2008年11月29日 (土)

永遠の冬【64】帰還


 夢を見ていた。
 果てしない夢を。

ウィリス11歳の夏。

 声が聞こえた。
 名前を呼ぶ声。
 メイアの声だ。

 ウィリスは分かっている。

 ここまでの旅路を覚えている。
 《冬翼様》を迎えに、北の山へ行ったことも、火龍と戦うために戻ってきたことも、みんなみんな知っている。
 グリスン谷を氷雪に埋めてしまった。
 故郷は、もはや、火龍とともに氷の下だ。

 それはしかたないことだった。
 あのまま、火龍に焼かれて、食われてしまう以外にこれしか方法がなかった。
 それは、ずっと昔から《冬翼様》や魔道師が考えてきたこと。

 そして、ウィリスは知っている。
 自分がお迎え役として、次の役目を担うことを。

 《冬翼様》は、この地にて火龍とともに眠りにつく。
 この谷は、永遠の冬に捧げられ、火龍を封じる場所になる。

 ウィリスは、眠り続ける《冬翼様》とその眷属の司祭となるのだ。
 この地に神殿を築き、未来永劫、祈りと舞いを捧げていくのだ。

「ウィリス」

 ああ、メイア。
 君の声が聞こえる。
 君は無事だったのだね。

「ウィリス」

 大丈夫。今、帰るから。
 ウィリスは《冬翼様》から浮かび上がり、風に乗ってメイアの下に向かう。

「ウィリス」

 風の中で形を取る。
 僕は雪狼の姫様のように、この場所にいる。
 メイア、帰ってきたよ。

 永遠の冬の中で。
 ウィリスはつぶやき、メイアに向かって両手を差し伸べる。

 泣かないで、メイア。
 僕らはずっと一緒だよ。

 ウィリス11歳の夏は、永遠の冬へと続いていく。


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【終章:魔道師学院 十五人委員会】

「終わりました」
 魔道師学院の最高議決機関である、十五人委員会において、幻視者カイリ=クスが報告した。彼女は「スイネの瞳」と呼ばれる学院有数の幻視者であり、レディアス=イル=ウォータン、および、棘のある雛菊エリシェ・アリオラの行動をその異能によって追跡していた。
「霧の龍王ファーロ・パキールは、《冬翼の大公》ペラギス・グランによって封印され、グランもまたグリスン谷にて眠りにつきました。
 《冬翼》の影は、ロクド山系を覆い、永遠の冬が始まりました」
 場に揃った十二と一つの塔の長たちがかすかに声を漏らす。
「大きな譲歩だな」
と、黒剣の塔を統べる《大剣のゼル》がうめく。
「予言書に記されたことでもあります」
と、幻視者たちが属する通火の塔の長、《薄明の公女メアル》が指摘する。そう、予言の範囲である。この時のために、魔道師学院は備えてきた。
「時代の終わりがまもなく来る」と、原蛇の塔の《双面のレト》は断言する。「ロクド山系に、《永遠の冬》が来た今、東方より《永遠の夏》もまた迫りましょう。我らがなすべきは、最小限の被害で時代の後継者となること」
「新たな戦火が、辺境騎士団領を襲っております」と、伝奏役のリュジニャンが報告する。「すでに、フィンドホルンは屍の群れに奪われ、黒き翼が北の塔に舞い降りた。ジャガシュの地は、火の神を奉じる蛮族に襲われ、黒蟻どもは、新たな女王を誕生させました」
 一同は、上座の堂主アルゴスを見つめる。
 青龍座から出た学院の支配者は、ゆっくりと口を開いた。
「我らの行くべき道は、変わっていない。
 雪狼の眷属は、しばし、お迎え役殿に預けるとしよう。
 白き仮面と雛菊を呼び戻せ。
 あの者たちに、もう少し、働いてもらおうではないか?」

 かくして、ひとつの物語が終わり、世界は新たな戦いに向かう。

(終わり)

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 これにて、一旦、おしまい。
 長い間おつきあいいただきありがとうございました。

 朱鷺田祐介 

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2008年11月23日 (日)

永遠の冬【63】魂(たま)呼び


 この場所こそ我が故郷。
 それだけは決して忘れない。

メイア11歳の夏。

 それはもはや谷とは言えなかった。
 氷と雪に埋められたくぼ地。
 故郷は、すべて、凍てついた氷雪の中に消えた。
 メイアの生まれた谷はもうどこにも見えない。
 黄金の火龍とともに、凍りついてしまった。

 何が起きたか、たぶん、分かっている。

 彼は、神を迎えにいった。
 今日、この時のために。
 今、この日のために。

 そして、選ばれた結果。
 彼は神とともに、帰還し、火龍と戦い、そして、今、ともに氷雪の封印となった。

「……だから、心配しなくていいよ」

 本来ならば、身を切るような風がメイアを優しく抱く。

「村は守れなかったけれど、皆を守れた。
 メイアを守れた」

 そして、メイアは、ただひとつの名前を叫ぶ。
「ウィリス!」

「そうだ、もっとしっかり叫べ」
 背後から、鋭い叱責が飛んだ。
 振り返ると血まみれの男と雛菊がいた。雛菊自身がまとったドレスも何かに引き裂かれたように、ボロボロになっている。男は体中、傷だらけだが、微かに息をしているようだ。
「あ、あの」
 思わず、メイアが声をかけると、雛菊はさらに怒鳴る。
「どうした、もっと叫べ!
 あいつの名前を呼ぶんだ。
 そうしないと帰ってこないぞ」

 一瞬、雛菊の言葉の意味が分からなかった。
 だって、ウィリスはここに……

「そんな風みたいに悟った魂なんかすぐに消えちゃうよ。
 お前の欲しいのは、亡霊か?」

 違う。
 違う。
 違う。

 私は、彼に帰ってきて欲しい。
 きちんと手や顔を持った、あのウィリスに。

「欲しいなら、叫べ!」
 血を吐きながら、雛菊が立ち上がる。
「私なら、そうする。
 黙ったまま、奪われたりしない。
 私は」
 雛菊は、言葉を切る。

(あとは、お前次第)

 分かっている。
 あなたはきっと、私の声に答えてくれる。
 あなたがお迎え役になった時から、この日のために私もここにいた。
 呼び戻す。
 あなたを。

「ウィリス!」

 叫ぶ。

「ウィリス!」

 叫ぶ。

「戻ってきて!」

 そして、北風が舞い上がり、少年の形を取った。

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 もうすぐ終わります。
 たぶん。

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2008年10月 1日 (水)

永遠の冬【62】破魔の槍


 時として、愚かとも言えることこそ最善。

 メイア11歳の夏。

 その槍と、持ち主の関係ほど不似合いなものはなかった。
 黄金に輝く槍の穂先は暖かき太陽のごとし。
 されど、それを血まみれの手で握りしめる男は、顔全体に多くの傷を刻み、おぞましき邪気を放ち、怒号と悪態をはき続けている。

 そして、その傍らでエリシェは古き言葉で詠唱を行う。

 メイアはその風景に背を向け、巨人と火龍がうなりをぶつかり合う故郷の谷間に目をやる。四つの腕を持つ巨人は、火龍の翼を槍で貫き、皮膜を引き裂く。

(今度こそお前を!)

 巨人の戦士の意志が圧倒的な戦いの意思とともに、メイアの気持ちに踏み込んでくる。
 戦い、戦い、戦い、正面からぶつかり合う。
 殺し、殺し、引き裂き、貫く。
 痛みを与え、苦痛を与え、その肉を食らう。

 巨人と火龍からあふれ出る殺気で、メイアは動けなくなる。

(消滅せよ)

 強い憎悪の波動とともに、火龍の吐息がまたも谷間を焼く。
 牧場も畑も一瞬で燃え尽き、川が蒸気に変わる。煤煙と蒸気が谷間に満ちる。
 その吐息を避けるように谷間を低く走る巨人に対して、火龍が襲い掛かる。巨人は巨大な鉤爪にわき腹を引き裂かれながらも、川床を逃げ回る。火龍は再び流れ始めた川の水の中に四足を踏ん張り、さらなる吐息を巨人に吐きかけようとする。
 だが、ここで巨人の雄叫びが響く。

(火龍よ、お前は負けた)

 突然、谷全体は凍てついた。
 蒸気がきらめく雪に変わり、火龍の翼に分厚くまとわりついた。
 川は一瞬にして凍り、火龍の四足を凍った氷の中に封じ込めた。

*

 谷の上空。
 空中に浮かぶ魔鏡から突き出す一本の腕。
 血まみれの手に握られていたのは、黄金の槍である。

*

 火龍は、怒りの叫びを上げるが、足は硬く凍りつき、見る見る厚さをましていく氷の中にがっちりと捉えられたまま、飛び立つこともできない。
 巨人に向かって吐きかけようとした火炎を足元に向けるべく、首をかしげた火龍は、次の瞬間、落下してきた黄金の光に胴体を貫かれた。
 まるで、糸が切れたように崩れ落ち、川床に倒れ伏す火龍。四足が固定されているため、その姿勢は、ずいぶん傾いたものであったが、首と翼、尾が弱弱しく、凍りついた川面に落ちる。
 巨人は、白い氷の槍を振り上げて、その口を上から串刺しにする。上下のあぎとを縫いとめられた火龍の上に、ざっと雪が降り積もり、たちまちにして小高い氷の山と化す。

 メイアの目の前で、グリスン谷は巨大な氷雪の吹き溜まりへと変わっていった。

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 次回は来週に。


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2008年9月24日 (水)

永遠の冬【61】激突


 その風景を目撃することは、人の子にあるべからず。

 メイア11歳の夏。

 メイアは、その風景に身動きもできない。
 グリスン谷を覆う濃密な霧。
 海にも似た霧の谷から首を突き出した巨大な黄金色の龍。

 たぶん、その風景だけでも人は狂うに足りる。

 ましてや、その濃密な霧の湖の下に故郷の村が消えたとあれば、それは、幻とも信じたい風景である。

 しかし、それは火龍の襲来だけでは終わらなかった。

「ウィリス!」

 叫びに答えたのは北風。
 肌を刺すような凍てついた霙交じりの寒風。
 凍てつくような北風が一気に吹き寄せ、谷から霧を吹き飛ばす。

 その風に乗って白い巨人が火龍に突進する。
 四本の腕、四つの顔。
 そして、背中から世界を覆うほどに大きく広がる巨大で異形の翼。
 快楽の笑いとも、憎悪のうなりとも判別できない叫びが響き渡る。

 メイアは、風がさらに凍てつくのを感じる。

「冬が来た」

 とっさに感じた言葉が口から漏れる。
 それが真実を語っているのだと自ら気づき、メイアはひざまずく。

「冬翼様」

 祈りの中、まるで寒風がここちよい誰かの抱擁のようにメイアを包む。

「……ウィリス」

 メイアは、少年が帰ってきたことを知った。

*

 そして、火龍と巨人は激突する。

 巨人の腕から突き出された白い氷の槍が火龍を正面から捉える。
 同時に、火龍の口が輝き、炎を吐く。
 あたり一面が焦げる。
 凍てつく寒風が、一気に紅蓮の熱風に変わる。

 だが、巨人は火炎の下をかいくぐり、火龍の翼を槍で引き裂く。

 空中で傾いた火龍の首が巨人を追い、火炎が谷間をなめる。
 一気に、谷底から蒸気が舞い上がり、またも、火龍と巨人の周囲に霧のように巻き上がる。

「それでよい」
と、エリシェ・アリオラがつぶやく。
「火龍め、それが己の足かせとなることに気づいておらぬ」

 次の瞬間、霧が一気に白くなった。
 ねっとりと濃くなり、その内側から火龍のくぐもった叫びが上がる。

 そして、人の怒号が響く。

「エリシェ!」

 邪気とともに、怒りの声が舞い降りる。
 振り返れば、全身血まみれで、傷だらけの顔の男が鏡の前で荒い息を吐いている。
 その手には、血にまみれた黄金の槍がぶらさがっている。

「相変わらず、馬鹿だな、お前は……」
と、エリシェが微笑む。
 華のように。
「さて、メイア。
 後は頼むわ。
 戦いが終わった後、ウィリスを呼び戻せるのはお前だけだ」

 そして、エリシェはさらなる跳躍のための詠唱に入った。

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 新聞小説なみの短さですが、ちょっと締め切りの関係で今週はここまで。
次回は来週に。

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2008年9月17日 (水)

永遠の冬【60】鏡の飛翔


 これこそ我が世界、知られざる深淵の旅路。

 メイア11歳の夏。

 一瞬、波音が聞こえた。
 沈むような感覚とともに、不可解な多色の輝きがメイアの脳裏をよぎる。

 輝きの中をくぐる。

 どこにいるか分からない。
 いや、足の下には何もない?
 落下する?

「目を閉じ、思い人のことだけ考えろ!」

 メイアの体を抱くエリシェの老成した声が耳に注ぎ込まれる。
 何か答えようとしても、いまだ、恐怖に震える唇は何も言えずにいる。

 再び、輝きの中をくぐる。

 どこにいるか分からない。
 濃霧が湖のように広がる風景。
 ああ、これはグリスン谷だ。
 村も畑も何もかもスープのような白い霧に没している。

「来い、もう一度飛ぶ」

 振り返ると、エリシェは岩場に描いた魔法陣の中で、巨大な鏡を調整している。
 そして、その上空には輝く七枚の鏡のような光が舞っている。
「あ」
 しかし、それが何かを問うだけの余裕はメイアにはまだない。

「一度は守る。その間にウィリスの名を呼べ」

 そして、エリシェもすでに、次なる呪文の詠唱に取り掛かった。
 ゼルダ婆から聞いたことがある。
 魔法の力は人の子には大きすぎる。
 長い詠唱と入念な準備があって初めて出来ること。
 それでも、魔法を使うならば、人は多くの代償を支払わねばならない。
 すでにエリシェは、疲労し、その腕やドレスにさえ、見えない獣の爪に引き裂かれた跡が見える。さきほど丸呑みされたはずの彼女がなぜ生きているのか? おそらく何かの魔法だろう。だが、あれほど強大な怪物を一度は偽った魔法の代償は十分に彼女を蝕んでいる。

 メイアは、心を落ち着かせる。
 エリシェはエリシェの役割を果たそうとしている。

(私は、私が出来ることをしよう)

 それがどれほどの意味を持つのかはわからない。
 でも、今、そうするしかない。
 彼女は叫んだ。

「ウィリス!」

 大きな声が谷に響く。

「ウィリス!」

 霧の中から巨大な龍の頭が浮かび上がる。
 でも、メイアは叫び続ける。

「ウィリス!」

 龍は、崖の上で叫び続ける少女を発見する。その周囲には、古鏡の魔法がきらめく。いらつくように、龍は吼える。
 その声は言葉にならない唸りであったが、強烈な意志を伴ってメイアとエリシェを襲う。

 汝らは我が餌。
 ただそれだけの存在に過ぎないのだ。

 圧倒的な否定。
 メイアは声を詰らせる。
 もう食べられてしまうしかないのね。

 言葉が出なくなる。

「叫び続けろ!」

 エリシェがメイアを抱き起こす。
 同時に、火龍の大顎が迫るが、一瞬、きらめく鏡のような魔法にさえぎられる。
 鏡はたちまち砕け散り、同時に、メイアとエリシェは再び、闇に落ちる。

 一瞬、何かを通り抜けた後、落ちたのは、グリスン谷をはさんだ反対側の崖の上だった。

「叫べ!」

 エリシェの口元からは、血が流れている。
 それでも、棘ある雛菊の名前の通り、微笑み続ける。

「叫べ!」

 メイアは理解し、そして、叫ぶ。

「ウィリス!」

 火龍が振り返り、メイアを見つける。
 ふたたび、唸りを上げようとして、龍は北に視線を逸らした。
 凍てつくような北風が一気に吹き寄せ、谷から霧を吹き飛ばす。
 そして、白い巨人が龍に向かって槍を突き出した。

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 何とか復活中、次回は来週に。

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2008年9月 8日 (月)

永遠の冬【59】火龍の雄叫び

 歌え、その祈りを声に乗せよ。

 メイア11歳の夏。

「霧は晴れない」
と、その少女は言った。
「だから、お前には、ウィリスを導いてもらわねばならぬ」
「ウィリス!」
 メイアは声を上げた。
「帰ってくるの?」
「帰ってくる」
 そして、彼女は北の空を指した。
 霧に包まれた白い空だったが、どこか夏とは思えぬ何かが感じられた。

 少女の名前はエリシェ・アリオラといった。
 彼女はその外見とは裏腹に老成した口ぶりで、ジードや村長と話しこみ、結局、朝から村人は里を去ることになった。
 彼女は、南の村に住む《霧の龍王ファーロ・パキール》の恐ろしさを得々と説明し、火龍の足止めのために、ジード、メイア、酒造りのウシュキ、そして、弓と罠に詳しいものとして、リシュの爺を残した。
 ジードとリシュは、ありったけの綱と道具を抱えて、川を少し下った。ジードは、火龍が早めに来た場合のために、鏑矢を持って川岸に潜んだ。その合間に、リシュの爺が川面を大物が抜けたら、鳴子が鳴るように仕掛けを張った。
 ウシュキは秋祭りのために仕込みかけた酒を村の川岸に運んだ。
「酒の匂いは、人の気配を隠す」
と、エリシェがいう。
「龍を酒に酔わすのかね?」
と、ウシュキが問うと、エリシェは微笑む。
「あれを酔い潰すには、この村が沈むほどの酒が必要だろう。
 そもそも、あれが酒を飲むかどうか、確認したものはおらぬ。
 少なくとも、泥酔した火龍という記録は残っていない。
 ……興味深い問題かもしれないわね」

 やがて、朝になり、村人たちが九十九折を上っていく。
 もはや霧は濃く、崖の上はもはや見えない。

「あとは、段取り次第」
 メイアを横に控えさせたまま、エリシェは、村の中央から動かなかった。
「あの、」とメイアは思い切って話しかけた。
「エリシェ様は、ウィリスや婆様とお会いに……」
 場違いな質問であることは分かっていた。
 だが、霧に包まれたグリスン谷で、メイアは沈黙を守り続けることが出来なかった。
「ああ、つい先日、会った」
 エリシェの答えはそっけなかった。
 メイアは言葉を続けることが出来なかった。
 しばらくの間があってから、エリシェは言葉を続ける。
「悪いな、どうも、世間話というのは苦手だ」
「いえ、あの」
「……《風読みのゼルディア》、いや、おぬしらの先代お迎え役、ゼルダは、我が妹のようなものだ」
 10歳にしか見えない少女の口から出るには、不似合いの言葉である。
 あきらかに四十を越え、老婆の域に達しつつあるゼルダの姉には決して見えない。
「ウィリスは、今、最後の扉に迫っているはずだ」

 そして、鳴子がカタカタと音を立て、鏑矢が虚空に甲高い音を上げた。
「来たぞ」
 エリシェの声は、引き続く火龍の雄叫びにかき消された。
 谷全体が轟きに揺れ、メイアはもはや恐怖で動くことさえできない。

 そして、また、すべては沈黙に包まれた。

「来た!」とエリシェは近くの酒樽を蹴り倒す。
 濃厚な酒の匂いがあたりに漂う。
 酒樽の間を走るエリシェの頭上に巨大な顎が出現し。その上半身を丸呑みにする。家よりも大きな上下の顎が、がきっとかみあわされ、エリシェの姿が消える。

「あ、あ、あ」
 もはや、メイアには声を出すことも出来ぬ。
 その背後から、すっと誰かがメイアの体に手を回す。
「飛ぶよ」
 エリシェの声とともに、メイアの視界は暗くなった。

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 何とか復活中、次回は来週に。

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2008年9月 1日 (月)

永遠の冬【58】霧の濃い朝

 それもまた策謀のうち。棘のある雛菊は、風に舞う。

 メイア11歳の夏。
 その朝、霧が晴れなかった。

 人々は、息を潜め、ゆっくりと移動した。ウィリスの父ジードが見張り役として川岸に立ち、その間に人々は九十九折れの崖道を登った。村長の命令で家畜は柵から放ち、田畑に残された。
 逃げ落ちる先は、領主が住む砂の川原と決まっていた。砂鉄取りに人手を求めるあの街ならば、避難民にも優しいであろう。
 足の遅い老人たちの何人かは、後に残ると言った。もはや老い先の短い彼らはグリスン谷の末路を見届けたがった。だが、その多くは家族に背負われて坂を上っていた。
 結局、谷に残ったのは、昔、狐狩りの名手だったリシュの爺と、酒の仕込み中だというウシュキの親父、それに見張り役のジード、そしてメイアだけだった。

 メイアが残った理由は昨夜、この地を訪れた一人の来訪者の言葉によるものだった。

 それは豪奢なドレスをまとった10歳ほどの愛らしい貴族の少女だった。
 彼女は、なぜかゼルダ婆の家から現れた。
「我は使者である。
 ウィリスとゼルダ婆の伝言を届けに来た」
 傲慢とも言える物言いは、彼女の口から出るといかにも自然であった。
「この地は、明日、戦場となる。
 村民は家畜を残し、この村を離れよ。
 避難先は砂の川原」

 村人はためらった。
 ここ何日か、川下の龍の存在で不安になっていたのであるが、村を離れるなど考えてはいなかった。そのため、突然、現れたものの唐突な言葉に従うか悩んだのである。

 だが、ジードの言葉がきっかけを作った。
「お前は、魔道師だな?」
 ジードは、もともと、北原で傭兵をしたこともある男。この田舎の村の中で数少なく世知に長けていた。
「退去は、魔道師学院の命令か?」
「しかり」と少女は答える。
「これは、我が師匠《召喚者スリムイル=スリムレイ》と、汝らの先代お迎え役ゼルダこと《風読みのゼルディア》が合意によって発せられたる警告なり」
 村人はざわめく。ゼルダがこの村に来る前、どこかで魔法の修行をしていたということは、村の老人たちしか知らぬことであった。

「汝らは知っているであろう。
この川下に、霧の龍王ファーロ・パキールが潜み、村を襲っていることを。
 ゆえに、我らは汝らに避難を命じるとともに、ここで火龍を食い止める仕掛けを行う」

 そうして、彼女は村人の中にいたメイアを見て微笑んだ。
 その視線にメイアは背筋が凍りついた。
 グリスン谷の冬よりも冷たい何か。
 この少女は、たぶん、人ではない。
 メイアはぞっとした。
 おそらく、雪狼の姫のほうがよほど人らしい。

「ウィリスの許嫁か。
 お前には、役目がある。
 ウィリスが帰り着くために、お前が必要だ」

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 何とか復活中、次回は来週に。

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2008年6月24日 (火)

永遠の冬【57】短い夏の終わり

 何気ない時。
 何気ない日々。
 それがいかに大事なものなのか?
 失って初めて気づく。

 メイア11歳の夏。

 グリスン谷の夏は短い。
 ウィリスとゼルダ婆が旅立って一月あまり、夏はもう陰りを見せ、村人たちは収穫前の畑仕事に精を出している。

 きっかけは霧だった。

 朝、河沿いに漂ってくる霧は少しずつ濃さを増していった。最初は太陽が昇るとともに、消えていった霧が少しずつ長く残るようになった。
 村人たちは春の戦の影響で、夏が少し涼しいものとなってしまうのは諦めていた。雪狼の姫君が風見山に降臨され、溶けぬ雪で山を覆ってしまったのであるから仕方ない。霧もまたそういう事柄の影響と思っていた。
 しかし、河を下って川下の村へ出かけたラインの次男坊が10日経っても戻らなかったので、ちょっとした騒ぎになった。どこかで溺れたか、それとも獣に襲われたのか?
 ウィリスの父ジードが村の男衆を連れて探しにいった。

 結果はもっと恐ろしいことだった。

 川下の村は晴れることのない濃くねっとりとした霧の中に沈んでいた。
 人の気配も家畜の鳴き声もしなかった。
 轟くようなたったひとつの吐息だけが村を包む霧から響いてきた。

 轟轟轟。

 ジードはただ恐れるばかりの村人に避難の支度を命じて村に返した。
 村長はその知らせを聞いて顔を青くすると、村人を集め、荷物をまとめるように指図すると、砂の川原に使いを出した。明朝には村を離れられるだろう。
 その夜、ジードが戻ってきた。
 わずか一日だったが、ジードは別人のようにやつれていた。

「火龍だ、霧の中に馬鹿でかい奴がいる」

 そして、その朝は霧が晴れなかった。

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 何とか、次回は来週に。


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2008年6月16日 (月)

永遠の冬【56】出陣


 時は来た。
 時は来た。
 時は来た。

 ただ声は響く。
 千年も万年も昔から、この時を待っていた。

 ウィリス11歳の夏。

 祈りが届いた瞬間――――
 ウィリスは「呑み込まれた」。

 封印が裂け、
 巨大な鎖が断ち切れ、
 アヴァター山頂上の結界そのものが、
 封じられた《冬翼様》の頭部とともに、
 上空へと吸い上げられる。

 ウィリスの体は、雪狼とともに舞い上がり、
 そのまま、《冬翼様》のお体に向かっていく。

 轟。
 風が吹き荒れる。

 寒くなどない。
 寒気はウィリスの友だ。

 気づくと、ウィリスは巨大な掌の上にいた。

 轟轟。
 風が渦巻く。
 それはおそらく、《冬翼様》の笑い声。

 そして、雄叫び。

「さあ、どこに行けばいい?」

 《冬神様》が叫ぶ。

 ウィリスはただ南を指差した。
 火龍の気配の方向。
 戦いの声が響くところ。

 轟轟轟。

 《冬翼様》は、風を蹴って走り出す。
 雪狼の群れが歓喜の雄叫びを上げ、その周囲を飛び回る。

 遥か彼方から雄叫びが上がる。
 あれは、「冬の祠」。
 万年の年月を待ちわびていたルーヴィディア・ウル様のお声。

 雷鳴が轟き、稲光が輝く。
 寒風の彼方、稲妻の魔神もまた推参しようというのか?

 そして、《冬翼様》は、ロクド山の深き峰へと飛ぶ。

 遥か南方、谷間深きあたりに、濃密な霧が渦巻いた。
 あれこそ龍の巣。

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 しばし、間が開いてしまいましたね。
 夏に向けて、イベントが続き、学校や締め切りも重なって色々多忙ですが、何とか、次回は来週に。

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2008年5月26日 (月)

永遠の冬【55】顕現せし真実


 魔は魔である。
 それ以外にどう説明すればいいのか?

 ウィリス11歳の夏。お迎え役としての時を迎える。

 「それ」は恐ろしい冬の力そのものであった。

 《冬翼様》とグリスン谷では呼ばれた神。
 あるいは、
 《冬翼の大公》と魔道師学院に伝わる魔族の諸侯の一柱。

 いずれにせよ。

 お迎え役として地に伏せたウィリスでさえ、
 「それ」を神という一言で表現していいものなのか、
 ただ、「畏(おそ)れ」るべき存在。
 世界の大半を圧してなお、意志を持つ「異形の神霊(もの)」。

 怖い。
 とても怖い。
 死ぬほど怖い。
 その怖さは、顔を上げることなどできない。
 それでも、何かの弾みで死んでしまいそうなほど怖い。

 ここに伏しているのが、ウィリス以外の誰だったとしても
 きっと、すぐさま凍りついて、死んでしまったに違いない。
 それほどの寒風が神の声ととこに周囲を荒れ狂い、暴れている。

 それでも、ウィリスは、うれしい。
 神の声は古い、古い、神代の言葉であったが、
 そこには喜びがあった。

 圧倒的な喜び。

 切り裂かれ、奪われた自分の一部と再会した喜び。
 奪われ、隠され、偽られた自らの名前を取り戻す喜び。
 長き封印から解き放たれ、自ら戦う喜び。

 この方を迎えるために、ウィリスはここまで生きてきた。

 わずか2年前、9歳の時に「お迎え役」となった。

 この2年間、ゼルダ婆とともに、修行してきたのはこの日のためだ。

 そして、ウィリスは身を切るような寒風に向かって立ち上がる。
 「願い」を。
 「願い」を伝えねばならない。

 我らが神に救いを求めねばならない。
 憎悪と破壊にすべてを向ける前に。

「《冬翼様》、《冬翼様》。
 小さき者の願いをお聞き届け下さい。
 我らの谷を、我らが村を、飢えたる火龍よりお救い下さい」

 ごううううううううう!

 突風がウィリスを吹き飛ばす。
 地面にしがみつくことも出来ぬまま、ウィリスは宙に浮く。

 そして、それが神の笑い声だと知った。

 神は喜んでいる。

 復讐の時を。
 戦いの時を。

「火龍!」

 圧倒的な喜びの感情が爆発し、四つの顔を持つ神は巨大な翼を羽ばたき始める。

「戦いこそ我が糧」

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 ついに、《冬翼の大公》復活であります。
 次回はまた来週。
 おそらくは、山々にて。

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