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2009年4月22日 (水)

歌の龍王【10】双魚の回廊

白の青龍

深淵よりさらに外。
そこは夢の戦場なり。

 薄暗い階段を五十段ばかり下ったところで、下方から水の滴る音が聞こえた。アラノス湖から流れ込む水の流れか、あるいは、モーファットの街から流れ落ちる排水か。いずれにせよ、今後の足場は滑りやすいものになるだろう。
「足もとに注意せよ」
 湖と同じ家名を持つ騎士が、ザンダルの想いを代弁する。
 おそらく、この男はこの街の地下に何度も踏み入ったことがあるのであろう。堅牢で重そうな全身鎧にも関わらず、この男の動きには不安がない。
 この探索の前衛を任せるのに最適の人材だ。
 ザンダルは安心して、魔法の気配に集中した。
 古い街の例に違わず、モーファットの街にはかつてここを行き来した人々の気配がこびりついている。魔法と無縁の人々には見えないまるで煙か何かのような微かな色合いが、魔道師には見える。石壁に触れ、そこに刻まれた浮彫をまさぐれば、この街を建設したヴァルハンの民の作業風景が浮かぶこともある。
 妖精騎士の気配がふわりと浮かびあがることもある。闇の中で星の光と戯れる黒い人影はおそらく、闇の妖精族クラディス・ラオパント、『闇を統べる者』であろう。今では、マフやヴァクトンなど北原の諸侯都市(アルリャ・イルエ)でしかその足跡をたどることもできない、という。
 階段をさらに下ると、やがて、広大な空間に出た。明かりを掲げると、半ば水に満たされた水面が光を反射する。人の背の10倍もありそうな天井。壁沿いや頭上には複雑な配置の橋や通路が行き来していた。
「ここは『回廊』と呼ばれている」
 ゾロエが解説し、水没したあたりを指さす。
「あのあたりに、かつて、妖精騎士の魔道師が住んでいたと伝わっている」
 おそらくは、モーファットでも有数の古い家である騎士の家に伝わる伝承だろう。いずれ、頼んで書庫を見せてもらうことにしよう。
 そこで、ザンダルはざわめきを感じた。
 魔法の波音が彼の耳を刺激した。
「来るぞ、双魚だ」
 ザンダルは、空間の奥を指さす。薄暗い広がりの奥から巨大な魚が二匹、まるで泳ぐように飛んでくる。
「射よ!」
 叫びながら、ゾロエが大槍と盾を構えて前進、ガウが戦斧を構えて右に走る。ナルサスは射手の前に出て、腰の剣に手をかける。
 ぎゅんと弓が引かれ、ファラードとニードが大弓を放つ。風切り音が立て続けに響き、片方の双魚がまるで壁にぶつかったように姿勢を崩し、落下する。
 もう一匹はうねるように体をひねり、ゾロエに襲いかかるが、騎士は左に一歩よけながら、横合いに大槍を叩きつける。ゾロエよりもふたまわり大きい双魚は鰓を斬り落とされつつ、床に激突する。
「はいあああああ」
 黒鬼が跳躍し、戦斧を双魚の眉間に叩きこんだ。
 頭が真っ二つに断ち切られ、双魚は動きを止める。
 ファラードとニードは半ば引き絞った弓を降ろした。
「まだだ!」
 ナルサスが叫び、頭上に斬りかかる。
 透明な何かが断ち切られ、声にならない悲鳴を上げながら、石畳の上に落ちる。野火で斬られたそれはたちまち干からび、おぞましい干し肉に変わる。
「油断するな」
 しかし、すでにニードが首筋を押さえて倒れていた。激しい鮮血が彼の死を告げる。
 ゾロエも何かに体当たりされ、大槍を落として倒れこむ。声を出しているから、騎士はまだ倒れただけだ。
「ネトゥアか!」
 双魚の名前の起源。双魚には二つの種類がおり、双魚使いはこれを使い分ける。日の光があれば、巨大な肉食魚ヴトゥアを用い、月の光があれば、月光を泳ぐ透明な魚ネトゥアを用いる。真紅の魔女ドレンダルはもと、原蛇座の召喚魔道師である。二種の双魚を使いこなすものだ。
 ザンダルは、己の油断を呪いながら、魔法の気配を探る。
 妖魔の気配は消えていない。
「ナルサス、残り3匹」
 ザンダルの叫びと同時に、黒鬼の手から戦斧が投ぜられ、空中の何かを断ち切って壁まで飛んで行った。
「後、2匹だ」
と、ガウが笑う。
 直後、その黒鬼の腕から血が噴き出した。
 見えない魚は、恐ろしい気配を放つ魔剣から逃れ、得物を手放した黒鬼を狙ったのだ。
「馬鹿め」
 黒鬼は笑って、もう片方の腕を振るった。黒鬼にかみついた何かは石畳に叩きつけられ、動かなくなる。黒鬼の強靱な肉体があってこその戦いである。
「無茶を……」
 ザンダルが言いかけて言葉を切った。ぞっとする死の気配が黒鬼の背後に突然生じたのだ。
「ガウ!」
 だが、黒鬼が身をよじる前に、闇から突き出された白い女の手がすっとその背中に触る。
「馬鹿はお前だ」
 黒鬼は何が起こったか分からぬままに、瞳を見開いたまま、倒れた。
「死ね」
 ドレンダルが立ち上がり、真っ赤な瞳をさらす。
 ファラードが悲鳴を上げて倒れる。
 ザンダルはぞっとする冷たい空気が心臓を握ったような気分になった。龍王の加護がなければ、自分も後を追っていったかもしれない。
「なるほど、俺が呼ばれる訳だ」
と、ナルサスがそちらに向かって走り出した。

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『歌の龍王』第十話です。
 双魚の群れを操るドレンダルと、討伐隊の戦いが始まりました。

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