歌の龍王【11】赤き瞳の幻視
*
白の翼人
死は正しき終わり。
終わりなくば節度もまたなし。
*
剣の飢えが肌を焼く。
ナルサスの手の内で低くうなりを上げる魔剣「野火」は、湿ったはずの空気を渇いた熱風に変える。ナルサスが走るその周囲の石畳の表を覆っていた苔が一瞬で茶色く干からびる。
ナルサスと魔女の間を遮った双魚ネトゥアが一瞬で斬り落とされ、砕け散る。
「猟犬よ!」
ドレンダルが壁を叩くと、そこに虚ろな穴が開き、四足の怪物が飛び出す。
馬ほどもある巨大な犬。
だが、そこに血肉は一切ない。
ただ白い骨と燐光だけの存在。
あたりには、似合わない波音が響き始める。
「骨の猟犬」
青龍の魔道師ザンダルはぞっとする。
遥か死の領域に属する死の猟犬だ。
学院の魔道師ならば、命を賭けて度重なる詠唱をせねば、召喚できぬ死の怪物を一瞬の動作で呼びだすとは、やはりドレンダルは魔女としかいいようがない。
「奴にかまれると、『深淵』にさらわれるぞ」
『深淵』とは、この世界の裏側に存在する魔法と夢の世界、骨の猟犬はその深淵の彼方、死の領域たる葦原の国に属する生き物で、死すべき魂を食らい、死の世界へ運び去る。
だが、ナルサスの動きは変わらない。
骨の猟犬の横に飛び込み、一撃で前足を砕く。膝を割られた猟犬が振り向いた頭の骨を横合いから叩き割る。巨大な死の犬はそのまま弾き飛ばされて壁で砕け散る。
「たった三撃で骨の猟犬を滅ぼしたのか?」
後方に下がりながら、ドレンダルが思わずもらす。
「三度、斬らねば死なぬとは、さすがに魔物」
と、ナルサスが言い返す。その剣を振るだけで、渇いた熱風が地下を走る。
「ヴェパーレ大公様の魔剣か」
ドレンダルの声にさえ緊張が走る。ヴェパーレとは、魔剣「野火」を生み出した魔族の大物である。その二つ名は「雫の大公」という。しょせん、人の子から生まれたばかりの妖魔めいた存在には勝ち目がない。ナルサスの刃が届けば、彼女もまたたちまち干からびて滅びの道を辿るだろう。
「ならば、我が主の力を借りよう」
魔女の右手に赤い宝玉が現れる。拳より少しだけ小さい宝玉から放たれる輝きとともに、まがまがしい気配が地下の空間に満ちる。
その瞬間、ナルサスとザンダルは見た。
深淵の彼方より見つめる赤き瞳。
死の力を司る龍の瞳。
「呼べ、我が主の名を」
ドレンダルのささやきが耳朶を打つ。
「知ってしまったのだろう?」
ああ、知っている。
だが、呼んではいけない。
呼べば、あれが来てしまう。
ザンダルは、その名前を飲み込む。
しかし、ナルサスは不覚にもその名を呟いてしまう。
「赤い瞳の侯爵スゴン」
言い切ると同時に、どこかで巨大な扉が音を立てて開かれた。
「あと、五つ」
魔女ドレンダルは微笑む。
「その名を口にしてはいけない」と、ザンダルが叫ぶ。
「あれが来てしまう」
警戒しておくべきだった。魔女が力にだけ頼るはずはない。見えない魚さえも、罠の本質ではない。この街を滅ぼすというならば、かの魔族の力を借りるに違いない。
赤き瞳の侯爵スゴン。
龍の姿をした死の魔族。
その視線は見ただけで敵を殺すという。
龍の屍めいた姿にふさわしい、死の化身。
問題はそれをいかに召喚するのか?
おそらく、かの赤い宝玉こそが召喚の道具なのだ。
「さあ、我が主の名前を呼べ!」
魔女はナルサスへと宝玉を突きつける。
「お前こそ、多くの死の因縁を背負いたる者。
お前が殺してきた者たちの名前にかけて、死の扉を開くがよい」
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『歌の龍王』第十一話です。
魔剣対魔女の戦いが続きます。
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