歌の龍王【38】野望の姫(7)
*
黒の風虎
風の匂いがする。
季節が変わっていく。
狩猟に備えるとしよう。
*
馬蹄の響きに包まれ、ザンダルは東へ走った。
ストラガナ侯の言葉通り、ガラン族の騎兵たちは風のように走る。彼らは馬を手足のように操り、手綱を握らぬ時でも馬が暴れる気配もない。
「ガランは鞍上で眠れるようになって、一人前だ」
ストラガナ侯の副官で、騎兵頭のガンツはそう笑った。髭だらけの顔をした小柄な老人だが、馬上槍一本で多くの敵を倒した猛者だという。
「だから、ガンツは遅い。馬に乗ると寝てばかりだ」
と、若いストラガナ侯が混ぜっ返す。
「若様が速すぎるのです。生粋の草原生まれのようだ。
母上様もお喜びでしょう」
「爺、泣くな」
始終、こんな様子だった。
(幼子のようだな)
と、ザンダルは思った。
(カスリーン姫に、このような表情を見たことがない。
あの方は、あの悪夢の中に無邪気さというものを捨ててきたのかもしれない)
血まみれの床に立つ幼いカスリーン。
倒れ伏す侍女。
貫くようなカスリーンの視線。
まるで、それはモーファットで撃退した魔族の下僕、赤き瞳の巫女ドレンダルのようだ。
憎悪と呪詛に満ちた狂気をはらんでいる。
その歪みをカスリーンは自覚している。
己の血筋と育ち、そして、剣の公爵家の定めが彼女を戦いに追いやっている。
ゆえに、彼女は自らにないものを求めて家臣を集めた。
ストラガナ侯の明るさは彼女に必要なものだ。
「すべて、あなたの仕掛けですか?」
ザンダルの思いに割り込むように騎士コーディスが馬上で話しかけてきた。
その目はじっとザンダルを睨んでいる。
「カスリーン様は、あなたのことばかり話される。
ストラガナ侯を選んだのもあなただと」
ザンダルは記憶を探る。
もしかしたら、今、思っていることを、5年前も考え、口にしていたかもしれない。
5年前。
カスリーンの瞳が強く鋭い憎悪に染まり、13才とは思えない怒りに手を震わせた時、ザンダルは彼女の背後に幼少時の悲劇を幻視した。
その怒りを理解した。
おそらく他の幻視者たちは憎悪を緩和しようとしたが、青龍の魔道師であるザンダルは、違っていた。火龍の怒りを理解し、受け止めた。怒りや憎悪を殺すのではなく、正しい使い方を教えた。
王への道を教え、覇業に求められる学識を与え、さらに人脈を築くように導いた。
人の輪を広げるのは、ザンダル自身には出来ないことだった。火龍の精神に耐えるため、人の子らしからぬ強靭な龍の鱗で覆い隠した心で、人と付き合える訳がない。
だが、生まれながらの上級貴族である公爵家の姫カスリーンは、己の野心を隠して、人と付き合う術を生まれてからずっと学んできた。
「自分に無い才能なら、他者を頼ればいい」
割り切った考え方を彼女は受け取り、将来、彼女の王宮を担うであろう人材をかき集めた。コーディスしかり、ストラガナ侯しかり、ガンツしかり、先日の財務官もそれゆえに有能で、彼女の道を理解していた。
「異国の才は、あなたに可能性を与えます」
5年前、ザンダルは確かにそう言った。その時、公爵家の庭では、アイリーン姫とストラガナ侯が遊んでいた。
「あれか?」と、13才のカスリーンは即座に立ち上がる。「では、アイリーンとストラガナを我が陣営に加えよう」
カスリーンは、庭先に出ていき、ストラガナに何か言った。ストラガナは跳ね上がり、アイリーンと一緒に走り回った。
やがて、戻ってきたカスリーンは言った。
「ストラガナ侯を我が臣下とした」
「どうやって?」
「私が軍を率いる時、ガラン騎兵とともに参れと言った」
カスリーンは決断が速く、行動に移すことを躊躇わない。
そして、率直な言葉にストラガナは喜んだ。
「だが、この5年間を支えたのは、あなただ、コーディス・ランドール卿」
とザンダルが答える。
「私は、火龍を学ぶ者。この身はいずれ人を辞める」
「ゆえに、あの日、あなたはユパを離れた」
もはやコーディスの言葉は確認でしかない。
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『歌の龍王』第三十八話です。
短めでも続きをかいていきたいと思っています。
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