歌の龍王【03】船から降りてきた女
白の風虎
我は忘れぬ。
我は諦めぬ。
我は追い詰める。
*
モーファット河を上下する河船は、1枚帆と多数の櫂を併用した底の丸い船である。櫂は河を遡る際と、船の速度が必要な時にのみ用いる。
その日、アラノス湖に来た船は、ずいぶんとみすぼらしい姿だった。帆が焼け、舷側には何か巨大な石でもぶつかったのか、ひび割れが見えた。
やがて、波止場に入った船に向かって波止場の人足頭が叫んだ。
「派手にやられたな、土鬼か?」
土鬼とは、イクナーリ大平原にすむ野蛮な巨人族である。凶暴で野蛮な民で、しばしばモーファット河を行く人の子の船を襲う。彼らの投げる石は豚ほどもあり、当たれば、人は死んでしまうし、船も沈みかねない。
「ああ、ヴェルニクのあたりで船を止めたら、この有様だ」
船乗りは、もやい綱を放りながら答える。
「ヴェルニクか。あれも遺跡が多いからのお」
と、人足頭はうなずいた。モーファット河の流域には、土鬼の先祖たちが築いたと言われる巨大な遺跡群があり、土鬼の部族たちはそこを聖地とみなしている。そのため、モーファット河は別名、土鬼河と呼ばれる。北から炎に焼かれしゾースニク、封印されしカルースニク、呪われしヴェルニクの三地域に遺跡が多く集まり、したがって、それらの流域では土鬼の活動が活発なのである。
そこで、頭はぞっとした。
もっともモーファットに近いヴェルニクは、呪われし土地だ。土鬼たちは、赤い瞳の魔龍スゴンという怪物を神とあがめている。ところが近年、スゴンの聖域にどうやら、とてつもない財宝が眠っているという噂が流れている。伝説によれば、そこには「スゴンの瞳」と呼ばれる巨大な紅玉石が隠されているらしい。
今まで、何度も腕利きの宝探しが聖域に忍び込んで、土鬼たちの怒りを買い、非業の最期を遂げた。
「もしかして、誰ぞ、ヴェルニクに……」
頭が言いかけたところで、船室の扉が開き、船長と一人の若い女が出てきた。
奇妙な装束の女だった。
両眼を覆うような板の仮面には、一本の細い筋だけが入っている。あれで見えるのかどうかはよく分からないが、揺れる船の上でも女の足取りはゆるぎない。そして、女のまとうのは、魔道師やまじない師が好んでまとう法衣に、薄い外套だ。胸のあたりには青と銀で彩られた紋章が見える。あれは通火の星座。夢占い師か……
「船長、ご迷惑をかけた」
と、女は船長に言った。
「十分な代金はもらった。それに」
と、大柄な船長が髭をかいた。
「あんたの占いが本当なら、俺は喜ぶべきだ」
「幻視(み)えたことをご説明したまで」
と女は、軽くお辞儀をし、船を下りた。そのまま、モーファットの街を巡る塔の一つへ向かって歩き始めた。
「いったい、どうしたんだ、船長?」
と波止場の人足頭は聞いた。
「それより、頭、俺に何か伝言は預かってないか?」
「ああ、そうだ」と頭は思い出した。波止場の親方からこの船の船長にあてた手紙を預かっていたのだ。船長はそれを受け取ると、さっそく中身を開き、歓声を上げた。
「やったぞ、長男だ!」
それは妻の出産を告げる知らせだった。
そう言えば、この船長と来たら、子供が多い癖に娘ばかりで、息子が欲しいと日頃、愚痴っていたものだ。
「どういうことだい、船長?」
「あの女、これが幻視(み)えたんだ」
「夢占い師か、そいつはすごいな」
「それだけじゃねえ。
あれは一昨日のことだ。夢のお告げがあって、ヴェルニクであの女を拾った。あいつはあの呪われた都から帰ってきたんだよ」
人足頭はぞっとした顔で船長を見た。
*
どんな街にも腐敗は存在する。
その若いちんぴらもその一人だ。
船から降りた女の金払いがよかったことを聞きつけると、波止場の雑用を放りだして、女を追いかけた。占い師であろうが、ちょっと短剣で脅せば、懐の中身を差し出すだろう。
そうして、ちんぴらは女を追って、城壁の塔へ向かう道を急いだ。
ありがたいことに城壁へ至る道は、人気が少ない。戦争の時はまだしも、平時は、城壁の上にいる衛兵以外、出入りがほとんどない。ましてや先日、バサルの来訪があったばかりだ。城壁に人の集まる理由などない。おかげで、若い男女が逢引きに使うぐらいだ。
そこまで、考えて、ちんぴらはほくそ笑んだ。
あの占い師、ずいぶん、若い女のように見えたな。財布の中身をいただくついでに、ちょっとした悪さもできるかもしれない。
「馬鹿だな、お前」
冷徹な声が頭上から降ってきた。
見上げると、あの女占い師が見下ろしていた。
ぞっとするほど冷たい声だった。
そして、女は仮面を外した。
深紅の瞳がちんぴらを見た。
そして、ちんぴらはそのまま、そこに斃れた。
心臓はもう止まっていた。
「くだらないな」
女はそう言って、周囲に軽く手を振ると、そのまま、ちんぴらの背中に当てた。
ちんぴらの名前はアート。
死んでしまった役立たずの波止場人足。
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『歌の龍王』第三話です。
全体の流れはまだまだ見えませぬ。
できれば、週一ぐらいで連載したいところですが、自分でも分かりませぬ。
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