歌の龍王【53】黒鉄の篭手と火龍の姫(1)
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黒の指輪
我が名前を遠くより呼ぶ者は誰ぞ?
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(我らは歌う。歌の龍王の再誕を)
ザンダルは落ちていく。記憶の彼方へ。
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「わらわが王になる方法を教えよ」
それは五年前、カスリーン公女が家庭教師であったザンダルに向かって発した言葉である。
御年十三歳。十二とひとつの星座が一巡する歳に至り、成人の儀を迎えた少女は、ドレスの上から黒鉄(くろがね)の篭手を着用し、自ら、剣の公爵家の第二公女として、軍略に関わることを選んだ。
剣の公爵家に生まれた三姉妹の次女として、長兄たるデルフィス将軍、長姉マデリーン・ケドリック子爵夫人を追いかけ、ユパ王国の剣として生きることを決意したのだ。兄譲りの武闘派であり、自ら馬を駆り、剣を手にする女将軍である。
野心あふれる少女であった。
学院の魔道師であるザンダルは彼女が背負う物を幻視していた。
血まみれの寝間着をまとい、鋭い視線で何者かを睨みつける幼いカスリーン。
その足元に倒れる若い侍女の体からは、鮮血が流れ出ていた。
(おそらくは、何者かが彼女の暗殺を企てたのであろう)
ユパの二大巨頭であり、軍事を司る剣の公爵家には敵が多い。国内の内政を司る宝冠の公爵家とは、複雑な権力争いが続いているし、近隣のマイオス王国や妖精王国にも、ユパをよく思わぬ者がいくらでもいる。そして、同じ一族ですら安心はできぬ。長姉マデリーンとは決して仲がいいとも言えぬし、従姉妹のいずれかがカスリーンの継ぐべき領地や権力を狙っているかもしれない。
そうして、少女は決意した。
火龍のような怒りの気持ちを忘れず、自らを守り切るだけの力と地位を手に入れることを。
それを野心と呼ぶか、野望と呼ぶかは分からない。
だが、彼女は自ら、黒鉄の篭手を装着することで、武に生きることを宣言したのだ。
*
ザンダルとフェムレンが、龍王の猟犬シーバスを追い払ってから半月が過ぎ、最初の骨塚の解体は順調に進んだ。
フェムレンと青龍の塔の候補生たちは、龍骨を掘り出し、洗い、鑑定し、箱に詰めた。
南方より龍骨を薬の材料として珍重するテルテヌ人の商人たちが、何組も姿を見せた。カスリーンは、財務や商業取引に詳しい部下を集めて相談した結果、ラグレッタ砦で、龍骨の取引市を開催することにした。発案したのは、宝冠の公爵家からラグレッタ砦の行政官として招いたという公爵の甥、ギュネス公子である。ユパ国内の商人や職人たちを取りまとめ、王国の内政を司ってきた宝冠の公爵家らしい発想と言える。
「任せよう」
カスリーンは決断が早い。
側近の財務官に命じて、ギュネス公子とともに取引市を開催させた。初回の龍骨は、同じ大きさの金に近い価格で競り落とされた。
カスリーンは、この報酬で兵士たちに褒賞を支払い、戦死者の家族に弔慰金を送った。龍骨が大金になることが分かると、砦の兵士たちも、俄然、やる気が出てきた。兵士たちには武勲に応じて、褒賞が支払われることが伝えられ、危険な龍骨の掘り出しにも高い日当が支払われた。龍骨は危険な代物だったので、現場から盗みだす者はほとんどいなかった。魔道師学院から来た候補生が主に扱い、フェムレンが管理した。いくつかは学院へ送られたが、大半はカスリーンの手で売却された。
その資金を使ってカスリーンの支配地の北側に、大きな空濠が掘られ始めた。いずれ、ユパ王国の東方辺境を示すルケリア河と結び、ユパ本国との水路とするためである。
「姉上も、賛同されておる」とカスリーンは微笑んで見せた。「ザンダル」
「重畳でございます」とザンダル。
ここまでは、五年前から決まっていたことだ。
レ・ドーラを制圧し、モーファットとユパの間に水路を引く。そうすることで、ユパにも、カスリーンにも利益が生じる。
「さすれば、グナイクに手紙を書きましょう」とザンダル。
そこで、カスリーンの側近である騎士コーディルが現れ、カスリーンに耳打ちした。カスリーンはさらに微笑みを浮かべる。
「どうやら、海からの使者がもう現れたようだな」
ザンダルはうなずいた。
「どうやら、私の旅は、このためにあったようにございます」
先ほどから感じていた波音はそういうことだったのか?
やがて、扉から現れたのは、海の色をした青く薄いローブの娘であった。
ザンダルが最後に見た彼女は、邪神の住まう海の底へと沈みつつあった。
今、彼女はにこやかに微笑み、お辞儀をした。
「ご無沙汰しております、ザンダルさま」
その娘は、港町ラズーリの領主ライン・ラズーリの娘、アナベル。海神ゲグに仕える巫女であった。
「そろそろ、船大工が必要な頃合いかと思いまして、馳せ参じました」
彼女の背後には、日に焼けた老職人が控えていた。
「ほほう。愛らしい娘ではないか?」
カスリーンがザンダルを見て言った。
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『歌の龍王』第五十三話です。
四ヶ月、更新ができませんでしたが、少しずつ再開して参ります。
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