歌の龍王【30】海王(承前6)
*
青の古鏡
見ないことこそ見ることに通じる。
それを忘れるな。
*
しばし、人々はその銛をじっと見ていた。
何が果たされたのか?
この銛に何の意味があるのか?
《津波の王》の下僕、大海蛇とともに海底に沈むべきだった赤い宝玉のついた銛は、なぜか虚空から投げ返された。大海蛇は死んだように見えた。
気配は消え、巨大な津波もその場で崩壊した。
「果たされたり!」
銀の球体、いや、《宝玉の大公》はこの言葉を残して消えた。
何が果たされたのか?
「ザンダルよ。それは、おまえのものだ」
甲板に、闇の海の海王ウィンネッケの声が響いた。
いつの間に船を移ってきたのか?
怪異な容貌の海王はザンダルの背後に立っていた。
ザンダルが振り返ると、そのローブから闇がこぼれおちるように見えた。
「よいか、ザンダル」と闇の海王は言う。
「この世界は螺旋のようなものだ。
繰り返しのように見えて、少しずつ前へと進む。
ある時は、その未来のためにある。
今日、お前が我ら海王と大海蛇の戦いに加わったのは、未来のため。
そこにある赤き瞳の銛もまた未来のため。
貴殿が青龍の魔道師であるのも、また仕掛けのうち」
振り返ると、赤き瞳の銛は、そのまま、使いなれた槍のように振るえそうだった。
「魔族はおそらく、この銛を生み出すために、ここへお前を導いた。
いや、おそらく、そのためにお前を用意した。
だから、あれはお前が担うべき武器だ」
ウィンネッケの声が淡々と響く。
分かっていた。
赤き瞳との旅がこれほど簡単に終わらないことなどよく分かっていた。
魔族に魅入られたのだ。
これは《策謀》なのだ。
魔族の誰かが描いた陰謀の綾織り。
では、今、ザンダルがこれを取らなかったとしたら?
「誰かがそれを受け取るだけだ」
ザンダルの心を見透かすようにウィンネッケが言う。
ザンダルが振り返ると、ルーニクがうなずく。
「お前が持って行かぬなら、俺がもらう。
《津波の王》がまた大海蛇を送ってきたら、それで戦う」
(そうして、いずれ、《赤き瞳の侯爵スゴン》は目覚めるのだ)
遥か闇の彼方で妖艶な女の声がささやく。
ザンダルはその声の主を知っている。
赤き瞳の魔女ドレンダル。
最初の使者。
ナルサスの魔剣によって斬られても滅びぬ魔女。
(あなた様は見届けるのです。我らが神の復活を)
ラズーリの領主の娘、アナベルが海底から微笑む。
船ごと沈んだはずだが、彼女もまたどこかで生きているに違いない。
「分かりました」
ザンダルは覚悟を決めて銛をつかんだ。
青龍の加護を信じよう。
「残念」とルーニクが笑った。
「まあ、後は任せる」
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『歌の龍王』第三十話です。
海王編終了。
次は来週以降に。
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