歌の龍王【58】黒鉄の篭手と火龍の姫(6)
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黒の指輪
我が名前を遠くより呼ぶ者は誰ぞ?
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自分のあやまちという物はなかなか認めたくないものだ。
たとえ、魔道師学院の教えがひたすら、客観的、論理的な物事の把握を求めていても、なかなか人の子というものは自分を把握できないものである。
「火龍の姫、火龍の魂」
ザンダルは、海王ルーニクが言った言葉を反芻する。
カスリーンに対する忠誠はザンダル自身も驚くほどのものだ。
あの日、「王になりたい」と言った少女の苛烈なまでに強い瞳に、ザンダルは魅せられ、仕えてきた。一度は、モーファットの都で火龍の研究をするため、ユパを去ったが、なぜか、封印すべき《紅蓮の瞳》とともに、カスリーンのもとに戻ってきた。
(戻ってきた……)
ザンダルは閃きを感じて目を閉じる。
幻視の力が頭蓋と心臓の間で目覚めていく。
心の中で、時と空間の綾織に手を伸ばす。
(火龍の姫。まずは過去へ)
ザンダルは自分の記憶を元に、過去を幻視する。
過去、いや、ザンダルの脳の内側で再構築された過去のある場面。
「記憶は事実ではない。
現実を記憶する際、お前の脳と心が保持するために、圧縮した濃度差を持っている。
そして、人がその濃淡の綾織に意味を与える」
通火の幻視者が講義する言葉が流れる。
幻視の力とは単独のものではない。
確かに、それを滑るのは、通火の星座とされるが、それだけではまさに「幻視(み)る」だけに過ぎない。「幻視(み)た」ものを解釈し、分析し、理論化し、回答を導き出すには、受け取る側に想像力、観察力、分析力と、それを裏打ちする膨大な知識が必要となる。例えば、魔族の影を幻視したとしても、魔族の知識がなければ、それがいずれの魔族でいかような力と意図を持ち、どのように行動するかを知ることはできない。
「常に警戒せよ。
お前の記憶に干渉しようとする者がいる。
それこそが魔族の《策謀》の一手だ」
淡い光に包まれた光景。
高貴なる姫が命じる。
「我が王となるその日まで、汝は我が側におれ」
少女は、年上の魔道師に命じる。
謹んで、その手にくちづけする魔道師。
(懐かしき光景。あの頃から、カスリーン様は火龍の魂をお持ちであった)
ふっと心が和み、ザンダルはそのまま、夢の中で漂ってしまいそうであった。
だが、そこでザンダルは踏みとどまった。
微かに笑い声が聞こえたからだ。
悪意ある嘲笑の笑い。
ねっとりと絡みつくような女の声。
(この声は……まさか。
いや、予想されてしかるべきであったか。
赤き瞳の巫女ドレンダル)
それは魔族《赤き瞳の侯爵》に仕える魔女の名前。
幻視の中の懐かしき風景は一瞬で、壁に描かれた淡い浮き彫りに変わり、モーファットの都の底、じっとりと濡れた回廊が夢の中に浮かび上がる。
それはかつて、ザンダルが魔剣使いのナルサスや騎士ゾロエ・アラノスらと、魔女を倒した場所。ナルサスの魔剣《野火》に切られた魔女は、乾いた羊皮紙が崩れるようにその肉体を破壊されたはず。
だが、ザンダルの目の前で、湿気に濡れた石畳を覆う石の板の一枚が引き裂かれ、そこからじっとりと濡れたドレンダルが這い出してきた。まるで、生まれたばかりの赤子のように白濁した液体に濡れている。
「ザンダル」
魔女の声は陰々滅々とした調子で響く。
(ぬかったな)
幻視の途中で、介入されるとは?
ザンダルは己のうかつを恥じた。
おそらくは、これもまた《策謀》の一幕。
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『歌の龍王』第五十八話です。
今回は、短めに。
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