歌の龍王【50】龍王の猟犬(2)
*
白の黒剣
血が一滴、滴った。
無明の闇から今、何かが誕生し、
世界に波紋をもたらしていく。
*
魔道師に必要なものはいくつかある。
ある者は謎を解く知性だと言う。
確かに、真理を解き明かすことこそ魔道師の目標である。あくなき真理の探求も、それを成し遂げるだけの能力が必要だ。しばしば魔道師学院ではこう言われる。
「現実を知りたければ、調査すること。
事実を知りたければ、分析すること。
真実を知りたければ、考察すること」
この三行の戒めを学んだ学生に対して、教師役が冷徹に言い放つ。
「謎が解けない魔道師など、学院には必要ないのだ」と。
別のある者はたゆまぬ探求の意思だという。真理の探求は過酷なものである。その過程において、多くの魔道師たちが傷つき、あるいは、心が折れて倒れていった。死ななければ、傷ついた肉体はまだ癒せる場合がある。四肢を再生する魔法も存在する。されど、一度、折れてしまった心、歪んでしまった心を完全に癒すのは、さらに困難である。
「人は望む者になるのだ」
誰かがそう言った。そして、いつか狂気による救済すら望むようになる。
(おそらく、今、私もその瀬戸際にいる)
ザンダルは目の前で具現化しつつある龍王の猟犬という現象に対して、そう思った。青龍の魔道師として心を龍の鱗で覆い、はたまた、日頃より火龍を観察し、心身を火龍との接触に向けて鍛えてきたが、あふれる深淵の魔力とともに形成されていく火龍の死霊はまさにただならぬ存在であった。
それは存在するだけで、ザンダルの魂を消し飛ばさんとしていた。
「おそるべき存在だ」
と、フェムレンがつぶやく。相変わらず呑気な声だが、さすがに少し震えている。
「そうですね」と、ザンダルの心の中を読むように付け加える。「でも、声が震えている理由のひとつは、具現化する火龍の死霊という魔力の重合的な集積体が発するある種の影響力が、物理的な衝撃波に変換されているのではないかとも思います」
常に分析せずにはいられない。
それが魔道師だ。
ザンダルの気持ちが少し軽くなった。
ならば、我もこの状況を解明するのみ。
《策謀》も含め、すべて解析することが求められている。
まずは、もう一度、《スゴンの赤き瞳》を構えよう。
ザンダルが杖を前に構え直すと、骨塚の上の強大な想念の塊がむくりと身を震わせた。死せる火龍の怨念が槍のように突き出される。
*
紫の翼人
あらゆる拘束を断ち切り、自由にする。
肉体といういましめからも解き放たれるがよい。
*
まるで金属が打ち合わされたような甲高い音が響いた。
骨塚の上でもやもやしていた想念が一瞬、火龍の姿を取ったかというと、大鎌のような形をした透き通った何かがザンダルに向けて放たれた。対応して《スゴンの赤き瞳》が輝きを放ち、まるで空中で大鎌の刃を打ち合わせたように双方が砕け散った。
(求めよ!)
ザンダルの中で声が叫ぶ。スゴンが封印の奥底から呼びかけてくる。
(さあ、我が名を呼べ!)
これもまた《策謀》の一段階という訳だ。後四度、スゴンの名を呼べば、かの者は開放される。それゆえに、ザンダルをここに呼び寄せ、《赤き瞳》を使わせようとしているのだ。
しかし、なぜ、レ・ドーラで?
「いかなる結果でも、学院はあなたの判断を支持します」
するりと近づいてきたフェムレンが杖を持つザンダルの手に己の手を重ねる。
「スゴンをレ・ドーラで解放することは、ひとつの解決策ではないかと思われます」
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『歌の龍王』第五十話です。
少しずつ再開していきたいと思っております。
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