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2009年4月 1日 (水)

歌の龍王【07】魔剣

紫の海王

時過ぎれば、憎悪さえも思い出に変わる。
嵐はいつか去るのだ。

「愚かな……」
 草原の真ん中で、ナルサスは、回りを囲む兵士たちを見まわした。数名の兵士たちは、彼の得物を狙ってきた傭兵らしい。剣に長槍、槌矛に連接棍、ずいぶんやる気のようだ。
「魔剣使いのナルサスも、老いた、と見られたか」
 ナルサスは自嘲気味に笑う。すでに年は40を超えた。かつて、あの水龍ティノチウスと戦った頃の若き傭兵はすでにいない。あれから十年余り、中原の各地を転戦した。激しい戦いを何度も経て、ナルサスも変わった。
「だが、お前たちの間違いは、こいつを見くびったことだ」
 ナルサスは、腰の剣に手をかける。
 名を「野火」という。
 魔族諸侯の一人、「雫の大公ヴェパーレ」が作りし三本の水の魔剣のうち、一振りである。

(久しぶりだな、お前から我を抜こうとするとは……)

 そんな声が聞こえるとともにナルサスは、のどの渇きと体内をかけめぐる熱を感じる。魔剣は解放の兆しに喜んでいるのだ。本来ならば、抜きたくなどない。これがどれほどの残虐さを振りまくのか、よく分かっているからだ。
 だが、この兵士たちは人数を頼んでナルサスを追い詰めた。魔剣「野火」に手をかけさせるほどに。
「この刃に命を捧げるのがお前たちの望みならば、ありがたい」
 ナルサスは剣を抜いた。
 その瞬間、熱波があたりに走る。頬が乾いていく。足もとから丸く草が萎れていくのが分かる。そうして奪われた水気が野火の刃に集う。白い霧はそのまま刃に吸われ、雫を形作ることもない。
 ナルサスの肌もちりちりと干からびていくが、もはやナルサスは内なる飢えに満たされ、痛みも感じない。そして、剣に引かれるようにすっと前に出ていた。剣の刃が兵士の腕に食い込む。浅い斬り込みのように見えて、その途端、兵士が恐怖の声を上げる。
 野火が食い込んだ腕は、傷口から血を吹くこともなく、たちまち干からび、そのまま兵士は枯れ草のようになって死んだ。

(久しぶりの血じゃ、甘露、甘露)

 剣から伝わってくるおぞましい食欲の気配には、まだ慣れていない。この魔剣は、生きた人間の血潮をすすり、渇きを潤す。ゆえに、斬られた者は一撃で魂を吸い取られてしまう。
 惨劇は終わらない。
 ナルサスを引きずるように、刃はひらめき、隣に立つ兵士の首を薙ぐ。斬られた首筋から噴き出した血潮はそのまま、霧となって野火の刃に吸いこまれていく。
 ざん! さらに剣が翻り、ナルサスは飛ぶ。
 槍を持った兵士の脇をかいくぐり、腹をえぐる。臓物が弾けて転がり出るが、あっという間に干からびた干し肉に変わる。
「うわああああ」
 一瞬で三人の仲間が枯れ草のような死体に変わるのを見た残りの兵士たちは悲鳴のような鬨の声を上げる。下手に背を向ければ、伝説の魔剣に魂をすすられると気づいたのだろう。一気にナルサスに襲いかかった。
 連接棍の一撃は横あいに避けた。槌矛は受け流したが、その際に、刃から火花が散り、足元の枯れ草が一気に燃え上がった。これこそ「野火」の名の由来。
 そして、もう一人の長剣を受け流し、そのまま切り返した。刃は長剣使いの膝を断ち割り、膝の傷口から長剣使いの魂をすする。長剣使いは干からびていく己の脚をじっと見つめた後、枯れ木が朽ち果てるように倒れた。渇ききった羊皮紙のように、男の死体は粉々に砕け散る。

(どくん)

 また一人殺して、ナルサスの手の中で魔剣が歓喜の声を上げる。おぞましい喜びの声がナルサスを満たす。まだ戦える。まだ殺せる。まだ足りない!

「十分だ」

 ナルサスは、身の内を焼く血の渇きを抑えてつぶやいた。
 剣の渇きを満たすために生き物を殺すのは、おぞましいことだ。剣を通じてその血潮と魂が吸い取られていくのを感じる。その血潮と魂が自分の活力になっていることも分かる。おぞましいのは剣だけではない。それを振るう自分自身も、もはや、怪物だ。

「食われたいのか!」

 ナルサスは、連接棍の男に叫ぶ。声とは裏腹に、軽やかに宙を舞った野火の刃は、鎧の胸を真正面から斬り裂き、男の心臓を味わった。心臓が痙攣し、止まる様子が刃を通じてナルサスの腕を走る。

「ああああ」

 ただ一人残った槌矛使いの兵士は、ナルサスに背を向け、逃げ出した。
 だが、彼は数歩も歩めなかった。
 連接棍使いの胸に埋まっていたはずの野火は、まるで毒蛇のように蠢き、ナルサスの腕を離れて、槌矛使いの背中に突き刺さったのだ。
 男の悲鳴は途絶え、男はまるで枯れ木のように倒れた。

「……」

 ナルサスはもう何も言わなかった。
 これまで何度もあったことだ。野火を振るえば人が死ぬ。魂を吸われ、血潮も吸われ、枯れ木のように干からびて死ぬのだ。刃が魂と血潮をすする感触は、いつまで経っても慣れることができないが、魔剣の噂を聞きつけ、襲ってくる愚か者たちに同情する気持ちはすでになくなっている。自業自得だ。近づかなければ、こんな死に方をしなくて済んだものを。
 そして、ナルサスは、野火をじっと見つめる。
 このまま、あの剣をこの場に捨てていけたならば、どれほどよいだろう?
 だが、それは魔剣の呪縛が許さない。
 たとえ、全力を尽くして背を向けようとも、遠ざかるほどに喉は渇き、締め付けるような気持ちでいっぱいになる。

「ちっ」

 ナルサスは舌打ちをして、剣を振り返る。
 長い歳月で、彼は学んだ。呪縛に耐えることは容易ではない。運命が満たされるまで、彼はこの魔剣とともに生きていくしかないのだ。

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『歌の龍王』第七話です。
 おそらく、二人目の人物、魔剣使いの傭兵ナルサスが登場しました。このキャラクターは、もともとニフティ時代に、メールで行ったセッションのPCです。あれからずいぶん時が経ちました。

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