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2011年9月29日 (木)

歌の龍王【57】黒鉄の篭手と火龍の姫(5)


緑の戦車

命短き者よ。
生き急ぐな。
お前の生きる大地は
常にゆっくりと歩む。

 城の雰囲気が変わった、とザンダルは思う。
 渦の海の海王ルーニクはもとより快活な男で、南方人の船乗りらしいおおらかさを持っており、その雰囲気が周囲を明るくする。黒鉄の姫カスリーンに向かって、口説き文句を口にしても嫌味のないのはおそらく、その人柄ゆえであろう。
 カスリーンにとって、歳の近い女友達が出来たこともあるだろう、とザンダルは分析する。アナベル・ラズーリは有能な秘書官として、コーディスやザンダルの気が回らぬあたりを補佐している。財務官ギルス・トラスは有能で忠実だが、あくまでも、年上の官僚である。相談役として信頼をおけるが、相談できる事柄には限界がある。同じ財政面の相談先であるギュネス公子は、友好的であるが、国内的には競争相手である宝冠の公爵家から来た男だ。色々、下心もある。
 そういう意味で、アナベルはカスリーンの中で重要度を増している。
「さて」
 ザンダルは思わず、口に出した。
 状況を分析し、計画を立案する。
 魔道師として、ザンダルに出来ることは8割方、こなした。
 カスリーンの回廊に関する基本的な流れは作った。
 後は……

「ルーニク、念のため、聞いておきたい」
と、ザンダルは海王を呼び止めた。
「いつまで、ここにいられる?」
「1年かな?」と、ルーニク。「あるいは、アイオロスの爺様が死ぬまで」
 アイオロスとは、果ての海の海王を自称する老人である。
「あと、ゾラの馬鹿が暴れると困るな」
 ゾラは、カーフュンの港を支配する死人使いのまじない師である。死人に漕がせる二段櫂船で周辺の海域を制圧し、自らこそ渦の海の覇者であると名乗っている。ルーニクにとって、油断のならない敵である。
「いずれ、戻ると考えていいのだな?」
「ああ、今回は諸々あって、ここまで来たが、渦の海には戻らねばならぬ」
 その表情を見て、ザンダルは何かを感じた。ざわめく波、海の匂い。そして、あの日、グナイクに集いたる海王たちの姿。渦の海のルーニク、風の海のカーディフ、光の海のザラシュ・ネパード、闇の海のウィンネッケ、果ての海のアイオロス、炎の海のヨーウィー。八つの海をすべる海王のうち、6人までが集い、《津波の王》と戦った。その中で渦の海ルーニクは一番の若輩ではあったが、決して力が劣っていた訳ではない。中原の運河を走る軍船ごときに、海王が出るほどのものではない。
 つまり、ルーニクの来訪もまた、《策謀》との兼ね合いか?
 おそらくは海王たちのいずれか、アイオロスかウィンネッケのいずれかが、何かの兆候を予見したのかもしれない。
「何を幻視(み)た?」
「俺は何も」とルーニク。「ただ、闇の海のウィンネッケが、海の騎士と宝玉の大公の北上を予見した。そして、歌の龍王の名を聞いた」
 海の騎士は、アナベルが信仰する深海の神ゲグの別名でもある。おそらくは、封じられた魔族であろう。

*

「ゲグ神の正しき名前は封じられております」と、あの日、ライン・ラズーリは答えた。「おそらくは、古き戦いで海に封じられた際に、禁じられた名前なのでしょう。ゲグ神の啓示では、かの神が真の名を取り戻したる時、世界で最後の戦いが始まるとされております」
「世界で最後の戦いとは剣呑な」とザンダル。
「いえ、ゲグ神は、魔神に奪われた王者の指輪を取り戻すのです。それにより、真の支配者を得て、世界から戦いが無くなるのです」
 それは、おそらく、後継者の指輪にまつわる物語が歪んだものに他ならない。大いなる時代の終わり、そこで時代の支配種族は「後継者の指輪」を失い、新たな支配種族が選ばれる。
 それは予言だ。
「いつか、妖精騎士の時代、妖精代が終わる」
 ザンダルは、学院の歴史講義を思い出す。
 妖精代に分類される現在の「時代」は、「後継者の指輪」が虚空に消えたことにより「末期」に入った。時の支配種族たる妖精騎士はすでに滅びの時を迎えつつある。「後継者の指輪」を発見し、世界を支配したものが次なる時代を作るのだ。
「十二と一つの星座の時代が経巡るという理論に従うならば、通火の世が終わった後に来るのは、変化と幻影の支配する野槌の世、獣の王の時代である」
 講義をしていた老魔道師は傍らの魔道書を開く。
 予言の書である。
「妖精代9528年、白の風虎の年。
 獣の王、西に至り、冬を解き放つ」
 大音声に読み上げたのは、ここ数十年、議論の対象となってきた予言の一節である。その成立の年はもうすぐ近づいている。
「魔道師であるあなたさまであれば、ご存じでありましょう」
 ライン・ラズーリの言葉がザンダルを現実に引き戻す。
「緑の翼人の年、炎の王、月下に吠え、友去りなん」
 それは、今年の予言だ。

「いや」とザンダルは頭を振る。時は流れている。すでに、ユパにとどまること半年以上、白の風虎の年は残り少ない。
「黒の八弦琴の年。
 黒き盾持てる武勲の者、龍を倒す」
 ザンダルはつぶやく。
(それは真実なのか?)
 言葉には出来ない。
 予言書すら、《策謀》の道具である。

「焦るな、魔道師殿」とルーニクが強く言う。「《策謀》は常にお前の周囲にいる。おそらくは、ここに俺とお前がいることも《策謀》の結果かもしれぬ。
 だが、船乗りはそうは思わない。これも風次第。
 辿りつけるなら、風は大歓迎だ」
 そこで、ルーニクは思い出したように手を叩く。
「あの姫はまさに火龍の魂を持っておられる」
 ルーニクの頬が赤くなっている。
「物陰で言い寄ったら、拳で殴られた。
 黒鉄の篭手で、だぞ」
「カスリーン様」
 ザンダルは頭を抱えた。
 城主の姫に言い寄るルーニクもどうかしているが、鉄の篭手で殴り返すカスリーンの男らしさも見上げたものである。あれほど人あしらいのうまいカスリーンだが、その本性は実に率直で、言い方は悪いが、軍人の娘らしく粗暴である。
「あれは別に好きな男がいるな」と、ルーニク。
「はて」とザンダルは首を傾げる。コーディスやストラガナは忠実だが、カスリーンは兄や弟以上に思っていない。他に思い当たる若者などいない。
「これだから、魔道師と言うものは、人の心が分からないというのだ」
「無理を言うな」とザンダル。「私の専門は火龍だ」
「カスリーン姫は、火龍の魂を持っている。お前の専門だ」
「いや、それは比喩表現に過ぎぬ……」
 ザンダルはそこで言葉を切った。
 何かひっかかる。
 なぜだろう?
「比喩などでないとしたら?」

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『歌の龍王』第五十七話です。

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