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2006年11月21日 (火)

永遠の冬【34】国事

戦いに最善を尽くすのは当然なこと。
されど、礼節を失えば、獣と同じ。

 ウィリス11歳の夏。
 バッスル侯国の王都グレイドルにて、修行中の少年を、世話役の巫女であったはずのキューゼが襲った。甘きトートの毒は苦悶の長き死をもたらすはずであったが、雪狼の加護とマリュアッドの騎士、グレン卿のおかげで、ウィリスは生き延びた。  

 それは確かに、異形の風景であった。  
 夏の夕暮れの光にうっすらと輝く純白の雪原。いかに、《冬の統領ル・ウール》を祭神とする教団《冬の祠》の最高神殿とはいえ、非現実的な風景だ。
 その中央に、真赤な鮮血を流して倒れ伏す一人の若い巫女。  
 剣を抜いた赤揃えの騎士。  
 そして、衝撃のあまり、口も利けぬ少年。
 ウィリス。

 (……)  

 ウィリスは高らかに吠える雪狼の遠吠えを聞いた。  
 雪狼が自分を守るために、キューゼを殺したのは分かった。グレン卿が投げた短剣が、キューゼの一撃を逸らした。二人がいなければ、自分は甘いトートの毒で今頃、この雪原をのたうっていたに違いない。  

 グレイドルに向かう駅馬車の中で薬種商ポンティがいった。
「刃物に塗り、傷から入れば、激痛で死に至ります。  粉末にして吹き付ければ、それを吸った者は息が詰まり、絶息するでしょう」  
 その甘い香りは死の印。  

 しかし、なぜ?  

 目の前には、昨日まで優しい世話役であった女性が、喉笛を噛み切られ、雪原に倒れていた。
「あなたは自分の価値が分かっておられないようですな」 とグレン卿が言う。 「《雪狼の戦姫ネージャ》様の加護篤き《獣の王》とはいえ、真夏の日中に、これほどの雪原を生み出すことのできる身。おそるべき冬の力」

「で、でも……」  
 この力は、冬翼様を迎えるための力。  
 決して、村の実りを増やすものではない。
「わがバッスル侯国は隣接するラルハースと敵対しております」と、グレン卿が語りだす。「先年、宿敵ガイウス候を追放し、後を継いだジェイガン公子は我らと友好的とはいえ、国境にあるレキシア湿原を巡る戦いが解決した訳ではございません」  

 確か、湿原が凍りつく冬ごとに戦を繰り返しているという。冬ごとの戦が、バッスルを冬の神々への信仰に駆り立て、ラルハースを水魔使いの国とした。

「あなたの力であれば、一年中、湿原を凍らせておけるのではありませんか?」  
 グレン卿の声は真摯であった。  
 迫り来る夕闇の中、気品ある彼の顔にじっとりとした影が張り付いていた。

「い、いや、出来る訳……」  
 ウィリスは言いかけて、口ごもった。  
 出来るかもしれない。いや、おそらく出来る。  
 あの日、風見山の麓で呼びかけたように、ネージャ様を……。  

 ウィリスの脳裏に雪狼の遠吠えが再び上がった。  
 そして、砕け散る水の騎士の姿が浮かび上がる。

「出来るはずです」と、グレン卿が畳み込むように言った。 「風見山の一件、聞き及んでおります。《雪狼の戦姫ネージャ》様をお招きすれば、レキシア湿原もまた《永遠の冬》に飲み込まれましょう」  

 ああ、この人は知っている。
 すべてを。  
 そして、僕は……。

「だから」とグレンは言う。「誰かがあなたを恐れた。おそらく、ラルハースかどこかの誰かが。そうして、ギュラニン党に命じた。殺せと」  

 ウィリスの肩にそっとグレン卿の手が置かれた。

「ご安心なさい」  その声は優しい。 「ラウル侯王様は、まだ、あなたにそれを強制するつもりはありません。そして、狙った人物にももうすぐ伝わります。あなたを狙ったことは間違いだと」  
 間違い?  
 ウィリスにはまったく分からない。
「君が不安に思い、我らに助けを求めれば、狙いとは逆の事態になる。一度、殺せなかった上に、雪狼の戦姫の加護を知った。
 彼らとて、自分の聖域が氷漬けになるのはいやでしょう」

(その通り)と、地下の祠から《冬の騎士》の声が聞こえた。 (ネージャ様の怒り、その父君たる冬の翼たる御方の怒りに、死の貴婦人クリスケインめも気づいたはず。この冬のことを想うと、彼奴らはまさにおののくであろう)  
 遥か西方から雪狼の遠吠えがいくつも上がった。  
 ネージャ様が風見山のご領地で狩りの支度をしておられる。  

(今年の冬はさぞ厳しいことであろう)

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 とりあえず、バッスルとラルハースの戦における、ウィリスの戦略的な価値の話。魔法がリアルに存在する世界では、強力な魔族の加護を受けた者は、ある種の戦略兵器であり、まさに運命の子なのである。  しかし、下手に手を出すと、逆効果ということもある。  
 次回は、さらに、魔族の闇へ。

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