歌の龍王【73】火龍召喚(9)
*
予言する猫
これは予言だ。
私に会ったことは忘れてしまいなさい。
*
ザンダルの見立てでは、玉座の地は東方に建設されたアールラン城砦の手前である。
魔道師たちは、さっさと荷物をまとめると、ザンダルを先頭に、レ・ドーラの荒野に出た。3台の馬車が仕立てられ、護衛には、アル・ストラガナ侯の騎兵たちがついた。
「火龍どもは気が短くて困る」
エリシェ・アリオラはまた愚痴ったが、カスリーンが同行すると聞き、筆頭書記官となったアナベル・ラズーリが馬車でついていくことにしたら、ちゃっかりとその馬車に魔鏡を積み込んだ。
「いざという時には、私が姫様をこれで、城館までお連れします」
鏡を抜けて、長距離を瞬間移動する魔法に長けたエリシェならではの言いようである。もとより魔族の使徒でもあるアナベルは、エリシェの格を配慮し、嫌な顔ひとつしない。
カスリーン自身は自らの愛馬にまたがった。魔法よりも自らを信じるという。
鉄の公女自ら出陣するというので、他の者たちも動き出す。黒鉄の姫たるカスリーンの横には、彼女の忠義の騎士たるコーディス・ランドールが控え、アル・ストラガナ侯の使者がアールラン城砦へ走った。
工兵頭キリクは、運河の周囲の弩弓砲の準備を進める。空堀とはいえ、アールラン城砦の北まで掘削が進んでいるのはありがたいところだ。可能なら、運河の作業堰を切って水を入れたいところだが、後10日はかかる。
海王ルーニクは、運河の東端に浮かぶ黄金の波号に乗船した。
「ちと荒っぽいが、考えがある」
「ならば、ご一緒しよう」とゾロエがついていく。「我が銀の風号の到着まで半日はある」
「大騒ぎになるぞ」
「貴殿が出撃して大騒ぎにならなかったことがあるのか?」
しばらく、進んだところで、ザンダルはカスリーンの命で馬車から馬に乗り換え、彼女の脇に並んだ。アル・ストラガナ候が軽く手を振ると、ガラン族騎兵たちが彼女を守りつつ、少しだけ距離を取り、緩やかにカスリーンの周囲を空ける。
「ザンダル」
カスリーンは馬を寄せる。
「お前は私のものだ」
「御意」
「玉座の地で、歌の龍王を召喚すれば、我は先に進む」
「御意」
「その先について来い」
「御意」
「いや、先に行き、我を待て」
そうして、カスリーンは、ザンダルの馬に鞭を入れた。
ザンダルは、玉座の地に向かって走るしかなかった。
「いやはや、姉上も気まぐれだ」
突然、速度を上げたザンダルの馬に、アル・ストラガナ候が余裕でついてくる。彼の配下の騎兵たちも10騎ばかり追随、いや、ザンダルを追い越し、露払いを務める。彼らは、西方草原からやってきた騎馬の民である。鞍の上にあれば、眠っていても走り続けるという。魔道師が操る騎馬を追い越すなど簡単なことだ。
「ザンダルも苦労するな」
その様子を見ながら、エリシェがつぶやく。
「まあ、それがグゲ神の思し召しです」と、アナベルが答え、持ち込んだ編み箱から小さな箱を取り出す。「それより、焼き菓子はいかがですか?」
「どれ」とエリシェがひとつ頬張る。「美味いな。これは干し葡萄入りか」
「南方のアームラの実を干し、細かく切ったものです」
「気に入った」とエリシェは、さらに手を出す。「菓子もよいな」
「ええ、甘い物は幸せです」
自らも焼き菓子を頬張るアナベルを見て、エリシェは呆れ返る。
「カスリーンに足りないのは、その辺の娘らしさだな」
「そこは無理なので」とアナベル。「私が補います」
「それも、グゲ神の思し召しか?」
「当然でございます」
「ザンダル」と上空から声がかかる。
見上げると、背中から龍の翼を生やしたフェムレンが飛んでいる。青龍座の呪文「龍翼」の効果である。
「のんびり、馬車の旅ではなくなってしまったわ」
そのまま、疾駆する騎馬と平行に飛ぶ。
振り返ると、馬車から次々と青龍の魔道師たちが飛び立ち、ザンダルを追いかけてくる。
「最初から、こうしておけば、良かったのだな」
「体力の温存を主張されたのはフェムレン殿ですぞ」とザンダルが反論し、自らも龍翼の呪文を唱え、上空に舞い上がる。
「なんだよ、飛べるとかずるいぞ」と、アル・ストラガナ候が馬を急かす。
「あくまでも自力なのですよ」と、ザンダル。
龍翼の呪文は、それほど速い呪文ではない。
だが、地形に束縛されない分、効率は悪くない。
そして、空を舞う感覚は、魔道師たちに自らが追い求める火龍と同一になったような快感を与える。
ザンダルは高度を上げつつ、レ・ドーラを飛ぶ。
向かう先は玉座の地。
そして、それは奇しくも幻視の中で見た角度に近い。
「それは当然だね」
ザンダルの耳元で声がした。
横を見ると、猫のような頭をした道化が空中に寝転んでいる。ザンダルは、高速で飛翔しているはずだが、猫頭の道化は寝転んだ姿勢のまま、同じ速度で移動している。
不自然な光景だが、ザンダルは疑問には思わない。
なぜならば、これも幻視だからだ。
見えている猫頭の道化も、おそらくは魔族の化身だ。
「我が名は、猫の王イーツォ。まあ、魔族だよ」
魔族にしてはのんきな口調だ。
そこで猫の王はひげをふにふにと動かした。
「カスリーンもお前も歌の龍王に出会う。
最後の鍵は心臓だ」
猫の王は、自分の胸を指差し、そのまま、ゆっくりと消えていく。
「これは予言だ。
私に会ったことは忘れてしまいなさい」
なぜか猫のひげだけが最後まで空中に浮かんでいた。
「ザンダル、もうすぐだ」
フェムレンの声で意識が戻った。もう猫のひげは浮かんでいない。
見れば、正面に玉座の地が見える。
そう、ここで、歌の龍王を召喚するのだ。
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