歌の龍王【59】黒鉄の篭手と火龍の姫(7)
*
紫の牧人
我はここで待つ。
汝の時が至るのを。
*
「赤き瞳の巫女ドレンダル」
それは魔族《赤き瞳の侯爵》に仕える魔女の名前。
「ザンダル」
魔女の声は陰々滅々とした調子で響く。
かつて、「真理の探索者」と名乗る市井の研究家たちが幻視を危険な物として、幻視に反対する意見を魔道師学院に向かって具申したことがある。
第一に、幻視とは、人の子の住まうべき現世から離れ、魔の領域たる深淵へと踏み込むことになるからだ。そこには、魔族や妖魔たちが漂い、おりあらば、人の子の魂を歪め、あるいは、くらってしまおうと待ち構えている。これが危険でなくてなんだろうか?
(そんなことは最初から分かっている)
幻視の中、仇敵と相見えながら、ザンダルは脳裏をよぎる記憶を振り払い、素早く、魔族の影響から魂の防御を固める《龍王の加護》の呪文を唱える。
ずんと疲労が走り、呼吸が乱れたが、集中は切れなかった。
「魂を龍の鱗で覆ったか」
ドレンダルがあざ笑うように言う。
「だから、青龍の魔道師は扱いやすい。
心に鎧をまとって、もはや何も感じたりできない」
「何が言いたい?」
「忠告してやろう。魔道師よ。
お前はなぜ、ここにいる?」
同時に、夢の彼方で魔族が雄叫びを上げ、死の魔力を含んだ忌まわしい突風がザンダルの周囲を吹き荒れる。翼人座に属する魔族《赤き瞳の侯爵スゴン》だ。あれは、後三度に迫った解放の時を待ちわびているのだ。
「く」
防衛の呪文を唱えた後でなければ、魂を刈り取られていたかもしれない。
「さ、答えろ、ザンダル」
魔女は追い立てるように質問を重ねる。
お前はなぜ、ここにいる?」
ザンダルの脳裏で火花が弾ける。
最初のきっかけは数年前だ。
まだ幼いカスリーン姫の家庭教師として招かれた。
塔の上役の推薦という。
若い魔道師にとって、一国の上層部にいる上級貴族の家に招かれるのは、安全な第一歩である。その後の庇護者、支援者として申し分ない。
「いや、待て」
若き姫の家庭教師に、青龍を招くのか?
魔道師学院にも十二とひとつの塔があり、それぞれ得意とするあたりが違う。家庭教師として考えるなら、未来を慮り、夢を見通す力のある通火座の幻視者がまず挙がる。宮廷の助言者としても有能であり、いざとなれば、悪しき兆候を敏感に感じ取る。
黒剣の星座は、生命と治癒、そして、物事の支配を司るゆえに、宮廷医師を兼ねて招かれることがある。魔族の影響が強い地域では、あえて、原蛇の魔道師を呼び、秘儀にまつわる助言者とする場合もある。
だが、なぜ、ユパ王国の剣の公爵は、幼い次女のために、青龍の魔道師を求めたのか?
火龍とは縁のない国で。
(本当に、縁がないのか?)
矛盾が生じた場合、前提を検証するのが、学問のあり方だ。
論理が間違っていないのに、結論が導けないのは、何かが欠けているか、誤った情報を前提にしているからだ。
「そう、誤った情報だ」と、フェムレンの声が響く。龍骨回収のため、青龍の塔から派遣されてきた先達である。「お前は今、情報の欠落に守られている」
(幻視の中に介入してきた?)
ザンダルは一瞬、動揺したが、《龍王の加護》のおかげで踏みとどまった。
心に龍の鱗を生やし、魂を守る。
「《策謀》との戦いのために、お前はここにいる」
フェムレンは予想通りに言葉でザンダルを支援する。
「どちらがお前を駒に選んだかは分からない」
《策謀》
魔族と魔道師の間に展開される暗闘。
不死の魔族ゆえに、その陰謀は果てしない時の中で仕込まれる。
今、ここで起きていることは、《策謀》の結実なのだ。
おそらく、ザンダルだけでなく、カスリーンも他の者たちも、《策謀》の一環としてここにいる。レ・ドーラの龍骨を掘り、カスリーンが自らの国を求めるのも。
「さて、私の用事は済んだ」と、ドレンダルが微笑む。
「そういうことか」とザンダル。
おそらくは、ザンダルに《策謀》の存在を伝えるために姿を表したのだ。
「次は、扉を開けてもらうぞ」
そうして、幻視は終わり……ザンダルは思い出した。
黒鉄の篭手と火龍の姫の意味を。
「封印なのですね」とザンダル。
「そうだ」と近寄ってきたフェムレンが答える。「カスリーンは、このレ・ドーラを治めるために生まれてきた」
「歌の龍王とは?」
「そこが、分岐点となる」とフェムレン。「まもなく、世界の運命が分岐する」
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『歌の龍王』第五十九話です。
今回は、短めに。
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