永遠の冬【40】獣師のさが
誰かの妄執。
そして、願い。
人は死を恐れ、それを越えようとする。
ウィリス11歳の夏。
高き砦アバター、あるいは「始まりの場所」を目指す旅の一夜。魔道師の夜語りが始まる。
「まず、世の中には多くの事実がございます。これより語りますことは、それをご理解いただかねば、なりませぬ」
と、ディルスが切り出した。
ウィリスは首をかしげる。
多くの事実?
「ああ、分かりにくいでしょうね。
魔道師学院では、候補生が初等から中等に上がれるかどうかは、これをきちんと区別できるかにかかっております」
「お前が言える身分か?」と、婆。
「確かに」とディルスが軽く流す。「私は、魔獣製作という子供じみた夢が捨てられず、学院を脱走し、《獣師同盟》なる秘密結社に加わった者」
今は静かにしているが、この人物は生き物を切り裂き、魔獣を作り出す異端の魔道師である。今は、学院の支配下に戻り、ウィリスの元へ派遣されているが、それまでは何人もの人を手にかけ、切り裂き、殺した残虐と狂気の持ち主である。
人々は、やっとそれを思い出した。
「……それゆえに、世の中の《事実》なるものが、どれほどおぞましく、はたまた、脆いものかをよく知っております。
できれば、……」
そこで、ディルスは、細い棒を拾い、ウィリスとの間に、線を引くように横に滑らせた。
「ウィリス殿には、この線のこちら側に来ていただきたくありません」
ウィリスは見えない線を必死で見た。その線の向こう側に、闇とともに微笑む魔道師がいた。
ほんの目の前の見えない線。
おそらく、そこには大きな意味があったが、ウィリスにはまだ、それが何かは分からなかった。
「少々、迂遠過ぎましたな」
と、ディルスは周りを見回す。
兵士たちの何人かと巫女の二人が、ややいぶかしげな顔をしている。古参兵や婆、騎士はおぞましげな視線を魔道師に向けている。
「もう少し具体的な話をいたしましょう。
例えば、この旅の一行の中で、私が『異教徒』であるのは紛れもない事実です」
と、ディルス。
「朝夕、巫女様が儀式舞いをされる際、私が近くで見ていると、非常に不愉快な顔をされる場合があります」
「それはお前が異教徒だからであろう」
と、アシャンが抑えた声で答える。
「お前の視線には邪な何かがある」
少し顔が上気している。
「しかたありません」とディルスがおざなりに頭を下げる。「何しろ、私は異教徒ですから、本来、儀式舞いを見ることさえ許されません。
そこで、全てを見て、全てを知ることを目的とする我ら、魔道師は、これこそ稀有な機会と、真剣に巫女様の舞いに注視し、観察し、記録すべく傾注いたしますが……」
「か、観察!」とアシャンがいきり立つ。
「その言い方は何だ!」
「何しろ、私には信仰心がございませんゆえ、巫女様の儀式舞いに、魔力は感じても感銘はいたしませぬ。
あえてあるとすれば……」とディルスは、アシャンをじっと見返す。その視線のまがまがしさに、アシャンがすっと身を引く。「獣師として、素材を見切り、魔獣の設計図を脳裏に浮かべることぐらいでしょうか?」
「私を……」とアシャンが「切り裂く気か?」
そこで、ディルスは頭をかいた。
それから救いを求めるように、婆のほうを向いた。
「さて、どう答えるのが穏当でしょうかねえ、ゼルダ様?」
婆は肩をすくめる。
「若い娘を怖がらせるのが好きだな、ディルス」
「いや、だって、ほら、可愛いじゃないですか?」
ここでウィリスはぞっとした。
冗談めかして誤魔化そうとするディルスの目が笑っていなかった。
どちらかといえば、あの夜、風見山で戦った水の騎士のように澄んだ、明確な殺意を持った目だった。
そして、その瞳は一瞬、ウィリスに向けられた。
(本当に切り裂きたい、と思っているのは、あなたですよ、ウィリス)
ぞくりとした。
雪狼に助けを求める前に、圧倒的な視線が突き刺さってきた。
そして……。
ディルスは視線をそらした。
おそらくは一瞬の間であっただろう。それから、魔道師は巫女に向かって深々と頭を下げた。
「失礼の段、お許しくだされ」
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旅の夜語りが続きます。
皆さんは、無人の街で目覚めたことがありますか?
私はあります。
また、一週間、あいてしまいました。
次は来週に更新できるといいなあ。
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