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2008年9月 8日 (月)

永遠の冬【59】火龍の雄叫び

 歌え、その祈りを声に乗せよ。

 メイア11歳の夏。

「霧は晴れない」
と、その少女は言った。
「だから、お前には、ウィリスを導いてもらわねばならぬ」
「ウィリス!」
 メイアは声を上げた。
「帰ってくるの?」
「帰ってくる」
 そして、彼女は北の空を指した。
 霧に包まれた白い空だったが、どこか夏とは思えぬ何かが感じられた。

 少女の名前はエリシェ・アリオラといった。
 彼女はその外見とは裏腹に老成した口ぶりで、ジードや村長と話しこみ、結局、朝から村人は里を去ることになった。
 彼女は、南の村に住む《霧の龍王ファーロ・パキール》の恐ろしさを得々と説明し、火龍の足止めのために、ジード、メイア、酒造りのウシュキ、そして、弓と罠に詳しいものとして、リシュの爺を残した。
 ジードとリシュは、ありったけの綱と道具を抱えて、川を少し下った。ジードは、火龍が早めに来た場合のために、鏑矢を持って川岸に潜んだ。その合間に、リシュの爺が川面を大物が抜けたら、鳴子が鳴るように仕掛けを張った。
 ウシュキは秋祭りのために仕込みかけた酒を村の川岸に運んだ。
「酒の匂いは、人の気配を隠す」
と、エリシェがいう。
「龍を酒に酔わすのかね?」
と、ウシュキが問うと、エリシェは微笑む。
「あれを酔い潰すには、この村が沈むほどの酒が必要だろう。
 そもそも、あれが酒を飲むかどうか、確認したものはおらぬ。
 少なくとも、泥酔した火龍という記録は残っていない。
 ……興味深い問題かもしれないわね」

 やがて、朝になり、村人たちが九十九折を上っていく。
 もはや霧は濃く、崖の上はもはや見えない。

「あとは、段取り次第」
 メイアを横に控えさせたまま、エリシェは、村の中央から動かなかった。
「あの、」とメイアは思い切って話しかけた。
「エリシェ様は、ウィリスや婆様とお会いに……」
 場違いな質問であることは分かっていた。
 だが、霧に包まれたグリスン谷で、メイアは沈黙を守り続けることが出来なかった。
「ああ、つい先日、会った」
 エリシェの答えはそっけなかった。
 メイアは言葉を続けることが出来なかった。
 しばらくの間があってから、エリシェは言葉を続ける。
「悪いな、どうも、世間話というのは苦手だ」
「いえ、あの」
「……《風読みのゼルディア》、いや、おぬしらの先代お迎え役、ゼルダは、我が妹のようなものだ」
 10歳にしか見えない少女の口から出るには、不似合いの言葉である。
 あきらかに四十を越え、老婆の域に達しつつあるゼルダの姉には決して見えない。
「ウィリスは、今、最後の扉に迫っているはずだ」

 そして、鳴子がカタカタと音を立て、鏑矢が虚空に甲高い音を上げた。
「来たぞ」
 エリシェの声は、引き続く火龍の雄叫びにかき消された。
 谷全体が轟きに揺れ、メイアはもはや恐怖で動くことさえできない。

 そして、また、すべては沈黙に包まれた。

「来た!」とエリシェは近くの酒樽を蹴り倒す。
 濃厚な酒の匂いがあたりに漂う。
 酒樽の間を走るエリシェの頭上に巨大な顎が出現し。その上半身を丸呑みにする。家よりも大きな上下の顎が、がきっとかみあわされ、エリシェの姿が消える。

「あ、あ、あ」
 もはや、メイアには声を出すことも出来ぬ。
 その背後から、すっと誰かがメイアの体に手を回す。
「飛ぶよ」
 エリシェの声とともに、メイアの視界は暗くなった。

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 何とか復活中、次回は来週に。

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