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2010年3月 1日 (月)

歌の龍王【36】野望の姫(5)


黒の海王

人生は海なり。
ほかの人々もまた同じ海原にいる。
それを忘れるな。

 そう忘れていた。
 カスリーンの姉マデリーンもまた野望を持った女であった。
 5年前、彼女はすでにユパの歩兵隊長の一人であるケドリック子爵夫人であった。
 嫁いで一男一女を産んだ後、ケドリックが与えられた城の采配に才能を発揮し、夫ケドリックと息を合わせてルケリア河に沿って東北方向へ進出、土鬼とマイオス王国の争乱で混乱している地域に出城を築いた。この地域は本来、マイオス王サームが所有する土地であったが、マデリーンは巧みな外交術でサームの内諾を取り付けた。
 東方の土鬼王国には、棍棒王ラ・ダルカがいる。数百年ぶりに土鬼の氏族を統合した土鬼の王である。ラ・ダルカはレ・ドーラの荒野を越え、マイオスの東方国境を打ち破り、聖山ルケへと侵攻した。
ルケ山は古来の神王が封じられると言われる聖地である。かつて神征紀の戦いの後、指輪の女王はこの山の上に降り立って世界の支配を取り戻された。その後、ヴァクトンへ移り、国作りを巨人たちに命じるのであるが、魔族の反乱により天空城で殺された夫、剣の王ソダールの神霊を慰めるため、しばしば、この地へやってきたという。以来、多くの神威がここで発揮され、世界の支配者たることを示す後継者の指輪も、この地で巨人の王に与えられた。
山上に残る朽ち果てた巨人の宮殿は、その跡とされている。
その場所は古王神殿、ライエル、プラージュのいずれもが、古王の聖地と呼び、今も巡礼が絶えない。山上の修行場には、半神ともいうべき悟りを得た聖者もおり、魔法でも癒えぬ、業病さえも癒してくれるという。
マイオス王国は農業と牧畜の国であるが、マイオス王にとって、ルケ山への参拝街道から上がる税収は非常に大きいものである。そのため、ルケ山を守る東方辺境には大軍を配置していたが、ラ・ダルカとの戦いで敗戦を重ね、多くの村や砦が滅ぼされた。
マデリーンは困ったマイオス王サームにつけ込んだのだ。
サームはラ・ダルカとの戦いを有利に運ぶため、滅ぼされた地域への侵攻を認めた。ユパ国王も、東方への拡大、マイオスとの同盟、ルケ山参拝者の保護などマデリーンの上げた瞑目を認めた。うまく行けばよし、すべては土鬼との戦いが終わってからだと考えていた。
下手をすれば、ラ・ダルカの怒りを買い、非業の死を遂げるのはケドリックとマデリーンであるかもしれなかった。

「だが、姉上は賭けに勝ちつつある」
 カスリーンは淡々と語った。

 ルケ山から流れ落ちるルケリア河の流れは、「女神の涙」とも言われるが、その水量は多く、たとえ、土鬼であっても身が立たない。ルケリアの西岸に築いた第一の砦には、多数の大弩(おおいしゆみ)を揃え、ルケリア河に沿っての補給路を確保した。東岸に渡り、築いた第二の砦にも、大弩を揃えたが、さらに、弩の射程に沿って大型の柵を何重にも巡らせた。柵の内側には長い歩兵槍を揃えた重装歩兵が並び、その背後には大弓を構えた弓兵を並べた。
 土鬼たちは巨大な石を投じたが、それは柵から砦まで届くことはなかった。怒って柵を破ろうとする間に、大弩と弓兵隊の矢が降り注ぎ、例え、乗り越えても重装歩兵たちの槍衾が迎え撃った。
 マデリーンとケドリックは、ラ・ダルカが率いる土鬼の襲撃に二度、耐えた。二度目など、負傷したケドリックに代わって、マデリーンが部隊を率い、自ら弩の指揮を取った。

「姉上は、ルケリア河沿いに、さらに三つの砦を築き、ケドリックは間もなく、辺境伯の称号を与えられる」
 やっとカスリーンの声に悔しげな感情が混じる。
「辺境伯」
 それは、ザンダルとカスリーンが求めた第一の里程標であった。
 辺境に向かい、砦を築き、爵位を得る。
 公爵の娘として、辺境での裁量権を得るためにおそらく必要とされる爵位の目処となったのが、男爵、あるいは、辺境伯である。辺境ゆえに広さだけはある領地に合わせて与えられる変則的な称号、辺境伯は、カスリーンの野望にこそふさわしい。
「姉上の武勲、認めぬつもりはない」とカスリーン。「だが、ケドリックが辺境伯になった場合、我が版図もその指揮下に加えられるという噂がある」
 次代の勢力争いはすでに始まっているということか。
 弩と重装歩兵を率いるマデリーンにとって、カスリーンが有する騎士団とガラン族騎兵隊は、魅力ある兵種だ。
 だが、ルケリア河沿いでラ・ダルカ本軍と戦う死地に招かれるのはカスリーンとしては、望まぬ展開だ。東方辺境で土鬼の氏族をひとつずつ潰し、砦で版図をまとめて、レ・ドーラへと向かう。それがザンダルとカスリーンの計画であった。
 その計画を変えぬためには、さらに東方へ進出、実績を作りつつ、中央から離脱することだ。すなわち……

「レ・ドーラ侵攻」

 カスリーンは微笑んだ。

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『歌の龍王』第三十六話です。
 短めでも続きをかいていきたいと思っています。

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