歌の龍王【62】棍棒王の南下(1)
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紫の黒剣
支配するは我なり。
秩序こそが世界で最も美しい。
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年が変わり、三つ目の骨塚を越えた。
中原では最も南に位置するレ・ドーラの荒野では、雪などは降らぬ。ただ、乾いた涼風が大平原を渡ってくるばかりだ。時折、季節外れの遠雷が南の山から響くが、レ・ドーラまで雷雨が下ってくるのは稀である。
「火龍の屍骨さえなければ、豊かな土地なのだな」
と、ザンダルはラグレッタ城砦の城壁で口にする。
すでに、ラグレッタ城砦の手前まで達した運河の周辺では、水を得て草原が少しずつ広がり始めている。草が生えれば、生き物も増える。まず、ストラガナ侯率いるガラン騎兵たちが馬と羊、猟犬を持ち込んだ。草を追い、ルケリア河の周囲に住んでいた野生の鹿や羚羊なども運河沿いに南下してきた。
運河の南側、レ・ドーラの荒野に入るまでのあたりの荒地は開拓地となった。まだ田畑が出来た訳ではないが、それでも、カスリーンに従う兵士と家族たちが住み着き、羊や牛、豚などを買う暮らしを始めた。
「形が整うまでに後3年はかかりましょう」と、答えるのは財務官のギルス・トラスである。「しかし、ギュネス公子の差配で、開拓村には冬越しの食料が送られました」
「宝冠の公爵の名義で、だな」とカスリーンが笑う。
「表向きは、カスリーン様とギュネス様の連名でございますが」と財務官。「荷馬車の後ろに、宝冠の公爵家が差配した芸人どもがついておりました」
「今は、それでよい」とカスリーン。「いずれ、運河沿いの村をひとつふたつ、ギュネス殿に与えねばならぬと思っていたゆえ」
「街道沿いにすれば、公子が道と港、それに市場を整えてくださります」と、ザンダル。内政開発は、宝冠の公爵家が得意とするところだ。恩を売れば、軍事外征への支援となって帰ってくる。かように、内政と軍事を分担するのが、ユパ王国を支える三頭政治の肝である。
「任す」とカスリーンはうなずいた。
「ところで」と、ザンダルは言う。「モーファット伯爵のご次男、オルドリク様の件は、あれでよろしいのですね?」
「ああ、まだ、私は婿を取って、子作りに専念する気はない」
カスリーンは、黒鉄の篭手を握る。
「了解いたしました。運河沿いのひとつをアイリーン様に贈ります。
ゾロエ殿によれば、城ひとつ寄越すなら、婿入りという形も受け入れるとか」
「我らが一族に入り込み、あわよくば、レ・ドーラの領主を目指すか。
よいだろう。アイリーンには過ぎた婿だな」
結局のところ、モーファット伯爵家との縁談は、カスリーンの妹アイリーンのもとに、伯爵家の次男坊オルドリクが婿入りし、ルケリア河と運河の分岐点に築きつつある河城の城主とすることで決着した。重要な軍事拠点であるだけでなく、運河がモーファットまで達した暁には、通行税を管理することになる城だ。将来の収益を考え、姉上やモーファット伯爵家の手前もあり、一族を配することになった。すでに、オルドリクはユパ入りし、騎士ゾロエ・アラノスと連携してユパ王国の宮廷で社交に勤しんでいる。若いが、優しく、節度を感じさせる男なので、有能な財務官をつければ、問題はなかろう。アイリーンとも似合いの夫婦になるだろう。狩猟と漁撈を司るプラージュ教団で学んだ司祭というのも、河を見守る城の城主にふさわしい。
「問題は、土鬼どもか」とカスリーンが運河の北に広がる大平原に目を向ける。今は、無人の荒野であるが、遥か彼方には、棍棒王ラ・ダルカが支配する土鬼たちの縄張りがある。冬に入り、食料が減ったことから、土鬼たちが南下の気配を見せているという。
「ストラガナ侯の放った物見によれば、ラ・ダルカの棍棒が見えたとのこと。
すでに、数百の土鬼が集いつつあり、南下を始めた模様です」
「我らの防衛体制は?」
「このラグレッタ城砦より西は、運河の工事区画もあり、防備は固いものとなっていますが、ここより東、アールラン城砦までの間は、柵のみとなっております」
運河の工事は大型の川船を通すため、幅100歩、深さ30歩を超す大型の堀を掘っている。注水されていなくとも、両岸に柵を立て、投石機や弩弓砲が並べば、鉄壁である。
「運河に水は入れられるか?」
「数日以内には」
それはここ何ヶ月か、準備してきたことであった。いずれ、土鬼を束ねる大王、棍棒王ラ・ダルカが攻め寄せてくる。それはカスリーンも、ザンダルも、考えてきたことだ。
レ・ドーラの中には建てたばかりのアールラン城砦は火龍の気配を嫌う土鬼たちも避けるだろう。やはり、狙いはラグレッタ城砦だ。
「水軍の招集を」
そして、カスリーンとザンダルにとって最大の戦いが始まる。
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『歌の龍王』第62話です。
新章に入ります。棍棒王ラ・ダルカと土鬼の大軍がカスリーンの領地へと迫ります。
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