダルが聞き返す。
「出てくるというなら、殺せばいい」とナルサス。「そのための魔剣だ」
「魔族を殺す気か? そんなことは出来ない」
「魔族は死なぬ、そうだろう」とナルサス。「そんなことは分かっている。だが、この世に現れた影を斬ることはできる」
「我が主を斬るというのか?」とドレンダルが割って入る。
「ああ」とナルサスは不敵な笑いを浮かべる。「お前の主は、かの水龍ティノチウスよりも強いのか?」
 そうだ、とザンダルは思い出した。
 この男は、アラノス湖の水龍ティノチウスを殺した男だ。
 魔剣「野火」を手に多くの戦場を駆けた伝説の傭兵である。
「死を恐れぬというのか?」
と、ドレンダルは微笑む。
「我が主、スゴン様は【龍を殺す者】なり。
 その名を知っても、我が主を斬るというか?」
「来るというならば、斬るさ」
 ナルサスは微笑む。
「おお、怖い。怖い」と、ドレンダルは微笑み返す。「雫の大公殿も、恐ろしき者をご用意されたものだ」
 そうして、その手にあった赤い宝玉をナルサスに放る。
 しかし、ナルサスはそれを受け止めたりしなかった。投じられる赤い宝玉の下をくぐるように、ざっと踏み込み、ドレンダルの胴体を薙ぐ。
「ぐああああ」
 赤き瞳の巫女は人とは思えない悲鳴を上げて朽ち果てた。
 一瞬にして干からびた肉体は枯れ葉のように砕け散った。

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『歌の龍王』第十二話です。
 魔剣対魔女の戦いが終わりましたが、これはまだ序章に過ぎませぬ。
 次は来週か、再来週に。

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2009年4月28日 (火)

歌の龍王【11】赤き瞳の幻視


白の翼人

死は正しき終わり。
終わりなくば節度もまたなし。

 剣の飢えが肌を焼く。
 ナルサスの手の内で低くうなりを上げる魔剣「野火」は、湿ったはずの空気を渇いた熱風に変える。ナルサスが走るその周囲の石畳の表を覆っていた苔が一瞬で茶色く干からびる。
 ナルサスと魔女の間を遮った双魚ネトゥアが一瞬で斬り落とされ、砕け散る。
「猟犬よ!」
 ドレンダルが壁を叩くと、そこに虚ろな穴が開き、四足の怪物が飛び出す。
 馬ほどもある巨大な犬。
 だが、そこに血肉は一切ない。
 ただ白い骨と燐光だけの存在。
 あたりには、似合わない波音が響き始める。
「骨の猟犬」
 青龍の魔道師ザンダルはぞっとする。
 遥か死の領域に属する死の猟犬だ。
 学院の魔道師ならば、命を賭けて度重なる詠唱をせねば、召喚できぬ死の怪物を一瞬の動作で呼びだすとは、やはりドレンダルは魔女としかいいようがない。
「奴にかまれると、『深淵』にさらわれるぞ」
 『深淵』とは、この世界の裏側に存在する魔法と夢の世界、骨の猟犬はその深淵の彼方、死の領域たる葦原の国に属する生き物で、死すべき魂を食らい、死の世界へ運び去る。
 だが、ナルサスの動きは変わらない。
 骨の猟犬の横に飛び込み、一撃で前足を砕く。膝を割られた猟犬が振り向いた頭の骨を横合いから叩き割る。巨大な死の犬はそのまま弾き飛ばされて壁で砕け散る。
「たった三撃で骨の猟犬を滅ぼしたのか?」
 後方に下がりながら、ドレンダルが思わずもらす。
「三度、斬らねば死なぬとは、さすがに魔物」
と、ナルサスが言い返す。その剣を振るだけで、渇いた熱風が地下を走る。
「ヴェパーレ大公様の魔剣か」
 ドレンダルの声にさえ緊張が走る。ヴェパーレとは、魔剣「野火」を生み出した魔族の大物である。その二つ名は「雫の大公」という。しょせん、人の子から生まれたばかりの妖魔めいた存在には勝ち目がない。ナルサスの刃が届けば、彼女もまたたちまち干からびて滅びの道を辿るだろう。

「ならば、我が主の力を借りよう」
 魔女の右手に赤い宝玉が現れる。拳より少しだけ小さい宝玉から放たれる輝きとともに、まがまがしい気配が地下の空間に満ちる。

 その瞬間、ナルサスとザンダルは見た。
 深淵の彼方より見つめる赤き瞳。
 死の力を司る龍の瞳。
「呼べ、我が主の名を」
 ドレンダルのささやきが耳朶を打つ。
「知ってしまったのだろう?」

 ああ、知っている。
 だが、呼んではいけない。
 呼べば、あれが来てしまう。

 ザンダルは、その名前を飲み込む。
 しかし、ナルサスは不覚にもその名を呟いてしまう。

「赤い瞳の侯爵スゴン」

 言い切ると同時に、どこかで巨大な扉が音を立てて開かれた。
「あと、五つ」
 魔女ドレンダルは微笑む。
「その名を口にしてはいけない」と、ザンダルが叫ぶ。
「あれが来てしまう」
 警戒しておくべきだった。魔女が力にだけ頼るはずはない。見えない魚さえも、罠の本質ではない。この街を滅ぼすというならば、かの魔族の力を借りるに違いない。

 赤き瞳の侯爵スゴン。
 龍の姿をした死の魔族。
 その視線は見ただけで敵を殺すという。
 龍の屍めいた姿にふさわしい、死の化身。

 問題はそれをいかに召喚するのか?
 おそらく、かの赤い宝玉こそが召喚の道具なのだ。
「さあ、我が主の名前を呼べ!」
 魔女はナルサスへと宝玉を突きつける。
「お前こそ、多くの死の因縁を背負いたる者。
 お前が殺してきた者たちの名前にかけて、死の扉を開くがよい」

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『歌の龍王』第十一話です。
 魔剣対魔女の戦いが続きます。

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2009年4月22日 (水)

歌の龍王【10】双魚の回廊

白の青龍

深淵よりさらに外。
そこは夢の戦場なり。

 薄暗い階段を五十段ばかり下ったところで、下方から水の滴る音が聞こえた。アラノス湖から流れ込む水の流れか、あるいは、モーファットの街から流れ落ちる排水か。いずれにせよ、今後の足場は滑りやすいものになるだろう。
「足もとに注意せよ」
 湖と同じ家名を持つ騎士が、ザンダルの想いを代弁する。
 おそらく、この男はこの街の地下に何度も踏み入ったことがあるのであろう。堅牢で重そうな全身鎧にも関わらず、この男の動きには不安がない。
 この探索の前衛を任せるのに最適の人材だ。
 ザンダルは安心して、魔法の気配に集中した。
 古い街の例に違わず、モーファットの街にはかつてここを行き来した人々の気配がこびりついている。魔法と無縁の人々には見えないまるで煙か何かのような微かな色合いが、魔道師には見える。石壁に触れ、そこに刻まれた浮彫をまさぐれば、この街を建設したヴァルハンの民の作業風景が浮かぶこともある。
 妖精騎士の気配がふわりと浮かびあがることもある。闇の中で星の光と戯れる黒い人影はおそらく、闇の妖精族クラディス・ラオパント、『闇を統べる者』であろう。今では、マフやヴァクトンなど北原の諸侯都市(アルリャ・イルエ)でしかその足跡をたどることもできない、という。
 階段をさらに下ると、やがて、広大な空間に出た。明かりを掲げると、半ば水に満たされた水面が光を反射する。人の背の10倍もありそうな天井。壁沿いや頭上には複雑な配置の橋や通路が行き来していた。
「ここは『回廊』と呼ばれている」
 ゾロエが解説し、水没したあたりを指さす。
「あのあたりに、かつて、妖精騎士の魔道師が住んでいたと伝わっている」
 おそらくは、モーファットでも有数の古い家である騎士の家に伝わる伝承だろう。いずれ、頼んで書庫を見せてもらうことにしよう。
 そこで、ザンダルはざわめきを感じた。
 魔法の波音が彼の耳を刺激した。
「来るぞ、双魚だ」
 ザンダルは、空間の奥を指さす。薄暗い広がりの奥から巨大な魚が二匹、まるで泳ぐように飛んでくる。
「射よ!」
 叫びながら、ゾロエが大槍と盾を構えて前進、ガウが戦斧を構えて右に走る。ナルサスは射手の前に出て、腰の剣に手をかける。
 ぎゅんと弓が引かれ、ファラードとニードが大弓を放つ。風切り音が立て続けに響き、片方の双魚がまるで壁にぶつかったように姿勢を崩し、落下する。
 もう一匹はうねるように体をひねり、ゾロエに襲いかかるが、騎士は左に一歩よけながら、横合いに大槍を叩きつける。ゾロエよりもふたまわり大きい双魚は鰓を斬り落とされつつ、床に激突する。
「はいあああああ」
 黒鬼が跳躍し、戦斧を双魚の眉間に叩きこんだ。
 頭が真っ二つに断ち切られ、双魚は動きを止める。
 ファラードとニードは半ば引き絞った弓を降ろした。
「まだだ!」
 ナルサスが叫び、頭上に斬りかかる。
 透明な何かが断ち切られ、声にならない悲鳴を上げながら、石畳の上に落ちる。野火で斬られたそれはたちまち干からび、おぞましい干し肉に変わる。
「油断するな」
 しかし、すでにニードが首筋を押さえて倒れていた。激しい鮮血が彼の死を告げる。
 ゾロエも何かに体当たりされ、大槍を落として倒れこむ。声を出しているから、騎士はまだ倒れただけだ。
「ネトゥアか!」
 双魚の名前の起源。双魚には二つの種類がおり、双魚使いはこれを使い分ける。日の光があれば、巨大な肉食魚ヴトゥアを用い、月の光があれば、月光を泳ぐ透明な魚ネトゥアを用いる。真紅の魔女ドレンダルはもと、原蛇座の召喚魔道師である。二種の双魚を使いこなすものだ。
 ザンダルは、己の油断を呪いながら、魔法の気配を探る。
 妖魔の気配は消えていない。
「ナルサス、残り3匹」
 ザンダルの叫びと同時に、黒鬼の手から戦斧が投ぜられ、空中の何かを断ち切って壁まで飛んで行った。
「後、2匹だ」
と、ガウが笑う。
 直後、その黒鬼の腕から血が噴き出した。
 見えない魚は、恐ろしい気配を放つ魔剣から逃れ、得物を手放した黒鬼を狙ったのだ。
「馬鹿め」
 黒鬼は笑って、もう片方の腕を振るった。黒鬼にかみついた何かは石畳に叩きつけられ、動かなくなる。黒鬼の強靱な肉体があってこその戦いである。
「無茶を……」
 ザンダルが言いかけて言葉を切った。ぞっとする死の気配が黒鬼の背後に突然生じたのだ。
「ガウ!」
 だが、黒鬼が身をよじる前に、闇から突き出された白い女の手がすっとその背中に触る。
「馬鹿はお前だ」
 黒鬼は何が起こったか分からぬままに、瞳を見開いたまま、倒れた。
「死ね」
 ドレンダルが立ち上がり、真っ赤な瞳をさらす。
 ファラードが悲鳴を上げて倒れる。
 ザンダルはぞっとする冷たい空気が心臓を握ったような気分になった。龍王の加護がなければ、自分も後を追っていったかもしれない。
「なるほど、俺が呼ばれる訳だ」
と、ナルサスがそちらに向かって走り出した。

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『歌の龍王』第十話です。
 双魚の群れを操るドレンダルと、討伐隊の戦いが始まりました。

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2009年4月13日 (月)

歌の龍王【09】古の遺産

黒の牧人

言葉よりも行動がすべてを示す。
たとえ、多少遅れても現実は力強い。

 モーファットもまた、古い都である。
 妖精代に建設された諸侯都市ですらなく、島の内部を深く掘り下げた基礎部分は巨人の時代以前に遡るとも言われる。
「つまり、何があるか分かっておらぬということか」
と、傭兵ナルサスが楽しそうに言う。
「アラノス湖から引きこまれた水路があるので、いくばくかは水没している。
 そして、その水底に古く巨大な都市の廃墟と魔族の封印がある」
と、青龍の魔道師ザンダルが答える。
「巨大な都市はおそらく、巨人の七王国時代の遺跡だろう。呪われしヴェルニクとならぶ七王国の遺跡かもしれない。そして、封じられた魔族はその気配から見て、海王の星座に属するかなりの大物と見るが、名は分からぬ」
「伯爵家には何か伝わっていないのか?」とナルサス。
「ここまでは、伯爵家の城館に残された古文書の記述だ」とザンダル。「学院は、お前の持つ剣の主ではないかと考えている」
 ナルサスは、腰に履いた魔剣「野火」に触れた。この「野火」は、かつて、魔族の諸侯の中でも高位の一騎である「雫の大公ヴェパーレ」が生み出した三本の魔剣の一本とされる。残る「狭霧」「雫」は、ヴェパーレの封印とともに、北原にある。確かダリンゴースという国の都フィレアに近い場所である。
「魔族の封印が二か所にあることが不可解か?」とザンダル。
「いや」と、ナルサスは頬笑み返す。「ヴェパーレは……あの怪物は、お前の言うような意味では封じられてなどいない」
 ナルサスは思い出す。
 一度だけ邂逅した魔族の諸侯のことを。

 薄明が夜の闇を追い払い始めた時。
 ダリンゴースの河畔で休んでいたナルサスは、蹄の音で目覚めた。
 同時に、傭兵の勘が全身をぴりぴりと絞り上げた。近づいてくる存在の危険さが直観的に傭兵の体を戦いの支度に追いたてる。
 魔剣がするりと鞘から這い出して手の中に納まる。いつものようなためらいも飢えも恐怖もない。戦うために最良の武器を選んだだけだ。それだけの敵が接近している。
 野火は周囲の霧を吸い込んでいくが、霧は消える気配もない。
 どうやら、霧もまた、魔の力で忍び寄っているようだ。
 やがて、霧の中、圧倒的な戦の気配を漂わせた騎士が現れた。
 青き鎧のうちから見つめる視線はまさに氷のようだ。
 片手で巨大な大剣を引き抜き、ナルサスに向ける。
「試練だ」
 騎士の声とともに、大剣の刃に淡き銀の輝きが集う。
 騎士は馬に拍車を入れ、ナルサスへ向かって突進する。
 ナルサスは、小細工をあきらめた。あの一撃を受け流すだけで精一杯だ。
 大剣は間合いに入った瞬間に振り下ろされた。ナルサスに出来ることは一つ、真っ向から野火をぶつけることだけだった。がんと恐るべき衝撃がナルサスの腕に伝わってきたが、何とか持ちこたえた。もう一撃、来るかと思い、必死に野火を構えたが、大剣の騎士はそのまま、ナルサスの横を走りぬけていた。
「よい太刀筋だ」
と、豊かな声が放たれた。
「さらに鍛えよ。そして、再びこの場所で立ち会おう。
 いつか、このミソロンギの大剣を奪いに来るがいい」

 それはおそらく呪い。運命の言葉であろう。

「この野火ですら頼りなく思えた」
「しかたあるまい」とザンダルはうなずいた。「ミソロンギの大剣か。それは古の妖精王、ミソロンギその人が残した大いなる武具だ」
 かつて、この世界を支配していた妖精騎士。500年前に、復活した魔族、冥界の大公テンバウランと戦い、これを打ち破ったのが『指輪の大公』と呼ばれたミソロンギである。彼はモーファットの南、ダニシェリアに居城を構えていたが、戦後、魔道師リリクロスとともに地上を去ったと言われている。
 妖精騎士の多くがこの戦いで傷つき、200年ほど前に起こった嵐の騎行を最後に地上から姿を消したとも言われる。少なくとも、この二百年、公式に目撃された妖精騎士は、ただ一人。黒き槍を保有する『閉ざされた瞳』イェスターンだけである。
「ヴェパーレの封印でないとすれば、確かめてみるしかあるまい」
とザンダルはうなずく。

 伯爵家の城館の地下、封じられた銀の扉が押し開かれた。
 二千年前、地の工匠、ヴァルハン族が作り上げたと言われる銀の扉はモーファットの封じられた地下領域への数少ない出入り口である。
 その入り口に立ったのは、ナルサスとザンダルを含め、わずか6名。
 モーファット伯爵家に仕える騎士の中でも名高きゾロエ・アラノスは、騎士盾と大槍を掲げ、目を閉じている。首から下がった護符は彼がこの街で海運を守護するプラージュ騎士団に属していることを示していた。
 その脇に控えるのは、大弓を持つ弓兵が2名。ファラードとニードという名前で、いずれも城壁から龍の島まで矢を飛ばす豪弓の使い手だ。筋骨逞しい腕は剣を抜いてもずいぶんと頼もしそうだ。
 最後の一人は、巨大な戦斧を持つ異形の巨漢である。額に一本の太く短い角を持ち、全身の肌は闇のように黒い。名はガウ・ガルガン。西方レベニアに生まれた黒鬼族の傭兵だ。
「すでに聞いていると思うが、この街の地下に、魔女が住みついた。
 我らはそれを討つ。よろしいな?」
 ザンダルが言った。
「騎士団の誇りにかけて全ういたそう」とゾロエが宣言する。
「魔女の首にかけた賞金を楽しみにしているぜ」とファラードが笑う。
「街を守るのが俺達の仕事だ」とニード。
「黒鬼は最強の敵を喜ぶ」とガウが吠える。
「そいつだけは保証しよう」とザンダルが答える。「さあ、地の底へ向かおう」

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『歌の龍王』第九話です。
 『深淵』とダンジョンというのは、なかなか似合わない組み合わせかもしれませんが、恐怖の雰囲気、じっとりとした佇まい、異界らしき空気を表現するためには、非常にぴったりです。一度、お試しあれ。

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2009年4月 8日 (水)

歌の龍王【08】邂逅

赤の風虎

甘やかな言葉を弄する前に
行動あるべし。

「あなたが近くにおられてありがたい」
 魔法の気配を放つ青年は、ナルサスが宿とする廃屋の前で待っていた。魔道師学院の法衣の胸に輝くのは青龍座の紋章。魔法使いに似合わぬ槍にもたれかかり、ほとんど瞬かぬ目で正面からナルサスを見つめて言う。
「モーファットで魔族と戦ってください」
「魔族か」
 本来なら、素っ頓狂な依頼だと思うだろう。古代の邪神、邪悪なる魔族は死を越えた存在だ。魔族の呪いを受け、復讐を誓う者はいくらでもいるが、魔族と戦って生き残った者などわずかしかいない。星の女神によって封印され、多くの力を奪われているというのに。
 おそらく、ナルサスはそのわずかな例外の一人だ。
 この魔剣「野火」を手に多くの敵と戦った。水龍ティノチウスを皮切りに、邪悪な沼の魔族と戦った。多くの仲間が死んだが、彼は生き残った。
 そこまで思い起こして、ナルサスは腰の魔剣「野火」が大人しくしている理由を理解した。この男は戦いの使者だ。また殺戮と狂気の日々が始まる。「野火」は、それを感じ取っているのだ。
「いいだろう。
 こんな荒野で賞金稼ぎの馬鹿どもを斬るのにはもう飽きた」
「即答を感謝します。
 いつ、おいでいただけますか?」
「今」と答えて、ナルサスは廃屋の扉を開ける。「荷物などわずかしかない」
 そこでやっと互いに名乗っていないことに気づいた。
「人違いではなさそうだが、あんたの名前は?」
「ザンダル。モーファットで龍を研究する魔道師です」
「龍か。酔狂なことだ。敵は、龍ではないのだな?」
「赤い瞳の巫女ドレンダル。呪われしヴェルニクを支配する魔族、【赤き瞳の侯爵スゴン】に魂を売った魔女です。すでに、モーファットに侵入しています」

 余計なことを言わない男はいい相棒になる。
 ナルサスはそう思う。
 ザンダルが引いてきた予備の馬にまたがり、モーファットへ向かって荒野を走った。かつて魔剣を獲得した火龍の街まで半日足らず。おそらく、この場所に流れてきたのは、この日のためだったかもしれない。
「急ぎます」
 ザンダルはそう言うと、一気に馬を走らせた。
 街をあける時間を少しでも減らしたいらしい。代わりの使者を立てるよりも自分が動いた方が早い。そういう判断をする男か。
 嫌いじゃない。
 ナルサスは、馬に鞭を入れた。

「何か異常は?」
 ザンダルは、モーファットを支配する伯爵家の城館に飛び込み、兵に馬を預けるとともに、駆け寄ってきた家令に問う。
「波止場周辺で失踪した者が数名」
「鱗は?」
「現場に鱗が残されていた例は三か所」
「ならば、十分。弓兵隊は?」
「控えております」
 そこでザンダルはナルサスを振り返る。
「ドレンダルは、双魚使いだ。魔族に下る前は、召喚魔道師だった」
「双魚の動きは分かる」とナルサスは答えた。昔、一緒に旅した魔道師が召喚したのを見たことがある。兵として考えれば、ずいぶん厄介な妖魔だ。しかし、斬れる自信はある。
「おそらく、街の地下に踏み込んだに違いない」
と、ザンダルが言う。
「私が案内する。魔女を斬れ」
「分かりやすいな」とナルサス。
「物事の本質は単純だよ」とザンダル。

 そう、この世の本質は単純なのだ。

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『歌の龍王』第八話です。
 ザンダル&ナルサス組と魔女ドレンダルの戦いが始まります。

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2009年4月 1日 (水)

歌の龍王【07】魔剣

紫の海王

時過ぎれば、憎悪さえも思い出に変わる。
嵐はいつか去るのだ。

「愚かな……」
 草原の真ん中で、ナルサスは、回りを囲む兵士たちを見まわした。数名の兵士たちは、彼の得物を狙ってきた傭兵らしい。剣に長槍、槌矛に連接棍、ずいぶんやる気のようだ。
「魔剣使いのナルサスも、老いた、と見られたか」
 ナルサスは自嘲気味に笑う。すでに年は40を超えた。かつて、あの水龍ティノチウスと戦った頃の若き傭兵はすでにいない。あれから十年余り、中原の各地を転戦した。激しい戦いを何度も経て、ナルサスも変わった。
「だが、お前たちの間違いは、こいつを見くびったことだ」
 ナルサスは、腰の剣に手をかける。
 名を「野火」という。
 魔族諸侯の一人、「雫の大公ヴェパーレ」が作りし三本の水の魔剣のうち、一振りである。

(久しぶりだな、お前から我を抜こうとするとは……)

 そんな声が聞こえるとともにナルサスは、のどの渇きと体内をかけめぐる熱を感じる。魔剣は解放の兆しに喜んでいるのだ。本来ならば、抜きたくなどない。これがどれほどの残虐さを振りまくのか、よく分かっているからだ。
 だが、この兵士たちは人数を頼んでナルサスを追い詰めた。魔剣「野火」に手をかけさせるほどに。
「この刃に命を捧げるのがお前たちの望みならば、ありがたい」
 ナルサスは剣を抜いた。
 その瞬間、熱波があたりに走る。頬が乾いていく。足もとから丸く草が萎れていくのが分かる。そうして奪われた水気が野火の刃に集う。白い霧はそのまま刃に吸われ、雫を形作ることもない。
 ナルサスの肌もちりちりと干からびていくが、もはやナルサスは内なる飢えに満たされ、痛みも感じない。そして、剣に引かれるようにすっと前に出ていた。剣の刃が兵士の腕に食い込む。浅い斬り込みのように見えて、その途端、兵士が恐怖の声を上げる。
 野火が食い込んだ腕は、傷口から血を吹くこともなく、たちまち干からび、そのまま兵士は枯れ草のようになって死んだ。

(久しぶりの血じゃ、甘露、甘露)

 剣から伝わってくるおぞましい食欲の気配には、まだ慣れていない。この魔剣は、生きた人間の血潮をすすり、渇きを潤す。ゆえに、斬られた者は一撃で魂を吸い取られてしまう。
 惨劇は終わらない。
 ナルサスを引きずるように、刃はひらめき、隣に立つ兵士の首を薙ぐ。斬られた首筋から噴き出した血潮はそのまま、霧となって野火の刃に吸いこまれていく。
 ざん! さらに剣が翻り、ナルサスは飛ぶ。
 槍を持った兵士の脇をかいくぐり、腹をえぐる。臓物が弾けて転がり出るが、あっという間に干からびた干し肉に変わる。
「うわああああ」
 一瞬で三人の仲間が枯れ草のような死体に変わるのを見た残りの兵士たちは悲鳴のような鬨の声を上げる。下手に背を向ければ、伝説の魔剣に魂をすすられると気づいたのだろう。一気にナルサスに襲いかかった。
 連接棍の一撃は横あいに避けた。槌矛は受け流したが、その際に、刃から火花が散り、足元の枯れ草が一気に燃え上がった。これこそ「野火」の名の由来。
 そして、もう一人の長剣を受け流し、そのまま切り返した。刃は長剣使いの膝を断ち割り、膝の傷口から長剣使いの魂をすする。長剣使いは干からびていく己の脚をじっと見つめた後、枯れ木が朽ち果てるように倒れた。渇ききった羊皮紙のように、男の死体は粉々に砕け散る。

(どくん)

 また一人殺して、ナルサスの手の中で魔剣が歓喜の声を上げる。おぞましい喜びの声がナルサスを満たす。まだ戦える。まだ殺せる。まだ足りない!

「十分だ」

 ナルサスは、身の内を焼く血の渇きを抑えてつぶやいた。
 剣の渇きを満たすために生き物を殺すのは、おぞましいことだ。剣を通じてその血潮と魂が吸い取られていくのを感じる。その血潮と魂が自分の活力になっていることも分かる。おぞましいのは剣だけではない。それを振るう自分自身も、もはや、怪物だ。

「食われたいのか!」

 ナルサスは、連接棍の男に叫ぶ。声とは裏腹に、軽やかに宙を舞った野火の刃は、鎧の胸を真正面から斬り裂き、男の心臓を味わった。心臓が痙攣し、止まる様子が刃を通じてナルサスの腕を走る。

「ああああ」

 ただ一人残った槌矛使いの兵士は、ナルサスに背を向け、逃げ出した。
 だが、彼は数歩も歩めなかった。
 連接棍使いの胸に埋まっていたはずの野火は、まるで毒蛇のように蠢き、ナルサスの腕を離れて、槌矛使いの背中に突き刺さったのだ。
 男の悲鳴は途絶え、男はまるで枯れ木のように倒れた。

「……」

 ナルサスはもう何も言わなかった。
 これまで何度もあったことだ。野火を振るえば人が死ぬ。魂を吸われ、血潮も吸われ、枯れ木のように干からびて死ぬのだ。刃が魂と血潮をすする感触は、いつまで経っても慣れることができないが、魔剣の噂を聞きつけ、襲ってくる愚か者たちに同情する気持ちはすでになくなっている。自業自得だ。近づかなければ、こんな死に方をしなくて済んだものを。
 そして、ナルサスは、野火をじっと見つめる。
 このまま、あの剣をこの場に捨てていけたならば、どれほどよいだろう?
 だが、それは魔剣の呪縛が許さない。
 たとえ、全力を尽くして背を向けようとも、遠ざかるほどに喉は渇き、締め付けるような気持ちでいっぱいになる。

「ちっ」

 ナルサスは舌打ちをして、剣を振り返る。
 長い歳月で、彼は学んだ。呪縛に耐えることは容易ではない。運命が満たされるまで、彼はこの魔剣とともに生きていくしかないのだ。

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『歌の龍王』第七話です。
 おそらく、二人目の人物、魔剣使いの傭兵ナルサスが登場しました。このキャラクターは、もともとニフティ時代に、メールで行ったセッションのPCです。あれからずいぶん時が経ちました。

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2009年3月17日 (火)

歌の龍王【06】敵の名は……

紫の黒剣

支配するは我なり。
秩序こそが世界で最も美しい。

「我ら、魔道師という生き物には、ある種のさがというべき傾向がございます」
と、青龍の魔道師ザンダルは切り出した。
 モーファットを支配する伯爵に、敵の正体を問われてのことである。敵とは、魔族「赤き瞳の侯爵スゴン」の下僕、「赤き瞳の巫女ドレンダル」のことである。
「この世の知識を得るためであれば、多くのことを忘れることができます」
「忘れる?」
「ええ、例えば、自らの命とか」
「おぬしもそうであったな。
 城壁で龍を見ているとよく聞く」
 龍は恐るべき邪視の瞳を持つと、この街では言われている。龍と目を合わせてはいけない。その瞳ににらまれれば、人の子は狂うか、死んでしまう。
 だが、この魔道師は龍を研究すると称して、城壁で龍の飛来を観察し続けている。
「御存じでしたら、話は早いですね。
 我ら、魔道師はそれぞれの星座によって研究する対象が異なります。私は龍を、通火の幻視者は夢と予言を、野槌は幻術と動物を、そして、原蛇の者は魔族を研究します。ドレンダルもまた、かつては、原蛇座の召喚魔道師でございました。魔族の秘密を学び、危険な魔族の策謀が世界を滅ぼすことを防ぐべく、各地を探索しておりました。
 そうして、彼女は、呪われしヴェルニクに辿りついたのでございます」
「あの遺跡に踏み込んだのか?」
 呪われしヴェルニクは、スゴンの封印であるだけではない。凶暴な土鬼の群れが徘徊する危険な地域である。
「ええ、ヴェルニクこそ、滅び去った巨人の七王国のひとつがあった場所でございます。土鬼はその末裔であり、我々、魔道師学院はかの地に、七王国滅亡期に試みられた魔族召喚と封印の秘儀が眠っていると考えております」
 伯爵はもはや言葉をはさまなかった。
 それは暗黙の前提として、伯爵家にも伝わる歴史的な秘密の一つであったからだ。おそらく、学院から派遣された魔道師からひそかにささやかれたこともあったに違いない。
 とはいえ、龍が飛来するこの街には、ここ何年もの間、ヴェルニクの土鬼や妖魔も近づこうとはしなかった。
「ドレンダルは、それを確かめに行き、そして、スゴンに取り込まれたのでございます。あれはすでに人の子ではありません。魔族の愛妾、その汚れた精を身に受け、妖魔と化した怪物にございます」
「その魔物がこのモーファットを滅ぼすために侵入したというのか?」
「はい。私も先ほど襲撃を受け、直接、予告されました。おそらくは、タガット殿もまた、幻視の力で彼女を見つけてしまったがゆえに、呪殺されたのでしょう。何しろ、かの赤き瞳の侯爵スゴンの属するは翼人、死の星座にございます。死の力を持って龍を殺すために生まれし魔族と聞き及んでおります」
「龍殺しか」
 かつて、魔族と龍が戦ったことがある。
 レ・ドーラの野において、龍同士の合戦が起きた日、傷ついた龍たちを魔族の諸侯が襲い、止めを刺した。すべては魔族の策謀であったという。神を倒した後、自らよりも強い者を滅ぼすため、魔族はその邪悪さを振りしぼり、龍さえも滅ぼしたのであった。後に、星座の神々とともに、火龍たちも地上に帰還し、魔族を滅ぼす戦いが行われた。魔族は敗北したが、すでに彼らは死ねない身の上になっていたのである。
「ドレンダルもすでに不死の身。殺すことはできませぬが、数年ほど深淵に追いやることは可能なはず」
と、ザンダルは言う。
「対策はあるのか?」
「人手が必要でございます。有能な騎士と傭兵、射手をお貸しください」
「いいだろう」
 そこで、ザンダルは、さらに言った。
「魔剣【野火】は今、いずこに?」

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『歌の龍王』第六話です。
まずは、青龍の魔道師ザンダルとともに、赤き瞳の巫女と対決していきましょう。
できれば、週一ぐらいで連載したいところですが、自分でも分かりませぬ

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2009年3月12日 (木)

歌の龍王【05】待ち伏せ

緑の野槌

耳元にささやく者あり。
これもまた夢なりや?

 伯爵の城へ召喚され、顔を出す途上、城壁の間の通路を抜けながら、ザンダルは街の空気の中にかすかに漂う死の気配を感じた。まるで白い羽根が舞うように、死の気配が人々の上に積もっていく。あるいは、街路の石畳の下から水がしみ出すように、人々の足元を死の気配の潮が洗う。
 かすかな波音は湖から聞こえてくるのではない。
 どこかで現実が綻び、世界の深淵とつながっているのだ。
 おそらく……
 心が身体を離れ、気配の根源へ飛んで行きそうになるのをザンダルは必死に抑えた。部屋を出る時、抱えてきた槍を杖代わりに頼る。
 ああ、おそらく伯爵の夢占い師殿は、十分な魔法的防御策を講じずに、幻視の目を死の気配の根源へ向けてしまい、死の力を直接、受けてしまったのだ。
 龍に対する時は、あれほどに注意深いのに。
 いや、おそらくは、龍に比べて、魔族を侮ってしまったのだろう。
 愚かというのは、尊敬に欠ける見方だ。
 夢占い師殿にはきっと、敵の推測などなかったのだろう。予断に縛られず、未来を感じることこそが彼らの習いであったから。
 だが、ザンダルは違う。
 火龍を眺め、火龍の向こう側をみようとする。
 そう学んだ。
 また、魔道師学院は魔族の対策についても、考えている。
 今、それがザンダルの前に立ったとしても……

 気づくと、目の前に女がいた。
 占い師のような法衣、そして、その両眼は炎のように赤く輝いていた。

 ザンダルは一瞬の隙に後悔した。
 真っ赤な視線がザンダルの両眼を貫いた。
 死の羽音が聞こえた。
「死ね」
 声は形ある武器のように、ザンダルの頭蓋骨を揺さぶった。
 だが、ザンダルの魂は、龍の鱗で守られていた。
「火龍ほどではない」
 そのまま、背負ってきた槍を振り回す。人の背ほどの槍がぶんと唸って上方から女の頭に振り下ろされる。城壁に近い道は幅が狭く、避ける場所が少ない。女はよけ切れず、肩を切り裂かれ、後方に転倒する。
「開門!」
 女は、城壁の壁を叩く。
 すると、一気に波音が響く。
「深淵を開くか。やはり魔性の身」
と、ザンダルは言った。
「ああ、お前の名前を聞いたことがあるぞ。
 赤き瞳の巫女ドレンダル」
 それは、翼人座の魔賊「赤き瞳の侯爵スゴン」に魂を売った女魔道師の名前。禁断の知識に溺れ、かの呪われしヴェルニクで暗黒の輩となった女。
「知っているなら、話は早い。
 この街は滅びるのだ」
 ドレンダルは、壁に発生させた深淵の門へと身を躍らせる。そして、代わり、そこから見えない波に乗って人よりも大きな魚が飛び出してくる。
 双魚ブトゥア。空中を泳ぐ異界の妖魚。
「小細工を」
と、ザンダルは槍を構えなおす。空中を舞う巨大な肉食の魚は、魔族ではないものの、槍一本で戦うには十分、剣呑な敵だ。直撃を食らえば、命を落としかねない。
 そして、波音は消えていない。
 深淵の門は開かれると、少しずつ拡大し、そこから異界の波が流れ込んでくる。その波によって周囲は異界となり、このような妖魔が出没するようになる。そのうち、崩壊して閉じることにはなるが、自然崩壊した場合、周囲の物や人を飲み込んでしまう。
 放置してはおけない。
 魔道師には、その対策としての呪文も用意されているが、その前に、この妖魔をなんとかせねばならない。
「短期決戦ですね」
 ザンダルは冷静に判断すると、石畳を蹴って、双魚に激しく槍を突き出した。

 しばらく後、ザンダルは伯爵の執務室にいた。
 疲弊したザンダルは、布に包んだ肉の塊を伯爵の侍従に手渡した。
「いずれ、残りは街の者が運んでくると思いますが、まずは新鮮なものを。
 双魚の肉です」
 侍従の顔色が変わる。双魚は凶暴な異界の魚だが、同時に、不老長寿の妙薬としても知られる。精のつく食べ物だ。
「いったい、それをどこで?」
と、伯爵が問いかけてくるので、ザンダルは身を整えながら答えた。
「城壁の通りで、魔族の使徒に襲われました。
 厄介な存在がこの街を狙っております」
「魔族の使徒?」
「呪われしヴェルニクを支配する魔族、【赤き瞳の侯爵スゴン】に魂を売った魔女、赤き瞳の巫女、ドレンダルです」

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『歌の龍王』第五話です。
まずは、青龍の魔道師ザンダルと謎の女の行方を追いましょう。
できれば、週一ぐらいで連載したいところですが、自分でも分かりませぬ。

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2009年3月 3日 (火)

歌の龍王【04】滅びの日

黒の黒剣

一つの種。
それが汝なり。

「ほぅ」

 自室で瞑想していた青龍の魔道師ザンダルは、モーファットの空気の中に、微かな歪みを感じて、吐息をもらした。それはまるで蜂の羽音のように、どこからか魔力の匂いを届けてくる。

「これは……」

 冷たい視線、すっぱりとした切り口、白い羽根。
 それは翼人座の魔力だ。
 誰かの命の緒が一瞬で断ち切られた。
 おそらくは【死の凝視】というべきもの。

「地下から這い出してきた死霊の類とも思えない」

 死を司る翼人の魔力は決して珍しい力ではない。翼人の魔道師に限らず、モーファットの街にも死霊と話せるまじない師の一人や二人はいる。
 だが、この赤い雀蜂の毒針のような気配は、人の子ではなかろう。
 十年ほど前、水龍ティウチノスが倒されて以来、モーファットの湖の結界は弱まるばかり。北に広がる呪われた遺跡から何か忍び込んできたとしても防ぐことなどできはしない。

「さて、その何かであるが……」

 ザンダルは幻視のため、瞳を閉ざした。
 彼は決して、通火の魔道師や夢占い師のような専門家ではないので、夢歩きで街を把握したり、結界の外に魂を飛ばしたりはできない。漂う魔法の気配を感じ取るだけだ。
 さて、街を守るべき伯爵の占い師はどう動くやら。

 モーファットの城壁の奥、もっとも高き塔を持つ城館こそ、モーファット伯爵の住まいである。
 すでに、この城館では、騒ぎが起きていた。モーファット伯爵に仕える夢占い師のタガット老師が死んだのである。
「赤い瞳が!」
 これが唯一、残した言葉であった。
 ぞっとした伯爵は、市内に滞在する魔道師、まじない師、夢占い師を招集するべく、部下たちに命を下した。この悪しき呪いの原因を早急に突き止めなければならない。

「そう、来ましたか?」

 城館からのお召しを受けて、ザンダルは立ち上がった。
 この数日の気配を見るに、今、モーファットの街に魔道師はおそらく彼しかいない。となると、城の夢占い師が対応できないのであれば、青龍を見るという酔狂な存在でもましというべきだろう。

「タガット殿は何と」
「亡くなられました」
「何か言い残されませんでしたか?」
「ただ、『赤い瞳が』と」

 ザンダルは嫌な予感が的中したのを感じた。
 滅びの日がやってきたのだ、このモーファットにも。

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『歌の龍王』第四話です。
まずは、青龍の魔道師ザンダルと謎の女の行方を追いましょう。
できれば、週一ぐらいで連載したいところですが、自分でも分かりませぬ。

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2009年2月23日 (月)

歌の龍王【03】船から降りてきた女

白の風虎

我は忘れぬ。
我は諦めぬ。
我は追い詰める。

 モーファット河を上下する河船は、1枚帆と多数の櫂を併用した底の丸い船である。櫂は河を遡る際と、船の速度が必要な時にのみ用いる。
 その日、アラノス湖に来た船は、ずいぶんとみすぼらしい姿だった。帆が焼け、舷側には何か巨大な石でもぶつかったのか、ひび割れが見えた。
 やがて、波止場に入った船に向かって波止場の人足頭が叫んだ。
「派手にやられたな、土鬼か?」
 土鬼とは、イクナーリ大平原にすむ野蛮な巨人族である。凶暴で野蛮な民で、しばしばモーファット河を行く人の子の船を襲う。彼らの投げる石は豚ほどもあり、当たれば、人は死んでしまうし、船も沈みかねない。
「ああ、ヴェルニクのあたりで船を止めたら、この有様だ」
 船乗りは、もやい綱を放りながら答える。
「ヴェルニクか。あれも遺跡が多いからのお」
と、人足頭はうなずいた。モーファット河の流域には、土鬼の先祖たちが築いたと言われる巨大な遺跡群があり、土鬼の部族たちはそこを聖地とみなしている。そのため、モーファット河は別名、土鬼河と呼ばれる。北から炎に焼かれしゾースニク、封印されしカルースニク、呪われしヴェルニクの三地域に遺跡が多く集まり、したがって、それらの流域では土鬼の活動が活発なのである。
 そこで、頭はぞっとした。
 もっともモーファットに近いヴェルニクは、呪われし土地だ。土鬼たちは、赤い瞳の魔龍スゴンという怪物を神とあがめている。ところが近年、スゴンの聖域にどうやら、とてつもない財宝が眠っているという噂が流れている。伝説によれば、そこには「スゴンの瞳」と呼ばれる巨大な紅玉石が隠されているらしい。
 今まで、何度も腕利きの宝探しが聖域に忍び込んで、土鬼たちの怒りを買い、非業の最期を遂げた。
「もしかして、誰ぞ、ヴェルニクに……」
 頭が言いかけたところで、船室の扉が開き、船長と一人の若い女が出てきた。
 奇妙な装束の女だった。
 両眼を覆うような板の仮面には、一本の細い筋だけが入っている。あれで見えるのかどうかはよく分からないが、揺れる船の上でも女の足取りはゆるぎない。そして、女のまとうのは、魔道師やまじない師が好んでまとう法衣に、薄い外套だ。胸のあたりには青と銀で彩られた紋章が見える。あれは通火の星座。夢占い師か……
「船長、ご迷惑をかけた」
と、女は船長に言った。
「十分な代金はもらった。それに」
と、大柄な船長が髭をかいた。
「あんたの占いが本当なら、俺は喜ぶべきだ」
「幻視(み)えたことをご説明したまで」
と女は、軽くお辞儀をし、船を下りた。そのまま、モーファットの街を巡る塔の一つへ向かって歩き始めた。

「いったい、どうしたんだ、船長?」
と波止場の人足頭は聞いた。
「それより、頭、俺に何か伝言は預かってないか?」
「ああ、そうだ」と頭は思い出した。波止場の親方からこの船の船長にあてた手紙を預かっていたのだ。船長はそれを受け取ると、さっそく中身を開き、歓声を上げた。
「やったぞ、長男だ!」
 それは妻の出産を告げる知らせだった。
 そう言えば、この船長と来たら、子供が多い癖に娘ばかりで、息子が欲しいと日頃、愚痴っていたものだ。
「どういうことだい、船長?」
「あの女、これが幻視(み)えたんだ」
「夢占い師か、そいつはすごいな」
「それだけじゃねえ。
 あれは一昨日のことだ。夢のお告げがあって、ヴェルニクであの女を拾った。あいつはあの呪われた都から帰ってきたんだよ」
 人足頭はぞっとした顔で船長を見た。

 どんな街にも腐敗は存在する。
 その若いちんぴらもその一人だ。
 船から降りた女の金払いがよかったことを聞きつけると、波止場の雑用を放りだして、女を追いかけた。占い師であろうが、ちょっと短剣で脅せば、懐の中身を差し出すだろう。
 そうして、ちんぴらは女を追って、城壁の塔へ向かう道を急いだ。
 ありがたいことに城壁へ至る道は、人気が少ない。戦争の時はまだしも、平時は、城壁の上にいる衛兵以外、出入りがほとんどない。ましてや先日、バサルの来訪があったばかりだ。城壁に人の集まる理由などない。おかげで、若い男女が逢引きに使うぐらいだ。
 そこまで、考えて、ちんぴらはほくそ笑んだ。
 あの占い師、ずいぶん、若い女のように見えたな。財布の中身をいただくついでに、ちょっとした悪さもできるかもしれない。

「馬鹿だな、お前」

 冷徹な声が頭上から降ってきた。
 見上げると、あの女占い師が見下ろしていた。
 ぞっとするほど冷たい声だった。
 そして、女は仮面を外した。
 深紅の瞳がちんぴらを見た。
 そして、ちんぴらはそのまま、そこに斃れた。
心臓はもう止まっていた。

「くだらないな」
 女はそう言って、周囲に軽く手を振ると、そのまま、ちんぴらの背中に当てた。

 ちんぴらの名前はアート。
 死んでしまった役立たずの波止場人足。

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『歌の龍王』第三話です。
全体の流れはまだまだ見えませぬ。
できれば、週一ぐらいで連載したいところですが、自分でも分かりませぬ。

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2009年2月16日 (月)

歌の龍王【02】龍を見る者


紫の通火

我は瞳を閉ざす。
涙とともに希望をこぼさぬように。

 銅鑼が鳴り響く前に、ザンダルは槍を持って塔の上に出ていた。
 上空に見える青い巨大な翼。
「来たか、バサル」
 次の瞬間、激しい稲光とともに、湖の北側、《龍の狩場》の島に火龍は舞い降りる。バサルは風と稲妻の龍だ。その吐息は、雷と同じ青い光を放つ。その身も空の濃い青だ。
 一里は離れた塔の上からでも龍の巨大さは分かる。
 バサルは、一撃で仕留めた牛を丸のみにして噛み砕く。まるで人が焼き菓子を頬張るように。パイの中から汁が垂れるように、バサルの口元を牛の血が汚す。
 ぞっとする光景だ。
 小島に放たれた牛たちは火龍への供物だ。あれが火龍と街の盟約。

 そして、バサルは振り返る。

 冷たい視線はザンダルの魂を射抜く。青い冷たい狂気と殺意、そして、小さな人の子にひとかけらの価値も認めない絶対的な否定。ザンダルは、龍王の加護の呪文さえぎしぎしと悲鳴を上げ、崩れていくのを感じる。血が凍りつき、心が砕け、呼吸もできない。命短き人の子はその視線を受けただけで死んでしまう。
 崩れ落ちそうな膝で踏みとどまり、槍にすがって塔の上でバサルを見つめ返す。あれはたぶん、気づきもしないだろう。いや、もしも、気づいてしまったならば、ザンダルは火龍の餌食になる。
 今日こそあれを《幻視》(み)るのだ。
 ザンダルは、青ざめた唇に弱々しい微笑みを浮かべる。
 そのために、彼はこの街に来た。
 なぜならば、それが青龍の魔道師の定めなのだ。

 覚悟を決め、ザンダルは火龍に向かって心の手を伸ばし……
 次の瞬間、ザンダルの意識は断ち切られた。

 中原と呼ばれるあたりの東側、スイネの都から南に下ったあたりを、ファオンの野という。
 妖精代初期の盟約により、人の子ではなく、火龍に与えられた土地である。この野をさらに南に下った先、モーファット河の中流にあるアラノス湖の島に、モーファットという街がある。人と龍の境界にある街だ。
 本来、人の子のすむべき場所ではなかったが、人の子は、風の龍バサルを信仰し、盟約と生贄を捧げることでこの地に街を築いた。
 モーファト河は、グラム山に源流を発し、スイネを経て、ファオンの野を下り、モーファットを経て、南海へと注ぐ。中原の中央を縦断する重要な交易路になった。火龍や土鬼の脅威はあるが、南北の交易は多くの富を生み出す。モーファットはその中継地点として栄える街である。

 やがて、石畳の冷たさに目覚めた。
 気づくと塔の上に倒れていた。
 まただ。また。
 火龍を見るには、まだひ弱だというのか?
 学院の秘儀を用いてさえも。
 次は防御の魔法陣を書くしかないか……。

「魔道師殿!」塔の階段を降りる途中で声がかかった。塔の警備兵だ。「まさか、また火龍を見物なさっていたのですか?」
 そう、普通の人の子であれば、火龍の視線だけで狂死している。この者も警備兵でありながら、銅鑼とともに避難していたのだろう。
「そうだ。我らは龍を学ぶ者だからな」
 多くの市民はそれを狂気と呼ぶ。火龍を観察し、その力を突きとめようとする。いかに防御の魔術に長けた魔道師であっても、命がけのことだ。
 だが、魔道師である限り、我らは力を求める。力が無ければ、勝てない相手と闘うのだから。

 ザンダルは夢を見た。
 誰かが歌を歌っていた。
 歌の意味は分からなかった。
 ただ、心地よい眠りだけがザンダルを包んでいた。

そして、一人の女性がアラノス湖で船を下りた。

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『歌の龍王』第二話です。
全体の流れはまだまだ見えませぬ。
できれば、週一ぐらいで連載したいところですが、自分でも分かりませぬ。

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2009年2月 7日 (土)

歌の龍王【01】幻視

黄の戦車

我が運命はまもなく終わり、
時代は変わっていくだろう。

 物語の始まりはささいなことだ。
 二人の魔道師が夢を見た。
 魔族と龍王の夢を……

 魔道師学院の最高議決機関、十五人委員会は、二人の魔道師を呼び出した。
 一人は、いまだ階位の低い幻視者。名をラクリスという女性であった。
「私の歎願に声を貸していただき、感謝します」
とラクリスは、十五人委員会が開かれる塔の広間に跪き、頭を垂れた。本来ならば、彼女はこの場に出られる身分ではない。まだ二十代の初め、幻視者としての修行を通火の塔で始めたばかりだ。
「顔をあげよ」
 議事進行を務める伝奏役のリュジニャンが言う。
 顔を上げたラクリスは、ややおどおどしつつも、明るく輝く両の瞳を見開いた。
「その瞳、幻視の力を十分に宿しておるようだな」
 広間の片隅、ローブに顔を隠したままの何者かが年老いた声で言った。ここに集うのは、十二と一つの星座の塔を司る魔道師の長たちだ。ラクリスの目には魔族の混沌の気配がぎらりと映る。おそらくは、原蛇の塔を支配する《双面》のレトであろう。かの魔道師は魔族と契約を結び、異形の姿を持つという。
「見えるか、我が姿が」とレトが笑う。「だが、それは今宵の目的ではない。
 汝の幻視せる未来を我らで検討することこそ肝要。
 さて、この者の才、どれほどで?」
「我らは期待しております」と、女性の声が答える。通火の塔の長にして、《薄明の公女》と呼ばれし学院最高の幻視者メアルである。ラクリスからすれば、遥か高位の上司に当たる。
 その言葉はうれしかったが、その才能こそがラクリスをここに引き出してしまった、とも言える。
「もはや儀式的な挨拶は不要」
と、堂主アルゴスが発言した。学院の最高位に座す人物だ。
「幻視者ならば、この時と所は理解しておろう」
 ラクリスは同時に、ラクリスはアルゴスが放った青龍の気配に圧倒された。
 そう、あの時もまたこの圧倒的な気配に倒れた。
 ラクリスの脳裏で繰り返される。
 声にならない恐怖。
 それは歌に乗って彼女の耳元に流れてきた。

「歌の龍王」

 ラクリスはそう叫んで倒れた。
 両耳から激しく鮮血がほとばしった。
 ただちにリュジニャンの指示で、侍従たちが彼女の体を運び去った。
「幻視(み)える、ということは不幸であります」とメアルが発言した。「ラクリスは、本来、己が許されぬ場所までたどり着いたのです」
「見逃せぬな」とレトが言う。「龍王の名は」
「しかり」と今まで沈黙を守ってきた戦車の塔の長、黄金の射手リーンズがうなずく。「龍は、我らに対する大いなる脅威。もしも、かの霧の龍王ファーロ・パキールに並ぶ者が幻視に現れたとなれば、それが目覚める可能性を確かめずにはおれませぬ」
「古き伝承によれば」と牧人の塔の長、《紡ぐ者ヴェリ》が言う。「龍王もまた十二と一つの星座に対応するとされます。しかし、我らがその居場所を知るのはわずかに3騎。
 大火龍ジーラ、黒龍王アロン・ザウルキン、霧の龍王ファーロ・パキール……」
「歌の龍王の名はどの資料にもない」断言したのは、自らも青龍の塔にいたアルゴスである。
「巨人の王国以前に封じられたか、あるいは、かのレ・ドーラの戦い以来、復活しておらぬのか?」
 レ・ドーラの戦いとは、魔族帝国時代初期に行われた龍同士の内戦とその後、魔族が行った龍殺しの戦いを指す。
「されど」とアルゴスは続ける。「この幻視は、ただラクリスだけが見たものではない」
 次の瞬間、闇の中から一人の少女が姿を現す。年の頃ならば、おそらく十二、三。その外見は愛らしい野の花のように見える。
だが、十五人委員会の出席者たちは不快な吐息を洩らす。
 なぜならば、彼女はすでに人の子の身ではない。魔族の諸侯、《鏡の公女》に魂と名を捧げ、妖魔の肉体を得た魔女である。《棘を持つ雛菊》エリシェ・アリオラと呼ばれている。
「今宵は、我が師、《召喚者》スリムイル・スリムレイの命に従い、《約定の公女》フリーダ様のお言葉をお持ちいたしました」
 エリシェは悪意のこもった微笑みを浮かべる。
「まもなく、歌の龍王が目覚め、世界は変転の時を迎えるだろう」
「それはお前が幻視(み)たのか?」とアルゴス。
「私が見たのは、歌声の中で眠る龍の姿のみ」とエリシェ。
「スリムイル・スリムレイは何と?」
「我が師は、星の王を追ったまま、戻りませぬ」
「なるほど、あれはまだ……」と、アルゴスは一旦、言葉を切った。
「では、我らもまた探索の手を広げよう。世界のために」
「世界のために」
 十五人委員会の参加者たちが声を揃えて答えた。

 新たな探索が始まる。

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『深淵』の小説の冒頭であります。
全体の流れはまだまだ見えませぬが、本文とは関わりない序章と思ってください。
できれば、週一ぐらいで連載したいところですが、自分でも分かりませぬ.

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2008年11月29日 (土)

永遠の冬【64】帰還


 夢を見ていた。
 果てしない夢を。

ウィリス11歳の夏。

 声が聞こえた。
 名前を呼ぶ声。
 メイアの声だ。

 ウィリスは分かっている。

 ここまでの旅路を覚えている。
 《冬翼様》を迎えに、北の山へ行ったことも、火龍と戦うために戻ってきたことも、みんなみんな知っている。
 グリスン谷を氷雪に埋めてしまった。
 故郷は、もはや、火龍とともに氷の下だ。

 それはしかたないことだった。
 あのまま、火龍に焼かれて、食われてしまう以外にこれしか方法がなかった。
 それは、ずっと昔から《冬翼様》や魔道師が考えてきたこと。

 そして、ウィリスは知っている。
 自分がお迎え役として、次の役目を担うことを。

 《冬翼様》は、この地にて火龍とともに眠りにつく。
 この谷は、永遠の冬に捧げられ、火龍を封じる場所になる。

 ウィリスは、眠り続ける《冬翼様》とその眷属の司祭となるのだ。
 この地に神殿を築き、未来永劫、祈りと舞いを捧げていくのだ。

「ウィリス」

 ああ、メイア。
 君の声が聞こえる。
 君は無事だったのだね。

「ウィリス」

 大丈夫。今、帰るから。
 ウィリスは《冬翼様》から浮かび上がり、風に乗ってメイアの下に向かう。

「ウィリス」

 風の中で形を取る。
 僕は雪狼の姫様のように、この場所にいる。
 メイア、帰ってきたよ。

 永遠の冬の中で。
 ウィリスはつぶやき、メイアに向かって両手を差し伸べる。

 泣かないで、メイア。
 僕らはずっと一緒だよ。

 ウィリス11歳の夏は、永遠の冬へと続いていく。


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【終章:魔道師学院 十五人委員会】

「終わりました」
 魔道師学院の最高議決機関である、十五人委員会において、幻視者カイリ=クスが報告した。彼女は「スイネの瞳」と呼ばれる学院有数の幻視者であり、レディアス=イル=ウォータン、および、棘のある雛菊エリシェ・アリオラの行動をその異能によって追跡していた。
「霧の龍王ファーロ・パキールは、《冬翼の大公》ペラギス・グランによって封印され、グランもまたグリスン谷にて眠りにつきました。
 《冬翼》の影は、ロクド山系を覆い、永遠の冬が始まりました」
 場に揃った十二と一つの塔の長たちがかすかに声を漏らす。
「大きな譲歩だな」
と、黒剣の塔を統べる《大剣のゼル》がうめく。
「予言書に記されたことでもあります」
と、幻視者たちが属する通火の塔の長、《薄明の公女メアル》が指摘する。そう、予言の範囲である。この時のために、魔道師学院は備えてきた。
「時代の終わりがまもなく来る」と、原蛇の塔の《双面のレト》は断言する。「ロクド山系に、《永遠の冬》が来た今、東方より《永遠の夏》もまた迫りましょう。我らがなすべきは、最小限の被害で時代の後継者となること」
「新たな戦火が、辺境騎士団領を襲っております」と、伝奏役のリュジニャンが報告する。「すでに、フィンドホルンは屍の群れに奪われ、黒き翼が北の塔に舞い降りた。ジャガシュの地は、火の神を奉じる蛮族に襲われ、黒蟻どもは、新たな女王を誕生させました」
 一同は、上座の堂主アルゴスを見つめる。
 青龍座から出た学院の支配者は、ゆっくりと口を開いた。
「我らの行くべき道は、変わっていない。
 雪狼の眷属は、しばし、お迎え役殿に預けるとしよう。
 白き仮面と雛菊を呼び戻せ。
 あの者たちに、もう少し、働いてもらおうではないか?」

 かくして、ひとつの物語が終わり、世界は新たな戦いに向かう。

(終わり)

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 これにて、一旦、おしまい。
 長い間おつきあいいただきありがとうございました。

 朱鷺田祐介 

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2008年11月23日 (日)

永遠の冬【63】魂(たま)呼び


 この場所こそ我が故郷。
 それだけは決して忘れない。

メイア11歳の夏。

 それはもはや谷とは言えなかった。
 氷と雪に埋められたくぼ地。
 故郷は、すべて、凍てついた氷雪の中に消えた。
 メイアの生まれた谷はもうどこにも見えない。
 黄金の火龍とともに、凍りついてしまった。

 何が起きたか、たぶん、分かっている。

 彼は、神を迎えにいった。
 今日、この時のために。
 今、この日のために。

 そして、選ばれた結果。
 彼は神とともに、帰還し、火龍と戦い、そして、今、ともに氷雪の封印となった。

「……だから、心配しなくていいよ」

 本来ならば、身を切るような風がメイアを優しく抱く。

「村は守れなかったけれど、皆を守れた。
 メイアを守れた」

 そして、メイアは、ただひとつの名前を叫ぶ。
「ウィリス!」

「そうだ、もっとしっかり叫べ」
 背後から、鋭い叱責が飛んだ。
 振り返ると血まみれの男と雛菊がいた。雛菊自身がまとったドレスも何かに引き裂かれたように、ボロボロになっている。男は体中、傷だらけだが、微かに息をしているようだ。
「あ、あの」
 思わず、メイアが声をかけると、雛菊はさらに怒鳴る。
「どうした、もっと叫べ!
 あいつの名前を呼ぶんだ。
 そうしないと帰ってこないぞ」

 一瞬、雛菊の言葉の意味が分からなかった。
 だって、ウィリスはここに……

「そんな風みたいに悟った魂なんかすぐに消えちゃうよ。
 お前の欲しいのは、亡霊か?」

 違う。
 違う。
 違う。

 私は、彼に帰ってきて欲しい。
 きちんと手や顔を持った、あのウィリスに。

「欲しいなら、叫べ!」
 血を吐きながら、雛菊が立ち上がる。
「私なら、そうする。
 黙ったまま、奪われたりしない。
 私は」
 雛菊は、言葉を切る。

(あとは、お前次第)

 分かっている。
 あなたはきっと、私の声に答えてくれる。
 あなたがお迎え役になった時から、この日のために私もここにいた。
 呼び戻す。
 あなたを。

「ウィリス!」

 叫ぶ。

「ウィリス!」

 叫ぶ。

「戻ってきて!」

 そして、北風が舞い上がり、少年の形を取った。

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 もうすぐ終わります。
 たぶん。

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2008年10月 1日 (水)

永遠の冬【62】破魔の槍


 時として、愚かとも言えることこそ最善。

 メイア11歳の夏。

 その槍と、持ち主の関係ほど不似合いなものはなかった。
 黄金に輝く槍の穂先は暖かき太陽のごとし。
 されど、それを血まみれの手で握りしめる男は、顔全体に多くの傷を刻み、おぞましき邪気を放ち、怒号と悪態をはき続けている。

 そして、その傍らでエリシェは古き言葉で詠唱を行う。

 メイアはその風景に背を向け、巨人と火龍がうなりをぶつかり合う故郷の谷間に目をやる。四つの腕を持つ巨人は、火龍の翼を槍で貫き、皮膜を引き裂く。

(今度こそお前を!)

 巨人の戦士の意志が圧倒的な戦いの意思とともに、メイアの気持ちに踏み込んでくる。
 戦い、戦い、戦い、正面からぶつかり合う。
 殺し、殺し、引き裂き、貫く。
 痛みを与え、苦痛を与え、その肉を食らう。

 巨人と火龍からあふれ出る殺気で、メイアは動けなくなる。

(消滅せよ)

 強い憎悪の波動とともに、火龍の吐息がまたも谷間を焼く。
 牧場も畑も一瞬で燃え尽き、川が蒸気に変わる。煤煙と蒸気が谷間に満ちる。
 その吐息を避けるように谷間を低く走る巨人に対して、火龍が襲い掛かる。巨人は巨大な鉤爪にわき腹を引き裂かれながらも、川床を逃げ回る。火龍は再び流れ始めた川の水の中に四足を踏ん張り、さらなる吐息を巨人に吐きかけようとする。
 だが、ここで巨人の雄叫びが響く。

(火龍よ、お前は負けた)

 突然、谷全体は凍てついた。
 蒸気がきらめく雪に変わり、火龍の翼に分厚くまとわりついた。
 川は一瞬にして凍り、火龍の四足を凍った氷の中に封じ込めた。

*

 谷の上空。
 空中に浮かぶ魔鏡から突き出す一本の腕。
 血まみれの手に握られていたのは、黄金の槍である。

*

 火龍は、怒りの叫びを上げるが、足は硬く凍りつき、見る見る厚さをましていく氷の中にがっちりと捉えられたまま、飛び立つこともできない。
 巨人に向かって吐きかけようとした火炎を足元に向けるべく、首をかしげた火龍は、次の瞬間、落下してきた黄金の光に胴体を貫かれた。
 まるで、糸が切れたように崩れ落ち、川床に倒れ伏す火龍。四足が固定されているため、その姿勢は、ずいぶん傾いたものであったが、首と翼、尾が弱弱しく、凍りついた川面に落ちる。
 巨人は、白い氷の槍を振り上げて、その口を上から串刺しにする。上下のあぎとを縫いとめられた火龍の上に、ざっと雪が降り積もり、たちまちにして小高い氷の山と化す。

 メイアの目の前で、グリスン谷は巨大な氷雪の吹き溜まりへと変わっていった。

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 次回は来週に。


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2008年9月24日 (水)

永遠の冬【61】激突


 その風景を目撃することは、人の子にあるべからず。

 メイア11歳の夏。

 メイアは、その風景に身動きもできない。
 グリスン谷を覆う濃密な霧。
 海にも似た霧の谷から首を突き出した巨大な黄金色の龍。

 たぶん、その風景だけでも人は狂うに足りる。

 ましてや、その濃密な霧の湖の下に故郷の村が消えたとあれば、それは、幻とも信じたい風景である。

 しかし、それは火龍の襲来だけでは終わらなかった。

「ウィリス!」

 叫びに答えたのは北風。
 肌を刺すような凍てついた霙交じりの寒風。
 凍てつくような北風が一気に吹き寄せ、谷から霧を吹き飛ばす。

 その風に乗って白い巨人が火龍に突進する。
 四本の腕、四つの顔。
 そして、背中から世界を覆うほどに大きく広がる巨大で異形の翼。
 快楽の笑いとも、憎悪のうなりとも判別できない叫びが響き渡る。

 メイアは、風がさらに凍てつくのを感じる。

「冬が来た」

 とっさに感じた言葉が口から漏れる。
 それが真実を語っているのだと自ら気づき、メイアはひざまずく。

「冬翼様」

 祈りの中、まるで寒風がここちよい誰かの抱擁のようにメイアを包む。

「……ウィリス」

 メイアは、少年が帰ってきたことを知った。

*

 そして、火龍と巨人は激突する。

 巨人の腕から突き出された白い氷の槍が火龍を正面から捉える。
 同時に、火龍の口が輝き、炎を吐く。
 あたり一面が焦げる。
 凍てつく寒風が、一気に紅蓮の熱風に変わる。

 だが、巨人は火炎の下をかいくぐり、火龍の翼を槍で引き裂く。

 空中で傾いた火龍の首が巨人を追い、火炎が谷間をなめる。
 一気に、谷底から蒸気が舞い上がり、またも、火龍と巨人の周囲に霧のように巻き上がる。

「それでよい」
と、エリシェ・アリオラがつぶやく。
「火龍め、それが己の足かせとなることに気づいておらぬ」

 次の瞬間、霧が一気に白くなった。
 ねっとりと濃くなり、その内側から火龍のくぐもった叫びが上がる。

 そして、人の怒号が響く。

「エリシェ!」

 邪気とともに、怒りの声が舞い降りる。
 振り返れば、全身血まみれで、傷だらけの顔の男が鏡の前で荒い息を吐いている。
 その手には、血にまみれた黄金の槍がぶらさがっている。

「相変わらず、馬鹿だな、お前は……」
と、エリシェが微笑む。
 華のように。
「さて、メイア。
 後は頼むわ。
 戦いが終わった後、ウィリスを呼び戻せるのはお前だけだ」

 そして、エリシェはさらなる跳躍のための詠唱に入った。

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 新聞小説なみの短さですが、ちょっと締め切りの関係で今週はここまで。
次回は来週に。

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2008年9月17日 (水)

永遠の冬【60】鏡の飛翔


 これこそ我が世界、知られざる深淵の旅路。

 メイア11歳の夏。

 一瞬、波音が聞こえた。
 沈むような感覚とともに、不可解な多色の輝きがメイアの脳裏をよぎる。

 輝きの中をくぐる。

 どこにいるか分からない。
 いや、足の下には何もない?
 落下する?

「目を閉じ、思い人のことだけ考えろ!」

 メイアの体を抱くエリシェの老成した声が耳に注ぎ込まれる。
 何か答えようとしても、いまだ、恐怖に震える唇は何も言えずにいる。

 再び、輝きの中をくぐる。

 どこにいるか分からない。
 濃霧が湖のように広がる風景。
 ああ、これはグリスン谷だ。
 村も畑も何もかもスープのような白い霧に没している。

「来い、もう一度飛ぶ」

 振り返ると、エリシェは岩場に描いた魔法陣の中で、巨大な鏡を調整している。
 そして、その上空には輝く七枚の鏡のような光が舞っている。
「あ」
 しかし、それが何かを問うだけの余裕はメイアにはまだない。

「一度は守る。その間にウィリスの名を呼べ」

 そして、エリシェもすでに、次なる呪文の詠唱に取り掛かった。
 ゼルダ婆から聞いたことがある。
 魔法の力は人の子には大きすぎる。
 長い詠唱と入念な準備があって初めて出来ること。
 それでも、魔法を使うならば、人は多くの代償を支払わねばならない。
 すでにエリシェは、疲労し、その腕やドレスにさえ、見えない獣の爪に引き裂かれた跡が見える。さきほど丸呑みされたはずの彼女がなぜ生きているのか? おそらく何かの魔法だろう。だが、あれほど強大な怪物を一度は偽った魔法の代償は十分に彼女を蝕んでいる。

 メイアは、心を落ち着かせる。
 エリシェはエリシェの役割を果たそうとしている。

(私は、私が出来ることをしよう)

 それがどれほどの意味を持つのかはわからない。
 でも、今、そうするしかない。
 彼女は叫んだ。

「ウィリス!」

 大きな声が谷に響く。

「ウィリス!」

 霧の中から巨大な龍の頭が浮かび上がる。
 でも、メイアは叫び続ける。

「ウィリス!」

 龍は、崖の上で叫び続ける少女を発見する。その周囲には、古鏡の魔法がきらめく。いらつくように、龍は吼える。
 その声は言葉にならない唸りであったが、強烈な意志を伴ってメイアとエリシェを襲う。

 汝らは我が餌。
 ただそれだけの存在に過ぎないのだ。

 圧倒的な否定。
 メイアは声を詰らせる。
 もう食べられてしまうしかないのね。

 言葉が出なくなる。

「叫び続けろ!」

 エリシェがメイアを抱き起こす。
 同時に、火龍の大顎が迫るが、一瞬、きらめく鏡のような魔法にさえぎられる。
 鏡はたちまち砕け散り、同時に、メイアとエリシェは再び、闇に落ちる。

 一瞬、何かを通り抜けた後、落ちたのは、グリスン谷をはさんだ反対側の崖の上だった。

「叫べ!」

 エリシェの口元からは、血が流れている。
 それでも、棘ある雛菊の名前の通り、微笑み続ける。

「叫べ!」

 メイアは理解し、そして、叫ぶ。

「ウィリス!」

 火龍が振り返り、メイアを見つける。
 ふたたび、唸りを上げようとして、龍は北に視線を逸らした。
 凍てつくような北風が一気に吹き寄せ、谷から霧を吹き飛ばす。
 そして、白い巨人が龍に向かって槍を突き出した。

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 何とか復活中、次回は来週に。

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2008年9月 8日 (月)

永遠の冬【59】火龍の雄叫び

 歌え、その祈りを声に乗せよ。

 メイア11歳の夏。

「霧は晴れない」
と、その少女は言った。
「だから、お前には、ウィリスを導いてもらわねばならぬ」
「ウィリス!」
 メイアは声を上げた。
「帰ってくるの?」
「帰ってくる」
 そして、彼女は北の空を指した。
 霧に包まれた白い空だったが、どこか夏とは思えぬ何かが感じられた。

 少女の名前はエリシェ・アリオラといった。
 彼女はその外見とは裏腹に老成した口ぶりで、ジードや村長と話しこみ、結局、朝から村人は里を去ることになった。
 彼女は、南の村に住む《霧の龍王ファーロ・パキール》の恐ろしさを得々と説明し、火龍の足止めのために、ジード、メイア、酒造りのウシュキ、そして、弓と罠に詳しいものとして、リシュの爺を残した。
 ジードとリシュは、ありったけの綱と道具を抱えて、川を少し下った。ジードは、火龍が早めに来た場合のために、鏑矢を持って川岸に潜んだ。その合間に、リシュの爺が川面を大物が抜けたら、鳴子が鳴るように仕掛けを張った。
 ウシュキは秋祭りのために仕込みかけた酒を村の川岸に運んだ。
「酒の匂いは、人の気配を隠す」
と、エリシェがいう。
「龍を酒に酔わすのかね?」
と、ウシュキが問うと、エリシェは微笑む。
「あれを酔い潰すには、この村が沈むほどの酒が必要だろう。
 そもそも、あれが酒を飲むかどうか、確認したものはおらぬ。
 少なくとも、泥酔した火龍という記録は残っていない。
 ……興味深い問題かもしれないわね」

 やがて、朝になり、村人たちが九十九折を上っていく。
 もはや霧は濃く、崖の上はもはや見えない。

「あとは、段取り次第」
 メイアを横に控えさせたまま、エリシェは、村の中央から動かなかった。
「あの、」とメイアは思い切って話しかけた。
「エリシェ様は、ウィリスや婆様とお会いに……」
 場違いな質問であることは分かっていた。
 だが、霧に包まれたグリスン谷で、メイアは沈黙を守り続けることが出来なかった。
「ああ、つい先日、会った」
 エリシェの答えはそっけなかった。
 メイアは言葉を続けることが出来なかった。
 しばらくの間があってから、エリシェは言葉を続ける。
「悪いな、どうも、世間話というのは苦手だ」
「いえ、あの」
「……《風読みのゼルディア》、いや、おぬしらの先代お迎え役、ゼルダは、我が妹のようなものだ」
 10歳にしか見えない少女の口から出るには、不似合いの言葉である。
 あきらかに四十を越え、老婆の域に達しつつあるゼルダの姉には決して見えない。
「ウィリスは、今、最後の扉に迫っているはずだ」

 そして、鳴子がカタカタと音を立て、鏑矢が虚空に甲高い音を上げた。
「来たぞ」
 エリシェの声は、引き続く火龍の雄叫びにかき消された。
 谷全体が轟きに揺れ、メイアはもはや恐怖で動くことさえできない。

 そして、また、すべては沈黙に包まれた。

「来た!」とエリシェは近くの酒樽を蹴り倒す。
 濃厚な酒の匂いがあたりに漂う。
 酒樽の間を走るエリシェの頭上に巨大な顎が出現し。その上半身を丸呑みにする。家よりも大きな上下の顎が、がきっとかみあわされ、エリシェの姿が消える。

「あ、あ、あ」
 もはや、メイアには声を出すことも出来ぬ。
 その背後から、すっと誰かがメイアの体に手を回す。
「飛ぶよ」
 エリシェの声とともに、メイアの視界は暗くなった。

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 何とか復活中、次回は来週に。

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2008年9月 1日 (月)

永遠の冬【58】霧の濃い朝

 それもまた策謀のうち。棘のある雛菊は、風に舞う。

 メイア11歳の夏。
 その朝、霧が晴れなかった。

 人々は、息を潜め、ゆっくりと移動した。ウィリスの父ジードが見張り役として川岸に立ち、その間に人々は九十九折れの崖道を登った。村長の命令で家畜は柵から放ち、田畑に残された。
 逃げ落ちる先は、領主が住む砂の川原と決まっていた。砂鉄取りに人手を求めるあの街ならば、避難民にも優しいであろう。
 足の遅い老人たちの何人かは、後に残ると言った。もはや老い先の短い彼らはグリスン谷の末路を見届けたがった。だが、その多くは家族に背負われて坂を上っていた。
 結局、谷に残ったのは、昔、狐狩りの名手だったリシュの爺と、酒の仕込み中だというウシュキの親父、それに見張り役のジード、そしてメイアだけだった。

 メイアが残った理由は昨夜、この地を訪れた一人の来訪者の言葉によるものだった。

 それは豪奢なドレスをまとった10歳ほどの愛らしい貴族の少女だった。
 彼女は、なぜかゼルダ婆の家から現れた。
「我は使者である。
 ウィリスとゼルダ婆の伝言を届けに来た」
 傲慢とも言える物言いは、彼女の口から出るといかにも自然であった。
「この地は、明日、戦場となる。
 村民は家畜を残し、この村を離れよ。
 避難先は砂の川原」

 村人はためらった。
 ここ何日か、川下の龍の存在で不安になっていたのであるが、村を離れるなど考えてはいなかった。そのため、突然、現れたものの唐突な言葉に従うか悩んだのである。

 だが、ジードの言葉がきっかけを作った。
「お前は、魔道師だな?」
 ジードは、もともと、北原で傭兵をしたこともある男。この田舎の村の中で数少なく世知に長けていた。
「退去は、魔道師学院の命令か?」
「しかり」と少女は答える。
「これは、我が師匠《召喚者スリムイル=スリムレイ》と、汝らの先代お迎え役ゼルダこと《風読みのゼルディア》が合意によって発せられたる警告なり」
 村人はざわめく。ゼルダがこの村に来る前、どこかで魔法の修行をしていたということは、村の老人たちしか知らぬことであった。

「汝らは知っているであろう。
この川下に、霧の龍王ファーロ・パキールが潜み、村を襲っていることを。
 ゆえに、我らは汝らに避難を命じるとともに、ここで火龍を食い止める仕掛けを行う」

 そうして、彼女は村人の中にいたメイアを見て微笑んだ。
 その視線にメイアは背筋が凍りついた。
 グリスン谷の冬よりも冷たい何か。
 この少女は、たぶん、人ではない。
 メイアはぞっとした。
 おそらく、雪狼の姫のほうがよほど人らしい。

「ウィリスの許嫁か。
 お前には、役目がある。
 ウィリスが帰り着くために、お前が必要だ」

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 何とか復活中、次回は来週に。

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2008年6月24日 (火)

永遠の冬【57】短い夏の終わり

 何気ない時。
 何気ない日々。
 それがいかに大事なものなのか?
 失って初めて気づく。

 メイア11歳の夏。

 グリスン谷の夏は短い。
 ウィリスとゼルダ婆が旅立って一月あまり、夏はもう陰りを見せ、村人たちは収穫前の畑仕事に精を出している。

 きっかけは霧だった。

 朝、河沿いに漂ってくる霧は少しずつ濃さを増していった。最初は太陽が昇るとともに、消えていった霧が少しずつ長く残るようになった。
 村人たちは春の戦の影響で、夏が少し涼しいものとなってしまうのは諦めていた。雪狼の姫君が風見山に降臨され、溶けぬ雪で山を覆ってしまったのであるから仕方ない。霧もまたそういう事柄の影響と思っていた。
 しかし、河を下って川下の村へ出かけたラインの次男坊が10日経っても戻らなかったので、ちょっとした騒ぎになった。どこかで溺れたか、それとも獣に襲われたのか?
 ウィリスの父ジードが村の男衆を連れて探しにいった。

 結果はもっと恐ろしいことだった。

 川下の村は晴れることのない濃くねっとりとした霧の中に沈んでいた。
 人の気配も家畜の鳴き声もしなかった。
 轟くようなたったひとつの吐息だけが村を包む霧から響いてきた。

 轟轟轟。

 ジードはただ恐れるばかりの村人に避難の支度を命じて村に返した。
 村長はその知らせを聞いて顔を青くすると、村人を集め、荷物をまとめるように指図すると、砂の川原に使いを出した。明朝には村を離れられるだろう。
 その夜、ジードが戻ってきた。
 わずか一日だったが、ジードは別人のようにやつれていた。

「火龍だ、霧の中に馬鹿でかい奴がいる」

 そして、その朝は霧が晴れなかった。

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 何とか、次回は来週に。


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2008年6月16日 (月)

永遠の冬【56】出陣


 時は来た。
 時は来た。
 時は来た。

 ただ声は響く。
 千年も万年も昔から、この時を待っていた。

 ウィリス11歳の夏。

 祈りが届いた瞬間――――
 ウィリスは「呑み込まれた」。

 封印が裂け、
 巨大な鎖が断ち切れ、
 アヴァター山頂上の結界そのものが、
 封じられた《冬翼様》の頭部とともに、
 上空へと吸い上げられる。

 ウィリスの体は、雪狼とともに舞い上がり、
 そのまま、《冬翼様》のお体に向かっていく。

 轟。
 風が吹き荒れる。

 寒くなどない。
 寒気はウィリスの友だ。

 気づくと、ウィリスは巨大な掌の上にいた。

 轟轟。
 風が渦巻く。
 それはおそらく、《冬翼様》の笑い声。

 そして、雄叫び。

「さあ、どこに行けばいい?」

 《冬神様》が叫ぶ。

 ウィリスはただ南を指差した。
 火龍の気配の方向。
 戦いの声が響くところ。

 轟轟轟。

 《冬翼様》は、風を蹴って走り出す。
 雪狼の群れが歓喜の雄叫びを上げ、その周囲を飛び回る。

 遥か彼方から雄叫びが上がる。
 あれは、「冬の祠」。
 万年の年月を待ちわびていたルーヴィディア・ウル様のお声。

 雷鳴が轟き、稲光が輝く。
 寒風の彼方、稲妻の魔神もまた推参しようというのか?

 そして、《冬翼様》は、ロクド山の深き峰へと飛ぶ。

 遥か南方、谷間深きあたりに、濃密な霧が渦巻いた。
 あれこそ龍の巣。

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 しばし、間が開いてしまいましたね。
 夏に向けて、イベントが続き、学校や締め切りも重なって色々多忙ですが、何とか、次回は来週に。

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2008年5月26日 (月)

永遠の冬【55】顕現せし真実


 魔は魔である。
 それ以外にどう説明すればいいのか?

 ウィリス11歳の夏。お迎え役としての時を迎える。

 「それ」は恐ろしい冬の力そのものであった。

 《冬翼様》とグリスン谷では呼ばれた神。
 あるいは、
 《冬翼の大公》と魔道師学院に伝わる魔族の諸侯の一柱。

 いずれにせよ。

 お迎え役として地に伏せたウィリスでさえ、
 「それ」を神という一言で表現していいものなのか、
 ただ、「畏(おそ)れ」るべき存在。
 世界の大半を圧してなお、意志を持つ「異形の神霊(もの)」。

 怖い。
 とても怖い。
 死ぬほど怖い。
 その怖さは、顔を上げることなどできない。
 それでも、何かの弾みで死んでしまいそうなほど怖い。

 ここに伏しているのが、ウィリス以外の誰だったとしても
 きっと、すぐさま凍りついて、死んでしまったに違いない。
 それほどの寒風が神の声ととこに周囲を荒れ狂い、暴れている。

 それでも、ウィリスは、うれしい。
 神の声は古い、古い、神代の言葉であったが、
 そこには喜びがあった。

 圧倒的な喜び。

 切り裂かれ、奪われた自分の一部と再会した喜び。
 奪われ、隠され、偽られた自らの名前を取り戻す喜び。
 長き封印から解き放たれ、自ら戦う喜び。

 この方を迎えるために、ウィリスはここまで生きてきた。

 わずか2年前、9歳の時に「お迎え役」となった。

 この2年間、ゼルダ婆とともに、修行してきたのはこの日のためだ。

 そして、ウィリスは身を切るような寒風に向かって立ち上がる。
 「願い」を。
 「願い」を伝えねばならない。

 我らが神に救いを求めねばならない。
 憎悪と破壊にすべてを向ける前に。

「《冬翼様》、《冬翼様》。
 小さき者の願いをお聞き届け下さい。
 我らの谷を、我らが村を、飢えたる火龍よりお救い下さい」

 ごううううううううう!

 突風がウィリスを吹き飛ばす。
 地面にしがみつくことも出来ぬまま、ウィリスは宙に浮く。

 そして、それが神の笑い声だと知った。

 神は喜んでいる。

 復讐の時を。
 戦いの時を。

「火龍!」

 圧倒的な喜びの感情が爆発し、四つの顔を持つ神は巨大な翼を羽ばたき始める。

「戦いこそ我が糧」

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 ついに、《冬翼の大公》復活であります。
 次回はまた来週。
 おそらくは、山々にて。

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2008年5月19日 (月)

永遠の冬【54】響き渡る声


 誰もが感じる、再会の時を。
 誰もが知る、目覚めの時を。
 誰もが歌う、呼び合う声を。

 ウィリス11歳の夏。お迎え役としての時を迎える。

 ウィリスは、目を閉じて、お迎えの祝詞を口にする。
 両手を空へ向け、ゆっくりと舞い始める。

「ご来臨あれ、ご来臨あれ。
 いと高き人よ。
 収穫も終わり、蔵も樽も満たされた。
 囲炉裏を囲み、歌を唱ずる我が家を訪れ、
我らが酒を飲み、我らが膳を受け取られよ」

 グリスン谷のお迎えの祝詞は、秋の終わり、北風とともにやってくる《冬翼様》を、賓客の神として歓迎するものだ。
《冬翼様》がなぜ南北に旅するのか?
 グリスン谷に伝わる話は、《冬翼様》の悲しい定めを語る話だ。

《冬翼様》には、愛する妻がいた。
 その妻は、呪いにかかり、夏が終わると、一羽の渡り鳥になって南の地へ旅立ってしまう。だから、《冬翼様》は冬とともに、愛する妻を南へと捜しに来る。寂しい、寂しいと探しに来る。残念ながら、人の姿を失ってしまった妻は見つからない。だから、荒れ狂い、雪で大地を埋め、川を凍らせてしまう。
 そこで村人は、《冬翼様》を歓待し、その荒御魂を慰め、腹を満たしてもらう。
 春になれば、《冬翼様》の妻は、渡り鳥になって戻ってくる。そうしたら、《冬翼様》に渡り鳥とともに、北の館へお戻りいただくのである。
 そうして、無事、春を迎えれば、その年の豊作が約束されるという。

 だが、ウィリスはその物語の意味を理解した。

 《冬翼様》は、かつて落とされた首を捜しておられたのだ。
 呪いによって、首を見出すことも出来ぬまま、何年も何年も、北の館と南の谷を往復しながら、己の首を捜しておられたのだ。

「ご来臨あれ、ご来臨あれ。
 いと高き人よ。
 偽りの時は終わり、正しき場所に導きましょう。
 さあ、なくした物を取り戻されよ。
 再び、全き姿となって、武勲の時を迎えられよ」

 祝詞の舞いとともに、吹雪は強まり、封印の鎖はギシギシと鳴る。
 鎖の回りを、雪狼たちが舞い、遠吠えを上げる。

 やがて、遥か彼方に強い気配が生じた。

「あれこそ、我らが父」
と、吹雪の中を舞う雪狼たちがささやく。
 同時に、ウィリスの脳裏に、ネージャ様の声が響く。
「さあ、舞え、舞え。
 解放の時は間もなく来る。
 ウィリスよ、そちはお迎え役。
 我らが獣の王」

 その声と同時に、一瞬の幻視がウィリスの脳裏に閃く。

 あの呪わしき男が、雪原の中央、突き出した黒き槍に手をかける。
 その手から黄金の炎が上がるが、傷だらけの顔をした男は黒き槍を引き抜く。
「照覧あれ!」
 叫びとともに、雪原から黒き槍を引き抜いた男はそのまま、雪の斜面を落下していく。

 途端に、北の彼方の気配が強い物に変わる。
 同時に、頭上の首の四方を向いた顔が、かっと目を開く。

「我は目覚める」

 そして、吹雪の音と雪狼の遠吠えが最高潮に達し……
 アヴァター山の上に、巨大な翼の影が落ちた。

 ウィリスは舞を納め、大地に伏せる。

「よくお出で下さいました。
 よくお出で下さいました」

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 ついに、《冬翼の大公》復活であります。
 次回はまた来週。

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2008年5月14日 (水)

永遠の冬【53】四方を見る顔

 偽りの名前と魔法の呪縛に縛られて
 我は四方を見る。
 復讐の兆しを見逃さぬために。

 ウィリス11歳の夏。
 ついに、《冬翼の大公》を束縛する封印へと辿りつく。

 アヴァター山の山頂に広がる広大な廃墟の中心。
 吹雪く白雪で霞むその空中に浮かび上がる、巨大な四つの顔を持つ首。それはグリスン谷のどの家よりも巨大で、開かれた口だけで水車ほどもあった。絶えず、四つの口から風を吐き、唸り、吼え、呪いを紡ぐ四つの顔。
 それは呪わしき封印の大地から身を遠ざけようとするかのように、空へ空へと舞い上がっていこうとする。しかし、何本もの黄金の鎖が首の各所を縛りつけ、ギシギシと唸りを上げながらも、巨大な首を山そのものに縛りつけられている。

「あれこそ、我らが父」
と、吹雪の中を舞う雪狼たちがささやく。
「おいたわしや」

 同時に、ウィリスの脳裏に、ネージャ様の声が響く。
「解放の時は間もなく来る。
 ウィリスよ、そちはお迎え役。
 すべきことは、お迎えの儀」
 その声が遥か風見山から伝わってきていることは分かっていた。
 ネージャ様の封土。
 最初に、永遠の冬が来た場所。

「この地にありし封印は、呪わしき下僕が解く」

 それが誰かは、何となく想像がついた。
 以前、街道で出会った邪悪な気配の魔道師。
 ゼルダ婆が言っていた「最悪の男」。
 あの者は禁忌を冒すために生まれた者。
 おそらくは、魔族の封印を解きつつ、その呪いを受けようとする者。
 あの男はあまりにも恐ろしく、あまりにも邪悪で、思い出しただけで悪寒がする。近づいたら、瘴気に当てられ、倒れてしまうだろう。

 でも……

 ウィリスは涙が出るのを感じた。
 魔族の呪いを引き受けるために、生きているのだとしたら、それはそれで悲しいことだ。人であることを止め、誰からも恐れられ、嫌われ、解放した魔族からさえも呪われるとしたら、あの男はどこで安らぐのだろうか?

「人として越えてはならない線」

 獣師ディルスが言っていた線の向こう側に生きるのか?
 おそらく、あの少女のように見えてもはや人とは言えない「棘のある雛菊」という女性だけが旅の仲間なのだろう。

「優しき子であるよ」
と、ネージャ様が言う。
「あれは、自らあの道を選んだ。
 お前もお前の役割を果たせ」

 ネージャ様の声とともに、ウィリスを乗せた雪狼は、巨大な首の下へと舞い降りる。古代の都市の内側、呪わしい封印の鎖の根本だ。
 鎖は、大木そのものを使ったような巨大な黄金の杭と礎石で大地に固定され、ひとつひとつの輪が大人ほども大きく、輪にされた金属は、ウィリスの胴ほども太い。

 雪狼の背から降りたウィリスにはもうすべきことが分かっていた。
 お迎えの舞と祝詞。
 本来、冬の始まりに行うべきお迎えの儀により、《冬翼様》を、真実の封印のありかへお招きするのだ。
両手を差し伸べ、ゆらゆらと複雑な弧を描く。
 ウィリスの祝詞に合わせて、雪狼が吠える声を上げる。

 ウィリスは、自らの中に巨大な冬の力が集まってくるのを感じる。

 遥か北の彼方、《夏のお休み所》で《冬翼様》が目覚められるのを感じた。今まで、封印によってくぐもっていた意識が目覚め、荒御魂が飢えと怒りに満ちていく。戦いのための精気が身心に満ち、感情が高まってゆく。
 ああ、目覚めの時が来たのだ。

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 ついに、《冬翼の大公》復活であります。
 次回はまた来週。

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2008年5月 7日 (水)

永遠の冬【52】異端者の過去


 失うことを恐れるな。
 怖れに身を震わせて無為に過ごす時間こそ最大の危険を招く。

 ウィリス11歳の夏。
白き獣師とともに、アヴァター山の吹雪の中、かつて愛した女の死を語り出す。

「異端者は、なぜ、異端者と呼ばれるのか?」
と、レディアス=イル=ウォータンは自嘲気味に笑う。酷薄さを示す薄い唇を見て、ウィリスは、(寂しそうだな)と思う。
「それは、人として越えてはならぬ一線を越えてしまうからだ」

 人としての線。
 黒い獣師ディルスも言っていた。
 異端の獣師とウィリスの間にある、一本の線。
 その見えない線を、「越えては欲しくない」と。

「私は、その女を生きたまま、魔族に捧げた」
とレディアスは言う。

 生贄の儀式。
 ウィリスはぞっとした。
 そういうことをする、魔族の使徒がいるとよく聞く。ありがたいことに、グリスン谷の周辺にはいないらしいが、それでも、邪悪な魔族の信徒によって、子供がさらわれたとか、殺されてしまった娘の話は噂として聞いていた。腹を裂かれ、腸を引き出されていたとか、首を切られ、目をえぐられていたとか、それは、それは、恐ろしい話ばかり。

 答えることの出来ぬウィリスを知ってか知らずか、レディアスの告白は続く。

「それは叡智の代償だった。
 そうして、私は魔獣作成の秘儀を得た」

(叡智?)

 ウィリスはそれがどれほど大事な物かは分からなかった。
 確かに、魔法を学ぶために、多くの努力と苦難が必要なのは分かる。
 あんなことが一つもなく、ただ力を手に入れられるなら……
 でも、自分は誰かを代わりに生贄に捧げたりはできない。
 ゼルダ婆でも、メイアでも。

「そこまでしてしまう理由をお前が理解する必要などない」
とディルスが言う。
「人の命より大事な知識があるなどと考えるな」

 それが「人としての一線」。

 白き獣師レディアスは、黄金に輝く右手の篭手を握って見せる。
 ウィリスはそれが大きな魔力を発しているのを感じる。
 それがもしや、女性を代償に得た力なのか?

(否)

 ウィリスの疑問に答えるように、篭手が遠吠えを揚げる。
「これは、《陽炎の王スルース》」とレディアスは笑う。「獣師同盟より奪いし、《混沌の六魔獣》の一体に過ぎぬ。こやつを御するために、我が右腕を捧げた」
 見れば、レディアスには、左腕がないし、顔にはまり込んだ白い仮面はもはや肉体と一体化しているようだ。

「二つの目は、《収穫の騎士ラシュノルド》に、
左腕は《すすり泣く無限》に捧げた」

 あと、この人の中に人である部分はどれほど残っているのだろうか?
「それでも、私は、サイアを救えなかった。
 私は彼女を見捨て、今、ここにいる」
 その声は毅然としていた。

(後悔はしていませんか?)
 その問いは、ウィリスの唇まで達しなかった。

 突然、遥か南でおぞましい龍の気配が爆発した。

(汝らは我が餌)

 再び、あれが目覚めたのだ。
 飢えたる《霧の龍王》が。

 レディアスは、黄金の篭手で山頂を指差す。
「ウィリスよ、さあ、冬の封印を解け。
 そうして、お前の大事な物を救いに行け」

 メイアの顔が浮かんだ。

 その瞬間、ウィリスはひとり走り出す。
 雪狼たちが回りに従う。
 心地よい風と雪が強まる。

(乗れ)

 雪狼の声が響き、ウィリスは風とともに浮かび上がる。
 そして、天高く舞い上がると、ついにそれが見えてきた。
 山頂の上、巨大な四つの顔を持つ首が、黄金の鎖によって山そのものに縛りつけられていた。

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 またもや少しずつ、再開リハビリ中です。
 GW中に、いくつも『深淵第二版』に関する質問をいただいております。こちらも近日中に少しずつ対応させていただきます。次回は来週に。

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2008年4月29日 (火)

永遠の冬【51】出会うべき魂


 似た者は同一である、と学院は定義する。
 すべては12とひとつの星座の影に過ぎない。
 多彩なる深淵の表層に投じられた12とひとつの影。
 それはばらばらな存在でありながら、一つである。

 ウィリス11歳の夏。
白き獣師とともに、アヴァター山の吹雪の中を歩む。
向かうは、山頂。
おそらくは、冬翼様の呪縛の場所。
魔道師たちの言い方に沿うならば、冬翼の大公ペラギス・グランの四つの顔、真なる封印のあるべき場所。

「すでに感じているだろう」
と、白き仮面の獣師レディアス=イル=ウォータンは山頂を指差す。
「この頂に、ウィリス殿の主が封じられている」
「ええ」とウィリスは答えた。

 声が聞こえる。
 雪狼たちの歓迎の声。
 ネージャ様の導きの声。
 そして、冬翼様ご自身の気配。

「封印を解くのはお前の仕事だ」
とレディアス。
「はい」とウィリス。
「残念だが」と、もう一人の獣師、ディルスが言う。
「《獣の王》になるのは、お前の仕事だ、ウィリス」
 その口調は余り残念そうには、聞こえない。
 だが、ウィリスにはそれより聞かねばならない質問があった。
「《獣の王》になるとは?」
「うーん」とディルスははぐらかす。
「なる必要などない」とレディアスが横合いから切って落とす。
「お前はすでに獣の王だ。
 聞こえているだろう?
 彼らの声が」
 それはもはや質問などではない。
 確認ですらないだろう。
 ただ、この場でレディアスは聞き、ウィリスはうなずく。
 その儀式が踊りの手順のように必要なのだ。

「ええ」

 ウィリスは答え、うなずく。
 レディアスとディルスはうなずき返す。
 雪狼たちが高く雄叫びを上げる。

「お前は名乗る前から、獣の王であった」
とディルスが説明する。
「おそらく、ゼルダ婆に預けられるずっと以前から。
 その時を覚えているか?」
「ええ」とウィリス。
「白い石碑で、ネージャ様と会いました」
「幼き頃より、魔族の眷属の影響下にあったということだ。
 正しい経路だな」
 レディアスの言及は社での講義のようだ。
「やや、不適切なのは……」
と、レディアスは唇を引き締める。
「ここまでの案内人だが、我々も身の程をよく理解している」
 レディアスの顔の大半は白い骨のような仮面で覆われ、目の色も動きも一切見えないため、ウィリスにはその表情を読むことは出来なかった。
「どういう意味ですか?」

 レディアスは微かに笑う。

「私は愛する女を二度、殺した」

 そして、ほほ笑む。

「一度目は、魔族に捧げた。
 二度目は、見捨てた」

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 またもや少しずつ、再開リハビリ中です。
 名前と実在の話。
 できれば次回はGW明けに。

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2008年4月22日 (火)

永遠の冬【50】間奏:機織り歌


 物語を紡ぐのは誰か?
 あるいは、物語に紡がされているのか?
 どちらでもあり、どちらでもなし。

 ウィリス11歳の夏は、同時に、メーア11歳の夏でもある。
 少女は、少年のいない間も日々を過ごしている。

 ウィリスとゼルダ婆が東へ旅立ってもう一月以上が過ぎた。
 グリスン谷は短い夏の盛りを迎え、畑仕事の合間に、メーアは機織りを習った。
機織りは根気のいる仕事だった。糸を機に並べ、張り、足踏みで糸を開閉させながら、杼を左右に動かしていく。一巻の布を織るのに何日もかかる単調な作業だ。
 パタンと開けて、杼を通し、パタンと閉じて、杼を返す。
 母は歌とともに覚えよという。
 足踏み機をパタンパタンと開閉させるのに合わせて歌うのだ。
 そして、一節歌ったら、糸目を整える。

 母は、祖母から聞いたという歌を歌う。

『霧と雪に祈る』

 谷の、川瀬を流れる霧は、
 眠れる龍のため息か、
 雪狼の足音か。

 ああ、あの人は今、いずこ。
 来年来月、望月の、春の宵には戻りましょう。
 社参りの御講を担って街より戻りましょう。

 山の、尾根に降る雪は
 冬呼ぶ翼の御印か、
 飛び行く姫の外套か。

 ああ、あの人は今、いずこ。
 来年来月、望月の、春の宵には戻りましょう。
 結納品の白き糸、背負って街より戻りましょう。

 ただ、私は祈ります。
 あの人が野辺に倒れぬことを。
 あの人が戦の刃に刺されぬことを。
 ただただ私は祈るのみ。

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 機織り歌はいくつもある。
 未婚の娘が、出稼ぎにいった婚約者の無事を祈る歌もあれば、通じぬ思いを託す歌もある。寂しい歌もあるが、総じて、軽快で元気な歌だ。パタン、パタンという織り機の音に合わせて、拍子をつけて歌う。機織りを教える母も傍らで声を合わせて拍子を取る。時折、近所のおばさんやお姉さんがのぞきにきて、一緒に機織り歌を歌って帰ることもある。歌詞もその場の調子で変わる。時には、近所の噂や過去の出来事を面白おかしく歌うこともある。どこぞの誰かが畑でひっくり返って泥だらけ、羊にかまれて大騒ぎ、誰かと誰かが好いたの、振られたの、村の女たちは笑い飛ばす。
 だから、メーアは寂しくなかった。
 ウィリスがいなくても寂しくはない。

「寂しい時も歌えばいい」
と、母は言う。
「そうすれば、声は届く」

 だから、メーアは機を織り、歌を歌う。

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 またもや少しずつ、再開リハビリ中です。
 次はまた、アヴァターの山へ。

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2008年1月 3日 (木)

永遠の冬【49】火龍の目覚め

 声が聞こえる。
 内なる声が……
 吼える、唸る、震える。
 それが運命と言うのか?

 ウィリス11歳の夏。
 少年は、吹雪の轟音を越え、運命の声を聞いた。

「火龍パーロ・ファキール」

 言われずともおそらく感じていた。
 遥かな声。
 あれは夢の中で、《冬翼》様と戦っていた霧の龍王。
 青ざめた鱗と黄金の瞳を持つ破壊の化身だ。

 一度、殺した。

 二度目は殺された。

 そして、三度目の時が来た。

 しかし、《冬翼》様は封じられたまま……。
 四面の顔を持つ首を失い……。

「だから、迎えに行くのだよ、ウィリス」
と、レディアスがほほ笑む。
「四方を見る者スクラ……それは偽りの存在」

 ウィリスはうなずいた。
 この身に感じるのは、《冬翼》様の気配である。
 確かに、この山の周囲には多くの力が眠っているが、山頂に感じる第一の力は、慣れ親しんだ冬の神のものであった。

 ならば、この封印を解くのは、お迎え役たるウィリスの仕事だ。

 そして、ウィリスは吼える声が聞こえた南の方角を振り返った。
 それは、もしかすると、故郷、グリスン谷の方角かもしれない。

「龍王はミスタクタイズ河下流に潜んでいる」
と、ディルスが言う。
「あの河を上下しながら、沿岸の村を襲っている」

 いずれ、グリスン谷にもたどり着くというのか?

「そういうことだ」とレディアスが答える。
「火龍との戦いのために、我らは魔族を解放する。
 対価は、永遠の冬」

 ウィリスはうなずいた。

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 そして、次なる物語は、グリスン谷へと戻る。

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2007年12月24日 (月)

永遠の冬【48】再会

 我らはこの日のために生まれた。
 小さな命は、簡単にそう思い込む。
 だが、その言葉が真実かを決めるのはお前ではない。

 ウィリス11歳の夏。
 少年は、雪の中を歩む。

 アヴァターの高き砦は今もまた雪の中。

「当然だ。感じるだろう、少年よ」

 白き獣師レディアスは燃える右手の篭手を持って雪の斜面の彼方、吹雪の濃い山頂の方角を指差す。
 ウィリスは、思わず、うなずく。
 感じている。
 そここそが、神の住まうところ。
 そこに、ウィリスの神がいる。

「強き魔族の名を封じ、偽り、数万の年月を山頂に留め置いた。
 さすが、神の策謀」

 策謀?
 少年には難しい言葉だった。
 ただ、ウィリスの前後にいる白と黒の獣師がただ好意でここにいる訳ではないことも、ウィリスにはよく分かっている。

(殺すか?)

 吹雪の中で強まる雪狼の声がささやく。
 同朋たる北風の猟犬と戯れるように、吹雪の中を飛び交う。
 心なしか、いつもより殺意も飢えも少ないように感じる。

 ふと、聞いてみたいと思った。

 ウィリスは立ち止まり、吹雪の中を走り回る雪狼たちの影に手を差し伸べる。

(これはお迎えの時?)

 雪狼たちと北風の猟犬たちの影は、雪原の上に立ち止まり、すっと頭を垂れる。

(お迎え役よ、まさに然り)

 ネージャ様の影が現れては消える。

(人の子よ、我らが民よ。
これは長き年月の祭りの結果。
 我らの主をお迎えに行く時)

 ウィリスは雪狼の姫に深く頭を垂れた。

 頭を上げると、白き仮面の獣師がこちらを見ていた。仮面で瞳は見えないので、口元に浮かぶ微笑だけが手がかりであるが、悪意ではないように思えた。
 無言が、彼なりの善意なのかもしれない。

 だが……

 ウィリスは少しだけ気になっている。

《冬翼》様を迎えた後、何が起きるのか?

 風見山はあれ以来、ずっと雪の中だ。
 夏は来ぬまま、ネージャ様の雪の中に埋もれている。
 ウィリスは、雪を恐れない。
 雪は優しいから。

 でも、メイアも婆も父も母も、冬は家に籠もるしかない。
 雪の中では生きていけないから。

 僕は少し違う。

 僕は少し違う。

「少しではない」
とレディアスが言った。
「お前は運命の子だ。
 おそらく、お前こそが獣の王」

 獣の王、やがて、冬を解き放つという予言の存在。

「冬を解き放つということは」とウィリスは問いかけた。
「どういうことですか?」

 白き獣師は、一瞬、ディルスに顔を向けた。
 ウィリスはびくりとした。
 殺気めいたものが、二人の獣師の間に飛び交った。
 やがて、レディアスが言った。

「火龍が目覚めた」

 遠くで雄叫びが聞こえたような気がした。

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 時は螺旋を描き、運命は収束していく。

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2007年12月17日 (月)

永遠の冬【47】始まりの地

 遠く離れても海はひとつ。
 波はいつか届くだろう。

 ウィリス11歳の夏。
 少年は、魔獣に飲み込まれ、ひとときの夢を見た。

「これは予言だ」と黒猫がほほ笑む。
「いつか、お前はこの因果の果てに立つ」

 そして、心地よい寒風がウィリスの頬を撫でる。
 雪さえも、心地よい。

「この吹雪の中で熟睡できるとは、まさに冬の申し子」
 やや暗いものの、深みのある声が呟いた。
 目を開けると、そこには白い仮面で顔の上半分を覆った男がいた。髪は黒いが、肌の白さはウィリスと同じサイン人の系統のようだ。情の薄そうな薄い唇と高い鼻が印象的だ。
 しかし、次の瞬間、ウィリスはぞっとした。
 彼のマントから出ている黄金の篭手からは、燃えるような魔力が放たれていた。さらに、仮面からは冷たい死の気配が漂い、彼の周囲には目に見えぬ何かがまとわりついている。

「私をあまり『見ない』ように」
 再び、男が言う。
「君は目が良過ぎるが、準備が足りない」

 あわてて、目をそむけるが、男の放つおぞましい気はもはや無視できない。

「レディアス」
 感情のこもらない声がささやく。
 男の名前なのか?
「君と同じ《因果の果て》に立っている」

 ふっとその声に、ディルスが天幕の中で言った言葉が思い出される。

「……それゆえに、世の中の《事実》なるものが、どれほどおぞましく、はたまた、脆いものかをよく知っております。できれば、……」
 そこで、ディルスは、細い棒を拾い、ウィリスとの間に、線を引くように横に滑らせた。
「ウィリス殿には、この線のこちら側に来ていただきたくありません」
 ウィリスは見えない線を必死で見た。その線の向こう側に、闇とともに微笑む魔道師がいた。

 ほんの目の前の見えない線。

 この男はおそらくその向こう側の住人。
 その肉体にまとわりつくいくつもの魔法の気配。おぞましい歪み。そして、それをもとともせず、感情を込めない酷薄とも言える声。

 だが、ウィリスはここで恐れてはいけない。
 お迎え役として、冷静にならねばならない。
 あの夢が何を示すのか、若い彼にはまだ分からなかったが、この男こそ、ウィリスの運命に深く関わることだ。

「もしや、《冬翼》様を御存知ですね?」
 ウィリスはやっと質問を発した。
「ああ」と男はうなずく。
「猫の王の予言は、私も見た。
 つまり、ここには二人の獣の王がいる訳だな」

「いや、三人だな」
 背後からディルスの声がした。
「お前だけ、勝手に獣の王になるなよ、レディアス=イル=ウォータン」
 ウィリスが振り返ると、ディルスが、シアンを肩に乗せて立っていた。
「獣師アルドナスの第一の弟子を無視するつもりはなかった」
と、レディアスが答える。
「いやいい」とディルスが笑う。
「白き獣師と張り合うつもりはない。
 混沌の魔獣に両腕と双眸を売り払ったか」
「まだ心臓と舌と足は残っているよ」
とレディアスは笑い、ウィリスのほうを見た。
「少年よ、我らが《冬翼》様をお迎えに参ろう」

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 レディアスを書くのに、ちょっと時間が必要でした。
 そして、第一の封印に人々は集い、時は始まる。

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2007年12月 4日 (火)

永遠の冬【46】炎の再来

 憎悪こそ我が糧。
 破壊こそ我が癒し。

 戦いこそ我が定め。

 
 ウィリス11歳の夏。
 少年は、魔獣に飲み込まれ、ひとときの夢を見る。
 これは夢の続き。

 
 そして、ウィリスは黒き夢の中、ディルスより聞いた魔族の末路を思い出す。
 やがて、天空より帰還した指輪の女神が率いる巨人の軍勢が、冥界を支配する翼の王と、火龍たちを引き連れ、魔族の帝国を滅ぼすのである。

 そして、また少年の魂は夢の中へと落ちていく。

 
 予言は成就されつつあった。

 魔族帝国は内乱の末に、最後の時を迎えつつあった。指輪の女神率いる巨人の軍勢が天空より飛来し、魔族の諸侯たちが率いる軍勢が、これを迎え撃ったが、破魔の力を持つ神の軍勢は、魔族たちに恐るべき破滅をもたらしつつあった。

「結論は簡単だ。
 我らは一度、神を殺した。
 二度、殺せぬ理由があろうか?」
 吐息の大公タンキンは、自らを納得させるように叫ぶ。
「たとえ、火龍が敵につこうとも、我らは一度、火龍を討った」
 そう、レ・ドーラで火龍を殺した。
「たとえ、翼の王が冥界から現れようと、かつて、かの者を殺した短剣は今もここにあり」
 神殺しの魔王は、叫ぶ。 

「タンキン様ほど、敵の恐ろしさを知る方はおるまい」
と、不和の侯爵サードナが闇に消える。鴉と狼の群れに姿を変え、敵軍に不和をもたらすために。されど、言葉を司る指輪の女神と破魔の巨人は絶対の忠誠で結ばれ、彼の虚言が、もはや通じることはない。
「我らの働きは、戦いの前に終わっておるさ」
 陰謀家の魔族は戦場から消えたが、火龍の狂気が復讐の炎でこれを焼き尽くした。

「すでに我らは千年もの年月をこの日の分析に当てた」
 宮廷宰相、瞳の大公モーンはタンキンにささやく。
「後は任す」と犬頭の魔王は答える。
「罪名はもとより、我が胸にあり」

 
 そして、戦場では、冬翼の大公ペラギス・グランが火龍と再び対峙していた。
 青い鱗と黄金の瞳を持つ霧の龍王ファーロ・パキールが、数千年の時を経て、地上に再誕していたのである。
「殺せるならば、殺してみよ」
 一角の仮面の下で、グランは笑い返す。
 すでに、破魔の巨人との戦いで、一族の大半は討ち死にしていた。否、もはや死なぬ魔族どもに死は意味などない。正確には、切り裂かれ、貫かれ、動けぬところを、封じられていた。
  グランだけは無敵の強力と不死身の肉体でここまで戦い続けてきたのだ。火龍から奪った角があらゆる者を貫く剣となったのも彼がここまで生き残った理由であった。

 霧の龍王が真っ向から炎の吐息を吐きかける。
 だが、グランは氷の槍でそれを吹き払い、正面より火龍に突きかかる。
 火龍はふわりと舞い上がり、横合いから太い尾を叩きつけ、追いかけるように鉤爪で切り裂くが、グランの体には傷ひとつつかぬ。
「お前の心臓は美味であったぞ」
 グランは、氷の槍で火龍の鉤爪を横に逸らしながら、頭から火龍の喉元につきこむ。頭にはかつて火龍そのものより奪った一本の角が輝いている。
 火龍自身の角であれば、火龍さえも殺すことが出来る。

 されど、その角は火龍の喉に届かなかった。

 突如として、グランの瞳は光を失い、両足も翼も萎えたのだ。
「主の力なぞ、とうに見切った」と、火龍が笑う。
「かつて、我が断ち切った四面の生首をどこかに隠したのであろう。
 だが、神を侮るな」
 そして、グランは頭蓋の上から差し込まれる鋼の冷たさを感じた。
 冬翼の大公が魔族となって初めて感じた冷たさであった。
 動けぬまま、グランは火龍に引き裂かれ、踏みつけられた。
「我が角、返してもらおう」
 一本角が引き抜かれる。
 その角と仮面の下には、顔はなかった。

 同じ頃、ロクド山の奥地で、スクラ・ドゥウーラが無数の矢に貫かれ、苦悶に喘いでいた。その腕からこぼれ落ちた四面の首は破魔の槍に貫かれていた。

 時がやってきた。

 

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 夢歩きその4。
 そして、第一の封印に人々は集う。

 

 

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2007年11月27日 (火)

永遠の冬【45】予言する猫

 我が主人よ、我は汝の帰還を待つ。
 千年の年月にも我は耐えよう。

 

 ウィリス11歳の夏。
 少年は、魔獣に飲み込まれ、ひとときの夢を見る。
 これは夢の続き。

 
 ウィリスは夢の中でふと思った。
 レ・ドーラの野が、龍の戦場であったという話はゼルダ婆から聞いたことがあった。《冬翼様》はそこで、龍を退治されたという。だが、夏が熱くなりすぎると、殺した龍が蘇ってしまうので、毎年、秋になると、龍の霊廟に雪を降らせるのだという。

 
「でも、もう、火龍は目覚めた」と誰かが言った。
「ミスタクタイズ河の川下に、霧の龍王が目覚めている」

「あなたは誰?」
 少年が問うと、黒猫は奇妙な仕草で夢の中に姿を現す。
 猫なのに、不思議な帽子を被っている。
 まるで、道化師のようだ。

「これは夢?」と、少年は問う。
「果て無き思い出よ」と、黒猫は答える。
「思い出?」と、少年。
「魔族は不死の代償に、未来を失った」と、黒猫。
「私たちは変わらない。私たちは変われない」
「私たち?」と少年が聞き返す。
「忘れなさい」と黒猫。「これは予言、これは夢。
 ただ、あなたに聞かせておきたいだけ。
 私に出会ったことは忘れてしまいなさい」 

 そして、また少年の魂は夢の中へと落ちていく。

 
「これは予言だ」
 猫の王イーツォは魔族たちの前で歌って見せた。
「おい、また始まったぞ」
 魔都ヴァランティアの宮廷で誰かがささやいた
 猫の頭をした道化は、魔族帝国きっての痴れ者である。
 帝国の未来を幻視するべく、獣師ブラーツの提案で、猫の魔獣に、筆頭五大公の力を注がれて生まれたが、出来上がったのは戯言を叫ぶばかりで、欠片の記憶力もない痴れ者で猫頭の道化に過ぎなかった。しばしばこのように「予言だ!」とか叫び回るが、当たったためしなどない。
「いやいや、みんな分かっておらぬ。そうは思いませんかな…スボターンどの」
 名指されたのは、《波間の公子》として知られる青みがかった瞳の貴公子だ。南海の鮫やエイを支配する海の魔族は、本来、巨大なエイの姿をしているが、ここ、魔都ヴァランティアでは青き衣の貴公子の姿をしている。勇猛果敢な青の騎士だ。
「あなたはいずれ戦いに疲れるでありましょう。素晴らしい。我等の多くが失ってしまった才能だ。
 あなたは戦いに倦むがゆえに、未来を開く」

  言葉を濁している間に、猫頭の道化はぴょんと跳躍して、別の魔族の前に立った。

「あああ、世界は滅ぶであろう。我ら魔族帝国も滅びることになる。そして……ああ、冬翼の大公ペラギス・グラン殿、あなたはその滅びを越えるために、天空の獄につながれるが、いずれ、冬の空の王となりましょう」

 

 
 一角の白い角を持つ魔神は、ぎろりと道化を見た。
 かつて、火龍に首を吹き飛ばされた《四つ首の大公》は、火龍の角を得ていた。グランの鋭い視線は彼の持つ氷の魔剣のようであったが、道化は気にせぬまま、次なる戯言を紡ぎ出す。

「ああ、我が都は陥落する。
  黒き森は燃え、城壁は破られ、門は打ち砕かれる。
 火龍が! 火龍が!」

「戯言はそこまでにせよ、猫め!」
 道化の前に、六腕の戦士が飛び出した。それぞれの腕には鋭い剣が握られ、それぞれの腕には二つの肘があり、不気味なほどに長い。これこそ、星海の騎士と呼ばれる魔族の英雄、《星の王ザーン》である。八弦琴座に属する稀有な魔族にして、声なき歌の守護者である。
 異様な長さの六腕を生かした武芸の腕はおそるべきもので、天空城攻略において、無数の巨人兵を切り刻んだという。
 六つの刃が旋風のように猫の王に襲い掛かった。あわれ、道化は五寸刻みにされてしまうのかと思えば、さにあらん。騎士の背後にするりと、猫の姿が転がり出た。

「おお、勇猛なる星界の騎士ザーン殿。
 勇猛にして謙虚、知性あふるる貴方もまた、我が予言を受けるべきお方。来たるべき滅びの日、あなたは魔族となりて初めて、恐怖と屈辱を学ばれるであろう。逃走という悲しき定め。だが、ご安心あれ、あなたは我が帝国の未来のために星の彼方より立ち戻られる。あなたは」

 そこで、優雅に一回転した後、猫は皆にお辞儀した。
「我が戯言にお付き合いいただき、恐縮至極。
 しかし、今宵は度が過ぎました。
 お詫びに我が力を示しましょう。
 そう、これは予言です。
 されど、今は忘れてしまいましょう。
 果てしない安寧の一夜のために」

 猫がもう一回転すると、座は再び、ざわめきと笑いに包まれた。

 猫はそのまま、上座へ向かう。今や皇帝は退出し、筆頭五公のみが並ぶ。吐息の大公は陰鬱な瞳で、猫に向かい、うなずいた。

「それでよい。お前とあの娘は未来のために残された」
 そうして、強い酒をあおる。彼もまた今の出来事を忘れるように、目を閉じる。

 
「思い出して」
 少女はささやいた。
「時がやってきた」

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 夢歩きその3。
 一度、語られた物語はさらに歪められ、新たな意味を持つ。

 では、また、来週。
 来週こそ、神征紀をば、語りましょうや。

 

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2007年11月24日 (土)

永遠の冬【44】龍を狩る者

 真の策謀とは相手を知ること。
 ことばによって、追い詰められた相手が自滅する。

 それが上策なり。

 

 ウィリス11歳の夏。
 少年は、魔獣に飲み込まれ、ひとときの夢を見る。
 これは夢の続き。
 魔族どもの勲(いさおし)の一幕。

 
 火龍と魔族の間の平穏は僅かな間しか続かなかったという。

 
 火龍は強欲で他の存在すべてを見下し、さらに、食欲と殺戮の権化であった。地上は彼らにとって、空腹と心の虚無を満たす食卓でしかない。
 魔族でさえ、火龍から見れば、弱小な存在にしか見えなかった。
 おそらく、諸侯と呼ばれる者ですら、火龍の前では決して無傷では済まない。あらゆる敵を貫く槍、この世界すら貫き、断ち割る破壊の牙。
「だからこそ、彼らの存在など許してはおけない」
 犬頭の魔王は魔族の諸侯に対して、熱弁する。
「我ら魔族の千年帝国、いや、永劫の帝国のために、あの狂気の牙と翼を折らねばならぬ」
 言葉の端々に卑屈さと憎悪が満ちる。魔王と呼ばれ、魔族帝国筆頭と呼ばれる身になっても、吐息の大公タンキンの身に染み付いた卑屈と嫉妬の感情は消えなかった。
 それでも、戦いを求める諸侯たちはときの声を上げる。
「あれが、犬よ」
 冬の大公の背後で、ひとりの戦士が呟いた。傷だらけの顔を持つ片目の男だ。
「神を殺して、まだ足りぬか?」
「スクラ・ドゥウーラ、言葉を慎め」
 冬の大公は低い声で叱責するが、その目には怒りはない。側近と同じ考えを内心、持っているからだ。1対1で、火龍を討ち取る自信はないが、火龍を偽り、内紛を起こし、殺しあった挙句の果ての手負いを狙うという姑息さには、冬翼の大公ペラギス・グラン自身、軽蔑を覚えずにはおられなかった。
「さあ、狩りの始まりだ」

 
 その日、レ・ドーラの野は、火龍たちの雄叫びと血潮に染まった。

 
 霧の龍王
ファーロ・パキールは、濃厚な霧をまといながら、谷を下った。レ・ドーラの戦いは終わったが、龍王はまだ飢えていた。
 愚かな若い火龍を何匹か引きちぎったが、心も体もまだ癒されていなかった。双角の龍王ザウルから受けた脇腹の傷からはまだ激しく出血し、青ざめた鱗を汚していたが、その辺の魔族どもを数匹ばかり喰えば、血は止まるだろう。
「さあ、来い。我は逃げぬぞ」
 ファーロ・パキールは多数の殺気を感じ取りながら、吼えた。黄金の瞳が輝く。
「餌のほうから寄ってきおった」
 一陣の風が龍王を包む霧を吹き払うとともに、その身に多数の氷の槍が降り注ぎ、追って、魔族たちが飛び掛る。雪狼の戦士たちだ。火龍は、炎の吐息を吐きながら、立ち上がり、翼を振る。巨大な風が氷の槍を吹き飛ばし、戦士たちを叩き落とす。

 だが、次の瞬間、龍王の翼を氷の槍が引き裂く。

 体勢を崩した火龍の横手から、巨大な狼が体当たりする。
 火龍の巨躯に比べれば、大人と子供のようなものだったが、それは狙い澄ましたように、双角の龍王が貫いた二つの傷をえぐった。
 激痛が火龍の動きを止める。
「えいっやあああああああああ」
 叫びとともに、四本腕の戦士が風に乗って、正面から槍で突進する。
 冬翼の大公ペラギス・グランである。
 その後には、雪狼の戦車に乗った娘、雪狼の戦姫ネージャと雪狼の騎士たちが突撃槍を構えて続く。
 とっさに火炎を吐こうと開いた火龍の口に、グランの槍が突き刺さる。そのまま、氷結する。火龍は苦しがって、前足の鋭い鉤爪を振るう。それをかいくぐって、ネージャと騎士たちの槍が火龍の腹へと深く突き立つ。
「!」
 口を塞がれているため、声にならない咆哮を放ちながら、火龍はグランに向かって全力で鉤爪を振るう。鈍い断裂音とともに、グランの首が飛んだ。四つの顔を持つ頭部は、ひしゃげた肉の塊となって谷の断崖に叩きつけられ、脳漿を撒き散らす。
 だが、肉体は槍を離さなかった。火龍の口を貫いたまま、微動だにしない。
 そして、騎士たちの放つ氷の槍が今度は黄金に輝く火龍の両眼を次々と貫いた。やがて、巨大な狼が動きを止めた火龍の胴体から心臓をえぐり出した。

 
「父上」
 巨大な雪狼から、火龍の心臓を受け取ったネージャは、その肉を一口かじり取ると、火龍の口を槍で縫いとめたまま、立ち尽くしているグランの首なき胴体に向かって叫んだ。
「火龍は仕留めましたぞ!」

「ならば、首を拾ってくれぬか?」
 断崖の下から声がした。
「さすがに首が痛い」
 見れば、砕け散り、脳漿をまき散らしたはずのグランの首が谷底に落ちている。潰れたはずの顔は綺麗になり、割れた頭蓋も元通りである。
 そして、胴体から切り離されてもなお、生きて口を動かしている。
「さすが、火龍。このまま、眠れるかと思った……」
「我らは魔族」とネージャが答える。「死の安寧は我らにはございませんわ」

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 夢歩きその2.
 二ヶ月、お休みしてしまいました。まだ、忙しいのですが、いつまでも休んでいる訳にいかないので、再開。

 魔族の回想でいつか書きたかった「不死の呪い」ですね。

 次は、神征紀編の予定。

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2007年9月20日 (木)

永遠の冬【43】歓喜の声

 我が主人よ。
 我はこの地上に残り、汝の帰還を待つ。

 千年の年月にも我は耐えよう。

 ウィリス11歳の夏。
 少年は、魔獣に飲み込まれ、ひとときの夢を見る。

 
 それはいびつなる城。
 巨大、というよりも広大。
 無限のように見える巨大な回廊は、おそらく人の子にあらざる大いなる種族のために築かれたる者であろう。そこここに、工芸のために生み出されたとおぼしき、蜘蛛のごとき姿の生き物が這い回り、壁の仕上げをしている。
 庭園の遥か彼方には、漆黒にも見える濃緑色の森が果てしなく広がり、その頭上を黒き蝙蝠のような影が飛びまわっている。

 
 回廊に一団の巨人が姿を現した。

 先頭の騎士は異形であった。
 四つの首と四本の腕。
 その瞳は冷たい雪のような透き通った青。
 周囲には、時ならぬ冷たい風が舞う。
 見れば、指先ほどの雪狼の群れがその周囲を飛びまわっている。 
 工人蜘蛛たちが寒風を避けるように、壁の向こうへ姿を消す。 
 その背後から、巨大な雪狼を連れた女戦士と、巨躯の戦士たちが続く。
 女戦士はまだ若いが、雪狼の毛皮をまとい、きつい表情をしている。豪華な衣装や装飾品は彼女が位の高い姫であることを示している。
 巨躯の戦士たちの多くは、雪狼の頭部を持ち、手には氷柱のような白い槍を構えている。

「父上」と女戦士がささやく。
「われらをお召しということはついに、決戦の時が」
「当然であろう」と、四つの顔のひとつが答える。
「火龍を撃つには、我らの氷の槍が欠かせまい」と別の顔が。
「東方の山を守るだけでは飽きたわい」とまた別の顔が。
「血が滾るな」と背後を向いた最後の顔が。

 
 回廊の果て、巨大な扉は異形の騎士たちの前に開かれた。
 その向こう、皇帝の広間は、異形の姿に満ちていた。
 飛ぶ者、這う者、獣や蛇のような者、虫のごとき者。
 そして、広間の最も奥、壮大な玉座に座るのは幼き少年皇帝と美しく若き王妃である。

 側近としてその前に連なるは、筆頭五公。

 獅子の頭を持つ巨体は戦士の大公アロセス。帝国随一の勇将だ。直接、剣を交えるのであれば、この戦士に1対1で勝てる者はこの世にほとんどいないだろう。神と龍をのぞいたならば……。
 頭から全身をローブに隠しているのは、帝国宰相モーンである。帝国と言う仕掛けを動かしているのは、もっとも見識に長け、実務に向いたこの人物だ。
 竪琴を抱いた美女は、
歌の公女イェロマーグ。吟遊詩人にして、すべてを語り継ぐ者。歌と時の支配者である。
 角の大公セイシュドーマの姿はない。帝国の母オラヴィー様の愛馬であったかの者は、母なるお方の死後、帝国の宮廷から去った。

「よく来られた、冬の大公殿!」

 筆頭五公を代表し、犬頭の戦士が呼ばわった。
 卑屈なる犬頭の男は吐息の大公タンキン。姑息とも見える謀略の臣下だが、帝国の最高権力者のひとりであり、もっともおそるべき実力の持ち主だ。あの翼の王を謀殺し、死の国へ追いやった男だ。
 おそらく、今回の戦を仕立てたのも、この男だ。

「お待ちしておりました。
 すでに、龍どもは相撃ちをするべく、レ・ドーラの平原に向かっております。
 さて、我らも血の宴に参列いたしましょうぞ」

 
 龍王どもの間に不和をばらまき、殺し合いをさせるというのだ。
 おぞましきかな。
 だが、それもよい。 

「龍を狩るとは、楽しみな話ぞ」
と、四つの顔の騎士は返事をした。

 
 それが合図とばかりに、広間に集った魔族の諸侯たちが雄叫びを上げた。
先頭には、高名な大公や公爵に混じり、戦士の五公女が揃って顔を見せている。戦陣の五公女と並び称された竜巻の公女ピスケール、蒼き死の公女ルハーブ、黒衣の公女パルガ、盾の公女リグレイ、忠誠の公女ラプティーク。若き魔族の戦姫たちだ。

  今宵はずいぶんと楽しいことになりそうだ。

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 夢歩き。

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2007年8月27日 (月)

永遠の冬【42】邪気

 魔道師は、虚実を弄するという。
 魔法を使うがゆえに、彼らは言う。
「魔法は最後の手段である」と。
 それが人の定め、それが人の子の限りである。

 

 そこで、さらに魔道師は問う。
「人の定め、人の子の限りに、意味はありや?」
 それは散文的な問いではない。
 実証的な意味合いを持った問い。

 

 ウィリス11歳の夏。
 夜語りの天幕はおぞましき邪気に包まれる。

《棘のある雛菊》あるいは《棘を持つ雛菊》

 そう、彼女は呼ばれている。
 ゼルダ婆が「姉上」と呼ぶのは、どう見ても人形めいた十代の少女だ。
 名を確か、エリシェ・アリオラ。最初の名はすでに魂とともに、魔族の公女に捧げられ、いまや人ならぬ身という。

 
「お前の目で見てはならぬ」
とも、婆に言われた。
 邪気に当たると。

 今、まさにそうだった。

 ウィリスは悪寒のために、視界がぐるぐると揺らいでいた。天幕の床に敷き詰められた毛皮の上に傾いていく自分を止められない。
 まるで、あの夜のようだ。
 風見山の夜、水魔の群れに襲われ、グリスン谷の兵士たちはまるで兎のように、次々と殺された。ウィリスは何も出来ないまま、ただ、夜の森を逃げ回り、友の死を見つめるしかなかった。ああ。
 まるであのときと同じだ。雪狼への祈りも忘れ、何にも出来ない。
 ウィリスはただ、婆からもらった護符だけを握りしめ、歯をかみ締める。

 

「そう、ウィリスの目は素晴らしい」
 少女は片手を上げる。
「見えなければ、幸せなものを」

 
 波音がした。
 それは天幕の中を飲み込んだ。
 まるで、沼の瘴気のような、淀んだ何かで。

 
「がっ」
 喉が詰まったようなかすかな声を上げて、最初に婆が倒れた。
 巫女たちが後を追うように、かすかな悲鳴を上げて崩れ落ちる。ラゼなど、何を見たのか、目と鼻から血を吹いている。
 雪狼は瘴気によって粉々に砕かれ、天幕の外へ吹き飛ばされていった。
「さすがに、年か、ゼルダ」
と、少女がほほ笑むと、さらに、沼の瘴気が濃くなる。
 兵士たちがうめきながら、落ちるように毛皮の上に倒れる。騎士のグレン卿はかろうじて座っているが、手をかけた剣を引き抜くだけでもはや脂汗を流している。
 全力を振るい、腰の短剣を少女に投げた。

 キンッ!

 何か金属めいた音がして、短剣は少女の目の前で弾かれ、騎士の肩越しに跳ね返った。
「な、何が?」
 騎士の目には少女の姿が揺らぐばかり。その前後に鏡めいた何かが垣間見えたが、少女と目を合わせた途端、騎士の心は戦場の悲嘆で満たされ、流血と腐臭で吐気がした。
「おぞましい」と、マリュアッドの騎士はうめく。「その皮の中身は、水魔よりも邪悪な汚泥の塊か」

 
「これは《棘(とげ)》どころではございませんな」
 唯一、ディルスだけが平然と立ち上がった。
 どうやら、獣師だけはこの時の対策をしていたらしい。
「獣師か?」と《雛菊》。「我が前に、無傷で立つとは」
「これ以上は影響が大きすぎますよ」と片手を振ると、袖の中から使い魔の黒猫、シアンが飛び出し、ウィリスに駆け寄る。瞬間、ウィリスを包んでいた邪気がすっと消え、ウィリスはそのまま、意識を失っていった。
 意外にも心地よい闇に落ちる直前、魔道師たちの声が聞こえた。

「これで、予定通りですかな?」
 ディルスの声とともに、ウィリスは誰かに優しく抱き上げられた。
「つまらぬ」と、《雛菊》は呟いた。「獣師同士の盟約か?」
「いえ、取引ですよ」とディルス。「彼の地で魔族に会えるならば、我が研究は完璧となる。まあ、それに学院の手前、謹慎しているのもそろそろ飽きましたから」
  そうして、ウィリスの意識は途絶えた。

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 クライマックスへの第一歩。
 次はJGCが終わってからになるでしょう。

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2007年8月22日 (水)

永遠の冬【41】 棘(とげ)

美しい花に棘がなぜ、あるのか?
吟遊詩人ならば、花の魔族の邪悪さの印と歌うだろう。

だが、魔道師は冷静に答える。
「獣に食べられぬため」と。
面白みも風雅もそこにはない。
ただ、真実を探ろうとする心のみ。

 ウィリス11歳の夏。高き砦アバター、あるいは「始まりの場所」を目指す旅の一夜。魔道師の夜語りが続く。

 

「人の肉体には仕掛けがございます」と獣師は微笑み、兵士のひとりを指差す。
「あなたは左手に少々痺れが出ておられるのでしょう?」
 壮年の兵士は驚いたように、うなずく。
 グレン卿がじっと獣師を見返す。
「ガーサが昨年冬の戦以来、左手にキレがない。
 どうやって、見切った」
「見えますから」と獣師は微笑む。
「それが魔法と言うものか?」と卿。
「いえいえ、魔法などではありませんよ。ただ『見る目』を持っているだけ」と獣師は、ウィリスを見る。「ウィリス殿が冬翼様や雪狼の姫君を見える目を持つように、我らもさまざまなものを見るための『目』を鍛えております。
 いや、実際のところ、いえ、グレン卿にも見えてはいるのです。今、おっしゃられたでしょう。『キレがない』と」
「ああ、だが、私はそれが痺れとは判断できなかった」と卿。
「それが学問でございます」と獣師。「学問というものは、どう言おうとも経験と知識の積み重ねに過ぎませんが、個々の知識と体験に適切な道筋を与えることで、我らは『見えた』先を『診断』でき、場合によっては『治療』できます。
 ちょっとよろしいかな」

 獣師は老兵士に近づき、左肩に手を伸ばす。老兵士は魔道師の接近に軽く身を引いたが、卿のうながすような目線に気づいて、あえて肩を前に出した。獣師の指が肩から首筋を這い、軽く揉み解す。

「ああ、ここですね」

 兵士の背後に回った獣師が老兵士の肩と腕を派手にひねり上げる。関節が折れるようなバキっという音が響き、老兵士が苦痛の叫びを上げた。
 兵士仲間たちがじっと獣師を見る。
「左腕はどうですか?」
 老兵士は軽く腕を上げ、微笑んだ。
「軽くなった。あんた、骨接ぎも出来るんだ」
 骨接ぎは、戦場の技のひとつだ。獣師の施す技がどこか、それに近いことを感じ取ったようだ。兵士たちが獣師をじっと見る。
「冬の怪我で鎖骨と周辺の筋がずれ、あなたの腕は動きにくくなっていた。以前ほどではないが、これで動きやすくなるはずだ」

獣師は立ち上がり、元の座に戻る。

「ここまでは誰でも学べる骨接ぎの技だ。
 我が秘術はその先に進む。
 たとえば、その腕をさらに強くし、若い頃の腕力に戻す方法もある。肌を裂き、衰えた筋に、鹿の筋を移植すればよい。我が融合の樽で三日も眠れば馴染むはずだ」
 獣師の声は楽しげだ。
「個人的には、腕を一本増やし、盾と両手の槍を併用できるようにしたほうが、もっとよい戦闘効率を得られるとも思うが、まあ、戦略的には瑣末なことだ」
「瑣末、というか?」とグレン卿。
「野戦において、一歩兵だけ少々強くても意味はない。戦略的にそれを活用できる指揮官のほうが重要です」と獣師は笑う。「戦略を見切って投入するので、あれば、その一個人が、指揮官並みの戦略眼を持ち、常に情報を把握し、なおかつ、歩兵部隊1個相当の強さを持たねばなりません」

 
 そうして、獣師は、天幕の入り口のほうを向いた。
 いつの間にか、ゼルダ婆もウィリスの脇で天幕の入り口を睨んでいる。
 そして、ウィリスはそちらへ目を向けた瞬間、激しい悪寒に襲われ、体を丸めた。

(あの人が来た)

 ウィリスには分かった。
 峠で出会った、邪悪の塊のような二人。その片割れ。
 おそらくは……

 周囲で雪狼がうなりを上げるが、ウィリスは答えられない。
 夜の雪原に突如、出現したおぞましい邪気があまりにもひどいためだ。

「この邪気はいったい」とアシャンが、ウィリスの背をさすりながら言う。
「《蛇の巣》とはよく言ったものだ」と獣師が呟く。「さすが、原蛇の塔でも異端の群れと言われた連中だ」

 
 風の音とともに、天幕の入り口が風でまくれ上がり、もれた光の中に少女の姿が現れた。レースを多用したゆったりしたドレスをまとった人形のように綺麗な少女は、凍えるような雪原にはまったく不似合いの存在だった。そして、愛らしくも無邪気に見える笑顔は現実の人とは思えない。
 ゼルダ婆は、薬草袋を取り上げ、ウィリスの前に立つ。

「姉様」

 少女はそのまま、天幕に踏み込み、鈴のような声を上げた。

「ウィリス、迎えに来たわ」

 それは《棘のある雛菊》。触ってはならぬ花。

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ずいぶん、長い間、休んでしまいました。すいません。
『深淵第二版』へ向けての準備体操として、再開します。
JGCまでにもう一度、書けるといいなと。

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2007年6月10日 (日)

永遠の冬【40】獣師のさが

 誰かの妄執。
 そして、願い。
 人は死を恐れ、それを越えようとする。

 ウィリス11歳の夏。
 高き砦アバター、あるいは「始まりの場所」を目指す旅の一夜。魔道師の夜語りが始まる。

「まず、世の中には多くの事実がございます。これより語りますことは、それをご理解いただかねば、なりませぬ」 と、ディルスが切り出した。
 ウィリスは首をかしげる。  
 多くの事実?
「ああ、分かりにくいでしょうね。  魔道師学院では、候補生が初等から中等に上がれるかどうかは、これをきちんと区別できるかにかかっております」
「お前が言える身分か?」と、婆。
「確かに」とディルスが軽く流す。「私は、魔獣製作という子供じみた夢が捨てられず、学院を脱走し、《獣師同盟》なる秘密結社に加わった者」  
 今は静かにしているが、この人物は生き物を切り裂き、魔獣を作り出す異端の魔道師である。今は、学院の支配下に戻り、ウィリスの元へ派遣されているが、それまでは何人もの人を手にかけ、切り裂き、殺した残虐と狂気の持ち主である。  
 人々は、やっとそれを思い出した。
「……それゆえに、世の中の《事実》なるものが、どれほどおぞましく、はたまた、脆いものかをよく知っております。 できれば、……」  

 そこで、ディルスは、細い棒を拾い、ウィリスとの間に、線を引くように横に滑らせた。

「ウィリス殿には、この線のこちら側に来ていただきたくありません」  
 ウィリスは見えない線を必死で見た。その線の向こう側に、闇とともに微笑む魔道師がいた。

 ほんの目の前の見えない線。  

 おそらく、そこには大きな意味があったが、ウィリスにはまだ、それが何かは分からなかった。
「少々、迂遠過ぎましたな」
と、ディルスは周りを見回す。
 兵士たちの何人かと巫女の二人が、ややいぶかしげな顔をしている。古参兵や婆、騎士はおぞましげな視線を魔道師に向けている。
「もう少し具体的な話をいたしましょう。  
 例えば、この旅の一行の中で、私が『異教徒』であるのは紛れもない事実です」 と、ディルス。 「朝夕、巫女様が儀式舞いをされる際、私が近くで見ていると、非常に不愉快な顔をされる場合があります」
「それはお前が異教徒だからであろう」 と、アシャンが抑えた声で答える。 「お前の視線には邪な何かがある」  
 少し顔が上気している。
「しかたありません」とディルスがおざなりに頭を下げる。「何しろ、私は異教徒ですから、本来、儀式舞いを見ることさえ許されません。
 そこで、全てを見て、全てを知ることを目的とする我ら、魔道師は、これこそ稀有な機会と、真剣に巫女様の舞いに注視し、観察し、記録すべく傾注いたしますが……」
「か、観察!」とアシャンがいきり立つ。 「その言い方は何だ!」
「何しろ、私には信仰心がございませんゆえ、巫女様の儀式舞いに、魔力は感じても感銘はいたしませぬ。  あえてあるとすれば……」とディルスは、アシャンをじっと見返す。その視線のまがまがしさに、アシャンがすっと身を引く。「獣師として、素材を見切り、魔獣の設計図を脳裏に浮かべることぐらいでしょうか?」

「私を……」とアシャンが「切り裂く気か?」  

 そこで、ディルスは頭をかいた。
 それから救いを求めるように、婆のほうを向いた。
「さて、どう答えるのが穏当でしょうかねえ、ゼルダ様?」  
 婆は肩をすくめる。
「若い娘を怖がらせるのが好きだな、ディルス」
「いや、だって、ほら、可愛いじゃないですか?」  

 ここでウィリスはぞっとした。  
 冗談めかして誤魔化そうとするディルスの目が笑っていなかった。
 どちらかといえば、あの夜、風見山で戦った水の騎士のように澄んだ、明確な殺意を持った目だった。  
 そして、その瞳は一瞬、ウィリスに向けられた。

(本当に切り裂きたい、と思っているのは、あなたですよ、ウィリス)

 ぞくりとした。  
 雪狼に助けを求める前に、圧倒的な視線が突き刺さってきた。  
 そして……。  

 ディルスは視線をそらした。  
 おそらくは一瞬の間であっただろう。それから、魔道師は巫女に向かって深々と頭を下げた。
「失礼の段、お許しくだされ」

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 旅の夜語りが続きます。

 皆さんは、無人の街で目覚めたことがありますか? 
 私はあります。  

 また、一週間、あいてしまいました。
 次は来週に更新できるといいなあ。

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2007年5月28日 (月)

永遠の冬【39】:夜語り

 おそらく、それは偽りだ。
 焚き火の傍らで、鍋が煮えるまで、串が焼けるまでの戯言。
 そう思いたい。

 ウィリス11歳の夏。
 高き砦アバター、あるいは「始まりの場所」を目指す一行は、荒野に野営する。

 ぱちり。
 大きな野営用の天幕の中央で、焚き火の中の枝がはぜた。
 バッスル侯国の軍行用大型天幕は、西方の騎馬民族より伝わった移動幕舎である。数本の柱とロープからなる骨格に、風を通さぬ暖かなフェルトを重ねるもので、ウィリス自身の家と大差ない大きさを持っていた。地面の上には毛皮や毛布が敷き詰められ、寝床になる。  天幕の中央には、いろりが設置されて火が焚かれ、暖房、煮炊き、照明のすべてを兼ねる。煮炊きの煙は直上の穴から逃げる仕掛けだ。
 大振りの鍋で、シチューが煮られ、火の横には、金串に刺された肉があぶられている。
 やがて、煮込まれたシチューが薄切りにされたパンを浸して配られ、肉が切り取られる。最初の肉の一切れは、酒とともに、すでに、雪狼に捧げられていた。
 アシャン、ユーリア、ラゼの三名は粛々と土地神への祭りを行い、人々は感謝の祈りとともに、糧を食らう。
 食事を作るのは兵士たちではなく、ゼルダ婆と二人の巫女である。なぜならば、彼女らこそもっとも薬草と食に通じたものであり、グレン卿自慢の炊事番さえ舌をまくような微妙な味付けで皆を楽しませた。
「兵士は多少、粗食にも耐えられるようでなければいかぬ」 と、グレン卿も言うが、うまい食事が出るほうが部隊の士気にもよい。
「人は快楽を学ぶことには敏感なのだ」 と、ディルスが相槌を打つ。
「香草の配合は、炊事番に教えておくわい」と婆。「少しは、兵の食事をよくするがよい」
「塩加減ひとつで、ずいぶん、変わるものですよ」とユーリア。「あとは香りと、ちょっとした刺激。あくを取る一手間をかければ、シチューは優しくなるものですよ」

 食事とともに、酒の盃が回る。
 軽く体を温め、眠るための酒。

 夜の見張りは、兵士たちが2名ずつ交代でするが、雪狼たちのおかげで騒ぎが起きたことなどない。
 酒が入れば、歌が出る。
 兵士が歌い、アシャンが舞う。

 そして、夜語りの時が来る。

 最初は、兵士たちに乞われ、ウィリスが風見山での戦いを語ったのが始まりだった。兵士たちの中には、風見山で死んだカルシアス卿とその部下、ゾークスを知る者もいたのである。ウィリスはきっかけの狼煙から、とつとつと語った。兵士たちは、年上のものが多く、息子のようなウィリスが戦いに行き、村の兵士たちが死んだことに涙を流した。
 次の夜はカルシアス卿とゾークスの武勲を兵士たちが語った。凍った氷原でラルハースの水の騎士を討ち取ったこと、水魔と戦ったことを語った。

 やがて、夜語りは夜毎となった。

 グレン卿は、漂泊の戦姫、銀の姫騎士と呼ばれし、英雄の武勲を語った。
「かくして、密使を果たしたる姫は、いまや、黒男爵の陣営にあり」
 ユーリアとアシャンは、神殿に伝わる説話を語った。婆はグリスン谷の昔話をした。ネージャ様と《冬翼》様の物語である。

 この晩は、ついに、魔道師ディルスの番となった。
「私も話すのですか?」と魔道師はややおどけて言う。言葉はいやがった振りをしているが、その癖、表情はうれしそうである。「さて、いかなるお話が御所望でしょうや?」
 旅芸人か吟遊詩人のごとき饒舌さ。
「やはり、こやつに話させるのはよろしくあるまい」と、婆が言う。「魔道師の舌は蛇の毒じゃよ」
「全く、全く」とディルス。「実のところ、ここでは、私のみが異教徒ともいえます。冬の神に従わぬ邪教の徒という訳ですなああ」
 もとより、魔道師は神を信じないという噂もある。
「それでも、よろしければ、お話しいたしましょう」とディルス。「おそらく、それこそが、私がここにいる理由なのでしょうから……」

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 旅が続きます。
 皆さんは「異教徒」と呼ばれたことがありますか?
 私はあります。

 次は来週に更新できるといいなあ。

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