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2006年11月29日 (水)

永遠の冬【35】闇の声

策謀を語る者を恐れるべし。  
策謀を知ることもまた策謀の内。  

 ウィリス11歳の夏は早くも終わろうとしていた。  
 暗殺と政争、11歳の少年には重すぎる己の存在。

「僕は……」  

 途端に、眩暈がした。  
 その手の甲に一滴の真紅の血潮が飛んでいた。
 心臓が割れ鐘のような激しい鼓動を打ち始めた。  
 もしかして、毒の刃がかすっていたのか?

「おい、ウィリス!」  

 グレン卿が彼を支えようとした瞬間、黒猫が視野を横切り、ウィリスの意識は断ち切られた。

 死は正しき終わり。  
 終わりなくば、節度もまた無し。  

 誰かがささやく。  

----  

 夢を見た。  

 ウィリスは、果てしなく広がる雪原の中央に立っていた。  
 あたり一面、目を覆わんほどの激しい吹雪である。
 しかし、冷たくはない。  ウィリスにとって、冬は友なる地。
 雪狼の遠吠えを道連れに、永遠の冬に住まうのが、ウィリスの定め。  

 ただ、ひとり。  

 ただ、ひとり。  

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 ゆっくりと意識が戻ってくる。  
 誰かが枕元で話していた。

「ずいぶん、早かったな」とゼルダ婆が言った。
「予期されておりましたが……」とエルナ。これはやや困った声。
「グレン卿が来てくださって助かりました」  

 どうやら、場所は姫巫女エルナの部屋らしい。
「私は、これなるディルスに助言されただけ」 と騎士が答える。  
 ディルスとは、魔道師だ。獣師と言うはずだ。
「いやいや、グレン卿の存在は重要でした」と魔道師が答えた。
「グレン卿がここに来たからこそ事件は起こった」
「やはりそうか」とグレン卿。
「グレン卿が来たことで、ウィリスの警護が厚くなると、刺客は思った」 と、魔道師が解説する。「そして、卿が帰った振りをしたところで、そこに生じる隙を、刺客は利用する。そこに、卿が戻ってきたから、暗殺は未然に防げた」  

 ディルスの口調にはよどみが無い。
 すべて、予定通り。  
 冷たい計算。  
 ウィリスは、魔道師の存在がそのローブのごとく黒いものであるように感じた。  

 思わず、がばっと起きて、叫んだ。

「知っていたの? 
 キューゼが……」

 その途端、脳裏に浮かぶ風景。
 彼女の生前の声と、雪原に広がる真紅の血潮。
 甘い香りの記憶に、ウィリスは戸惑う。  

 脳裏で、雪狼の遠吠えが上がった。

(殺すか?)  

 部屋の中の空気がずんと冷たくなった。

「待て」  ゼルダ婆とエルナの声が重なった。  
 すっとウィリスの肩に婆の手が置かれる。
「怒りに身を任すな、ウィリス」

「あ、ああ」  
 ウィリスはうろたえたように沈黙した。  

(今、僕は、雪狼を呼んでいた)

「自覚無く、魔力を使ってはならない。  
 なぜならば、お前の力は大きすぎる」
と婆が言い、ウィリスは修行を思い出して、心を鎮めた。部屋の中に吹き荒れようとしていた時ならぬ寒風が消え去った。

「誰も、キューゼが刺客であるとは、知らなかった」とディルスが言った。 「だが、いつか、このようなことが起こることは予想していた」
「今日の事件を予想し、ギュラニン党の毒からお前を救ったのはディルス殿だ」と婆が口ぞえする。「あのような毒に関する秘儀、どこで知った?」

「トートの甘き毒は信仰の証。それもまた策謀」とディルス。「本当に殺したいとき、甘き毒を囮とし、遅効性の毒を隠す。毒使いらしい、陰惨なやり口だが、人体の構造に関して、我ら獣師に勝る者はおらぬ」
 そこでディルスは言葉を切った。
「いや、そのようなことは重要ではない。
 この機会に、 ウィリス殿には、自らの力の重要性をご理解いただきたい」  

 自分の力……。
 事件の直後、グレン卿が言っていた。  
 ウィリスの力があれば、いつかレキシア湿原を永遠の冬に変えられる。  
 それは国同士の関係さえも変えてしまう。  

 だから、誰かが恐れた。  
 ギュラニン党を雇い、刺客を放った。  
 キューゼか、それともその双子の姉かは知らないが、彼女は毒使いで、ウィリスを殺すように命じられた。
 しかし、彼女は失敗して死んだ。  

 ウィリスはやるせない気持ちになった。  
 死にたいとは思わない。
  生きていてよかった、と思う。  
 だが、わずかとはいえ、知り合った人が死んでいくのは悲しい。

「これは始まりに過ぎない」 と、ゼルダ婆が言った。  
 その言葉は槍のように、ぐいっとウィリスの心に刺さった。
「始まり?」  

 ウィリスは11歳にしてはすでに苛酷な経験をしてきた。風見山の戦いは、血なまぐさく、恐ろしいものであった。あれさえも、始まりの始まりに過ぎないというのか?

「ああ」とゼルダ婆は言った。 「これから言うことをよおくお聞き。  
 お前は、渦の中心にいる。婆も、姫巫女様も、グレン卿も、ディルスも、お前に比べれば、運命の渦にとって、ささいな波に過ぎぬ。お前には冬翼様のお迎え役として重大な役目がある。それはこの世界に大きな意味がある。
 お前こそが《永遠の冬》の鍵を握っている」  
 渦という言葉の本当の意味はウィリスには分からない。  しかし、自分が重い責任を担っていることだけは分かった。

「だからこそ、お前の生きる道を歪めようとする者がいる」  

 ウィリスの脳裏に、昨年の夏、街道で出会った奇怪な二人組のことが思い出された。  
 ぼろぼろの男と、美しくも作り物めいた少女。  
 まがまがしい気配で、ウィリスは気持ち悪くなった。

「あれらはそうした者の手先じゃ」
と、ゼルダ婆がいうと、ディルスが軽い声をもらした。
「つまり、それが《最悪の男》と《棘ある雛菊》か。  
 この織物、ずいぶん、隠し模様がありそうだな」

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暗殺未遂事件の続きその1.  ディルスも混じって、さらに続きます。

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