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2011年2月13日 (日)

歌の龍王【49】龍王の猟犬(1)

紫の牧人

我はここで待つ。
汝の時が至るのを。

 レ・ドーラ、それは龍の墓場。
 レ・ドーラ、それは火龍たちの古戦場。
 レ・ドーラ、それは未だ消えぬ憎悪の住処。

 モーファットへの回廊を開くべく、レ・ドーラに進軍した黒鉄の姫こと、剣の公爵家の侍女カスリーンに従うことになった青龍の魔道師ザンダルは、魔道師学院の手助けを得て、回廊計画を推進していった。土鬼の部族を撃退し、築城を進めながら、レ・ドーラの西端に達したザンダルは、魔道師学院から派遣されたフェムレンや配下の魔道師候補生たちとともに、レ・ドーラを狂気の荒野にしている火龍の遺骨の発掘回収作業に取り掛かろうとしていた。

 ざわり、と空気が動いた。
 何かがレ・ドーラそのものから巨大な頭をもたげたような気配がした。まるで、巨大な、それでいて姿も見えず、足音さえしないおぞましい何かがゆっくりと目覚めつつあった。
 ザンダルとフェムレンは、発掘の道具を持って立ち上がったばかりの魔道師候補生たちを押しとどめた。
「下がれ」
 だが、すでに、敏感な候補生たちの何人かが悲鳴を上げ、あるいは、泡を吹いて昏倒していた。まだ半人前とはいえ、魔道師の訓練生である。この地に満ちるおぞましい気の変化を即座に感じ取ったと見える。
 有望かもしれないが、敏感なだけでは意味が無い。対策がない状態で、龍骨の野に踏み込ませれば、彼らは自滅してしまいかねない。
「逃げろ」
ザンダルが候補生たちに命じると、彼らは倒れた者を抱えて後退した。候補生からの質問は出なかった。必要ないほど、おぞましい気の高まりだった。
ザンダルは、真紅の宝珠の杖を前に掲げたが、まったく勝てる気がしない。
 ぞっとするほどの圧力を感じる。
「青龍と翼人の魔力が混じり合っておりますな」
と、フェムレンが冷静に分析する。レ・ドーラに派遣されるだけのことはある。この状況でもにこやかな笑顔を崩さない。
「龍王の猟犬かもしれませんな」と続ける。
 ザンダルは記憶を探る。
「レ・ドーラ奥地に出現する火龍の亡霊か?」
 それは質問のようで、質問ではなかった。
ザンダルとフェムレンは同時に次の動きに転じた。
「龍王の加護を求めん!」
 二人はほぼ同じ手順で、印を結び、呪文を詠唱した。火龍の狂気から精神を守るための防衛の魔法だ。レ・ドーラ、火龍の墓場に満ちる青龍座の魔力が二人の周囲に吹き寄せられる。
 一瞬早く、詠唱を完成したフェムレンは身を刻む痛みに片膝を付きつつも、一瞬、青白い魔力に包まれた。レ・ドーラの濃厚な魔力環境の中では本来、見えぬはずの魔力さえ光を放つのか?
 一方、ザンダルは苦戦していた。まるで魔力それ自体が怪物のように暴れていたからだ。まるで、火龍そのものの悪意のように、ザンダルの周囲で暴れ、命を削り落とそうとする。槍のように研ぎ澄まされた悪意の力が迫ってくる。避けようとして魔力を編み直すと、それは奔流となって手を逃れようとする。
 一瞬、鉄の姫カスリーンの顔がよぎる。

多彩なる夢魔

疑え、すべては偽りなのだ。
真実など、ありはしない。
今こそ、密やかな企てが形となる。

 それは呪詛の言葉。絶望を憎悪の毒矢に変え、他者を呪い殺すための言葉。
 魔法の反動が憎悪の呪いに変じていこうとしている。
 ザンダルは思わず、その飛び行く先を悟り、魔力を飲み込む。
「それは私の願いではない!」

 ザザザザザア―――――。

 波音が響き渡った。
「深淵が開く」
 フェムレンが驚きの声を上げる。
「逃げてくれ」とザンダルは答える。「ここの魔力は火龍そのものだ」

 深淵---それは、地上の物質世界の裏側に存在する魔力の世界。
 本来、それは表裏一体でありつつも、薄い膜のような世界の帳で区切られているが、まれに、帳を引き裂き、深淵が溢れ出す。
 今回は呪文を使おうとしてかき集めた魔法の反動が制御を外れ、帳を大きく引き裂いてしまったのである。

青の原蛇

多彩の渦が流れる。
水なき場所にさえ
深淵の波音が響き渡る。

*

 それは水ではない。
 だが、何かが波のように流れてくる。
 足元を、頬を、何かが流れるように触れていく。
 風ではなく、まるで波のような何か。
 ザンダルとフェムレンの目はその波の源が見えていた。
 龍骨の骨塚のすぐ脇、空中にぽっかりとまるで洞窟か何かのようなゆらぎが現れている。すでに、その周辺には、大小の双魚が泳ぎだしている。生の魔力が生きる世界、深淵と地上の帳が大きく引き裂かれ、深淵の妖魔たちが出現し始めているのだ。
「ここまで具現化した深淵の発生を見るのはひさしぶりですな」
 フェムレンの声は状況を理解していないかと思われるほど呑気だ。楽しんでさえいるように聞こえる。おそらくはそうなのだろう。恐怖を感じる魂がもはや擦り切れてしまっているのかもしれない。青龍の塔で長年、生きてきたということはそういうことだ。
「学院堂主アルゴス様が、青龍の塔の長であられた頃、レ・ドーラにて同様の事象に遭遇されたという記録を拝見しました。龍王の猟犬シーボスが出現する条件は満たしております」
「アルゴス様と同じ体験ができるとは光栄」とザンダルもほほえむ。
 もとより、火龍を観察することを一生の使命としてきた。三万年の時が熟成した火龍の怨霊を目撃できるのであれば、魔道師冥利に尽きるというものだ。
「生き残れたら、未来の堂主か?」とザンダル。
「少なくとも、青龍の塔の長にはなれましょう」とフェムレン。「まずは、《スゴンの赤き瞳》を掲げられよ」
 ザンダルは、杖を構え直し、先端に固定したままの魔族の宝玉を龍の骨塚に向ける。杖はかすかに震え、赤き瞳が輝きを増した。

(あの日を思い出す)

 遙かどこか、六つの封印の奥底で魔族《赤き瞳の侯爵スゴン》がつぶやく。

(火龍よ。我はお前たちを殺すために生まれた)

 魔族の独白に答えるかのように、骨塚から火龍の遠吠えが上がり、青ざめた透明の何かが立ち上がってくる。叩きつけるような狂気の気配が突風のようにザンダルとフェムレンを襲う。《赤き瞳》が輝きを増し、青い突風を弾く。
 同時に、ザンダルの脳裏に、火龍の幻視が侵入する。
 二重写しになったレ・ドーラの骨塚の向こう側に、巨大な影が現れる。
 火龍だ。
 それは、黒鉄色の鱗を持つ火龍であった。《風の龍バサル》を思わせるやや細身の姿は、本来、飛龍であったことを物語っていたが、もはや、片方の翼が引きちぎられ、空に舞うことはもはやかなわなかった。レ・ドーラの戦いは、まず、若い火龍と年上の火龍たちの戦いから始まった。火龍たちの間に蔓延した不和と憎悪は、火龍の本質たる狂気と破壊の性格を燃え上がらせ、ここ、レ・ドーラにおいて、前代未聞の、火龍同士の殺し合いに発展した。
 黒の飛龍はその戦いで深く傷ついたが、天空に逃れることもできず、地べたを這ってレ・ドーラから逃げ出そうとしていた。

(狼煙を上げよ!)

 吐息のような風が叫んだ。
 ザンダルの手の中で、杖が震え、《スゴンの赤き瞳》が輝いた。
 同時に、ザンダルは見た。
 幻視の中、ザンダルの両側から、魔族の戦士たちが黒き飛龍に向かって走りだした。右からは、骨だけになった火龍のような怪物が赤い目を輝かせて飛び出した。《赤き瞳の侯爵スゴン》である。その姿は飛龍と互角の巨体である。左からは青き鎧を着た若き騎士が突進する。波の騎士であろうか? そして、ザンダルの頭上を、銀の弓を持つ射手が発射した毒矢が立て続けに走った。
 矢の一本は、黒き飛龍の片目を見事に射抜いた。悲鳴を上げることもできぬまま、足を止めた飛龍の喉に続く矢が突き立つ。棒立ちになった胸元へ、青き騎士の構える突撃槍が突き立つ。そして、赤い瞳を輝かせた骨だけの龍が、その喉元に食らいつき、引きちぎった。火龍の血潮が傷から滝のように流れ落ちる。スゴンはそのまま、前足を振り上げ、飛龍を叩きのめす。飛龍は己の命が奪われるのが信じられぬように、残った片目をスゴンに向けたが、スゴンの赤き瞳が燃えるように輝くと、残った片目の光がふっと消えた。死の翼の羽ばたきが荒野に響いた。

(火龍を殺すために、我は生まれた)

 世界の槍たる火龍を睨み殺すなど、どれほど呪われた存在であろうか?
 魔族に睨み殺されるなど、火龍の誇りをどれだけ傷つけられたのだろうか?

(ゆえに、我はここにあり)

 骨塚から黒き龍の霊気が立ち上る。
 ゆっくりと火龍のごとき形を取る。
 それは、龍王の猟犬と呼ばれていた。
 龍たちの古戦場にして、龍の屍骨が散乱する龍の墓場レ・ドーラ。たとえ、その戦いから三万年の時が流れようとも、この血の流れた火龍たちの血潮と怒りは消えたりはしない。すべての龍骨が風に朽ちるその日まで、レ・ドーラは死んだ火龍たちの怨嗟の遠吠えに包まれている。

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『歌の龍王』第四十九話です。
 諸般の事情により、半年ぶりに再開。少しずつ執筆していきたいと思っております。

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