永遠の冬【58】霧の濃い朝
それもまた策謀のうち。棘のある雛菊は、風に舞う。
メイア11歳の夏。
その朝、霧が晴れなかった。
人々は、息を潜め、ゆっくりと移動した。ウィリスの父ジードが見張り役として川岸に立ち、その間に人々は九十九折れの崖道を登った。村長の命令で家畜は柵から放ち、田畑に残された。
逃げ落ちる先は、領主が住む砂の川原と決まっていた。砂鉄取りに人手を求めるあの街ならば、避難民にも優しいであろう。
足の遅い老人たちの何人かは、後に残ると言った。もはや老い先の短い彼らはグリスン谷の末路を見届けたがった。だが、その多くは家族に背負われて坂を上っていた。
結局、谷に残ったのは、昔、狐狩りの名手だったリシュの爺と、酒の仕込み中だというウシュキの親父、それに見張り役のジード、そしてメイアだけだった。
メイアが残った理由は昨夜、この地を訪れた一人の来訪者の言葉によるものだった。
それは豪奢なドレスをまとった10歳ほどの愛らしい貴族の少女だった。
彼女は、なぜかゼルダ婆の家から現れた。
「我は使者である。
ウィリスとゼルダ婆の伝言を届けに来た」
傲慢とも言える物言いは、彼女の口から出るといかにも自然であった。
「この地は、明日、戦場となる。
村民は家畜を残し、この村を離れよ。
避難先は砂の川原」
村人はためらった。
ここ何日か、川下の龍の存在で不安になっていたのであるが、村を離れるなど考えてはいなかった。そのため、突然、現れたものの唐突な言葉に従うか悩んだのである。
だが、ジードの言葉がきっかけを作った。
「お前は、魔道師だな?」
ジードは、もともと、北原で傭兵をしたこともある男。この田舎の村の中で数少なく世知に長けていた。
「退去は、魔道師学院の命令か?」
「しかり」と少女は答える。
「これは、我が師匠《召喚者スリムイル=スリムレイ》と、汝らの先代お迎え役ゼルダこと《風読みのゼルディア》が合意によって発せられたる警告なり」
村人はざわめく。ゼルダがこの村に来る前、どこかで魔法の修行をしていたということは、村の老人たちしか知らぬことであった。
「汝らは知っているであろう。
この川下に、霧の龍王ファーロ・パキールが潜み、村を襲っていることを。
ゆえに、我らは汝らに避難を命じるとともに、ここで火龍を食い止める仕掛けを行う」
そうして、彼女は村人の中にいたメイアを見て微笑んだ。
その視線にメイアは背筋が凍りついた。
グリスン谷の冬よりも冷たい何か。
この少女は、たぶん、人ではない。
メイアはぞっとした。
おそらく、雪狼の姫のほうがよほど人らしい。
「ウィリスの許嫁か。
お前には、役目がある。
ウィリスが帰り着くために、お前が必要だ」
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何とか復活中、次回は来週に。
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