歌の龍王【23】ゲグの玉座(承前2)
*
黒の海王
人生は海なり。
他の人々もまた同じ海原にいる。
それを忘れるな。
*
アナベルとザンダルは、海を沈んでいく。
「ご安心を」
アナベルは、水中でささやく。
(これは夢なのか?)
海面に近い泡立つあたりを抜けると、海上の嵐とは裏腹に、海の中は静かで、動きがなかった。
海に落ちた衝撃も動揺もなかった。
「すべては、ゲグ様の御心のままに。
あなた様もわたくしも、あの船乗りたちもすべて、天上の御方からゲグ様への御使いにございます」
アナベルが話すたびに、その唇から気泡が漏れていく。
青く薄暗いはずの海中には、船乗りたちを包む七色の燐光で柔らかく照らされている。《宝玉の大公》が稲妻とともに船へと降ろした生ける光、飢えた異形の霊体だ。
「あれは、供物の光」
アナベルが海中を指差すと、そこを巨大なエイのような何かが泳いでいく。淡く光ったまま、水中に浮かぶ船乗りたちの体は、次々とその巨大な口に吸いこまれていく。
音はない。
ただ、静かに燐光が消えていく。
(私も生贄にされるのか?)
半ば麻痺したザンダルの心の中に、恐怖が頭をもたげる。
「いいえ、大丈夫」
と、アナベルはザンダルに寄りそう。
「あなた様とわたくしは、見届け人。
《海の騎士》の帰還を祝うのです」
(つまり、これもまた《策謀》の内なのか?)
ザンダルの想いに答えるように、その懐で、スゴンの赤き瞳が輝きを放つ。
「時は来たれり!」
海の上から銀の光が鋭く海中に射し込み、赤き瞳の放つ赤い光とともに、ゲグの巨体を照らす。
「目覚めよ、我が盟友。
海の騎士たる者、スボターン!」
ゲグの巨体は激しくのたうち、海上で向かって突進した。答えるように、波の谷間がぐわっと口を開き、巨体をさらって空中へ放り出す。
同時に、アナベルとザンダルも、波につかまれ、海上へと引き上げられる。まるで波から風に抱き渡されたかのように、そのまま、嵐の空中へと舞い上がる。
眼の前は、銀の光に満ちていた。
《宝玉の大公》が放つ銀の光が、エイのようなゲグの巨体を受け止め、空中に浮かべていた。
「今こそ、赤き瞳を!」
アナベルがザンダルに言う。
「それこそが封印を断ち切る破封の宝玉」
ザンダルは、一瞬、ためらったが、もはや腕は勝手に動いていた。
懐から赤き瞳を取り出し、頭上に掲げる。
赤い光が大きく放たれ、ゲグを包む。
「目覚めよ!」
《宝玉の大公》の宣言とともに、エイのような三角の平たい巨体は、青い輝きを放ちながら、光の粒に変わり、その後、青い鎧を着た騎士へと変じた。
「我は目覚めたり」
青い騎士は叫んだ。
「我は平穏の封印より解放された。
我は意を決し、戦いに出る」
その心は突風のように吹き荒れ、ザンダルは意識を失った。
火龍の狂気にも似ていた。
*
目覚めると、見たこともない船員たちがザンダルの顔を覗き込んでいた。
「分かるか? 大丈夫か?」
船員の背後には、船室の天井が見えた。ゆったりとした揺れ、木材のきしむ音から、今も海上にいると分かった。
「ああ、ここは?」
ザンダルはやっとのことで、質問をひねり出す。
「海王船だ」
回答は別の場所から発せられた。
首をひねると、部屋の奥、執務机のわきに若くしなやかな肉体をした青年が座ったまま、ザンダルを見ていた。
「渦の海の海王ルーニク様だ」
と、船員が説明する。
海王とは、八つの海を支配する船乗りの長たる存在だ。
南方デンジャハ王国の都グナイクを本拠地とすると聞く。
渦の海は、確か南方を指すはず。
「学院の魔道師に問う」
と、ルーニクは前置きなしで言った。
「お前の持っていた、この二つの宝玉は一体、何だ?」
青年の前、執務机の上には、スゴンの赤き瞳と並んで、青く歪な多面体の宝玉が置かれていた。そこから放たれた海王の魔力を感じて、ザンダルはぞっとした。これはゲグ……いや、解放された魔族《海の騎士スボターン》に属する物だ。
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『歌の龍王』第二十三話です。
ザンダルは、海王ルーニクの船に救われ、海王の都グナイクへと向かいます。
次は来週以降に。
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